服部一族が約6割の株を握り、年1,000億円を超える設備投資を銀行借り入れで支える。この組み合わせが、1996年から社内体制を構築してまで上場を求めた理由であっただろう。『早く上場させてくれというエプソンからの催促は、日増しに強くなるばかりだった』という服部純一セイコーインスツルメンツ社長の言葉が示すのは、上場が資金調達の話であると同時に、グループの中で自分の投資を自分で決める権限の話でもあったことである。
ただ、資本の再編を先に進めたため、時計事業の置き場は宙に浮いたまま残った。売上比3%の事業は中期経営計画"SE07"に言及がなく、上場時の投資家説明でその位置が最も問われる点であった。市場に出て3年目の2006年3月期には4度の下方修正と179億円の純損失が重なり、事業の再編を株価と四半期の評価に見られながら進める立場へ変わった。上場は資金の道を開くと同時に、使える時間の長さを縮めたといえる。