創業地東京都中央区京橋
創業年1840
上場年1961
創業者鹿島岩吉
1840年〜 洋風建築第1号から鉄道専業・戦時工場建築へ
1840 鹿島岩吉が江戸で創業
1860 英一番館(ジャーディン・マセソン商会)を施工
1880 鹿島組を創立し鉄道請負に進出
1930 株式会社鹿島組を設立
1934 丹那トンネルを完成
1938 鹿島守之助が社長に就任

1840年、鹿島岩吉は江戸に「大岩」の屋号で大工として独立し、幕末の横浜開港を機に1860年に英国商社の通称「英一番館」を施工して日本の洋風建築の最初期を担った。2代目の鹿島岩蔵は「鹿島方」で洋風建築を全国に広げたのち、1880年にこれを解散して鹿島組を新設し、鉄道専門の工事業者へ転身した。明治・大正期の請負高は鉄道67%・水力発電14%だった。1930年には3代目の鹿島精一が資本金300万円で株式会社へ改組した。1918年着工の丹那トンネルを16年の難工事の末に1934年に完成させ、鹿島の土木技術力を全国に知らしめた。1938年に鹿島守之助が社長へ就いて建築部門を強化すると、戦時の軍・官需要で工場建築44%・発電所30%となり、鉄道は4%へ低下した。

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1947年〜 原子炉から受注高世界一・1兆円時代への飛躍
1949 建設業界初の技術研究所を設立
1957 日本原研第1号原子炉を完成
1961 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
1963 年間受注高で世界1位を達成
1968 日本初の超高層ビル・霞が関ビルを完成
1981 受注高が業界初の1兆円を達成
1970年11月期 単体
売上高 3,024億円
純利益 116億円
純利益率 3.9%
1984年11月期 単体
売上高 9,321億円
純利益 135億円
純利益率 1.4%

戦後の混乱を駐留軍工事などでしのいだ鹿島組は、1947年12月に鹿島建設と改称した。1949年に建設業界初の技術研究所を設立して研究開発に先行投資し、1957年には東海村の日本原研第1号原子炉を完成させて原子力で業界一の実績を積んだ。1961年に東京・大阪証券取引所へ上場すると、1963年には年間受注高で世界1位を達成する。1968年4月には日本初の柔構造による本格的超高層ビル・霞が関三井ビルを完成させ、耐震構造の権威・武藤清を副社長に迎えて都市開発の先駆けとなった。1971年に定款を変更して開発事業を加え、1978年就任の石川六郎はTQCを導入し、1981年度に業界初の受注高1兆円を達成した。

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1990年〜 ゼネコン汚職と営業利益率1%の低収益構造
1990 宮崎明が社長に就任
1991 長期経営計画(KE21)を策定
1993 茨城県知事贈賄事件で副社長が起訴
1996 梅田貞夫が社長に就任
2005 中村満義が社長に就任
2009 初の連結純損失を計上
1992年3月期 連結
売上高 21,997億円
純利益 604億円
純利益率 2.7%
2014年3月期 連結
売上高 15,211億円
純利益 207億円
純利益率 1.4%

1990年6月、鹿島昭一が退いて鹿島家以外で初めて宮崎明が社長に就き、1840年の創業以来150年続いた創業家経営が終わった。翌1991年には長期経営計画KE21を掲げ、4つの総事業本部体制へ移行した。ところが1993年に茨城県庁舎をめぐる贈賄事件が発覚して指名停止を受け、1996年に就いた梅田貞夫が経営再建に着手した。業界首位の座は1990年3月期に売上高・受注高とも清水建設へ譲り、1995年には子会社・東亜不動産の処理で518億円の特別損失を計上した。営業利益率はFY07で0.96%・FY08で1.01%と1%前後に低迷し、2009年3月期に初の連結純損失、翌期に初の連結営業赤字へ転落して、利益率1%前後の低収益構造は2014年まで約20年続いた

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2015年〜 開発事業1兆円と利益率1%脱出 ── 押味・天野・桐生の3社長体制
2015 押味至一が社長に就任
2018 鹿島グループ中期経営計画(2018〜2020)を策定
2021 中期経営計画(2021〜2023)を策定
2021 天野裕正が社長に就任
2024 中期経営計画(2024〜2026)を策定
2026 天野裕正社長が急逝、押味至一が社長に再任
2015年3月期 連結
売上高 16,936億円
純利益 151億円
純利益率 0.9%
2025年3月期 連結
売上高 29,118億円
純利益 1,258億円
純利益率 4.3%

2015年6月、押味至一が10代目社長に就き、創業家を離れた組織運営の系譜が初めて形になった。東日本大震災後の復興需要で工事単価が上向き、連結営業利益はFY15で1,111億円、FY16で1,554億円へ急回復し、20年続いた利益率1%前後の構造から抜け出した。2018年の中期経営計画は3年で総額5,000億円を開発事業に投じる方針を打ち出し、請負中心の事業構造を改めた。2021年6月に就いた天野裕正は中計「未来につなぐ投資」を掲げ、2024年8月に米国Rodgers Buildersを買収して北米を強化した。ところが2026年1月に天野社長が急逝し、押味の暫定再任を経て同年6月に桐生雅文が13代目社長へ就いて、技術伝承を経営の柱に据える方針を示した

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決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1860年の「英一番館」の施工が、鹿島の技術内製の企業文化を形づくったのか
A 開港直後の横浜に持ち込まれた洋風建築は、図面も工法も国内に前例がなく、外注できる職人もいなかった。鹿島は1860年、英国商社ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を、江戸屋敷で培った大工技術を頼りに自前で組み上げた。前例のない難工事を社内で引き受け、その難しさを技術として手元に残す。日本で最初期の洋風建築となったこの1棟が、先端技術を進んで取り込む後年の企業文化を形づくった
Q なぜ鹿島は1880年に、稼ぎ頭の洋風建築をたたんで鉄道専業へ転じたのか
A 洋風建築という稼ぎ頭を捨ててでも、文明開化で国を挙げて延びる鉄道に張れば全国展開の足場を一気に組める。岩蔵氏はそう読んで賭けに出た。1880年、2代目岩蔵氏は「鹿島方」を解散して鹿島組を新設し、官営鉄道の柳ヶ瀬トンネルを皮切りに官設・私設の鉄道を次々に請け負った。明治・大正期の請負高は鉄道67%・水力発電14%に達し、この一手が「鉄道の鹿島」という事業構造を半世紀以上にわたり決めた。鉄道やダムという公共性の高い土木需要を取り込みながらも、出自は英一番館以来の建築にあり、鹿島は土木と建築の双方を高い技術で兼ねる総合建設会社になった。
Q なぜ鹿島は2018年に、開発事業へ3年で5,000億円を投じる計画を打ち出したのか
A 請負は受注のたびに採算が振れ、景気と公共投資の波で利益が上下する。少子高齢化で国内の建設需要が細る先行きも見えるなか、賃料のように長く入る収益で請負の波を均す狙いから、鹿島は開発を本格的な投資先に据えた。2018年策定の中期経営計画(2018〜2020)は、開発事業を中心に3年で5,000億円を投じて収益源を多様化する方針を掲げた。海外開発へ2,400億円を投じ、国内330億円・海外540億円の物件売却で資金を回収しながら、この投資計画を達成した

出典・参考文献

歴史概要

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1] 1860年に英国商社ジャーディン・マセソン商会の通称「英一番館」を施工し日本の洋風建築の最初期を担った
    • [2] 1880年に「鹿島方」を解散して鹿島組を新設し鉄道専門の工事業者へ転身した
    • [4] 1918年着工の丹那トンネルを16年の難工事の末に1934年に完成させ土木技術力を全国に知らしめた
    • [6] 1949年に建設業界初の技術研究所を設立し1957年に東海村の日本原研第1号原子炉を完成させた
    • [8] 1968年4月に日本初の本格的超高層ビル・霞が関三井ビルを完成させ武藤清を副社長に迎えた
    • [9] 1990年6月に鹿島家以外で初めて宮崎明が社長に就き創業以来150年の創業家経営が終わった
    • [10] 1991年2月に長期経営計画KE21を策定し4つの総事業本部体制へ移行した
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】
    • [3] 1930年に3代目の鹿島精一が資本金300万円で株式会社へ改組した
    • [5] 戦後の混乱を駐留軍工事などでしのぎ1947年12月に鹿島組から鹿島建設へ改称した
    • [7] 1961年に東京証券取引所・大阪証券取引所へ上場した
  • 日経ビジネス 1996年7月8日号
    • [11] 1995年に子会社・東亜不動産の処理で518億円の特別損失を計上した
  • 鹿島建設 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [12] 営業利益率はFY07で0.96%・FY08で1.01%と1%前後で低迷した
    • [14] 連結営業利益はFY15で1,111億円・FY16で1,554億円へ急回復し利益率1%前後の構造を脱した
  • KAJIMAダイジェスト 2015年7月
    • [13] 2015年6月に押味至一が10代目社長に就任し創業家を離れた組織運営の系譜が初めて形になった
  • 経済界ウェブ 2021年9月
    • [15] 2021年6月に天野裕正が11代目社長に就任し中計「未来につなぐ投資」を掲げた
  • 時事ドットコム 2026年3月
    • [16] 押味の暫定再任を経て2026年6月に桐生雅文が13代目社長へ就任した

決断の理由

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1] 1860年に英一番館を江戸屋敷で培った大工技術を頼りに自前で施工した
    • [2] 英一番館は日本における洋風建築の最初期の事例であり、この1棟が先端技術を取り込む後年の企業文化を形づくった
    • [3] 1880年に「鹿島方」を解散し鹿島組を新設して鉄道専門の工事業者に転身した
    • [4] 明治・大正期の工事種類別請負高は鉄道67%・水力発電14%で「鉄道の鹿島」の事業構造を長期に規定した
    • [5] 国内建設市場は少子高齢化と再開発案件の減少で縮小傾向にあり、2021年度以降の非連続な経営環境に備えて安定的かつ多様な収益源の確保を狙った
  • 鹿島建設 有価証券報告書
    • [6] 中期経営計画(2018〜2020)で開発事業へ3年で5,000億円を投じる方針を打ち出した
    • [7] 海外開発へ2,400億円を投じ、国内330億円・海外540億円の売却回収を積み上げて投資計画を達成した

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