大和ハウス工業 の歴史

更新:

創業

1955年

創業者

石橋信夫

創業地

大阪市

直近売上高(2026/3)

55,769億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1955年に石橋信夫氏は木でなく鋼管で家を造ったのか
A 木材で家を造る常識を覆したのは、原材料が手に入らない現実を逆手に取る判断だった。戦後の乱伐で木材が不足し、復員兵や引き揚げ者が簡易住宅を求めるなか、石橋信夫氏は1955年4月に18人で大和ハウス工業を創業した。柱に鋼管を使う「パイプハウス」は当時の常識を覆す発想で、石橋氏は「丸太は空洞ではない。それならパイプだ、鉄パイプで家を造ったらいいと閃いた」と語っている。工場生産と短工期で需要に応え、プレハブ住宅産業の先駆けとなった。
Q なぜ1976年に住宅メーカーが流通店舗事業へ参入したのか
A 建物だけでは届かないと見たからである。石橋信夫氏は「家を買いたいといっている人で土地をもっておられるのは約1割、他の9割は土地がない」と述べ、住宅販売には土地確保が伴うべきだと考えていた。1976年、大和ハウスは住宅事業で培った土地情報と施工力を、ロードサイドの遊休地を持つ地主と出店企業を結ぶ流通店舗事業へ振り向けた。プレハブ大手と競合の少ない領域で差別化に成功し、のちの物流施設・商業施設の開発へ育つ非住宅多角化の出発点となった
Q なぜ2025年に多角化事業を整理し2大本部へ再編したのか
A 事業の数を増やしてきた経営から、勝てる事業へ資源を絞り込む経営へ切り替えたためである。2025年4月、芳井敬一氏から大友浩嗣氏へ社長が交代し、7事業本部を住宅系・非住宅系の2大本部へ再編した。あわせて、運営に向くベストオーナーへ譲るとの判断で、リゾートホテルの大和リゾートは全株式を556億円で売却し、コスモスイニシアも株式の一部を手放した。一方で2022年に始めたデータセンター事業の準備室を本部内に設け、収益を生む開発へ投資を向けている。

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1955年〜 「建築の工業化」への挑戦と新事業への布石

大和ハウス工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1955年 大和ハウス工業を創業
  2. 1959年 「ミゼットハウス」を発売
  3. 1959年 東京・大阪市場で株式公開
  4. 1960年 堺工場を新設
  5. 1961年 大和団地を設立
  6. 1961年 東京証券取引所市場に株式上場
  7. 1976年 大和ハウス工業の流通店舗事業への参入と非住宅多角化 「買い手の9割は土地を持たない」——石橋信夫氏は住宅の資源をどう店舗市場へ振り向けたか

木が足りないなら鉄を使う ── 鋼管構造という創業の決断

1955年4月[1]、石橋信夫氏は18人の仲間と[2]大和ハウス工業を創業した。石橋氏は敗戦後にシベリアへ送られ、3年間の抑留生活[3]のなかで、太陽の見えない大森林の伐採作業に隊員が次々と倒れる[4]現場を見た。「負ければ守るべき人を守れない」「負けぬため全力を尽くして生きる」[5](日経ビジネス 1986/4/14)という覚悟は、この体験に根ざしていた。創業商品「パイプハウス」は、柱に木材ではなく鋼管を用いる建築[6]である。着想の由来を石橋氏は「丸太は空洞ではない。それならパイプだ、鉄パイプで家を造ったらいいと閃いた」(不撓不屈の日々 1992)と語っている。戦争中の乱伐で木材が不足する一方、大量の復員兵や引き揚げ者が簡単に建てられる住宅を求めていた[8]。1957年4月には我が国初の鋼管構造建築として構造認定書を取得[9]し、工法は公的な裏づけを得た。 [7]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1955年4月 大和ハウス工業株式会社を創業
    • [6]1955年4月 創業商品「パイプハウス」を発売、鋼管(パイプ)構造による建築
    • [9]1957年4月 我が国初の鋼管構造建築として日本軽量鉄骨建築協会より構造認定書を取得
  • 日経ビジネス 1986年4月14日号
    • [2]設立時のメンバーは石橋信夫氏を含め18人、俗に「大和ハウス18人衆」
    • [3]石橋信夫氏 敗戦後にシベリアへ送られ3年間の抑留生活
    • [4]シベリア抑留中 昼も太陽が見えない大森林の伐採作業で寒さと空腹により隊員が次々と倒れた
    • [5]石橋信夫氏の信念「負けてはいけない」「負ければ守るべき人を守れない」「負けぬため全力を尽くして生きる」
  • 不撓不屈の日々 1992
    • [7]石橋信夫氏 丸太が空洞でないことから鉄パイプで家を造る着想を得た
  • 日経ビジネス 1984年3月5日号
    • [8]戦争中の乱伐による木材不足と、大量の復員兵・引き揚げ者による簡易住宅の需要

1959年10月に発売した「ミゼットハウス」[10]は、第1次ベビーブームによる住宅不足の解消[11]をねらい、子どもたちの声をヒントに開発したプレハブ住宅の原点[12]である。価格は約11万円、3時間で建つ家[13]という手軽さが評判を呼んだ。滋賀県栗東では、1週間前まで野原だった土地に13戸の文化住宅が並び[14]、工場で造った住宅を運んで据える速さに近隣の農家が驚いた[15]。パイプハウスとミゼットハウスは、国立科学博物館の重要科学技術史資料に登録されている。1962年4月には量産型プレハブ「ダイワハウスA型」を発売[16]し、1965年3月には初のプレハブ住宅専門工場となる奈良工場を開設[17]した。1968年に考案した住宅設計の半自動化システム[18]は、コンピューターに入力したデザインを6年間変えなかった[19]ために売れ行きを落とした。この失敗を受けて石橋氏は「新商品は2年たったら墓場へ送る」[20](日経ビジネス 1984/3/5)を社内のルールに定めた。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1959年10月 「ミゼットハウス」を発売
    • [11]ミゼットハウスの開発目的 第1次ベビーブームによる住宅不足の解消
    • [12]ミゼットハウス 子どもたちの声をヒントに開発したプレハブ住宅の原点
    • [13]ミゼットハウス 3時間で建つ家として開発
    • [16]1962年4月 プレハブ住宅「ダイワハウスA型」を発売
    • [17]1965年3月 奈良工場(初のプレハブ住宅専門工場)を開設
  • 読売新聞 1961年2月1日
    • [14]滋賀県栗東 1週間前まで野原だった土地に13戸の文化住宅
    • [15]住宅をそっくり工場でつくって現地へ運ぶ建築の速さに近隣の農家が驚いた
  • 日経ビジネス 1984年3月5日号
    • [18]1968年(昭和43年) 住宅設計をコンピューターで半自動化するシステムを考案、一軒20分で設計完了
    • [19]顧客の好みの変化を無視しコンピューターのデザインを6年間据え置いたため売れ行きが落ちた
    • [20]石橋信夫氏 住宅設計の失敗後に「新商品は2年たったら墓場へ送る」を社内ルールとして定着
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1955年4月 大和ハウス工業株式会社を創業
    • [6]1955年4月 創業商品「パイプハウス」を発売、鋼管(パイプ)構造による建築
    • [9]1957年4月 我が国初の鋼管構造建築として日本軽量鉄骨建築協会より構造認定書を取得
    • [10]1959年10月 「ミゼットハウス」を発売
    • [11]ミゼットハウスの開発目的 第1次ベビーブームによる住宅不足の解消
    • [12]ミゼットハウス 子どもたちの声をヒントに開発したプレハブ住宅の原点
    • [13]ミゼットハウス 3時間で建つ家として開発
    • [16]1962年4月 プレハブ住宅「ダイワハウスA型」を発売
    • [17]1965年3月 奈良工場(初のプレハブ住宅専門工場)を開設
  • 日経ビジネス 1986年4月14日号
    • [2]設立時のメンバーは石橋信夫氏を含め18人、俗に「大和ハウス18人衆」
    • [3]石橋信夫氏 敗戦後にシベリアへ送られ3年間の抑留生活
    • [4]シベリア抑留中 昼も太陽が見えない大森林の伐採作業で寒さと空腹により隊員が次々と倒れた
    • [5]石橋信夫氏の信念「負けてはいけない」「負ければ守るべき人を守れない」「負けぬため全力を尽くして生きる」
  • 不撓不屈の日々 1992
    • [7]石橋信夫氏 丸太が空洞でないことから鉄パイプで家を造る着想を得た
  • 日経ビジネス 1984年3月5日号
    • [8]戦争中の乱伐による木材不足と、大量の復員兵・引き揚げ者による簡易住宅の需要
    • [18]1968年(昭和43年) 住宅設計をコンピューターで半自動化するシステムを考案、一軒20分で設計完了
    • [19]顧客の好みの変化を無視しコンピューターのデザインを6年間据え置いたため売れ行きが落ちた
    • [20]石橋信夫氏 住宅設計の失敗後に「新商品は2年たったら墓場へ送る」を社内ルールとして定着
  • 読売新聞 1961年2月1日
    • [14]滋賀県栗東 1週間前まで野原だった土地に13戸の文化住宅
    • [15]住宅をそっくり工場でつくって現地へ運ぶ建築の速さに近隣の農家が驚いた

上場6年で得た資金力をしのぐ、1964年の資金停止が残した借金嫌い

1959年10月に東京・大阪の店頭承認銘柄として株式を公開[21]し、1961年9月に大阪証券取引所、翌10月に東京証券取引所へ上場[22]した。創業から6年での上場[23]で得た資金は、1965年の奈良工場や1973年11月の奈良中央試験所[24]といった生産・研究設備へ向かった。1961年6月には富士製鉄・野村証券・小野田セメント・大和ハウス工業の4社が資本金1億円を共同出資し、宅地造成と分譲を担う大和団地を設立[25]した。大和団地は羽曳野ネオポリスを皮切りに大阪地区で7つのネオポリスを開発[26]し、1975年時点の総開発面積は840万平方メートル[27]に達した。工業化住宅を量産する本体と土地を仕込む別法人を並走させる体制は、2001年4月の合併まで40年続いた[28]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1959年10月 東京・大阪市場の店頭承認銘柄として株式公開
    • [22]1961年9月 大阪証券取引所市場に株式上場、1961年10月 東京証券取引所市場に株式上場
    • [23]1955年4月の創業から1961年9月の上場まで6年
    • [24]1973年11月 奈良中央試験所を開設
    • [25]1961年6月 大和団地株式会社を設立
    • [28]1961年6月の大和団地設立から2001年4月の合併まで約40年
  • 日本企業要覧 1975年版
    • [26]大和団地 羽曳野ネオポリスを皮切りに大阪地区で7つのネオポリスを開発
    • [27]大和団地 1975年時点の総開発面積840万平方メートル

創業10年目の1964年[29]、深刻な不況のなかで株式市場に大和ハウスの経営不安がささやかれた。実態を反映したものではなかったが、企業の破綻が相次ぎ、山一証券が最初の経営危機に見舞われた[30]時期である。多くの都市銀行が資金の供給を止め[31]、南都銀行や常陽銀行といった一部の地方銀行だけが融資を繋いだ[32]。この経験を境に、石橋信夫氏は借入金に依存しない経営を心がけた[33]。有利子負債がピークに達した1994年3月期でさえ借入金の比率は1割に満たず、残りは社債と転換社債[34]が占めていた。「借金はあかん」[35](日経ビジネス 2002/8/5)という創業者の言葉を、歴代の社長が引き継いだ。

  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [29]創業10年目の1964年 深刻な不況下で株式市場に大和ハウスの経営不安がささやかれた
    • [30]1964年 企業の経営破綻が相次ぎ山一証券が最初の経営危機に見舞われた
    • [32]南都銀行・常陽銀行など一部の地方銀行を除き多くの都市銀行が資金供給を停止
    • [33]1964年の資金調達難を境に石橋信夫氏は借入金に依存しない経営を心がけた
    • [34]有利子負債ピークの1994年3月期でも借入金の比率は1割未満で残りは社債・転換社債
    • [35]石橋信夫氏の信念「借金はあかん」を歴代の社長が継承
  • 読売新聞 1964年12月1日
    • [31]1964年12月時点 大和ハウスの資金計画は苦しく、プレハブ建築のトップメーカーが足踏みしていると伝えられた
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1959年10月 東京・大阪市場の店頭承認銘柄として株式公開
    • [22]1961年9月 大阪証券取引所市場に株式上場、1961年10月 東京証券取引所市場に株式上場
    • [23]1955年4月の創業から1961年9月の上場まで6年
    • [24]1973年11月 奈良中央試験所を開設
    • [25]1961年6月 大和団地株式会社を設立
    • [28]1961年6月の大和団地設立から2001年4月の合併まで約40年
  • 日本企業要覧 1975年版
    • [26]大和団地 羽曳野ネオポリスを皮切りに大阪地区で7つのネオポリスを開発
    • [27]大和団地 1975年時点の総開発面積840万平方メートル
  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [29]創業10年目の1964年 深刻な不況下で株式市場に大和ハウスの経営不安がささやかれた
    • [30]1964年 企業の経営破綻が相次ぎ山一証券が最初の経営危機に見舞われた
    • [32]南都銀行・常陽銀行など一部の地方銀行を除き多くの都市銀行が資金供給を停止
    • [33]1964年の資金調達難を境に石橋信夫氏は借入金に依存しない経営を心がけた
    • [34]有利子負債ピークの1994年3月期でも借入金の比率は1割未満で残りは社債・転換社債
    • [35]石橋信夫氏の信念「借金はあかん」を歴代の社長が継承
  • 読売新聞 1964年12月1日
    • [31]1964年12月時点 大和ハウスの資金計画は苦しく、プレハブ建築のトップメーカーが足踏みしていると伝えられた

遊休地という社会資源を企業価値に変えるマッチング事業

1976年、大和ハウスは住宅事業で蓄えた土地情報と施工力を流通店舗事業へ振り向けた[36]。ロードサイドの遊休地を持つ地主と出店を望むテナント企業を引き合わせ[37]、店舗の設計から施工までを一貫して請け負う[38]仕組みである。下地には土地を第一に据える創業者の商法[39]があり、石橋氏は「家を買いたいといっている人で土地をもっておられるのは約1割、他の9割は土地がないのですから、プレハブの販売にはやはり土地開発が伴わなければダメだ」[40](週刊東洋経済 1970/4/11)と述べていた。工場で建物と機械を下請け業者に貸し付け、自らは生産の管理に回る商社的な運営[41]も、この時期には定着していた。1977年に流通店舗事業部を設置[42]し、プレハブでも窓を大きく取れる独自工法を開発したため、ほかのプレハブ大手と競合の少ない領域[43]を確保した。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1976年 流通店舗事業の開始
    • [37]流通店舗事業 ロードサイドの遊休土地オーナーと出店希望のテナント企業をマッチング
  • 日経ビジネス 1991年9月30日号
    • [38]成約すればテナントの店舗を詳細設計から建設・施工まで一貫受注
    • [42]1977年 流通店舗事業部を設置
    • [43]プレハブでも窓を大きく取れる独自工法によりほかのプレハブ大手との競合がほとんど無かった
  • 週刊東洋経済 1972年2月19日号「よみがえるか大和ハウス石橋商法」
    • [39]石橋商法の本質は第一に土地が基本にあり、第二に商社的経営法にある
    • [41]大和ハウスの生産方式 工場で建物と機械を下請け業者に貸し付け、同社は生産の管理のみを担う
  • 週刊東洋経済 1970年4月11日号
    • [40]石橋信夫氏 家を買いたい人のうち土地を持つのは約1割、プレハブ販売には土地開発が伴う必要

受注を効率よく集める仕掛けが、1990年6月に始めた「コンベンション」[44]である。地主を集めた会場では、初日を相続税や土地税制の講演に充て[45]、翌日に出店希望のテナントを引き合わせた。全国のオーナー会員は約2,500人、登録した土地情報は1万件を上回り[46]、テナント会に加わる企業は120社[47]に及んだ。靴・玩具販売のチョダは975店のうち約7割を大和ハウスが手がけ[48]、日本トイザラスには50店舗分の土地を紹介して工事を請け負った[49]。流通店舗事業部の売上高は1990年3月期の725億円から1991年3月期に1,300億円へ倍増[50]した。全社に占める事業部の比率も1985年度の9%から1990年度の16%へ上がり[51]、非住宅部門は全体のほぼ半分に達した[52]。当時副社長の石橋伸康氏は「この成長に最も寄与したのはコンベンション。10年後には現在の3倍、3,700億円を達成する」(日経ビジネス 1991/9/30)と述べた。 [53]

  • 日経ビジネス 1991年9月30日号
    • [44]1990年6月 第1回オーナーズコンベンションを開催、以後は年に2〜3回開催
    • [45]コンベンションは2日間の日程で1日目を土地・税制の講演会に充てた
    • [46]オーナー会 会員数は全国で約2,500人、登録土地情報は1万件超
    • [47]テナント会 会員企業120社
    • [48]チョダ 975店のうち約7割を大和ハウスが施工
    • [49]日本トイザラス 50店舗分の土地を紹介し工事の受注が決定
    • [50]流通店舗事業部の売上高 1990年3月期725億円→1991年3月期1,300億円
    • [51]流通店舗事業部の売上比率 1985年度9%→1990年度16%
    • [52]非住宅部門の比率が全社のほぼ半分へ上昇
    • [53]石橋伸康副社長 コンベンションが成長に最も寄与、10年後に現在の3倍の3,700億円を目標
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1976年 流通店舗事業の開始
    • [37]流通店舗事業 ロードサイドの遊休土地オーナーと出店希望のテナント企業をマッチング
  • 日経ビジネス 1991年9月30日号
    • [38]成約すればテナントの店舗を詳細設計から建設・施工まで一貫受注
    • [42]1977年 流通店舗事業部を設置
    • [43]プレハブでも窓を大きく取れる独自工法によりほかのプレハブ大手との競合がほとんど無かった
    • [44]1990年6月 第1回オーナーズコンベンションを開催、以後は年に2〜3回開催
    • [45]コンベンションは2日間の日程で1日目を土地・税制の講演会に充てた
    • [46]オーナー会 会員数は全国で約2,500人、登録土地情報は1万件超
    • [47]テナント会 会員企業120社
    • [48]チョダ 975店のうち約7割を大和ハウスが施工
    • [49]日本トイザラス 50店舗分の土地を紹介し工事の受注が決定
    • [50]流通店舗事業部の売上高 1990年3月期725億円→1991年3月期1,300億円
    • [51]流通店舗事業部の売上比率 1985年度9%→1990年度16%
    • [52]非住宅部門の比率が全社のほぼ半分へ上昇
    • [53]石橋伸康副社長 コンベンションが成長に最も寄与、10年後に現在の3倍の3,700億円を目標
  • 週刊東洋経済 1972年2月19日号「よみがえるか大和ハウス石橋商法」
    • [39]石橋商法の本質は第一に土地が基本にあり、第二に商社的経営法にある
    • [41]大和ハウスの生産方式 工場で建物と機械を下請け業者に貸し付け、同社は生産の管理のみを担う
  • 週刊東洋経済 1970年4月11日号
    • [40]石橋信夫氏 家を買いたい人のうち土地を持つのは約1割、プレハブ販売には土地開発が伴う必要

1977年〜 事業多角化と無借金経営への財務規律の時代

大和ハウス工業の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1978年 日本住宅流通を設立
  2. 1978年 リゾートホテル経営を開始
  3. 1990年 ホテル事業「ダイワロイヤルホテルズ」の急拡大と定まらぬブランド 会員制と一般客営業の「二鳥作戦」——石橋殾一社長は多角化の副作用とどう向き合ったか
  4. 1999年 大和ハウス工業、石橋伸康社長の退任と創業家による路線修正 「販売なくして企業なし」——創業者の実子である社長は、なぜ自らの改革を父に覆されたか
  5. 2000年 大和ハウス工業の「有利子負債ゼロ」への転換 財務は既に健全だった。創業者・石橋信夫氏の「借金はあかん」を、樋口武男社長はどう受け継いだか
  6. 2001年 大和団地と合併
  7. 2003年 大型物流施設の開発を開始

創業者の旗振りから組織経営への20年がかりの移行

石橋信夫氏は21世紀には風・太陽・水を用いる事業が要る[54]と考え、住宅の外へ事業を広げた。1978年4月に「能登ロイヤルホテル」を開いてリゾートホテル経営へ入り[55]、1980年8月には奈良市にホームセンターの第1号店を出した[56]。1983年5月には上海で外国人宿泊用施設を建設し、以後の中国事業を本格化[57]させた。1989年10月に設けた賃貸住宅管理の大和リビング[58]は、のちに売上高1兆円を超える賃貸住宅セグメント[59]の母体になった。多角化の資金は借入ではなく社債で賄い、リゾート開発を主目的とする観光事業向けに1982年から転換社債を断続的に発行[60]した。ホテルは1985年からの5年間で全国15カ所を開業[61]し、客室数は10年前の120室から4,772室へ増えた[62]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [54]石橋信夫氏 「21世紀は風・太陽・水」の事業が必要との考え
    • [55]1978年4月 能登ロイヤルホテルをオープンしリゾートホテル経営を開始
    • [56]1980年8月 ホームセンター第1号店を奈良市にオープン
    • [57]1983年5月 中国上海市で外国人宿泊用施設を建設、以後 中国事業を本格化
    • [58]1989年10月 大和リビング株式会社を設立
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [59]賃貸住宅セグメント売上高 2025年3月期 1兆3,740億円
  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [60]1982年からリゾート開発を主目的とする観光事業のため転換社債を断続的に発行
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号「ホテル事業急拡大、されど「看板」定まらず」
    • [61]1985〜90年の5年間で全国15カ所のホテルを開業
    • [62]ホテル客室数 10年前の120室→4,772室

石橋信夫氏は1980年に心臓を病み、社長をいとこの子にあたる石橋殾一氏へ譲った[63]。新社長は「社長の指名があった時は本当に驚いた。私は与えられた問題をなんとなくこなして行く力はあると思うが、会長のように情熱家でもないし、ユニークな発想もできない」(日経ビジネス 1986/4/14)と謙遜したが、その下で大和ハウスはカンと経験に頼る経営からシステム志向へ移った[65]。会長へ退いた石橋信夫氏は開発の領域で旗を振り続け、レジャー開発・デベロッパー事業・流通店舗・ホームセンターの立ち上げはいずれも自分が旗を振った[66]と語っている。急いだ拡大の弊は1990年に表れ、5,000室規模まで育ったホテル[67]は高級リゾートか大衆観光ホテルかの性格が定まらないまま、同業大手の役員からも評価が割れた[68][64]

  • 日経ビジネス 1986年4月14日号
    • [63]石橋信夫氏 1980年に心臓を病み、社長をいとこの子にあたる石橋殾一氏へ交代
    • [64]石橋殾一社長 社長の指名に驚き、会長のような情熱家でもユニークな発想もできないと述べた
    • [65]石橋殾一社長のもとでカンと経験とバイタリティによる経営からシステム志向へ転換
    • [66]石橋信夫会長 レジャー開発・デベロッパー事業・流通店舗・ホームセンターの新事業はすべて自らが旗を振ったと述べた
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号「ホテル事業急拡大、されど「看板」定まらず」
    • [67]1990年秋の別府開業後 ホテル客室数は5,000室規模
    • [68]同業大手ホテルチェーンの役員から、リゾートホテルの高級感か観光ホテルの大衆性か分からないとの評が相次いだ

1996年6月に社長へ就いた石橋信夫氏の長男・石橋伸康氏[69]は、越境営業の原則禁止や受注計上基準の厳格化といった欧米流の合理主義[70]を持ち込んだ。受注として認める契約から着工までの期間は、7〜8カ月以内から3カ月へ縮めた[71]。1998年5月には広告宣伝費の削減や住宅展示場の統廃合を含む300億円規模のリストラ策[72]も掲げた。改革は役員の反発を招き、1999年6月25日、弁護士の中坊公平氏が石橋伸康氏と面会[73]して「取締役の信任を得られずして、社長が務まるのでしょうか」[74]と諭した。27日に石橋伸康氏は父の自宅を訪ねて辞任を申し出[75]、29日の株主総会後の取締役会で副社長の東郷武氏が後任に決まった[76]。東郷武氏は支店統廃合計画を撤回し営業エリア制も廃して、拡大路線へ戻した[77]

  • 日経ビジネス 1996年12月16日号「新社長登場 石橋伸康氏[大和ハウス工業]理で考え、営業畑で鍛えた行動力」
    • [69]石橋伸康氏 1974年入社、1980年取締役・1984年常務・1989年専務・1991年副社長を経て1996年6月に社長就任
  • 日経ビジネス 1999年7月12日号「大和ハウス社長辞任は社内対立からくる解任劇だった!引導を渡したのは意外?中坊公平氏、創業者の意を受け説得に乗り出す」
    • [70]石橋伸康社長 就任直後から欧米流の合理主義改革を進め、越境営業の原則禁止が柱の一つ
    • [71]受注計上基準 契約から着工までの期間を7〜8カ月以内から3カ月へ短縮
    • [72]1998年5月 広告宣伝費カット・住宅展示場の統廃合・400項目の経費削減マニュアル整備など300億円規模のリストラ策
    • [73]1999年6月25日 弁護士の中坊公平氏が役員の反発に直面していた石橋伸康氏と面会
    • [74]中坊公平氏 「取締役の信任を得られずして、社長が務まるのでしょうか」と諭した
    • [75]1999年6月27日 石橋伸康氏が父の自宅を訪ね辞任を申し出た
    • [76]1999年6月29日 株主総会後の取締役会で交代が決定、後任は副社長の東郷武氏
    • [77]東郷武新社長 支店統廃合計画の白紙撤回と営業エリア制の廃止で積極拡大策へ回帰
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [54]石橋信夫氏 「21世紀は風・太陽・水」の事業が必要との考え
    • [55]1978年4月 能登ロイヤルホテルをオープンしリゾートホテル経営を開始
    • [56]1980年8月 ホームセンター第1号店を奈良市にオープン
    • [57]1983年5月 中国上海市で外国人宿泊用施設を建設、以後 中国事業を本格化
    • [58]1989年10月 大和リビング株式会社を設立
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [59]賃貸住宅セグメント売上高 2025年3月期 1兆3,740億円
  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [60]1982年からリゾート開発を主目的とする観光事業のため転換社債を断続的に発行
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号「ホテル事業急拡大、されど「看板」定まらず」
    • [61]1985〜90年の5年間で全国15カ所のホテルを開業
    • [62]ホテル客室数 10年前の120室→4,772室
    • [67]1990年秋の別府開業後 ホテル客室数は5,000室規模
    • [68]同業大手ホテルチェーンの役員から、リゾートホテルの高級感か観光ホテルの大衆性か分からないとの評が相次いだ
  • 日経ビジネス 1986年4月14日号
    • [63]石橋信夫氏 1980年に心臓を病み、社長をいとこの子にあたる石橋殾一氏へ交代
    • [64]石橋殾一社長 社長の指名に驚き、会長のような情熱家でもユニークな発想もできないと述べた
    • [65]石橋殾一社長のもとでカンと経験とバイタリティによる経営からシステム志向へ転換
    • [66]石橋信夫会長 レジャー開発・デベロッパー事業・流通店舗・ホームセンターの新事業はすべて自らが旗を振ったと述べた
  • 日経ビジネス 1996年12月16日号「新社長登場 石橋伸康氏[大和ハウス工業]理で考え、営業畑で鍛えた行動力」
    • [69]石橋伸康氏 1974年入社、1980年取締役・1984年常務・1989年専務・1991年副社長を経て1996年6月に社長就任
  • 日経ビジネス 1999年7月12日号「大和ハウス社長辞任は社内対立からくる解任劇だった!引導を渡したのは意外?中坊公平氏、創業者の意を受け説得に乗り出す」
    • [70]石橋伸康社長 就任直後から欧米流の合理主義改革を進め、越境営業の原則禁止が柱の一つ
    • [71]受注計上基準 契約から着工までの期間を7〜8カ月以内から3カ月へ短縮
    • [72]1998年5月 広告宣伝費カット・住宅展示場の統廃合・400項目の経費削減マニュアル整備など300億円規模のリストラ策
    • [73]1999年6月25日 弁護士の中坊公平氏が役員の反発に直面していた石橋伸康氏と面会
    • [74]中坊公平氏 「取締役の信任を得られずして、社長が務まるのでしょうか」と諭した
    • [75]1999年6月27日 石橋伸康氏が父の自宅を訪ね辞任を申し出た
    • [76]1999年6月29日 株主総会後の取締役会で交代が決定、後任は副社長の東郷武氏
    • [77]東郷武新社長 支店統廃合計画の白紙撤回と営業エリア制の廃止で積極拡大策へ回帰

創業者の信念が「有利子負債ゼロ」に明文化された2000年

バブル期に大量発行したワラント債と転換社債[78]は、1994年3月期に3,877億円の有利子負債となってピーク[79]を打った。1998年までにその大半が償還を迎え[80]、1997年3月期から1999年3月期にかけて残高は毎期5割前後のペースで減り[81]、1999年3月期には324億5,000万円まで縮んだ[82]。純有利子負債は1996年3月期から実質マイナス[83]で、手元流動性が有利子負債を上回る状態にあった。それでも大和ハウスは2000年度から「有利子負債ゼロ」を経営目標に掲げ[84]、販売用不動産の在庫圧縮で得た資金を返済に充てた[85]。低金利を使って借入を増やすべきだというアナリストの見方に対し、樋口武男社長は「金利が上昇した時に大きな借金をした会社が傾いたら、アナリストは責任を取ってくれるのか」[86](日経ビジネス 2002/8/5)と退けた。

  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [78]1980年代後半〜1990年代前半のバブル期にワラント債(新株引受権付社債)を大量発行
    • [79]有利子負債ピーク 1994年3月期 3,877億4,600万円
    • [80]1998年までに転換社債・ワラント債の大半が償還
    • [81]有利子負債残高 1997年3月期から1999年3月期にかけて毎期5割前後のペースで減少
    • [82]連結有利子負債 1999年3月期 324億5,000万円
    • [83]純有利子負債 1996年3月期から実質マイナス、2002年3月期は△932億9,800万円
    • [84]2000年度から「有利子負債ゼロ」の目標を掲げ負債削減に着手
    • [85]2001年度 販売用不動産の在庫圧縮を促進し売却資金を有利子負債の返済に充当
    • [86]樋口武男社長 金利上昇時に大きな借金をした会社が傾いてもアナリストは責任を取らないと述べた

2001年4月、持分法適用会社だった大和団地を吸収合併[87]し、分譲マンション事業を本体へ取り込んだ。2001年3月期に50億500万円だった連結の有利子負債[88]は、大和団地から承継した1,320億円[89]で一気に膨らんだ。同年に社長へ就いた樋口武男[90]は、1年間で720億円の販売用不動産を売り[91]、その売却益をほぼ全額返済に充てて負債を800億円圧縮した[92]。2002年3月期の連結有利子負債残高は570億円[93]まで戻った。あわせて減損会計の導入をにらみ、時限立法の土地再評価法で固定資産の土地を評価替え[94]し、1,028億9,200万円の含み損を処理した[95]。売却損の出る支店には本社が損失分を補填して在庫の処分を進めさせた[96]樋口武男氏(社長)は「膿なし、借金なし。2003年度からはノーマルな経営ができる」(日経ビジネス 2002/8/5)と表明した。 [97]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2001年4月 大和団地株式会社と合併(存続会社は大和ハウス工業)
  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [88]有利子負債 2001年3月期 50億500万円
    • [89]大和団地合併で承継した有利子負債 1,320億円
    • [90]2001年4月 樋口武男氏が社長に就任
    • [91]販売用不動産の1年間の売却額 720億円
    • [92]2002年3月期 大和団地合併で増えた有利子負債を800億円削減、原資は不動産売却益
    • [93]連結有利子負債残高 2002年3月期 570億円
    • [94]2002年3月期 減損会計の導入をにらみ時限立法の土地再評価法で固定資産の土地を評価替え
    • [95]2002年3月期 土地の含み損1,028億9,200万円を一括処理
    • [96]本社が損失分を補填して支店に販売用不動産の在庫処分を進めさせた
    • [97]樋口武男社長 「膿なし、借金なし。2003年度からはノーマルな経営ができる」
  • 日経ビジネス 2002年8月5日号
    • [78]1980年代後半〜1990年代前半のバブル期にワラント債(新株引受権付社債)を大量発行
    • [79]有利子負債ピーク 1994年3月期 3,877億4,600万円
    • [80]1998年までに転換社債・ワラント債の大半が償還
    • [81]有利子負債残高 1997年3月期から1999年3月期にかけて毎期5割前後のペースで減少
    • [82]連結有利子負債 1999年3月期 324億5,000万円
    • [83]純有利子負債 1996年3月期から実質マイナス、2002年3月期は△932億9,800万円
    • [84]2000年度から「有利子負債ゼロ」の目標を掲げ負債削減に着手
    • [85]2001年度 販売用不動産の在庫圧縮を促進し売却資金を有利子負債の返済に充当
    • [86]樋口武男社長 金利上昇時に大きな借金をした会社が傾いてもアナリストは責任を取らないと述べた
    • [88]有利子負債 2001年3月期 50億500万円
    • [89]大和団地合併で承継した有利子負債 1,320億円
    • [90]2001年4月 樋口武男氏が社長に就任
    • [91]販売用不動産の1年間の売却額 720億円
    • [92]2002年3月期 大和団地合併で増えた有利子負債を800億円削減、原資は不動産売却益
    • [93]連結有利子負債残高 2002年3月期 570億円
    • [94]2002年3月期 減損会計の導入をにらみ時限立法の土地再評価法で固定資産の土地を評価替え
    • [95]2002年3月期 土地の含み損1,028億9,200万円を一括処理
    • [96]本社が損失分を補填して支店に販売用不動産の在庫処分を進めさせた
    • [97]樋口武男社長 「膿なし、借金なし。2003年度からはノーマルな経営ができる」
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2001年4月 大和団地株式会社と合併(存続会社は大和ハウス工業)

流通店舗のマッチング知見をECの物流施設に応用

2003年、大和ハウスは大型物流施設の開発へ乗り出した[98]。用地の提案から施設の設計施工、運営までを一貫して支えるモデル[99]で、遊休地の地主とテナントを結ぶ流通店舗の手法を物流へ移した。ネット社会の到来と物流改革への対応[100]を掲げたこの事業は、のちに事業施設セグメントの中核に育った[101]。一方で非中核事業の整理も進み、2004年4月には1980年に始めたホームセンター事業をロイヤルホームセンターへ会社分割で承継させた[102]。同年9月には大和工商リースの株式を追加取得し、同社と子会社4社を連結子会社化[103]した。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [98]2003年 大型物流施設の開発を開始
    • [99]物流施設開発 用地の提案・施設の設計施工から施設運営までをサポート
    • [100]物流施設開発の背景 ネット社会の到来、物流改革への対応
    • [102]2004年4月 ホームセンター事業をロイヤルホームセンター株式会社に会社分割により承継
    • [103]2004年9月 大和工商リース株式会社の株式を追加取得し同社と子会社4社を連結子会社化
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [101]事業施設セグメント売上高 2025年3月期 1兆3,322億円

2001年6月には全国13工場と生産購買本部でISO14001の認証を取得[104]した。2005年5月には大和ハウスグループ中期経営計画を初めて策定[105]し、子会社ごとに独立していた経営の方向を本社が束ねた。翌2006年8月には大和工商リース・ダイワラクダ工業・大和物流の主要子会社3社を株式交換で完全子会社化[106]し、資本関係と事業方針を揃えた。3社のうち前2社は、のちに大和リース、株式会社デザインアークへ商号を変えている[107]。2006年3月期の連結売上高は1兆5,289億円[108]に達し、住宅・流通店舗・物流施設の3本柱が揃った。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [104]2001年6月 全国13工場及び生産購買本部でISO14001の認証取得
    • [105]2005年5月 大和ハウスグループ中期経営計画(第1次中計)を策定
    • [106]2006年8月 大和工商リース・ダイワラクダ工業・大和物流を株式交換により完全子会社化
    • [107]大和工商リース→大和リース株式会社、ダイワラクダ工業→株式会社デザインアークへ商号変更
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [108]連結売上高 2006年3月期 1兆5,289億円
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [98]2003年 大型物流施設の開発を開始
    • [99]物流施設開発 用地の提案・施設の設計施工から施設運営までをサポート
    • [100]物流施設開発の背景 ネット社会の到来、物流改革への対応
    • [102]2004年4月 ホームセンター事業をロイヤルホームセンター株式会社に会社分割により承継
    • [103]2004年9月 大和工商リース株式会社の株式を追加取得し同社と子会社4社を連結子会社化
    • [104]2001年6月 全国13工場及び生産購買本部でISO14001の認証取得
    • [105]2005年5月 大和ハウスグループ中期経営計画(第1次中計)を策定
    • [106]2006年8月 大和工商リース・ダイワラクダ工業・大和物流を株式交換により完全子会社化
    • [107]大和工商リース→大和リース株式会社、ダイワラクダ工業→株式会社デザインアークへ商号変更
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [101]事業施設セグメント売上高 2025年3月期 1兆3,322億円
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [108]連結売上高 2006年3月期 1兆5,289億円

2006年〜 海外住宅参入と総合不動産グループへの変貌

大和ハウス工業の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2007年 風力発電事業に参入
  2. 2008年 ビ・ライフ投資法人のスポンサーに
  3. 2013年 フジタを完全子会社化
  4. 2013年 コスモスイニシアを子会社化
  5. 2014年 「xevoΣ(ジーヴォシグマ)」発売
  6. 2017年 Stanley-Martin Communitiesを子会社化
  7. 2025年 過去最大4600億円の米IES買収とデータセンター建設の垂直統合 住宅・物流で伸びた大和ハウスは、なぜ電気設備工事会社を相次いで買ったか

フジタ買収で住宅メーカーがゼネコン機能を取り込んだ転換

2013年1月、大和ハウスは総合建設会社フジタの株式を取得して完全子会社化[109]した。海外の建設・土木を手がけるフジタの取り込みで事業施設は一段と広がり、2014年3月期の連結売上高は前期比34.5%増の2兆7,003億円[110]へ伸びた。同年6月にはコスモスイニシアを連結子会社化[111]してマンション事業を補い、ダイヨシトラストの株式取得で駐車場事業も加えた[112]。建設部門の集約はその後も続き、2008年4月に持分法適用関連会社としていた小田急建設[113]は、2015年8月に大和小田急建設として完全子会社化されたうえで、同年10月にフジタへ統合[114]された。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2013年1月 株式会社フジタの株式を取得し完全子会社化
    • [111]2013年6月 株式会社コスモスイニシアの株式を取得し連結子会社化
    • [112]2013年6月 株式会社ダイヨシトラスト(現・大和ハウスパーキング)の株式を取得し連結子会社化
    • [113]2008年4月 小田急建設株式会社の株式を取得し持分法適用関連会社化
    • [114]2015年8月 大和小田急建設株式会社を株式交換により完全子会社化、2015年10月に株式会社フジタと経営統合(合併)
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [110]連結売上高 2014年3月期 2兆7,003億円(前期2兆79億円から34.5%増)

2010年の会計基準の変更で従来の5事業区分は7つの報告セグメントへ改められ、戸建住宅・賃貸住宅・マンション・商業施設・事業施設という現在の骨格[115]が固まった。利益では非住宅が先に伸び、2018年3月期には商業施設の営業利益1,141億円、事業施設の889億円が、いずれも戸建住宅の215億円を上回った[116]。1976年に始めた流通店舗事業から40年[117]を経て、非住宅の事業群は利益でも住宅を追い越した。開発した物件の受け皿も整え、2008年12月にビ・ライフ投資法人の投資口を取得してスポンサーとなり[118]、2012年11月には大和ハウスリート投資法人として不動産投資信託証券市場へ上場[119]させた。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [115]報告セグメント 戸建住宅・賃貸住宅・マンション・商業施設・事業施設
    • [116]2018年3月期セグメント営業利益 商業施設1,141億円・事業施設889億円・戸建住宅215億円
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [117]1976年 流通店舗事業の開始
    • [118]2008年12月 ビ・ライフ投資法人(現・大和ハウスリート投資法人)の投資口を取得しスポンサーとなる
    • [119]2012年11月 大和ハウスリート投資法人が東京証券取引所の不動産投資信託証券市場に上場
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2013年1月 株式会社フジタの株式を取得し完全子会社化
    • [111]2013年6月 株式会社コスモスイニシアの株式を取得し連結子会社化
    • [112]2013年6月 株式会社ダイヨシトラスト(現・大和ハウスパーキング)の株式を取得し連結子会社化
    • [113]2008年4月 小田急建設株式会社の株式を取得し持分法適用関連会社化
    • [114]2015年8月 大和小田急建設株式会社を株式交換により完全子会社化、2015年10月に株式会社フジタと経営統合(合併)
    • [117]1976年 流通店舗事業の開始
    • [118]2008年12月 ビ・ライフ投資法人(現・大和ハウスリート投資法人)の投資口を取得しスポンサーとなる
    • [119]2012年11月 大和ハウスリート投資法人が東京証券取引所の不動産投資信託証券市場に上場
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [110]連結売上高 2014年3月期 2兆7,003億円(前期2兆79億円から34.5%増)
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [115]報告セグメント 戸建住宅・賃貸住宅・マンション・商業施設・事業施設
    • [116]2018年3月期セグメント営業利益 商業施設1,141億円・事業施設889億円・戸建住宅215億円

米国3社の自律分散ガバナンスで海外戸建を5年で揃える

2017年2月、米国の戸建住宅デベロッパーStanley-Martin Communitiesの持分を取得して連結子会社化[120]し、海外住宅事業へ入った。同社は創業から50年を超え、土地の確保力と富裕層から実需層まで広い購買層を持っていた。続いて2018年2月に豪州のRawson[121] Group、2020年1月に米国のTrumark Companies[122]、2021年1月にオランダのFlexbuild Holding[123]、同年9月に米国のCastleRock[124] Communitiesを傘下へ収めた。5年で北米・豪州・欧州に住宅事業の拠点が並んだ[125]。オランダの1社は買収後にDaiwa House Modular Europeへ社名を改めている[126]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [120]2017年2月 Stanley-Martin Communities, LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [121]2018年2月 Rawson Group Pty Ltd.(豪州)の株式を取得し連結子会社化
    • [122]2020年1月 Trumark Companies, LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [123]2021年1月 Flexbuild Holding B.V.(オランダ)の株式を取得し連結子会社化
    • [124]2021年9月 CastleRock Communities LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [125]2017年2月から2021年9月までの5年間で米国・豪州・欧州の住宅事業会社を傘下化
    • [126]Flexbuild Holding B.V.は現・Daiwa House Modular Europe B.V.

米国の3社は現地の経営陣が自律して運営し、本社は土地取得や販売コミュニティの情報を各社間で共有させる役回りに徹した。2024年11月にはDaiwa House USA Memberの持分を取得し、アライアンス・レジデンシャル社を持分法適用関連会社に加えた[127]芳井敬一氏は米国について、戸建だけでなく複数の業態を持ち込んで「ミニ大和ハウス」をつくる構想[128]を語っている。米国事業は2028年度に売上高1兆円を掲げる準主力市場[129]となり、2025年3月期の戸建住宅セグメント外部売上高は1兆1,353億円[130]に達した。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2024年11月 Daiwa House USA Member LLC(米国)の持分を取得し、同社が保有するアライアンス・レジデンシャル社を持分法適用関連会社化
  • 週刊東洋経済 2025年4月19日号「トップに直撃 大和ハウス工業 「米国は“ミニ大和ハウス” 国内はデータセンターを拡大」」
    • [128]芳井敬一氏 米国に戸建以外の業態も持ち込み「ミニ大和ハウス」をつくる構想
    • [129]米国事業 2028年度に売上高1兆円を掲げる準主力市場
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [130]戸建住宅セグメント外部売上高 2025年3月期 1兆1,353億円
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [120]2017年2月 Stanley-Martin Communities, LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [121]2018年2月 Rawson Group Pty Ltd.(豪州)の株式を取得し連結子会社化
    • [122]2020年1月 Trumark Companies, LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [123]2021年1月 Flexbuild Holding B.V.(オランダ)の株式を取得し連結子会社化
    • [124]2021年9月 CastleRock Communities LLC(米国)の持分を取得し連結子会社化
    • [125]2017年2月から2021年9月までの5年間で米国・豪州・欧州の住宅事業会社を傘下化
    • [126]Flexbuild Holding B.V.は現・Daiwa House Modular Europe B.V.
    • [127]2024年11月 Daiwa House USA Member LLC(米国)の持分を取得し、同社が保有するアライアンス・レジデンシャル社を持分法適用関連会社化
  • 週刊東洋経済 2025年4月19日号「トップに直撃 大和ハウス工業 「米国は“ミニ大和ハウス” 国内はデータセンターを拡大」」
    • [128]芳井敬一氏 米国に戸建以外の業態も持ち込み「ミニ大和ハウス」をつくる構想
    • [129]米国事業 2028年度に売上高1兆円を掲げる準主力市場
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [130]戸建住宅セグメント外部売上高 2025年3月期 1兆1,353億円

売上5兆円到達と創業者の風・太陽・水構想の結実

2022年5月に策定した第7次中期経営計画[131]は、2027年3月期に連結売上高5兆5,000億円、営業利益5,000億円を掲げた。連結売上高は2023年3月期に4兆9,081億円、2024年3月期に5兆2,029億円、2025年3月期に5兆4,348億円[132]と伸び、目標をほぼ前倒しで満たした。営業利益は5,462億円[133]となり、計画に掲げた5,000億円を期間の半ばで超えた。組織の側では2021年4月に事業本部制の本格運用を始め[134]、2022年4月には東京証券取引所の市場再編にともないプライム市場へ移った[135]。2021年10月には創業者ゆかりの奈良県に研修施設「大和ハウスグループみらい価値共創センター(コトクリエ)」を開いた[136]

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [131]2022年5月 大和ハウスグループ第7次中期経営計画を策定
    • [134]2021年4月 事業本部制の本格運用を開始
    • [135]2022年4月 東京証券取引所の市場再編に伴いプライム市場へ移行
    • [136]2021年10月 研修施設「大和ハウスグループみらい価値共創センター(コトクリエ)」を奈良県に開所
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [132]連結売上高 2023年3月期4兆9,081億円・2024年3月期5兆2,029億円・2025年3月期5兆4,348億円
    • [133]営業利益 2025年3月期 5,462億円(時系列で最高)

2007年に参入した風力発電事業[137]は、「21世紀は風・太陽・水」という創業者の考え[138]に沿っていた。2023年3月期にはセグメント区分が改められ、住宅ストックに代わって環境エネルギーが独立した報告セグメント[139]となり、参入から15年で単独の収益源として扱われた[140]。逆に手放した事業もあり、2022年12月には大和リゾートの株式・債権・固定資産を556億円で譲渡すると決め[141]、2023年7月に連結から外して[142]、1978年に始めたリゾートホテル事業から退いた。財務の構えも変わり、2025年3月期の総資産は7兆493億円[143]まで拡大し、有利子負債は2兆3,000億円を超えた。D/Eレシオは0.8倍程度で、無借金を目標に掲げた2000年代とは負債の扱いが変わっている。

  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2007年 風力発電事業に参入
    • [138]風力発電参入の背景 「21世紀は風・太陽・水」の事業が必要との考え
    • [142]2023年7月 大和リゾート株式会社を株式譲渡により連結除外
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [139]2023年3月期 報告セグメントの区分変更により住宅ストックに代わって環境エネルギーが独立
    • [140]2007年の風力発電参入から約15年で環境エネルギーが独立セグメント化
    • [141]2022年12月8日 大和リゾートの株式・債権・固定資産を合同会社恵比寿リゾートへ556億円で譲渡すると発表、施設老朽化とコロナ禍の稼働率低迷が理由
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結貸借対照表)
    • [143]総資産 2025年3月期 7兆493億円

2010年代に伸ばした物流施設は2022年ごろに供給の過剰感が出て[144]、事業施設担当の浦川竜哉常務は需要がピークを過ぎたと述べていた[145]。次の成長領域に選んだのはデータセンター[146]で、AIやクラウドの普及が需要を押し上げていた。当初は慎重で、芳井敬一社長は「恐る恐る出ていっている状態。安易に踏み込むべきではない」(週刊東洋経済 2022/9/10)と語っていた。2025年10月30日、電気設備工事の住友電設を約2,920億円でTOBにかける[148]と発表した。5日後の11月4日には、データセンターと電力供給網の建設を得意とする米国のIESホールディングス[149]を最大約4,600億円で子会社化すると発表し、同社として過去最大の買収[150]だった。住友電設のTOBは12月15日までの期間で成立し、2026年3月24日に手続きを終えた[151]。設備工事の能力を日米で自前に抱える[152]構えで、芳井氏はこれを「技術の大和ハウス」への変革[153]と説明した。 [147]

  • 週刊東洋経済 2022年9月10日号「大再編3 グループ化(2) データセンターへ果敢に攻勢 大和ハウス、新戦略の苦悩」
    • [144]物流施設 供給に過剰感があり満床まで時間がかかるようになった
    • [145]浦川竜哉常務 物流施設の需要はピークを過ぎていると感じると述べた
    • [146]大和ハウスが次に目をつけた領域はデータセンター、AI・クラウドの普及で建設需要が急拡大
    • [147]芳井敬一社長 DC事業について「恐る恐る出ていっている状態。安易に踏み込むべきではない」と述べた
    • [148]2025年10月30日 住友電設へのTOBを発表、買収総額約2,920億円(少数株主分は1株9,760円)
  • 週刊東洋経済 2025年11月22日号「大和ハウス過去最大の買収 データセンター需要に穴埋め」
    • [149]IESホールディングス テキサス州ヒューストンに本拠、データセンターと電力供給網の建設が得意、2024会計年度の売上高約40億ドル・従業員約9,800人
    • [150]2025年11月4日 米IESホールディングスを最大約4,600億円で子会社化すると発表、同社として過去最大の買収案件
    • [151]住友電設TOB 2025年10月31日〜12月15日の期間で1,438万9,928株を1,404億円で取得、2026年3月24日に買収手続き完了
    • [153]芳井敬一会長CEO 住友電設の技術力と事業領域が「技術の大和ハウス」への変革を加速させると述べた
    • [152]データセンター建設の電気・通信領域の技術力を確保する垂直統合、設備人材の確保が困難な状況への対応
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書【沿革】
    • [131]2022年5月 大和ハウスグループ第7次中期経営計画を策定
    • [134]2021年4月 事業本部制の本格運用を開始
    • [135]2022年4月 東京証券取引所の市場再編に伴いプライム市場へ移行
    • [136]2021年10月 研修施設「大和ハウスグループみらい価値共創センター(コトクリエ)」を奈良県に開所
    • [137]2007年 風力発電事業に参入
    • [138]風力発電参入の背景 「21世紀は風・太陽・水」の事業が必要との考え
    • [142]2023年7月 大和リゾート株式会社を株式譲渡により連結除外
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [132]連結売上高 2023年3月期4兆9,081億円・2024年3月期5兆2,029億円・2025年3月期5兆4,348億円
    • [133]営業利益 2025年3月期 5,462億円(時系列で最高)
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [139]2023年3月期 報告セグメントの区分変更により住宅ストックに代わって環境エネルギーが独立
    • [140]2007年の風力発電参入から約15年で環境エネルギーが独立セグメント化
    • [141]2022年12月8日 大和リゾートの株式・債権・固定資産を合同会社恵比寿リゾートへ556億円で譲渡すると発表、施設老朽化とコロナ禍の稼働率低迷が理由
  • 大和ハウス工業 有価証券報告書(連結貸借対照表)
    • [143]総資産 2025年3月期 7兆493億円
  • 週刊東洋経済 2022年9月10日号「大再編3 グループ化(2) データセンターへ果敢に攻勢 大和ハウス、新戦略の苦悩」
    • [144]物流施設 供給に過剰感があり満床まで時間がかかるようになった
    • [145]浦川竜哉常務 物流施設の需要はピークを過ぎていると感じると述べた
    • [146]大和ハウスが次に目をつけた領域はデータセンター、AI・クラウドの普及で建設需要が急拡大
    • [147]芳井敬一社長 DC事業について「恐る恐る出ていっている状態。安易に踏み込むべきではない」と述べた
    • [148]2025年10月30日 住友電設へのTOBを発表、買収総額約2,920億円(少数株主分は1株9,760円)
  • 週刊東洋経済 2025年11月22日号「大和ハウス過去最大の買収 データセンター需要に穴埋め」
    • [149]IESホールディングス テキサス州ヒューストンに本拠、データセンターと電力供給網の建設が得意、2024会計年度の売上高約40億ドル・従業員約9,800人
    • [150]2025年11月4日 米IESホールディングスを最大約4,600億円で子会社化すると発表、同社として過去最大の買収案件
    • [151]住友電設TOB 2025年10月31日〜12月15日の期間で1,438万9,928株を1,404億円で取得、2026年3月24日に買収手続き完了
    • [153]芳井敬一会長CEO 住友電設の技術力と事業領域が「技術の大和ハウス」への変革を加速させると述べた
    • [152]データセンター建設の電気・通信領域の技術力を確保する垂直統合、設備人材の確保が困難な状況への対応

大和ハウス工業の沿革1955〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
大和ハウス工業を創業
東京・大阪市場で株式公開
「ミゼットハウス」を発売★★
堺工場を新設
大和団地を設立
東京証券取引所市場に株式上場
プレハブ住宅「ダイワハウスA型」を発売
奈良工場を新設
ダイワ住宅機器を設立
奈良中央試験所を開設
大和ハウス工業の流通店舗事業への参入と非住宅多角化「買い手の9割は土地を持たない」——石橋信夫氏は住宅の資源をどう店舗市場へ振り向けたか 詳細を読む★★★
日本住宅流通を設立
リゾートホテル経営を開始
ホームセンター事業に参入
転宅便を設立
中国事業を本格化
大和情報サービスを設立
大和リビングを設立
ホテル事業「ダイワロイヤルホテルズ」の急拡大と定まらぬブランド会員制と一般客営業の「二鳥作戦」——石橋殾一社長は多角化の副作用とどう向き合ったか 詳細を読む★★★
大和ハウス工業総合技術研究所を新設
大阪・東京の新社屋完成
大和ハウス工業、石橋伸康社長の退任と創業家による路線修正「販売なくして企業なし」——創業者の実子である社長は、なぜ自らの改革を父に覆されたか 詳細を読む★★★
大和ハウス工業の「有利子負債ゼロ」への転換財務は既に健全だった。創業者・石橋信夫氏の「借金はあかん」を、樋口武男社長はどう受け継いだか 詳細を読む★★★
樋口武男大和団地と合併★★
樋口武男大型物流施設の開発を開始★★
村上健治風力発電事業に参入
村上健治ビ・ライフ投資法人のスポンサーに
大野直竹フジタを完全子会社化★★
大野直竹コスモスイニシアを子会社化
大野直竹「xevoΣ(ジーヴォシグマ)」発売
芳井敬一Stanley-Martin Communitiesを子会社化★★
芳井敬一ガバナンス強化策を策定
芳井敬一事業本部制の本格運用を開始
芳井敬一CastleRock Communitiesを子会社化
芳井敬一アライアンス・レジデンシャル社を持分法適用関連会社化
大友浩嗣過去最大4600億円の米IES買収とデータセンター建設の垂直統合住宅・物流で伸びた大和ハウスは、なぜ電気設備工事会社を相次いで買ったか 詳細を読む★★★
出典・参考

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