1873年10月、大倉喜八郎氏は資本金15万円で大倉組商会を設け、東京・京橋区銀座三丁目に事務所を置いた。出資者には大倉喜八郎氏のほか旧藩主の溝口家と津軽家が加わり、頭取には大倉喜八郎氏自身が就任した。大倉喜八郎氏は戊辰戦争のころ銃砲の商いで財力を蓄えた。廃藩置県の後は銃砲の時代が終わったとみて、外国貿易への転換を構想していた。1872年4月から19カ月の欧米視察では、日本の貿易額の9割5、6分を外国商館が握る実情を踏まえて各国の商工業を見て回った。商会は翌1874年にロンドン支店を開設して輸出入を主業としつつ、政府の用命による工事の請負も兼ねた。新橋停車場の倉庫と乗降場の工事を1872年9月に完成させた経験が、請負を事業に組み入れる下地になったのだろう。
1874年の台湾出兵で、大倉組商会は陸軍の輜重と糧食、人夫の供給を一手に引き受けた。政府は先に東京の三井組と長崎の永見伝三郎氏に打診し、両者とも外地の仕事を理由に辞退していた。大倉喜八郎氏は職工や人夫など500名の一隊を組んで渡台し、風土病で人夫128人を失いながら12月の凱旋まで任を果たした。1877年の西南戦争でも商会は陸軍の御用達を命じられ、九州の戦地で輜重の用に当たった。翌1878年3月には、大久保利通氏の指示で仙台に置く集治監の建築を用命され、工費16万円で1879年8月に落成させた。他社が避けた戦地の用達を完遂した実績が、官の工事を特命で受ける信用の元手になったとみられる。
1883年7月、大倉喜八郎氏が堀川利尚氏と共同出資で設けた土木用達組が、東京・内山下町一丁目の鹿鳴館を完成させた。外務卿の井上馨氏が条約改正を有利に運ぶ欧化政策の一環として、外国使臣との社交の場を求めた建物だった。設計は英国人ジョサイア・コンドル氏で、1881年1月に着工し、煉瓦造り2階建て・建坪410坪を総工費14万円で仕上げた。これに先立つ1878年8月、大倉喜八郎氏は渋沢栄一氏らと東京商法会議所を設立し、外国貿易の委員に就任していた。同年には渋沢栄一氏と折半で出資し、資本金5万円の銀行を釜山に開いている。財界と政府の双方に築いた人脈が、国の迎賓施設を民間の請負に託させた要因とみてよい。
1885年6月、大倉組商会は大阪の藤田組と協同で、長さ130間余の大阪・天神橋の工事に着手した。大倉喜八郎氏と藤田伝三郎氏は大阪紡績の設立を機に親交を深め、元請と下請ではなく工事ごとに資金と人員を一体で出していた。1886年3月には琵琶湖疏水、同年12月には佐世保の軍港工事を、両社の協同で相次いで起工した。佐世保では海軍が両組に見積書を出させたうえ、工事の規模と工期の短さを理由に協同での請負を強く求めた。請負金額は約25万円に達し、この工事が両組の合同を促す直接のきっかけとなった。一件ごとの協同を重ねた実績が、単一の会社にまとめる判断の土台になったと推察される。
1887年3月17日、有限責任日本土木会社が東京府知事の設立認可を得た。創立委員長は渋沢栄一氏、社長には大倉喜八郎氏が就任し、藤田伝三郎氏と渋沢栄一氏が取締役に名を連ねた。資本金200万円は発起人が全額を引き受け、同年の政府財政支出7,945万円と比べても大きな規模だった。直接の契機は、軍港を広げる海軍と、日比谷の官庁街建設を計画した臨時建築局が、有力な請負会社の出現を求めたことにある。大倉喜八郎氏は技術の改良を経営の要と位置づけ、土木18名・建築7名の技術者を破格の待遇で迎えた。1890年4月には、現場の規律を定めた工事心得書も設けた。官の大型工事を設計から一括で受ける態勢を、資本と技術の両面で先に備える狙いだったのだろう。
日本土木会社は6年足らずの存続期間に、主なものだけで105件の工事を施工した。建築では、大倉組商会が1884年に着工した皇居の奥宮殿を引き継ぎ、1887年に完成させた。1889年11月には東京・木挽町の歌舞伎座を、1890年3月には日本初の純洋風ホテルである帝国ホテルを完工した。土木では、琵琶湖疏水を1890年2月に完成させ、設計から施工まで外国人技師に依存しない初の大工事とした。東京湾の澪筋浚渫では英国から浚渫船を輸入し、請負金44万5,646円の工事を1888年1月から1890年3月まで手がけた。技術者を自前で抱えた点が、前例の乏しい工事を相次ぎ受注する差別化要因になったと思われる。
1892年11月、大倉喜八郎氏は株主総会の同意を得て全社員を集め、設立から5年8カ月目の日本土木会社の解散を宣言した。背景には、1889年2月に公布された会計法が、国の工事契約を原則として一般競争によると定めたことがある。日本土木会社は、官庁や陸海軍の工事を特命の見積もりで受ける前提で発足していた。1890年4月の施行後は、組織の維持費が軽い小規模業者との入札競争にさらされた。大倉喜八郎氏は請負件数の減少で株主に損失が及ぶことを避け、残工事と清算を引き継いで個人の責任で事業を続ける方針を示した。大組織の固定費が入札制度の下で競争劣位に転じると、首脳部が早い段階で見切ったのだろう。
1893年6月、大倉喜八郎氏は個人経営の大倉土木組を設け、日本土木会社の残工事と清算を引き継いだ。組名は大倉組商会と日本土木会社の名を組み合わせたもので、鹿鳴館を施工した土木用達組もこのとき吸収した。同年11月には大倉系事業の中核として合名会社大倉組を設立し、大倉喜八郎氏は頭取として事業全体の統括に就任した。1894年4月、大倉土木組の経営は、帝国大学工科大学を出て日本土木会社に入った女婿の大倉粂馬氏に委ねられた。社員は1894年4月の45名から1897年末に161名へ増え、請負実績は1898年に371万6,000円へ拡大した。日清戦争後に陸軍は7個師団を1900年までに13個師団へ増やし、各地で兵営工事を発注した。増員の多くは、この軍備拡張の工事量に応じたものとみられる。
1902年7月、大倉喜八郎氏は資本金35万円の釜山埋築株式会社を設けて社長に就任し、釜山港の埋め立てを大倉土木組に請け負わせた。埋め立ては1908年8月までに4万1,300坪に達し、請負金額は67万8,000円に上った。1902年8月からは京釜鉄道の建設にも加わり、工費33万2,000円の第9工区などを施工した。1904年2月に日露戦争が始まると平常の業務を止め、陸軍の委託で京義線などの軍用鉄道を工区ごとに受注した。白馬山隧道では請負金額13万9,000円の工事を1906年11月に仕上げた。戦後は1906年に奉天、1908年に大連へ出張所を開設し、南満洲鉄道の工事を現地で受注できるようにした。
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| 1873〜1908年大倉喜八郎氏の大倉組商会と、有限責任日本土木会社から大倉土木組へ | 大倉喜八郎氏による創業と、業界初となる「建設」の社名採用 1873年10月、大倉喜八郎氏は東京府第一大区日本橋通三丁目に資本金15万円で大倉組商会を創立し、機械・武器・洋酒・洋服の直輸入貿易と、明治政府の命による建設工事の請負を事業の両輪に据えた。土木部門は1887年に有限責任日本土木会社、1917年に株式会社大倉土木組として法人化と個人経営を往復し、1946年1月にGHQの財閥解体を受けて創業者の戒名に由来する"大成建設株式会社"へ改称した。業界で初めて"建設"を社名に冠した会社であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 有限責任日本土木会社を設立 | ★ | |||
| 大倉土木組に事業継承 | ★ | |||
| 1909〜1945年鉄筋コンクリート工法の導入、大倉土木の独立と日本初の地下鉄工事、戦時 | 鉄筋コンクリート工法を導入 | ★ | ||
| 大倉土木組として独立し名実ともに誕生 | ★ | |||
| 日本土木に商号変更 | ★ | |||
| 大倉土木に商号変更 | ★ | |||
| 日本初の地下鉄工事(上野〜浅草)を完工 | ★ | |||
| 1946〜1972年大成建設への改称と同族支配の解消、業界初の株式公開と高度成長の本部制 | 財閥解体を経ての社名一新と、社員の会社としての再建 1946年、大倉財閥の解体を受けて、大倉土木を母体とする建設会社が"大成建設株式会社"へ社名を変更し、大倉家が保有していた全株式を役員・従業員が譲り受けた資本政策。同族支配を資本と経営の両面で解消し、"社員の会社"として戦後の再建体制を構築した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 役員・従業員が全株式を譲り受け同族支配を解消 | ★★ | |||
| 有楽土地を設立 | ★ | |||
| 加藤一衛 | 建設業界初の株式公開 | ★★ | ||
| 加藤一衛 | 東京証券取引所に上場 | ★ | ||
| 加藤一衛 | 戦後初の海外建築工事(ホテル・インドネシア)に着手 | ★ | ||
| 加藤一衛 | 大阪・名古屋両証券取引所に上場 | ★ | ||
| 水嶋篤次 | 大成道路を設立 | ★ | ||
| 本間嘉平 | 大成プレハブを設立 | ★ | ||
| 本間嘉平 | 創業家個人による支配から、複数の役員による合議で決める体制への切り替え 戦後に大倉家の同族支配を解消した大成建設が、経営方針を常務会に諮り社長は議長に徹する合議経営を制度化し、1965年1月に本部制(営業・事務・建築・土木)を導入して分権体制を構築した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 本間嘉平 | 村上建設を吸収合併 | ★ | ||
| 南幸治 | 住宅・不動産業務を事業目的に追加 | ★ | ||
| 南幸治 | 大成道路が東京証券取引所1部に上場 | ★ | ||
| 南幸治 | 大成プレハブが本店を品川区に移転 | ★ | ||
| 南幸治 | 大成プレハブが東京証券取引所2部に上場 | ★ | ||
| 1973〜2008年石油危機後の住宅・不動産への展開と「造注」体制、バブルとその崩壊 | 南幸治 | 有楽土地が東京証券取引所2部に上場 | ★ | |
| 佐古一 | 本社を新宿区に移転 | ★ | ||
| 里見泰男 | 事業目的の変更・追加 | ★ | ||
| 里見泰男 | 支店へ委ねた権限の本社への引き戻しと、受注待ちの請負体質を改める組織の組み替え 大成建設が1970年代後半から1980年代にかけて、分権主義を土台にしたグループ経営の軌道修正と、設計部門を営業に組み込む"造注"路線への機構改革を重ねた一連の経営判断。戦後いち早く同族経営を脱した独自路線を、低成長と市場の成熟に合わせて作り替える試みであった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 里見泰男 | 大成プレハブが東京証券取引所1部に上場 | ★ | ||
| 里見泰男 | 大成道路が大成ロテックに商号変更 | ★ | ||
| 葉山莞児 | 大成プレハブが大成ユーレックに商号変更 | ★ | ||
| 葉山莞児 | 大成ユーレックを完全子会社化 | ★ | ||
| 山内隆司 | 有楽土地が東京証券取引所1部に上場 | ★ | ||
| 2009〜2026年初の営業赤字とグループ子会社の完全子会社化、リニア談合からの東洋建設買収 | 山内隆司 | 初の営業赤字・純損失を計上 | ★★ | |
| 山内隆司 | 大成ロテックを完全子会社化 | ★ | ||
| 山内隆司 | 有楽土地を完全子会社化 | ★ | ||
| 村田誉之 | 村田誉之氏が社長に就任(山内隆司氏から交代) | ★ | ||
| 村田誉之 | 公訴事実は独占禁止法違反に当たらないとして争う道の選択 2018年3月23日、公正取引委員会の刑事告発を受けて、同日、東京地方検察庁が大成建設と同社の顧問の公訴を提起した。容疑は独占禁止法違反(不当な取引制限)で、対象は東海旅客鉄道が発注する品川駅・名古屋駅間の中央新幹線に係る地下開削工法によるターミナル駅新設工事である。 会社は事態を厳粛に受け止めるとしながら、この公訴事実は独占禁止法違反に該当しないものと考えるとして、訴訟の場で主張を行う方針を掲げた。早期に決着させて幕を引くのではなく、法廷で争い続けると決めた不祥事対応の判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 相川善郎 | 相川善郎氏が社長に就任(村田誉之氏から交代) | ★ | ||
| 相川善郎 | 上場を残した過半取得と負ののれん 2023年11月9日の取締役会で、プレストレスト・コンクリート(PC)工事大手のピーエス三菱を連結子会社とするため、東京証券取引所プライム市場に上場する同社株式を公開買付けにより取得することを決議した経営判断。買付けは11月10日から12月11日まで実施し、12月18日付で議決権の50.20%を取得して連結子会社とした。 取得原価は24,028百万円で対価は全額現金。みなし取得日を2023年12月31日とし、連結財務諸表に含めた被取得企業の業績は2024年1月1日から3月31日までの3か月分にとどまる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 相川善郎 | 平和不動産との資本業務提携 | ★ | ||
| 相川善郎 | 海洋土木大手の取り込みと完全子会社化 2025年8月8日、大成建設が取締役会で海洋土木(マリコン)大手・東洋建設株式の公開買付けを決議した経営判断。買付価格は1株1,750円で、8月12日から9月24日までの30営業日に58,305,532株の応募を集めて成立した。9月30日に議決権61.81%を取得して連結子会社とし、株式併合と自己株式取得を経て12月に完全子会社化した。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(大成建設)