はごろもフーズ の歴史

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1931年、後藤磯吉氏が静岡で創業し缶詰の製造へ。1958年に「シーチキン」を商標登録し、輸出依存から内需への転換、2000年の東証2部上場までの沿革と経緯を執筆。

創業

1931年

創業者

後藤磯吉

創業地

静岡県静岡市

直近売上高(2026/3)

751億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1956年、輸出が好調ななかで国内販売へ転換したのか
A 輸出が好調なほど米英の流通と為替に需要を握られ、独自商標を持たぬ集荷請負では値も売り先も他者が決めた。2代目後藤磯吉氏は1956年、メーカーとして自分の商標と販路を持つことを優先し、同業者が誰も向かわなかった国内販売へ主力を移した。同年に東京営業所を開き、大手問屋に断られると見て二次問屋を特約店として束ねた。1958年に「シーチキン」を商標登録し、原料魚は大手水産会社に頼りつつ、売り先と商標を自分の手に収めた
Q なぜ1967年、年商の2〜3割にあたる広告費をシーチキンに集中投下したのか
A 二次問屋ルートを引き終えてもシーチキンの家庭への浸透は進まず、料理用途も限られて販売は伸び悩んだ。打開のため後藤磯吉氏は1967年、東海テレビへ6000万円のCMを出した。当時の年商20〜30億円規模では売上の2〜3割にあたる賭けで、みかん缶ではなく独自商標のシーチキンを選んだのは広告効果が高いと見たためである。肉が割高な家庭向けに「肉の代用」を訴え、1968年度に売上は50億円を超え、賭けを回収した。
Q なぜ2020年前後、シーチキンの名を残したまま48億円投資と大豆原料へ動いたのか
A 1991年の牛肉輸入自由化で生肉が安くなり、肉の代用というシーチキンの値ごろ感が後退し、1993年前後をピークに売上は800億円台で長く停滞した。2022年以降は原料カツオ・ツナの相場高騰が単一事業の収益を直撃し、2023年3月期は最終損失13.2億円に転落した。後藤佐恵子社長は池田憲一前社長が決めた48億円の新清水プラントを2020年に動かして生産を更新する一方、相場と環境配慮の両にらみで「大豆でつくったシーチキン」を投入した。看板の名を残し、原料を魚から大豆へ替えた。

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1931年〜 相手先ブランドの輸出加工から自社商標の内需へ

はごろもフーズの業績推移:単体

売上高(億円)
  1. 1947年 清水屋を設立
  2. 1947年 商号を後藤物産に変更
  3. 1948年 商号を後藤物産罐詰に変更
  4. 1950年 商号を後藤罐詰に変更
  5. 1951年 焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併、焼津プラントを新設
  6. 1956年 輸出依存から内需へ——東京営業所開設と自社ブランド缶詰への転換 商社の下請けとして輸出を続けるか、自社の名前で国内へ売るか——2代目後藤磯吉氏が選んだ道
  7. 1958年 鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録

清水港の輸出缶詰業として出発した創業期

はごろもフーズは1931年、初代後藤磯吉氏が静岡県清水市に「後藤缶詰所」を開いた[1]ことに始まる。創業当時の年商はわずか200万円[2]で、清水港で水揚げされるマグロを原料に缶詰を詰める業者の一つ[3]にすぎなかった。折からの不況で港に揚がったマグロを消費する手立てがなく、後藤磯吉氏は単身で渡米して缶詰の技術を移入し、生産を始めた[4]。作った缶詰は国内の食卓ではなく海外の市場へ送られ、清水の業者は輸出先メーカーへの相手先ブランドによる供給を事業の中心に据えていた[5]。太平洋戦争をはさんだのち、1947年7月に清水屋を設立し、同年8月に商号を後藤物産へ変更した[6]

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [1]1931年 初代後藤磯吉が静岡県清水市に「後藤缶詰所」を創業
    • [2]創業当時の年商 200万円
    • [3]清水港で水揚げされるマグロを原料とする缶詰業者の一つ
    • [5]戦前の清水は輸出先メーカーへのOEM(相手先ブランド)供給が中心
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [4]初代後藤磯吉が単身渡米して缶詰技術を移入し生産を開始
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1947年7月 清水屋を設立・同年8月 商号を後藤物産へ変更

戦後の再建は商号と工場の入れ替えとして進み、1948年5月に後藤物産罐詰、1950年10月に後藤罐詰へと商号を改め[7]、1950年3月には静岡県清水市に清水プラントを新設した[8]。1951年2月には焼津食品と焼津水産缶詰を吸収合併して焼津プラントを設け[9]、1956年10月には後藤漁業も吸収合併した[10]。もっとも事業の形は戦前と変わらず、清水のパッカーは1990年代に至っても大半が問屋や大手メーカーのブランドで売られる「白巻き」を製造していた[11]。2代目後藤磯吉氏は、発注のままにただ詰めて納品するだけでは文字どおりの「詰め屋」にすぎず[12]、メーカーならば消費者が本当に食べているものを知るべきだと考えていた。

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1948年5月 後藤物産罐詰・1950年10月 後藤罐詰へ商号変更
    • [8]1950年3月 静岡県清水市に清水プラントを新設
    • [9]1951年2月 焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併し焼津プラントを新設
    • [10]1956年10月 後藤漁業を吸収合併
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [11]清水のパッカーは大半が問屋・大手メーカーのブランドで売られる「白巻き」を製造
    • [12]2代目後藤磯吉「発注のままに、ただ詰めて納品するだけでは、文字通りただの“詰め屋(パッカー)”だ。メーカーならば、消費者が本当に食べているものを知るべきだ」
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [1]1931年 初代後藤磯吉が静岡県清水市に「後藤缶詰所」を創業
    • [2]創業当時の年商 200万円
    • [3]清水港で水揚げされるマグロを原料とする缶詰業者の一つ
    • [5]戦前の清水は輸出先メーカーへのOEM(相手先ブランド)供給が中心
    • [11]清水のパッカーは大半が問屋・大手メーカーのブランドで売られる「白巻き」を製造
    • [12]2代目後藤磯吉「発注のままに、ただ詰めて納品するだけでは、文字通りただの“詰め屋(パッカー)”だ。メーカーならば、消費者が本当に食べているものを知るべきだ」
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [4]初代後藤磯吉が単身渡米して缶詰技術を移入し生産を開始
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1947年7月 清水屋を設立・同年8月 商号を後藤物産へ変更
    • [7]1948年5月 後藤物産罐詰・1950年10月 後藤罐詰へ商号変更
    • [8]1950年3月 静岡県清水市に清水プラントを新設
    • [9]1951年2月 焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併し焼津プラントを新設
    • [10]1956年10月 後藤漁業を吸収合併

輸出が好調なさなかの内需への転換

1956年5月、後藤罐詰は東京営業所を開設し[13]、国内販売へ乗り出した。2代目後藤磯吉氏は当時、輸出は商社を通じて海外へ売られるため直接食べる客の希望が分からず、しかも商社の下請けにあたる[14]と語った。客の望むものを少しでも安く提供し、作った製品を自社ブランドで販売してそのブランドを育て上げる[15]ことが、後藤磯吉氏の考えるメーカーの使命だった。輸出では相手が外国であり、当時の後藤罐詰の力では自社ブランドでの販売に手が届かなかった[16]。国内なら静岡や愛知といった身近なところから少しずつ売っていけば形になると見込み、内需転換に踏み切った[17]

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1956年5月 東京営業所を開設(国内販売への転換)
    • [14]2代目後藤磯吉「輸出は商社を通じて海外に販売される関係上、直接食べてくださるお客様の希望がわれわれにはわからない部分が多くなります……それに輸出は商社のいわば下請けです」
    • [15]2代目後藤磯吉「お客様の望まれるものを少しでも安く提供し、造った製品を自社ブランドで販売していき、そのブランドを育て上げていく」というメーカーの使命観
    • [16]2代目後藤磯吉「外国が相手の輸出では当社ほどの力ではとてもできません」
    • [17]2代目後藤磯吉「国内なら静岡とか愛知とかの身近なところからボツボツやっていけばうまくいくのではないかと考えて内需転換に踏み切りました」

果物缶詰は原料の季節性が強く生産期間が冬に限られたため、自社ブランドはツナ缶を中心に開発された[18]。1958年、後藤罐詰は売上の大半を占めていた米国向け輸出を縮小し、「はごろもシーチキン」で国内市場の開拓に乗り出した[19]。輸出が絶好調のさなかにその利益をシーチキンの商品化へつぎ込む形になり、後藤磯吉氏は「何も苦労しなくても」と周りからさんざん言われた[20]と振り返った。製品名は「海のニワトリ」を意味する言葉から取った[21]。マグロ油漬缶詰と表示すると、食品業界の人間は食用油と分かるものの、一般の買い手は油から機械油を連想しかねないと考えたためである[22]。米国には海でとれる鶏肉を意味する「チキン・オブ・ザ・シー」というブランドがあり、これも参考にした[23]。1958年11月、鮪油漬缶詰類の製品名として「シーチキン」を商標登録した[24]

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [18]果物缶詰は原料の季節性が強く生産期間が冬に限られるため、ツナ缶を中心に自社ブランドを開発
    • [19]1958年 米国向け輸出を縮小し「はごろもシーチキン」で国内市場の開拓に着手
    • [20]2代目後藤磯吉「輸出が絶好調の中で、その利益をシーチキンの商品化につぎ込む形になった。何も苦労しなくても、と周りからさんざん言われた」
    • [23]米国のブランド「チキン・オブ・ザ・シー」を参考にした命名
    • [21]「海のニワトリ」の意味を持つシーチキンの命名
    • [22]「油」から機械油を連想させることを避けた命名の理由
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1958年11月 鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1956年5月 東京営業所を開設(国内販売への転換)
    • [24]1958年11月 鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録
    • [14]2代目後藤磯吉「輸出は商社を通じて海外に販売される関係上、直接食べてくださるお客様の希望がわれわれにはわからない部分が多くなります……それに輸出は商社のいわば下請けです」
    • [15]2代目後藤磯吉「お客様の望まれるものを少しでも安く提供し、造った製品を自社ブランドで販売していき、そのブランドを育て上げていく」というメーカーの使命観
    • [16]2代目後藤磯吉「外国が相手の輸出では当社ほどの力ではとてもできません」
    • [17]2代目後藤磯吉「国内なら静岡とか愛知とかの身近なところからボツボツやっていけばうまくいくのではないかと考えて内需転換に踏み切りました」
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [18]果物缶詰は原料の季節性が強く生産期間が冬に限られるため、ツナ缶を中心に自社ブランドを開発
    • [19]1958年 米国向け輸出を縮小し「はごろもシーチキン」で国内市場の開拓に着手
    • [20]2代目後藤磯吉「輸出が絶好調の中で、その利益をシーチキンの商品化につぎ込む形になった。何も苦労しなくても、と周りからさんざん言われた」
    • [23]米国のブランド「チキン・オブ・ザ・シー」を参考にした命名
    • [21]「海のニワトリ」の意味を持つシーチキンの命名
    • [22]「油」から機械油を連想させることを避けた命名の理由

1959年〜 広告への集中投下による国内流通経路の確保

はごろもフーズの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1961年 名古屋営業所を開設
  2. 1962年 大阪営業所を開設
  3. 1962年 マカロニ類製造工場(パスタプラント)を新設
  4. 1969年 商号をはごろも罐詰に変更
  5. 1976年 東北はごろもを設立
  6. 1978年 フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設
  7. 1987年 ペットフード販売のため子会社シーエイディを設立

特約店網の組織化と伸びなかった販売

国内で缶詰を売るには店へ届ける経路が要り、後藤罐詰は昭和30年代から他社に先駆けて有力食品卸売業を特約店として組織化し、全国的で強固な販売網を作った[25]。全国の問屋に呼びかけて「はごろも会」を組織し、流通ルートを確立した[26]。1956年に開いた東京営業所はのちに東京支店へ改組され[27]、営業の拠点は西へも伸びた。1961年7月に名古屋営業所、1962年3月に大阪営業所を開設し[28]、1962年10月には静岡県清水市にマカロニ類の製造工場を新設して[29]、缶詰以外にマカロニやスパゲッティの製造も抱えた。

  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [25]昭和30年代から他社に先駆けて有力食品卸売業を特約店として組織化し全国的な販売網を構築
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [26]全国の問屋に呼びかけて「はごろも会」を組織し流通ルートを確立
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [27]1956年開設の東京営業所はのちに東京支店へ改組
    • [28]1961年7月 名古屋営業所・1962年3月 大阪営業所を開設
    • [29]1962年10月 マカロニ類製造工場(パスタプラント)を新設

販売網が整ってもシーチキンそのものは売れず、ツナ缶は国内でほとんど認知されていない商品として、発売から10年近くは鳴かず飛ばず[30]のままだった。単体の売上高は1957年3月期の11億円から1962年3月期に18億円、1963年3月期に19億円、1964年3月期に23億円、1965年3月期に24億円と伸びたが、この伸びは輸出を含む缶詰全体のもので、看板に据えた自社ブランドは家庭の台所に入っていなかった[31]。1965年3月期の従業員は600名で、事業の規模はなお中小企業の域にとどまっていた。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [30]ツナ缶は国内でほとんど認知されず発売から10年近く鳴かず飛ばず
    • [31]自社ブランドのシーチキンは発売後10年近く家庭に浸透しなかった
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [25]昭和30年代から他社に先駆けて有力食品卸売業を特約店として組織化し全国的な販売網を構築
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [26]全国の問屋に呼びかけて「はごろも会」を組織し流通ルートを確立
    • [30]ツナ缶は国内でほとんど認知されず発売から10年近く鳴かず飛ばず
    • [31]自社ブランドのシーチキンは発売後10年近く家庭に浸透しなかった
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [27]1956年開設の東京営業所はのちに東京支店へ改組
    • [28]1961年7月 名古屋営業所・1962年3月 大阪営業所を開設
    • [29]1962年10月 マカロニ類製造工場(パスタプラント)を新設

東海テレビへ投じた6000万円と円高

販売の行き詰まりを破るため、1967年、2代目後藤磯吉氏は東海テレビへ月額1000万円・6カ月契約の広告を出した[32]。当時の売上高は20億円台で、6000万円の広告費は年商の2割から3割にあたる。後藤磯吉氏はこれを当時としては思い切った巨費と呼び、キヨミズの舞台から飛び降りる気持ちでシーチキンの名を売り込む宣伝に出た[33]と述べている。利益がさほど出ていない時期であり、うまく行かなければ命取りになったかもしれない[34]とも振り返った。宣伝の対象には、競合の多い果物缶詰ではなく、自社の商標を持つシーチキンを選んだ[35]

    • [32]1967年 東海テレビへ月額1000万円・6カ月契約の広告を出稿
    • [33]2代目後藤磯吉「当時としては思い切った巨費を投じ、キヨミズの舞台から...という気持ちでシーチキンの名を売り込む宣伝に出た」
    • [34]2代目後藤磯吉「そのころ、利益がさほど出ていない時だったから、うまく行かないと命取りになったかもしれないのだが」
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [35]自社商標を持つツナ缶を中心に自社ブランドを開発(果物缶詰は原料の季節性が強い)

広告は市場を動かし、テレビCM開始直前の1967年3月期に48缶入り1ケース換算[36]で年3万ケースだったシーチキンの販売量は、5年後に100万ケース、1974年度には250万ケースへ増えた[37]。売上高は1966年度の36億円から10年後に340億円となった[38]。1969年3月期には51億円へ伸び、当期純利益3000万円を計上した。1977年3月期の売上高は340億円、経常利益は5億8000万円だった。1969年7月には商号をはごろも罐詰へ変更し[39]、商標として育てた「はごろも」を社名に据えた。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [36]1ケースは48缶
    • [37]テレビCM開始直前の1967年3月期に年3万ケース→5年後100万ケース→1974年度250万ケース
    • [38]売上高 1966年度36億円→10年後340億円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1969年7月 商号をはごろも罐詰へ変更

1973年以後、為替相場は変動制へ移り、円は対ドルで上昇を始めた[40]。1978年には1ドル200円を大きく割り込む円高となり、日本製の缶詰は価格の競争力を失って[41]輸出向けのパッカーが打撃を受けた。輸出を失った同業者が国内へ向き直ったとき、静岡の中堅パッカーが「我々が国内市場に目を転じた時には、はごろもがチャネルを押さえてしまった後だった[42]」と語る状態になっていた。売上高は1977年3月期の340億円から1979年3月期に423億円、1981年3月期に544億円へ伸び、同期の経常利益は22億2000万円だった。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [40]1973年以後の変動相場制移行と円の対ドル上昇
    • [41]1978年 1ドル200円を大きく割り込む円高で日本製缶詰が価格競争力を喪失
    • [42]静岡の中堅パッカー「我々が国内市場に目を転じた時には、はごろもがチャネルを押さえてしまった後だった」
    • [32]1967年 東海テレビへ月額1000万円・6カ月契約の広告を出稿
    • [33]2代目後藤磯吉「当時としては思い切った巨費を投じ、キヨミズの舞台から...という気持ちでシーチキンの名を売り込む宣伝に出た」
    • [34]2代目後藤磯吉「そのころ、利益がさほど出ていない時だったから、うまく行かないと命取りになったかもしれないのだが」
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [35]自社商標を持つツナ缶を中心に自社ブランドを開発(果物缶詰は原料の季節性が強い)
    • [36]1ケースは48缶
    • [37]テレビCM開始直前の1967年3月期に年3万ケース→5年後100万ケース→1974年度250万ケース
    • [38]売上高 1966年度36億円→10年後340億円
    • [40]1973年以後の変動相場制移行と円の対ドル上昇
    • [41]1978年 1ドル200円を大きく割り込む円高で日本製缶詰が価格競争力を喪失
    • [42]静岡の中堅パッカー「我々が国内市場に目を転じた時には、はごろもがチャネルを押さえてしまった後だった」
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1969年7月 商号をはごろも罐詰へ変更

三代目の就任と缶の形を変える依頼

シーチキンの育成に専念するため、はごろも罐詰は鉄工業や木工業など当初持っていた経営資源を手放した[43]。冷凍食品やインスタントコーヒーといった新商品も切り捨て[44]、単一の商標へ資源を寄せた。1976年11月には東北はごろもを設立し、1978年10月にはフィッシュエキス・フィッシュミールの製造工場を新設して[45]、缶詰の製造で出る原料を製品に変える工程を持った。1986年6月、初代後藤磯吉氏の孫にあたる後藤康雄[46]が代表取締役社長に就いた[47]。1971年に味の素へ入り1978年4月にはごろも罐詰へ移り、総務部長・取締役・常務取締役を経ての昇格[48]だった。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [43]シーチキン育成に専念するため鉄工業・木工業など当初持っていた経営資源を手放した
    • [44]冷凍食品・インスタントコーヒーなどの新商品を切り捨てた
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [45]1976年11月 東北はごろもを設立・1978年10月 フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [46]後藤康雄は初代後藤磯吉の孫(証券アナリストジャーナル寄稿で「私の祖父が単身渡米して」と記述)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [47]1986年6月 後藤康雄が代表取締役社長に就任
    • [48]後藤康雄の経歴 1971年味の素入社・1978年4月入社・1980年総務部長・1983年取締役・1985年常務取締役

缶の形を変える注文は売り場の側から届き、1980年代前半、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏はコンビニエンスストアで売るための缶切りが要らない缶詰の開発を、はごろもフーズへ依頼した[49]。コンビニの客は簡便さを重んじるから便利さに特化した商品が要る[50]、という考えからだった。1987年7月にはペットフード販売の子会社シーエイディを設立し、同年9月に東北はごろもを吸収合併、同年12月には商号をはごろもフーズへ変更した[51]。1988年3月に焼津プラントを移転・新設し、同年6月にはタイのバンコックへ駐在員事務所を開いた[52]

  • 週刊東洋経済 2023年5月20日号
    • [49]イトーヨーカ堂の伊藤雅俊がコンビニ向けに缶切りの要らない缶詰の開発をはごろもフーズへ依頼
    • [50]伊藤雅俊「コンビニのお客は簡便さを重んじるから、便利さに特化した商品が必要」
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1987年7月 子会社シーエイディ設立・同年9月 東北はごろも吸収合併・同年12月 商号をはごろもフーズへ変更
    • [52]1988年3月 焼津プラントを移転・新設/1988年6月 タイ国バンコックに駐在員事務所を開設
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [43]シーチキン育成に専念するため鉄工業・木工業など当初持っていた経営資源を手放した
    • [44]冷凍食品・インスタントコーヒーなどの新商品を切り捨てた
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [45]1976年11月 東北はごろもを設立・1978年10月 フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設
    • [51]1987年7月 子会社シーエイディ設立・同年9月 東北はごろも吸収合併・同年12月 商号をはごろもフーズへ変更
    • [52]1988年3月 焼津プラントを移転・新設/1988年6月 タイ国バンコックに駐在員事務所を開設
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [46]後藤康雄は初代後藤磯吉の孫(証券アナリストジャーナル寄稿で「私の祖父が単身渡米して」と記述)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [47]1986年6月 後藤康雄が代表取締役社長に就任
    • [48]後藤康雄の経歴 1971年味の素入社・1978年4月入社・1980年総務部長・1983年取締役・1985年常務取締役
  • 週刊東洋経済 2023年5月20日号
    • [49]イトーヨーカ堂の伊藤雅俊がコンビニ向けに缶切りの要らない缶詰の開発をはごろもフーズへ依頼
    • [50]伊藤雅俊「コンビニのお客は簡便さを重んじるから、便利さに特化した商品が必要」

1989年〜 単一ブランドへの依存が限界に達し株式を公開

はごろもフーズの業績推移:単体

売上高(億円)
  1. 1990年 物流体制強化のため子会社セントラル物流を設立
  2. 1991年 インドネシア国に鮪・鰹缶詰製造の合弁会社(P.T.アネカ・ツナ・インドネシア)を設立
  3. 1998年 焼津プラント内にチルドプラントを新設
  4. 2000年 創業から69年を経ての東証2部上場 借入で足りる会社がなぜ市場へ出たか——「三代目は会社をつぶす」と言われないための備え
  5. 2000年 包装米飯製造工場(サンライズプラント)を新設
  6. 2001年 シーエイディを吸収合併

原料相場と輸入ツナに挟まれた主力製品

ツナの原料であるマグロは豊漁と不漁によって相場が振れ、1989年に利益が6割強まで減った主因は材料費の高騰にあった[53]。円高を受けてタイなどからのツナ缶輸入も急激に増え、業務用ではすでに実績のあった輸入品が家庭用にも伸び始めた[54]。原料と競合の双方が国外から効いてくる形で、1991年10月にはインドネシアへ鮪・鰹缶詰を製造する合弁会社P.T.アネカ・ツナ・インドネシアを設立し[55]、原料の産地に近い場所での生産を始めた。1990年12月には物流体制を強めるため子会社セントラル物流を設立した[56]

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [53]原料マグロの相場変動により1989年に利益が6割強に減益
    • [54]円高でタイなどからのツナ缶輸入が急増し、業務用に続いて家庭用にも及び始めた
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1991年10月 インドネシアに鮪・鰹缶詰製造の合弁会社P.T.アネカ・ツナ・インドネシアを設立
    • [56]1990年12月 物流体制強化のため子会社セントラル物流を設立

1993年3月期の年商936億円のうち魚類缶詰が60%を占め、そのほとんどがシーチキン[57]だった。ツナ缶詰の市場は年商およそ900億円といわれ、はごろもフーズのシーチキンが5割以上を握り、2番手の静岡・いなば食品は13%前後にとどまった[58]。売り場では首位を占めながら、新商品の開発点数はこの3年間で25点前後と変化がなく[59]、シーチキン以外の柱は育たなかった。売上高は1996年3月期に707億円、1997年3月期に739億円で、同期の経常利益は4億5000万円まで落ちた。1998年3月期の売上高は764億円、経常利益は14億円だった。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [57]1993年3月期の年商936億円のうち魚類缶詰が60%を占め、そのほとんどがシーチキン
    • [58]ツナ缶詰市場は年商約900億円でシーチキンが5割以上、2番手のいなば食品は13%前後
    • [59]新商品の開発点数は3年間で25点前後と変化なし
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [53]原料マグロの相場変動により1989年に利益が6割強に減益
    • [54]円高でタイなどからのツナ缶輸入が急増し、業務用に続いて家庭用にも及び始めた
    • [57]1993年3月期の年商936億円のうち魚類缶詰が60%を占め、そのほとんどがシーチキン
    • [58]ツナ缶詰市場は年商約900億円でシーチキンが5割以上、2番手のいなば食品は13%前後
    • [59]新商品の開発点数は3年間で25点前後と変化なし
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [55]1991年10月 インドネシアに鮪・鰹缶詰製造の合弁会社P.T.アネカ・ツナ・インドネシアを設立
    • [56]1990年12月 物流体制強化のため子会社セントラル物流を設立

経営と資本の分離を選んだ株式公開

資本の面では、メインバンクの静岡銀行との関係が良好で事業に必要な資金はほとんど借入で賄えたため、資本金は1億円に満たない[60]ままだった。腰を据えて新事業を興す資金と人材を手に入れるには経営と資本の分離がいずれ必要になるとして、後藤磯吉会長は1993年の時点で公開企業になることにためらいはないと述べていた[61]。1998年4月には焼津プラント内にチルドプラントを新設し[62]、缶詰以外の温度帯を持つ製品の生産に手を広げた。売上高は1999年3月期に767億円、2000年3月期に802億円へ戻り、同期の経常利益は42億円だった。

  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [60]静岡銀行との関係が良好で事業に必要な資金はほとんど借入で賄え、資本金は1億円に満たなかった
    • [61]後藤磯吉会長「経営と資本の分離はいずれ必要になる。公開企業になることに、ためらいはない」(1993年)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1998年4月 焼津プラント内にチルドプラントを新設

2000年2月9日、はごろもフーズは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した[63]。創業から69年、戦後に法人を興してから53年を経ての公開であり、後藤康雄社長は21世紀における果敢な事業展開を図るべく会社を公開して体力を強化しておこう[64]と説明した。缶の80%が回収される缶詰はリサイクルの優等生であり、缶詰専業のメーカーとして業界のイメージ向上と活性化に寄与する[65]ことも公開の理由に挙げた。上場時点のシェアはまぐろ・かつお缶詰類で53.8%、水産缶詰類でも34.0%で首位にあり、家庭用パスタは2位[66]だった。上場後も株主の構成は創業家の周辺に集まり、2016年3月期の大株主は公益財団法人はごろも教育研究奨励会が42.53%、はごろも高翔会が7.07%[67]、2024年3月期はそれぞれ46.67%、9.49%だった[68]

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [63]2000年2月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [64]後藤康雄社長「このフォローの風を利かし、21世紀における果敢な事業展開を図るべく、会社を公開し体力を強化しておこう」
    • [65]缶詰はリサイクルの優等生(缶の80%が回収)であり業界のイメージ向上と活性化への寄与も公開理由
    • [66]上場時点のシェアはまぐろ・かつお缶詰類53.8%・水産缶詰類34.0%で首位、家庭用パスタは2位
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2016年3月期)
    • [67]2016年3月期の大株主 公益財団法人はごろも教育研究奨励会42.53%・はごろも高翔会7.07%
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2024年3月期)
    • [68]2024年3月期の大株主 公益財団法人はごろも教育研究奨励会46.67%・はごろも高翔会9.49%
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
    • [60]静岡銀行との関係が良好で事業に必要な資金はほとんど借入で賄え、資本金は1億円に満たなかった
    • [61]後藤磯吉会長「経営と資本の分離はいずれ必要になる。公開企業になることに、ためらいはない」(1993年)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [62]1998年4月 焼津プラント内にチルドプラントを新設
    • [63]2000年2月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [64]後藤康雄社長「このフォローの風を利かし、21世紀における果敢な事業展開を図るべく、会社を公開し体力を強化しておこう」
    • [65]缶詰はリサイクルの優等生(缶の80%が回収)であり業界のイメージ向上と活性化への寄与も公開理由
    • [66]上場時点のシェアはまぐろ・かつお缶詰類53.8%・水産缶詰類34.0%で首位、家庭用パスタは2位
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2016年3月期)
    • [67]2016年3月期の大株主 公益財団法人はごろも教育研究奨励会42.53%・はごろも高翔会7.07%
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2024年3月期)
    • [68]2024年3月期の大株主 公益財団法人はごろも教育研究奨励会46.67%・はごろも高翔会9.49%

公開で得た資金を投じた新しい分野

公開で得た資金は無菌包装米飯の工場へ向かい、無菌ご飯の市場は当時200億円ほどで、数年のうちに500億円程度へ育つと見られていた[69]。2000年9月に静岡県焼津市へ無菌包装米飯製造工場サンライズプラントを新設した[70]。事業の柱には家庭用缶詰・業務用製品・パスタ・ペットフード・フィッシュエキスの5つを置き、なかでも家庭用缶詰の比重が高いことを認めたうえで、新しいブランドの育成に取り組む方針[71]を示した。2001年3月にはペットフード販売のシーエイディを吸収合併し[72]、子会社の事業を本体へ戻した。

  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [69]無菌ご飯の市場は200億円から数年で500億円程度への成長見込み、上場で得た資金を工場建設に充当
    • [71]事業の柱は①家庭用缶詰②業務用製品③パスタ④ペットフード⑤フィッシュ・エキスの5つ、①の比重が高いことを認めたうえで新ブランド育成に取り組む方針
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [70]2000年9月 静岡県焼津市に無菌包装米飯製造工場(サンライズプラント)を新設
    • [72]2001年3月 シーエイディを吸収合併

上場後の数年、売上は伸びず、単体の売上高は2001年3月期の814億円から2003年3月期に765億円、2005年3月期に706億円へ下がり、経常利益も2002年3月期の9億9000万円、2003年3月期の9億1000万円と一桁の水準が続いた。2004年3月期の経常利益は18億円へ戻ったが、翌2005年3月期は13億円だった。従業員は2002年3月期の728名から2005年3月期に632名へ減った。シーチキン以外の柱を育てるという課題[73]は、上場から5年を経ても製品の側では答えが出ていなかった。

  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [73]家庭用缶詰の比重の高さを認めたうえでの新ブランド育成が上場時点の課題
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [69]無菌ご飯の市場は200億円から数年で500億円程度への成長見込み、上場で得た資金を工場建設に充当
    • [71]事業の柱は①家庭用缶詰②業務用製品③パスタ④ペットフード⑤フィッシュ・エキスの5つ、①の比重が高いことを認めたうえで新ブランド育成に取り組む方針
    • [73]家庭用缶詰の比重の高さを認めたうえでの新ブランド育成が上場時点の課題
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [70]2000年9月 静岡県焼津市に無菌包装米飯製造工場(サンライズプラント)を新設
    • [72]2001年3月 シーエイディを吸収合併

2005年〜 買収による多角化の挫折と原料相場の直撃

はごろもフーズの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2005年 乾物メーカー・マルアイ他2社の全株式を44億5000万円で取得 シーチキン依存を脱するために隣の棚を買うか——後継者のいない削り節メーカーを傘下に収めた判断
  2. 2010年 マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事に事業譲渡し販売体制を再編
  3. 2012年 清水プラント跡地にパスタプラントを移転・新設
  4. 2017年 マルアイを吸収合併
  5. 2018年 本社を移転
  6. 2018年 品質管理・製品開発体制強化のためHIC(はごろもイノベーションセンター)を開設
  7. 2020年 鮪・鰹缶詰製造工場(新清水プラント)を新設

乾物メーカーの買収と直後に出た減損

自前の設備投資で新しい柱が立たないなか[74]、はごろもフーズは事業を買う側へ回り、2005年1月24日の取締役会で、かつお削り節と味付海苔を製造するマルアイ、マルアイ商事、愛食興産の3社の株式を44億5000万円で取得することを決め[75]、株式譲渡契約を結んだ。話は元のマルアイ社長である名田守善氏から、後継者がいないとして譲渡の提案があった[76]ことに始まる。2005年4月1日付で3社の議決権100%にあたる株式を取得し、愛食興産は同年9月1日にマルアイと合併した[77]。はごろもフーズ常勤監査役の藤枝衛氏は1月31日付で辞任し、4月1日付でマルアイ社長に就いた[78]

  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [74]2000年の上場時点で家庭用缶詰の比重の高さを認め新ブランド育成を掲げていた
  • 日本食糧新聞(2005年1月26日)
    • [75]2005年1月24日の取締役会でマルアイ・マルアイ商事・愛食興産の株式を44億5000万円で取得することを決議
    • [76]元のマルアイ社長・名田守善から後継者がいないとして譲渡の提案があった
    • [78]はごろもフーズ常勤監査役の藤枝衛が2005年1月31日付で辞任し4月1日付でマルアイ社長に就任
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
    • [77]2005年4月1日付でマルアイ他2社の議決権100%を取得し、愛食興産は同年9月1日にマルアイと合併

買収の資金は金融機関からの長期借入金40億円で賄い、関係会社株式は44億62百万円増えた[79]。取得価額がマルアイの純資産を下回ったため連結調整勘定(負債)が25億18百万円発生し、5年均等で償却して初年度は5億3百万円を営業外収益へ振り替えた[80]。買収時点のマルアイの売上高は118億35百万円、経常利益は2億45百万円、当期純利益は1億34百万円で、純資産66億76百万円に対して総資産は101億17百万円[81]だった。製造の拠点は名古屋市熱田区の熱田工場と三重県桑名郡木曽岬町の木曽岬工場に置かれ、かつお削り節・味付海苔・ギフトセットを作った[82]

  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・単体)
    • [79]株式取得資金として金融機関から長期借入金40億円を調達し関係会社株式が44億62百万円増加
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
    • [80]連結調整勘定(負債)25億18百万円が発生し5年均等償却で初年度5億3百万円を営業外収益に計上
    • [81]マルアイの売上高118億35百万円・経常利益2億45百万円・当期純利益1億34百万円・純資産66億76百万円・総資産101億17百万円
    • [82]マルアイおよびマルアイ商事はかつお削り節・味付海苔・ギフトセット等を製造販売し、拠点は熱田工場と木曽岬工場

買収と同じ年度に上場資金を投じた設備の側から損失が出て、2006年3月期のはごろもフーズは物流センター用地、無菌包装米飯製品製造工場、パスタ製品製造工場の土地建物等について[83]減損損失25億74百万円を特別損失に計上した[84]。連結売上高は819億5百万円、営業利益は6億10百万円で、連結調整勘定の償却益を含む経常利益は16億25百万円となったが、当期純損失は12億9百万円[85]だった。同期の製品群別売上はツナが370億29百万円で45.2%を占め、買収で加わった花かつお・海苔・ふりかけ類は67億98百万円で8.3%、ギフトセット・その他食品は56億63百万円で6.9%[86]にとどまった。

  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・単体)
    • [83]2006年3月期に物流センター用地・無菌包装米飯製品製造工場・パスタ製品製造工場等について減損損失を計上
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
    • [84]2006年3月期 減損損失25億74百万円を特別損失に計上
    • [85]2006年3月期 連結売上高819億5百万円・営業利益6億10百万円・経常利益16億25百万円・当期純損失12億9百万円
    • [86]2006年3月期の連結製品群別売上 ツナ370億29百万円45.2%・花かつお・海苔・ふりかけ類67億98百万円8.3%・ギフトセット・その他食品56億63百万円6.9%
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
    • [74]2000年の上場時点で家庭用缶詰の比重の高さを認め新ブランド育成を掲げていた
  • 日本食糧新聞(2005年1月26日)
    • [75]2005年1月24日の取締役会でマルアイ・マルアイ商事・愛食興産の株式を44億5000万円で取得することを決議
    • [76]元のマルアイ社長・名田守善から後継者がいないとして譲渡の提案があった
    • [78]はごろもフーズ常勤監査役の藤枝衛が2005年1月31日付で辞任し4月1日付でマルアイ社長に就任
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
    • [77]2005年4月1日付でマルアイ他2社の議決権100%を取得し、愛食興産は同年9月1日にマルアイと合併
    • [80]連結調整勘定(負債)25億18百万円が発生し5年均等償却で初年度5億3百万円を営業外収益に計上
    • [81]マルアイの売上高118億35百万円・経常利益2億45百万円・当期純利益1億34百万円・純資産66億76百万円・総資産101億17百万円
    • [82]マルアイおよびマルアイ商事はかつお削り節・味付海苔・ギフトセット等を製造販売し、拠点は熱田工場と木曽岬工場
    • [84]2006年3月期 減損損失25億74百万円を特別損失に計上
    • [85]2006年3月期 連結売上高819億5百万円・営業利益6億10百万円・経常利益16億25百万円・当期純損失12億9百万円
    • [86]2006年3月期の連結製品群別売上 ツナ370億29百万円45.2%・花かつお・海苔・ふりかけ類67億98百万円8.3%・ギフトセット・その他食品56億63百万円6.9%
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・単体)
    • [79]株式取得資金として金融機関から長期借入金40億円を調達し関係会社株式が44億62百万円増加
    • [83]2006年3月期に物流センター用地・無菌包装米飯製品製造工場・パスタ製品製造工場等について減損損失を計上

原料高騰に対する価格改定と容量削減

買収した乾物の事業は独立した収益源にならず、2010年5月にはマルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事へ事業譲渡してグループの販売体制を再編した[87]。2012年1月には清水プラントの跡地へパスタプラントを移転・新設した[88]。2009年には内食回帰でパスタ類と総菜が伸び、東洋経済の連続最高益ランキングで5位に挙がり[89]、2010年3月期の連結営業利益は21億47百万円へ戻った。しかし2012年3月期の連結営業損益は5億49百万円の赤字、2013年3月期は営業損失17億30百万円、当期純損失26億1百万円[90]と落ち込んだ。

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2010年5月 マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事へ事業譲渡し販売体制を再編
    • [88]2012年1月 清水プラント跡地にパスタプラントを移転・新設
  • 週刊東洋経済 2009年6月6日号
    • [89]2009年 連続最高益ランキング5位・パスタ類や総菜が内食回帰で伸長
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2013年3月期・連結)
    • [90]連結営業損益 2012年3月期▲5億49百万円・2013年3月期▲17億30百万円、2013年3月期の当期純損失26億1百万円

赤字の原因は原料にあり、ツナ缶の原料であるビンナガマグロ、キハダマグロ、カツオ[91]のうち、2011年からの2年でキハダマグロは1.5倍、カツオは2倍へ高騰した[92]。中近東や南米で缶詰用原料の需要が高まったため[93]で、水産物の相場は世界の需給で決まり、日本船が漁獲する分の相場も海外に連動する[94]。原料の調達先を切り替えても価格下落の恩恵は乏しかった[95]。はごろもフーズは高騰に対処するため特売の原資として小売へ支払う販売奨励金を削り、特売が減った結果として販売数量が落ち込み[96]、2013年3月期は前期に続く2期連続の赤字となった[97]

  • 週刊東洋経済 2013年4月5日号
    • [91]ツナ缶の原料はビンナガマグロ・キハダマグロ・カツオ
    • [92]この2年でキハダマグロは1.5倍、カツオは2倍に高騰
    • [93]中近東や南米で缶詰用原料の需要が高まった
    • [94]水産物の相場は世界的な需給バランスで決定され、日本船が漁獲する水産物の相場も海外の相場に連動
    • [95]原料の調達先を切り替えても価格下落のメリットは乏しい
    • [96]原料高騰に対処するため特売の原資となる販売奨励金を削減し、特売の減少で販売数量が落ち込んだ
    • [97]2013年3月期は前期に続く2期連続の赤字

2013年5月以降、はごろもフーズは看板商品の容量削減と値上げに踏み切った[98]。販売数量の6割を占める小型缶の「シーチキンLフレーク」と「シーチキンマイルド」は1缶あたりの価格を据え置いたまま内容量を80グラムから70グラムへ減らし、ほかの16製品は売価を10円から15円引き上げた[99]。2007年にも一部商品の売価を6%から13%引き上げたが、流通業者の反発が大きく、浸透までに半年かかったうえ販売数量は一時25%落ち込んだ[100]。当時の池田憲一取締役・家庭用営業部長はこの2年値上げのタイミングを見計らっていた[101]とし、デフレ感の強い現状では単純な値上げは難しいと判断した[102]

  • 週刊東洋経済 2013年4月5日号
    • [98]2013年5月以降にツナ缶の容量削減と値上げを実施
    • [99]販売数量の6割を占める「シーチキンLフレーク」「シーチキンマイルド」の内容量を80g→70gへ削減、他16製品は10〜15円値上げ
    • [100]2007年に一部商品の売価を6〜13%引き上げ、浸透に半年、販売数量は一時25%減
    • [101]池田憲一取締役・家庭用営業部長「ここ2年、値上げのタイミングを見計らっていた。原料高に円安が重なり、今夏の値上げを決めた」
    • [102]当時よりデフレ感が強い現状では単純な値上げは難しいと判断し容量削減を選択
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2010年5月 マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事へ事業譲渡し販売体制を再編
    • [88]2012年1月 清水プラント跡地にパスタプラントを移転・新設
  • 週刊東洋経済 2009年6月6日号
    • [89]2009年 連続最高益ランキング5位・パスタ類や総菜が内食回帰で伸長
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2013年3月期・連結)
    • [90]連結営業損益 2012年3月期▲5億49百万円・2013年3月期▲17億30百万円、2013年3月期の当期純損失26億1百万円
  • 週刊東洋経済 2013年4月5日号
    • [91]ツナ缶の原料はビンナガマグロ・キハダマグロ・カツオ
    • [92]この2年でキハダマグロは1.5倍、カツオは2倍に高騰
    • [93]中近東や南米で缶詰用原料の需要が高まった
    • [94]水産物の相場は世界的な需給バランスで決定され、日本船が漁獲する水産物の相場も海外の相場に連動
    • [95]原料の調達先を切り替えても価格下落のメリットは乏しい
    • [96]原料高騰に対処するため特売の原資となる販売奨励金を削減し、特売の減少で販売数量が落ち込んだ
    • [97]2013年3月期は前期に続く2期連続の赤字
    • [98]2013年5月以降にツナ缶の容量削減と値上げを実施
    • [99]販売数量の6割を占める「シーチキンLフレーク」「シーチキンマイルド」の内容量を80g→70gへ削減、他16製品は10〜15円値上げ
    • [100]2007年に一部商品の売価を6〜13%引き上げ、浸透に半年、販売数量は一時25%減
    • [101]池田憲一取締役・家庭用営業部長「ここ2年、値上げのタイミングを見計らっていた。原料高に円安が重なり、今夏の値上げを決めた」
    • [102]当時よりデフレ感が強い現状では単純な値上げは難しいと判断し容量削減を選択

原料の世界需要と経営の交代、設備の更新

原料相場の背後ではツナ缶の消費が世界へ広がり、世界のツナ缶生産量は1970年代半ばの60万トンからその後の30年で約3倍へ増え、およそ4分の1をタイが生産する[103]。焼津魚市場のカツオ価格は2003年の1キログラム82円から2013年1月から9月の平均で192円へ上がった[104]。経営の側も入れ替わり、2007年6月に後藤康雄氏は代表取締役会長へ退いて溝口康博氏が社長に就き[105]、1931年の創業以来はじめて創業家以外から社長が出た[106]。2015年4月には後藤康雄会長の女婿にあたる池田憲一[107]が社長に就き[108]、社長の座は創業家へ戻った。1999年に三菱商事へ入り2007年4月にはごろもフーズへ移り、経営企画部長・家庭用営業部長・副社長を経ての昇格[109]だった。

  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号
    • [103]国連食糧農業機関(FAO)によれば世界のツナ缶生産量は1970年代半ばの60万トンからその後の30年で約3倍へ増加し、約4分の1をタイが生産
    • [104]焼津魚市場のカツオ価格は2003年1kg82円→2013年1〜9月平均192円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [105]2007年6月 後藤康雄が代表取締役会長へ退き溝口康博が社長に就任(創業家以外で初)
    • [106]1931年の創業以来はじめて創業家以外から社長が就任
    • [108]2015年4月 池田憲一が社長に就任(1999年三菱商事入社・2007年4月入社・経営企画部長・家庭用営業部長・副社長を経る)
    • [109]池田憲一の経歴 1999年4月三菱商事入社・2007年4月はごろもフーズ入社・2012年経営企画部長・2013年家庭用営業部長・2013年7月取締役副社長
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(第86期・2015年3月期)【役員の状況】注記「代表取締役社長池田憲一は代表取締役会長後藤康雄の女婿(娘の夫)であり、常務取締役後藤佐恵子は同会長の長女、取締役後藤清雄は同会長の弟です。」
    • [107]代表取締役社長池田憲一は代表取締役会長後藤康雄の女婿(娘の夫)

2017年4月、はごろもフーズはマルアイを吸収合併し、買収から12年で子会社としての存続をやめた[110]。2018年3月には本社を移転し、同年11月には品質管理と製品開発の体制を強めるためはごろもイノベーションセンターを開設した[111]。2019年10月、池田憲一社長は体調不良を理由に退任し、後藤佐恵子氏が社長に就いた[112]。1997年に味の素へ入り2002年にマッキンゼー・アンド・カンパニーへ移ったのち2004年にはごろもフーズへ入社し、生産本部長補佐・サービス本部長・経営企画本部長を経ての就任[113]だった。2020年3月期の連結営業利益は30億67百万円で、前期の15億59百万円から倍近くへ増えた[114]。2021年3月にははごろも商事を吸収合併した[115]

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [110]2017年4月 マルアイを吸収合併(2005年の買収から12年)
    • [111]2018年3月 本社を移転・2018年11月 品質管理・製品開発体制強化のためHIC(はごろもイノベーションセンター)を開設
    • [115]2021年3月 はごろも商事を吸収合併
  • 日本経済新聞(2019年10月15日)
    • [112]2019年10月 池田憲一社長が体調不良で退任し後藤佐恵子が社長に就任
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [113]後藤佐恵子の経歴 1997年4月味の素入社・2002年9月マッキンゼー・アンド・カンパニー入社・2004年4月はごろもフーズ入社・生産本部長補佐・サービス本部長・2019年6月経営企画本部長
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2020年3月期・連結)
    • [114]連結営業利益 2020年3月期30億67百万円・2019年3月期15億59百万円

2020年10月、鮪・鰹缶詰を製造する新清水プラントを新設し[116]、2021年3月期の連結営業利益は34億13百万円と前期を上回った[117]。2022年4月には東京証券取引所スタンダード市場へ移った[118]。2023年3月期は原料と包材の高騰が響き、連結売上高704億52百万円に対して営業損失11億33百万円、当期純損失13億20百万円を計上した[119]。同期には三重県桑名郡木曽岬町の乾物製品製造工場等について減損損失8億78百万円を特別損失に計上し[120]、マルアイから引き継いだ設備の帳簿価額を収益性の低下によって引き下げた。2025年3月期の連結売上高は746億50百万円、営業利益は28億49百万円[121]だった。2024年度からの中期経営計画「Challenge & Change for 100th!」では、2031年の創業100周年に向けブランド価値の向上を優先課題に据え[122]、植物由来素材の「大豆でつくったシーチキン」も投入した[123]

  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [116]2020年10月 鮪・鰹缶詰製造工場(新清水プラント)を新設
    • [118]2022年4月 東京証券取引所スタンダード市場へ移行
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2021年3月期・連結)
    • [117]2021年3月期の連結営業利益34億13百万円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2023年3月期・連結)
    • [119]2023年3月期 連結売上高704億52百万円・営業損失11億33百万円・当期純損失13億20百万円
    • [120]2023年3月期 三重県桑名郡木曽岬町の乾物製品製造工場等について減損損失8億78百万円を特別損失に計上(収益性の低下による)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
    • [121]2025年3月期 連結売上高746億50百万円・営業利益28億49百万円
    • [122]中期経営計画「Challenge & Change for 100th!」(2024〜2026年度)は2031年の創業100周年に向けたブランド価値向上を優先課題に設定
    • [123]植物由来素材を使った代替ツナ「大豆でつくったシーチキン」を本格投入
  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号
    • [103]国連食糧農業機関(FAO)によれば世界のツナ缶生産量は1970年代半ばの60万トンからその後の30年で約3倍へ増加し、約4分の1をタイが生産
    • [104]焼津魚市場のカツオ価格は2003年1kg82円→2013年1〜9月平均192円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [105]2007年6月 後藤康雄が代表取締役会長へ退き溝口康博が社長に就任(創業家以外で初)
    • [106]1931年の創業以来はじめて創業家以外から社長が就任
    • [108]2015年4月 池田憲一が社長に就任(1999年三菱商事入社・2007年4月入社・経営企画部長・家庭用営業部長・副社長を経る)
    • [109]池田憲一の経歴 1999年4月三菱商事入社・2007年4月はごろもフーズ入社・2012年経営企画部長・2013年家庭用営業部長・2013年7月取締役副社長
    • [113]後藤佐恵子の経歴 1997年4月味の素入社・2002年9月マッキンゼー・アンド・カンパニー入社・2004年4月はごろもフーズ入社・生産本部長補佐・サービス本部長・2019年6月経営企画本部長
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(第86期・2015年3月期)【役員の状況】注記「代表取締役社長池田憲一は代表取締役会長後藤康雄の女婿(娘の夫)であり、常務取締役後藤佐恵子は同会長の長女、取締役後藤清雄は同会長の弟です。」
    • [107]代表取締役社長池田憲一は代表取締役会長後藤康雄の女婿(娘の夫)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
    • [110]2017年4月 マルアイを吸収合併(2005年の買収から12年)
    • [111]2018年3月 本社を移転・2018年11月 品質管理・製品開発体制強化のためHIC(はごろもイノベーションセンター)を開設
    • [115]2021年3月 はごろも商事を吸収合併
    • [116]2020年10月 鮪・鰹缶詰製造工場(新清水プラント)を新設
    • [118]2022年4月 東京証券取引所スタンダード市場へ移行
  • 日本経済新聞(2019年10月15日)
    • [112]2019年10月 池田憲一社長が体調不良で退任し後藤佐恵子が社長に就任
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2020年3月期・連結)
    • [114]連結営業利益 2020年3月期30億67百万円・2019年3月期15億59百万円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2021年3月期・連結)
    • [117]2021年3月期の連結営業利益34億13百万円
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2023年3月期・連結)
    • [119]2023年3月期 連結売上高704億52百万円・営業損失11億33百万円・当期純損失13億20百万円
    • [120]2023年3月期 三重県桑名郡木曽岬町の乾物製品製造工場等について減損損失8億78百万円を特別損失に計上(収益性の低下による)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
    • [121]2025年3月期 連結売上高746億50百万円・営業利益28億49百万円
    • [122]中期経営計画「Challenge & Change for 100th!」(2024〜2026年度)は2031年の創業100周年に向けたブランド価値向上を優先課題に設定
    • [123]植物由来素材を使った代替ツナ「大豆でつくったシーチキン」を本格投入

はごろもフーズの沿革1947〜2022年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
清水屋を設立
商号を後藤物産に変更
商号を後藤物産罐詰に変更
商号を後藤罐詰に変更
焼津食品・焼津水産缶詰を吸収合併、焼津プラントを新設★★
輸出依存から内需へ——東京営業所開設と自社ブランド缶詰への転換商社の下請けとして輸出を続けるか、自社の名前で国内へ売るか——2代目後藤磯吉氏が選んだ道 詳細を読む★★★
後藤漁業を吸収合併
鮪油漬缶詰類の製品名「シーチキン」を商標登録★★
名古屋営業所を開設
大阪営業所を開設
マカロニ類製造工場(パスタプラント)を新設
商号をはごろも罐詰に変更
東北はごろもを設立
フィッシュエキス・フィッシュミール製造工場を新設
後藤康雄ペットフード販売のため子会社シーエイディを設立
後藤康雄東北はごろもを吸収合併
後藤康雄商号をはごろもフーズに変更
後藤康雄焼津プラントを移転・新設
後藤康雄タイ国バンコックに駐在員事務所を開設
後藤康雄物流体制強化のため子会社セントラル物流を設立
後藤康雄インドネシア国に鮪・鰹缶詰製造の合弁会社(P.T.アネカ・ツナ・インドネシア)を設立
後藤康雄焼津プラント内にチルドプラントを新設
後藤康雄創業から69年を経ての東証2部上場借入で足りる会社がなぜ市場へ出たか——「三代目は会社をつぶす」と言われないための備え 詳細を読む★★★
後藤康雄包装米飯製造工場(サンライズプラント)を新設
後藤康雄シーエイディを吸収合併
後藤康雄乾物メーカー・マルアイ他2社の全株式を44億5000万円で取得シーチキン依存を脱するために隣の棚を買うか——後継者のいない削り節メーカーを傘下に収めた判断 詳細を読む★★★
溝口康博マルアイの販売部門をはごろもフーズとマルアイ商事に事業譲渡し販売体制を再編★★
溝口康博清水プラント跡地にパスタプラントを移転・新設
池田憲一マルアイを吸収合併★★
池田憲一本社を移転
池田憲一品質管理・製品開発体制強化のためHIC(はごろもイノベーションセンター)を開設
後藤佐恵子鮪・鰹缶詰製造工場(新清水プラント)を新設
後藤佐恵子はごろも商事を吸収合併
後藤佐恵子東京証券取引所スタンダード市場に移行
出典・参考
  • 日経ビジネス 1993年12月20日・27日号
  • 証券アナリストジャーナル(2000年、後藤康雄 はごろもフーズ社長 )
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【沿革】
  • 缶詰時報 64(9)(729)(日本缶詰協会, 1956年)
  • 缶詰時報 64(9)(729)(日本缶詰協会, 1958年)
  • 戦略経営者 11(9)(119)(TKC, 1967年)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【役員の状況】
  • 週刊東洋経済 2023年5月20日号
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2016年3月期)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書【大株主の状況】(2024年3月期)
  • 日本食糧新聞(2005年1月26日)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・連結)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2006年3月期・単体)
  • 週刊東洋経済 2009年6月6日号
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2013年3月期・連結)
  • 週刊東洋経済 2013年4月5日号
  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(第86期・2015年3月期)【役員の状況】注記「代表取締役社長池田憲一は代表取締役会長後藤康雄の女婿(娘の夫)であり、常務取締役後藤佐恵子は同会長の長女、取締役後藤清雄は同会長の弟です。」
  • 日本経済新聞(2019年10月15日)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2020年3月期・連結)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2021年3月期・連結)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2023年3月期・連結)
  • はごろもフーズ 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
  • はごろもフーズ 株主通信 第97期中間(2025年9月)
  • はごろもフーズ 株主通信 第94期中間(2022年9月)

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