創業地大阪府堺市
創業年1889
上場年1944
創業者安藤米吉・間猛馬
1889年〜 間組の創業と戦後の電源開発――門司からダムの名門へ
1889 間猛馬が間組を創業(門司)
1911 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
1930 株式会社間組を設立
1941 朝鮮・水豊発電所など戦前の大型工事
1943 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
1945 終戦と神部社長による間組再建
1960年12月期 単体
売上高 187億円
純利益 4億円
純利益率 2.1%
1989年9月期 単体
売上高 5,275億円
純利益 50億円
純利益率 0.9%

現在の安藤・間の法人格と上場は、1889年に間猛馬が福岡県門司で創業した間組を母体とする。間猛馬は日本鉄道を辞した技術者で、官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された年に鉄道建設の請負で事業を起こした。間組は1917年に合資会社へ改組し、1930年に資本金50万円で株式会社間組を設立した。戦前にはアジア最大の出力70万kWの朝鮮・水豊発電所などを手がけ、発電所やダムの建設で土木技術を蓄えた。戦後は中興の祖と呼ばれる神部社長が進駐軍工事で経営を立て直した。1953年着工の天竜川・佐久間ダムでは米アトキンソン社と技術提携して当時日本最大の重力式ダムを約3年で完成させ、黒部川第四発電所など難工事を相次いで引き受けて間組は土木の名門としての地歩を固めた

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1990年〜 経営危機と再建――株式会社間組として安藤・間へ
1992 呼称をハザマに変更
1996 世界初の洋上石油備蓄基地・白島と日本初の免震病院・星が浦病院が竣工
1997 当時世界一の高さ・ペトロナスツインタワーが竣工
2001 西武建設株式会社と事業提携
2003 会社分割で株式会社間組を承継設立し東証一部に上場
2013 株式会社間組を存続会社として安藤建設と合併し安藤・間が発足
2004年3月期 連結
売上高 1,403億円
純利益 7億円
純利益率 0.5%
2013年3月期 連結
売上高 1,979億円
純利益 23億円
純利益率 1.2%

間組は1992年に呼称をハザマへ改め、1990年代後半に海外工事の損失と国内不採算案件で経営が悪化した。2000年5月、ハザマは主力4行に総額1,050億円の債権放棄を要請し、2001年3月期に約1,200億円の特別損失を計上する計画を示した。2003年10月、会社分割で建設事業部門の承継会社として株式会社間組が設立され、東証一部へ上場して歴史的な間組の社名を継いだ。承継会社の連結売上高はFY03の1,403億円からFY06の2,372億円へ拡大したが、リーマンショック後のFY09には純利益17億円の赤字となった。そこで2003年に資本業務提携した安藤建設と2013年4月に間組を存続会社として統合し、株式会社安藤・間が発足した

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2013年〜 合併後の安藤・間――再構築から人的資本経営へ
2013 株式会社間組を存続会社として安藤建設と合併し安藤・間が発足
2013 初代社長に野村俊明氏が就任
2018 2代社長に福富正人氏が就任
2023 3代社長に国谷一彦氏が就任
2013年3月期 連結
売上高 1,979億円
純利益 23億円
純利益率 1.2%
2025年3月期 連結
売上高 4,252億円
純利益 264億円
純利益率 6.2%

2013年4月、土木に強い間組を存続会社として安藤建設を統合し、安藤・間が発足した。連結売上高はFY13に3,712億円と間組単独の約1.9倍へ拡大し、初代社長に旧ハザマ系の野村俊明が就いた。FY16には売上高4,079億円・営業利益370億円のピークを記録したが、土木の利益率20.1%に対し建築は5.5%と二極化し、FY18は特別損失95億円で純利益は88億円へ落ちた。2018年4月就任の福富正人社長は建築事業の利益率改善を最優先に据えた。2023年4月就任の国谷一彦社長は「建設業界で最も従業員を大切にする会社」を掲げ、FY24は売上4,251億円・純利益264億円とFY16並みへ回復し、建築事業の利益率がFY18以来初の2桁10.3%へ戻った

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決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1889年に間猛馬は門司で間組を起こし、土木の名門になれたのか
A 官庁工事を原則一般競争入札に付す会計法の公布が、技術と見積もりで実績を競う余地を開いたためである。1889年、日本鉄道を辞した技術者・間猛馬は福岡県門司で間組を創業し、鉄道建設の請負を足がかりとした。土木は1案件が数十億円から数百億円規模に達し、地質と工法の読みが採算を左右する。ゆえに難工事を完遂する施工力そのものが信用となり、間組は次の難工事を呼び込んで土木の名門としての地歩を固めていった
Q なぜ2013年に間組は安藤建設と合併したのか
A 土木に偏った間組は準大手ゼネコンとして単独では規模も価格競争力も足りず、それを建築で補える相手が安藤建設だったためである。2003年の会社分割で健全な建設事業へ再建していた間組は、2003年に締結した安藤建設との資本業務提携を布石に、2013年4月、土木に強い間組を存続会社として建築に強い安藤建設を統合した。合併後のFY13売上高3,712億円は単独のFY12から87.6%増へ広がり、土木で利益率を稼ぎ建築で売上の量を取る相互補完で、独力では届かなかった水準へ事業を引き上げた
Q なぜ2023年に国谷体制は人的資本経営を最優先に据えたのか
A 合併由来の補完が一巡し、案件不足ではなく人材の確保と定着が事業継続そのものを左右するためである。2023年4月に3代目社長へ就いた国谷一彦氏は「建設業界で最も従業員を大切にする会社」を掲げ、若年層離れと現場の高齢化が進むなかで人材確保と定着を事業継続の前提に位置づけた。実際にFY24の連結平均年収はFY18の848万円から1,005万円へ上昇している。残業規制が建設業に及ぶ2024年問題とも相まって、現場の生産性改革を中期経営計画BEYOND2025の根幹に据えた

出典・参考文献

歴史概要

  • 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
    • [1] 現在の安藤・間は1889年に間猛馬が福岡県門司で創業した間組を母体とする
    • [6] 2003年10月に会社分割で建設事業部門の承継会社として株式会社間組を設立し東証一部へ上場して間組の社名を継いだ
    • [8] 2003年に資本業務提携した安藤建設と2013年4月に間組を存続会社として統合し株式会社安藤・間が発足した
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2] 1917年に合資会社へ改組し、1930年に資本金50万円で株式会社間組を設立した
    • [4] 1953年着工の天竜川・佐久間ダムを米アトキンソン社と技術提携して当時日本最大の重力式ダムとして約3年で完成させた
  • 経済時代(経済時代社, 1972)
    • [3] 中興の祖と呼ばれた神部社長が進駐軍工事で戦後の経営を立て直した
  • 日経ビジネス 2000年6月5日号(日経BP)
    • [5] 2000年5月にハザマは主力4行に総額1,050億円の債権放棄を要請し、2001年3月期に約1,200億円の特別損失を計上する計画を示した
  • 安藤・間 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [7] 承継会社・株式会社間組はリーマンショック後のFY09(2010年3月期)に純利益17億円の赤字となった
    • [9] 2013年4月に安藤・間が発足し連結売上高はFY13(2014年3月期)に3,712億円と間組単独の約1.9倍へ拡大した
    • [10] FY16(2017年3月期)に売上高4,079億円・営業利益370億円と合併後のピークを記録した
  • 安藤・間 有価証券報告書(役員の状況)
    • [11] 2018年4月に2代目・福富正人社長が就任し建築事業の利益率改善を最優先に据えた
  • 安藤・間 有価証券報告書 第12期(2025年3月期)(連結財務諸表)
    • [12] FY24(2025年3月期)に売上4,251億円・純利益264億円とFY16並みへ回復し建築事業の利益率がFY18以来初めて2桁の10.3%へ戻った

決断の理由

  • 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
    • [1] 間猛馬は日本鉄道を辞した技術者で、会計法が公布された1889年に鉄道建設の請負を足がかりに間組を起こした
    • [2] 土木は1案件が数十億円から数百億円規模で、難工事を完遂する施工力そのものが信用となった
  • 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
    • [3] 2003年の会社分割で再建した間組は、2003年の資本業務提携を布石に2013年4月に間組を存続会社として安藤建設を統合した
  • 安藤・間 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [4] 合併後のFY13売上高3,712億円はFY12の1,979億円から87.6%増だった
    • [5] 2023年4月に3代目社長へ就いた国谷一彦氏は「建設業界で最も従業員を大切にする会社」を掲げ人材確保と定着を事業継続の前提に据えた
  • 安藤・間 有価証券報告書(従業員の状況)
    • [6] 連結平均年収はFY18の848万円からFY24の1,005万円へ上昇した
  • 安藤・間 中期経営計画 BEYOND2025
    • [7] 残業規制が建設業に及ぶ2024年問題への対応もあり、現場の生産性改革を中期経営計画BEYOND2025の根幹に据えた