YKK株式を公開せず、社員が株主であり続ける資本政策
「株は事業への参加証」という創業者の設計を、二代目が引き継ぐと決めた判断
- 概要
- YKKは創業以来、株式を公開していない。賞与の半分を社内預金に回し、入社3年以上の社員が株主になれる仕組みを敷き、株のほとんどを社員が持ち合ってきた。2003年8月、二代目の吉田忠裕氏はこの設計を踏襲したいと述べつつ、上場を明確に否定はしないという位置に立った。
- 背景
- 創業者の吉田忠雄氏は、株主とは事業に協力する人を指し、一緒に喜び苦しむ事業協力者であると考えた。その最たるものが一緒に働く従業員であり、損得で株を売買する人の手に自社株を渡したくないとして、証券会社からの上場の誘いを退けてきた。
- 内容
- 社員は賞与の半分を社内預金に積み、入社3年以上で株主になる。退職の際は株式を返す。1977年時点の配当は年18%だった。2017年3月期の大株主はYKK恒友会(従業員持株会)が18.52%、有限会社吉田興産が14.51%で、社員と創業家が資本を分け合う構造が続く。
- 含意
- 非上場を保ったまま、YKKは2007年の建築基準法改正や2008年の金融危機を経て2006年度から続く業績の落ち込みを通過した。統治の面では外部取締役の起用と委員会制度の導入を進め、開示にも前向きに動いた。
開示する非上場という位置
非上場を選ぶ企業は珍しくないが、YKKの場合は有価証券報告書を出し続けている点で普通の未公開企業と異なる。社債などの発行によって開示義務を負う立場にあり、売上も利益も大株主も役員報酬も公開されている。上場によって得られるもののうち、情報開示の規律は非上場のまま引き受けてきたことになる。
引き受けなかったのは、株価という評価と、それに伴う資本市場からの圧力である。創業者はこれを損得で売買する人の手に渡したくないという言葉で説明した。ただし2003年の忠裕氏の答えは、先代の言い切りとは温度が違う。断定はできないと述べたのは、需要が変われば前提も変わりうると認めたということでもある。
その後20年あまり、上場は起きていない。従業員持株会が筆頭株主であり続ける構造は、資本の出し手を社内に限る代わりに、外から大規模な資金を入れる道を閉じる。ファスニングとAPという二つの事業を世界71の国と地域で回す規模になってなお、この設計が続いているのは、必要な投資を自前の利益と借入でまかなえてきたからにほかならない。設計が試されるのは、それが足りなくなったときである。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
株主を事業協力者と定義した
吉田忠雄氏は、株主とは企業に協力してくれる人を指し、一緒に喜んだり苦しんだりする事業協力者であると考えた。その最たるものが一緒に働く従業員であり、材料を供給する協力会社や取引先、地域で支える会社も含まれる。株が儲かるから持ち、儲かるから売るという損得の側面は、この考えと相いれなかった。株を独り占めしたいのではなく、事業協力者と喜びや苦しみを分かち合いたいというのが理由である[1]。
この考えは会社の仕組みに落とし込まれた。社員は夏と年末の賞与の半分を社内預金に回し、入社して3年以上の社内預金があれば誰でも株主になれる。女性が結婚で退職する場合を除いて中途退職はほとんどなかったが、定年か中途かを問わず退職する際は株式を返してもらう。株のほとんどを社員が持ち合い、1977年時点の配当は年18%だった[2][3]。
決断
踏襲するが、否定もしない
1993年に社長へ就いた吉田忠裕氏は、2003年の取材でこの資本政策について問われた。忠裕氏は先代の思想を踏襲したいとしたうえで、今後どういった形がとれるかはいろいろな視点から追求するとし、上場すると言っているのではなく断定はできないと述べた。創業者が頭の片隅にもないと言い切った位置からは、わずかに動いている[4]。
非公開のまま統治をどう保つかという問いには、別の答えを用意した。忠裕氏は、日本で企業の不祥事が相次いだのは統治の体制と考え方ができていないためだとし、米国の先進事例をそのまま持ち込むと日本に合わないため、できるだけ開示することと取締役に外部を入れることを進めるとした。委員会制度も一部で動かし始めており、始めたこと自体がYKK本体の変化として世界に伝わると語っている[5]。
結果
20年後も筆頭株主は従業員持株会
2017年3月期の有価証券報告書によれば、筆頭株主はYKK恒友会(従業員持株会)で18.52%、次いで有限会社吉田興産が14.51%、吉田忠裕氏が5.50%、吉田政裕氏が5.01%である。社員と創業家が資本を分け合う構造は、創業者が敷いた設計のまま残った。YKKは非上場を保ちながら有価証券報告書を提出し続けている[6]。
執行の側では創業家から離れた。有価証券報告書の代表者欄は、2017年3月期に代表取締役会長の吉田忠裕氏、2018年3月期から2024年3月期まで代表取締役社長の大谷裕明氏、2025年3月期以降は代表取締役社長の松嶋耕一氏を記す。資本は創業家と社員が持ち、経営の執行は専門の経営者が担うという分離が進んだ[7]。
- 日本経済新聞「私の履歴書」1977年8月(吉田忠雄)
- 週刊東洋経済 2003年8月2日号「KeyPerson 吉田忠裕 YKK代表取締役社長」
- 週刊東洋経済 2016年8月27日号「次世代リーダーの条件 YKK」
- YKK 有価証券報告書