住友林業 の歴史

創業

1948年

創業者

※住友本社山林部解体

創業地

大阪市

直近売上高(2025/12)

22,676億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ財閥解体で6社へ分けられた山林を、1955年に一社へ再統合したのか
A 住友林業の始まりは、別子銅山に必要な木材を外から買わず自前で賄うという発想にある。1691年に開坑した別子銅山へ坑木と精錬燃料を供給するため、住友家は四国を中心に山林を植え継いできた。この山林資産が1948年の財閥解体で地域別6社へ分散させられたが、同源の事業を散らしたままにはせず、地域単位の中間統合を挟んで7年かけて合流させ、1955年2月に四国林業と東邦農林の合併で住友林業株式会社を発足させた。木材を自給する一体の山林経営を、法人格を組み替えてでも一社へ復させた決断だった。
Q なぜ1964年から住宅事業へ進み、木材会社から住宅メーカーへ転じたのか
A 山林と国内材の販売だけでは、需要も価格も外部の市況に握られ、扱う木材の売り先を自社で持てない。住友林業は木材の最終出口を自社内に確保するため、川上の森林から川下の完成住宅までを一社で抱える道を選んだ。1964年3月にスミリン合板工業を設立して製造へ進み、同年9月にスミリン土地で分譲住宅、1975年10月にスミリン住宅販売で注文住宅へと広げた。木造軸組工法と自社の山林・製材・建材という上流資源で差別化し、木材会社は住宅メーカーへ転じた。
Q なぜ2009年以降、海外の戸建市場へ向かい中堅ビルダーを次々連結したのか
A 国内の住宅着工が頭打ちとなり、量の拡大では伸びにくくなったことが背景にある。住友林業はリーマンショック後の業績低迷を機に、成長を海外の戸建市場へ求めた。2009年9月の豪州Henley出資を皮切りに、2013年からは米国のBloomfield・Gehanなど中堅ビルダーを地域別に連結し、2024年11月には豪州最大級のMetriconを子会社化した。単一の大手でなく地域分散した複数社を束ねる方式で、米豪9グループを連結し、2024年12月期は海外関連が連結売上高2兆537億円の約6割を占めるまでに拡大した。

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1948年〜 財閥解体6社からの再統合と住宅二本柱化

住友林業の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1948年 林業所を分割
  2. 1948年 四国林業・九州農林・北海農林など新会社6社を設立
  3. 1948年 扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社を合併し扶桑農林を設立
  4. 1956年 外材の輸入業務に着手
  5. 1964年 分譲住宅事業に参入
  6. 1970年 インドネシアでの合板現地生産——クタイ・ティンバー・インドネシア(KTI)設立 原木を輸入に頼り続けるか、自ら現地に資源と製造拠点を持つか——住友林業が初めて手掛けた海外生産
  7. 1975年 スミリン住宅販売を東京と大阪に設立し注文住宅事業を開始

7年で住友林業へ再結集した「分離→段階合流」の系譜

住友林業の山林経営は、1691年に住友家が開坑した別子銅山[1](愛媛県)へ、坑木と精錬用薪炭を自給する事業として始まった[2]。本格的な林業へ乗り出したのは明治維新以後で、経営面積を約2万町歩へ広げ[3]、近代的な林業技術による大規模な人工造林に着手した。1894年には住友本店林業所が設置され、当時の林業所長だった伊庭貞剛氏が、銅山の煙害で荒地化した別子山地への植林を組織的に進めた。1917年ごろからは九州・北海道・朝鮮でも林野の買収と直営を進め、住友合資の設立と同時に林業所を置いて造林計画を立て、経営面積は12万町歩余に達した[4]。委託経営を含めた戦前の総経営面積は14万町歩に及び[5]、太平洋戦争中はジャワ・スマトラ・ボルネオへも進出したが、終戦で朝鮮と南方の事業を失った[6]

  • 週刊東洋経済 1999年6月5日号「[キーパーソン]「山を守り、家を守る」住友林業社長 矢野龍」
    • [1]1691年 住友家による別子銅山の開坑(山林経営の起点)
    • [2]別子銅山の開坑と同時に精錬用薪炭・坑木の自給を図ったのが林業の起こり
    • [3]明治維新以後に経営面積を約2万町歩へ拡張、近代的林業技術で大規模な人工造林に着手
    • [4]1917年ごろからの九州・北海道・朝鮮での林野買収、住友合資への林業所設置、経営面積12万町歩余
    • [5]委託経営を含む戦前の総経営面積 14万町歩
    • [6]太平洋戦争中のジャワ・スマトラ・ボルネオ進出と、終戦による朝鮮・南方事業の喪失

1948年2月、持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体され[7]、同社が保有していた山林経営は四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林[8]の地域別6社に分離された。企業再建整備法に基づいて住友本社の林業部門を継承した6社[9]は、それぞれが所有山林の経営を始めている。同年12月には扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社が合併して扶桑農林が設立され[10]、分離からわずか10か月で最初の再結集が始まった。1951年2月には扶桑農林・九州農林・北海農林の3社が合併して東邦農林となり[11]、本州・九州・北海道の山林経営が一法人にまとまった。東邦農林の資本金は1,350万円[12]で、のちに6,000万円へ積み増している。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1948年2月 持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体、山林経営を地域別6社へ分割
    • [8]分割6社=四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林
    • [10]1948年12月 扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社合併で扶桑農林を設立
    • [11]1951年2月 扶桑農林・九州農林・北海農林の3社合併で東邦農林を設立
    • [9]企業再建整備法に基づき住友本社の林業部門を継承した6社が、それぞれ所有山林の経営を開始
    • [12]東邦農林の資本金 1,350万円(増資後6,000万円)

1955年2月、四国林業と東邦農林が合併し、住友林業株式会社が大阪市本店で発足した[13]。合併時の資本金は2億1,000万円[14]で、四国林業は増資後の1億5,000万円を持ち寄っている。財閥解体による分離から7年、地域単位の中間統合を2度経由して6社が1社へ戻った[15]。新会社は山林経営と国内材の集荷販売を主たる事業として始動し、経営山林面積は北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、その蓄積は1,100万石に達した[16]。戦後は木材商事部門にも進出し、大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店に営業所・出張所を加えたほぼ全国の集荷販売機構[17]を持ち、年間木材取扱高は約100万石、総売上高は約20億円となった[18]

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1955年2月 四国林業と東邦農林が合併し住友林業株式会社が大阪市本店で発足
    • [15]1948年2月の6社分離から1955年2月の1社統合まで7年、中間統合は扶桑農林(1948年12月)・東邦農林(1951年2月)の2回
    • [14]合併時の資本金 2億1,000万円(四国林業は増資後資本金1億5,000万円)
    • [16]1955年時点の経営山林面積 北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、蓄積1,100万石
    • [17]1955年時点で大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店を軸とする集荷販売機構、年間木材取扱高約100万石・総売上高約20億円
    • [18]1955年時点の年間木材取扱高 約100万石・総売上高 約20億円
  • 週刊東洋経済 1999年6月5日号「[キーパーソン]「山を守り、家を守る」住友林業社長 矢野龍」
    • [1]1691年 住友家による別子銅山の開坑(山林経営の起点)
    • [2]別子銅山の開坑と同時に精錬用薪炭・坑木の自給を図ったのが林業の起こり
    • [3]明治維新以後に経営面積を約2万町歩へ拡張、近代的林業技術で大規模な人工造林に着手
    • [4]1917年ごろからの九州・北海道・朝鮮での林野買収、住友合資への林業所設置、経営面積12万町歩余
    • [5]委託経営を含む戦前の総経営面積 14万町歩
    • [6]太平洋戦争中のジャワ・スマトラ・ボルネオ進出と、終戦による朝鮮・南方事業の喪失
    • [9]企業再建整備法に基づき住友本社の林業部門を継承した6社が、それぞれ所有山林の経営を開始
    • [12]東邦農林の資本金 1,350万円(増資後6,000万円)
    • [14]合併時の資本金 2億1,000万円(四国林業は増資後資本金1億5,000万円)
    • [16]1955年時点の経営山林面積 北海道1万4,000町歩・四国1万9,000町歩・九州8,000町歩の計4万1,000町歩余、蓄積1,100万石
    • [17]1955年時点で大阪・四国・九州・東海・北海道の5支店を軸とする集荷販売機構、年間木材取扱高約100万石・総売上高約20億円
    • [18]1955年時点の年間木材取扱高 約100万石・総売上高 約20億円
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1948年2月 持株会社整理委員会の指定で住友本社が解体、山林経営を地域別6社へ分割
    • [8]分割6社=四国林業・九州農林・北海農林・扶桑林業・兵庫林業・東海農林
    • [10]1948年12月 扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社合併で扶桑農林を設立
    • [11]1951年2月 扶桑農林・九州農林・北海農林の3社合併で東邦農林を設立
    • [13]1955年2月 四国林業と東邦農林が合併し住友林業株式会社が大阪市本店で発足
    • [15]1948年2月の6社分離から1955年2月の1社統合まで7年、中間統合は扶桑農林(1948年12月)・東邦農林(1951年2月)の2回

山林会社から「木材建材+住宅事業」二本柱への転換

再統合直後の住友林業は山林経営と国内材の仕入販売で出発したが、1956年10月には外材輸入業務に着手し[19]、アメリカ・フィリピン・インドネシアからの調達を始めた[20]。合板・加工合板・窯業建材・プラスチック建材・金属建材といった新しい建築資材が出回りはじめたのを受けて1961年3月に建材課を設け[21]、1962年2月には建材の取り扱いを開始した[22]。1964年3月にはスミリン合板工業株式会社を設立して住宅資材の製造事業に着手し[23]、仕入れて売る商社機能に、自ら作る製造機能を重ねた。建材部門はのちに、石膏ボード・アルミサッシ・流し台・洗面台・浴槽まで、住宅に使う建築資材のすべてを対象とする部門へ広がった[24]

同じ1964年9月、住友林業はスミリン土地株式会社(現在の住友林業ホームサービス)を設立して分譲住宅事業に進出し[25]、木材建材と並ぶもう一本の柱をここで立てた。新設住宅着工戸数は1960年の42万戸から1972年の186万戸まで4倍以上に拡大しており、自社が扱う木材・建材の出口を住宅として内部に確保する狙いがあった。1970年5月には大阪証券取引所市場第二部に株式を上場し[26]、1972年2月には大証1部へ指定替えとなった[27]。1990年11月30日には東京証券取引所市場第一部へ上場[28][29]している。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1956年10月 外材輸入業務に着手
    • [22]1962年2月 建材の取り扱いを開始
    • [23]1964年3月 スミリン合板工業株式会社を設立し住宅資材製造事業に着手
    • [25]1964年9月 スミリン土地株式会社(現:住友林業ホームサービス)を設立し分譲住宅事業に進出
    • [26]1970年5月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [27]1972年2月 大証1部へ指定替え
    • [28]1990年11月 東京証券取引所市場第一部へ上場
    • [20]外材輸入の調達先はアメリカ・フィリピン・インドネシア
    • [21]1961年3月 新建材の登場を受けて建材課を新設
    • [24]建材部門の取扱品目は石膏ボード・アルミサッシ・流し台・洗面台・浴槽など住宅用建築資材のすべて(1990年時点)
    • [29]東証1部への上場日は1990年11月30日

量の拡大が止まる時代に注文住宅の単価で稼ぐ選択

1970年9月、住友林業は木材資源を開拓するため[30]、現地資本カルティメクス・ジャヤと合弁でインドネシアにPT. Kutai Timber Indonesia(出資比率65%)[31]を設立し、合板製造事業の準備に入った。戦時中に日本軍の依頼でインドネシアの森林管理にあたった経緯から土地勘があり[32]、日本全体が資源確保に走る少し前の進出となった。同社は1974年12月に合板の製造・販売を開始し[33]、当初ほぼ無かった現地需要も、現地華僑資本の合板工場建設に追随して内需重視へ転換したことで、1976年3月期には製品の100%が内需向けとなった[34]。同期の売上高は森林開発14億ルピア・合板生産26億ルピアの計40億ルピアを超えている[35]。同じ1970年9月には浜田産業株式会社(現・住友林業クレスト)の発行済株式の過半数を取得し[36]、1975年8月には大阪殖林株式会社の全株式を取得した[37]

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1970年9月 インドネシアでPT. Kutai Timber Indonesiaを設立
    • [33]1974年12月 PT. Kutai Timber Indonesiaが合板の製造・販売を開始
    • [36]1970年9月 浜田産業株式会社(現:住友林業クレスト)の発行済株式の過半数を取得
    • [37]1975年8月 大阪殖林株式会社の全株式を取得
  • 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
    • [31]現地合弁相手カルティメクス・ジャヤとの出資比率(住友林業65%)
    • [32]戦時中の日本軍依頼によるインドネシア森林管理の経緯が進出の先発性に寄与した点
    • [34]当初ほぼ無かった現地需要が現地華僑資本の内需開拓に追随した転換で1976年3月期に製品の100%が内需向けとなった
    • [35]1976年3月期のPT. Kutai Timber Indonesiaの売上高 森林開発14億ルピア・合板生産26億ルピアの計40億ルピア超

1975年10月にはスミリン住宅販売株式会社を東京と大阪の2拠点に設立し[38]、注文住宅事業を開始した。「日本の気候風土には木造住宅が一番適している」という信念に基づく船出[39]だったが、第一次石油危機の直後にあたり、立ち上がりには苦労が伴った[40]。住宅業界では積水ハウス(1960年設立)・大和ハウス工業(1955年設立)が鉄骨系プレハブで先行しており、住友林業は自社グループの山林・製材・建材を背後に置いた木造軸組工法で参入した[41]。年間の供給棟数が2,000棟に達したのは1980年代半ば[42]である。1980年7月にはスミリン住宅販売の2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)に商号変更し[43]、ブランドを統一した。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1975年10月 スミリン住宅販売株式会社を東京・大阪の2拠点に設立し注文住宅事業を開始
    • [43]1980年7月 スミリン住宅販売2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)に商号変更
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号「注文住宅の工程合理化 社員大工育て経費圧縮」
    • [39]住友林業専務住宅本部長の山口博人氏による発言(1975年の注文住宅参入の動機)
    • [40]注文住宅参入が第1次石油ショック直後にあたり立ち上がりに苦労した点
    • [42]年間供給棟数 2,000棟到達は1980年代半ば
    • [41]木造軸組工法(木造在来工法)による戸建て注文住宅を主力とした点

新設住宅着工戸数は1973年の191万戸をピークに、1979年に149万戸、1983年に113万戸へ下がった。量の拡大が止まるなかで住友林業が採ったのは、戸数で競わずに1棟あたりの単価で稼ぐ道[44]だった。積水ハウス・大和ハウス工業が各5万〜6万戸を狙うのに対し、住友林業の供給戸数は1991年3月期で8,100戸[45]にとどまる。一方で「住友林業の家」の売れ筋は坪57万〜58万円と、坪50万円前後が売れ筋のプレハブ住宅より高い価格帯にあり[46]、1棟当たりの全国平均価格は約2,800万円に達した[47]。1992年3月期の住宅部門は約7,700棟・約2,300億円を売り上げ[48]、その6割を建て替え需要が占めている。1990年3月期の売上構成は木材29%・建材34%・住宅37%[49]で、3部門がほぼ三分する形になった。

    • [44]戸数で競わず木造軸組工法の注文住宅を主力とする方針(大西和男社長)
    • [45]積水ハウス・大和ハウス工業は各5万〜6万戸を志向、住友林業の1991年3月期供給戸数は8,100戸
    • [49]1990年3月期の売上構成 木材29%・建材34%・住宅37%
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号「注文住宅の工程合理化 社員大工育て経費圧縮」
    • [46]「住友林業の家」の売れ筋価格は坪57万〜58万円、プレハブ住宅の売れ筋は坪50万円前後
    • [47]1棟当たりの全国平均価格 約2,800万円(1991年度実績)
    • [48]1992年3月期の住宅部門 約7,700棟・約2,300億円、建て替え需要が売上の6割
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1970年9月 インドネシアでPT. Kutai Timber Indonesiaを設立
    • [33]1974年12月 PT. Kutai Timber Indonesiaが合板の製造・販売を開始
    • [36]1970年9月 浜田産業株式会社(現:住友林業クレスト)の発行済株式の過半数を取得
    • [37]1975年8月 大阪殖林株式会社の全株式を取得
    • [38]1975年10月 スミリン住宅販売株式会社を東京・大阪の2拠点に設立し注文住宅事業を開始
    • [43]1980年7月 スミリン住宅販売2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)に商号変更
  • 日経ビジネス(1976年7月5日号 165号 p84-86)
    • [31]現地合弁相手カルティメクス・ジャヤとの出資比率(住友林業65%)
    • [32]戦時中の日本軍依頼によるインドネシア森林管理の経緯が進出の先発性に寄与した点
    • [34]当初ほぼ無かった現地需要が現地華僑資本の内需開拓に追随した転換で1976年3月期に製品の100%が内需向けとなった
    • [35]1976年3月期のPT. Kutai Timber Indonesiaの売上高 森林開発14億ルピア・合板生産26億ルピアの計40億ルピア超
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号「注文住宅の工程合理化 社員大工育て経費圧縮」
    • [39]住友林業専務住宅本部長の山口博人氏による発言(1975年の注文住宅参入の動機)
    • [40]注文住宅参入が第1次石油ショック直後にあたり立ち上がりに苦労した点
    • [42]年間供給棟数 2,000棟到達は1980年代半ば
    • [46]「住友林業の家」の売れ筋価格は坪57万〜58万円、プレハブ住宅の売れ筋は坪50万円前後
    • [47]1棟当たりの全国平均価格 約2,800万円(1991年度実績)
    • [48]1992年3月期の住宅部門 約7,700棟・約2,300億円、建て替え需要が売上の6割
    • [41]木造軸組工法(木造在来工法)による戸建て注文住宅を主力とした点
    • [44]戸数で競わず木造軸組工法の注文住宅を主力とする方針(大西和男社長)
    • [45]積水ハウス・大和ハウス工業は各5万〜6万戸を志向、住友林業の1991年3月期供給戸数は8,100戸
    • [49]1990年3月期の売上構成 木材29%・建材34%・住宅37%

1981年〜 海外林業3拠点と住宅ストック市場への基盤拡張

住友林業の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1984年 住友林業ホームと住友林業住宅が合併
  2. 1984年 ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
  3. 1987年 住友林業ホーム・大阪殖林を吸収合併
  4. 1988年 スミリンメンテナンスを設立
  5. 1990年 PT. Rimba Partikel Indonesiaを設立
  6. 1990年 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
  7. 1991年 スミリンメンテナンスを住友林業ホームテックに商号変更

ニュージーランドMDFとインドネシアパーティクルボード

1984年10月、住友林業はニュージーランドでNelson Pine Industries Ltd.を設立し[50]、中密度繊維板(MDF)の製造・販売事業を開始した。丸太の輸入が細り、海外で現地生産された製材品や合板など二次・三次加工商品へ需要が移る[51]なかで、海外の生産拠点を増やす一環だった。1970年のインドネシア合板に続く海外製造拠点の2件目[52]にあたる。同月には国内で住友林業ホーム(東京)と住友林業住宅(大阪)が合併し[53]、1987年10月には住友林業ホーム及び大阪殖林を吸収合併して[54]、川上の林業から川下の住宅までの一貫事業体制が整った[55]。1988年10月には住宅メンテナンス事業の準備としてスミリンメンテナンス株式会社を設立した[56]

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1984年10月 ニュージーランドでNelson Pine Industries Ltd.を設立しMDF製造・販売事業を開始
    • [52]1970年インドネシア合板に次ぐ海外製造拠点の2件目
    • [53]1984年10月 住友林業ホーム(東京)と住友林業住宅(大阪)が合併
    • [54]1987年10月 住友林業ホーム及び大阪殖林を吸収合併
    • [56]1988年10月 スミリンメンテナンス株式会社を設立
    • [51]丸太輸入の減少と二次・三次加工商品へのウエート移動を受けた海外生産拠点の増設方針
    • [55]1987年10月の住友林業ホーム吸収合併で川上の林業から川下の住宅までの一貫事業体制が確立

1990年6月、住友林業はインドネシアでPT. Rimba Partikel Indonesiaを設立し、パーティクルボードの製造・販売事業を開始した[57]。1970年のインドネシア合板、1984年のニュージーランドMDFに続く海外製造拠点の3件目[58]で、木質ボード3製品の海外生産体制がここで揃った。インドネシア事業は合板(PT. Kutai Timber Indonesia)とパーティクルボード(PT. Rimba Partikel Indonesia)の2社体制となった[59]。1990年時点の住友林業は北米と東南アジアに8つの拠点を置き、木材はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリから輸入していた[60]。国内の営業拠点は支店34か所・営業所35か所、山林関係の事業所は4か所で、従業員は約3,000人、資本金は171億円強だった[61]

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [57]1990年6月 インドネシアでPT. Rimba Partikel Indonesiaを設立しパーティクルボード製造・販売事業を開始
    • [58]1970年インドネシア合板・1984年ニュージーランドMDFに次ぐ海外製造拠点の3件目
    • [59]インドネシア事業が合板(Kutai Timber)とパーティクルボード(Rimba Partikel)の2社体制となった点
    • [60]1990年時点で北米・東南アジアに8拠点、輸入材はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心
    • [61]1990年時点の国内拠点は支店34か所・営業所35か所・山林事業所4か所、従業員約3,000人、資本金171億円強
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1984年10月 ニュージーランドでNelson Pine Industries Ltd.を設立しMDF製造・販売事業を開始
    • [52]1970年インドネシア合板に次ぐ海外製造拠点の2件目
    • [53]1984年10月 住友林業ホーム(東京)と住友林業住宅(大阪)が合併
    • [54]1987年10月 住友林業ホーム及び大阪殖林を吸収合併
    • [56]1988年10月 スミリンメンテナンス株式会社を設立
    • [57]1990年6月 インドネシアでPT. Rimba Partikel Indonesiaを設立しパーティクルボード製造・販売事業を開始
    • [58]1970年インドネシア合板・1984年ニュージーランドMDFに次ぐ海外製造拠点の3件目
    • [59]インドネシア事業が合板(Kutai Timber)とパーティクルボード(Rimba Partikel)の2社体制となった点
    • [51]丸太輸入の減少と二次・三次加工商品へのウエート移動を受けた海外生産拠点の増設方針
    • [55]1987年10月の住友林業ホーム吸収合併で川上の林業から川下の住宅までの一貫事業体制が確立
    • [60]1990年時点で北米・東南アジアに8拠点、輸入材はアメリカ・カナダ・マレーシア・ニュージーランド・チリが中心
    • [61]1990年時点の国内拠点は支店34か所・営業所35か所・山林事業所4か所、従業員約3,000人、資本金171億円強

リフォーム・賃貸・建材吸収による住宅ストック市場参入

1991年4月、住友林業はスミリンメンテナンスを住友林業ホームテックに商号変更し[62]、リフォーム事業へ本格進出した。1988年に設立したメンテナンス会社[63]を、住宅ストックを扱う事業会社へ切り替えたことになる。1990年の時点で住友林業は、住宅の仲介やアフターケア、リフォームといった周辺事業を次代の収益の柱に育てる方針[64]を掲げていた。新築の販売だけでなく、既に建てた住宅の改修と維持管理を収益源に加える判断であり、これで注文住宅・分譲住宅・リフォームの3形態が揃った[65]。あわせてインテリア商品や2×4工法の住宅も手がけ[66]、木造軸組工法の注文住宅の周囲へ事業を広げた。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1991年4月 スミリンメンテナンスを住友林業ホームテックに商号変更しリフォーム事業へ本格進出
    • [63]1988年10月 スミリンメンテナンス設立(商号変更前のメンテナンス会社)
    • [65]分譲住宅(1964年9月)・注文住宅(1975年10月)・リフォーム(1991年4月)の3形態が揃った点
    • [64]住宅の仲介・アフターケア・リフォームなど周辺事業を次代の収益の柱に育てる方針(1990年時点)
    • [66]インテリア商品・2×4工法住宅など周辺事業への進出(1990年時点)

1995年4月にはイノスグループ事業を開始し[67]、木造軸組工法と住宅設備・建材を地場の工務店へ供給することで、直営の注文住宅・分譲住宅では届かない地域市場を販売網に取り込んだ。2003年8月には株式会社サン・ステップ(現在の住友林業レジデンシャル)の持分を取得して連結子会社化し[68]、賃貸・仲介事業に進出した。この買収は、海外・集合住宅・住宅ストックの3事業を重点的に育てる構造改革の一環[69]にあたり、リフォームや不動産流通ビジネスの人員拡充も並行して進んだ。2006年4月には旧安宅産業系の建材商社である安宅建材株式会社を吸収合併し[70]、木材建材事業の取扱品目を厚くした。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [67]1995年4月 イノスグループ事業を開始(地域工務店提携の住宅事業ネットワーク)
    • [68]2003年8月 株式会社サン・ステップ(現:住友林業レジデンシャル)の持分を取得し連結子会社化、賃貸・仲介事業に進出
    • [70]2006年4月 安宅建材株式会社を吸収合併
  • 日経ビジネス 2004年7月19日号「コスト削減で守りは固めた 住友林業 米国で攻勢、得点力は未知数」
    • [69]重点拡大事業は海外・集合住宅・住宅ストックの3事業。2003年に住宅賃貸管理会社を買収し、リフォーム・不動産流通の人員を拡充
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1991年4月 スミリンメンテナンスを住友林業ホームテックに商号変更しリフォーム事業へ本格進出
    • [63]1988年10月 スミリンメンテナンス設立(商号変更前のメンテナンス会社)
    • [65]分譲住宅(1964年9月)・注文住宅(1975年10月)・リフォーム(1991年4月)の3形態が揃った点
    • [67]1995年4月 イノスグループ事業を開始(地域工務店提携の住宅事業ネットワーク)
    • [68]2003年8月 株式会社サン・ステップ(現:住友林業レジデンシャル)の持分を取得し連結子会社化、賃貸・仲介事業に進出
    • [70]2006年4月 安宅建材株式会社を吸収合併
    • [64]住宅の仲介・アフターケア・リフォームなど周辺事業を次代の収益の柱に育てる方針(1990年時点)
    • [66]インテリア商品・2×4工法住宅など周辺事業への進出(1990年時点)
  • 日経ビジネス 2004年7月19日号「コスト削減で守りは固めた 住友林業 米国で攻勢、得点力は未知数」
    • [69]重点拡大事業は海外・集合住宅・住宅ストックの3事業。2003年に住宅賃貸管理会社を買収し、リフォーム・不動産流通の人員を拡充

矢野龍社長の人事改革と海外住宅へ向かわせた国内市場の頭打ち

1999年4月、矢野龍氏が代表取締役社長に就任し[71]、2010年まで在任した。矢野元社長は就任時に役員紹介の縁故採用を廃止して人事部に全権を委任する人事改革を実施し、学校名にとらわれず[73]情熱と挑戦の気概がある人材を全国の大学から採用する方針へ転換した。住宅では3か年の「住宅事業再生プログラム」を打ち出し、全国60か所の拠点にアフターサービスの責任者110人を置き[74]、1999年4月から24時間の電話対応体制を敷いた[75]。累計12万戸の施工実績[76]を抱える顧客基盤を守る体制であり、持ち家着工45万戸を前提にシェアを2%から3%・1万2,000戸へ引き上げる目標[77]を据えた。2002年には米国シアトルで現地と合弁により住宅事業へ進出している。2004年10月には本店を大阪市から東京都千代田区へ移し[78]、1955年の発足以来続いた大阪本店体制を終えた。 [72]

  • 週刊東洋経済 1999年6月5日号「[キーパーソン]「山を守り、家を守る」住友林業社長 矢野龍」
    • [71]矢野龍氏の社長就任は1999年4月
    • [74]3か年計画「住宅事業再生プログラム」と全国60拠点・110人のアフターサービス責任者配置
    • [75]1999年4月1日から電話による24時間アフターサービス体制を開始
    • [76]累計施工実績 12万戸
    • [77]年間持ち家建設45万戸を前提にシェア2%→3%(1万2,000戸)を目標
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [72]矢野龍が代表取締役社長に就任、2010年まで在任(CEO CSVは矢野龍をFY08まで・市川晃をFY09から計上=在任期は本文の1999-2010と整合)
    • [73]縁故採用廃止・人事部全権委任・学校名にとらわれない採用方針への転換
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [78]2004年10月 本店を大阪市から東京都千代田区に移転

矢野元社長の在任期、持ち家の着工戸数は1973年度の75万戸台から2003年度には約半分の37万戸台へ減っていた[79]。住友林業は2003年3月期に年金債務の償却と不動産評価損で154億円の最終赤字に落ち[80]、住宅事業の生産コスト削減と重点拡大事業の育成を2本柱とする構造改革[81]に入った。狙いは供給戸数を年約1万戸から大きく伸ばすことではなく、利益を上げられる筋肉質の体質にすること[82]にあった。コスト削減は3年で150億円の計画に対し、工事現場と本部を結ぶシステム整備による資材発注の効率化などで164億円に届く見通しとなり[83]、2004年3月期の連結経常利益は前の期比76%増の170億円、最終損益も98億円の黒字へ転じた[84]。連結売上高は2002年3月期の6,447億円から2007年3月期の9,117億円へ約1.4倍に拡大し、経常利益も37億円から213億円へ増えている。

  • 日経ビジネス 2004年7月19日号「コスト削減で守りは固めた 住友林業 米国で攻勢、得点力は未知数」
    • [79]持ち家の着工戸数 1973年度75万戸台→2003年度37万戸台
    • [80]2003年3月期に年金債務償却・不動産評価損などで最終損益154億円の赤字
    • [81]構造改革の2本柱は住宅事業の生産コスト削減と重点拡大事業の育成
    • [82]住友林業経営企画部長の早野均氏による発言(供給戸数1万戸を伸ばすより利益の出る体質へ)
    • [83]コスト削減は3年150億円の計画に対し164億円に到達する見通し(資材発注の効率化等)
    • [84]2004年3月期 連結経常利益170億円(前期比76%増)・最終損益98億円の黒字

2008年3月期から2010年3月期にかけては、リーマンショック後の世界的な住宅市場の冷え込みで、連結売上高が2007年3月期の9,117億円のピークから7,239億円へ約2割減り、経常利益も213億円から77億円・62億円・95億円へ落ち込んだ。この業績低迷を機に住友林業は海外住宅事業の本格立ち上げを決め、2009年9月にオーストラリアのHenleyグループの持分を取得して持分法適用関連会社化した[85]。Henleyは豪州ビクトリア州を地盤とし、当時年間2,000棟規模の供給能力を持つ中堅ビルダーで、この出資が以後10年余にわたる海外住宅事業のM&A連鎖の第1件目となった。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [85]2009年9月 オーストラリアのHenleyグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
  • 週刊東洋経済 1999年6月5日号「[キーパーソン]「山を守り、家を守る」住友林業社長 矢野龍」
    • [71]矢野龍氏の社長就任は1999年4月
    • [74]3か年計画「住宅事業再生プログラム」と全国60拠点・110人のアフターサービス責任者配置
    • [75]1999年4月1日から電話による24時間アフターサービス体制を開始
    • [76]累計施工実績 12万戸
    • [77]年間持ち家建設45万戸を前提にシェア2%→3%(1万2,000戸)を目標
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [72]矢野龍が代表取締役社長に就任、2010年まで在任(CEO CSVは矢野龍をFY08まで・市川晃をFY09から計上=在任期は本文の1999-2010と整合)
    • [73]縁故採用廃止・人事部全権委任・学校名にとらわれない採用方針への転換
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [78]2004年10月 本店を大阪市から東京都千代田区に移転
    • [85]2009年9月 オーストラリアのHenleyグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
  • 日経ビジネス 2004年7月19日号「コスト削減で守りは固めた 住友林業 米国で攻勢、得点力は未知数」
    • [79]持ち家の着工戸数 1973年度75万戸台→2003年度37万戸台
    • [80]2003年3月期に年金債務償却・不動産評価損などで最終損益154億円の赤字
    • [81]構造改革の2本柱は住宅事業の生産コスト削減と重点拡大事業の育成
    • [82]住友林業経営企画部長の早野均氏による発言(供給戸数1万戸を伸ばすより利益の出る体質へ)
    • [83]コスト削減は3年150億円の計画に対し164億円に到達する見通し(資材発注の効率化等)
    • [84]2004年3月期 連結経常利益170億円(前期比76%増)・最終損益98億円の黒字

2010年〜 米豪住宅M&A連鎖と森林・脱炭素事業の併走

住友林業の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2013年 Bloomfield Homesグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
  2. 2013年 紋別バイオマス発電を設立し子会社化
  3. 2014年 Gehan Homesグループの持分を取得し子会社化
  4. 2017年 熊谷組の持分を取得し持分法適用関連会社化
  5. 2018年 Crescent Communitiesグループの持分を取得し子会社化
  6. 2022年 プライム市場へ移行
  7. 2024年 Metriconグループの持分を取得し子会社化

単一の大手でなく地域分散した中堅ビルダーを束ねる買収方式

2010年に市川晃氏が社長に就任し、2020年まで在任した[86]。2013年6月、米国のBloomfield Homesグループの持分を取得して持分法適用関連会社化し[87]、米国住宅市場への最初の出資を実施した。2013年9月にはHenleyグループの持分を追加取得して連結子会社化し[88]、出資にとどめていた豪州事業を連結の運営へ移した。2014年4月には米国第2の住宅会社となるGehan Homesグループ(現在のBrightland Homes)の持分を取得して連結子会社化し[89]、米国住宅事業の主力拠点を得た。

  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [86]市川晃が社長に就任、2020年まで在任(CEO CSVは市川晃をFY09〜FY18・光吉敏郎をFY19から計上)
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2013年6月 米国のBloomfield Homesグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
    • [88]2013年9月 Henleyグループの持分を追加取得し連結子会社化
    • [89]2014年4月 Gehan Homesグループ(現:Brightland Homes)の持分を取得し連結子会社化

2016年1月にはメリーランド州を地盤とするDRBグループの持分を取得して連結子会社化し[90]、Bloomfield・Gehanに続く地域分散の3件目とした。2017年2月にはユタ州のEdge Homesグループ[91]、同年5月にはBloomfield Homesグループの持分を追加取得[92]した。同年11月には株式会社熊谷組の持分を取得して持分法適用関連会社化し[93]、住友林業が熊谷組へ20%、熊谷組が住友林業へ2.85%を相互出資した[94]。住宅着工戸数が2016年度に約97万戸と20年で約4割減るなか[95]、市川元社長は「大規模木造建築で圧倒的地位を獲得するには、ゼネコン機能が不可欠だ」[96]と語った。2018年5月にはサウスカロライナ州のMark III Properties, LLC[97]、同年7月には南東部の不動産開発会社Crescent Communitiesグループの持分を取得し[98]、住宅・商業・賃貸の複合開発も傘下に加えた。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [90]2016年1月 米国のDRBグループの持分を取得し連結子会社化
    • [91]2017年2月 ユタ州のEdge Homesグループの持分を取得
    • [92]2017年5月 Bloomfield Homesグループの持分を追加取得
    • [93]2017年11月 株式会社熊谷組の持分を取得し持分法適用関連会社化
    • [97]2018年5月 サウスカロライナ州のMark III Properties, LLCの持分を取得
    • [98]2018年7月 Crescent Communitiesグループの持分を取得
  • 週刊東洋経済 2017年11月25日号「ニュース深掘り 住宅メーカーの焦燥 住友林業、ゼネコン出資の勝算」
    • [94]2017年11月9日発表の業務・資本提携。住友林業が熊谷組へ20%、熊谷組が住友林業へ2.85%を相互出資
    • [95]住宅着工戸数は2016年度に約97万戸、20年間で約4割減少
    • [96]住友林業社長の市川晃氏による発言(熊谷組との提携理由)

市川元社長は米国住宅事業について、日本式住宅をそのまま持ち込むのではなく現地ニーズに合った住宅販売を心がける方針を採った[99]。単一の大手を買収せず、テキサス・メリーランド・ユタ・サウスカロライナ・南東部と地域を分けて中堅ビルダーを連結する[100]ことで、特定地域の住宅景気の振れを受けにくい事業構造とした。2010年代には積水ハウス・大和ハウス工業・パナソニックホームズなども米国住宅事業へ進出したが、住友林業は買収件数の多さと、現地ブランド・現地経営陣をそのまま残す点で他社と異なる進め方をとった。

    • [99]市川元社長の米国住宅事業方針(日本式住宅をそのまま持ち込まず現地ニーズに合った住宅販売)
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [100]テキサス・メリーランド・ユタ・サウスカロライナ・南東部の地域分散買収方式
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [86]市川晃が社長に就任、2020年まで在任(CEO CSVは市川晃をFY09〜FY18・光吉敏郎をFY19から計上)
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2013年6月 米国のBloomfield Homesグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
    • [88]2013年9月 Henleyグループの持分を追加取得し連結子会社化
    • [89]2014年4月 Gehan Homesグループ(現:Brightland Homes)の持分を取得し連結子会社化
    • [90]2016年1月 米国のDRBグループの持分を取得し連結子会社化
    • [91]2017年2月 ユタ州のEdge Homesグループの持分を取得
    • [92]2017年5月 Bloomfield Homesグループの持分を追加取得
    • [93]2017年11月 株式会社熊谷組の持分を取得し持分法適用関連会社化
    • [97]2018年5月 サウスカロライナ州のMark III Properties, LLCの持分を取得
    • [98]2018年7月 Crescent Communitiesグループの持分を取得
    • [100]テキサス・メリーランド・ユタ・サウスカロライナ・南東部の地域分散買収方式
  • 週刊東洋経済 2017年11月25日号「ニュース深掘り 住宅メーカーの焦燥 住友林業、ゼネコン出資の勝算」
    • [94]2017年11月9日発表の業務・資本提携。住友林業が熊谷組へ20%、熊谷組が住友林業へ2.85%を相互出資
    • [95]住宅着工戸数は2016年度に約97万戸、20年間で約4割減少
    • [96]住友林業社長の市川晃氏による発言(熊谷組との提携理由)
    • [99]市川元社長の米国住宅事業方針(日本式住宅をそのまま持ち込まず現地ニーズに合った住宅販売)

W350・バイオマス発電・森林ファンドへの並行投資

市川元社長は2018年に創業100周年(2041年)に向けた長期ビジョンとして「W350計画」を発表し、地上350メートルの木造高層ビル構想を公表した[101]。戦後の大造林から70年が経過し住宅以外で木材の利用が落ちてきたという問題意識[102]から、まず100m・200mの木造ビルを実現してステークホルダーと知見を共有する段階的なアプローチ[103]を示している。2017年11月の熊谷組との資本提携も、大規模木造建築に欠かせないゼネコン機能を確保する狙い[104]から説明された。日本では2010年に「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」が施行され、低層公共建築物の木造化が推奨される政策環境となっていた。

    • [101]2018年にW350計画(地上350メートルの木造高層ビル構想)を発表
    • [102]住友林業社長の市川晃氏による発言(戦後の大造林から70年、住宅以外で木材利用が減退)
    • [103]段階的アプローチ(まず100m・200mの木造ビルを実現しステークホルダーと知見を共有)
  • 週刊東洋経済 2017年11月25日号「ニュース深掘り 住宅メーカーの焦燥 住友林業、ゼネコン出資の勝算」
    • [104]2017年11月 熊谷組との資本提携(大規模木造建築に必要なゼネコン機能の確保)

2013年7月、住友林業は紋別バイオマス発電株式会社を設立して連結子会社化し[105]、木質バイオマス発電事業を立ち上げた。日本で2012年7月に固定価格買取制度(FIT)が施行された直後にあたり、山林から出る未利用材に燃料としての出口が生まれている。2020年の日本の木材自給率は前年比4ポイント増の41.8%へ上がったが、増えたのはバイオマス発電の燃料用[106]で、建築用の木材は増えていない。光吉敏郎社長は2025年8月に、バイオマス発電が国内7か所で約60万世帯分の年間消費量に相当する発電量に達した[107]ことを示した。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [105]2013年7月 紋別バイオマス発電株式会社を設立し連結子会社化、木質バイオマス発電事業を立ち上げ
  • 週刊東洋経済 2021年12月25日号「Interview 住友林業社長 光吉敏郎 ウッドショックの教訓 「日本の脆弱な木材安全保障が浮き彫りに」」
    • [106]2020年の日本の木材自給率は前年比4ポイント増の41.8%。増加分はバイオマス発電の燃料用で建築用は横ばい
    • [107]バイオマス発電が国内7か所で約60万世帯分の年間消費量に相当する発電量を実現(光吉社長・日経ESG 2025/8)

光吉敏郎氏は2020年4月に代表取締役社長に就任した[108]。米国・カナダ・中米での森林資産の取得を進めつつ、東南アジアに加えて中南米・ヨーロッパなど他エリアへも広げる構想[109]を示している。グループの保有森林面積は国内約4.8万ヘクタール、海外を含めると約28万ヘクタール規模に達した。CO2の吸収源としての森林から生まれるカーボンクレジットを提供する仕組みの構築も進め[110]、山林資産を木材販売・バイオマス発電・カーボンクレジットの3軸で収益化する構造へ移した。2021年のウッドショックでは、木材資源がありながら外材価格の高騰を補う供給体制が整っていないという日本の木材安全保障の弱さが表面化し[111]光吉敏郎社長は伐採跡地の7割近くで再植林が行われていない現状[112]を循環林業の課題に挙げた。

  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [108]光吉敏郎が2020年4月に代表取締役社長に就任
    • [109]米国・カナダ・中米での森林資産取得、中南米・ヨーロッパ等他エリアへの展開構想(光吉社長・日経ESG 2025/8)
    • [110]CO2吸収源としての森林から生まれるカーボンクレジットを提供する新たな仕組みの構築(光吉社長・日経ESG 2025/8)
  • 週刊東洋経済 2021年12月25日号「Interview 住友林業社長 光吉敏郎 ウッドショックの教訓 「日本の脆弱な木材安全保障が浮き彫りに」」
    • [111]住友林業社長の光吉敏郎氏による発言(ウッドショックが浮き彫りにした日本の木材安全保障の脆弱さ、伐採跡地の7割近くで再植林が未実施)
    • [112]伐採後に再植林していない割合が7割近く(循環林業の課題)
    • [101]2018年にW350計画(地上350メートルの木造高層ビル構想)を発表
    • [102]住友林業社長の市川晃氏による発言(戦後の大造林から70年、住宅以外で木材利用が減退)
    • [103]段階的アプローチ(まず100m・200mの木造ビルを実現しステークホルダーと知見を共有)
  • 週刊東洋経済 2017年11月25日号「ニュース深掘り 住宅メーカーの焦燥 住友林業、ゼネコン出資の勝算」
    • [104]2017年11月 熊谷組との資本提携(大規模木造建築に必要なゼネコン機能の確保)
  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [105]2013年7月 紋別バイオマス発電株式会社を設立し連結子会社化、木質バイオマス発電事業を立ち上げ
  • 週刊東洋経済 2021年12月25日号「Interview 住友林業社長 光吉敏郎 ウッドショックの教訓 「日本の脆弱な木材安全保障が浮き彫りに」」
    • [106]2020年の日本の木材自給率は前年比4ポイント増の41.8%。増加分はバイオマス発電の燃料用で建築用は横ばい
    • [111]住友林業社長の光吉敏郎氏による発言(ウッドショックが浮き彫りにした日本の木材安全保障の脆弱さ、伐採跡地の7割近くで再植林が未実施)
    • [112]伐採後に再植林していない割合が7割近く(循環林業の課題)
    • [107]バイオマス発電が国内7か所で約60万世帯分の年間消費量に相当する発電量を実現(光吉社長・日経ESG 2025/8)
    • [109]米国・カナダ・中米での森林資産取得、中南米・ヨーロッパ等他エリアへの展開構想(光吉社長・日経ESG 2025/8)
    • [110]CO2吸収源としての森林から生まれるカーボンクレジットを提供する新たな仕組みの構築(光吉社長・日経ESG 2025/8)
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [108]光吉敏郎が2020年4月に代表取締役社長に就任

Metricon買収で米豪9グループを束ねる多国籍住宅事業体への転換

2022年4月、住友林業は東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移行した[113]。取締役会には2014年に平川純子氏が初の女性取締役として加わり、2021年に栗原美津枝氏、2023年に豊田祐子氏が続いている[114]。2023年11月には米国のJPIグループの持分を取得して連結子会社化し[115]、米国住宅・不動産事業の規模をさらに広げた。住友林業の米国住宅事業は、2013年のBloomfield出資から10年で、Bloomfield・Brightland・DRB・Edge・Mark III・Crescent・JPIの7グループを束ねる体制になった[116]

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [113]2022年4月 東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移行
    • [115]2023年11月 米国のJPIグループの持分を取得し連結子会社化
    • [116]米国住宅事業が7グループ(Bloomfield・Brightland・DRB・Edge・Mark III・Crescent・JPI)を束ねる体制
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [114]女性取締役は平川純子氏(2014年就任)・栗原美津枝氏(2021年就任)・豊田祐子氏(2023年就任)。役員CSVでは栗原氏がFY20以降、豊田氏がFY22以降の在任を確認(平川氏はFY21まで)

2024年11月、住友林業はオーストラリアのMetriconグループの持分を取得して連結子会社化した[117]。Metriconは年間売上規模約7,000億円の豪州最大級のビルダーで、ビクトリア州・ニューサウスウェールズ州・クイーンズランド州・南オーストラリア州の主要4州で住宅を供給してきた。2009年のHenley出資から始まった豪州事業[118]は、この買収で米国に並ぶ規模の主力拠点となった。海外住宅・不動産事業は米国7グループに豪州2グループ(Henley・Metricon)を加えた合計9グループを連結する体制となり[119]、国内山林を出自とする会社が米豪の住宅完成戸数を内部に取り込む構造へ変わった。2025年4月にはDRBグループ傘下にBrightland Homesグループを再編し[120]、分散して買収した米国住宅事業を上位の持株会社の下へまとめる組織統合に着手した。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [117]2024年11月 オーストラリアのMetriconグループの持分を取得し連結子会社化
    • [118]2009年9月のHenley出資が豪州事業の起こり、2024年のMetricon買収で主力拠点化
    • [119]海外住宅・不動産事業が米国7グループ+豪州2グループ(Henley・Metricon)の合計9グループ連結体制
    • [120]2025年4月 DRBグループ傘下にBrightland Homesグループを再編

構造転換は業績に現れ、2016年3月期に1,727億円・利益130億円だった海外事業セグメントの売上は、2024年12月期の建築・不動産事業セグメントで1兆2,388億円・利益1,474億円に達した。住宅事業(2016年3月期4,541億円→2024年12月期5,418億円)や木材建材事業(同4,051億円→2,315億円)が横ばいか縮小に向かうなか、海外は約7倍に広がり、2024年12月期の連結売上高2兆537億円の約6割を占めた。連結従業員数は2025年12月期で約2.8万人に達している。1955年の再統合が同じ出自の山林経営を法人格の組み替えで束ね直す作業だったのに対し、2010年代以降の連結化は出自の異なる住宅事業者群を資本で束ねる作業であり、1948年の財閥解体で6社に分かれた山林会社は、住宅事業・建築・不動産事業・木材建材事業・資源環境事業を運用する多国籍事業体へ変わった。

  • 住友林業 有価証券報告書【沿革】
    • [113]2022年4月 東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移行
    • [115]2023年11月 米国のJPIグループの持分を取得し連結子会社化
    • [116]米国住宅事業が7グループ(Bloomfield・Brightland・DRB・Edge・Mark III・Crescent・JPI)を束ねる体制
    • [117]2024年11月 オーストラリアのMetriconグループの持分を取得し連結子会社化
    • [118]2009年9月のHenley出資が豪州事業の起こり、2024年のMetricon買収で主力拠点化
    • [119]海外住宅・不動産事業が米国7グループ+豪州2グループ(Henley・Metricon)の合計9グループ連結体制
    • [120]2025年4月 DRBグループ傘下にBrightland Homesグループを再編
  • 住友林業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [114]女性取締役は平川純子氏(2014年就任)・栗原美津枝氏(2021年就任)・豊田祐子氏(2023年就任)。役員CSVでは栗原氏がFY20以降、豊田氏がFY22以降の在任を確認(平川氏はFY21まで)

住友林業の沿革1948〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
林業所を分割
四国林業・九州農林・北海農林など新会社6社を設立
扶桑林業・兵庫林業・東海農林の3社を合併し扶桑農林を設立
扶桑農林・九州農林・北海農林の3社を合併し東邦農林を設立
四国林業と東邦農林が合併し住友林業が発足(本店:大阪市)
外材の輸入業務に着手★★
建材の取り扱いを開始
スミリン合板工業を設立し住宅資材製造事業を開始
スミリン土地を設立
分譲住宅事業に参入★★
大阪証券取引所市場第二部に株式を上場
インドネシアでの合板現地生産——クタイ・ティンバー・インドネシア(KTI)設立原木を輸入に頼り続けるか、自ら現地に資源と製造拠点を持つか——住友林業が初めて手掛けた海外生産 詳細を読む★★★
PT. Kutai Timber Indonesiaを設立
スミリン住宅販売を東京と大阪に設立し注文住宅事業を開始★★
スミリン緑化を設立し造園・緑化事業を開始
スミリン住宅販売2社を住友林業ホーム(東京)・住友林業住宅(大阪)に商号変更
住友林業ホームと住友林業住宅が合併
ニュージーランドにNelson Pine Industries Ltd.を設立
住友林業ホーム・大阪殖林を吸収合併
スミリンメンテナンスを設立
PT. Rimba Partikel Indonesiaを設立
東京証券取引所市場第一部に株式を上場
スミリンメンテナンスを住友林業ホームテックに商号変更
リフォーム事業に本格参入
イノスグループ事業開始
矢野龍サン・ステップの持分を取得し子会社化
矢野龍本社を移転
矢野龍安宅建材を吸収合併
市川晃Henleyグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
市川晃Bloomfield Homesグループの持分を取得し持分法適用関連会社化
市川晃紋別バイオマス発電を設立し子会社化
市川晃Gehan Homesグループの持分を取得し子会社化★★
市川晃熊谷組の持分を取得し持分法適用関連会社化★★
市川晃Crescent Communitiesグループの持分を取得し子会社化
光吉敏郎プライム市場へ移行
光吉敏郎JPIグループの持分を取得し子会社化
光吉敏郎Metriconグループの持分を取得し子会社化★★
光吉敏郎Brightland HomesグループをDRBグループへ再編
出典・参考

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