1954年〜 電電公社の五カ年計画に合わせ、電線と通信機のメーカーが出資してつくった会社
エクシオグループの業績推移:単体
- 1954年 協和電設を設立
- 1954年 共同工業・日本電話工業を吸収合併
- 1963年 東京証券取引所市場第二部に上場
- 1972年 東京証券取引所市場第一部に指定
- 1973年 協和通信工業と合併
- 1975年 事業目的に設計・測量業務を追加
- 1982年 情報処理・関連機材販売賃貸を事業目的に追加
発注者の計画が先にあり、その受け皿として組成された会社
1954年5月、日本電信電話公社の電気通信設備拡張計画に対応することを目的として[1]、資本金3,100万円で協和電設株式会社が東京に設立された[2]。契機は、電電公社が1953年度を初年度とする第一次五カ年計画を実施した[3]結果、工事量が急増したことにある。これを請け負う工事業界の体制は十分でなく、強力な建設業者の出現が待望されていた[4]。協和電設はこの要望に応え、民間有力会社の出資によって創設された[5]会社である[6]。設立から4か月後の1954年9月には、当時の有力工事業者だった共同工業(資本金1,300万円)と日本電話工業(同600万円)を吸収合併し、資本金を5,000万円へ積み増した[7]。同社は電気通信施設の建設工事を請け負う建設大臣登録の建設業者であり[8]、発足と同時に電電公社から通信線路(通信土木を含む)・通信機械・伝送無線の各工事で一級資格業者の認定を受けた[9]。
- エクシオグループ 有価証券報告書【沿革】
- [1]設立目的は日本電信電話公社の電気通信設備拡張計画への対応
- [2]1954年5月 協和電設株式会社を東京で設立 資本金3,100万円
- [7]1954年9月 共同工業(資本金1,300万円)・日本電話工業(同600万円)を吸収合併 資本金5,000万円
- [3]電電公社の第一次五カ年計画 1953年度が初年度
- [4]工事業界の体制が不十分で強力な建設業者の出現が待望されていた
- [5]民間有力会社の出資によって創設
- [9]発足と同時に電電公社から通信線路(通信土木を含む)・通信機械・伝送無線の各工事で一級資格業者の認定
- [6]1954年5月 電電公社の第1次5カ年計画に伴う工事量増加に対処するため民間有力者の発起により設立
- [8]電気通信施設の建設工事を請け負う建設大臣登録の建設業者
出資した「民間有力会社」の顔ぶれは上場前の大株主名簿に残っており、1962年10月末時点の上位株主は日本電気63,000株、住友電気工業45,360株、古河電気工業45,360株、藤倉電線35,280株、沖電気工業35,280株、富士通信機製造31,500株[10]で、以下に昭和電線電纜・大日電線・日本電線・日立製作所が続き[11]、電電公社へ交換機と電線を納めるメーカーが上位を占めた。株主数は264名にとどまり、うち関東地方の207名が株式の78.4%を保有[12]していた。同じ時点の従業員数は1,373名で、うち現業員が1,161名を数える[13]。取引銀行は富士銀行・住友銀行・三菱銀行・三井銀行の4行[14]だった。
- [10]1962年10月末の大株主 日本電気63,000株・住友電気工業45,360株・古河電気工業45,360株・藤倉電線35,280株・沖電気工業35,280株・富士通信機製造31,500株
- [11]昭和電線電纜・大日電線・日本電線・日立製作所も上位株主
- [12]株主数264名・関東地方の207名が株式の78.4%を保有
- [13]1962年10月末の従業員数1,373名 うち現業員1,161名
- [14]取引銀行は富士銀行・住友銀行・三菱銀行・三井銀行
売上は発注者の予算に連動し、発足直後の1955年10月期の完工高6億2,000万円は、5年後の1960年10月期には20億5,000万円と3.3倍に達した[15]。資本金も1955年9月に8,000万円、1957年7月に1億2,000万円、1960年8月に1億6,800万円、1962年2月に2億5,200万円[16]と、工事量の増加に合わせて段階的に積み増されている。1962年10月期の完成工事高の内訳は通信土木41.9%・通信機械24.2%・通信線路23.8%・伝送無線10.1%[17]で、受注先別では電電公社が98%を占めた[18]。1962年9月末の電電公社の発注高200億円に対し、同社の受注は33億円で16.5%にあたり、業界1位の成績だった[19]。
- [15]完工高 1955年10月期6億2,000万円→1960年10月期20億5,000万円(3.3倍)
- [16]資本金の変遷 1955年9月8,000万円・1957年7月1億2,000万円・1960年8月1億6,800万円・1962年2月2億5,200万円
- [17]1962年10月期の完成工事高比率 通信土木41.9%・通信機械24.2%・通信線路23.8%・伝送無線10.1%
- [18]受注先別で電電公社が98%
- [19]1962年9月末 電電公社の発注高200億円に対し同社の受注33億円・16.5%で業界1位
- エクシオグループ 有価証券報告書【沿革】
- [1]設立目的は日本電信電話公社の電気通信設備拡張計画への対応
- [2]1954年5月 協和電設株式会社を東京で設立 資本金3,100万円
- [7]1954年9月 共同工業(資本金1,300万円)・日本電話工業(同600万円)を吸収合併 資本金5,000万円
- [3]電電公社の第一次五カ年計画 1953年度が初年度
- [4]工事業界の体制が不十分で強力な建設業者の出現が待望されていた
- [5]民間有力会社の出資によって創設
- [9]発足と同時に電電公社から通信線路(通信土木を含む)・通信機械・伝送無線の各工事で一級資格業者の認定
- [15]完工高 1955年10月期6億2,000万円→1960年10月期20億5,000万円(3.3倍)
- [6]1954年5月 電電公社の第1次5カ年計画に伴う工事量増加に対処するため民間有力者の発起により設立
- [8]電気通信施設の建設工事を請け負う建設大臣登録の建設業者
- [10]1962年10月末の大株主 日本電気63,000株・住友電気工業45,360株・古河電気工業45,360株・藤倉電線35,280株・沖電気工業35,280株・富士通信機製造31,500株
- [11]昭和電線電纜・大日電線・日本電線・日立製作所も上位株主
- [12]株主数264名・関東地方の207名が株式の78.4%を保有
- [13]1962年10月末の従業員数1,373名 うち現業員1,161名
- [14]取引銀行は富士銀行・住友銀行・三菱銀行・三井銀行
- [16]資本金の変遷 1955年9月8,000万円・1957年7月1億2,000万円・1960年8月1億6,800万円・1962年2月2億5,200万円
- [17]1962年10月期の完成工事高比率 通信土木41.9%・通信機械24.2%・通信線路23.8%・伝送無線10.1%
- [18]受注先別で電電公社が98%
- [19]1962年9月末 電電公社の発注高200億円に対し同社の受注33億円・16.5%で業界1位
電電公社98%のまま上場し、一部指定と定款拡張へ進んだ20年
1963年2月20日、協和電設は東京証券取引所市場第二部に上場[20]した。銘柄コードは1951、公開価格は1株1,500円で、上場株式数は70万株、資本金は上場に合わせて3億5,000万円へ増資された[21]。増資の使途は、工事量の増大に対処するための産業車輛・運搬機械等の増強[22]だった。上場前3期の1株当たり売上高は1960年10月期2,050.4円、1961年10月期3,343.7円、1962年10月期4,330.8円[23]と伸び、1株当たり税引後純利益も91.5円・173.4円・263.3円[24]と増えている。電電公社は1953年に第一次、1958年に第二次の五カ年計画を進め、1963年4月からは第三次五カ年計画の段階に入る予定で、その規模は第二次の約2.5倍にのぼった[25]。
- [20]1963年2月20日 東京証券取引所市場第二部に上場 銘柄コード1951
- [21]公開価格1株1,500円・上場株式数70万株・資本金3億5,000万円
- [22]増資の使途は産業車輛・運搬機械等の増強
- [23]1株当たり売上高 1960年10月期2,050.4円・1961年10月期3,343.7円・1962年10月期4,330.8円
- [24]1株当たり税引後純利益 91.5円・173.4円・263.3円
- [25]電電公社の五カ年計画 1953年第一次・1958年第二次・1963年4月から第三次(規模は第二次の約2.5倍)
決算期は1963年から10月期を9月期へ改めた[26]。1967年9月期の完工高は131億2,100万円、受注高は141億6,000万円[27]で、5年前の1962年10月期と比べて完工高で約3倍、受注高で3.8倍に伸びている[28]。資本金は創立から13年で8億4,000万円、従業員は2,270名[29]に増えた。上場時に社長を務めたのは荒川大太郎氏[30]で、1968年時点では平山温氏が社長を務めた[31]。この年になっても民需は約3%にとどまり、残りはすべて電電公社を主体とする官公需要で占められ[32]、工事の部門別内訳は通信土木41%・通信線路26%・通信機械20%[33]だった。
- [26]1963年から決算期を10月期から9月期へ変更
- [27]1967年9月期 完工高131億2,100万円・受注高141億6,000万円
- [28]1962年10月期比で完工高約3倍・受注高3.8倍
- [29]創立13年で資本金8億4,000万円・従業員2,270名
- [31]1968年時点の社長は平山温
- [32]民需は約3%で残りは電電公社を主体とする官公需要
- [33]工事の部門別内訳 通信土木41%・通信線路26%・通信機械20%
- [30]上場時の社長は荒川大太郎
1972年2月、協和電設は東京証券取引所市場第一部に指定替えとなった[34]。1973年1月には協和通信工業と合併し[35]、実質的な創業は1954年でありながら、登記上の設立年月は合併会社の1946年12月へさかのぼる形へ変更された[36]。事業目的の追加も進み、1975年11月に「設計、測量」が[37]、1982年12月に「情報処理に関する業務及びこれに関連する機材、機器類の販売、賃貸、修理加工」が加えられた[38]。同じころ業界の構造にも手が入り、1980年代に旧電電公社は固定網と移動体の工事を複数の会社に発注していた形をやめて1社発注へ見直し、これに伴って移動体と固定系でそれぞれ再編が進んだ[39]。
- エクシオグループ 有価証券報告書【沿革】
- [34]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定
- [35]1973年1月 協和通信工業と合併し登記上の設立年月が1946年12月へ変更
- [36]登記上の設立年月は1946年12月
- [37]1975年11月 事業目的に「設計、測量」を追加
- [38]1982年12月 事業目的に「情報処理に関する業務及びこれに関連する機材、機器類の販売、賃貸、修理加工」を追加
- 週刊東洋経済 2011年11月29日号
- [39]1980年代に旧電電公社が固定網と移動体の工事を複数社発注から1社発注へ見直し、移動体と固定系でそれぞれ再編が進んだ
- [20]1963年2月20日 東京証券取引所市場第二部に上場 銘柄コード1951
- [21]公開価格1株1,500円・上場株式数70万株・資本金3億5,000万円
- [22]増資の使途は産業車輛・運搬機械等の増強
- [23]1株当たり売上高 1960年10月期2,050.4円・1961年10月期3,343.7円・1962年10月期4,330.8円
- [24]1株当たり税引後純利益 91.5円・173.4円・263.3円
- [25]電電公社の五カ年計画 1953年第一次・1958年第二次・1963年4月から第三次(規模は第二次の約2.5倍)
- [30]上場時の社長は荒川大太郎
- [26]1963年から決算期を10月期から9月期へ変更
- [27]1967年9月期 完工高131億2,100万円・受注高141億6,000万円
- [28]1962年10月期比で完工高約3倍・受注高3.8倍
- [29]創立13年で資本金8億4,000万円・従業員2,270名
- [31]1968年時点の社長は平山温
- [32]民需は約3%で残りは電電公社を主体とする官公需要
- [33]工事の部門別内訳 通信土木41%・通信線路26%・通信機械20%
- エクシオグループ 有価証券報告書【沿革】
- [34]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定
- [35]1973年1月 協和通信工業と合併し登記上の設立年月が1946年12月へ変更
- [36]登記上の設立年月は1946年12月
- [37]1975年11月 事業目的に「設計、測量」を追加
- [38]1982年12月 事業目的に「情報処理に関する業務及びこれに関連する機材、機器類の販売、賃貸、修理加工」を追加
- 週刊東洋経済 2011年11月29日号
- [39]1980年代に旧電電公社が固定網と移動体の工事を複数社発注から1社発注へ見直し、移動体と固定系でそれぞれ再編が進んだ