← ショーボンドホールディングスの年表

補修専業への集中——製造・研究を「ショーボンド化学」へ分離した1975年の分社

1975年実施

公共投資の削減と金融引き締めのなかで、上田昭社長はなぜ接着剤メーカーの体質を捨て工事会社へ純化したのか

時期 1975年4月
意思決定者 上田昭(社長)
論点 事業構成と業態の純化
概要
1975年4月、上田昭社長のもとで(株)ショーボンドがショーボンド建設株式会社へ改称・増資し、従来の製造・研究部門をショーボンド化学株式会社として分離した経営判断。接着剤メーカーの体質を離れ、コンクリート補修に特化した特殊土木工事会社へ業態を絞り込んだ。
背景
昭和大橋の床版補修以来、橋梁補修で実績を積んで特殊土木工事会社へ転じつつあったが、社の出発点である接着剤メーカーの性格を残していた。総需要抑制にはじまる公共投資の削減と金融引き締めが深まるなか、工事会社としての性格をより強く打ち出す必要があった。
内容
1975年4月1日、(株)ショーボンドをショーボンド建設株式会社へ改称し、資本金を2億円から4.6億円へ増資。製造・研究部門を分離して資本金3千万円のショーボンド化学株式会社を設立した。本社を神田小川町から新宿へ移し、4営業所を新設して合計43営業所の網とした。
含意
素材の製造と工事を別会社に分け、素材はショーボンド化学から調達し施工は外注する体制を整えた。1977年の中央技術研究所新設と合わせて「技術のショーボンド」を掲げ、補修分野で他社を寄せつけない地位を固め、1987年の東証二部上場へとつながった。
筆者の見解

規模ではなく、業態の純度を選ぶ

この判断の核心は、目先の財務危機への対応ではなく、製造と工事を別会社に分けることで工事会社としての純度を高めた点にある。接着剤メーカーとして生まれ、素材の内製という強みを持つ同社は、その強みをショーボンド化学に残しながら、本体は補修工事の施工と管理に集中した。素材と施工を一体で抱える便利さより、それぞれの役割をはっきり分けることを選んだ判断だった。

公共投資が削られ金融引き締めが深まるなかで、上田昭社長は事業の幅を広げるのではなく、補修という一つの領域へ業態を絞る道を選んだ。この選択は、1980年代中盤に社会資本の損傷が進んで「補修の時代」が訪れたときに実を結び、1987年の株式上場へとつながっていく。規模の拡大よりも、自社の強みをどの業態で活かすかを先に定めた点に、この分社の特徴がある。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

接着剤メーカーから橋梁補修へ

ショーボンド建設の出発点は、上田昭社長が1958年6月に塩化ビニールの配管工事を目的として設立した昭和工業株式会社である。1959年、東北電力の八久和ダムで路床のひび割れ補修にエポキシ樹脂を使ったのを契機に土木用エポキシ樹脂の生産を始め、この製品を「ショーボンド」と名づけた。1964年7月には新潟県の昭和大橋の床版補修工事にエポキシ樹脂を用い、橋梁補修の分野へ本格的に参入した[1]

その後、1965年に橋梁のけた端に置く簡易型の伸縮継手装置を日本道路公団と共同で開発し、1970年には既設の橋梁床版を生かしたまま補強する「鋼板接着工法」を開発するなど、工法の開発を重ねて特殊土木工事会社へと性格を変えていった。もっとも、社名は依然として(株)ショーボンドであり、社の内部には接着剤を製造・研究する部門と、その素材を土木現場で施工する部門とが同居していた[2]

金融引き締めと業態の純化

1970年代の前半、日本経済は総需要抑制にもとづく公共投資の削減など、深まる金融引き締めのなかにあった。官公庁を主な発注者とする(株)ショーボンドにとって、こうした外部の変化は事業環境の悪化に直結する。同社はかねてより企業の合理化と内部機構の改革に努めており、1975年にほぼその目標を達したとして、組織の分離・社名変更・増資という内外の刷新に踏み切った[3]

改革のねらいは、社の創立のころからの接着剤メーカーとしての体質を一変させ、工事会社としての性格をより一層強く打ち出すことにあった。すぐれた製品の技術を土木の分野へ発展させ、その特殊性を頼りに自社施工と管理の一貫性をさらに確立する——製造と施工が一つの会社に同居したままでは描きにくいこの絵を、上田昭社長は会社の分割によって描こうとした[4]

決断

ショーボンド建設への改称と増資

1975年4月1日、(株)ショーボンドはショーボンド建設株式会社へと社名を改め、資本金を従来の2億円から4.6億円へ増資した。商号に「建設」を掲げることで、補修を担う工事会社であることを対外的にはっきり示す狙いであった。橋梁の床版補強工事で定評を得てきた同社は、この改称によって、橋梁のメンテナンス業者としての立場をいっそう鮮明にした[5]

改称とあわせて、従来の製造・研究部門を切り離し、資本金3千万円のショーボンド化学株式会社として独立させた。エポキシ樹脂などの素材はショーボンド化学が担い、その素材を用いた補修工事はショーボンド建設が担う。素材の内製という強みを保ったまま、実際の施工の多くは外注の協力会社に委ねる分業の形をとり、工事会社としての純度を高めた[6][7]

本社移転と営業網の再編

組織の改革にともなって役員人事の改選も行われ、本社は創業以来の地である神田小川町から新宿へ移った。あわせて新たに4営業所を設け、全国43営業所の網とした。補修工事は1件あたりの金額が小さく需要が全国に分散するため、事業として成り立たせるには各地から受注を拾う拠点網が欠かせない。分社と本社移転、営業網の拡張は、工事会社への純化を組織のかたちとして固めるものであった[8]

結果

「技術のショーボンド」と補修分野での地位

分社の2年後の1977年、同社は川口工場内にあった研究施設を大宮市へ移し、中央技術研究所として新設した。化学技術と土木技術を融合させて新しい材料と工法を生み出すこの拠点は、「技術のショーボンド」を支える中核となった。技術開発から工事材料の供給、施工までを一貫して担うこの体制は、のちの「総合メンテナンス体制」の土台となった[9]

業態を絞った同社は、完成工事高のおよそ9割を補修工事が占め、そのうち約8割を橋梁対象の工事が占める特殊土木工事会社へと育った。全国に営業網を張り、専属の協力会社を数多く抱える施工体制と、過去の工事から積み上げた情報・ノウハウを武器に、後発の参入を寄せつけない地位を築く。1994年の証券会社の分析では、2番手企業の売上規模は同社のおよそ10分の1にとどまるとされた。1987年5月には東京証券取引所市場第二部へ上場し、その2年後には一部へ昇格した[10][11][12]

出典・参考
  • 橋梁 第11巻5号(1975年5月)
  • 証券 第39巻7号(1987年7月)
  • 投資月報 第45巻6号(1994年6月)
  • ショーボンドHD 統合報告書2025