1889年〜 間組の創業と戦後の電源開発――門司からダムの名門へ
安藤・間の業績推移:単体
- 1889年 間猛馬が間組を創業(門司)
- 1911年 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
- 1912年 電力土木事業に参入
- 1917年 間組を合資会社に改組
- 1953年 佐久間ダム工事での米アトキンソン社との共同企業体結成と機械化施工の導入 人力とモッコの土木か、米国式の機械群か——150メートル級ダムを3年で築く工法をどう選んだか
- 1956年 黒部川第四発電所(黒四)に着手
- 1960年 戦後初の大型海外工事・ダニム第一発電所を受注
間組の創業と発展――門司に始まる土木の系譜
現在の安藤・間の法人格と上場は、1889年創業の間組[1]を母体として受け継がれている。創業者の間猛馬氏[2]は日本鉄道を辞して独立した技術者[3]で、官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月[4]、福岡県門司で個人企業として間組を創業[5]し、鉄道建設の請負を足がかりに[6]土木建築へ乗り出した。仙石貢氏ら帝国大学出の技術者や郷里高知の士族子弟の支援[7]を受けて受注の裾野を広げ、本店を門司から下関を経て東京へ移し[8]、全国規模で工事を手がける総合建設業者へ育った。1911年には日本初の潜函工事として鴨緑江橋を竣工させ[9]、翌1912年には電力土木事業へ参入した[10]。
- 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
- [1]安藤・間の母体は1889年創業の間組
- [2]間組の創業者 間猛馬
- [5]創業地は福岡県門司、個人企業として発足
- 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
- [3]間猛馬は日本鉄道を辞して独立した技術者
- [4]創業は官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月
- [6]創業の足がかりは鉄道建設の請負
- [7]創業期の支援者は仙石貢ら帝国大学出の技術者と郷里高知の士族子弟
- 安藤ハザマ 公式 沿革
- [8]本店を門司から下関を経て東京へ移転
- [9]1911年 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
- [10]1912年 電力土木事業へ参入
個人企業として始まった間組は工事規模の拡大に合わせて会社組織を整え、1917年12月に合資会社へ改組[11]したのち、1930年12月に資本金50万円で株式会社間組を設立[12]し、翌1931年4月には合資会社間組を吸収合併して株式会社へ一本化した[13]。同じ1931年には地下鉄工事へ参入[14]し、都市土木へも受注を広げた。資本金は設立時の50万円から1939年7月に300万円、1944年2月に600万円へ積み増した[15]。戦前の大型工事では、アジア最大の出力70万kWを誇った朝鮮・水豊発電所[16]を手がけ、1943年には日本初の海底トンネルである関門トンネルの下関工区を竣工させた[17]。
- 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
- [11]1917年12月 間組を合資会社へ改組
- 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [12]1930年12月 資本金50万円で株式会社間組を設立
- [16]朝鮮・水豊発電所はアジア最大の出力70万kW
- 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
- [13]1931年4月 合資会社間組を吸収合併し株式会社へ一本化
- [15]資本金は1939年7月に300万円、1944年2月に600万円
- 安藤ハザマ 公式 沿革
- [14]1931年 地下鉄工事へ参入
- [17]1943年 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
- 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
- [1]安藤・間の母体は1889年創業の間組
- [2]間組の創業者 間猛馬
- [5]創業地は福岡県門司、個人企業として発足
- 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
- [3]間猛馬は日本鉄道を辞して独立した技術者
- [4]創業は官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月
- [6]創業の足がかりは鉄道建設の請負
- [7]創業期の支援者は仙石貢ら帝国大学出の技術者と郷里高知の士族子弟
- [11]1917年12月 間組を合資会社へ改組
- 安藤ハザマ 公式 沿革
- [8]本店を門司から下関を経て東京へ移転
- [9]1911年 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
- [10]1912年 電力土木事業へ参入
- [14]1931年 地下鉄工事へ参入
- [17]1943年 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
- 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [12]1930年12月 資本金50万円で株式会社間組を設立
- [16]朝鮮・水豊発電所はアジア最大の出力70万kW
- 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
- [13]1931年4月 合資会社間組を吸収合併し株式会社へ一本化
- [15]資本金は1939年7月に300万円、1944年2月に600万円
神部社長と戦後の電源開発――間組を象徴したダム工事
終戦で壊滅的な打撃を受けた間組の再建を率いたのは、のちに中興の祖と呼ばれた神部満之助社長[18]であった。神部社長は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命を再建の第一歩とし、入間川飛行場をはじめとする進駐軍工事[19]を次々と請け負って経営を立て直した。間組創立から83年の歴史のうち24年にわたって社長を務め[20]、松永安左衛門氏からは「日本ダム王」と呼ばれた[21]。1951年には戦後初のダム工事として木曽川の丸山ダムへ着手[22]した。神部社長は経営者であると同時に大株主でもあり、1962年9月末には筆頭の昭和実栄203万株に次ぐ162万株を保有していた[23]。
- 経済時代(経済時代社, 1972)
- [18]神部満之助社長は間組の中興の祖
- [19]戦後再建の第一歩は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命、続いて入間川飛行場など進駐軍工事
- [20]神部社長の在任は間組創立83年のうち24年
- [21]松永安左衛門による「日本ダム王」の称号
- 経済時代(経済時代社, 1954)
- [22]1951年 戦後初のダム工事として木曽川・丸山ダムへ着手
- 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
- [23]1962年9月末の大株主は昭和実栄203万株・神部満之助162万株
1953年着工の天竜川・佐久間ダムでは、間組は熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で国際入札に臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で落札した[24]。ワゴンドリルやバッチャープラント、ケーブルクレーン、ダンプトラックなど米国から持ち込んだ機械群[25]を主軸に現場を編成し、在来の技術工法なら10年以上かかるといわれた難工事を3年で仕上げて、当時日本最大の重力式ダムを完成させた[26]。佐久間で組み上げた施工体系はその後の現場へ引き継がれ、1956年6月着手で世界第2位のアーチダムとなった黒部川第四発電所[27]、アトキンソン社の技術を再び導入して44か月で完成した御母衣ロックフィルダム[28]、日本初の中空重力式として1957年10月に完成した井川発電所[29]が続いた。土木にとどまらず、1959年8月竣工の名古屋城復元や会津鶴ヶ城の復元工事でも陣頭指導をとった[30]。
- 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」
- [24]佐久間ダムは間組・熊谷組・アトキンソン社の共同企業体が発電所と堰堤あわせて約85億円で落札
- [25]導入機械はワゴンドリル・バッチャープラント・ケーブルクレーン・ダンプトラックなど
- 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [26]在来工法なら10年以上といわれた佐久間ダムを3年で完成、当時日本最大の重力式ダム
- [27]1956年6月着手の黒部川第四発電所は世界第2位のアーチダム
- [28]御母衣ロックフィルダムはアトキンソン社の技術を導入し44か月で完成
- [29]井川発電所は日本初の中空重力式で1957年10月に完成
- 経済時代(経済時代社, 1972)
- [30]1959年8月 名古屋城復元工事が竣工、会津鶴ヶ城の復元でも陣頭指導
1962年12月、間組は東京証券取引所市場第二部へ上場[31]した。上場時点では土木工事で業界第3位、建設工事全体で第10位[32]に位置し、1962年9月期の完成工事高は土木が62.4%、建築が37.6%[33]、土木の内訳は水力ダムが48.3%、港湾埋立が12.7%、道路が11.3%を占めた[34]。受注先も電力会社が60.3%、官庁が25.6%[35]と公共・準公共の発注に支えられ、手持工事高は約630億円と前期より20%増えた[36]。受注構成はその後変わり、1966年9月期には完工高に占める建築の比率が53%となって初めて土木を上回り、年間完工高は約531億円に達した[37]。海外でもベトナムの発電所、タイの鉄道、ラオスのナムグム・ダムを受注し[38]、1974年に東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場[39]、1985年には青函トンネル吉岡工区の本坑貫通に携わった[40]。
- 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
- [31]1962年12月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [32]上場時点で土木工事は業界第3位、建設工事全体で第10位(建設省調べ)
- [33]1962年9月期の完成工事高は土木62.4%・建築37.6%
- [34]土木の内訳は水力ダム48.3%・港湾埋立12.7%・道路11.3%
- [35]土木の受注先は電力会社60.3%・官庁25.6%
- [36]1962年9月期の手持工事高は約630億円、前期比20%増
- 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [37]1966年9月期 完工高の建築比率53%で初めて土木を上回る、年間完工高は約531億円
- [38]海外はベトナムの発電所・タイの鉄道・ラオスのナムグム・ダムを受注
- 安藤ハザマ 公式 沿革
- [39]1974年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場
- [40]1985年 青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通
- 経済時代(経済時代社, 1972)
- [18]神部満之助社長は間組の中興の祖
- [19]戦後再建の第一歩は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命、続いて入間川飛行場など進駐軍工事
- [20]神部社長の在任は間組創立83年のうち24年
- [21]松永安左衛門による「日本ダム王」の称号
- [30]1959年8月 名古屋城復元工事が竣工、会津鶴ヶ城の復元でも陣頭指導
- 経済時代(経済時代社, 1954)
- [22]1951年 戦後初のダム工事として木曽川・丸山ダムへ着手
- 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
- [23]1962年9月末の大株主は昭和実栄203万株・神部満之助162万株
- [31]1962年12月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [32]上場時点で土木工事は業界第3位、建設工事全体で第10位(建設省調べ)
- [33]1962年9月期の完成工事高は土木62.4%・建築37.6%
- [34]土木の内訳は水力ダム48.3%・港湾埋立12.7%・道路11.3%
- [35]土木の受注先は電力会社60.3%・官庁25.6%
- [36]1962年9月期の手持工事高は約630億円、前期比20%増
- 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」
- [24]佐久間ダムは間組・熊谷組・アトキンソン社の共同企業体が発電所と堰堤あわせて約85億円で落札
- [25]導入機械はワゴンドリル・バッチャープラント・ケーブルクレーン・ダンプトラックなど
- 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [26]在来工法なら10年以上といわれた佐久間ダムを3年で完成、当時日本最大の重力式ダム
- [27]1956年6月着手の黒部川第四発電所は世界第2位のアーチダム
- [28]御母衣ロックフィルダムはアトキンソン社の技術を導入し44か月で完成
- [29]井川発電所は日本初の中空重力式で1957年10月に完成
- [37]1966年9月期 完工高の建築比率53%で初めて土木を上回る、年間完工高は約531億円
- [38]海外はベトナムの発電所・タイの鉄道・ラオスのナムグム・ダムを受注
- 安藤ハザマ 公式 沿革
- [39]1974年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場
- [40]1985年 青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通