清水建設 の歴史

更新:

創業

1804年

創業者

清水喜助

創業地

江戸神田鍛冶町

直近売上高(2026/3)

20,578億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1859年の横浜開港が、清水組のその後の経営路線を決めたのか
A 横浜開港で生まれた居留地の建築は、発注するのが官庁ではなく外国商人で、図面も代金も相手と直に詰めなければ成立しなかった。官公需に寄りかかる同業の大手と違い、初代清水喜助氏はここで、発注者と直接向き合って仕事を取る商いを身につけた。1859年に横浜店を開いて外国商館を手がけ、現場で洋風建築の技術を覚えたこの経験が、官需ではなく民間建築を主戦場とする経営路線を創業期に決めた。この民間建築重視は強みになる一方、ダムや道路など官公需の土木は後回しとなり、土木部門の本格整備は1954年まで待つことになる
Q なぜ1887年に渋沢栄一氏が定めた「民間の建築工事」路線が、業界首位と損益の振れの両方を生んだのか
A 民間需要は官需より景気に振れるため、同じ顧客層への集中は、好況と不況で正反対の結果を出す。渋沢栄一氏は1887年に営業方針を「民間の建築工事」と定め、オフィス・工場・銀行を主な客に据えた。この強みはバブル期の都市建築ブームと噛み合い、1989年度に業界首位の業績を生んだ。一方でFY23(2024年3月期)には、スライド条項のない民間工事で資材高騰を自社が吸収し、上場来初の営業損失247億円を出した。つまり民間建築に強いという同じ特色が、好況には業界首位を、資材高のときには赤字をもたらした。
Q なぜ清水建設は2020年代に、新領域を自社開発から買収(日本道路など)へ切り替えたのか
A 1960年代後半に量産化を進めたPC住宅も、1985年に多角化を掲げたシミズスプリング計画も、自社で一から育てた新事業はいずれも定着せず、社内開発で第3の柱を立てるやり方には限界が見えていた。そこで清水建設は、既に技術と顧客を持つ会社を買って新領域を最短で取り込む方針へ改めた。2022年に道路舗装の日本道路をTOBで子会社化し、2026年には手薄だった海洋土木を補うためマリコンのあおみ建設を約250億円で買収した。狙いは、2030年度に非建設事業で収益の35%を稼ぐSHIMZ VISION 2030の達成にある

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1804年〜 神田鍛冶町の裏店に開いた大工業が、渋沢栄一の定めた民間建築の路線に行き着くまで

銀三分の元手と、横浜居留地で覚えた洋式の工法

1804年、越中富山出身の宮大工・清水喜助氏は22歳で[1]江戸神田鍛冶町の絵草紙屋の裏店に住みつき、銀三分を元手に大工業を開いた[2]。開業まもない時期は、昼に日本橋あたりの商店の仕事へ呼ばれ、夜は日用の家具を作って売って[3]日々の糧を得ていた。町家や商家の請負で評判を得ると裏店を出て、表通りの神田新石町に店と仕事場を構え、屋号を「清水屋」として多数の弟子を養った[4]。江戸後期は町人が富を蓄えて商家や町家の建築需要が広がり[5]、腕一つの職人が民間の施主から直に普請を請け負う余地が生まれていた。神田鍛冶町は大工・鍛冶・木挽きの集まる職人町で[6]、地方から出た棟梁が民間の仕事を取り込める街区であった。

  • 清水建設百五十年(1956)
    • [1]創業者 越中富山出身の宮大工・清水喜助(開業時22歳)
    • [2]1804年 江戸神田鍛冶町の絵草紙屋の裏店で銀三分を元手に大工業を開業
    • [3]開業当初は昼に日本橋の商店の仕事、夜は日用の家具の製作と販売
    • [4]神田新石町に店と仕事場を構え屋号「清水屋」として弟子を養う
    • [5]江戸後期 町人の蓄財による商家・町家の建築需要の広がり
    • [6]神田鍛冶町は大工・鍛冶・木挽きの集まる職人町

1859年の横浜開港にあたり、家業を継いだ2代清水喜助氏は横浜店を開いた[7]。得意先だった大老・井伊直弼氏の執りなしで開港の準備を一手に引き受け[8]、幕府の諸施設と居留地の外国商館の建築を任された。江戸の弟子衆もこの転身に同行し、古参の職人は東京の得意先を他の出入り大工へ譲って横浜へ移った[9]。居留地の商館は規模も構造も建材も在来の工法とは異なり、棟梁は外国人技師の図面を読みながら煉瓦造やトラス構造を現場で覚えた[10]。官の御用に連なる格式ではなく、外国商人という民間の施主と直に向き合う仕事が、開港地では大量に生まれていた[11]

  • 清水建設百五十年(1956)
    • [7]1859年 横浜開港に伴い2代清水喜助が横浜店を開設
    • [8]大老・井伊直弼の執りなしで開港準備を引き受け幕府諸施設と外国商館を建築
    • [9]江戸の弟子衆が横浜へ同行し古参職人は東京の得意先を他の大工へ譲渡
    • [11]開港地で外国商人という民間の施主と直接向き合う仕事が拡大
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [10]居留地の外国商館建築を通じて煉瓦造・トラス構造など西洋建築技術を習得

2代清水喜助氏は築地ホテル館を手がけたのち[12]、1872年に三井組大番頭・三野村利左衛門氏の下命で第一国立銀行を担った[13]。銀行建築を見たことのないまま自前で設計し、明治初期を代表する擬洋風建築として技術を世に示した[14]。第一国立銀行は三井組ハウスの名でも呼ばれ[15]、明治初期の東京を代表する建物として知られた。明治中期に入ると建築の規模と構造が複雑になり、棟梁の経験だけでは設計と施工の品質を保ちにくくなった[16]。清水組は1886年7月に工学士を招いて技師長制を発足させ[17]、図面を引く技術者と現場を結ぶ体制を同業に先んじて整えた。

  • 清水建設百五十年(1956)
    • [12]築地ホテル館の施工
    • [13]1872年 三野村利左衛門の下命で第一国立銀行を建築
    • [14]洋行経験のないまま自前で設計し擬洋風建築として技術を示す
    • [15]第一国立銀行は三井組ハウスとも呼ばれた
    • [16]明治中期 建築の規模と構造の複雑化で棟梁の経験だけでは品質保持が困難
    • [17]1886年7月 工学士を招聘し技師長制を発足
  • 清水建設百五十年(1956)
    • [1]創業者 越中富山出身の宮大工・清水喜助(開業時22歳)
    • [2]1804年 江戸神田鍛冶町の絵草紙屋の裏店で銀三分を元手に大工業を開業
    • [3]開業当初は昼に日本橋の商店の仕事、夜は日用の家具の製作と販売
    • [4]神田新石町に店と仕事場を構え屋号「清水屋」として弟子を養う
    • [5]江戸後期 町人の蓄財による商家・町家の建築需要の広がり
    • [6]神田鍛冶町は大工・鍛冶・木挽きの集まる職人町
    • [7]1859年 横浜開港に伴い2代清水喜助が横浜店を開設
    • [8]大老・井伊直弼の執りなしで開港準備を引き受け幕府諸施設と外国商館を建築
    • [9]江戸の弟子衆が横浜へ同行し古参職人は東京の得意先を他の大工へ譲渡
    • [11]開港地で外国商人という民間の施主と直接向き合う仕事が拡大
    • [12]築地ホテル館の施工
    • [13]1872年 三野村利左衛門の下命で第一国立銀行を建築
    • [14]洋行経験のないまま自前で設計し擬洋風建築として技術を示す
    • [15]第一国立銀行は三井組ハウスとも呼ばれた
    • [16]明治中期 建築の規模と構造の複雑化で棟梁の経験だけでは品質保持が困難
    • [17]1886年7月 工学士を招聘し技師長制を発足
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [10]居留地の外国商館建築を通じて煉瓦造・トラス構造など西洋建築技術を習得

渋沢栄一が営業方針に据えた「民間の建築工事」

1887年、3代店主の急逝を受けて渋沢栄一氏が相談役に就いた[18]。当時の清水店は横浜の下水道工事による多額の出費と先代の急逝が重なり、経営が傾いていた[19]。渋沢栄一氏は営業の方針を「民間の建築工事」と定め[20]、先代の甥にあたる29歳の原林之助氏を支配人に抜擢した[21]。第一国立銀行頭取だった渋沢栄一氏は、明治以降に発展した500社前後の会社の発祥に関与した人物[22]で、以後30年以上にわたって清水店の経営に関わった[23]。渋沢栄一氏が発祥に関わった会社には、第一国立銀行のほか日本興業銀行、日本郵船、王子製紙が並ぶ[24]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [18]1887年 3代店主の急逝により渋沢栄一が相談役に就任
    • [20]営業方針を「民間の建築工事」と決定
    • [23]渋沢栄一は30年以上にわたり経営に関与
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [19]横浜の下水道工事による多額の出費と先代の急逝で経営が悪化
    • [21]先代の甥にあたる29歳の原林之助を支配人に抜擢
    • [22]渋沢栄一は第一国立銀行頭取で500社前後の会社の発祥に関与
    • [24]渋沢栄一が発祥に関与した会社に第一国立銀行・日本興業銀行・日本郵船・王子製紙

原林之助氏は渋沢栄一氏の経営訓話集『論語と算盤』を教えとし[25]、金儲けを優先せず、武士道に通じる正直さと親切さ、顧客第一を掲げた[26]。手をつけたのは営業規則の制定、工事マニュアルの整備、店員教育といった人事制度の近代化[27]であった。これらの成果で営業網は全国へ広がり、経営の立て直しは早期に進んだ[28]。原林之助氏が定めた工事マニュアルや教育研修の仕組みは、その後も長い年月をかけて拡充された[29]。専属取引業者の組織化と店内改革[30]も渋沢栄一氏の指導のもとで進み、下請を含む施工の体制が整えられた。こうした改革を通じて、清水組は土木と建築の請負業として組織を整えた[31]

  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [25]原林之助は『論語と算盤』を教えとした
    • [26]金儲け優先ではなく武士道に通じる正直さと親切さ・顧客第一を掲げる
    • [27]営業規則の制定・工事マニュアルの整備・店員教育など人事制度の近代化
    • [28]人事制度の近代化により営業網が全国へ拡大し経営が早期に立て直された
    • [29]原林之助が制定した工事マニュアルと教育研修プログラムは長年かけて拡充された
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [30]専属取引業者の組織化と店内改革
    • [31]土木・建築の請負業として組織を整備

オフィス・工場・銀行・商社という民間の施主を主要な顧客に据える方針は、明治後期から大正期にかけて事業の基盤として定着した[32]。官公庁の工事に依存する同業他社とは[33]、顧客の層がここで分かれた。民間需要は官需よりも景気の振れを受けやすく[34]、同じ顧客層への集中は好況と不況で正反対の結果を出す性質を持つ。個人営業は1915年の法人化まで110年余続き[35]、その間の経営は清水同族と支配人が担った。1995年の時点でも清水建設は堅実経営と民間建築の強みで知られる業界最大手の総合建設会社[36]であり、渋沢栄一氏が定めた路線は一世紀を経て受け継がれた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [32]オフィス・工場・銀行・商社を主要顧客に据える方針が明治後期から大正期に定着
    • [33]官公庁工事に依存する同業他社と顧客層が分かれた
    • [36]1995年時点で堅実経営と民間建築に強みを持つ業界最大手の総合建設会社
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [34]建築工事は民間工事の比重が高く景気変動と民間設備投資の動向に敏感
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [35]個人営業は1804年から1915年の法人化まで110年余続いた
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [18]1887年 3代店主の急逝により渋沢栄一が相談役に就任
    • [20]営業方針を「民間の建築工事」と決定
    • [23]渋沢栄一は30年以上にわたり経営に関与
    • [30]専属取引業者の組織化と店内改革
    • [31]土木・建築の請負業として組織を整備
    • [32]オフィス・工場・銀行・商社を主要顧客に据える方針が明治後期から大正期に定着
    • [33]官公庁工事に依存する同業他社と顧客層が分かれた
    • [36]1995年時点で堅実経営と民間建築に強みを持つ業界最大手の総合建設会社
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [19]横浜の下水道工事による多額の出費と先代の急逝で経営が悪化
    • [21]先代の甥にあたる29歳の原林之助を支配人に抜擢
    • [22]渋沢栄一は第一国立銀行頭取で500社前後の会社の発祥に関与
    • [24]渋沢栄一が発祥に関与した会社に第一国立銀行・日本興業銀行・日本郵船・王子製紙
    • [25]原林之助は『論語と算盤』を教えとした
    • [26]金儲け優先ではなく武士道に通じる正直さと親切さ・顧客第一を掲げる
    • [27]営業規則の制定・工事マニュアルの整備・店員教育など人事制度の近代化
    • [28]人事制度の近代化により営業網が全国へ拡大し経営が早期に立て直された
    • [29]原林之助が制定した工事マニュアルと教育研修プログラムは長年かけて拡充された
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [34]建築工事は民間工事の比重が高く景気変動と民間設備投資の動向に敏感
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [35]個人営業は1804年から1915年の法人化まで110年余続いた

1915年〜 個人営業110年の家業が合資会社と株式会社を経て、土木を備えた総合建設業に至るまで

清水建設の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1915年 清水組を設立し会社組織に変更
  2. 1928年 東京鐵骨橋梁製作所を設立
  3. 1937年 清水組を設立
  4. 1937年 清水組を合併し全国支店網を整備
  5. 1945年 終戦後本社社屋で業務再開
  6. 1946年 研究室を新設
  7. 1948年 清水建設に商号変更

合資会社化と、1937年に一挙に敷いた全国支店網

1915年10月、清水同族は資本金100万円で合資会社清水組を設立し[37]、1804年以来110年余続いた個人営業を会社組織へ改めた[38]。受注の規模が拡大し建設機械の導入も進むなかで、個人が無限責任を背負う商いの形では事業を支えにくくなっていた[39]。明治中期には近代建設業者としての体制が固まり[40]、その延長で会社組織への変更が選ばれた。本店は東京市京橋区に置かれ[41]、以後の経営はこの地から続いた。1928年2月には本店芝浦鐵工所を分離し、合資会社東京鐵骨橋梁製作所として設立した[42]。同社はのちの日本ファブテックにあたり[43]、鉄骨と橋梁の製作を担う関連会社となった。

  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1915年10月 資本金100万円で合資会社清水組を設立
    • [38]1804年の創業以来110年余続いた個人営業を会社組織へ改組
    • [40]明治中期に近代建設業者としての体制を確立
    • [42]1928年2月 本店芝浦鐵工所を合資会社東京鐵骨橋梁製作所として設立
    • [43]東京鐵骨橋梁製作所は現在の日本ファブテック
  • 清水建設百五十年(1956)
    • [39]受注規模の拡大と建設機械の導入で個人の無限責任では支えにくくなった
    • [41]合資会社清水組の本店は東京市京橋区

1937年8月、資本金1,200万円で株式会社清水組を設立した[44]。同年11月に合資会社清水組を合併すると同時に名古屋支店・大阪支店・九州支店を開設し[45]、関東中心だった営業基盤を全国へ広げた。この合併で合資会社と株式会社の二本立ては解消された[46]。法人の統合と全国支店網の整備を同時に進めたことで、地方の工事にも自前の拠点で応じる体制が整った[47]。日中戦争の拡大に伴って軍需関連の工事が増え、1939年5月に北海道支店、1945年5月に広島支店を開いた[48]。戦時中は軍需施設の建設に動員され、技術者の多くが海外の軍需工事へ配属された[49]

  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1937年8月 資本金1,200万円で株式会社清水組を設立
    • [45]1937年11月 合資会社清水組を合併し名古屋・大阪・九州の各支店を開設
    • [46]合併により合資会社と株式会社の二本立てを解消
    • [48]1939年5月 北海道支店、1945年5月 広島支店を開設
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [47]法人統合と全国支店網整備により地方の工事に自前の拠点で対応
    • [49]戦時中の軍需施設建設への動員と技術者の海外軍需工事への配属

1945年8月15日の終戦から3日後、清水組は戦災を免れた本社社屋で業務を再開した[50]。業務を再開したときの社員数は約3,500人[51]であった。1946年には4月に仙台支店、7月に北陸支店と四国支店を相次いで開き[52]、戦後の復興需要に応じる拠点を埋め直した[53]。同年8月には建設資材などの販売会社として丸喜産業を設立し、余剰人員の受け皿とした[54]。丸喜産業は現在のミルックスにあたり[55]、建設資材の調達を担う。1947年3月には総合設備会社の第一設備工業を設立し[56]、設備工事を自前で担う体制を加えた。戦災を免れた本社社屋を残していたことが、業務再開の早さにつながった[57]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [50]1945年8月18日 戦災を免れた本社社屋で業務を再開
    • [51]業務再開時の社員数 約3,500人
    • [53]戦後復興需要に応じる支店網の再整備
    • [57]戦災を免れた本社社屋の存在が早期の業務再開を可能にした
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1946年4月 仙台支店、7月 北陸支店と四国支店を開設
    • [54]1946年8月 建設資材販売会社の丸喜産業を設立し余剰人員の受け皿とした
    • [55]丸喜産業は現在のミルックス
    • [56]1947年3月 総合設備会社の第一設備工業を設立
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1915年10月 資本金100万円で合資会社清水組を設立
    • [38]1804年の創業以来110年余続いた個人営業を会社組織へ改組
    • [40]明治中期に近代建設業者としての体制を確立
    • [42]1928年2月 本店芝浦鐵工所を合資会社東京鐵骨橋梁製作所として設立
    • [43]東京鐵骨橋梁製作所は現在の日本ファブテック
    • [44]1937年8月 資本金1,200万円で株式会社清水組を設立
    • [45]1937年11月 合資会社清水組を合併し名古屋・大阪・九州の各支店を開設
    • [46]合併により合資会社と株式会社の二本立てを解消
    • [48]1939年5月 北海道支店、1945年5月 広島支店を開設
    • [52]1946年4月 仙台支店、7月 北陸支店と四国支店を開設
    • [54]1946年8月 建設資材販売会社の丸喜産業を設立し余剰人員の受け皿とした
    • [55]丸喜産業は現在のミルックス
    • [56]1947年3月 総合設備会社の第一設備工業を設立
  • 清水建設百五十年(1956)
    • [39]受注規模の拡大と建設機械の導入で個人の無限責任では支えにくくなった
    • [41]合資会社清水組の本店は東京市京橋区
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [47]法人統合と全国支店網整備により地方の工事に自前の拠点で対応
    • [49]戦時中の軍需施設建設への動員と技術者の海外軍需工事への配属
    • [50]1945年8月18日 戦災を免れた本社社屋で業務を再開
    • [51]業務再開時の社員数 約3,500人
    • [53]戦後復興需要に応じる支店網の再整備
    • [57]戦災を免れた本社社屋の存在が早期の業務再開を可能にした

外部資本の初導入と、特許49件を抱えた研究部門

1948年2月、企業再建整備計画に基づいて社名を「清水建設株式会社」へ改めた[58]。在外資産の喪失と戦時補償の打ち切りによる損失を処理し、同年の増資で資本金を7,000万円として、清水同族以外から初めて外部資本を導入した[59]。140年余続いた個人商店の色は、資本の面から薄まった[60]。この再建を経て、清水建設は同族の枠を超えた資本構成へ移った[61]。戦後は政府発注工事の支払い遅延とインフレで資金繰りが悪化しており[62]、増資は再建の条件でもあった。余剰人員の対策と技術の蓄えを同時に進めたこの時期に、1946年2月には研究室を新設し、のちの技術研究所となった[63]

  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1948年2月 企業再建整備計画に基づき社名を清水建設株式会社へ変更
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [59]1948年の増資で資本金7,000万円とし清水同族以外から初めて外部資本を導入
    • [60]1804年の創業から140年余続いた個人商店色が資本面で希薄化
    • [61]1948年の再建で同族の枠を超えた資本構成へ移行
    • [62]戦後の政府発注工事の支払い遅延とインフレによる資金繰りの悪化
    • [63]1946年2月 研究室(のちの技術研究所)を新設

1963年の時点で研究所は約90名の研究スタッフを擁し[64]、材料・土質・構造力学・工法・機械にわたる建設技術の研究[65]にあたった。取得済みの特許32件と実用新案17件は業界で最も多く[66]、プレパクト工法、HW工法、コルクリート工法という3件の外国技術を導入していた[67]。この3件は全建設業者の導入15件の20%にあたる[68]。超高層ビルの建築工法では業界で最も早く研究に着手し、数案の実施計画をすでに完成させていた[69]。1960年の職制改革では本社スタッフとして技術室を置き[70]、研究所の成果を施工へ移す役と、施工中の工事を技術面から監査する役[71]を担わせた。

  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [64]1963年時点で研究所の研究スタッフ約90名
    • [65]研究対象は材料・土質・構造力学・工法・機械
    • [66]取得済みの特許32件・実用新案17件は業界最多
    • [67]導入した外国技術はプレパクト工法・HW工法・コルクリート工法の3件
    • [68]外国技術3件は全建設業者の導入15件の20%
    • [69]超高層ビル建築工法の研究に業界で最も早く着手し数案の実施計画を完成
    • [70]1960年の職制改革で本社スタッフとして技術室を設置
    • [71]技術室は研究成果の施工への移転と施工中工事の技術監査を担当

機械化への投資も同じ時期に厚みを増し、1961年度の機械化投資は31億円と、1956年度の5億5,000万円の約6倍に達した[72]。1963年度中には敷地4,200坪の相模原重機械プールを建設し、約250名のオペレーターの充員育成を終える計画[73]を掲げた。下請企業の機械化を指導して施工能力と精度を高める方針[74]も併せて示した。人工軽量骨材の実験も終え、強度はコンクリートと変わらず重さが30%軽い材料の実用化を控えていた[75]。清水建設は「技術を売る会社」をモットーとし[76]、発注者からの技術的な信頼が受注の前提になると考えていた[77]

  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [72]1961年度の機械化投資31億円は1956年度の5億5,000万円の約6倍
    • [73]敷地4,200坪の相模原重機械プール建設と約250名のオペレーター育成計画
    • [74]下請企業の機械化指導による施工能力と精度の向上方針
    • [75]人工軽量骨材はコンクリートと同強度で30%軽い
    • [76]「技術を売る会社」をモットーに掲げる
    • [77]発注者の技術的信頼度が高くなければ発注の決定に至らない
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1948年2月 企業再建整備計画に基づき社名を清水建設株式会社へ変更
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [59]1948年の増資で資本金7,000万円とし清水同族以外から初めて外部資本を導入
    • [60]1804年の創業から140年余続いた個人商店色が資本面で希薄化
    • [61]1948年の再建で同族の枠を超えた資本構成へ移行
    • [62]戦後の政府発注工事の支払い遅延とインフレによる資金繰りの悪化
    • [63]1946年2月 研究室(のちの技術研究所)を新設
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [64]1963年時点で研究所の研究スタッフ約90名
    • [65]研究対象は材料・土質・構造力学・工法・機械
    • [66]取得済みの特許32件・実用新案17件は業界最多
    • [67]導入した外国技術はプレパクト工法・HW工法・コルクリート工法の3件
    • [68]外国技術3件は全建設業者の導入15件の20%
    • [69]超高層ビル建築工法の研究に業界で最も早く着手し数案の実施計画を完成
    • [70]1960年の職制改革で本社スタッフとして技術室を設置
    • [71]技術室は研究成果の施工への移転と施工中工事の技術監査を担当
    • [72]1961年度の機械化投資31億円は1956年度の5億5,000万円の約6倍
    • [73]敷地4,200坪の相模原重機械プール建設と約250名のオペレーター育成計画
    • [74]下請企業の機械化指導による施工能力と精度の向上方針
    • [75]人工軽量骨材はコンクリートと同強度で30%軽い
    • [76]「技術を売る会社」をモットーに掲げる
    • [77]発注者の技術的信頼度が高くなければ発注の決定に至らない

株式公開と「計画受注」── 総合建設業への到達

清水建設は創業以来、建築を主業としてきた[78]。戦後の高度成長で加速したインフラ投資を取り込むには土木の能力が欠かせず、1954年に土木部の組織を整備拡充して子会社の新清土木を吸収合併した[79]。道路・ダム・トンネル・港湾の公共工事を受注して技術を蓄え、1960年代には総売上高の約2割を土木部門が担った[80]。1961年度の土木完成工事高117億円は業界7位にあたり[81]、民間建築の量に隠れて過小に見られがちだった土木の実力[82]を示す数字であった。土木工事は一件の規模が大きい一方で工期が長く回転率が低いため[83]、経営の継続的な安定という点では建築主体の業者が優れると吉川清一副社長は説明した[84]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [78]創業以来 建築を主業とする
    • [79]1954年 土木部組織を整備拡充し子会社の新清土木を吸収合併
    • [80]1960年代に総売上高の約2割を土木部門が担う
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [81]1961年度の土木完成工事高117億円で業界7位
    • [82]土木の実績が建築工事量の陰に隠れ過小に評価されていた
    • [83]土木は工期が長く回転率が低いため経営の継続的安定では建築主体の業者が優れる
    • [84]吉川清一副社長が建築主体の経営安定性を説明

1961年4月、資本金を30億円として東京店頭市場に株式を公開した[85]。同年10月には東京証券取引所市場第二部へ上場し、1962年2月には第一部へ移った[86]。同年10月には名古屋・大阪の両証券取引所市場第一部にも上場した[87]。株式公開で高度成長期の設備投資に応じる資金調達力が高まり、工事受注、支店網の拡充、研究開発への投資に回せる原資が増えた[88]。1961年度には業界に先がけてIBMセンターを設け、本支店の未成工事損益の計数管理を本社へ集中させた[89]。1963年は創業160周年にあたり、吉川清一副社長は配当2割2分を安定した線として堅持し、記念配当を2〜3分つけたいと述べた[90]

  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [85]1961年4月 資本金30億円で東京店頭市場に株式を公開
    • [86]1961年10月 東証第二部に上場、1962年2月 第一部へ
    • [87]1962年10月 名古屋・大阪両証券取引所市場第一部に上場
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [88]増資と公募による自己資本の充実が投資の原資となる
    • [89]1961年度に業界に先がけIBMセンターを設け未成工事損益の計数管理を本社集中
    • [90]1963年 創業160周年 吉川清一副社長が配当2割2分の堅持と記念配当2〜3分を表明

受注の基本方針は「計画受注」[91]で、1959年度から1961年度の建設ブームでは積極受注に転じ、受注量は全国平均を10%以上上回る年率41%の伸び[92]を記録した。1962年の不況では選別受注へ切り替え、1年分の受注残を抱えることでこの転換を可能にした[93]。全受注量に占める民間工事の比率は80〜85%、うち特命工事が70〜80%を占めた[94]。未成工事収支が常に入超だったのは、同業者のなかで清水建設だけ[95]であった。清水建設はさらにコンサルタント部門の新設を打ち出し[96]、土地の斡旋や資金繰り、テナント、完成後のビル経営と維持管理まで相談に応じて[97]、注文を待たずに建設投資そのものを開発する方針を掲げた[98]

  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [91]受注の基本方針は「計画受注」
    • [92]1959〜1961年度の建設ブームで受注量は全国平均を10%以上上回る年率41%増
    • [93]1962年の不況で選別受注へ転換、1年分の受注残がそれを可能にした
    • [94]民間工事の比率80〜85%、うち特命工事70〜80%
    • [95]未成工事収支が常に入超なのは同業者中で清水建設のみ
    • [96]コンサルタント部門の新設
    • [97]土地斡旋・資金繰り・テナント・ビル経営・維持管理まで相談に応じる構想
    • [98]注文を待たず建設投資を開発する方針
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [78]創業以来 建築を主業とする
    • [79]1954年 土木部組織を整備拡充し子会社の新清土木を吸収合併
    • [80]1960年代に総売上高の約2割を土木部門が担う
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [81]1961年度の土木完成工事高117億円で業界7位
    • [82]土木の実績が建築工事量の陰に隠れ過小に評価されていた
    • [83]土木は工期が長く回転率が低いため経営の継続的安定では建築主体の業者が優れる
    • [84]吉川清一副社長が建築主体の経営安定性を説明
    • [88]増資と公募による自己資本の充実が投資の原資となる
    • [89]1961年度に業界に先がけIBMセンターを設け未成工事損益の計数管理を本社集中
    • [90]1963年 創業160周年 吉川清一副社長が配当2割2分の堅持と記念配当2〜3分を表明
    • [91]受注の基本方針は「計画受注」
    • [92]1959〜1961年度の建設ブームで受注量は全国平均を10%以上上回る年率41%増
    • [93]1962年の不況で選別受注へ転換、1年分の受注残がそれを可能にした
    • [94]民間工事の比率80〜85%、うち特命工事70〜80%
    • [95]未成工事収支が常に入超なのは同業者中で清水建設のみ
    • [96]コンサルタント部門の新設
    • [97]土地斡旋・資金繰り・テナント・ビル経営・維持管理まで相談に応じる構想
    • [98]注文を待たず建設投資を開発する方針
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [85]1961年4月 資本金30億円で東京店頭市場に株式を公開
    • [86]1961年10月 東証第二部に上場、1962年2月 第一部へ
    • [87]1962年10月 名古屋・大阪両証券取引所市場第一部に上場

1966年〜 創業家の手を離れた経営が海外とEC化を経て多角化へ向かい、バブルで頂点に立つまで

清水建設の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1966年 非同族社長の就任
  2. 1966年 量産住宅用PC板製造工場を新設
  3. 1971年 不動産取引に関する業務を事業目的に追加
  4. 1973年 子会社を設立
  5. 1978年 EC化(エンジニアリング・コンストラクター化)を決定
  6. 1979年 TQCを本格導入
  7. 1991年 新長期ビジョン「SHIMZ-21」の策定 ── 多角化路線の撤回と本業回帰 「三冠王」達成の勢いで攻めを掲げた今村治輔社長は、なぜ半年余りで多角化路線の撤回に転じたか

非同族社長の登場と、石油危機後に広げた海外網

1966年9月、社長の清水康雄氏が死去し、清水同族以外から初めて吉川清一氏が社長に就任した[99]。吉川清一氏は1963年に副社長として「計画受注」と「技術を売る会社」を説いた当人[100]であった。同じ講演で吉川清一氏は、建設業が受注産業ゆえに需要の波を受けやすく、それを克服して安定的に工事量を確保できるのは「信用」以外にない[101]と述べていた。神戸の増田製粉から請け負った6基のサイロ工事では、不良な箇所が見つかったため、施主の了解のもとに1億円を超える工事を自社の費用でやり直した[102]。以後は非同族の社長が続き、専門経営者による統治が定着した[103]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [99]1966年9月 清水康雄の死去により吉川清一が非同族初の社長に就任
    • [103]非同族社長が続き専門経営者による統治が定着
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [100]吉川清一は1963年に副社長として計画受注と技術を売る会社を説いた
    • [101]建設業は受注産業ゆえ需要が不規則で安定的な工事量の確保は信用による
    • [102]神戸の増田製粉のサイロ工事6基を自社費用で1億円超かけてやり直した

1966年11月、量産住宅用PC板の製造工場として相模工場を新設し[104]、プレキャストコンクリート住宅の量産に着手した。1972年には工場を全国6か所へ増やし、年間の生産能力は1万戸に達した[105]。建設会社による工業化住宅では先行したが、住宅メーカーの攻勢でPC住宅の市場は縮み、量産住宅事業は収束した[106]。1971年5月には不動産取引に関する業務を事業目的に追加し[107]、請負の外側へ事業を伸ばす下地を作った。1973年の第一次石油危機で国内の建設需要が冷え込むと、清水建設はブラジルに現地法人を設立して海外へ本格的に進出し[108]、営業網は東南アジア・中近東・欧米など34カ国へ広がった[109]。海外での施工は1963年の時点ですでに芽があり、東パキスタンの尿素工場、チッタゴンの製鉄工場、ハワイのカイマナホテル、インドのクラッシングプラントを受注していた[110]。国内では、注文を待つのではなく自ら需要を作る「造注」の営業を並行して進めた[111]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [104]1966年11月 量産住宅用PC板製造工場として相模工場を新設
    • [105]1972年 全国6工場・年間生産能力1万戸の量産態勢
    • [106]住宅メーカーの攻勢でPC住宅市場が縮小し量産住宅事業は収束
    • [108]1973年 第一次石油危機を機にブラジル現地法人を設立し海外へ本格進出
    • [109]海外の営業網は東南アジア・中近東・欧米など34カ国
    • [111]注文を待たず自ら需要を作る「造注」の営業
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [107]1971年5月 不動産取引に関する業務を事業目的に追加
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [110]1963年時点で東パキスタンの尿素工場・チッタゴンの製鉄工場・ハワイのカイマナホテル・インドのクラッシングプラントを受注
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [99]1966年9月 清水康雄の死去により吉川清一が非同族初の社長に就任
    • [103]非同族社長が続き専門経営者による統治が定着
    • [104]1966年11月 量産住宅用PC板製造工場として相模工場を新設
    • [105]1972年 全国6工場・年間生産能力1万戸の量産態勢
    • [106]住宅メーカーの攻勢でPC住宅市場が縮小し量産住宅事業は収束
    • [108]1973年 第一次石油危機を機にブラジル現地法人を設立し海外へ本格進出
    • [109]海外の営業網は東南アジア・中近東・欧米など34カ国
    • [111]注文を待たず自ら需要を作る「造注」の営業
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [100]吉川清一は1963年に副社長として計画受注と技術を売る会社を説いた
    • [101]建設業は受注産業ゆえ需要が不規則で安定的な工事量の確保は信用による
    • [102]神戸の増田製粉のサイロ工事6基を自社費用で1億円超かけてやり直した
    • [110]1963年時点で東パキスタンの尿素工場・チッタゴンの製鉄工場・ハワイのカイマナホテル・インドのクラッシングプラントを受注
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [107]1971年5月 不動産取引に関する業務を事業目的に追加

EC化の決定と、多角化を掲げたシミズスプリング計画

1978年7月、清水建設はEC(エンジニアリング・コンストラクター)化を決定した[112]。設計と施工にとどまらず、企画から維持保全までを一括して請け負う体制へ移し[113]、請負単体では得られない付加価値を狙った。1970年代後半の建設需要は石油危機後の低迷から抜け出せず、請負の枠内で収益を伸ばす余地は狭まっていた[114]。1979年7月にはTQCを本格導入し[115]、品質管理の手法を現場から本社まで通した。1980年4月に横浜支店を開設し[116]、1982年6月にはEC化に備えて定款の事業目的を追加した[117]。定款の追加は、EC化に伴って広がる業務範囲を会社の目的として定めるもの[118]であった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [112]1978年7月 EC(エンジニアリング・コンストラクター)化を決定
    • [113]企画から維持保全までの一括請負による付加価値の獲得
    • [114]1970年代後半 石油危機後の建設需要の低迷で請負の収益余地が縮小
    • [115]1979年7月 TQCを本格導入
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [116]1980年4月 横浜支店を開設
    • [117]1982年6月 EC化に備え定款の事業目的を追加
    • [118]定款の追加はEC化に伴い広がる業務範囲を会社の目的として定めるもの

1985年5月、清水建設は10年後を見据えた事業ビジョン「シミズスプリング計画」を策定した[119]。本業以外の事業比率を当時の5%から10年間で35%まで引き上げる目標[120]を掲げ、建設周辺分野から異業種までの新規事業を開発する構想[121]であった。1985年に清水不動産、1986年4月にシミズリフォームを設立し[122]、1988年4月には機械事業部をエスシー・リース・マシーナリとして分離した[123]。シミズリフォームは現在のシミズ・ビルライフケア、エスシー・リース・マシーナリは現在のエスシー・マシーナリにあたる[124]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [119]1985年5月 10年ビジョン「シミズスプリング計画」を策定
    • [121]建設周辺分野から異業種までの新規事業を開発する構想
    • [122]1985年 清水不動産、1986年 シミズリフォームを設立
  • 日経ビジネス 1991年4月22日号「清水建設。遅まきながら関西強化 多角化修正、本業帰り」
    • [120]本業以外の事業比率を5%から10年間で35%へ高める目標
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [123]1988年4月 機械事業部をエスシー・リース・マシーナリとして分離
    • [124]シミズリフォームは現シミズ・ビルライフケア、エスシー・リース・マシーナリは現エスシー・マシーナリ

社内には創業以来の慎重さが根強く、清水建設は石橋を叩いて壊してしまうほど慎重だという評判[125]を負っていた。堅実さは品質を保証する源泉であったが、伸びる市場では機会を逃す弱み[126]にもなった。1985年、就任3年目の野村哲也社長は「堅実だけでは足りない」と認め[127]、「走りながら考えろ」を掲げて不動産開発など攻めの経営への転換を図った[128]。堅実さは財務にも表れ、1963年の時点で清水建設の固定比率は大手業者のなかで最も低い水準にあった[129]。1987年には挑戦的な風土づくりを課題に掲げ、伝統の打破を社内に説いた[130]

  • 日経ビジネス 1987年5月25日号「清水建設スタディ 伝統打破、挑戦的風土作りへ」
    • [125]石橋を叩いて壊すほど慎重と評される社風
    • [126]堅実さは品質保証の源泉である一方 成長市場では機会損失を招く
    • [127]1985年 就任3年目の野村哲也社長が「堅実だけでは足りない」と表明
    • [128]野村哲也社長が「走りながら考えろ」を掲げ不動産開発など攻めの経営へ転換
    • [130]1987年 挑戦的な風土づくりと伝統の打破を社内に説く
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [129]1963年時点で固定比率は大手業者のなかで最低水準
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [112]1978年7月 EC(エンジニアリング・コンストラクター)化を決定
    • [113]企画から維持保全までの一括請負による付加価値の獲得
    • [114]1970年代後半 石油危機後の建設需要の低迷で請負の収益余地が縮小
    • [115]1979年7月 TQCを本格導入
    • [119]1985年5月 10年ビジョン「シミズスプリング計画」を策定
    • [121]建設周辺分野から異業種までの新規事業を開発する構想
    • [122]1985年 清水不動産、1986年 シミズリフォームを設立
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [116]1980年4月 横浜支店を開設
    • [117]1982年6月 EC化に備え定款の事業目的を追加
    • [118]定款の追加はEC化に伴い広がる業務範囲を会社の目的として定めるもの
    • [123]1988年4月 機械事業部をエスシー・リース・マシーナリとして分離
    • [124]シミズリフォームは現シミズ・ビルライフケア、エスシー・リース・マシーナリは現エスシー・マシーナリ
  • 日経ビジネス 1991年4月22日号「清水建設。遅まきながら関西強化 多角化修正、本業帰り」
    • [120]本業以外の事業比率を5%から10年間で35%へ高める目標
  • 日経ビジネス 1987年5月25日号「清水建設スタディ 伝統打破、挑戦的風土作りへ」
    • [125]石橋を叩いて壊すほど慎重と評される社風
    • [126]堅実さは品質保証の源泉である一方 成長市場では機会損失を招く
    • [127]1985年 就任3年目の野村哲也社長が「堅実だけでは足りない」と表明
    • [128]野村哲也社長が「走りながら考えろ」を掲げ不動産開発など攻めの経営へ転換
    • [130]1987年 挑戦的な風土づくりと伝統の打破を社内に説く
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [129]1963年時点で固定比率は大手業者のなかで最低水準

首都圏の建設ブームが生んだ「三冠王」と本業回帰

1986年末、日米経済摩擦を受けた内需拡大策が効いて景気は一挙に好転し、首都圏を中心とする大都市地域でかつてない建設ブームが起きた[131]。民間建築を主力とする清水建設は、この需要を直接に[132]取り込んだ。1987年9月には急な資金需要に応じて総額500億円の無担保転換社債を初めて発行し[133]、当時の資本金357億円を上回る額を調達した。1987年4月には千葉支店を開設し[134]、首都圏の受注に応じる拠点を増やした。受注から完成までに平均して1年かかるため、好況期に取った工事が不況期に完成することもあり、完成工事高は景気の波と一致しない[135]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [131]1986年末 内需拡大策で景気が好転し首都圏中心にかつてない建設ブーム
    • [132]民間建築を主力とする清水建設が需要を直接取り込んだ
    • [133]1987年9月 総額500億円の無担保転換社債を初めて発行
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [134]1987年4月 千葉支店を開設
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [135]受注から完成まで平均1年かかり完成工事高は景気変動と一致しない

1990年3月期、清水建設は売上高・受注高・経常利益のすべてで業界トップに立つ「三冠王」を達成した[136]。1990年6月に社長へ就いた今村治輔[137]は、追われる立場での交代にもかかわらず「守りの意識はない。デベロッパーなどの新規分野を広げていく」と攻めの構えを語った。同月には資源エネルギー開発や環境整備、情報通信システム、医療用機械器具の販売、損害保険代理業への展開に備えて定款の事業目的を追加した[139]。だが1990年のバブル崩壊で建設需要は急速に萎縮し、売上高の2倍あった手持ち工事は1.4〜1.5倍まで減った[140][138]

  • 日経ビジネス 1990年11月12日号増刊号「新社長登場 今村治輔氏(清水建設)」
    • [136]1990年3月期 売上高・受注高・経常利益で業界トップの「三冠王」
    • [137]1990年6月 今村治輔が社長に就任
    • [138]今村治輔社長が就任時に新規分野の拡大と攻めの構えを表明
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [139]1990年6月 資源エネルギー開発・環境整備・情報通信・医療用機械器具の販売・損害保険代理業へ定款の事業目的を追加
  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
    • [140]バブル崩壊で手持ち工事は売上高の2倍から1.4〜1.5倍へ減少

1991年2月、清水建設は90年代の経営指針となる新長期ビジョン「SHIMZ-21」を策定した[141]。2000年に売上高3兆円・経常利益2000億円の達成を掲げつつ「本業はあくまでも建設」と明記し[142]、開発・エンジニアリング・海外・新規の4事業を本業を支える位置へ下げた[143]。5%から35%への多角化比率を掲げた前ビジョンからの転換[144]であった。実現の第一歩として1991年4月1日付で近畿営業本部を新設し、森井哲也氏が副社長・関西総支配人に就いた[145]。清水建設の関西地区の受注シェアは13%台にとどまり、竹中工務店の35%、大林組の32%に見劣りしていた[146]。策定の2カ月後にあたる1991年4月には、本店を東京都中央区から港区芝浦の新社屋へ移した[147]

  • 日経ビジネス 1991年4月22日号「清水建設。遅まきながら関西強化 多角化修正、本業帰り」
    • [141]1991年2月 新長期ビジョン「SHIMZ-21」を策定
    • [142]2000年に売上高3兆円・経常利益2000億円を掲げ「本業はあくまでも建設」と明記
    • [143]開発・エンジニアリング・海外・新規の4事業を本業を支える位置へ後退
    • [144]前ビジョンは多角化比率を5%から35%へ高める目標を掲げていた
    • [145]1991年4月1日 近畿営業本部を新設し森井哲也が副社長・関西総支配人に就任
    • [146]関西地区の受注シェア13%台に対し竹中工務店35%・大林組32%
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [147]1991年4月 本店を東京都中央区から港区芝浦へ移転
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [131]1986年末 内需拡大策で景気が好転し首都圏中心にかつてない建設ブーム
    • [132]民間建築を主力とする清水建設が需要を直接取り込んだ
    • [133]1987年9月 総額500億円の無担保転換社債を初めて発行
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [134]1987年4月 千葉支店を開設
    • [139]1990年6月 資源エネルギー開発・環境整備・情報通信・医療用機械器具の販売・損害保険代理業へ定款の事業目的を追加
    • [147]1991年4月 本店を東京都中央区から港区芝浦へ移転
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
    • [135]受注から完成まで平均1年かかり完成工事高は景気変動と一致しない
  • 日経ビジネス 1990年11月12日号増刊号「新社長登場 今村治輔氏(清水建設)」
    • [136]1990年3月期 売上高・受注高・経常利益で業界トップの「三冠王」
    • [137]1990年6月 今村治輔が社長に就任
    • [138]今村治輔社長が就任時に新規分野の拡大と攻めの構えを表明
  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
    • [140]バブル崩壊で手持ち工事は売上高の2倍から1.4〜1.5倍へ減少
  • 日経ビジネス 1991年4月22日号「清水建設。遅まきながら関西強化 多角化修正、本業帰り」
    • [141]1991年2月 新長期ビジョン「SHIMZ-21」を策定
    • [142]2000年に売上高3兆円・経常利益2000億円を掲げ「本業はあくまでも建設」と明記
    • [143]開発・エンジニアリング・海外・新規の4事業を本業を支える位置へ後退
    • [144]前ビジョンは多角化比率を5%から35%へ高める目標を掲げていた
    • [145]1991年4月1日 近畿営業本部を新設し森井哲也が副社長・関西総支配人に就任
    • [146]関西地区の受注シェア13%台に対し竹中工務店35%・大林組32%

1992年〜 二度の赤字決算を挟んで本業の採算に立ち返り、非建設の柱を買い足すまで

清水建設の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1992年 東京支店・土木東京支店開設
  2. 2000年 定款の事業目的を追加
  3. 2000年 清水総合開発を設立
  4. 2006年 定款の事業目的を追加
  5. 2010年 初の連結純損失を計上
  6. 2022年 日本道路を株式公開買付けにより子会社化
  7. 2024年 初の連結営業損失を計上

省力化に投じた500億円と、二期連続1,850億円の赤字

受注が細るなかでも清水建設は建設の作り方そのものを変える投資を続け、1989年から累計約500億円を省力化に投じて[148]、鉄骨溶接ロボットで省力化率40%、コンクリート自動圧送で15%を達成した[149]今村治輔社長は「建設のシステム化を物質まで推し進め、省力化・工期半減を実現する」と語り[150]、工場で部材を作り現場で組み立てる方式をオフィスビルからマンション・流通施設へ広げた[151]。当時の技能労働者の年間賃金は約500万円で製造業を100万円下回り[152]、建設業への若年層の流入が細る懸念が業界に広がっていた。清水建設は年間600万円への引き上げを目標に掲げ[153]、省力化による原価低減を賃上げの原資に充てる構想を描いた。

  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
    • [148]1989年から累計約500億円を省力化投資に投入
    • [149]鉄骨溶接ロボットの省力化率40%、コンクリート自動圧送15%
    • [150]今村治輔社長が建設のシステム化と工期半減を表明
    • [151]工場製作・現場組立の方式をオフィスビルからマンション・流通施設へ拡大
    • [152]技能労働者の年間賃金 約500万円で製造業を100万円下回る
    • [153]技能労働者の年間賃金600万円への引き上げ目標

受注低迷が長引くなかで、今村治輔社長は単体で受注高の5%、連結で7%の利益率を目安に据え[154]、それに見合う経費削減を進めると説明した。1993年度は約300億円を削り[155]、人事制度の見直しや手当の廃止、中期経営計画の凍結によって1994年度も250億〜300億円の削減を計画した[156]。1993年9月には、茨城県知事への贈賄の疑いで日本建設業団体連合会会長だった吉野照蔵・清水建設会長が逮捕され[157]、のちに辞任した。日建連会長は鹿島・大成建設・清水建設の持ち回りポストであったが、この年のゼネコン汚職で慣行が崩れた[158]

  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
    • [154]今村治輔社長は単体で受注高の5%・連結で7%の利益率を目安に据えた
    • [155]1993年度 約300億円、1994年度 250億〜300億円の経費削減
    • [156]人事制度の見直し・手当の廃止・中期経営計画の凍結による削減
  • 週刊東洋経済 1999年2月13日号「清水建設社長交代に絡む日建連人事」
    • [157]1993年9月 吉野照蔵・清水建設会長(日建連会長)が茨城県知事への贈賄容疑で逮捕、のち辞任
    • [158]日建連会長は鹿島・大成建設・清水建設の持ち回りポストだった

1998年、清水建設は1999年3月期に1,500億円の特別損失を計上して不良資産を一括処理する[159]と発表した。内訳は不動産在庫の処分損850億円、関連会社の整理・再編に伴う損失500億円、早期退職者向けの割増退職金と特別加算金150億円[160]である。二期連続の赤字は合計1,850億円に達し[161]、創業以来ためこんできた剰余金の9割近くが穴埋めに使われた[162]。記者会見で近藤一彦専務は「次世代に負の遺産を押し付けることは断じて許されない」と述べた[163]。1991年3月期から1999年3月期までの累計損失処理額は5,000億円で[164]、4年間に4,600億円近く増えた有利子負債[165]の見合い資産が、そのまま焦げ付いた計算になる。1999年4月、野村哲也副社長が社長へ昇格し、今村治輔社長は代表権を持つ会長となった[166]

  • 週刊東洋経済 1998年4月18日号「ゼネコン 赤字ラッシュで再編第二幕に」
    • [159]1999年3月期に1,500億円の特別損失を計上し不良資産を一括処理
    • [160]特損の内訳 不動産在庫処分損850億円・関連会社整理再編500億円・割増退職金と特別加算金150億円
    • [161]二期連続の赤字額は合計1,850億円
    • [162]1804年の創業以来の剰余金の9割近くが損失の穴埋めに充当
    • [163]近藤一彦専務の発言(次世代に負の遺産を押し付けない)
    • [164]1991年3月期から1999年3月期までの累計損失処理額5,000億円
    • [165]有利子負債は1990年3月末からピークまでの4年間に4,600億円近く増加
  • 週刊東洋経済 1999年2月13日号「清水建設社長交代に絡む日建連人事」
    • [166]1999年4月 野村哲也副社長が社長へ昇格、今村治輔は代表権のある会長へ
  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
    • [148]1989年から累計約500億円を省力化投資に投入
    • [149]鉄骨溶接ロボットの省力化率40%、コンクリート自動圧送15%
    • [150]今村治輔社長が建設のシステム化と工期半減を表明
    • [151]工場製作・現場組立の方式をオフィスビルからマンション・流通施設へ拡大
    • [152]技能労働者の年間賃金 約500万円で製造業を100万円下回る
    • [153]技能労働者の年間賃金600万円への引き上げ目標
    • [154]今村治輔社長は単体で受注高の5%・連結で7%の利益率を目安に据えた
    • [155]1993年度 約300億円、1994年度 250億〜300億円の経費削減
    • [156]人事制度の見直し・手当の廃止・中期経営計画の凍結による削減
  • 週刊東洋経済 1999年2月13日号「清水建設社長交代に絡む日建連人事」
    • [157]1993年9月 吉野照蔵・清水建設会長(日建連会長)が茨城県知事への贈賄容疑で逮捕、のち辞任
    • [158]日建連会長は鹿島・大成建設・清水建設の持ち回りポストだった
    • [166]1999年4月 野村哲也副社長が社長へ昇格、今村治輔は代表権のある会長へ
  • 週刊東洋経済 1998年4月18日号「ゼネコン 赤字ラッシュで再編第二幕に」
    • [159]1999年3月期に1,500億円の特別損失を計上し不良資産を一括処理
    • [160]特損の内訳 不動産在庫処分損850億円・関連会社整理再編500億円・割増退職金と特別加算金150億円
    • [161]二期連続の赤字額は合計1,850億円
    • [162]1804年の創業以来の剰余金の9割近くが損失の穴埋めに充当
    • [163]近藤一彦専務の発言(次世代に負の遺産を押し付けない)
    • [164]1991年3月期から1999年3月期までの累計損失処理額5,000億円
    • [165]有利子負債は1990年3月末からピークまでの4年間に4,600億円近く増加

品質事故からの原点回帰と、初の連結純損失

2000年代のゼネコンは、脱談合で公共事業が細るなかで民間建築へ流れ込んだ[167]。マンションのような工事では超高層を除いて技術に大差がつかず、受注競争は価格の切り下げと工期短縮に収れんした[168]。2007年11月、清水建設などのJVが施工する千葉県市川市の45階建て超高層マンションで鉄筋の強度不足が発覚した[169]。東京駅へ17分の物件で407戸はすでに完売しており、事業主3社は購入者への説明会を開いた[170]。清水建設と工事監理者を含む複数のスタッフが検査する体制を敷きながら、問題のフロアが検査の対象から外れていたため[171]、すべての過程を通過した。

  • 週刊東洋経済 2008年1月19日号「特集 ゼネコン「現場破壊」 安値受注の末路」
    • [167]脱談合で公共事業が縮小しゼネコンが民間建築へ流入
    • [168]マンション工事は超高層を除き技術差が小さく競争が価格と工期に収れん
    • [169]2007年11月 千葉県市川市の45階建て超高層マンションで鉄筋の強度不足が発覚
    • [170]407戸が完売済みで事業主3社が購入者説明会を開催
    • [171]問題のフロアが検査対象から外れ全工程を通過

2007年6月に社長へ就いた宮本洋一氏は「チーム力の再生には現場力や人間力の強化が必要」と述べ[172]、2008年1月に社長直属の全社横断組織「ものづくり強化委員会」を発足させた[173]。同委員会は横浜支店の有志を編集スタッフに起用し[174]、自動車学校の教則本のような絵解きの冊子「シミズスタートガイド」を作った[175]。2010年1月末に最終版を発行し、全社員へ配付した[176]。清水建設は渋沢栄一氏の『論語と算盤』を人間尊重の経営理念の上位概念に据えており[177]、この冊子はその系譜に連なる自己研鑽の道具であった。従業員1万人超の企業でありながら、eラーニングや社長訓話のDVDまで含めて研修の内容は細かく設計されていた[178]

  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [172]2007年6月 宮本洋一が社長に就任し現場力・人間力の強化を掲げた
    • [173]2008年1月 社長直属の全社横断組織「ものづくり強化委員会」を発足
    • [174]横浜支店の有志が編集スタッフとなり冊子を作成
    • [175]絵解きの冊子「シミズスタートガイド」
    • [176]2010年1月末 最終版を発行し全社員へ配付
    • [177]『論語と算盤』を人間尊重の経営理念の上位概念に据える
    • [178]従業員1万人超でeラーニング・社長訓話DVDまで研修が制度設計されている

2010年3月期、清水建設は創業以来初の連結純損失68億5,000万円を計上した[179]。世界的な金融危機で民間の設備投資が急に縮み、国内の建設市場も不動産不況と製造業の海外移転、公共事業の圧縮で縮小へ向かっていた[180]。連結営業利益はFY12(2013年3月期)に131億円まで落ち[181]、FY05(2006年3月期)の544億円の4分の1を割り込んだ[182]。2010年3月期の受注高は前期を下回り[183]、2011年3月期も減収減益が避けられない状況にあった。この間も拠点の整備は続き、2009年4月に国際支店を開設し[184]、2012年8月には本店を東京都港区から中央区へ移した[185]

  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [179]2010年3月期 創業以来初の連結純損失68億5,000万円
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [180]不動産不況・製造業の海外移転・公共事業圧縮で国内建設市場が縮小
    • [183]2010年3月期の受注高は前期を下回り2011年3月期も減収減益の見通し
  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [181]FY12(2013年3月期)の連結営業利益131億円
    • [182]FY05(2006年3月期)の連結営業利益544億円
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [184]2009年4月 国際支店を開設
    • [185]2012年8月 本店を東京都港区から中央区へ移転
  • 週刊東洋経済 2008年1月19日号「特集 ゼネコン「現場破壊」 安値受注の末路」
    • [167]脱談合で公共事業が縮小しゼネコンが民間建築へ流入
    • [168]マンション工事は超高層を除き技術差が小さく競争が価格と工期に収れん
    • [169]2007年11月 千葉県市川市の45階建て超高層マンションで鉄筋の強度不足が発覚
    • [170]407戸が完売済みで事業主3社が購入者説明会を開催
    • [171]問題のフロアが検査対象から外れ全工程を通過
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
    • [172]2007年6月 宮本洋一が社長に就任し現場力・人間力の強化を掲げた
    • [173]2008年1月 社長直属の全社横断組織「ものづくり強化委員会」を発足
    • [174]横浜支店の有志が編集スタッフとなり冊子を作成
    • [175]絵解きの冊子「シミズスタートガイド」
    • [176]2010年1月末 最終版を発行し全社員へ配付
    • [177]『論語と算盤』を人間尊重の経営理念の上位概念に据える
    • [178]従業員1万人超でeラーニング・社長訓話DVDまで研修が制度設計されている
    • [180]不動産不況・製造業の海外移転・公共事業圧縮で国内建設市場が縮小
    • [183]2010年3月期の受注高は前期を下回り2011年3月期も減収減益の見通し
  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [179]2010年3月期 創業以来初の連結純損失68億5,000万円
  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [181]FY12(2013年3月期)の連結営業利益131億円
    • [182]FY05(2006年3月期)の連結営業利益544億円
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [184]2009年4月 国際支店を開設
    • [185]2012年8月 本店を東京都港区から中央区へ移転

過去最高益、上場来初の営業赤字、そして買う成長

建設投資の回復は想定より早く、FY14(2015年3月期)に連結営業利益500億円へ戻した[186]。FY16(2017年3月期)には売上高1兆5,674億円に対して[187]営業利益1,288億円、営業利益率8.2%を記録した[188]。2016年4月に社長へ就いた井上和幸[189]は、前期に営業利益率が5%を超えたことについて「製造業で言えば、ある意味最低限のレベル。ようやく普通の会社になれた」と述べた。FY19(2020年3月期)には単体の建設事業セグメントの利益が1,451億円に達し[191]、連結営業利益は1,339億円と過去最高になった[192]。2020年3月には北米事業の統括法人としてシミズ・アメリカ社を設立した[193][190]

  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [186]FY14(2015年3月期)の連結営業利益500億円
    • [188]FY16 営業利益1,288億円・営業利益率8.2%
    • [192]FY19 連結営業利益1,339億円で過去最高
  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [187]FY16(2017年3月期)の売上高1兆5,674億円
  • 週刊東洋経済 2016年7月30日号「TOP INTERVIEW 清水建設 社長 井上和幸」
    • [189]2016年4月 井上和幸が社長に就任
    • [190]井上和幸社長の発言(営業利益率5%超で「ようやく普通の会社になれた」)
  • 清水建設 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [191]FY19(2020年3月期)単体の建設事業セグメントの利益1,451億円
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [193]2020年3月 北米事業の統括法人シミズ・アメリカ社を設立

2022年3月、清水建設は道路舗装大手の日本道路を株式公開買付けにより連結子会社化した[194]。日本道路の前身は1929年設立の日本ビチュマルス鋪装工業[195]で、清水建設は1954年の増資引き受けで約25%の株式を取得して以来[196]、持株比率を変えずに関連会社として連携してきた。持株比率は25%弱から50%超へ上がり[197]、2023年3月期には道路舗装事業として売上高1,407億円が連結に加わった[198]。同じ2022年10月には自社建造のSEP船「BLUE WIND」が完成した[199]。クレーン最大揚重能力2,500トン・最高揚重高さ158メートルは国内最大級[200]で、建造に約500億円を投じた[201]。2023年9月には、手狭になった越中島の技術研究所に代わる拠点として潮見に「温故創新の森NOVARE」を開き、渋沢栄一氏の旧邸宅を移築・復元した。2026年1月には海洋土木のあおみ建設を約250億円で買収し[202]、土木事業を補った。

  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [194]2022年3月 日本道路を株式公開買付けにより連結子会社化
  • 週刊東洋経済 2022年9月10日号「清水建設、「堅実経営」のはずが… 拡大戦略の「2つのリスク」」
    • [195]日本道路の前身は1929年設立の日本ビチュマルス鋪装工業
    • [196]1954年の増資引き受けで約25%の株式を取得し関連会社として連携
    • [197]日本道路の持株比率が25%弱から50%超へ上昇
    • [201]SEP船の建造費 約500億円
  • 清水建設 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [198]FY22(2023年3月期)道路舗装事業の売上高1,407億円
  • 清水建設 決算説明会資料(2023年3月期)
    • [199]2022年10月 自社建造のSEP船「BLUE WIND」が完成
    • [200]SEP船はクレーン最大揚重能力2,500トン・最高揚重高さ158メートルで国内最大級
  • 日本経済新聞「清水建設、あおみ建設を250億円で買収 海洋土木を強化」(2026年1月29日)
    • [202]2026年1月 海洋土木のあおみ建設を約250億円で買収

FY23(2024年3月期)、清水建設は上場来初の連結営業損失247億円を計上した[203]。売上高2兆55億円は過去最高だった[204]が、複数の建築工事で受注時の採算が悪化し、資材価格と労務費の高騰、工期の逼迫に伴う急施工の原価増が重なった[205]。工事損失引当金の計上で国内建築の完成工事損益率は▲2.9%に沈み[206]、民間工事ではスライド条項が置かれない案件で資材の上昇分を清水建設が自ら負担した。創業から220年を経た清水建設にとって、初めての営業赤字[207]であった。2025年2月に社長へ就いた新村達也[208]は、品質事故を受けて建設業での原点回帰を掲げた[209]。手持ちの不採算工事が消化されるにつれ採算は戻り、連結営業利益はFY24に710億円、FY25(2026年3月期)に1,187億円まで回復した[210]。工事損失引当金は2026年3月期第3四半期末で708億円が残り、国内建築については2026年度末にほぼ解消する見込み[211]が示された。

  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [203]FY23(2024年3月期)上場来初の連結営業損失247億円
    • [210]FY24 連結営業利益710億円、FY25(2026年3月期)1,187億円
  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [204]FY23の売上高2兆55億円は過去最高
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2024年3月期・2024年5月13日)
    • [205]受注時採算の悪化・資材価格と労務費の高騰・急施工の原価増が重なった
  • 清水建設 決算説明会資料(2024年3月期)
    • [206]FY23 国内建築の完成工事損益率▲2.9%
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [207]1804年の創業から220年を経ての初の営業赤字
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2025年3月期・2025年5月15日)
    • [208]2025年2月 新村達也が社長に就任
    • [209]新村達也社長が品質事故を受けて本業での原点回帰を掲げた
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2026年3月期第3四半期・2026年2月10日)
    • [211]2026年3月期第3四半期末の単体工事損失引当金残高708億円、国内建築は2026年度末にほぼ解消の見込み
  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [186]FY14(2015年3月期)の連結営業利益500億円
    • [188]FY16 営業利益1,288億円・営業利益率8.2%
    • [192]FY19 連結営業利益1,339億円で過去最高
    • [203]FY23(2024年3月期)上場来初の連結営業損失247億円
    • [210]FY24 連結営業利益710億円、FY25(2026年3月期)1,187億円
  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
    • [187]FY16(2017年3月期)の売上高1兆5,674億円
    • [204]FY23の売上高2兆55億円は過去最高
  • 週刊東洋経済 2016年7月30日号「TOP INTERVIEW 清水建設 社長 井上和幸」
    • [189]2016年4月 井上和幸が社長に就任
    • [190]井上和幸社長の発言(営業利益率5%超で「ようやく普通の会社になれた」)
  • 清水建設 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [191]FY19(2020年3月期)単体の建設事業セグメントの利益1,451億円
    • [198]FY22(2023年3月期)道路舗装事業の売上高1,407億円
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
    • [193]2020年3月 北米事業の統括法人シミズ・アメリカ社を設立
    • [194]2022年3月 日本道路を株式公開買付けにより連結子会社化
    • [207]1804年の創業から220年を経ての初の営業赤字
  • 週刊東洋経済 2022年9月10日号「清水建設、「堅実経営」のはずが… 拡大戦略の「2つのリスク」」
    • [195]日本道路の前身は1929年設立の日本ビチュマルス鋪装工業
    • [196]1954年の増資引き受けで約25%の株式を取得し関連会社として連携
    • [197]日本道路の持株比率が25%弱から50%超へ上昇
    • [201]SEP船の建造費 約500億円
  • 清水建設 決算説明会資料(2023年3月期)
    • [199]2022年10月 自社建造のSEP船「BLUE WIND」が完成
    • [200]SEP船はクレーン最大揚重能力2,500トン・最高揚重高さ158メートルで国内最大級
  • 日本経済新聞「清水建設、あおみ建設を250億円で買収 海洋土木を強化」(2026年1月29日)
    • [202]2026年1月 海洋土木のあおみ建設を約250億円で買収
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2024年3月期・2024年5月13日)
    • [205]受注時採算の悪化・資材価格と労務費の高騰・急施工の原価増が重なった
  • 清水建設 決算説明会資料(2024年3月期)
    • [206]FY23 国内建築の完成工事損益率▲2.9%
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2025年3月期・2025年5月15日)
    • [208]2025年2月 新村達也が社長に就任
    • [209]新村達也社長が品質事故を受けて本業での原点回帰を掲げた
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2026年3月期第3四半期・2026年2月10日)
    • [211]2026年3月期第3四半期末の単体工事損失引当金残高708億円、国内建築は2026年度末にほぼ解消の見込み

清水建設の沿革1804〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
清水建設創業——神田鍛冶町の絵草紙屋裏店から渋沢栄一氏の「民間の建築工事」へ江戸後期の町家・商家の建築需要に、越中富山を出た22歳の宮大工・清水喜助氏は銀三分の元手でどう挑んだか 詳細を読む★★★
技師長制を発足し設計・施工一貫態勢を整備
渋沢栄一を相談役に迎え民間建築方針を確定★★
清水組を設立し会社組織に変更
東京鐵骨橋梁製作所を設立
清水組を設立
清水組を合併し全国支店網を整備
終戦後本社社屋で業務再開
研究室を新設
清水建設に商号変更
土木部門を強化
株式を東京店頭市場に公開
東京証券取引所市場第一部に上場
非同族社長の就任★★
量産住宅用PC板製造工場を新設
不動産取引に関する業務を事業目的に追加
子会社を設立
EC化(エンジニアリング・コンストラクター化)を決定★★
TQCを本格導入
EC化に備えるため定款の事業目的を追加
10年ビジョン「シミズスプリング計画」を策定
シミズリフォームを設立
初の無担保転換社債500億円を発行
今村治輔業界トップの業績を回復
今村治輔定款の事業目的を追加
今村治輔新長期ビジョン「SHIMZ-21」の策定 ── 多角化路線の撤回と本業回帰「三冠王」達成の勢いで攻めを掲げた今村治輔社長は、なぜ半年余りで多角化路線の撤回に転じたか 詳細を読む★★★
今村治輔本店を移転
今村治輔東京支店・土木東京支店開設
野村哲也定款の事業目的を追加
野村哲也清水総合開発を設立
野村哲也定款の事業目的を追加
宮本洋一国際支店開設
宮本洋一初の連結純損失を計上★★
宮本洋一本社を移転
宮本洋一定款の事業目的を追加
井上和幸日本道路を株式公開買付けにより子会社化★★
井上和幸SEP船「BLUE WIND」完成
新村達也初の連結営業損失を計上★★
新村達也新村達也が第10代社長に就任
出典・参考
  • 清水建設百五十年(1956)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「ものすごい社員教育 第2回 清水建設 社内版「論語と算盤」作成」
  • 証券アナリストジャーナル 1963年1巻1号「建設業界の見通しと清水建設」
  • 清水建設 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1991年4月22日号「清水建設。遅まきながら関西強化 多角化修正、本業帰り」
  • 日経ビジネス 1987年5月25日号「清水建設スタディ 伝統打破、挑戦的風土作りへ」
  • 日経ビジネス 1990年11月12日号増刊号「新社長登場 今村治輔氏(清水建設)」
  • 日経ビジネス 1992年2月10日号「編集長インタビュー 今村治輔氏[清水建設社長]」
  • 週刊東洋経済 1999年2月13日号「清水建設社長交代に絡む日建連人事」
  • 週刊東洋経済 1998年4月18日号「ゼネコン 赤字ラッシュで再編第二幕に」
  • 週刊東洋経済 2008年1月19日号「特集 ゼネコン「現場破壊」 安値受注の末路」
  • 清水建設 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】
  • 清水建設 有価証券報告書(連結損益計算書)
  • 週刊東洋経済 2016年7月30日号「TOP INTERVIEW 清水建設 社長 井上和幸」
  • 清水建設 有価証券報告書(セグメント情報)
  • 週刊東洋経済 2022年9月10日号「清水建設、「堅実経営」のはずが… 拡大戦略の「2つのリスク」」
  • 清水建設 決算説明会資料(2023年3月期)
  • 日本経済新聞「清水建設、あおみ建設を250億円で買収 海洋土木を強化」(2026年1月29日)
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2024年3月期・2024年5月13日)
  • 清水建設 決算説明会資料(2024年3月期)
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2025年3月期・2025年5月15日)
  • 清水建設 決算説明会 主な質疑応答(2026年3月期第3四半期・2026年2月10日)

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