マルハの歴史
創業期
1880年〜林兼商店の創業と発動機船による朝鮮漁場への進出
- 中部幾次郎氏が明石で鮮魚仲買業の林兼商店を創業[1]
- 事業の本拠を明石から下関に移転[2]
- 日本初の発動機付き鮮魚運搬船「新生丸」を建造[3]
- 朝鮮の漁場に参入し仲買運搬業から漁業の直営へ[4]
- 朝鮮東海岸の方魚津へ本拠を移し機船巾着網を導入[5]
- 土佐捕鯨を買収して捕鯨業に着手[2]
- 個人経営を改組し株式会社林兼商店を設立[6]
- 林兼漁業・林兼冷蔵を合併し資本金1000万円へ[7]
転換期
1932年〜日新丸の南氷洋出漁と水産統制令による西大洋漁業統制の設立
- カムチャッカ西海岸でさけ・ます沖取り流し網を開始[5]
- 北洋漁業の権益を日魯漁業へ譲渡し北洋から撤退[1]
- 大洋捕鯨の捕鯨母船「日新丸」が南氷洋へ初出漁[5]
- 第二日新丸が完成[8]
- 水産統制令により西大洋漁業統制を下関市に設立[9]
- 敗戦により外地の事業と船舶の大半を喪失[2]
- 水産物・農畜産物の製造加工販売業と冷蔵倉庫業を追加[9]
- 西大洋漁業を経て大洋漁業に商号変更[9]
安定成長期
1946年〜中部家三代の同族経営と大洋ホエールズの発足
- 戦後第1回の南氷洋捕鯨に参加[2]
- 漁撈再開に向けて218隻・2万トンを発注[10]
- 初代社長の中部幾次郎氏が死去[8]
- 公職追放により中部一族が退き株式を没収[5]
- 大都魚類を設立[9]
- 神港魚類を設立[9]
- 大洋球団を設立[2]
- 本社を東京都に移転[9]
- プロ野球球団の大洋ホエールズが発足[5]
- インドなどで海外事業に着手[2]
- 北洋の母船式さけ・ます漁業に参加[1]
- 魚肉ハム・ソーセージを発売[2]
- 養殖事業を開始[2]
- 二代社長の中部兼市氏の死去により中部謙吉氏が社長に就任[11]
- 東京証券取引所に上場[11]
- 西アフリカでトロール漁場を開発[2]
- 飼料畜産など陸上部門に参入[2]
- 肥料・飼料事業を事業目的に追加[9]
- 塩水港精糖に資本参加して砂糖事業に参入[2]
転換期
1977年〜二百カイリ規制による遠洋漁業縮小とニチロ統合
- 二百カイリ後の加工食品転換[12]
- 本社新社屋が完成[2]
- 宇都宮市に練り製品工場が竣工[12]
- 宇都宮市に調味料・薬品・健康食品工場が竣工[12]
- つくば市に中央研究所が竣工[13]
- 中部家三代の同族経営終幕[9]
- 合弁会社の舟山興業有限公司を設立[2]
- 大洋シーフーズを吸収合併[2]
- 砂糖事業を分離して別会社化[2]
- ギル&ダファスの損失処理[14]
- マルハペットフードがMBOにより独立[2]
- 横浜ベイスターズの株式を譲渡[2]
- トロール漁業事業を分離して別会社化[2]
- 創業家の中部慶次郎氏に代わり、日本興業銀行出身の専務の五十嵐勇二氏が社長に就任[15]
- 株式移転により完全親会社のマルハグループ本社を設立[9]
- マルハとニチロの経営統合[16]