決断
原料を持たないまま、商標と販路だけを自らの手へ集めてきた。1956年5月、2代目後藤磯吉氏は輸出が好調なさなかに東京営業所を開設して国内販売へ主力を振り向けた。商社を通す輸出では食べる客の希望が届かず、相手先ブランドの供給は商社の下請けにあたるという判断からである。大手問屋には断られると見て二次問屋を特約店として組織し、1958年11月には鮪油漬缶詰の製品名"シーチキン"を商標登録した。1967年には年商20〜30億円の時期に東海テレビへ6000万円を投じ、肉が割高な家庭へ"肉の代用"を訴えている。2000年2月には創業から69年を経て東証2部へ上場し、公開で得た資金を無菌包装米飯の工場へ充てたが、缶詰の外に新しい収益源は立たなかった。
2005年1月 マルアイなど3社を取得
連結調整勘定(負ののれん)の残高2006 2011 連結調整勘定(百万円) 2,014 0 2000年2月 東証2部へ上場
業績の推移1999 2000 2005 売上高(億円) 767 802 706 経常利益率(%) 3.0 5.2 1.8 1956年5月 東京営業所開設で内需へ