1958年〜 塩ビ配管の町工場が見つけた『コンクリートを直す』という空白市場
ショーボンドホールディングスの業績推移:単体
- 1958年 昭和工業として創業
- 1960年 本社を移転しショーボンド事業に参入
- 1962年 SBアンカー(ガラスカプセル入り鉄筋埋込固定用接着剤)を開発
- 1963年 社名をショーボンドに変更
- 1964年 新潟地震で落橋した昭和大橋床版の復旧工事に採用
- 1975年 補修専業への集中——製造・研究を「ショーボンド化学」へ分離した1975年の分社 公共投資の削減と金融引き締めのなかで、上田昭社長はなぜ接着剤メーカーの体質を捨て工事会社へ業態転換したのか
- 1979年 「ビックス工法」(コンクリートのひび割れに樹脂系接着剤を注入する工法)を開発
八久和ダム排水路と昭和大橋床版──偶然の補修現場が会社の道筋を決めた
1958年6月4日、上田昭氏が31歳で[1]「昭和工業株式会社」を東京都世田谷区に設立した[2]。創業時の主力は硬質塩化ビニールの加工と配管工事で、石油化学コンビナートの塩ビ工事を請け負う社員5名の町工場[3]だった。翌1959年、東北電力八久和ダムの排水路でひび割れ補修に立ち会い[4]、塩化ビニール板を内張りする際にエポキシ樹脂で補修できた経験から、同年9月にエポキシ樹脂系高性能強力接着剤を自社開発した[5]。「ショーボンド」の登録商標を付して同年11月から生産を始め[6]、四日市工場などを生産拠点に据えて[7]用途別の接着剤を順次製品化した。1961年には既存の4営業所に10営業所を加え[8]、全国的な販売体制を敷いた。
- ショーボンド統合報告書2025
- [1]創業者の上田昭は設立時に31歳だった
- [2]1958年6月4日に上田昭が「昭和工業株式会社」を東京都世田谷区に設立した
- [3]設立当初は硬質塩化ビニールの加工と配管工事が中心で社員5名の町工場だった
- [5]1959年9月にエポキシ樹脂系高性能強力接着剤を自社で開発した
- [6]「ショーボンド」の登録商標を付して1959年11月から接着剤の生産を始めた
- 証券 1987年7月号
- [4]1959年に東北電力八久和ダム建設現場の排水路でひび割れ補修の案件に立ち会った
- [7]生産拠点として川口工場・四日市工場を設置
- [8]1961年に既存の4営業所へ10営業所を追加し全国的な販売体制を整備
1960年に本社を東京都千代田区へ移し、川口工場を新設して[9]ショーボンドの販売・施工を始めた。土木建設業界に受け入れられやすくするため、全製品とも主剤と硬化剤の配合比率を整数比に揃え[10]、現場での誤配合を防いだ。1963年6月には社名を「株式会社ショーボンド」へ改め[11]、建設業の東京都知事登録を受けて工事請負体制を確立した。転機は1964年6月の新潟地震で、竣工間もない昭和大橋が落橋し、床版に無数のひびわれが発生した[12]。当時建設省土木研究所が同社の補修材料の実験を進めており、その推薦で復旧工事に同社のエポキシ樹脂が採用された[13]。工事は同年冬に完了し、施工後50年以上を経た追跡調査でも強度が保たれている[14]。
- 有価証券報告書
- [9]1960年に本社を東京都千代田区へ移し川口工場を新設してショーボンドの販売・施工を開始した
- [10]全製品とも主剤と硬化剤の配合比率を整数比に揃え現場での誤配合を防ぐ工夫を施した
- [11]1963年6月に社名を「株式会社ショーボンド」に改称した
- ショーボンド統合報告書2025
- [12]1964年6月の新潟地震で竣工間もない昭和大橋が落橋し床版に無数のひびわれが発生した
- [13]建設省土木研究所の推薦で昭和大橋復旧工事に同社のエポキシ樹脂が採用された
- [14]昭和大橋の復旧工事は1964年冬に完了・施工後50年以上を経た追跡調査でも強度を保持
昭和大橋の復旧を機に、同社は橋梁補修工事の分野へ本格的に参入した[15]。1965年3月には日本道路公団と共同で開発した道路橋伸縮装置「カットオフジョイント」を名神高速道路の一宮〜小牧間で試験施工し[16]、高速道路建設の波に乗って全国の橋梁へ採用を広げた。1969年2月、建設業の登録を東京都知事から建設大臣許可へ切り替え[17]、補修に特化した特殊工事会社として全国へ営業拠点を展開する足場を得た。エポキシ樹脂系接着剤を土木業界へ日本で最も早く持ち込んだ同社にとって、施工実績の欠如は当初の壁であり、東京大学生産技術研究所に委託してデータを揃えてもなお採用まで時間を要した[18]。
- 証券 1987年7月号
- [15]1964年7月の昭和大橋床版補修工事で橋梁補修工事分野へ本格参入
- [16]1965年3月に日本道路公団と共同開発した道路橋伸縮装置「カットオフジョイント」を名神高速道路の一宮〜小牧間で試験施工した
- 有価証券報告書
- [17]1969年2月に建設業の登録が東京都知事から建設大臣許可へ昇格した
- 橋梁 1987年9月号
- [18]エポキシ樹脂系接着剤を日本で最初に土木業界へ導入・東京大学生産技術研究所へ委託してデータを整備
- ショーボンド統合報告書2025
- [1]創業者の上田昭は設立時に31歳だった
- [2]1958年6月4日に上田昭が「昭和工業株式会社」を東京都世田谷区に設立した
- [3]設立当初は硬質塩化ビニールの加工と配管工事が中心で社員5名の町工場だった
- [5]1959年9月にエポキシ樹脂系高性能強力接着剤を自社で開発した
- [6]「ショーボンド」の登録商標を付して1959年11月から接着剤の生産を始めた
- [12]1964年6月の新潟地震で竣工間もない昭和大橋が落橋し床版に無数のひびわれが発生した
- [13]建設省土木研究所の推薦で昭和大橋復旧工事に同社のエポキシ樹脂が採用された
- [14]昭和大橋の復旧工事は1964年冬に完了・施工後50年以上を経た追跡調査でも強度を保持
- 証券 1987年7月号
- [4]1959年に東北電力八久和ダム建設現場の排水路でひび割れ補修の案件に立ち会った
- [7]生産拠点として川口工場・四日市工場を設置
- [8]1961年に既存の4営業所へ10営業所を追加し全国的な販売体制を整備
- [15]1964年7月の昭和大橋床版補修工事で橋梁補修工事分野へ本格参入
- [16]1965年3月に日本道路公団と共同開発した道路橋伸縮装置「カットオフジョイント」を名神高速道路の一宮〜小牧間で試験施工した
- 有価証券報告書
- [9]1960年に本社を東京都千代田区へ移し川口工場を新設してショーボンドの販売・施工を開始した
- [10]全製品とも主剤と硬化剤の配合比率を整数比に揃え現場での誤配合を防ぐ工夫を施した
- [11]1963年6月に社名を「株式会社ショーボンド」に改称した
- [17]1969年2月に建設業の登録が東京都知事から建設大臣許可へ昇格した
- 橋梁 1987年9月号
- [18]エポキシ樹脂系接着剤を日本で最初に土木業界へ導入・東京大学生産技術研究所へ委託してデータを整備
製造を切り離し『特殊土木工事会社』へ──1975年の社名変更が示した路線
1970年、橋梁の床版補強を目的とする「鋼板接着工法」を開発した[19]。従来は架け替えるほかなかった橋梁床版を、既存構造を生かしたまま補強する工法[20]で、1990年代以降の床版補強・耐震補強工事を担う技術基盤となった。1972年度には建設省建設技術研究補助金を受けて「橋梁床版の補強工法の研究・開発」に成果をあげ[21]、その後も建設省建築研究所の日米共同大型耐震実験でひび割れ注入補修技術が高い評価を得た[22]。もっとも社内には、接着剤メーカーとして出発した製造・研究部門[23]と、官需中心の特殊土木工事を担う工事部門が一つの会社に同居していた。
- 証券 1987年7月号
- [19]1970年に橋梁の床版補強を目的とする「鋼板接着工法」を独自開発した
- [20]鋼板接着工法は既存の橋梁床版を生かしたまま補強する工法
- [21]1972年に建設省建設技術研究補助金を受けて「橋梁床版の補強工法の研究・開発」に成果を収めた
- 橋梁 1987年9月号
- [22]建設省建築研究所の日米共同大型耐震実験でひび割れ注入補修技術が高い評価
- 橋梁 1975年5月号
- [23]1975年の分社まで接着剤メーカーとしての製造・研究部門と工事部門が同一法人に併存
1975年4月、上田昭社長は社名を「株式会社ショーボンド」から「ショーボンド建設株式会社」へ変更し[24]、同時に製造・研究部門を分離して「ショーボンド化学株式会社」(資本金3千万円)を設立した[25]。資本金は2億円から4.6億円へ積み増し[26]、本社は創業以来の神田小川町から新宿へ移した[27]。分離の狙いは、創業のころからの接着剤メーカーとしての体質を一変させ、工事会社としての性格を強める[28]ことにあった。総需要抑制に始まる公共投資の削減と金融引き締めが深まるなかで、自社施工と管理の一貫性をさらに確立する判断だった[29]。営業所は4カ所を新設し、分離時点で43拠点を数えた[30]。
- 有価証券報告書
- [24]1975年4月に社名を「株式会社ショーボンド」から「ショーボンド建設株式会社」へ変更した
- [25]1975年4月に製造・研究部門を分離して「ショーボンド化学株式会社」(資本金3千万円)を設立した
- [26]1975年に資本金を2億円から4.6億円へ増資し本社を新宿へ移した
- [30]1975年の製造分離時点で営業所網は43拠点を数えた
- 橋梁 1975年5月号
- [27]1975年の本社移転先は神田小川町から新宿
- [28]分社の狙いは接着剤メーカーとしての体質の転換と工事会社としての性格の強化
- [29]分社の背景は総需要抑制に始まる公共投資の削減と金融引き締め・自社施工と管理の一貫性の確立
同じ1975年4月、石川島播磨重工業の資金部で外国室部長補佐を務めていた桧垣茂氏が同社へ移籍した[31]。シンガポール造船所の建設にあたって外債発行と海外資金の導入を担い[32]、現地法人で経理を任された財務畑で、上田社長を補佐する立場に就いた。民間市場の開拓では1974年に大阪へ「昭和工事」を設けたのを皮切りに補修工事会社を4社設立し[33]、1976年には原材料・貸材の調達を専門とする昭和資材を置いた[34]。1977年には研究施設を川口工場内から大宮市へ移して「中央技術研究所」として新設し[35]、同年4月には関東地区を担うショーボンド化工株式会社(現・化工建設)を設立した[36]。化学技術と土木技術の融合で新材料・新工法を開発する体制[37]が、ここで整った。
- 道路建設 1993年2月号
- [31]1975年4月に石川島播磨重工業から桧垣茂氏が移籍
- [32]桧垣茂氏は石川島播磨重工業でシンガポール造船所向けの外債発行・海外資金導入と現地法人の経理を担当
- 証券 1987年7月号
- [33]1974年に大阪へ昭和工事を設立し以後同種の補修工事会社を計4社設立
- [34]1976年に原材料・貸材の調達を専門とする昭和資材を設立
- 有価証券報告書
- [35]1977年に研究施設を埼玉県川口工場内から大宮市へ移転し「中央技術研究所」として新設した
- [36]1977年4月に関連会社ショーボンド化工株式会社(現・化工建設)を設立した
- ショーボンド統合報告書2025
- [37]化学技術と土木技術の融合による新材料・新工法の開発体制
- 証券 1987年7月号
- [19]1970年に橋梁の床版補強を目的とする「鋼板接着工法」を独自開発した
- [20]鋼板接着工法は既存の橋梁床版を生かしたまま補強する工法
- [21]1972年に建設省建設技術研究補助金を受けて「橋梁床版の補強工法の研究・開発」に成果を収めた
- [33]1974年に大阪へ昭和工事を設立し以後同種の補修工事会社を計4社設立
- [34]1976年に原材料・貸材の調達を専門とする昭和資材を設立
- 橋梁 1987年9月号
- [22]建設省建築研究所の日米共同大型耐震実験でひび割れ注入補修技術が高い評価
- 橋梁 1975年5月号
- [23]1975年の分社まで接着剤メーカーとしての製造・研究部門と工事部門が同一法人に併存
- [27]1975年の本社移転先は神田小川町から新宿
- [28]分社の狙いは接着剤メーカーとしての体質の転換と工事会社としての性格の強化
- [29]分社の背景は総需要抑制に始まる公共投資の削減と金融引き締め・自社施工と管理の一貫性の確立
- 有価証券報告書
- [24]1975年4月に社名を「株式会社ショーボンド」から「ショーボンド建設株式会社」へ変更した
- [25]1975年4月に製造・研究部門を分離して「ショーボンド化学株式会社」(資本金3千万円)を設立した
- [26]1975年に資本金を2億円から4.6億円へ増資し本社を新宿へ移した
- [30]1975年の製造分離時点で営業所網は43拠点を数えた
- [35]1977年に研究施設を埼玉県川口工場内から大宮市へ移転し「中央技術研究所」として新設した
- [36]1977年4月に関連会社ショーボンド化工株式会社(現・化工建設)を設立した
- 道路建設 1993年2月号
- [31]1975年4月に石川島播磨重工業から桧垣茂氏が移籍
- [32]桧垣茂氏は石川島播磨重工業でシンガポール造船所向けの外債発行・海外資金導入と現地法人の経理を担当
- ショーボンド統合報告書2025
- [37]化学技術と土木技術の融合による新材料・新工法の開発体制
公共投資抑制下で発見した『不況に強い補修需要』と二部上場前夜
1980年代に入っても、国の財政負担軽減を理由に公共事業費は抑制され[38]、道路事業費の伸びは低いままだった。だが道路事業費の中身を見ると、橋梁補修・舗装補修等の維持的経費は支出のウエイトを年々増しており[39]、予算配分は新設から維持管理へ移り始めていた。同社は1979年に、トンネルの継ぎ目の漏水を防ぐ「トンネル目地導水工法」[40]と、コンクリートのひび割れにエポキシ樹脂を注入して耐久力を回復する「ビックス工法」を開発し、建築物の補修分野へも参入した[41]。1980〜83年にかけては高欄・橋脚橋台等への橋梁補修工法を相次いで開発している[42]。1983年には自発光式道路標識装置の開発に着手し[43]、橋梁以外へ事業領域を広げた。
- 証券 1987年7月号
- [38]1980年代は国の財政負担軽減により公共事業費が抑制され道路事業費の伸びは低水準
- [39]道路事業費のうち橋梁補修・舗装補修等の維持的経費は支出ウエイトが年々上昇
- [41]ビックス工法の開発により建築物の補修分野へ参入
- [42]1980年代前半に高欄・橋脚橋台等への橋梁補修工法を相次いで開発
- [43]1983年に自発光式道路標識装置の開発に着手した
- ショーボンド建設公式年表 2005
- [40]1979年に「トンネルの目地導水工法」を開発した
受注は施主別に見ると官公庁へ大きく偏っていた[44]。1986年6月期の完成工事高21,369百万円[45]のうち、地方自治体が10,450百万円(48.9%)、建設省4,591百万円(21.5%)、道路三公団4,805百万円(22.5%)、国鉄・鉄建公団1,051百万円(4.9%)で、官公庁向けが計98%近くを占めた[46]。完成工事高の約80%は橋梁を対象とする工事で、うち約90%が補修[47]だった。年間工事件数は約7,000件、1件あたりの平均請負金額は3百万円程度[48]で、小型多種の受注構造が定着していた。施工の大半は約600社の外注業者へ委託し[49]、社員は資材調達・外注手配・現場管理を担った。
- 証券 1987年7月号
- [44]1986年6月期の完成工事高は施主別で官公庁向けに偏在
- [45]1986年6月期の完成工事高は21,369百万円だった
- [46]1986年6月期の完成工事高は地方自治体48.9%・建設省21.5%・道路三公団22.5%・国鉄鉄建公団4.9%で官公庁向けが計98%近くを占めた
- [47]完成工事高のうち約80%が橋梁対象・そのうち約90%が補修工事
- [48]年間工事件数 約7,000件・1件あたり平均請負金額 3百万円程度
- [49]施工の大半を約600社の外注業者へ委託
1985年6月期に第三者割当増資を実施し、利益剰余金の積み増しとあわせて株主資本比率は1984年6月期末の25.8%から1986年6月期末の33.0%へ上昇した[50]。完成工事高は最近10年で1982年6月期を除き増収を続け[51]、1986年6月期は売上高228億円・経常利益14億円[52]・純利益5億円に達した。営業拠点も事業の拡大にあわせて広げ、上場前には17支店50営業所を構えた[53]。1987年5月7日[54]、同社は東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。株主構成は社員持株会35.8%・上田昭氏34.1%[55]と創業者と社員が過半を握る形のまま、公開市場へ出た。
- 証券 1987年7月号
- [50]株主資本比率は1984年6月期末25.8%から1986年6月期末33.0%へ上昇した
- [51]最近10年間の完成工事高は1982年6月期を除き増収
- [52]1986年6月期は売上高228億円・経常利益14億円に達した
- [53]1987年上場時点の営業拠点は17支店50営業所
- [55]上場時の株主構成は社員持株会35.8%・上田昭氏34.1%だった
- 有価証券報告書
- [54]1987年5月7日に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した
- 証券 1987年7月号
- [38]1980年代は国の財政負担軽減により公共事業費が抑制され道路事業費の伸びは低水準
- [39]道路事業費のうち橋梁補修・舗装補修等の維持的経費は支出ウエイトが年々上昇
- [41]ビックス工法の開発により建築物の補修分野へ参入
- [42]1980年代前半に高欄・橋脚橋台等への橋梁補修工法を相次いで開発
- [43]1983年に自発光式道路標識装置の開発に着手した
- [44]1986年6月期の完成工事高は施主別で官公庁向けに偏在
- [45]1986年6月期の完成工事高は21,369百万円だった
- [46]1986年6月期の完成工事高は地方自治体48.9%・建設省21.5%・道路三公団22.5%・国鉄鉄建公団4.9%で官公庁向けが計98%近くを占めた
- [47]完成工事高のうち約80%が橋梁対象・そのうち約90%が補修工事
- [48]年間工事件数 約7,000件・1件あたり平均請負金額 3百万円程度
- [49]施工の大半を約600社の外注業者へ委託
- [50]株主資本比率は1984年6月期末25.8%から1986年6月期末33.0%へ上昇した
- [51]最近10年間の完成工事高は1982年6月期を除き増収
- [52]1986年6月期は売上高228億円・経常利益14億円に達した
- [53]1987年上場時点の営業拠点は17支店50営業所
- [55]上場時の株主構成は社員持株会35.8%・上田昭氏34.1%だった
- ショーボンド建設公式年表 2005
- [40]1979年に「トンネルの目地導水工法」を開発した
- 有価証券報告書
- [54]1987年5月7日に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した