東証2部へ上場(2000年・はごろもフーズの決断) 更新:2026/07/22 論点 創業69年で株式公開に踏み切るか はごろもフーズ:業績の推移 売上高(億円)経常利益率(%) 創業から69年を経て踏み切った株式公開と資本市場からの調達 何をなぜ決めたか:創業から69年を経て踏み切った株式公開と資本市場からの調達 概要 2000年2月、はごろもフーズが東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。1931年の創業から69年、戦後再起の法人設立から53年を経ての株式公開であり、創業家による非公開経営を長く続けた同社にとって資本政策の転換にあたる。 背景 資本金は1億円に満たず、静岡銀行との関係が良好で事業に必要な資金は借入で賄えていた。一方でシーチキン一本に依存した収益は原料相場に振られ、輸入ツナ缶の流入も続き、新事業を興す資金と人材の確保が課題として残っていた。 内容 2000年2月9日に東証2部へ上場。公開の狙いは、21世紀の事業展開に備えて会社の体力を強化することに置かれた。公開で得た資金は無菌包装米飯工場(サンライズプラント)の建設に充てられた。 含意 上場後も創業家関連の財団と持株会が発行済株式の過半に近い比率を保ち、資本市場の規律と同族的な統治が併存した。公開で得た資金を投じた新規分野は、6年後に減損損失として決算に現れた。 いつ何が起きたか 6件 考察:公開して、何を得たか 考察 考察:公開して、何を得たか 上場の動機として後藤康雄社長が挙げたのは、資金不足の解消ではなく"体力の強化"であった。借入で足りている会社が市場へ出る理由は、資金そのものより、新しい事業を興すための人材と、外から見られる緊張感の側にあっただろう。公開は、準備の整った時期に淡々と実行された。危機に追われた資本政策ではなかった点が、この判断の性格を決めている。 もっとも、公開の後に残ったのは、創業家関連の財団と持株会が過半に近い株式を保持し続ける構造であった。市場の目が入ったことで開示は増えたが、株主構成が経営に働きかける経路は限られたままである。上場で調達した資金を投じた無菌米飯は6年で減損に至り、次の柱を求める投資は借入による買収へ移っていった。公開が社風を入れ替える装置として働いたかどうかは、いまも問い直せる論点として残っているとみられる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日経ビジネス 1993年12月20日・27日号証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2016年3月期・2024年3月期) 次に読む決断 はごろもフーズの意思決定1956年はごろもフーズはごろもフーズ東京営業所開設で内需へ輸出依存からの脱却と、国内市場向け自社ブランド缶詰への転換1956年2005年はごろもフーズはごろもフーズマルアイなど3社を取得乾物メーカー3社の全株式取得と、初めての連結決算2005年同じ問い:上場による資金調達2002年竹内製作所竹内製作所JASDAQへの登録上場登録上場による同族の非公開企業から公開企業への移行2002年2003年セイコーエプソンセイコーエプソン東証一部へ株式上場非公開の会社から、市場の値付けに日々晒される会社への移行2003年2008年ホシザキホシザキ東証・名証への同時上場創業61年目にしての株式公開と、二つの市場への同時上場2008年2017年ジャパンエレベーターサービスHDジャパンエレベーターサービスHDマザーズへ株式上場創業家が過半を持ち続けたままの株式公開と、支配権を手放さない資金調達2017年2000年電通総研電通総研電通・米GE合弁の上場二社の親会社を抱えたまま踏み切った東証一部への株式公開2000年 × 出所