マルハの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

獲る手段への投資を、獲れなくなってから陸へ移した。1977年に各国が二百カイリ漁業水域を設定すると公海の漁場から締め出され、1982年の決算で経常赤字に転じて以後は無配が続いた。漁船に向けていた資本を陸上の生産と研究へ振り向けた。1983年に宇都宮の練り製品工場、1985年に同市の調味料・薬品工場、1990年につくばの中央研究所が完成し、1985年には自社ビルの4分の3を売却して借入金の返済に充てている。1993年9月には社名から漁業の文字を外し、中部家三代の同族経営から離れた。2000年12月には回収不能となった国際原糖事業の損失を確定させ、本社ビルの含み益を処理の原資に充てた。1987年にはクロマグロの種苗開発チームが発足し、漁船から引き上げた資本は陸の技術へ積み替えられている。

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