鹿島建設 の歴史

更新:

創業

1840年

創業者

鹿島岩吉

創業地

東京都中央区京橋

直近売上高(2026/3)

30,673億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1860年の「英一番館」の施工が、鹿島の技術内製の企業文化を形づくったのか
A 開港直後の横浜に持ち込まれた洋風建築は、図面も工法も国内に前例がなく、外注できる職人もいなかった。鹿島は1860年、英国商社ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を、江戸屋敷で培った大工技術を頼りに自前で組み上げた。前例のない難工事を社内で引き受け、その難しさを技術として手元に残す。日本で最初期の洋風建築となったこの1棟が、先端技術を進んで取り込む後年の企業文化を形づくった
Q なぜ鹿島は1880年に、稼ぎ頭の洋風建築をたたんで鉄道専業へ転じたのか
A 洋風建築という稼ぎ頭を捨ててでも、文明開化で国を挙げて延びる鉄道に張れば全国展開の足場を一気に組める。岩蔵氏はそう読んで賭けに出た。1880年、2代目岩蔵氏は「鹿島方」を解散して鹿島組を新設し、官営鉄道の柳ヶ瀬トンネルを皮切りに官設・私設の鉄道を次々に請け負った。明治・大正期の請負高は鉄道67%・水力発電14%に達し、この一手が「鉄道の鹿島」という事業構造を半世紀以上にわたり決めた。鉄道やダムという公共性の高い土木需要を取り込みながらも、出自は英一番館以来の建築にあり、鹿島は土木と建築の双方を高い技術で兼ねる総合建設会社になった。
Q なぜ鹿島は2018年に、開発事業へ3年で5,000億円を投じる計画を打ち出したのか
A 請負は受注のたびに採算が振れ、景気と公共投資の波で利益が上下する。少子高齢化で国内の建設需要が細る先行きも見えるなか、賃料のように長く入る収益で請負の波を均す狙いから、鹿島は開発を本格的な投資先に据えた。2018年策定の中期経営計画(2018〜2020)は、開発事業を中心に3年で5,000億円を投じて収益源を多様化する方針を掲げた。海外開発へ2,400億円を投じ、国内330億円・海外540億円の物件売却で資金を回収しながら、この投資計画を達成した

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1840年〜 洋風建築第1号から鉄道専業・戦時工場建築へ

  1. 1840年 鹿島建設創業——江戸京橋の大工棟梁「大岩」から「鉄道の鹿島」へ 江戸京橋で大工棟梁として独立した鹿島岩吉氏の「大岩」は、横浜の洋館建築と2代目・岩蔵氏の鉄道専業転身を経て、どのように近代の総合建設会社へ育ったか
  2. 1860年 英一番館(ジャーディン・マセソン商会)を施工
  3. 1880年 鉄道請負業に参入
  4. 1880年 鹿島組を創立
  5. 1930年 鹿島組を設立
  6. 1934年 丹那トンネルを完成
  7. 1938年 鹿島守之助氏が社長に就任

洋風建築第1号から鉄道専業への転身

1840年、鹿島岩吉氏が江戸・京橋に「大岩」の屋号で店を構え[1]、大工棟梁として独立した。松平越中守邸をはじめとする大名屋敷の普請[2]を得意先とし、町家の請負と大名屋敷の普請という二つの需要を同じ土地で取り込んだ。開国後は横浜港の開港とともに同地へ進出し、1860年に英国商社ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を施工した[3]。日本における洋風建築の最初期の事例[4]であり、外国商館の請負を通じて煉瓦造や洋小屋組といった西洋工法を実地で覚えた[5]。明治に入ると屋号を「鹿島方」へ改め[6]、2代目の鹿島岩蔵氏[7]のもとで品川御殿山の毛利邸洋館、新橋の蓬莱社、神戸の製紙工場、岡山県庁舎[8]と、洋風建築の実績を全国へ広げた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]1840年 鹿島岩吉氏が江戸・京橋で「大岩」の屋号を掲げ独立
    • [3]1860年 ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を施工
    • [4]英一番館は日本の洋風建築で最初期の事例
    • [6]明治期に屋号を「大岩」から「鹿島方」へ改称
    • [7]2代目は鹿島岩蔵氏
    • [8]鹿島方の代表作は品川御殿山の毛利邸洋館・新橋の蓬莱社・神戸の製紙工場・岡山県庁舎
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [2]松平越中守邸など大名屋敷の普請を得意先とした
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [5]横浜の外国商館の請負を通じて煉瓦造・洋小屋組など西洋工法を習得

1880年、岩蔵氏[9]は洋風建築の実績を持つ「鹿島方」を解散し、鹿島組を新設して鉄道専門の工事業者へ転じた[10]。文明開化の象徴とされた鉄道に業態を絞り込む[11]転換であった。最初の仕事は官営鉄道の柳ヶ瀬トンネル[12]で、以後は日本鉄道会社の現東北本線や官設の現信越線[13]をはじめ全国各地の官設・私設鉄道を施工し、日清戦争を契機に朝鮮・満州・台湾の鉄道建設[14]へも進んだ。明治・大正期の工事種類別請負高は鉄道67%、水力発電14%[15]と、この2分野で工事量の80%以上を占めた[16]。鉄道業の全国展開と歩調を合わせて事業を伸ばした鹿島組は、「鉄道の鹿島」と呼ばれた[17]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1880年 2代目岩蔵氏が「鹿島方」を解散
    • [10]鹿島組を新設し鉄道専門の工事業者へ転身
    • [11]鉄道は文明開化の象徴とされた先導産業
    • [13]日本鉄道会社の東北本線・官設の信越線ほか全国の官設私設鉄道を施工
    • [14]日清戦争を契機に朝鮮・満州・台湾の鉄道建設へ進出
    • [15]明治・大正期の工事種類別請負高は鉄道67%・水力発電14%
    • [16]鉄道と水力発電の2分野で工事量の80%以上
    • [17]鉄道業の全国展開と歩調を合わせ「鉄道の鹿島」と呼ばれた
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [12]鹿島組の最初の鉄道工事は官営鉄道の柳ヶ瀬トンネル

鉄道請負の実務は、1880年の北陸本線中ノ郷〜柳ヶ瀬間[18]に始まった。モッコや猫車が運搬具の主流だった時代にレールとトロッコを持ち込み[19]、当時としては画期的な工法で工区を進めた。以後は1882年秋から日本鉄道第一区線(東京〜前橋)、1884年春から山手線板橋〜赤羽[20]、1885年夏から信越線の犀川・千曲川の二大橋梁、1886年末には東海道線沼津〜浜松間[21]と受注を重ね、信越線とあわせて1889年春に竣工させた[22]。水力発電へは1909年の宇治川電気水力工事[23]で参入し、大正期にかけて23カ所の発電所と延長約35キロの水路トンネル[24]を施工した。1920年着工の宇治川電気第二期工事[25]に含まれる大峯ダムは高さ30メートル[26]で、日本の水力発電で最初のコンクリート高堰堤[27]となった。

  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [18]最初の鉄道工事は1880年の北陸本線中ノ郷〜柳ヶ瀬間
    • [19]モッコ・猫車の時代にレールとトロッコを採用した画期的工法
    • [20]1882年 日本鉄道第一区線(東京〜前橋)/1884年 山手線板橋〜赤羽を施工
    • [21]1885年 信越線の犀川・千曲川橋梁/1886年末 東海道線沼津〜浜松間を受注
    • [22]信越線と東海道線沼津〜浜松間は1889年春に竣工
    • [23]1909年 宇治川電気水力工事で水力発電に参入
    • [24]明治・大正期に発電所23カ所・水路トンネル延長約35kmを施工
    • [25]1920年着工 宇治川電気第二期工事
    • [26]大峯ダムの高さは30メートル
    • [27]大峯ダムは日本の水力発電で最初のコンクリート高堰堤
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]1840年 鹿島岩吉氏が江戸・京橋で「大岩」の屋号を掲げ独立
    • [3]1860年 ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を施工
    • [4]英一番館は日本の洋風建築で最初期の事例
    • [6]明治期に屋号を「大岩」から「鹿島方」へ改称
    • [7]2代目は鹿島岩蔵氏
    • [8]鹿島方の代表作は品川御殿山の毛利邸洋館・新橋の蓬莱社・神戸の製紙工場・岡山県庁舎
    • [9]1880年 2代目岩蔵氏が「鹿島方」を解散
    • [10]鹿島組を新設し鉄道専門の工事業者へ転身
    • [11]鉄道は文明開化の象徴とされた先導産業
    • [13]日本鉄道会社の東北本線・官設の信越線ほか全国の官設私設鉄道を施工
    • [14]日清戦争を契機に朝鮮・満州・台湾の鉄道建設へ進出
    • [15]明治・大正期の工事種類別請負高は鉄道67%・水力発電14%
    • [16]鉄道と水力発電の2分野で工事量の80%以上
    • [17]鉄道業の全国展開と歩調を合わせ「鉄道の鹿島」と呼ばれた
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [2]松平越中守邸など大名屋敷の普請を得意先とした
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [5]横浜の外国商館の請負を通じて煉瓦造・洋小屋組など西洋工法を習得
    • [12]鹿島組の最初の鉄道工事は官営鉄道の柳ヶ瀬トンネル
    • [18]最初の鉄道工事は1880年の北陸本線中ノ郷〜柳ヶ瀬間
    • [19]モッコ・猫車の時代にレールとトロッコを採用した画期的工法
    • [20]1882年 日本鉄道第一区線(東京〜前橋)/1884年 山手線板橋〜赤羽を施工
    • [21]1885年 信越線の犀川・千曲川橋梁/1886年末 東海道線沼津〜浜松間を受注
    • [22]信越線と東海道線沼津〜浜松間は1889年春に竣工
    • [23]1909年 宇治川電気水力工事で水力発電に参入
    • [24]明治・大正期に発電所23カ所・水路トンネル延長約35kmを施工
    • [25]1920年着工 宇治川電気第二期工事
    • [26]大峯ダムの高さは30メートル
    • [27]大峯ダムは日本の水力発電で最初のコンクリート高堰堤

丹那トンネル ── 16年間の難工事が生んだ技術の信用

3代目組長の鹿島精一氏[28]は1929年に京橋へ新社屋を建て[29]、1930年3月に資本金300万円で株式会社鹿島組を設立[30]して初代社長に就いた[31]。個人経営の組から株式会社への改組であり、その株式会社鹿島組が抱えた最大の工事が丹那トンネル[32]だった。東海道本線の熱海〜函南間を貫く全長約7.8キロのこの隧道は、1918年の着工[33]後、1925年5月に西口2,160m地点で毎秒3.3立方メートルの湧水と約3,600立方メートルの土砂噴出[34]に見舞われ、1930年6月には大断層の境目で崩壊[35]した。鹿島組は水抜トンネル・グラウト・コンクリートプレーサー・シールド工法[36]を投入し、着工から16年を経た1934年12月に開通させた[37]。開通によって東海道線の輸送力は3倍以上に増えた[38]。もっとも、この間は金融恐慌から世界恐慌への展開と産業合理化政策の実施[39]が重なり、業績は厳しい状況が続いた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [28]3代目組長は鹿島精一氏
    • [29]1929年 京橋に新社屋を建設
    • [31]鹿島精一氏が株式会社鹿島組の初代社長に就任
    • [33]丹那トンネルは1918年着工
    • [37]1934年12月 丹那トンネル開通(着工から16年)
    • [39]金融恐慌から世界恐慌・産業合理化政策の実施により業績は厳しい状況が続いた
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1930年3月 資本金300万円で株式会社鹿島組を設立
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [32]株式会社化当時の最大工事は丹那トンネル
    • [34]1925年5月 西口2,160m地点で毎秒3.3立方メートルの湧水・約3,600立方メートルの土砂噴出
    • [35]1930年6月 大断層の境目で崩壊
    • [36]水抜トンネル・グラウト・コンクリートプレーサー・シールド工法を投入
    • [38]開通で東海道線の輸送力が3倍以上に増加

1938年7月、鹿島守之助氏が社長に就任[40]し、経営の原理として科学的管理を掲げた[41]。戦時下に増産を求められる産業界の工場建設を取り込むため、鉄道に偏っていた事業構成を建築部門の増強[42]によって組み替えた。軍・官の生産力増強要請に応じ、国内の工場建築に加えて朝鮮・台湾・中国・南方の工事[43]も引き受けた結果、受注量と業容がともに拡大した[44]。1937年から終戦までの主要工事の種類別内訳は工場建築44%、発電所30%、鉄道4%、その他22%[45]で、明治・大正期に67%を占めた鉄道は4%まで落ちた[46]。土木を主戦場としてきた鹿島組は、この8年で土木と建築の双方を担う総合建設業者へ姿を変えた[47]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [40]1938年7月 鹿島守之助氏が社長に就任
    • [42]工場建設の受注を狙って建築部門を増強
    • [43]朝鮮・台湾・中国・南方でも工事を受注
    • [44]受注量と業容がともに拡大
    • [45]1937〜1945年の主要工事種類別内訳は工場建築44%・発電所30%・鉄道4%・その他22%
    • [46]鉄道比率は明治・大正期の67%から4%へ低下
    • [41]鹿島守之助氏は科学的管理を経営の原理として掲げた
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [47]戦時期を通じて土木と建築の双方を担う総合建設業者へ業態転換
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [28]3代目組長は鹿島精一氏
    • [29]1929年 京橋に新社屋を建設
    • [31]鹿島精一氏が株式会社鹿島組の初代社長に就任
    • [33]丹那トンネルは1918年着工
    • [37]1934年12月 丹那トンネル開通(着工から16年)
    • [39]金融恐慌から世界恐慌・産業合理化政策の実施により業績は厳しい状況が続いた
    • [40]1938年7月 鹿島守之助氏が社長に就任
    • [42]工場建設の受注を狙って建築部門を増強
    • [43]朝鮮・台湾・中国・南方でも工事を受注
    • [44]受注量と業容がともに拡大
    • [45]1937〜1945年の主要工事種類別内訳は工場建築44%・発電所30%・鉄道4%・その他22%
    • [46]鉄道比率は明治・大正期の67%から4%へ低下
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1930年3月 資本金300万円で株式会社鹿島組を設立
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
    • [32]株式会社化当時の最大工事は丹那トンネル
    • [34]1925年5月 西口2,160m地点で毎秒3.3立方メートルの湧水・約3,600立方メートルの土砂噴出
    • [35]1930年6月 大断層の境目で崩壊
    • [36]水抜トンネル・グラウト・コンクリートプレーサー・シールド工法を投入
    • [38]開通で東海道線の輸送力が3倍以上に増加
    • [47]戦時期を通じて土木と建築の双方を担う総合建設業者へ業態転換
    • [41]鹿島守之助氏は科学的管理を経営の原理として掲げた

1947年〜 原子炉から受注高世界一・1兆円時代への飛躍

鹿島建設の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1947年 社名を鹿島建設に商号変更
  2. 1949年 建設業界初の技術研究所を設立
  3. 1949年 建設業法により建設大臣登録を取得
  4. 1957年 日本原研第1号原子炉を完成
  5. 1968年 超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出 日本初の柔構造超高層「霞が関ビル」を、鹿島守之助会長はどのような布石のうえで完成させたか
  6. 1978年 石川六郎社長のTQC導入による経営体質改善 石油危機後の低成長期に、女婿として社長を継いだ石川六郎氏はなぜ品質管理を建設業へ持ち込んだのか
  7. 1986年 カジマUSAを設立

原子炉を建て、受注高で世界一になった

戦後の鹿島組は、軍需補償の打ち切りと在外資産の喪失[48]に加えて復員者・海外引揚者の受け入れを抱え、駐留軍工事や塩田工事[49]で苦境をしのいだ。1947年12月に社名を鹿島建設へ改め[50]、1949年4月には建設業界で初の技術研究所を設立[51]して研究開発を自社に抱えた。朝鮮戦争を境に産業界が技術革新とエネルギー革新を伴う高度成長へ入る[52]と、電源開発と臨海工業地帯の工場建設で受注が伸び[53]、新幹線や高速道路のインフラ投資需要[54]も取り込んだ。日本初のアーチダム、名神高速道路山科工区、軟弱地盤の臨海工業地帯[55]と大型工事を重ね、1956年に起工した東海村の日本原子力研究所第1号原子炉[56]は清水建設との共同企業体[57]で施工し、1957年8月に完成させた[58]。以後は原子力発電本館の建設で業界一の実績[59]を積んだ。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [48]戦後は軍需補償の打ち切り・在外資産の喪失・復員者の受け入れに直面
    • [49]駐留軍工事・塩田工事で戦後の苦境をしのいだ
    • [51]1949年4月 建設業界初の技術研究所を設立
    • [52]朝鮮戦争を契機に産業界が技術革新・エネルギー革新を伴う高度成長期に入った
    • [53]電源開発ブームと臨海工業地帯の工場建設ブームで受注が増加
    • [54]新幹線・高速道路などのインフラ投資需要を取り込んだ
    • [55]日本初のアーチダム・名神高速道路山科工区・軟弱地盤の臨海工業地帯を施工
    • [56]1956年起工 東海村の日本原子力研究所第1号原子炉
    • [58]1957年8月 日本原研第1号原子炉が完成
    • [59]原子力発電本館の建設で業界一の実績
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1947年12月 社名を鹿島建設株式会社に改称
    • [57]東海村第1号原子炉は鹿島建設と清水建設の共同企業体による施工

1961年10月、東京・大阪両証券取引所へ株式を上場[60]した。公開時に40億円だった資本金[61]は増資を重ね、1964年12月には108億8,000万円と業界最大になった[62]。年間受注高では、1840年の創業から123年目[63]にあたる1963年に世界1位へ立った[64]。同年の受注規模は米国のエバスコやモリソン・クヌードセンを100億〜200億円上回り[65]、1964年前後の年間受注高1,368億円、完成工事高1,204億円[66]に達した。技術面では調布の技術研究所に研究員161名[67]を置き、年約6億円を研究に投じて特許60件・実用新案16件[68]を保有した。社員9,450名の72.5%を技術者が占め[69]、海外工事は完成分と施工中分を合わせて143億円[70]と、日本の建設業者の海外工事総量の16.5%[71]にあたった。

  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [60]1961年10月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [61]1961年の株式公開時の資本金は40億円
    • [62]1964年12月 資本金108億8,000万円で業界最大
    • [65]米エバスコ・モリソン・クヌードセンを年間受注で100億〜200億円上回った
    • [66]1964年前後の年間受注高1,368億円・完成工事高1,204億円
    • [67]技術研究所は調布にあり研究員161名
    • [68]研究投資は年約6億円、特許60件・実用新案16件を保有
    • [69]社員9,450名の72.5%が技術者
    • [70]海外工事は完成66億5,000万円・施工中76億5,000万円の計143億円
    • [71]日本の建設業者の海外工事総量の16.5%に相当
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [63]1840年の創業から123年目が1963年にあたる
    • [64]1963年 年間受注高で世界1位
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [48]戦後は軍需補償の打ち切り・在外資産の喪失・復員者の受け入れに直面
    • [49]駐留軍工事・塩田工事で戦後の苦境をしのいだ
    • [51]1949年4月 建設業界初の技術研究所を設立
    • [52]朝鮮戦争を契機に産業界が技術革新・エネルギー革新を伴う高度成長期に入った
    • [53]電源開発ブームと臨海工業地帯の工場建設ブームで受注が増加
    • [54]新幹線・高速道路などのインフラ投資需要を取り込んだ
    • [55]日本初のアーチダム・名神高速道路山科工区・軟弱地盤の臨海工業地帯を施工
    • [56]1956年起工 東海村の日本原子力研究所第1号原子炉
    • [58]1957年8月 日本原研第1号原子炉が完成
    • [59]原子力発電本館の建設で業界一の実績
    • [63]1840年の創業から123年目が1963年にあたる
    • [64]1963年 年間受注高で世界1位
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1947年12月 社名を鹿島建設株式会社に改称
    • [60]1961年10月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [57]東海村第1号原子炉は鹿島建設と清水建設の共同企業体による施工
    • [61]1961年の株式公開時の資本金は40億円
    • [62]1964年12月 資本金108億8,000万円で業界最大
    • [65]米エバスコ・モリソン・クヌードセンを年間受注で100億〜200億円上回った
    • [66]1964年前後の年間受注高1,368億円・完成工事高1,204億円
    • [67]技術研究所は調布にあり研究員161名
    • [68]研究投資は年約6億円、特許60件・実用新案16件を保有
    • [69]社員9,450名の72.5%が技術者
    • [70]海外工事は完成66億5,000万円・施工中76億5,000万円の計143億円
    • [71]日本の建設業者の海外工事総量の16.5%に相当

霞が関ビルと業界初の受注高1兆円達成

1968年4月、鹿島は三井不動産の霞が関三井ビルを完成させた[72]。地下3階・地上36階・高さ147メートル[73]は日本で初めての柔構造による本格的超高層ビル[74]で、改正建築基準法による特定街区指定建物の着工第1号[75]でもあった。当初は9階建ての計画[76]だったが、周辺の交通・日照・動線を検討した結果36階建てに改まり[77]、鹿島は企画の段階から施主・設計者とともに企画委員会へ加わった[78]。耐震構造の世界的権威である武藤清氏(東大名誉教授)を副社長に迎え[79]、電子計算機による構造計算と部材のプレハブ化[80]で工期を詰め、坪当たり30万円で仕上げた[81]。超高層の施工を通じて開発した特許・新案は80件を超え[82]、1990年代半ば時点で超高層ビルの施工実績は業界最大[83]となった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [72]1968年4月 三井不動産の霞が関三井ビルを完成
    • [83]1990年代半ば時点で超高層ビルの施工実績は業界最大
  • 鹿島守之助『わが経営を語る第3集』(鹿島研究所出版会, 1971)
    • [73]霞が関ビルは地下3階・地上36階・高さ147メートル
    • [74]日本初の柔構造による本格的超高層ビル
    • [75]改正建築基準法による特定街区指定建物の着工第1号
    • [79]耐震構造の世界的権威 武藤清氏(東大名誉教授)を副社長に迎えた
    • [76]霞が関ビルの当初計画は9階建て
    • [77]交通・日照・動線の検討を経て36階建てに決定
    • [78]施主・設計事務所と企画委員会を作り基本計画の段階から参画
    • [80]電子計算機による構造計算とプレハブ化で工期を短縮
    • [81]坪当たり30万円程度で竣工
    • [82]超高層の施工を通じて開発した特許・新案は80件余

1971年1月、定款を変更して住宅事業と不動産取引に関する業務を事業目的へ加え[84]、1977年9月着工の志木ニュータウン[85]がデベロッパーとして初の本格的な開発事業[86]となった。1966年に社長へ就いた渥美健夫[87]は、1970年2月の講演[88]で、計画の段階から設計・施工まで一貫して参画する「システム産業」としての建設業を70年代の戦略に据える[89]と述べ、その発想の出発点を霞が関ビルの経験に置いた[90]。1969年11月期の受注工事高は1,559億円[91]で1966年以来8期連続の増加[92]、入札によらず信用で受注する特命比率は72%と業界最高[93]に達した。海外工事は1954年の進出以来34件・238億6,000万円[94]を積み上げ、講演直前の株主総会では英文社名をKajima Construction CompanyからKajima Corporationへ改めた[95]

  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [84]1971年1月 住宅事業・不動産取引業務を事業目的に追加
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [85]1977年9月 志木ニュータウン着工
    • [86]志木ニュータウンはデベロッパーとして初の本格的な開発事業
  • 日経ビジネス 1973年8月20日号「渥美健夫(鹿島建設社長)住宅に“アフリカ並み”の発想を」
    • [87]渥美健夫氏は1966年に鹿島建設の社長へ就任
    • [88]1970年2月6日 日本証券アナリスト協会 企業分析第1部会での講演
    • [89]計画から設計・施工まで一貫参画する「システム産業」を70年代の戦略に掲げた
    • [90]システム的な取り組みを初めて経験したのが霞が関ビルだと述べた
    • [91]1969年11月期の受注工事高1,559億円(前期比16.5%増)
    • [92]1966年以来8期連続の受注増
    • [93]特命比率72%で業界最高
    • [94]1954年の海外進出以来34件・238億6,000万円の海外工事
    • [95]英文社名をKajima Construction CompanyからKajima Corporationへ変更

1973年の第1次石油危機は建設市場に需要の低迷をもたらし[96]、その2年後の1975年には1938年から経営を率いた鹿島守之助会長が没した[97]。1978年2月[98]、女婿の石川六郎[99]が社長へ就いた。東京大学工学部土木工学科を出て運輸省に入り[100]、1955年に取締役として鹿島建設へ移った[101]経歴の持ち主で、就任にあたり「鹿島しかやれないものを目指す」[102]と述べた。低成長期の経営体質改善の基本課題にはTQC(総合的品質管理)の実施を据え[103]、製造業で実績のあった品質管理の手法を建設業へ持ち込んだ[104]。収益は1980年度から上向き[105]、1981年度の受注高は業界で初めて1兆円に達した[106]。1982年8月にはデミング賞実施賞を受け[107]、1984年に鹿島昭一氏が社長へ就いた[108]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [96]1973年 第1次石油危機で建設市場の需要が低迷
    • [97]1975年 鹿島守之助会長が逝去
    • [98]1978年2月 石川六郎氏が社長に就任
    • [99]石川六郎氏は鹿島守之助氏の女婿
    • [103]低成長期の経営体質改善の基本課題にTQCの実施を据えた
    • [104]製造業で実績のあった品質管理手法を建設業へ導入
    • [105]収益は1980年度から上向いた
    • [106]1981年度 受注高が業界初の1兆円に到達
    • [107]1982年8月 デミング賞実施賞を受賞
    • [108]1984年 鹿島昭一氏が社長に就任
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号「石川六郎氏(鹿島建設)登場」
    • [100]石川六郎氏は東京大学工学部土木工学科を卒業し運輸省へ入省
    • [101]1955年 石川六郎氏が取締役として鹿島建設に入社
    • [102]鹿島建設社長の石川六郎氏による発言
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [72]1968年4月 三井不動産の霞が関三井ビルを完成
    • [83]1990年代半ば時点で超高層ビルの施工実績は業界最大
    • [85]1977年9月 志木ニュータウン着工
    • [86]志木ニュータウンはデベロッパーとして初の本格的な開発事業
    • [96]1973年 第1次石油危機で建設市場の需要が低迷
    • [97]1975年 鹿島守之助会長が逝去
    • [98]1978年2月 石川六郎氏が社長に就任
    • [99]石川六郎氏は鹿島守之助氏の女婿
    • [103]低成長期の経営体質改善の基本課題にTQCの実施を据えた
    • [104]製造業で実績のあった品質管理手法を建設業へ導入
    • [105]収益は1980年度から上向いた
    • [106]1981年度 受注高が業界初の1兆円に到達
    • [107]1982年8月 デミング賞実施賞を受賞
    • [108]1984年 鹿島昭一氏が社長に就任
  • 鹿島守之助『わが経営を語る第3集』(鹿島研究所出版会, 1971)
    • [73]霞が関ビルは地下3階・地上36階・高さ147メートル
    • [74]日本初の柔構造による本格的超高層ビル
    • [75]改正建築基準法による特定街区指定建物の着工第1号
    • [79]耐震構造の世界的権威 武藤清氏(東大名誉教授)を副社長に迎えた
    • [76]霞が関ビルの当初計画は9階建て
    • [77]交通・日照・動線の検討を経て36階建てに決定
    • [78]施主・設計事務所と企画委員会を作り基本計画の段階から参画
    • [80]電子計算機による構造計算とプレハブ化で工期を短縮
    • [81]坪当たり30万円程度で竣工
    • [82]超高層の施工を通じて開発した特許・新案は80件余
    • [88]1970年2月6日 日本証券アナリスト協会 企業分析第1部会での講演
    • [89]計画から設計・施工まで一貫参画する「システム産業」を70年代の戦略に掲げた
    • [90]システム的な取り組みを初めて経験したのが霞が関ビルだと述べた
    • [91]1969年11月期の受注工事高1,559億円(前期比16.5%増)
    • [92]1966年以来8期連続の受注増
    • [93]特命比率72%で業界最高
    • [94]1954年の海外進出以来34件・238億6,000万円の海外工事
    • [95]英文社名をKajima Construction CompanyからKajima Corporationへ変更
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [84]1971年1月 住宅事業・不動産取引業務を事業目的に追加
  • 日経ビジネス 1973年8月20日号「渥美健夫(鹿島建設社長)住宅に“アフリカ並み”の発想を」
    • [87]渥美健夫氏は1966年に鹿島建設の社長へ就任
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号「石川六郎氏(鹿島建設)登場」
    • [100]石川六郎氏は東京大学工学部土木工学科を卒業し運輸省へ入省
    • [101]1955年 石川六郎氏が取締役として鹿島建設に入社
    • [102]鹿島建設社長の石川六郎氏による発言

1990年〜 ゼネコン汚職と営業利益率1%の低収益構造

鹿島建設の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 宮崎明氏が社長に就任
  2. 1991年 長期経営計画(KE21)を策定
  3. 1991年 通称を「鹿島」に変更
  4. 1993年 茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴
  5. 1996年 梅田貞夫氏が社長に就任
  6. 2005年 東京土木支店、東京建築支店、海外支店を開設
  7. 2009年 初の連結純損失を計上

ゼネコン汚職と150年続いた創業家経営の終幕

1986年から1987年にかけての地価高騰で都市再開発の需要[109]が膨らみ、1986年度の売上高は初めて1兆円台へ乗った[110]。海外へは1986年11月にカジマUSA[111]、1987年9月にカジマヨーロッパBV[112]、1988年4月にカジマオーバーシーズアジアを設け[113]、北米・欧州・アジアに現地法人を置いた。業績が続伸するなか、1990年6月に鹿島昭一氏が社長を退き[114]、鹿島家以外の出身者として初めて宮崎明氏が社長へ就いた[115]。1991年2月には長期経営計画KE21を策定[116]して「快適環境創造企業」を掲げ、4つの総事業本部体制へ移り[117]、同年10月には会社の通称を「鹿島」へ変えた[118]。1840年の創業から150年続いた創業家の経営[119]が、ここで終わった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [109]1986〜1987年の地価高騰で都市再開発需要が増大
    • [110]1986年度 売上高が初めて1兆円台
    • [114]1990年6月 鹿島昭一氏が社長を退任
    • [115]宮崎明氏は鹿島家以外の出身者として初の社長
    • [116]1991年2月 長期経営計画KE21を策定
    • [117]「快適環境創造企業」を掲げ4つの総事業本部体制へ移行
    • [118]1991年10月 会社の通称を「鹿島」に変更
    • [119]1840年の創業から1990年の宮崎明氏就任まで150年間、創業家が経営を担った
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [111]1986年11月 カジマユーエスエーインコーポレーテッドを設立
    • [112]1987年9月 カジマヨーロッパビーヴイを設立
    • [113]1988年4月 カジマオーバーシーズアジアピーティーイーリミテッドを設立

1993年、茨城県庁舎の移転新築工事などに絡んで副社長の清山信二氏が元茨城県知事へ2,000万円を供与した贈賄事件が発覚し、同年10月に起訴された[120]。鹿島は建設省や地方自治体から指名停止処分[121]を受け、平成不況による民需不振[122]と重なって受注機会を失った。業務刷新委員会を新設して再発防止策に取り組み[123]、1996年6月に梅田貞夫氏が社長へ就いた[124]。京都大学大学院で土木工学を修めて1960年に入社した[125]梅田貞夫氏は、創業者一族以外から出た初の生え抜き社長[126]となった。バブル崩壊後の不良債権処理を含む財務のリストラ[127]が、その体制の主要な仕事になった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [120]1993年10月 茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴
    • [121]建設省・地方自治体から指名停止処分を受けた
    • [122]平成不況による民需不振が重なった
    • [123]業務刷新委員会を新設し再発防止策に取り組んだ
  • 日経ビジネス 2002年6月17日号「編集長インタビュー 梅田貞夫氏[鹿島社長]都市再生を民間の力で」
    • [124]1996年6月 梅田貞夫氏が社長に就任
    • [125]梅田貞夫氏は1960年に京都大学大学院工学研究科(土木工学)を修了し同年入社
    • [126]梅田貞夫氏は創業者一族以外からの初の生え抜き社長
  • 日経ビジネス 2005年7月16日号「[トップの履歴書]中村満義 鹿島社長」
    • [127]梅田貞夫氏の体制でバブル崩壊後の不良債権処理など財務のリストラを進めた

業界首位の座は、1990年3月期に売上高・受注高ともに清水建設へ渡っていた[128]。1963年以来27年続いた首位[129]が、経営交代の直前に失われた。鹿島昭一氏は1990年9月の取材に「優れたアイデアもすぐ真似される。そのスピードが速くなっている」と答え、超高層と原子力で先行した技術の差が縮んだ[131]と認めた。バブル崩壊と贈賄事件で公共工事の受注機会も細り、1995年には海外不動産投資を広げた子会社・東亜不動産の処理で518億円の特別損失[132]を計上した。不動産関連の損失処理はその後も続き、1999年3月期は連結経常利益98億円に対して当期純損失1,986億円[133]を計上した。 [130]

  • 日経ビジネス 1996年7月8日号
    • [128]1990年3月期 売上高・受注高ともに首位が清水建設へ移った
    • [129]業界首位は1963年以来27年続いた
    • [132]1995年 子会社・東亜不動産の処理で518億円の特別損失
  • 日経ビジネス 1990年9月10日号 編集長インタビュー
    • [130]鹿島建設副社長の鹿島昭一氏による発言
    • [131]超高層・原子力で先行した技術の優位が模倣によって縮小した
  • 会社年鑑(連結財務諸表)
    • [133]1999年3月期 連結経常利益98億円・連結当期純損失1,986億円
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [109]1986〜1987年の地価高騰で都市再開発需要が増大
    • [110]1986年度 売上高が初めて1兆円台
    • [114]1990年6月 鹿島昭一氏が社長を退任
    • [115]宮崎明氏は鹿島家以外の出身者として初の社長
    • [116]1991年2月 長期経営計画KE21を策定
    • [117]「快適環境創造企業」を掲げ4つの総事業本部体制へ移行
    • [118]1991年10月 会社の通称を「鹿島」に変更
    • [119]1840年の創業から1990年の宮崎明氏就任まで150年間、創業家が経営を担った
    • [120]1993年10月 茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴
    • [121]建設省・地方自治体から指名停止処分を受けた
    • [122]平成不況による民需不振が重なった
    • [123]業務刷新委員会を新設し再発防止策に取り組んだ
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [111]1986年11月 カジマユーエスエーインコーポレーテッドを設立
    • [112]1987年9月 カジマヨーロッパビーヴイを設立
    • [113]1988年4月 カジマオーバーシーズアジアピーティーイーリミテッドを設立
  • 日経ビジネス 2002年6月17日号「編集長インタビュー 梅田貞夫氏[鹿島社長]都市再生を民間の力で」
    • [124]1996年6月 梅田貞夫氏が社長に就任
    • [125]梅田貞夫氏は1960年に京都大学大学院工学研究科(土木工学)を修了し同年入社
    • [126]梅田貞夫氏は創業者一族以外からの初の生え抜き社長
  • 日経ビジネス 2005年7月16日号「[トップの履歴書]中村満義 鹿島社長」
    • [127]梅田貞夫氏の体制でバブル崩壊後の不良債権処理など財務のリストラを進めた
  • 日経ビジネス 1996年7月8日号
    • [128]1990年3月期 売上高・受注高ともに首位が清水建設へ移った
    • [129]業界首位は1963年以来27年続いた
    • [132]1995年 子会社・東亜不動産の処理で518億円の特別損失
  • 日経ビジネス 1990年9月10日号 編集長インタビュー
    • [130]鹿島建設副社長の鹿島昭一氏による発言
    • [131]超高層・原子力で先行した技術の優位が模倣によって縮小した
  • 会社年鑑(連結財務諸表)
    • [133]1999年3月期 連結経常利益98億円・連結当期純損失1,986億円

営業利益率1% ── 受注「世界一」の実態

受注規模に収益力が伴わない状態の背景には、建設業就業者が1997年の685万人から2010年の498万人へ減る一方で建設企業数が約47万社と過剰なまま残り、少ない案件を奪い合う価格競争が常態化した業界構造があった。不良債権の処理は2000年代前半まで尾を引き、2002年3月期にも連結当期純損失412億円[134]を計上している。鹿島の営業利益率はFY07で0.96%、FY08で1.01%[135]と1%前後で低迷し、連結売上高1兆9,485億円に対する営業利益は197億円(FY08)[136]にとどまった。2005年6月[137]、慶應義塾大学法学部を出て1965年に入社した中村満義[138]が社長へ就き、リーマン・ショック前後の経営を担った。

  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [134]2002年3月期 連結当期純損失412億円
    • [135]連結営業利益率はFY07で0.96%、FY08で1.01%
    • [136]FY08 連結売上高1兆9,485億円・営業利益197億円
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2005年6月 中村満義氏が社長に就任
  • 日経ビジネス 2005年7月16日号「[トップの履歴書]中村満義 鹿島社長」
    • [138]中村満義氏は1965年3月に慶應義塾大学法学部を卒業し同年4月に入社

2009年3月期はリーマン・ショックの影響で特別損失が膨らみ、初の連結純損失(▲63億円)[139]を計上した。翌2010年3月期は売上高が1兆6,374億円とピークから16%減り[140]、販管費を吸収できず、1840年の創業から170年で初の連結営業赤字(▲68億円)[141]に転落した。FY10からFY14の営業利益も127億〜295億円[142]の低水準にとどまり、利益率1%前後の構造は1990年代半ばから2014年まで約20年続いた[143]。2010年3月には鹿島道路株式会社を株式交換により完全子会社化[144]し、舗装をはじめとする専門工事をグループ内へ取り込んだ[145]

  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [139]2009年3月期 初の連結純損失▲63億円
    • [140]2010年3月期 連結売上高1兆6,374億円(ピーク比16%減)
    • [141]2010年3月期 初の連結営業赤字▲68億円(1840年の創業から170年で初)
    • [142]FY10〜FY14の連結営業利益は127億〜295億円
    • [143]営業利益率1%前後の状態が1990年代半ばから2014年まで約20年続いた
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [144]2010年3月 鹿島道路を株式交換により完全子会社化
  • 鹿島建設 有価証券報告書(事業の内容)
    • [145]鹿島道路は舗装をはじめとする専門工事の請負を担うグループ会社
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [134]2002年3月期 連結当期純損失412億円
    • [135]連結営業利益率はFY07で0.96%、FY08で1.01%
    • [136]FY08 連結売上高1兆9,485億円・営業利益197億円
    • [139]2009年3月期 初の連結純損失▲63億円
    • [140]2010年3月期 連結売上高1兆6,374億円(ピーク比16%減)
    • [141]2010年3月期 初の連結営業赤字▲68億円(1840年の創業から170年で初)
    • [142]FY10〜FY14の連結営業利益は127億〜295億円
    • [143]営業利益率1%前後の状態が1990年代半ばから2014年まで約20年続いた
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2005年6月 中村満義氏が社長に就任
    • [144]2010年3月 鹿島道路を株式交換により完全子会社化
  • 日経ビジネス 2005年7月16日号「[トップの履歴書]中村満義 鹿島社長」
    • [138]中村満義氏は1965年3月に慶應義塾大学法学部を卒業し同年4月に入社
  • 鹿島建設 有価証券報告書(事業の内容)
    • [145]鹿島道路は舗装をはじめとする専門工事の請負を担うグループ会社

2015年〜 開発事業1兆円と利益率1%脱出 ── 押味・天野・桐生の3社長体制

鹿島建設の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 カジマオーストラリアを設立
  2. 2015年 押味至一氏が社長に就任
  3. 2018年 鹿島グループ中期経営計画(2018〜2020)を策定
  4. 2021年 天野裕正氏が社長に就任
  5. 2024年 Rodgers Builders社を買収
  6. 2026年 天野裕正氏が急逝
  7. 2026年 押味至一氏が社長に再任

押味至一氏の現場第一主義と中計5,000億円投資

2015年6月、押味至一氏が10代目社長に就任[146]した。押味至一氏は「施工現場が当社にとって最重要部署であり主役」[147]と述べ、土木・建築の現場力を経営の中心に据える方針を示した。2011年の東日本大震災後の復興需要と労働市場のひっ迫で工事単価が上向き、20年続いた利益率1%前後の水準からの脱出が始まった。連結営業利益はFY15で1,111億円、FY16で1,554億円へ急回復し、営業利益率もそれぞれ6.6%、8.9%[148]と、FY10〜14の1%前後から段違いに上がった。2019年には「鹿島スマート生産ビジョン」を掲げ、名古屋伏見Kスクエアの新築工事で延べ労働時間を同規模のオフィスビル比で約20%減らした[149]

  • KAJIMAダイジェスト 2015年7月
    • [146]2015年6月 押味至一氏が10代目社長に就任
    • [147]鹿島建設社長の押味至一氏による発言
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [148]連結営業利益はFY15で1,111億円・FY16で1,554億円、営業利益率は6.6%・8.9%
  • 決算説明会 FY19-2Q(2019年11月)
    • [149]2019年 「鹿島スマート生産ビジョン」を策定し名古屋伏見Kスクエアで延べ労働時間を同規模オフィスビル比約20%削減

2018年6月に策定した中期経営計画(2018〜2020)[150]は、開発事業を中心に3年で総額5,000億円を投じる方針[151]を掲げ、請負一辺倒だった事業構造を資本配分の面から組み替える転機となった。2019年度からは国内の大型収益物件の取得が進み、投資と回収がともに計画に沿って推移した[152]。コロナ禍では2020年春に約6割の現場が10日以上閉所した[153]が、感染予防策を講じたうえで順次再開し、業績への影響は軽微[154]にとどまった。開発事業では国内330億円・海外540億円の売却回収を2年間で積み上げ[155]、投資計画を達成した[156]

  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [150]2018年6月 中期経営計画(2018〜2020)を策定
    • [151]開発事業を中心に3年間で総額5,000億円の投資計画
    • [156]総額5,000億円の投資計画を達成
  • 決算説明会 FY19-2Q(2019年11月)
    • [152]国内大型収益物件の取得が進み投資・回収とも計画に沿って推移
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)質疑応答
    • [153]2020年4月17日公表の現場閉所により約6割の現場が10日以上閉所
    • [154]感染予防策を講じて順次再開し業績への影響は軽微
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)
    • [155]開発事業の売却回収は国内330億円・海外540億円(2年間累計)
  • KAJIMAダイジェスト 2015年7月
    • [146]2015年6月 押味至一氏が10代目社長に就任
    • [147]鹿島建設社長の押味至一氏による発言
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [148]連結営業利益はFY15で1,111億円・FY16で1,554億円、営業利益率は6.6%・8.9%
  • 決算説明会 FY19-2Q(2019年11月)
    • [149]2019年 「鹿島スマート生産ビジョン」を策定し名古屋伏見Kスクエアで延べ労働時間を同規模オフィスビル比約20%削減
    • [152]国内大型収益物件の取得が進み投資・回収とも計画に沿って推移
  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [150]2018年6月 中期経営計画(2018〜2020)を策定
    • [151]開発事業を中心に3年間で総額5,000億円の投資計画
    • [156]総額5,000億円の投資計画を達成
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)質疑応答
    • [153]2020年4月17日公表の現場閉所により約6割の現場が10日以上閉所
    • [154]感染予防策を講じて順次再開し業績への影響は軽微
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)
    • [155]開発事業の売却回収は国内330億円・海外540億円(2年間累計)

天野裕正氏・桐生雅文氏 ── 「未来につなぐ投資」から急逝・継承へ

2021年6月、天野裕正氏が11代目社長に就任[157]した。中期経営計画「未来につなぐ投資」(2021〜2023)[158]では2023年度の連結当期純利益950億円以上を目標[159]に据え、半導体工場・データセンター・医薬品関連の生産施設需要[160]を主軸とした。国内開発ではオフィス偏重からホテル・レジデンス・物流施設へ対象を広げ[161]、海外は欧米で短期回転型、アジアで長期保有型[162]と地域ごとに型を分けた。FY22のROEは11.4%[163]まで上がり、FY23の連結当期純利益は1,050億円、FY24は1,150億円・ROE10.2%[164]と目標を上回って中計を終えた。2024年8月には米国Rodgers Buildersを買収[165]し、年間売上高約800億円をKUSAグループへ取り込んだ[166]

  • 経済界ウェブ 2021年9月
    • [157]2021年6月 天野裕正氏が11代目社長に就任
  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [158]中期経営計画(2021〜2023)の名称は「未来につなぐ投資」
  • 決算説明会 FY20通期・中期経営計画(2021年5月)
    • [159]2023年度の連結当期純利益950億円以上を目標に設定
    • [161]国内開発でオフィス偏重からホテル・レジデンス・物流施設・データセンターへ対象を拡大
    • [162]海外開発は欧米で短期回転型、アジアで長期保有型
  • 決算説明会 FY22-2Q(2022年11月)
    • [160]半導体・データセンター・医薬品関連の生産施設需要が堅調
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [163]FY22の連結ROEは11.4%
    • [164]FY23 連結当期純利益1,050億円/FY24 1,150億円・ROE10.2%
  • 決算説明会 FY24-1Q(2024年8月)
    • [165]2024年8月 米国Rodgers Buildersを買収
    • [166]Rodgers Buildersの年間売上高は約800億円

2024年に策定した中期経営計画(2024〜2026)[167]は2026年度の連結当期純利益1,300億円以上を目標[168]とし、3年間で株主還元2,000億円、政策保有株式500億円以上の売却[169]を財務戦略の骨子に据えた。FY24の実績が上振れたため株主還元枠は2,300億円へ引き上げられ、配当性向は40%を目安[170]とした。海外売上は1兆1,145億円規模[171]に達し、開発事業の資産残高は国内外合算で約1兆2,000億円[172]へ膨らんだ。ところが2026年1月に天野裕正氏が急逝し[173]押味至一氏の暫定再任を経て、同年6月に桐生雅文氏が13代目社長へ就いた[174]。就任にあたり桐生雅文氏は「受け継いだ技術を次世代に伝承することは経営の軸の一つ」[175]と述べた。キャリアの8割超を現場で過ごした建築部門[176]の出身である。

  • 決算説明会 FY23通期(2024年5月)
    • [167]2024年5月 中期経営計画(2024〜2026)を策定
    • [168]2026年度の連結当期純利益1,300億円以上を目標
    • [169]3年間で株主還元2,000億円・政策保有株式500億円以上の売却
  • 決算説明会 FY24通期(2025年5月)
    • [170]株主還元枠を2,000億円から2,300億円へ引き上げ、配当性向40%目安
  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [171]FY24の海外売上規模は1兆1,145億円
  • 決算説明会 FY24-3Q(2025年2月)
    • [172]開発事業の資産残高は国内外合算で約1兆2,000億円(2025年2月時点)
  • 時事ドットコム 2026年3月
    • [173]2026年1月 天野裕正社長が急逝
    • [174]押味至一氏の暫定再任を経て2026年6月に桐生雅文氏が13代目社長に就任
    • [175]鹿島建設社長の桐生雅文氏による発言
    • [176]桐生雅文氏はキャリアの8割超を現場で過ごした建築部門の出身
  • 経済界ウェブ 2021年9月
    • [157]2021年6月 天野裕正氏が11代目社長に就任
  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [158]中期経営計画(2021〜2023)の名称は「未来につなぐ投資」
    • [171]FY24の海外売上規模は1兆1,145億円
  • 決算説明会 FY20通期・中期経営計画(2021年5月)
    • [159]2023年度の連結当期純利益950億円以上を目標に設定
    • [161]国内開発でオフィス偏重からホテル・レジデンス・物流施設・データセンターへ対象を拡大
    • [162]海外開発は欧米で短期回転型、アジアで長期保有型
  • 決算説明会 FY22-2Q(2022年11月)
    • [160]半導体・データセンター・医薬品関連の生産施設需要が堅調
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [163]FY22の連結ROEは11.4%
    • [164]FY23 連結当期純利益1,050億円/FY24 1,150億円・ROE10.2%
  • 決算説明会 FY24-1Q(2024年8月)
    • [165]2024年8月 米国Rodgers Buildersを買収
    • [166]Rodgers Buildersの年間売上高は約800億円
  • 決算説明会 FY23通期(2024年5月)
    • [167]2024年5月 中期経営計画(2024〜2026)を策定
    • [168]2026年度の連結当期純利益1,300億円以上を目標
    • [169]3年間で株主還元2,000億円・政策保有株式500億円以上の売却
  • 決算説明会 FY24通期(2025年5月)
    • [170]株主還元枠を2,000億円から2,300億円へ引き上げ、配当性向40%目安
  • 決算説明会 FY24-3Q(2025年2月)
    • [172]開発事業の資産残高は国内外合算で約1兆2,000億円(2025年2月時点)
  • 時事ドットコム 2026年3月
    • [173]2026年1月 天野裕正社長が急逝
    • [174]押味至一氏の暫定再任を経て2026年6月に桐生雅文氏が13代目社長に就任
    • [175]鹿島建設社長の桐生雅文氏による発言
    • [176]桐生雅文氏はキャリアの8割超を現場で過ごした建築部門の出身

鹿島建設の沿革1840〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
鹿島建設創業——江戸京橋の大工棟梁「大岩」から「鉄道の鹿島」へ江戸京橋で大工棟梁として独立した鹿島岩吉氏の「大岩」は、横浜の洋館建築と2代目・岩蔵氏の鉄道専業転身を経て、どのように近代の総合建設会社へ育ったか 詳細を読む★★★
英一番館(ジャーディン・マセソン商会)を施工
鹿島組を創立
鉄道請負業に参入★★
鹿島組を設立
丹那トンネルを完成
鹿島守之助氏が社長に就任
社名を鹿島建設に商号変更
建設業界初の技術研究所を設立
建設業法により建設大臣登録を取得
大興物産の株式を譲受
日本原研第1号原子炉を完成★★
鹿島製作所を吸収合併
東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
年間受注高で世界1位を達成
丸善鋪道の株式を譲受
渥美健夫超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出日本初の柔構造超高層「霞が関ビル」を、鹿島守之助会長はどのような布石のうえで完成させたか 詳細を読む★★★
渥美健夫本店所在地を変更
渥美健夫住宅事業・不動産取引業務を事業目的に追加
渥美健夫鹿島守之助会長が逝去
渥美健夫志木ニュータウン着工
渥美健夫北陸支店開設
石川六郎石川六郎社長のTQC導入による経営体質改善石油危機後の低成長期に、女婿として社長を継いだ石川六郎氏はなぜ品質管理を建設業へ持ち込んだのか 詳細を読む★★★
石川六郎受注高が業界初の1兆円を達成
鹿島昭一鹿島昭一氏が社長に就任
鹿島昭一カジマUSAを設立★★
鹿島昭一カジマヨーロッパBVを設立
鹿島昭一カジマオーバーシーズアジアを設立
宮崎明宮崎明氏が社長に就任
宮崎明長期経営計画(KE21)を策定
宮崎明通称を「鹿島」に変更
宮崎明茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴★★
梅田貞夫梅田貞夫氏が社長に就任
中村満義東京土木支店、東京建築支店、海外支店を開設
中村満義中村満義氏が社長に就任
中村満義本店所在地を変更
中村満義カジマヨーロッパリミテッドを設立
中村満義初の連結純損失を計上★★
中村満義鹿島道路を株式交換により完全子会社化
中村満義初の連結営業赤字を計上
押味至一カジマオーストラリアを設立
押味至一押味至一氏が社長に就任
押味至一鹿島グループ中期経営計画(2018〜2020)を策定
天野裕正天野裕正氏が社長に就任
天野裕正Rodgers Builders社を買収★★
押味至一天野裕正氏が急逝
押味至一押味至一氏が社長に再任
出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
  • 120年の歩み(鹿島建設, 1959)
  • 証券アナリストジャーナル 1965年3巻1号「鹿島建設の現況と建設需要の見通し」
  • 鹿島守之助『わが経営を語る第3集』(鹿島研究所出版会, 1971)
  • 証券アナリストジャーナル 1970年8巻3号「建設業界と鹿島建設」
  • 日経ビジネス 1973年8月20日号「渥美健夫(鹿島建設社長)住宅に“アフリカ並み”の発想を」
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号「石川六郎氏(鹿島建設)登場」
  • 日経ビジネス 2002年6月17日号「編集長インタビュー 梅田貞夫氏[鹿島社長]都市再生を民間の力で」
  • 日経ビジネス 2005年7月16日号「[トップの履歴書]中村満義 鹿島社長」
  • 日経ビジネス 1996年7月8日号
  • 日経ビジネス 1990年9月10日号 編集長インタビュー
  • 会社年鑑(連結財務諸表)
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
  • 鹿島建設 有価証券報告書(事業の内容)
  • KAJIMAダイジェスト 2015年7月
  • 決算説明会 FY19-2Q(2019年11月)
  • 鹿島建設 有価証券報告書
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)質疑応答
  • 決算説明会 FY19通期(2020年5月)
  • 経済界ウェブ 2021年9月
  • 決算説明会 FY20通期・中期経営計画(2021年5月)
  • 決算説明会 FY22-2Q(2022年11月)
  • 決算説明会 FY24-1Q(2024年8月)
  • 決算説明会 FY23通期(2024年5月)
  • 決算説明会 FY24通期(2025年5月)
  • 決算説明会 FY24-3Q(2025年2月)
  • 時事ドットコム 2026年3月

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