ホシザキ創業61年目の東証一部・名証一部上場
金融危機のただ中で株式を公開する意味は何であったか
- 概要
- 2008年12月、ホシザキ電機が東京証券取引所市場第一部および名古屋証券取引所市場第一部へ株式を上場した経営判断。1947年の創業から61年、創業家2代の手元にあった株式を市場へ開いた。
- 背景
- 2005年に社長へ復帰した坂本精志氏のもとで、国内子会社の本体集約と海外での大型買収が同時に進んでいた。地場販社の集合体から連結で管理する企業集団へ移る作業が、上場の準備と重なっていた。
- 内容
- 上場日は2008年12月10日。ブルームバーグによれば公開価格は仮条件750〜800円の下限にあたる750円で決まり、公開株式数1,152万2,900株から試算した吸収額は86億4,217万円であった。
- 含意
- リーマン・ショックから3カ月という時期の公開で、初値は公開価格を6%下回った。値決めの結果は厳しかったが、開示と外部の目にさらされる立場へ移ったことが、のちの不祥事対応の枠組みを規定した。
遅い公開が引き受けたもの
創業から61年という時間の長さは、この会社が資本市場を必要としてこなかった年月の長さでもある。氷を作る機械という一つの商品と、それを売って直す販売会社の網で、同社は長く自力の成長を続けてきた。上場を選んだのは、海外の会社を丸ごと買うという別種の投資を始めてからであった。買収の対価を払う手段としてだけでなく、買った会社を連結で説明し続ける立場に自らを置いたことに、この判断の重さがあるとみられる。
値決めの結果だけを見れば、金融危機のただ中での公開は不利な取引であった。ただ、その10年後に子会社の不適切な取引が表面化したとき、同社は取引所の規則という外部の物差しに沿って処理する立場に置かれ、期限と手順を公開の場で示すことを求められた。創業家の判断で完結していた会社が、外の目に説明する会社へ移る——2008年12月の選択がもたらしたものは、調達した資金よりも、この立場の変化にあったとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
61年間、市場の外にあった会社
星崎電機は1947年2月に名古屋市瑞穂区桃園町で設立され、以後61年にわたり株式を公開しなかった。創業者の坂本薫俊氏が1989年12月の商号変更まで代表を務め、その後も創業家が経営の中心にあった。事業の形も、本社と全国15地域の販売会社が並ぶ集合体に近く、各社が地元の顧客を抱えて営業と保守を担っていた。資本を外へ開かずに済んだのは、設備投資も販路の拡張も自社の稼ぎの範囲でまかなえていたためであった[1][2]。
構図が動いたのは2000年代半ばであった。2003年11月に創業者が逝去し、2005年6月に長男の坂本精志氏が代表取締役社長へ就く。同年12月には販売子会社の坂本商事と家電販売のホシザキ家電を本体へ吸収合併し、2006年7月にネスターを株式交換で、同年12月にサンセイ電機を完全子会社化した。2005年5月に設けた厨房ステーションは軌道に乗らず2007年12月に清算している。子会社を本体と連結の下へ寄せる整理が、上場準備と同じ時期に進んだ[3]。
買収で膨らんだ資金と開示の負荷
同じ時期、海外では自社にとって過去最大規模の投資が続いた。2006年2月に米国テキサス州のLANCER CORPORATIONを約2億1,500万米ドルで取得し、2008年9月にはデンマークのGRAM COMMERCIAL A/Sを395百万デンマーク・クローネ、日本円でおよそ86億円で取得している。北米では2006年1月にHOSHIZAKI USA HOLDINGSを置いて持株会社の下に事業をまとめ、中国の蘇州にも生産拠点を設けた。自己資金と借入だけで賄い続けるには重い規模の支出が並んだ[4][5]。
買った会社を連結で抱えれば、決算の作り方も変わる。米国の子会社は証券取引所に上場していた会社であり、欧州の子会社は現地の会計と監査に服する。国内でも複数の販売子会社を本体へ寄せ、連結の範囲を組み替える作業が並行していた。2008年12月期の連結売上高は1,703億円、営業利益は94億円で、規模のうえでも公開企業と変わらない位置にあった。外部の監査と開示に耐える体制を作る負担は、上場するかどうかにかかわらず生じていた[6][7]。
決断
金融危機から3カ月後の公開
ホシザキ電機は2008年12月、東京証券取引所市場第一部と名古屋証券取引所市場第一部へ株式を上場した。新規上場でいきなり一部に指定される案件は多くなく、規模と実績を備えた会社に限られる。ただし時期は最も悪い部類にあった。同年9月に米国の大手投資銀行が破綻して世界の株式市場が崩れ、外食や小売の設備投資が止まりかけていた。GRAM COMMERCIAL A/Sの株式売買契約を結んだのが同年9月1日であり、その3カ月後に公開を迎えたことになる[8][9]。
それでも同社は公開を先送りしなかった。61年にわたって創業家と関係者が持ち合ってきた株式を市場へ出すことは、資金の調達手段を増やす一方で、四半期ごとの開示と外部の株主に対する説明を引き受ける選択でもある。海外の買収を続ける以上、資金の出どころを銀行借入だけに頼る構図からは離れておく必要があった。市況の回復を待って条件の良い時期を選ぶよりも、体制が整った時点で公開する道が採られた[10]。
公開価格750円、初値705円
値決めは仮条件の下限で決着した。ブルームバーグによれば、仮条件は750〜800円で示され、公開価格はその下限にあたる750円で決まった。上場初日の12月10日に付いた初値は705円で、公開価格を6%下回っている。公開株式数は1,152万2,900株、そこから試算した市場からの吸収額は86億4,217万円であった。当時の新規上場1社あたりの平均吸収額はおよそ28億円とされ、その3倍を超える規模にあたる[11]。
吸収額の大きさは、需給の面では初値を抑える方向に働いた。市場全体が売りに傾いていた時期に、一銘柄で86億円分の株式を引き受ける買い手を探すことになる。もっとも、会社側から見れば調達の規模はそのまま手元に入る資金の厚みでもあった。海外での買収を続けるうえで、この時点で資本市場との回路をつないでおく意味は、初値の数十円の差より大きかったとみることができる。値付けの結果は、公開そのものの意図とは別の次元にあった[12]。
結果
公開企業として受けた規律
上場後の業績は、金融危機の影響を受けた2009年12月期に連結売上高1,603億円まで落ちた後、2012年12月期には1,789億円、営業利益165億円へ戻した。2016年7月には商号をホシザキ株式会社へ改め、扱う領域が電気機器の枠に収まらなくなった実態に合わせている。海外での買収も続き、2022年4月には東証プライム市場・名証プレミア市場へ移った。61年目の公開は、その後の10年余りにわたる拡張の資金面の裏づけとなった[13][14]。
一方で、公開企業であることは制裁の可能性を伴う。2018年、子会社のホシザキ東海をめぐる不適切な取引の調査で四半期報告書の提出が遅れ、東京証券取引所は同年12月14日に同社株式を監理銘柄(確認中)へ指定した。提出期限の延長承認を受けたうえで、なお提出できる見込みがない旨の開示を行ったためである。同取引所は、期限経過後8日目にあたる12月27日までに提出がなければ上場廃止を決定すると明示した。非上場のままであれば表に出なかった手続きが、公開企業としての立場から一つずつ課された[15][16]。
- ホシザキ 有価証券報告書【沿革】
- ホシザキ電機 有価証券報告書(2008年12月期・2009年12月期・2012年12月期・連結)
- ブルームバーグ(2008年12月10日)「ホシザキが東証1部に新規上場、初値は公開比6%安-業務用厨房機器」
- ホシザキ電機(2005年10月20日)「米国二位の飲料ディスペンサーメーカーである、LANCER CORPORATIONの買収について」
- ホシザキ電機(2008年9月2日)「ホシザキグループ 欧州の業務用冷蔵庫メーカー『Gram Commercial社』を買収」
- 東京証券取引所(2018年12月14日)「監理銘柄(確認中)の指定:ホシザキ(株)」
- 日経ビジネス電子版(2024年11月8日)「飲食店を支える隠れた巨人・ホシザキ、上場廃止危機からの復活劇」
- ホシザキ「ハッピー!!ペンギンアイランド」ホシザキの歴史