1944年〜 戦時統制下の設立と東京電力エリア電気工事会社としての確立
関電工の業績推移:単体
- 1944年 電気工事業整備要綱による7社統合と、関東配電の資本参加による関東電気工事の設立 発注する側の配電会社が設立時から株主として加わったことで、この会社は何を得て何を手放したか
- 1944年 8支店を開設し営業を開始
- 1948年 多摩支店を開設
- 1949年 建設業法に基づき建設大臣登録(イ)第250号取得
- 1970年 信越支社を開設・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定
- 1979年 原子力関連工事の営業開始
- 1984年 土木・空調管・原子力工事への業域拡張と「関電工」への社名変更 業務の名前をそのまま社名にしてきた会社が、その名前で事業を説明できなくなったとき何を選んだか
「電気工事業整備要綱」が生んだ統合会社という出自
1944年9月、戦時統制経済の一環として政府が定めた[1]「電気工事業整備要綱」のもとで、㈱協立興業社ほか7社の電気工事会社が統合され[2]、これに関東配電株式会社(戦後の東京電力の前身)が参加して、資本金300万円[3]・本社東京都赤坂区溜池2番地[4]に関東電気工事株式会社が設立された。設立と同時に神奈川・埼玉・千葉・群馬・栃木・茨城・山梨・沼津(現静岡)の8支店を一斉に開設し[5]、関東1都7県で営業を開始した。同じ要綱による統合は九州でも進み、1944年12月に㈱営電社ほか13社が統合されて[6]、1945年3月までに全国で計19社の統合が完了している。工事を発注する配電会社が、統合される同業者と並んで新会社の資本に加わった[7]点に、この設立の特徴がある。発注元が株主を兼ねる関係はその後も途切れず、2025年3月末時点でも東京電力パワーグリッド㈱が46.35%を保有する筆頭株主[8]である。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [1]1944年9月 関東電気工事株式会社を設立
- [2]電気工事業整備要綱に基づき㈱協立興業社ほか7社が統合、関東配電㈱が参加して設立
- [3]設立時資本金300万円
- [4]設立時本社所在地は東京都赤坂区溜池2番地
- [5]設立と同時に神奈川・埼玉・千葉・群馬・栃木・茨城・山梨・沼津の8支店を開設
- [7]発注元の関東配電が統合各社と並んで新会社に出資
- クラフティア(旧 九州電気工事)有価証券報告書【沿革】
- [6]九州でも同要綱により1944年12月に㈱営電社ほか13社が統合、1945年3月までに計19社の統合が完了
- 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【大株主の状況】
- [8]2025年3月31日現在 東京電力パワーグリッド㈱が94,753千株・46.35%を保有する筆頭株主(東京電力グループ持株比率46.4%)
戦後の電気工事業は1949年の建設業法成立で法的な位置づけを得て、関東電気工事は1949年10月に建設大臣登録(イ)第250号を受けた[9]。前年の1948年3月には多摩支店を設けて[10]いる。1951年の電気事業再編成令で関東配電は東京電力株式会社へ再編されたが、元請と施工請負の関係は新会社へそのまま継承された[11]。1959年1月には大阪支社(現関西支店)を設置[12]し、東京電力エリアの外に初めて拠点を構えた。1960年9月に本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号へ移し[13]、1961年7月には應用電気㈱(現関工商事㈱)に資本参加[14]している。1961年10月、東京証券取引所市場第二部へ上場し[15]、資本金は3億5千万円[16]となった。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [9]1949年10月 建設業法に基づく建設大臣登録(イ)第250号を取得
- [10]1948年3月 多摩支店を設置
- [11]1951年の電気事業再編成令で関東配電が東京電力へ再編、元請・施工請負関係は継承
- [12]1959年1月 大阪支社(現関西支店)を設置し東京電力エリア外に初の拠点
- [13]1960年9月 本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号へ移転
- [14]1961年7月 應用電気㈱(現関工商事㈱)に資本参加
- [15]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [16]上場時資本金3億5千万円
1970年1月に仙台支社(現東北支店)[17]、同年2月に信越支社(現長野支店)を設置すると同時に土木工事の営業を開始し、東京証券取引所市場第一部に指定された[18](資本金17億円[19])。同年5月には空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始[20]、同年8月に札幌支社(現北海道支店)を設置[21]し、1971年4月には第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)へ資本参加[22]した。営業網の広域化と工種の追加が重なり、単体売上高は1971年3月期の605億円から1975年3月期に1,045億円、1980年3月期には1,933億円へ伸びた[23]。1975年3月期の受注工事高は屋内線工事560億円が51%を占め、配電線工事317億円の29%を上回った[24]。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [17]1970年1月 仙台支社(現東北支店)を設置
- [18]1970年2月 信越支社設置・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定
- [19]東証1部指定時の資本金17億円
- [20]1970年5月 空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始
- [21]1970年8月 札幌支社(現北海道支店)を設置
- [22]1971年4月 第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)に資本参加
- 会社年鑑(各年版)
- [23]単体売上高 1971年3月期605億円・1975年3月期1,045億円・1980年3月期1,933億円
- 会社年鑑(1976年版)
- [24]1975年3月期の受注工事高は屋内線工事56,050百万円(51%)、配電線工事31,772百万円(29%)
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [1]1944年9月 関東電気工事株式会社を設立
- [2]電気工事業整備要綱に基づき㈱協立興業社ほか7社が統合、関東配電㈱が参加して設立
- [3]設立時資本金300万円
- [4]設立時本社所在地は東京都赤坂区溜池2番地
- [5]設立と同時に神奈川・埼玉・千葉・群馬・栃木・茨城・山梨・沼津の8支店を開設
- [7]発注元の関東配電が統合各社と並んで新会社に出資
- [9]1949年10月 建設業法に基づく建設大臣登録(イ)第250号を取得
- [10]1948年3月 多摩支店を設置
- [11]1951年の電気事業再編成令で関東配電が東京電力へ再編、元請・施工請負関係は継承
- [12]1959年1月 大阪支社(現関西支店)を設置し東京電力エリア外に初の拠点
- [13]1960年9月 本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号へ移転
- [14]1961年7月 應用電気㈱(現関工商事㈱)に資本参加
- [15]1961年10月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [16]上場時資本金3億5千万円
- [17]1970年1月 仙台支社(現東北支店)を設置
- [18]1970年2月 信越支社設置・土木工事の営業開始・東京証券取引所市場第一部に指定
- [19]東証1部指定時の資本金17億円
- [20]1970年5月 空調管工事(現環境設備工事)の営業を開始
- [21]1970年8月 札幌支社(現北海道支店)を設置
- [22]1971年4月 第一企業㈱(現㈱関工パワーテクノ)に資本参加
- クラフティア(旧 九州電気工事)有価証券報告書【沿革】
- [6]九州でも同要綱により1944年12月に㈱営電社ほか13社が統合、1945年3月までに計19社の統合が完了
- 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【大株主の状況】
- [8]2025年3月31日現在 東京電力パワーグリッド㈱が94,753千株・46.35%を保有する筆頭株主(東京電力グループ持株比率46.4%)
- 会社年鑑(各年版)
- [23]単体売上高 1971年3月期605億円・1975年3月期1,045億円・1980年3月期1,933億円
- 会社年鑑(1976年版)
- [24]1975年3月期の受注工事高は屋内線工事56,050百万円(51%)、配電線工事31,772百万円(29%)
原子力工事参入と「関電工」への自己定義変化
1973年6月、総合教育センター(現人材育成センター)を設置[25]し、施工現場の技能者を自社で育てる体制を制度化した。1974年4月には建設業法改正に対応して建設大臣許可(特-49)第3885号を受け[26]、特定建設業者となった。1976年6月には建設大臣許可(般-51)第3885号[27]も受けている。1979年7月には原子力関連工事の営業を開始[28]し、電気工事の対象に原子力発電所を加えた。単体売上高は1982年3月期に2,441億円まで伸びた後、1983年3月期は2,272億円へ落ち込み、1984年3月期に2,451億円[29]へ戻している。原子力工事への参入から36年後の2015年7月には、福島原子力事故からの復興工事を担う福島本部が置かれた[30]。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [25]1973年6月 総合教育センター(現人材育成センター)を設置
- [26]1974年4月 建設業法改正に対応し建設大臣許可(特-49)第3885号を取得
- [27]1976年6月 建設大臣許可(般-51)第3885号を取得
- [28]1979年7月 原子力関連工事の営業開始
- [30]2015年7月 福島本部を設置(原子力関連工事営業開始から36年後)
- 会社年鑑(各年版)
- [29]単体売上高 1982年3月期2,441億円・1983年3月期2,272億円・1984年3月期2,451億円
1981年10月、シンガポールに事務所(現シンガポール支社)を置き[31]、初の海外拠点とした。1970年の土木工事・空調管工事への参入、1979年の原子力関連工事の営業開始に続く事業範囲の拡張[32]であった。1985年3月期の受注工事高を見ると、配電線工事1,316億円が48%、屋内線・空調管工事1,084億円が39%、工務関係工事365億円が13%[33]を占め、東京電力向けの配電線工事と民間向けの屋内線・空調管工事が受注の二本柱として並んだ。単体の経常利益も1979年3月期の96億円から1981年3月期には139億円へ伸びている[34]。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [31]1981年10月 シンガポール事務所(現支社)を設置、初の海外拠点
- [32]1970年の土木工事・空調管工事参入、1979年の原子力関連工事営業開始に続く事業範囲の拡張
- 会社年鑑(1986年版)
- [33]1985年3月期の受注工事高は配電線工事1,316億円(48%)、屋内線・空調管工事1,084億円(39%)、工務関係工事365億円(13%)
- 会社年鑑(各年版)
- [34]単体経常利益 1979年3月期96億円・1981年3月期139億円
1984年9月、創業から40年使い続けた「関東電気工事」の商号を「株式会社関電工」へ変更[35]した。社名から「電気工事」の四文字が外れ[36]、略称として通っていた「関電工」が正式な商号になった。同年11月には関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立[37]し、施工以外の領域へも足を伸ばしている。商号変更時点の規模は、1985年3月期の単体売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円[38]であった。同じ要綱で生まれた九州電気工事も、1989年12月に「九電工」へ商号を変更[39]している。
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [35]1984年9月 社名を「関東電気工事」から「株式会社関電工」に変更
- [36]商号変更で社名から「電気工事」が外れ、略称の「関電工」が正式商号になった
- [37]1984年11月 関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立
- 会社年鑑(1986年版)
- [38]1985年3月期の単体業績は売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円
- クラフティア(旧 九電工)有価証券報告書【沿革】
- [39]九州電気工事は1989年12月に「九電工」へ商号を変更
- 関電工 有価証券報告書【沿革】
- [25]1973年6月 総合教育センター(現人材育成センター)を設置
- [26]1974年4月 建設業法改正に対応し建設大臣許可(特-49)第3885号を取得
- [27]1976年6月 建設大臣許可(般-51)第3885号を取得
- [28]1979年7月 原子力関連工事の営業開始
- [30]2015年7月 福島本部を設置(原子力関連工事営業開始から36年後)
- [31]1981年10月 シンガポール事務所(現支社)を設置、初の海外拠点
- [32]1970年の土木工事・空調管工事参入、1979年の原子力関連工事営業開始に続く事業範囲の拡張
- [35]1984年9月 社名を「関東電気工事」から「株式会社関電工」に変更
- [36]商号変更で社名から「電気工事」が外れ、略称の「関電工」が正式商号になった
- [37]1984年11月 関工不動産管理㈱(現㈱ケイアセットマネジメント)を設立
- 会社年鑑(各年版)
- [29]単体売上高 1982年3月期2,441億円・1983年3月期2,272億円・1984年3月期2,451億円
- [34]単体経常利益 1979年3月期96億円・1981年3月期139億円
- 会社年鑑(1986年版)
- [33]1985年3月期の受注工事高は配電線工事1,316億円(48%)、屋内線・空調管工事1,084億円(39%)、工務関係工事365億円(13%)
- [38]1985年3月期の単体業績は売上高2,766億円・経常利益141億円・当期純利益53億円
- クラフティア(旧 九電工)有価証券報告書【沿革】
- [39]九州電気工事は1989年12月に「九電工」へ商号を変更