1919年〜 山岳土木の前田事務所から土建二本柱の東証一部ゼネコンへ
インフロニア・ホールディングスの業績推移:単体
- 1919年 前田又兵衛が前田事務所を創業
- 1930年 高野組を設立(前田道路の起源)
- 1946年 前田建設工業を設立(個人経営から改組)
- 1948年 高野建設に商号変更
- 1949年 建設業法に基づく建設大臣登録を取得
- 1959年 仙台・東京・名古屋・大阪に支店を開設
- 1960年 建築部門を設置
高瀬川発電所工事と前田建設工業の設立
インフロニア・ホールディングスの中核会社である前田建設工業の創業は、1919年1月に遡る。明治期から福井県で土木工事に従事してきた家系の前田又兵衞氏が、当時の大手土木業者・飛島組(現飛島建設)の傘下に「前田事務所」を東京で発足させた。第一次大戦後の日本は、工業化に伴う電力不足を水力開発で補う電源開発の時代に入っており、前田事務所は高瀬川発電所工事をはじめとする発電所建設の土木で実績を重ねた。山間部にダムや水路を築く山岳土木の専業集団という出自が、以後1世紀にわたる同社の技術的な性格と受注構造を方向づけた。 [1]
- 前田建設工業 会社概要
- [1]前田建設工業の創業(前身・前田事務所の発足)は1919年1月
1938年に遺業を継いだ2代目の前田又兵衞氏は、終戦直後の1946年11月、資本金150万円で前田建設工業株式会社を設立し、本店を東京に置いた。1949年10月に建設業法による建設大臣登録を完了し、戦後復興と電源開発の土木需要を受注する体制を整えた。電源開発促進法が成立した1952年以降、水力発電所の建設が相次いだ時期を山岳土木の施工力で取り込み、1959年10月には仙台・東京・名古屋・大阪の4支店を一斉に設置した。福井で生まれた一土木業者は、戦後10年余りで全国に拠点網を持つ土木会社へ規模を広げた。 [2]
- 前田建設工業 有価証券報告書(2006年3月期〜2021年3月期)【沿革】
- [2]1946年11月、資本金150万円で前田建設工業株式会社を設立
転機は1960年4月の建築部門設置である。発電所やダムの工事は受注の変動が激しく、土木専業の収益構造を補うため、高度成長期に拡大する民間建築の需要へ参入する判断だった。1962年6月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、1964年4月には市場第一部へ指定された。同じ時期に横浜・札幌・北陸・福岡・広島と支店網を埋め、土木の専業会社が建築を加えた総合建設会社として資本市場に立つ体制が、1960年代前半に出そろった。創業から半世紀を経ての上場は、同族の請負業から株式会社組織のゼネコンへ移る節目にあたる。 [3]
- 前田建設工業 有価証券報告書(2006年3月期〜2021年3月期)【沿革】
- [3]1962年6月に東証市場第二部へ上場、1964年4月に第一部へ指定
- 前田建設工業 会社概要
- [1]前田建設工業の創業(前身・前田事務所の発足)は1919年1月
- 前田建設工業 有価証券報告書(2006年3月期〜2021年3月期)【沿革】
- [2]1946年11月、資本金150万円で前田建設工業株式会社を設立
- [3]1962年6月に東証市場第二部へ上場、1964年4月に第一部へ指定
前田道路・前田製作所との三社体制と土建二本柱化
グループの外延も同じ時代に形を整えた。道路舗装の前田道路は1930年7月創業の高野組を源流とし、1948年3月に高野建設へ、1968年2月に前田道路へ商号を変えて前田グループの舗装部門となり、1972年5月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。アスファルト合材の製造販売網を全国に張る舗装専業として収益基盤は安定し、前田建設工業が筆頭株主として資本参加する上場子会社の関係が半世紀続いた。機械分野では1962年11月に前田製作所を設立し、アスファルトプラントやクレーンなど建設機械の製造販売を担わせ、1989年12月に店頭登録した。ゼネコン本体・舗装・機械が別法人で並ぶ縦割りの三社が、後年の経営統合まで続く骨組みになった。 [4]
- 前田道路株式会社 会社沿革
- [4]前田道路は1930年7月創業の高野組を源流とする
業容の拡大は決算数値に表れている。1965年11月期に271億円だった売上高(単体)は、列島改造ブームのさなかの1974年11月期に1,563億円と、9年で5.8倍に増えた。石油危機後も公共投資が需要を支え、1984年11月期には3,142億円に達した。受注構成は1974年11月期に土木6割・建築4割だったが、1984年11月期の売上構成では土木54%・建築46%まで建築が伸び、建築部門の設置から四半世紀で土木と建築の二本柱が固まった。経常利益も1976年11月期の110億円から1982年11月期には207億円へ増え、利益規模でも準大手ゼネコンの一角に並んだ。
研究開発と海外への布石も1970年代後半から打たれた。1976年3月に東京都練馬区へ技術研究所を開設し、1982年1月には香港支店を設置して海外工事の足場とした。1980年代後半は地価高騰と民間建築ブームが業界全体の受注を押し上げ、前田建設工業も正友地所の設立(1985年)など不動産・開発関連へ事業範囲を広げ、1989年10月に関東支社・北関東支店を設置するなど組織も拡大した。1984年11月期時点で売上高3,142億円・経常利益190億円。山岳土木の専業から出発した会社は、バブル経済のさなかに土建二本柱の準大手ゼネコンへ育っていた。ただしこの拡大の前提にあった建設投資の右肩上がりは、1990年代に入って崩れる。
- 前田道路株式会社 会社沿革
- [4]前田道路は1930年7月創業の高野組を源流とする