宝ホールディングス の歴史

更新:

創業

1925年

創業者

四方卯三郎

創業地

京都市伏見区

直近売上高(2026/3)

3,943億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1925年の株式会社化で寳酒造は清酒一本足の蔵元にならなかったのか
A 1925年9月に株式会社化した寳酒造は、清酒の名産地・伏見にありながら単一品目の蔵元にならなかった。源流の四方家は味淋・白酒・焼酎を扱い、1916年に迎えた大宮庫吉氏が連続式蒸留の新式焼酎を主力に据えたためである。設立時の定款は「酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料」と多領域を掲げ、設立と同時に四方合名会社を吸収合併、1929年大正製酒、1947年日本酒精と買収で工場網を広げた。複数の地域・品目を抱える複合体としての型が、ここで定まった。
Q なぜ2002年に酒類とバイオを別法人へ分割し持株会社へ移ったのか
A 決定的だったのは2002年4月の物的分割である。1970年9月に滋賀・大津へ中央研究所を置き、酒造業者でありながら発酵バイオを半世紀積み上げていたため、収益サイクルの異なる酒類とバイオを別法人として並べる必要があった。酒類事業を新設の宝酒造へ、バイオ事業を新設のタカラバイオへ承継し、自身は持株会社・宝ホールディングスへ移った。2004年12月のタカラバイオ単独上場と2005年9月のクロンテック取得を経て、PCR試薬がコロナ禍で爆発する二事業並立構造が固まった
Q なぜ2026年に23年抱えた上場子会社タカラバイオを完全子会社化したのか
A 近年の構造転換は、2002年以来23年抱えた上場子会社タカラバイオの完全子会社化である。PCR特需が引いた後、タカラバイオは米国の研究助成削減と中国勢との競争で業績が落ち込み、宝ホールディングスは一時的な業績変動に左右されず中長期で立て直すには機動的な意思決定が要ると判断した。2026年2月13日、保有比率60.91%から1株1,150円・総額約541億円でTOBを公表し、同年4月7日の成立を経て6月12日に上場廃止となった。自己資本比率51.3%の資本効率改善とあわせ、親子上場の整理へ動いた

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1925年〜 四方合名の改組から合併を重ね、酒造界第一位に立つまで

  1. 1925年 寳酒造を設立
  2. 1929年 大正製酒を吸収合併、王子工場(1964年5月松戸工場に統合)に
  3. 1947年 大黒葡萄酒より白河工場(2003年3月廃止)を買収
  4. 1947年 日本酒精を吸収合併
  5. 1947年 木崎・楠・防府の3工場を継承
  6. 1949年 東京、大阪、名古屋の各証券取引所開設に伴い株式上場
  7. 1949年 京都証券取引所に株式を上場

四方合名会社の吸収合併と総合酒類事業者としての出発

寳酒造の源流は、京都伏見で天保13年(1842年)から酒造業を営んできた四方家[1]にさかのぼる。四方卯之助氏は1905年(明治38年)に四方合名会社を設立[2]し、味淋・白酒・焼酎の三品目で創業した。1897年には「寳」の商標をみりんで登録[3]している。1916年(大正5年)には四国・宇和島から後の会長・大宮庫吉氏を迎えて新式焼酎の製造を始め[4]、伏見工場を拡張した。四方合名時代の生産石数は焼酎8万石・味淋2万石・本直し5千石・白酒3百石[5]。焼酎の壜詰品は同社が創始し、「タカラ」といえば焼酎という定評[6]を全国で得ていた。1925年9月、四方合名会社は株式会社組織へ改組[7]され、資本金55万円[8]の寳酒造株式会社が京都市伏見区竹中町に設立された。定款が掲げた事業目的は「酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料等の製造および販売[9]」で、設立と同時に四方合名会社を吸収合併し、伏見と木崎の二工場体制[10]で操業を始めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]寳酒造の源流は京都伏見で天保13年(1842年)来酒造業を家業とした四方家
    • [2]四方卯之助 1905年(明治38年)四方合名会社を設立、味淋・白酒・焼酎を製造
    • [4]1916年(大正5年)四国・宇和島より後の会長・大宮庫吉を迎え新式焼酎の製造を開始、伏見工場を拡張
    • [8]設立時の資本金 55万円
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [3]1897年 「寳」の商標をみりんで登録
    • [5]四方合名時代の生産石数 焼酎8万石・味淋2万石・本直し5千石・白酒3百石
    • [6]焼酎の壜詰品は宝酒造が創始し「タカラ」といえば焼酎という定評を全国で獲得
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1925年9月 四方合名会社を株式会社組織へ改組し京都市伏見区竹中町に寳酒造株式会社を設立
    • [9]創業時の事業目的「酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料等の製造および販売」
    • [10]設立と同時に四方合名会社を吸収合併し伏見・木崎の二工場体制で操業開始

株式会社となった寳酒造は合併で生産拠点を広げ、1926年10月に千葉県市川の帝国酒造[11]、1929年6月に東京王子の大正製酒、同年9月に広島県鞆の鞆保命酒屋、1939年1月に山口県防府の日本酒造を合併し、資本金を664万8千円へ[12]積み増した。大正製酒から引き継いだ王子工場は、1964年5月に松戸工場へ統合[13]されている。新式焼酎が勃興した大正年間には全国に業者が乱立して出血競争となり、寳酒造が主唱して全国新式焼酎聯盟会を組織し、全業者の生産制限を実行[14]した。1933年4月には松竹梅酒造を設立[15]し、清酒「松竹梅」を伏見・灘の両工場と傍系の都酒造・呉竹酒造を加えた四工場で生産を始めた。1938年3月には木崎工場を東亜酒精興業へ譲渡[16]した。

    • [11]1926年10月 千葉県市川の帝国酒造、1929年6月 東京王子の大正製酒、同年9月 広島県鞆の鞆保命酒屋、1939年1月 山口県防府の日本酒造を合併
    • [12]度重なる合併により資本金は664万8千円
    • [14]新式焼酎の勃興期に宝酒造が主唱して全国新式焼酎聯盟会を組織し全業者の生産制限を実行
    • [15]1933年4月 松竹梅酒造を設立し清酒「松竹梅」を伏見・灘と傍系の都酒造・呉竹酒造の四工場で生産開始
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1929年6月 大正製酒を吸収合併し取得した王子工場は1964年5月に松戸工場へ統合
    • [16]1938年3月 木崎工場を東亜酒精興業へ譲渡
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]寳酒造の源流は京都伏見で天保13年(1842年)来酒造業を家業とした四方家
    • [2]四方卯之助 1905年(明治38年)四方合名会社を設立、味淋・白酒・焼酎を製造
    • [4]1916年(大正5年)四国・宇和島より後の会長・大宮庫吉を迎え新式焼酎の製造を開始、伏見工場を拡張
    • [8]設立時の資本金 55万円
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [3]1897年 「寳」の商標をみりんで登録
    • [5]四方合名時代の生産石数 焼酎8万石・味淋2万石・本直し5千石・白酒3百石
    • [6]焼酎の壜詰品は宝酒造が創始し「タカラ」といえば焼酎という定評を全国で獲得
    • [11]1926年10月 千葉県市川の帝国酒造、1929年6月 東京王子の大正製酒、同年9月 広島県鞆の鞆保命酒屋、1939年1月 山口県防府の日本酒造を合併
    • [12]度重なる合併により資本金は664万8千円
    • [14]新式焼酎の勃興期に宝酒造が主唱して全国新式焼酎聯盟会を組織し全業者の生産制限を実行
    • [15]1933年4月 松竹梅酒造を設立し清酒「松竹梅」を伏見・灘と傍系の都酒造・呉竹酒造の四工場で生産開始
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1925年9月 四方合名会社を株式会社組織へ改組し京都市伏見区竹中町に寳酒造株式会社を設立
    • [9]創業時の事業目的「酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料等の製造および販売」
    • [10]設立と同時に四方合名会社を吸収合併し伏見・木崎の二工場体制で操業開始
    • [13]1929年6月 大正製酒を吸収合併し取得した王子工場は1964年5月に松戸工場へ統合
    • [16]1938年3月 木崎工場を東亜酒精興業へ譲渡

戦時統制下の政府用アルコールと満州・香港への進出

日華事変以後は食糧統制から酒類原料の割当統制が始まり、1941年の大日本酒類販売会社の設立とともに酒類の配給も統制されて重点配給[17]となった。清酒の生産は戦前の年間400万〜450万石から1938年以降に急減し、1948酒造年度には67万石[18]まで落ちた。原料不足と統制下の制約のなかで、寳酒造は工場能力の大部分を政府用アルコールの生産へ振り向け[19]、あわせて各酒類の供給も続けた。1940年4月には満州新京に満州松竹梅酒造を設立[20]して満州の日本酒メーカーとして操業し、1943年4月には香港に香港麦酒酒精工場を建設[21]して熱帯地での麦酒生産に踏み込んだが、いずれも終戦とともに接収された。戦争末期には王子工場が戦災で全焼[22]している。

    • [17]日華事変以後、食糧統制から酒類原料の割当統制が始まり、1941年の大日本酒類販売会社等の設立とともに配給も統制され重点配給となった
    • [18]清酒の生産は戦前の年間400万〜450万石から1938年以降急減し1948酒造年度に67万石
    • [19]戦時中は工場能力の大部分を政府用アルコールの生産に向け、各酒類の供給も継続
    • [20]1940年4月 満州新京に満州松竹梅酒造を設立し満州の日本酒メーカーとして操業
    • [21]1943年4月 香港に香港麦酒酒精工場を建設、熱帯地で麦酒を生産。いずれも終戦とともに接収
    • [22]戦争末期に王子工場が戦災で全焼

酒精の生産力は国策会社への出資にも向けられ、1943年3月には航空用高級燃料の製造を目的とする東亜化学興業[23](後の協和醗酵工業)の設立に加わった。同社は東洋紡績・大日本麦酒・合同酒精・第一生命保険・寳酒造・日本酒類の6社が資本金2000万円を共同出資[24]し、山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収して発足している。1940年4月には大黒葡萄酒が社長として大宮庫吉氏を迎え[25]、寳酒造の傍系会社となった。社長は四方家から二代続いたのち、三代に大宮庫吉氏が就任し、元大蔵大臣の石渡荘太郎氏を最高顧問[26]に迎えている。戦後の生産品目は焼酎・味淋・本直し・白酒に清酒・合成清酒・ウイスキー・葡萄酒などが加わり、専売アルコールを木崎・楠・防府・島原・高鍋の五工場で、清酒添加用アルコールを全工場で生産[27]する構成となった。

    • [23]1943年3月 アセトン・ブタノールおよび航空用高級燃料の製造を目的に東亜化学興業(後の協和醗酵工業)設立
    • [24]東亜化学興業は東洋紡績・大日本麦酒・合同酒精・第一生命保険・宝酒造・日本酒類の6社が資本金2000万円を共同出資し山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収して発足
    • [25]1940年4月 大黒葡萄酒が社長として宝酒造社長の大宮庫吉を迎え宝酒造の傍系会社となった
    • [26]社長は初代 四方卯三郎(1940年まで)・二代 四方秀三郎(1945年まで)と続き、三代に大宮庫吉が就任、元大蔵大臣の石渡荘太郎を最高顧問に迎えた
    • [27]戦後の生産品目は清酒・合成清酒・ウィスキー・ブランデー・葡萄酒・梅酒・薬酒等へ増大。専売アルコールを木崎・楠・防府・島原・高鍋の五工場で、清酒添加用アルコールを全工場で生産
    • [17]日華事変以後、食糧統制から酒類原料の割当統制が始まり、1941年の大日本酒類販売会社等の設立とともに配給も統制され重点配給となった
    • [18]清酒の生産は戦前の年間400万〜450万石から1938年以降急減し1948酒造年度に67万石
    • [19]戦時中は工場能力の大部分を政府用アルコールの生産に向け、各酒類の供給も継続
    • [20]1940年4月 満州新京に満州松竹梅酒造を設立し満州の日本酒メーカーとして操業
    • [21]1943年4月 香港に香港麦酒酒精工場を建設、熱帯地で麦酒を生産。いずれも終戦とともに接収
    • [22]戦争末期に王子工場が戦災で全焼
    • [26]社長は初代 四方卯三郎(1940年まで)・二代 四方秀三郎(1945年まで)と続き、三代に大宮庫吉が就任、元大蔵大臣の石渡荘太郎を最高顧問に迎えた
    • [27]戦後の生産品目は清酒・合成清酒・ウィスキー・ブランデー・葡萄酒・梅酒・薬酒等へ増大。専売アルコールを木崎・楠・防府・島原・高鍋の五工場で、清酒添加用アルコールを全工場で生産
    • [23]1943年3月 アセトン・ブタノールおよび航空用高級燃料の製造を目的に東亜化学興業(後の協和醗酵工業)設立
    • [24]東亜化学興業は東洋紡績・大日本麦酒・合同酒精・第一生命保険・宝酒造・日本酒類の6社が資本金2000万円を共同出資し山口県防府市の東洋紡績人絹工場を買収して発足
    • [25]1940年4月 大黒葡萄酒が社長として宝酒造社長の大宮庫吉を迎え宝酒造の傍系会社となった

専売アルコール工場の払下げと酒造界第一位

戦後の寳酒造は他社の買収と官営工場の払下げで生産設備を積み増し、1947年6月に大黒葡萄酒から白河工場(2003年3月廃止)を買収[28]した。同年9月には日本酒精を吸収合併して木崎・楠・防府の三工場を継承[29]し、長崎市の旭酒造[30]もあわせて取り込んでいる。1949年5月、東京・大阪・名古屋の各証券取引所の開設に伴って株式を上場[31]し、同年7月には京都証券取引所にも上場[32]した。1952年10月には政府から専売アルコール工場の払下げ[33]を受け、長崎県島原と宮崎県高鍋(現・黒壁蔵)の二工場[34]を取得。1952年11月に中央酒類を吸収合併[35]して市川・灘第一・鹿児島の三工場を加え、1954年12月には摂津酒造から灘第二工場(現・白壁蔵)を買収[36]した。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1947年6月 大黒葡萄酒より白河工場(2003年3月廃止)を買収
    • [29]1947年9月 日本酒精を吸収合併し木崎・楠・防府の3工場を継承
    • [31]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所開設に伴い株式を上場
    • [32]1949年7月 京都証券取引所に株式を上場
    • [33]1952年10月 政府より専売アルコール工場の払下げを受領
    • [35]1952年11月 中央酒類を吸収合併し市川・灘・鹿児島の3工場を加えた
    • [36]1954年12月 摂津酒造より灘第二工場(現・白壁蔵)を買収
    • [30]1947年9月に長崎市の旭酒造(資本金80万円)も合併
    • [34]1952年10月 官営の長崎県島原工場と宮崎県高鍋工場を買収

工場網は14を数え[37]、総生産能力は一日の蒸溜能力で醪1万6千石、焼酎に換算して年産百余万石[38]に達した。1954年3月期の生産販売石数は焼酎33万石・味淋1万石・本直し1万4千石・清酒3千5百石ほかの総計49万4千石[39]で、金額では127億8千万円[40]だった。焼酎で全国の3割、味淋と本直しで7割、専売アルコールで2割[41]を供給し、寳酒造はわが国酒造界の第一位[42]を占めた。資本金は1947年9月の2580万円[43]から増資を重ね、1953年10月には23億8千万円[44]となった。1953年11月には愛媛県青果販売農業協同組合連合会と提携してジュースの生産販売[45]を始め、松山・王子の二工場で精製したタカラポンジュースは年間1千万本[46]を出荷した。1955年9月、麦酒製造の免許を得た[47]寳酒造は、木崎工場を拡張整備してタカラビールの生産[48]に入った。

    • [37]14工場・総生産能力は一日蒸溜能力 醪1万6千石、焼酎として年産百余万石
    • [38]総生産能力は一日蒸溜能力で醪1万6千石、焼酎として年産百余万石
    • [39]1954年3月期の生産販売石数は総計49万4千石
    • [40]1954年3月期の生産販売額は127億8千万円
    • [41]焼酎は全国の3割、味淋・本直しは7割、専売アルコールは2割を生産供給
    • [42]宝酒造はわが国酒造界の第一位を占めた
    • [43]資本金は1947年9月の2580万円から1953年10月の23億8千万円へ増資
    • [44]1953年10月に資本金23億8千万円
    • [45]1953年11月から愛媛県青果販売農業協同組合連合会と提携しジュースの生産販売を開始
    • [46]松山・王子の二工場で精製したタカラポンジュースは年間1千万本の売行
    • [47]1955年9月 麦酒製造の免許を取得し木崎工場を拡張整備してタカラビールを生産
    • [48]木崎工場を拡張整備してタカラビールを生産
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1947年6月 大黒葡萄酒より白河工場(2003年3月廃止)を買収
    • [29]1947年9月 日本酒精を吸収合併し木崎・楠・防府の3工場を継承
    • [31]1949年5月 東京・大阪・名古屋の各証券取引所開設に伴い株式を上場
    • [32]1949年7月 京都証券取引所に株式を上場
    • [33]1952年10月 政府より専売アルコール工場の払下げを受領
    • [35]1952年11月 中央酒類を吸収合併し市川・灘・鹿児島の3工場を加えた
    • [36]1954年12月 摂津酒造より灘第二工場(現・白壁蔵)を買収
    • [30]1947年9月に長崎市の旭酒造(資本金80万円)も合併
    • [34]1952年10月 官営の長崎県島原工場と宮崎県高鍋工場を買収
    • [37]14工場・総生産能力は一日蒸溜能力 醪1万6千石、焼酎として年産百余万石
    • [38]総生産能力は一日蒸溜能力で醪1万6千石、焼酎として年産百余万石
    • [39]1954年3月期の生産販売石数は総計49万4千石
    • [40]1954年3月期の生産販売額は127億8千万円
    • [41]焼酎は全国の3割、味淋・本直しは7割、専売アルコールは2割を生産供給
    • [42]宝酒造はわが国酒造界の第一位を占めた
    • [43]資本金は1947年9月の2580万円から1953年10月の23億8千万円へ増資
    • [44]1953年10月に資本金23億8千万円
    • [45]1953年11月から愛媛県青果販売農業協同組合連合会と提携しジュースの生産販売を開始
    • [46]松山・王子の二工場で精製したタカラポンジュースは年間1千万本の売行
    • [47]1955年9月 麦酒製造の免許を取得し木崎工場を拡張整備してタカラビールを生産
    • [48]木崎工場を拡張整備してタカラビールを生産

1957年〜 ビール参入の失敗と、撤退のさなかに置いた中央研究所

宝ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1957年 木崎麦酒工場を新設(1968年4月サッポロビールに譲渡)
  2. 1959年 札幌工場(2003年3月廃止)建設
  3. 1962年 ビール事業からの撤退と二工場のキリン・サッポロへの売却 養父が社運を賭けた事業を、就任直後の大宮隆社長はなぜ畳んだか
  4. 1964年 市川・王子の両工場を統合し松戸工場を新設
  5. 1964年 摂津酒造と本辰酒造を吸収合併
  6. 1964年 大阪・長野の2工場を継承
  7. 1970年 中央研究所の設置による発酵・遺伝子工学への種まき 再建で戦線を縮めるさなか、大宮隆社長はなぜ目先の利益にならぬ研究所に賭けたか

麦酒製造免許の取得とタカラビールの挫折

1955年9月1日の新工場建設認可では、麦酒三社が各10万石だったのに対し、寳酒造には12万石[49]が第一期分として認められた。1957年4月、寳酒造は木崎麦酒工場を建設[50]してビール事業へ参入[51]した。焼酎・清酒・本みりんを主力とする酒造業者にとってビールは市場規模の大きい領域で、前会長の大宮庫吉氏が社運を賭けて始めた事業[52]でもあり、資本金を積み増して設備投資へ振り向けた[53]。1959年10月には札幌工場(2003年3月廃止)を建設[54]し、1962年3月には京都麦酒工場を新設[55]して関西市場へ進出した。1964年5月には市川・王子の両工場を統合して松戸工場を新設[56]し、同年10月には摂津酒造と本辰酒造を吸収合併[57]して大阪・長野の二工場を継承した。

    • [49]1955年9月1日の新工場建設認可は麦酒三社各10万石に対し宝酒造12万石(各第一期)
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1957年4月 木崎麦酒工場を新設(1968年4月サッポロビールに譲渡)
    • [54]1959年10月 札幌工場(2003年3月廃止)を建設
    • [55]1962年3月 京都麦酒工場を新設(1967年7月麒麟麦酒に譲渡)
    • [56]1964年5月 市川・王子の両工場を統合し松戸工場を新設
    • [57]1964年10月 摂津酒造と本辰酒造を吸収合併し大阪・長野の2工場を継承
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [51]1957年 ビール事業へ参入(1967年ビール事業撤退)
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [52]ビール事業は前会長の大宮庫吉が社運を賭けて始めた事業
    • [53]宝酒造はビール事業に資本金を増資して注力した

だが事業は軌道に乗らず、当時のビール流通では問屋が特定の銘柄だけを扱う専売的な慣行[58]が根を張り、先行するアサヒビールなど大手の壁は厚く、後発の寳酒造は販売ルートを築けなかった[59]。京都に第二工場を建てて拡大を狙った[60]ことが、かえって失敗を決定的にした。タカラビールは1957年の発売から5年後に関西進出も失敗[61]し、1962年度から5期連続の無配[62]に陥った。ビール事業は在来の酒類で稼いだ利益を食いつぶす重荷[63]となり、1966年3月期の経常利益は0.63億円[64]まで落ち込んだ。1966年に大宮隆氏が社長へ就任した[65]時点で、この不採算事業が経営を最も強く圧迫していた。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [58]当時のビール流通は問屋が特定銘柄だけを扱う専売的慣行が根を張っていた
    • [59]先行する大手の壁が厚く後発の宝酒造は販売ルートを確保できなかった
    • [60]京都への第二工場建設で拡大を狙ったことがかえって失敗を決定的にした
    • [63]ビール事業は在来の酒類で稼いだ利益を食いつぶす重荷となった
    • [65]大宮隆は1966年に社長へ就任し、ビール事業の重荷が経営を最も強く圧迫していた時期にあたる
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [61]ビールは昭和32年(1957年)発売、5年後の関西進出も失敗
    • [62]昭和37年度(1962年度)から5期連続無配
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1966年3月期・単体)
    • [64]1966年3月期の経常利益は0.63億円
    • [49]1955年9月1日の新工場建設認可は麦酒三社各10万石に対し宝酒造12万石(各第一期)
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1957年4月 木崎麦酒工場を新設(1968年4月サッポロビールに譲渡)
    • [54]1959年10月 札幌工場(2003年3月廃止)を建設
    • [55]1962年3月 京都麦酒工場を新設(1967年7月麒麟麦酒に譲渡)
    • [56]1964年5月 市川・王子の両工場を統合し松戸工場を新設
    • [57]1964年10月 摂津酒造と本辰酒造を吸収合併し大阪・長野の2工場を継承
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [51]1957年 ビール事業へ参入(1967年ビール事業撤退)
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [52]ビール事業は前会長の大宮庫吉が社運を賭けて始めた事業
    • [53]宝酒造はビール事業に資本金を増資して注力した
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [58]当時のビール流通は問屋が特定銘柄だけを扱う専売的慣行が根を張っていた
    • [59]先行する大手の壁が厚く後発の宝酒造は販売ルートを確保できなかった
    • [60]京都への第二工場建設で拡大を狙ったことがかえって失敗を決定的にした
    • [63]ビール事業は在来の酒類で稼いだ利益を食いつぶす重荷となった
    • [65]大宮隆は1966年に社長へ就任し、ビール事業の重荷が経営を最も強く圧迫していた時期にあたる
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [61]ビールは昭和32年(1957年)発売、5年後の関西進出も失敗
    • [62]昭和37年度(1962年度)から5期連続無配
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1966年3月期・単体)
    • [64]1966年3月期の経常利益は0.63億円

大宮隆社長によるビール事業の全面撤退

大宮隆社長にとって、撤退の対象は養父である前会長・大宮庫吉氏が悲願として始めた事業[66]だった。それでも「このまま続けると会社がつぶれる」(日経ビジネス 1992年3月2日号)と判断し、就任直後の最初の仕事としてビールからの全面撤退[67]を決めた。撤退は取引先への説明から始まり、大宮隆社長は得意先を回って事情を説き、取引銀行を間に立てて[68]工場の売却を進めた。1967年7月に京都麦酒工場を麒麟麦酒へ[69]、1968年4月に木崎麦酒工場をサッポロビールへ譲渡[70]。参入から10年でビール事業から全面的に退いた[71]。あわせて過剰人員の整理に着手し、13年間で1000人を超える削減[72][73]を実施した。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [66]撤退対象は養父・大宮庫吉が社運を賭けて始めた悲願の事業
    • [67]大宮隆は1966年の社長就任を最大の危機とし就任直後にビール撤退を決断
    • [68]撤退にあたり得意先を回って事情を説き、取引銀行を間に立てて工場を売却した
    • [72]京都・木崎の二つの麦酒工場を売却し、あわせて社員を大幅に削減した
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1967年7月 京都麦酒工場を麒麟麦酒へ譲渡
    • [70]1968年4月 木崎麦酒工場をサッポロビールへ譲渡
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [71]1957年の参入から10年でビール事業を撤退
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [73]昭和39年(1964年)当時約2500人の従業員を13年間で計1044人削減

ビールを切り離した寳酒造は、味淋・焼酎・合成酒・アルコールという在来の主力[74]へ経営資源を絞り直した。撤退の効果は数字に表れ、1966年3月期に0.63億円まで落ちた経常利益は、1967年3月期には5.05億円へ持ち直している[75]。麦酒部門の分離によって不採算部門が解消され、在来の主製品を中心とした安定成長の見通し[76]がついたと、当時の会社側も総括した。宝ホールディングスは創立100周年を前に、1957年の参入から10年での撤退という失敗を糧に、新たな成長事業として着手したのがバイオ事業[77]だったと振り返っている。撤退で事業を縮小するさなかに設けた中央研究所[78]が、そのバイオ事業の源流である。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [74]撤退後は味淋・焼酎・合成酒・アルコールという在来の主力へ経営資源を絞り直した
    • [76]麦酒部門の分離で不採算部門が解消され、在来の主製品を中心とした安定成長の目途がついたと会社側が総括
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1967年3月期・単体)
    • [75]経常利益は1966年3月期0.63億円から1967年3月期5.05億円へ回復
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [77]宝グループレポート2025は、ビール事業の失敗を糧に新たな成長事業として着手したのがバイオ事業だったと振り返る
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [78]中央研究所はビール撤退で戦線を縮小するなか士気を保つために設けられた
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [66]撤退対象は養父・大宮庫吉が社運を賭けて始めた悲願の事業
    • [67]大宮隆は1966年の社長就任を最大の危機とし就任直後にビール撤退を決断
    • [68]撤退にあたり得意先を回って事情を説き、取引銀行を間に立てて工場を売却した
    • [72]京都・木崎の二つの麦酒工場を売却し、あわせて社員を大幅に削減した
    • [78]中央研究所はビール撤退で戦線を縮小するなか士気を保つために設けられた
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1967年7月 京都麦酒工場を麒麟麦酒へ譲渡
    • [70]1968年4月 木崎麦酒工場をサッポロビールへ譲渡
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [71]1957年の参入から10年でビール事業を撤退
    • [77]宝グループレポート2025は、ビール事業の失敗を糧に新たな成長事業として着手したのがバイオ事業だったと振り返る
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [73]昭和39年(1964年)当時約2500人の従業員を13年間で計1044人削減
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [74]撤退後は味淋・焼酎・合成酒・アルコールという在来の主力へ経営資源を絞り直した
    • [76]麦酒部門の分離で不採算部門が解消され、在来の主製品を中心とした安定成長の目途がついたと会社側が総括
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1967年3月期・単体)
    • [75]経常利益は1966年3月期0.63億円から1967年3月期5.05億円へ回復

縮小のさなかに設けた中央研究所と発酵技術

1970年9月、寳酒造は滋賀県大津市に中央研究所[79]を開設した。田辺脩博士を所長に迎え、わずか5人で研究を始めた[80]小さな拠点だったが、その年間運営費は約1億円[81]に達した。1965年度の経常利益が6300万円[82]しかなかった会社にとっては利益を上回る規模の固定費であり、社内からは大変な時期に目先の利益につながらないものを、という反対の声が相次いだ[83]。大宮隆社長は「永年、発酵技術で食べさせてもらった恩返しを少しでも社会にすべきだ[84]」(日経ビジネス 1992年3月2日号)という論理で研究所の存続を守り、縮小のなかでも研究員だけは増やした。当時常務だった大宮久氏も「将来、必ずバイオの時代が来る。やるか、やらないかだ」(週刊東洋経済 2000年8月5日号)と社内を説き伏せ、事業の立ち上げに加わっている。 [85]

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [79]1970年9月 滋賀県大津市に中央研究所を新設
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [80]中央研究所は田辺脩博士を所長に5人でスタート
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [81]中央研究所の年間運営費は約1億円
    • [82]1965年度の経常利益は6300万円
    • [83]社内から「大変な時期に目先の利益につながらないものを」という反対の声が相次いだ
    • [84]大宮隆は「永年、発酵技術で食べさせてもらった恩返しを少しでも社会にすべきだ」として研究所設立を押し通した
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [85]当時常務の大宮久が「将来、必ずバイオの時代が来る。やるか、やらないかだ」と社内を説き伏せた

研究の土台は酒造で長く磨いてきた発酵の技術にあり、焼酎や酒精を造る過程で蓄えた微生物の知見を足がかりに、寳酒造は酒精製造技術から生物工学へ研究範囲を広げた[86]。成果はすぐには出ず、設立当初はキノコの人工栽培などが目立つ程度[87]だった。それでも寳酒造は毎年売上高の1%を研究開発費として確保[88]し、中央研究所は1981年時点で90人体制[89]へ増えた。基礎研究を最優先で積み上げた同研究所は、やがて日本で初めての遺伝子工学試薬である制限酵素の開発に成功[90]した。1970年に開いたこの研究所は、2002年4月の会社分割でタカラバイオへ承継される[91]まで、酒類事業と同じ法人のなかにあった。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [86]宝酒造は酒精製造で培った発酵技術を土台に生物工学へ研究範囲を広げた
    • [91]中央研究所は2002年4月にタカラバイオへ承継された
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [87]設立当初はキノコの人工栽培などが目立つ程度だった
    • [90]中央研究所は日本初の遺伝子工学試薬である制限酵素を開発した
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [88]毎年売上高の1%を研究開発費として確保
    • [89]中央研究所は1981年時点で90人体制
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [79]1970年9月 滋賀県大津市に中央研究所を新設
    • [86]宝酒造は酒精製造で培った発酵技術を土台に生物工学へ研究範囲を広げた
    • [91]中央研究所は2002年4月にタカラバイオへ承継された
  • 日経ビジネス 1981年11月2日号「ケーススタディ 宝酒造」(吉野源太郎)
    • [80]中央研究所は田辺脩博士を所長に5人でスタート
    • [88]毎年売上高の1%を研究開発費として確保
    • [89]中央研究所は1981年時点で90人体制
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号「有訓無訓 苦しい時こそワンマンたれ」(大宮隆)
    • [81]中央研究所の年間運営費は約1億円
    • [82]1965年度の経常利益は6300万円
    • [83]社内から「大変な時期に目先の利益につながらないものを」という反対の声が相次いだ
    • [84]大宮隆は「永年、発酵技術で食べさせてもらった恩返しを少しでも社会にすべきだ」として研究所設立を押し通した
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [85]当時常務の大宮久が「将来、必ずバイオの時代が来る。やるか、やらないかだ」と社内を説き伏せた
    • [87]設立当初はキノコの人工栽培などが目立つ程度だった
    • [90]中央研究所は日本初の遺伝子工学試薬である制限酵素を開発した

1977年〜 焼酎「純」の復権と、絶頂期に始めた海外酒類・バイオへの先行投資

宝ホールディングスの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1982年 米国本土での清酒製造を開始
  2. 1982年 NUMANO SAKE CO.を株式取得
  3. 1986年 焼酎が健在なうちに進めた海外酒類ブランドの取得 ブームの絶頂で次を仕込むか——久木田稔社長はなぜ本業が強いうちに多角化を急いだか
  4. 1986年 Tomatin Distillers Plc.の資産を買収
  5. 1986年 スコッチウイスキーの製造を開始
  6. 1991年 AADC Holding Company,Inc.の株式を一部取得
  7. 1993年 宝生物工程(大連)有限公司を設立

宝焼酎「純」と缶チューハイで築いた焼酎首位の地位

1975年3月期の寳酒造は、単体売上の品目別構成が清酒174億円(44%)・味醂89億円(22%)・焼酎72億円(18%)[92]で、清酒が最大の収益源だった。1977年、同社は宝焼酎「純」を発売し、焼酎の復権[93]を実現した。しょうちゅうブームが全国へ広がり、それまで中年男性の飲み物だったしょうちゅうは「純」の発売とともに若者や女性の間で人気[94]を得た。お湯割りだけでなく、しょうちゅうをベースにしたカクテルや炭酸で割ったサワーという新しい飲み方[95]が提案され、飲用の場そのものが広がった。1984年には国内初の缶入りチューハイ「タカラcanチューハイ」[96]を投入し、翌1985年3月期には136億円を売り上げた[97]

  • 会社年鑑(1976年版)
    • [92]1975年3月期(単体)の品目別売上は清酒174.50億円(44%)・味醂89.72億円(22%)・焼酎72.90億円(18%)
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [93]1977年 宝焼酎「純」発売、焼酎復権を実現
    • [96]1984年 国内初の缶入りチューハイ「タカラcanチューハイ」発売
    • [94]中年男性の飲み物だったしょうちゅうが宝酒造のヒット商品「純」の発売とともに若者や女性の間で人気となった
    • [95]お湯割りだけでなくしょうちゅうベースのカクテル、炭酸ベースのサワーなど新しい飲み方が提案された
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [97]1985年3月期 単体売上のチューハイは136億円(発売2年目で580万ケース)

1985年3月期の単体売上では、焼酎564億円(43%)が清酒290億円(22%)を抜いて首位[98]に立ち、発売2年目のチューハイも構成比11%[99]へ伸びた。単体売上高は1301億円、経常利益は143億円[100]で、寳酒造は焼酎のトップメーカー・業界最大手[101]と呼ばれた。缶チューハイ市場での首位はその後も続き、1999年の販売実績は宝の1,150万ケースに対し、サントリーが約1,000万ケース[102]、旭化成とメルシャンが各400〜500万ケースだった。もっとも1985年秋には焼酎の消費量が前年同月を割り込み[103]、需要の頭打ちが数字に表れた。

  • 会社年鑑(1986年版)
    • [98]1985年3月期(単体)の品目別売上は焼酎564.01億円(43%)・清酒290.03億円(22%)・みりん180.20億円(14%)・チューハイ136.00億円(11%)
    • [99]1985年3月期 チューハイは発売2年目で構成比11%
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1985年3月期・単体)
    • [100]1985年3月期の単体売上高は1301億円、経常利益は143億円
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [101]宝酒造は「純」「CANチューハイ」で焼酎のトップメーカー・業界最大手となった
    • [103]1985年秋に焼酎消費が前年同月を割り込みブームが成熟した
  • 週刊東洋経済 2000年2月26日号「注目の業界 酒類メーカーの仁義なき乱戦」
    • [102]缶チューハイ市場で宝酒造が首位(1999年実績 宝1,150万ケース、サントリー約1,000万ケース、旭化成・メルシャン各400〜500万ケース)
  • 会社年鑑(1976年版)
    • [92]1975年3月期(単体)の品目別売上は清酒174.50億円(44%)・味醂89.72億円(22%)・焼酎72.90億円(18%)
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [93]1977年 宝焼酎「純」発売、焼酎復権を実現
    • [96]1984年 国内初の缶入りチューハイ「タカラcanチューハイ」発売
    • [94]中年男性の飲み物だったしょうちゅうが宝酒造のヒット商品「純」の発売とともに若者や女性の間で人気となった
    • [95]お湯割りだけでなくしょうちゅうベースのカクテル、炭酸ベースのサワーなど新しい飲み方が提案された
  • 会社年鑑(1986年版)
    • [97]1985年3月期 単体売上のチューハイは136億円(発売2年目で580万ケース)
    • [98]1985年3月期(単体)の品目別売上は焼酎564.01億円(43%)・清酒290.03億円(22%)・みりん180.20億円(14%)・チューハイ136.00億円(11%)
    • [99]1985年3月期 チューハイは発売2年目で構成比11%
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1985年3月期・単体)
    • [100]1985年3月期の単体売上高は1301億円、経常利益は143億円
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [101]宝酒造は「純」「CANチューハイ」で焼酎のトップメーカー・業界最大手となった
    • [103]1985年秋に焼酎消費が前年同月を割り込みブームが成熟した
  • 週刊東洋経済 2000年2月26日号「注目の業界 酒類メーカーの仁義なき乱戦」
    • [102]缶チューハイ市場で宝酒造が首位(1999年実績 宝1,150万ケース、サントリー約1,000万ケース、旭化成・メルシャン各400〜500万ケース)

久木田稔社長が焼酎の絶頂期に進めた海外酒類ブランドの取得

好調のただ中で缶チューハイの伸びも鈍り、1986年3月期の通期見通しは中間決算の段階で売上高1400億円・経常利益140億円へ下方修正[104]された。久木田稔社長は、本体が不振に陥ってから多角化に動くのは危険[105]だと考え、本業の焼酎が健在なうちに次の柱を仕込む[106]先行投資に踏み切った。多角化の方向は、国内の清涼飲料にとどまらず海外の酒類ブランドへ[107]向かった。寳酒造は1982年7月に米国カリフォルニア州のNUMANO SAKE CO.(現Takara Sake USA Inc.)の株式を取得[108]して米国本土での清酒の現地生産を始めており、1983年からは米国産「松竹梅」の製造・販売[109]に入っていた。

  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [104]1986年3月期見通しは売上高1400億円・経常利益140億円へ下方修正
    • [105]久木田稔社長は本体不振後の多角化は危険と判断した
    • [106]宝酒造は本業の焼酎が健在なうちに多角化を急いだ
    • [107]多角化はウイスキー・清涼飲料など国内外へ向かった
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1982年7月 NUMANO SAKE CO.(現Takara Sake USA Inc.)を株式取得し米国本土での清酒製造を開始
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [109]1983年 米国宝酒造設立、米国産「松竹梅」の製造・販売を開始

1986年2月、寳酒造は英国スコットランドにThe Tomatin Distillery Co.Ltdを設立[110]し、清算会社となっていた英国最大級のモルトメーカーTomatin Distillers Plc.の資産を買収[111]してスコッチウイスキーの製造を始めた。出資比率は寳酒造80%・大倉商事20%、資本金は250万ポンド(約7億円)[112]。会社側は「5年後に採算が合えばよい[113]」(日経ビジネス 1986年3月31日号)として、長期の投資回収を前提に臨んだ。1991年4月には米国のバーボンウイスキーメーカーAge International,Inc.の100%持株会社AADC Holding Companyの株式を取得[114]し、1992年に全株式を取得[115]して完全子会社とした。1993年8月には中国大連市に宝生物工程(大連)有限公司を設立[116]し、1995年8月には中国北京市に北京寛宝食品有限公司(現宝酒造食品有限公司)を合弁で設立[117]した。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [110]1986年2月 The Tomatin Distillery Co.Ltdを設立
    • [111]1986年2月 Tomatin Distillers Plc.の資産を買収しスコッチウイスキーの製造を開始
    • [114]1991年4月 AADC Holding Company,Inc.の株式を一部取得(Age International,Inc.の100%持株会社)
    • [116]1993年8月 中国大連市に宝生物工程(大連)有限公司を設立
    • [117]1995年8月 合弁で北京寛宝食品有限公司(現宝酒造食品有限公司)を設立
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [112]トマーチンは宝酒造80%・大倉商事20%出資、資本金250万ポンド(約7億円)
    • [113]会社側は「5年後に採算が合えばよい」という長期の構えで臨んだ
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [115]1992年 エイジ・インターナショナル社(米国)の親会社AADC社の全株式取得
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」(横田伸一)
    • [104]1986年3月期見通しは売上高1400億円・経常利益140億円へ下方修正
    • [105]久木田稔社長は本体不振後の多角化は危険と判断した
    • [106]宝酒造は本業の焼酎が健在なうちに多角化を急いだ
    • [107]多角化はウイスキー・清涼飲料など国内外へ向かった
    • [112]トマーチンは宝酒造80%・大倉商事20%出資、資本金250万ポンド(約7億円)
    • [113]会社側は「5年後に採算が合えばよい」という長期の構えで臨んだ
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [108]1982年7月 NUMANO SAKE CO.(現Takara Sake USA Inc.)を株式取得し米国本土での清酒製造を開始
    • [110]1986年2月 The Tomatin Distillery Co.Ltdを設立
    • [111]1986年2月 Tomatin Distillers Plc.の資産を買収しスコッチウイスキーの製造を開始
    • [114]1991年4月 AADC Holding Company,Inc.の株式を一部取得(Age International,Inc.の100%持株会社)
    • [116]1993年8月 中国大連市に宝生物工程(大連)有限公司を設立
    • [117]1995年8月 合弁で北京寛宝食品有限公司(現宝酒造食品有限公司)を設立
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [109]1983年 米国宝酒造設立、米国産「松竹梅」の製造・販売を開始
    • [115]1992年 エイジ・インターナショナル社(米国)の親会社AADC社の全株式取得

制限酵素からゲノム受託解析へ育ったバイオと生産拠点の集約

制限酵素の開発を足がかりに[118]、中央研究所は試薬事業の商品化を進めた。1988年には米パーキンエルマー社のPCR法による遺伝子増幅システムの国内独占販売権を獲得[119]し、遺伝子増幅の試薬で海外市場を開拓した。1990年にはゲノムの受託解析を事業化[120]し、1998年度に収益化して1999年度には年商100億円規模・営業利益30億円程度[121]へ拡大した。同じ時期に寳酒造は生産拠点の整理も進め、1995年3月に防府工場、1995年11月に灘第一工場を廃止[122]して主要工場へ集約した。連結売上高が2,000億円規模に達したと確認できるのは最古の連結開示である2004年3月期の1,969億円[123]で、それまでの寳酒造は清酒・焼酎の中堅大手にとどまっていた。

  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [118]宝酒造は日本初の遺伝子工学試薬・制限酵素を開発した
    • [120]1990年にゲノム受託解析を事業化し1998年度に収益化
    • [121]ゲノム受託解析は1999年度に年商100億円規模・営業利益30億円程度へ成長
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [119]1988年 PCR法による遺伝子増幅システムの国内独占販売権を獲得(米パーキンエルマー社)
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [122]1995年3月 防府工場、1995年11月 灘第一工場を廃止し主要工場へ集約
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2004年3月期)【経理の状況】
    • [123]連結PLの最古開示は2004年3月期で売上1,969億円

2000年4月、寳酒造は約60億円を投じて三重県に高速ゲノム解析センター「ドラゴン・ゲノミクス」[124]を年内に設立すると発表し、ヒトゲノムの解読で先行する米セレラ社への対抗[125]を掲げた。設立会見で加藤郁之進専務は、米セレラ社が遺伝子特許の囲い込みを終える前に世界トップクラスの解析センターを立ち上げたい[126]と述べている。寳酒造は解析能力の約80%を大学や製薬企業からの受託解析へ振り向け[127]、当初から収益を確保しながら遺伝子特許の競争へ加わる道を選んだ。大宮久社長は遺伝子治療の導入補助薬レトロネクチン[128]を将来の収益源と見ており、「ドラゴン」の稼働に先立ってゲノム受託解析事業を分社化し、速さを重んじる経営へ切り替える方針[129]を打ち出した。

  • 日経ビジネス 2000年4月17日号「宝酒造がゲノム解析で狙う一発逆転 最高速センターを年内設立、米セレラ社の独占阻止なるか」(橋本宗明)
    • [124]2000年4月 約60億円を投じ三重県に世界最高速級のゲノム解析センター「ドラゴン・ゲノミクス」を年内設立すると発表
    • [125]ヒトゲノム解読で先行する米セレラ社への対抗を掲げた
    • [126]加藤郁之進専務は米セレラ社が遺伝子特許を囲い込む前に世界トップクラスの解析センターを立ち上げたいと述べた
    • [127]解析能力の約80%を大学・製薬企業からの受託解析へ振り向け当初から収益を確保する方針
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [128]大宮久社長は遺伝子治療の導入補助薬レトロネクチンを将来の主戦場に据えた
    • [129]「ドラゴン」稼働に先駆けてゲノム受託解析事業を分社化しスピードを重んじる経営へ切り替える方針を打ち出した
  • 週刊東洋経済 2000年8月5日号「[特集]変革のみやこ京都 宝酒造 バイオ事業に賭けろ!」
    • [118]宝酒造は日本初の遺伝子工学試薬・制限酵素を開発した
    • [120]1990年にゲノム受託解析を事業化し1998年度に収益化
    • [121]ゲノム受託解析は1999年度に年商100億円規模・営業利益30億円程度へ成長
    • [128]大宮久社長は遺伝子治療の導入補助薬レトロネクチンを将来の主戦場に据えた
    • [129]「ドラゴン」稼働に先駆けてゲノム受託解析事業を分社化しスピードを重んじる経営へ切り替える方針を打ち出した
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [119]1988年 PCR法による遺伝子増幅システムの国内独占販売権を獲得(米パーキンエルマー社)
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [122]1995年3月 防府工場、1995年11月 灘第一工場を廃止し主要工場へ集約
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2004年3月期)【経理の状況】
    • [123]連結PLの最古開示は2004年3月期で売上1,969億円
  • 日経ビジネス 2000年4月17日号「宝酒造がゲノム解析で狙う一発逆転 最高速センターを年内設立、米セレラ社の独占阻止なるか」(橋本宗明)
    • [124]2000年4月 約60億円を投じ三重県に世界最高速級のゲノム解析センター「ドラゴン・ゲノミクス」を年内設立すると発表
    • [125]ヒトゲノム解読で先行する米セレラ社への対抗を掲げた
    • [126]加藤郁之進専務は米セレラ社が遺伝子特許を囲い込む前に世界トップクラスの解析センターを立ち上げたいと述べた
    • [127]解析能力の約80%を大学・製薬企業からの受託解析へ振り向け当初から収益を確保する方針

2002年〜 持株会社化と海外日本食流通への主力交代、タカラバイオの再統合

宝ホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2002年 持株会社化による酒類・バイオ二事業の分割 成熟した酒類と成長を賭けるバイオを、一つの会社で抱え続けるか——大宮久社長はなぜ二事業を別法人へ分けたか
  2. 2002年 会社分割により新設のタカラバイオがバイオ事業を承継
  3. 2004年 タカラバイオが東京証券取引所マザーズに株式上場
  4. 2005年 Clontech Laboratories,Inc.の全株式をTakara Bio USA Holdings Inc.経由取得
  5. 2010年 宝酒造が仏国のFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得
  6. 2017年 海外日本食材卸事業を成長の主軸に据える戦略転換 国内酒類が縮むなか、宝ホールディングスはなぜ「日本酒を売る会社」から「日本食を売る会社」へ主力を移したか
  7. 2026年 タカラバイオの完全子会社化TOBによる親子上場の解消 「弊害はない」と述べた一年後、木村睦社長はなぜ541億円で上場子会社を買い戻したか

物的分割で生まれた宝酒造とタカラバイオ

2002年4月、寳酒造は物的分割の方法で二つの事業を切り出した[130]。酒類・食品・酒精事業は新設の宝酒造株式会社が、バイオ事業は新設のタカラバイオ株式会社[131]がそれぞれ承継した。旧・寳酒造は事業を持たない持株会社へ移り、商号を宝ホールディングス株式会社へ変更[132]した。1970年に開いた中央研究所は、このときタカラバイオへ引き継がれ[133]ている。宝ホールディングスは、酒類の宝酒造とバイオのタカラバイオを傘下に置く体制[134]となった。国内酒類の宝酒造はその後も新商品を投入し続け、2006年にタカラ「焼酎ハイボール」[135]を、2011年には松竹梅白壁蔵「澪」スパークリング清酒を発売[136]している。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [130]2002年4月 会社分割(物的分割)により酒類・食品・酒精事業とバイオ事業を分割
    • [131]酒類・食品・酒精事業は新設の宝酒造、バイオ事業は新設のタカラバイオが承継
    • [132]旧・寳酒造は持株会社へ移行し商号を宝ホールディングス株式会社へ変更
    • [133]1970年設置の中央研究所は2002年4月にタカラバイオへ承継
    • [134]宝ホールディングスは酒類の宝酒造とバイオのタカラバイオを傘下に置く体制となった
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [135]2006年 タカラ「焼酎ハイボール」発売
    • [136]2011年 松竹梅白壁蔵「澪」スパークリング清酒発売

2004年12月、タカラバイオは東京証券取引所マザーズへ株式を上場[137]し、母体の宝ホールディングスが過半を保有したまま外部資本を受け入れる親子上場となった。2005年9月には米国カリフォルニア州のClontech Laboratories,Inc.(現Takara Bio USA, Inc.)の全株式[138]を、Takara Bio USA Holdings Inc.を通じて取得した。タカラバイオはさらに2017年1月に米Rubicon Genomics, Inc.の全株式[139]を、同年2月に米WaferGen Bio-systems, Inc.の全株式を取得[140]し、M&Aで遺伝子解析の技術を取り込んだ。もっとも2005年3月期の連結売上は、酒類・食品事業が1,780億円で構成比91%、バイオ事業は136億円で7%[141]にとどまり、収益の中心はなお国内酒類にあった。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [137]2004年12月 タカラバイオが東京証券取引所マザーズに株式上場
    • [138]2005年9月 Clontech Laboratories,Inc.の全株式をTakara Bio USA Holdings Inc.経由で取得
    • [139]2017年1月 Rubicon Genomics, Inc.の全株式を取得
    • [140]2017年2月 WaferGen Bio-systems, Inc.の全株式を取得
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2005年3月期)【セグメント情報】
    • [141]2005年3月期の連結売上高1,954億円の内訳は酒類・食品事業1,780.68億円(構成比91%)、バイオ事業136.71億円(7%)
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [130]2002年4月 会社分割(物的分割)により酒類・食品・酒精事業とバイオ事業を分割
    • [131]酒類・食品・酒精事業は新設の宝酒造、バイオ事業は新設のタカラバイオが承継
    • [132]旧・寳酒造は持株会社へ移行し商号を宝ホールディングス株式会社へ変更
    • [133]1970年設置の中央研究所は2002年4月にタカラバイオへ承継
    • [134]宝ホールディングスは酒類の宝酒造とバイオのタカラバイオを傘下に置く体制となった
    • [137]2004年12月 タカラバイオが東京証券取引所マザーズに株式上場
    • [138]2005年9月 Clontech Laboratories,Inc.の全株式をTakara Bio USA Holdings Inc.経由で取得
    • [139]2017年1月 Rubicon Genomics, Inc.の全株式を取得
    • [140]2017年2月 WaferGen Bio-systems, Inc.の全株式を取得
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [135]2006年 タカラ「焼酎ハイボール」発売
    • [136]2011年 松竹梅白壁蔵「澪」スパークリング清酒発売
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2005年3月期)【セグメント情報】
    • [141]2005年3月期の連結売上高1,954億円の内訳は酒類・食品事業1,780.68億円(構成比91%)、バイオ事業136.71億円(7%)

海外日本食材卸の連続買収と宝酒造インターナショナルの分社

宝ホールディングスは2024年5月の決算説明会で、宝酒造が減収となる計画の理由に焼酎の需要が市場全体で減っている[142]ことを挙げた。一方で海外日本食材卸ネットワークの拡大については、近年の健康志向の高まりなどによる世界での日本食市場の広がり[143]を理由に挙げている。買収は2010年4月にフランスのFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得[144]したことに始まり、2013年に英国のタザキフーズ社、2014年にスペインのコミンポート社[145]と欧州の卸が続いた。2016年11月には米国のMutual Trading Co.,Inc.を子会社化[146]し、2017年には豪州のニッポンフード社[147]を傘下に収めた。欧州ではフランスと英国での買収により、宝ホールディングスは日系3社のなかで頭一つ抜けたシェア[148]を得た。

  • 宝ホールディングス 2024年3月期 決算説明会 質疑応答(2024年5月14日)
    • [142]2024年5月の決算説明会で宝HDは宝酒造の減収計画の理由を焼酎需要の市場全体での減少に求めた
    • [143]宝HDは海外日本食材卸ネットワーク拡大の背景を、健康志向の高まりなどによる世界での日本食市場の広がりに求めた
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [144]2010年4月 宝酒造が仏国のFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得
    • [146]2016年11月 宝酒造が米国のMutual Trading Co.,Inc.を子会社化
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [145]2013年 タザキフーズ社(英国)、2014年 コミンポート社(スペイン)を取得
    • [147]2017年 ニッポンフード社(豪州)を傘下に収めた
  • 週刊東洋経済 2018年11月3日号「[産業リポート]海外で日本食を支える黒子3社」(石阪友貴)
    • [148]欧州ではフランス・英国での買収で宝HDのシェアが日系3社のなかで頭一つ抜けた

2017年7月、宝ホールディングスは宝酒造の海外事業を新設分割し[149]、新設の宝酒造インターナショナル株式会社へ承継させた。宝酒造は割り当てられた株式のすべてを剰余金の配当として宝ホールディングスへ交付[150]し、宝酒造インターナショナルは持株会社の直接の連結子会社[151]となった。2020年には東京共同貿易を子会社化[152]した。同社は傘下の米ミューチャルトレーディングが日本から商品を調達する際の最大の取引先[153]で、米国の日本食市場の拡大に向けた買収だった。2017年6月に就任した木村睦社長[154]は決算説明会で、M&Aは持ち込まれるというよりこちらから積極的にアプローチをして進めてきた[155]とし、まだ完了したとは考えず、進出できていないエリアへの自主進出もあると述べている。

  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [149]2017年7月 宝酒造の海外事業を新設分割し宝酒造インターナショナルへ承継
    • [150]宝酒造は交付株式のすべてを剰余金の配当として宝HDへ渡した
    • [151]宝酒造インターナショナルは宝HDの直接の連結子会社となった
    • [152]2020年 宝HDが東京共同貿易を子会社化
    • [153]東京共同貿易は傘下の米ミューチャルトレーディングが日本から商品を調達する際の最大の取引先で、米国の日本食市場拡大に向けた買収だった
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [154]木村睦は2017年6月に代表取締役社長へ就任
  • 宝ホールディングス 2025年3月期 決算説明会 質疑応答(2025年5月15日)
    • [155]木村睦社長はM&Aをこちらから積極的にアプローチして進めてきたとし、完了したとは考えず未進出エリアへの自主進出もあると述べた

食材卸の取り込みは分社の後も止まらず、2024年9月には豊洲の鮮魚仲卸である築地太田とフィンランドの食品卸アグリカ社などを完全子会社化[156]して、北米・欧州での日本食材卸の拠点を広げた。同年11月にはドイツ・ミュンヘン近郊のKagerer & Co. GmbHの出資持分90%[157]を、宝酒造インターナショナルを通じて取得している。カーゲラー社は米・調味料・和酒に加えて冷凍魚介類などの水産品に強みを持つ食材卸売会社[158]で、日本食レストラン数が欧州4位のドイツ市場全域[159]へ卸網を広げ、東欧・北欧など新規市場の開拓につなげる狙いだった。2025年3月期のセグメント売上は宝酒造インターナショナルグループが1,854億円で構成比53%[160]を占め、宝酒造の1,188億円(34%)、タカラバイオグループの450億円(13%)[161]を上回った。宝グループは15年で日本食材卸により16か国へ拠点を広げ[162]、海外売上高比率は全体の約6割[163]となった。

    • [156]2024年9月 築地太田(100%)やフィンランドのアグリカ社(100%)などを取得し北米・欧州での日本食材卸の拠点を拡大
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [157]2024年11月 ドイツ・ミュンヘン近郊のKagerer & Co. GmbHの出資持分90%を宝酒造インターナショナル経由で取得
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [158]カーゲラー社は米・調味料・和酒に加え冷凍魚介類などの水産品に強みを持つ食材卸売会社
    • [159]ドイツは日本食レストラン数が欧州4位。取得でドイツ市場全域の基盤を強化し東欧・北欧など新規市場の開拓を加速する
    • [163]海外売上高比率は全体の約6割
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【セグメント情報】
    • [160]2025年3月期セグメント売上 宝酒造インターナショナルグループ1,854.34億円(53%)
    • [161]2025年3月期セグメント売上 宝酒造1,187.74億円(34%)・タカラバイオグループ450.38億円(13%)
    • [162]宝グループは15年で日本食材卸により16か国へ拠点を広げた
  • 宝ホールディングス 2024年3月期 決算説明会 質疑応答(2024年5月14日)
    • [142]2024年5月の決算説明会で宝HDは宝酒造の減収計画の理由を焼酎需要の市場全体での減少に求めた
    • [143]宝HDは海外日本食材卸ネットワーク拡大の背景を、健康志向の高まりなどによる世界での日本食市場の広がりに求めた
    • [156]2024年9月 築地太田(100%)やフィンランドのアグリカ社(100%)などを取得し北米・欧州での日本食材卸の拠点を拡大
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [144]2010年4月 宝酒造が仏国のFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得
    • [146]2016年11月 宝酒造が米国のMutual Trading Co.,Inc.を子会社化
    • [149]2017年7月 宝酒造の海外事業を新設分割し宝酒造インターナショナルへ承継
    • [150]宝酒造は交付株式のすべてを剰余金の配当として宝HDへ渡した
    • [151]宝酒造インターナショナルは宝HDの直接の連結子会社となった
    • [157]2024年11月 ドイツ・ミュンヘン近郊のKagerer & Co. GmbHの出資持分90%を宝酒造インターナショナル経由で取得
  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [145]2013年 タザキフーズ社(英国)、2014年 コミンポート社(スペイン)を取得
    • [147]2017年 ニッポンフード社(豪州)を傘下に収めた
    • [158]カーゲラー社は米・調味料・和酒に加え冷凍魚介類などの水産品に強みを持つ食材卸売会社
    • [159]ドイツは日本食レストラン数が欧州4位。取得でドイツ市場全域の基盤を強化し東欧・北欧など新規市場の開拓を加速する
    • [163]海外売上高比率は全体の約6割
  • 週刊東洋経済 2018年11月3日号「[産業リポート]海外で日本食を支える黒子3社」(石阪友貴)
    • [148]欧州ではフランス・英国での買収で宝HDのシェアが日系3社のなかで頭一つ抜けた
    • [152]2020年 宝HDが東京共同貿易を子会社化
    • [153]東京共同貿易は傘下の米ミューチャルトレーディングが日本から商品を調達する際の最大の取引先で、米国の日本食市場拡大に向けた買収だった
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書 第114期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [154]木村睦は2017年6月に代表取締役社長へ就任
  • 宝ホールディングス 2025年3月期 決算説明会 質疑応答(2025年5月15日)
    • [155]木村睦社長はM&Aをこちらから積極的にアプローチして進めてきたとし、完了したとは考えず未進出エリアへの自主進出もあると述べた
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【セグメント情報】
    • [160]2025年3月期セグメント売上 宝酒造インターナショナルグループ1,854.34億円(53%)
    • [161]2025年3月期セグメント売上 宝酒造1,187.74億円(34%)・タカラバイオグループ450.38億円(13%)
    • [162]宝グループは15年で日本食材卸により16か国へ拠点を広げた

コロナ特需の反落とタカラバイオの完全子会社化

2020年から2021年にかけての新型コロナウイルス感染拡大はタカラバイオにPCR検査試薬の需要をもたらし、同社は2020年に体外診断用医薬品「Takara SARS-CoV-2 ダイレクトPCR検出キット」の製造販売承認[164]を取得した。タカラバイオグループのセグメント売上はFY19(2020年3月期)の345.6億円からFY21(2022年3月期)の676.9億円[165]へ二年で倍近くに伸び、セグメント利益も62.7億円から289.0億円へ拡大した[166]。宝ホールディングス全体はFY21に売上3,009億円・営業利益433.5億円・当期純利益207.7億円[167]を計上し、当時の過去最高を記録した。同じ期には宝酒造インターナショナルグループのセグメント売上も、FY17(2018年3月期)の705億円から1,019億円[168]へ伸びていた。

  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [164]2020年 体外診断用医薬品「Takara SARS-CoV-2 ダイレクトPCR検出キット」の製造販売承認取得
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)【セグメント情報】
    • [165]タカラバイオグループのセグメント売上はFY19 345.63億円からFY21 676.99億円へ拡大
    • [166]タカラバイオグループのセグメント利益はFY19 62.74億円からFY21 289.02億円へ拡大
    • [168]宝酒造インターナショナルグループのセグメント売上はFY17 704.56億円からFY21 1,019.20億円へ拡大
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)【経理の状況】
    • [167]FY21(2022年3月期)連結業績は売上3,009億円・営業利益433.5億円・当期純利益207.7億円

特需は長くは続かず、コロナ禍が落ち着いた2023年以降のタカラバイオでは利益率の高い検査関連試薬が減収に転じ[169]、ライフサイエンス研究市場の回復の遅れ[170]も重なった。同グループのセグメント売上はFY23(2024年3月期)に435.0億円、FY24(2025年3月期)に450.4億円[171]へ縮み、セグメント利益はFY21の289.0億円からFY24の22.6億円[172]へ落ちた。全社ではFY23に売上3,394億円・営業利益222.4億円、FY24に売上3,627億円・営業利益206.0億円[173]を計上している。それでも宝ホールディングスは2025年5月15日の決算説明会で、タカラバイオの独立性は担保できていると答え[174]、宝酒造との取引関係はごくわずかで、よく言われるような親子上場の弊害はない[175]と述べていた。

  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [169]利益率の高い検査関連試薬の減収とライフサイエンス研究市場の回復の遅れ
    • [170]世界的なライフサイエンス研究市場の低迷・回復の遅れ
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【セグメント情報】
    • [171]タカラバイオグループのセグメント売上はFY23 435.04億円・FY24 450.38億円
    • [172]タカラバイオグループのセグメント利益はFY21 289.02億円からFY24 22.63億円へ縮小
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【経理の状況】
    • [173]連結業績はFY23 売上3,393.72億円・営業利益222.42億円、FY24 売上3,626.93億円・営業利益205.97億円
  • 宝ホールディングス 2025年3月期 決算説明会 質疑応答(2025年5月15日)
    • [174]2025年5月15日の決算説明会で宝HDはタカラバイオの独立性は担保できているとし、取引関係はごくわずかで親子上場の弊害はないと述べた
    • [175]宝HD・宝酒造とタカラバイオの取引関係はごくわずかで親子上場の弊害はないと説明していた

2026年3月期のタカラバイオグループは、セグメント売上403億円[176]に対し営業損失46.9億円・減損損失38.8億円[177]を計上。2026年2月13日、宝ホールディングスは保有比率60.91%のタカラバイオに対し、[178]1株1,150円・買付代金約541億円の公開買付けを実施すると発表した。買付価格は公表前日の終値801円に約40%のプレミアム[179]を乗せ、資金はみずほ銀行からの借入で賄う計画[180]だった。木村睦社長は完全子会社化の契機を、米国の研究予算削減と中国勢との競争による事業環境の急変[181]に求めた。公開買付けは2026年4月7日に成立し、3,173万3,101株の応募で持株比率は87.27%[182]へ上がった。タカラバイオは2026年5月20日の臨時株主総会で株式併合を承認し、2026年6月12日に上場を廃止した[183]。創立100周年を迎えた宝グループ[184]の2026年3月期は、売上3,943億円・営業利益170.8億円である[185]

  • 宝グループレポート2025(統合報告書)
    • [164]2020年 体外診断用医薬品「Takara SARS-CoV-2 ダイレクトPCR検出キット」の製造販売承認取得
    • [169]利益率の高い検査関連試薬の減収とライフサイエンス研究市場の回復の遅れ
    • [170]世界的なライフサイエンス研究市場の低迷・回復の遅れ
    • [184]2025年 宝グループ創立100周年
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)【セグメント情報】
    • [165]タカラバイオグループのセグメント売上はFY19 345.63億円からFY21 676.99億円へ拡大
    • [166]タカラバイオグループのセグメント利益はFY19 62.74億円からFY21 289.02億円へ拡大
    • [168]宝酒造インターナショナルグループのセグメント売上はFY17 704.56億円からFY21 1,019.20億円へ拡大
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)【経理の状況】
    • [167]FY21(2022年3月期)連結業績は売上3,009億円・営業利益433.5億円・当期純利益207.7億円
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【セグメント情報】
    • [171]タカラバイオグループのセグメント売上はFY23 435.04億円・FY24 450.38億円
    • [172]タカラバイオグループのセグメント利益はFY21 289.02億円からFY24 22.63億円へ縮小
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【経理の状況】
    • [173]連結業績はFY23 売上3,393.72億円・営業利益222.42億円、FY24 売上3,626.93億円・営業利益205.97億円
  • 宝ホールディングス 2025年3月期 決算説明会 質疑応答(2025年5月15日)
    • [174]2025年5月15日の決算説明会で宝HDはタカラバイオの独立性は担保できているとし、取引関係はごくわずかで親子上場の弊害はないと述べた
    • [175]宝HD・宝酒造とタカラバイオの取引関係はごくわずかで親子上場の弊害はないと説明していた
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月期)【セグメント情報】
    • [176]2026年3月期タカラバイオグループはセグメント売上403.17億円・営業損失46.88億円
    • [177]2026年3月期タカラバイオグループの減損損失は38.76億円
    • [178]2026年2月13日 保有比率60.91%のタカラバイオへ1株1,150円・買付代金総額54,125,287,050円のTOBを公表
    • [180]買付期間は2026年2月16日〜4月6日、資金はみずほ銀行からの借入で充当予定
    • [179]買付価格1,150円は公表前日終値801円に約40%のプレミアム
    • [181]木村睦社長は完全子会社化の契機を外部環境の急変に求め、米国の研究予算削減と中国勢との競争を挙げた
    • [182]2026年4月7日 TOB成立。下限692万7,000株を上回る3,173万3,101株の応募で持株比率は60.91%から87.27%へ
    • [183]タカラバイオは2026年5月20日の臨時株主総会で株式併合・定款一部変更を承認し2026年6月12日に上場廃止
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(2026年3月期)【経理の状況】
    • [185]2026年3月期連結業績は売上3,943.16億円・営業利益170.76億円

宝ホールディングスの沿革1925〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
寳酒造を設立
大正製酒を吸収合併、王子工場(1964年5月松戸工場に統合)に
大黒葡萄酒より白河工場(2003年3月廃止)を買収
日本酒精を吸収合併
木崎・楠・防府の3工場を継承
東京、大阪、名古屋の各証券取引所開設に伴い株式上場
京都証券取引所に株式を上場
政府より専売アルコール工場の払下げを受領
中央酒類を吸収合併
摂津酒造より灘第二工場を買収
木崎麦酒工場を新設(1968年4月サッポロビールに譲渡)
札幌工場(2003年3月廃止)建設
ビール事業からの撤退と二工場のキリン・サッポロへの売却養父が社運を賭けた事業を、就任直後の大宮隆社長はなぜ畳んだか 詳細を読む★★★
市川・王子の両工場を統合し松戸工場を新設
摂津酒造と本辰酒造を吸収合併
大阪・長野の2工場を継承
大宮隆中央研究所の設置による発酵・遺伝子工学への種まき再建で戦線を縮めるさなか、大宮隆社長はなぜ目先の利益にならぬ研究所に賭けたか 詳細を読む★★★
大宮隆NUMANO SAKE CO.を株式取得
大宮隆米国本土での清酒製造を開始★★
久木田稔焼酎が健在なうちに進めた海外酒類ブランドの取得ブームの絶頂で次を仕込むか——久木田稔社長はなぜ本業が強いうちに多角化を急いだか 詳細を読む★★★
久木田稔Tomatin Distillers Plc.の資産を買収★★
久木田稔スコッチウイスキーの製造を開始
久木田稔AADC Holding Company,Inc.の株式を一部取得
大宮久宝生物工程(大連)有限公司を設立
大宮久合弁で北京寛宝食品有限公司を設立
大宮久持株会社化による酒類・バイオ二事業の分割成熟した酒類と成長を賭けるバイオを、一つの会社で抱え続けるか——大宮久社長はなぜ二事業を別法人へ分けたか 詳細を読む★★★
大宮久会社分割により新設のタカラバイオがバイオ事業を承継★★
大宮久タカラバイオが東京証券取引所マザーズに株式上場
大宮久Clontech Laboratories,Inc.の全株式をTakara Bio USA Holdings Inc.経由取得★★
大宮久宝酒造が仏国のFOODEX S.A.S.の発行済株式80%を取得
柿本敏男宝酒造が米国のMutual Trading Co.,Inc.を子会社化
柿本敏男Rubicon Genomics, Inc.の全株式を取得
柿本敏男WaferGen Bio-systems, Inc.の全株式を取得
柿本敏男海外日本食材卸事業を成長の主軸に据える戦略転換国内酒類が縮むなか、宝ホールディングスはなぜ「日本酒を売る会社」から「日本食を売る会社」へ主力を移したか 詳細を読む★★★
木村睦プライム市場に移行
木村睦Kagerer & Co. GmbHの出資持分90%を取得
木村睦タカラバイオの完全子会社化TOBによる親子上場の解消「弊害はない」と述べた一年後、木村睦社長はなぜ541億円で上場子会社を買い戻したか 詳細を読む★★★
出典・参考

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