はごろもフーズは1931年、初代後藤磯吉氏が静岡県清水市に『後藤缶詰所』を開いた[1]ことに始まる。創業当時の年商はわずか200万円[2]で、清水港で水揚げされるマグロを原料に缶詰を詰める業者の一つ[3]にすぎなかった。折からの不況で港に揚がったマグロを消費する手立てがなく、後藤磯吉氏は単身で渡米して缶詰の技術を移入し、生産を始めた[4]。作った缶詰は国内の食卓ではなく海外の市場へ送られ、清水の業者は輸出先メーカーへの相手先ブランドによる供給を事業の中心に据えていた[5]。太平洋戦争をはさんだのち、1947年7月に清水屋を設立し、同年8月に商号を後藤物産へ変更した[6]。
戦後の再建は商号と工場の入れ替えとして進み、1948年5月に後藤物産罐詰、1950年10月に後藤罐詰へと商号を改め[7]、1950年3月には静岡県清水市に清水プラントを新設した[8]。1951年2月には焼津食品と焼津水産缶詰を吸収合併して焼津プラントを設け[9]、1956年10月には後藤漁業も吸収合併した[10]。もっとも事業の形は戦前と変わらず、清水のパッカーは1990年代に至っても大半が問屋や大手メーカーのブランドで売られる『白巻き』を製造していた[11]。2代目後藤磯吉氏は、発注のままにただ詰めて納品するだけでは文字どおりの『詰め屋』にすぎず[12]、メーカーならば消費者が本当に食べているものを知るべきだと考えていた。
1956年5月、後藤罐詰は東京営業所を開設し[13]、国内販売へ乗り出した。2代目後藤磯吉氏は当時、輸出は商社を通じて海外へ売られるため直接食べる客の希望が分からず、しかも商社の下請けにあたる[14]と語った。客の望むものを少しでも安く提供し、作った製品を自社ブランドで販売してそのブランドを育て上げる[15]ことが、後藤磯吉氏の考えるメーカーの使命だった。輸出では相手が外国であり、当時の後藤罐詰の力では自社ブランドでの販売に手が届かなかった[16]。国内なら静岡や愛知といった身近なところから少しずつ売っていけば形になると見込み、内需転換に踏み切った[17]。
果物缶詰は原料の季節性が強く生産期間が冬に限られたため、自社ブランドはツナ缶を中心に開発された[18]。1958年、後藤罐詰は売上の大半を占めていた米国向け輸出を縮小し、『はごろもシーチキン』[引用元]で国内市場の開拓に乗り出した[19]。製品名は『海のニワトリ』を意味する言葉から取った[20]。マグロ油漬缶詰と表示すると、食品業界の人間は食用油と分かるものの、一般の買い手は油から機械油を連想しかねないと考えたためである[21]。米国には海でとれる鶏肉を意味する『チキン・オブ・ザ・シー』というブランドがあり、これも参考にした[22]。1958年11月、鮪油漬缶詰類の製品名として『シーチキン』を商標登録した[23]。
国内で缶詰を売るには店へ届ける経路が要り、後藤罐詰は昭和30年代から他社に先駆けて有力食品卸売業を特約店として組織化し、全国的で強固な販売網を作った[24]。全国の問屋に呼びかけて『はごろも会』を組織し、流通ルートを確立した[25]。1956年に開いた東京営業所はのちに東京支店へ改組され[26]、営業の拠点は西へも伸びた。1961年7月に名古屋営業所、1962年3月に大阪営業所を開設し[27]、1962年10月には静岡県清水市にマカロニ類の製造工場を新設して[28]、缶詰以外にマカロニやスパゲッティの製造も抱えた。
販売網が整ってもシーチキンそのものは売れず、ツナ缶は国内でほとんど認知されていない商品として、発売から10年近くは鳴かず飛ばず[29]のままだった。単体の売上高は1957年3月期の11億円から1962年3月期に18億円、1963年3月期に19億円、1964年3月期に23億円、1965年3月期に24億円と伸びたが、この伸びは輸出を含む缶詰全体のもので、看板に据えた自社ブランドは家庭の台所に入っていなかった[30]。1965年3月期の従業員は600名で、事業の規模はなお中小企業の域にとどまっていた。
販売の行き詰まりを破るため、1967年、2代目後藤磯吉氏は東海テレビへ月額1000万円・6カ月契約の広告を出した[31]。当時の売上高は20億円台で、6000万円の広告費は年商の2割から3割にあたる。後藤磯吉氏はこれを当時としては思い切った巨費と呼び、キヨミズの舞台から飛び降りる気持ちでシーチキンの名を売り込む宣伝に出た[32]と述べている。利益がさほど出ていない時期であり、うまく行かなければ命取りになったかもしれない[33]とも振り返った。宣伝の対象には、競合の多い果物缶詰ではなく、自社の商標を持つシーチキンを選んだ[34]。
広告は市場を動かし、テレビCM開始直前の1967年3月期に48缶入り1ケース換算[35]で年3万ケースだったシーチキンの販売量は、5年後に100万ケース、1974年度には250万ケースへ増えた[36]。売上高は1966年度の36億円から10年後に340億円となった[37]。1969年3月期には51億円へ伸び、当期純利益3000万円を計上した。1977年3月期の売上高は340億円、経常利益は5億8000万円だった。1969年7月には商号をはごろも罐詰へ変更し[38]、商標として育てた『はごろも』を社名に据えた。
1973年以後、為替相場は変動制へ移り、円は対ドルで上昇を始めた[39]。1978年には1ドル200円を大きく割り込む円高となり、日本製の缶詰は価格の競争力を失って[40]輸出向けのパッカーが打撃を受けた。輸出を失った同業者が国内へ向き直ったとき、静岡の中堅パッカーが『我々が国内市場に目を転じた時には、はごろもがチャネルを押さえてしまった後だった』[引用元]と語る状態になっていた。売上高は1977年3月期の340億円から1979年3月期に423億円、1981年3月期に544億円へ伸び、同期の経常利益は22億2000万円だった。
シーチキンの育成に専念するため、はごろも罐詰は鉄工業や木工業など当初持っていた経営資源を手放した[41]。冷凍食品やインスタントコーヒーといった新商品も切り捨て[42]、単一の商標へ資源を寄せた。1976年11月には東北はごろもを設立し、1978年10月にはフィッシュエキス・フィッシュミールの製造工場を新設して[43]、缶詰の製造で出る原料を製品に変える工程を持った。1986年6月、初代後藤磯吉氏の孫にあたる後藤康雄氏[44]が代表取締役社長に就いた[45]。1971年に味の素へ入り1978年4月にはごろも罐詰へ移り、総務部長・取締役・常務取締役を経ての昇格[46]だった。
1987年7月にはペットフード販売の子会社シーエイディを設立し、同年9月に東北はごろもを吸収合併、同年12月には商号をはごろもフーズへ変更した[47]。1988年3月に焼津プラントを移転・新設し、同年6月にはタイのバンコックへ駐在員事務所を開いた[48]。
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|---|---|---|---|---|
| 1931〜1958年相手先ブランドの輸出加工から自社商標の内需へ | 清水屋を設立 | ★ | ||
| 商号を後藤物産に変更 | ★ | |||
| 商号を後藤物産罐詰に変更 | ★ | |||
| 商号を後藤罐詰に変更 | ★ | |||
| 焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併、焼津プラントを新設 | ★★ | |||
| 輸出依存から内需へ——東京営業所開設と自社ブランド缶詰への転換 1956年、後藤罐詰(現・はごろもフーズ)の2代目後藤磯吉社長が東京営業所を開設し、米英向け輸出に依存した缶詰製造から、自社ブランドによる国内販売主体の事業へ転換した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 後藤漁業を吸収合併 | ★ | |||
| 鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録 | ★★ | |||
| 1959〜1988年広告への集中投下による国内流通経路の確保 | 名古屋営業所を開設 | ★ | ||
| 大阪営業所を開設 | ★ | |||
| マカロニ類製造工場(パスタプラント)を新設 | ★ | |||
| 商号をはごろも罐詰に変更 | ★ | |||
| 東北はごろもを設立 | ★ | |||
| フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設 | ★ | |||
| 後藤康雄 | ペットフード販売のため子会社シーエイディを設立 | ★ | ||
| 後藤康雄 | 東北はごろもを吸収合併 | ★ | ||
| 後藤康雄 | 商号をはごろもフーズに変更 | ★ | ||
| 後藤康雄 | 焼津プラントを移転・新設 | ★ | ||
| 後藤康雄 | タイ国バンコックに駐在員事務所を開設 | ★ | ||
| 1989〜2004年単一ブランドへの依存が限界に達し株式を公開 | 後藤康雄 | 物流体制強化のため子会社セントラル物流を設立 | ★ | |
| 後藤康雄 | インドネシア国に鮪・鰹缶詰製造の合弁会社(P.T.アネカ・ツナ・インドネシア)を設立 | ★ | ||
| 後藤康雄 | 焼津プラント内にチルドプラントを新設 | ★ | ||
| 後藤康雄 | 創業から69年を経ての東証2部上場 2000年2月、はごろもフーズが東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。1931年の創業から69年、戦後再起の法人設立から53年を経ての株式公開であり、創業家による非公開経営を長く続けた同社にとって資本政策の転換にあたる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 後藤康雄 | 包装米飯製造工場(サンライズプラント)を新設 | ★ | ||
| 後藤康雄 | シーエイディを吸収合併 | ★ | ||
| 2005〜2025年買収による多角化の挫折と原料相場の直撃 | 後藤康雄 | 乾物メーカー・マルアイ他2社の全株式を44億5000万円で取得 2005年1月24日の取締役会で、はごろもフーズが『花かつお』で知られる削り節メーカーのマルアイと関係会社マルアイ商事・愛食興産の全株式を44億5000万円で取得することを決議し、同年4月1日付で議決権100%を取得した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 溝口康博 | マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事に事業譲渡し販売体制を再編 | ★★ | ||
| 溝口康博 | 清水プラント跡地にパスタプラントを移転・新設 | ★ | ||
| 池田憲一 | マルアイを吸収合併 | ★★ | ||
| 池田憲一 | 本社を移転 | ★ | ||
| 池田憲一 | 品質管理・製品開発体制強化のためHIC(はごろもイノベーションセンター)を開設 | ★ | ||
| 後藤佐恵子 | 鮪・鰹缶詰製造工場(新清水プラント)を新設 | ★ | ||
| 後藤佐恵子 | はごろも商事を吸収合併 | ★ | ||
| 後藤佐恵子 | 東京証券取引所スタンダード市場に移行 | ★ |
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事実根拠:出所(はごろもフーズ)