この判断の重さは、単なる不採算事業の整理という言葉に収まらない。撤退の対象は、前会長であり養父でもある大宮庫吉氏が社運を賭けて始めた事業であった。後を継いだばかりの大宮隆社長が、就任の最初の仕事としてその悲願を畳んだところに、この決断の緊張が凝縮されているのだろう。決断に時間をかけて機会を失うことを恐れ、反対を押し切って一気に進めるやり方を、大宮隆氏は後年"ワンマン"という言葉で振り返っている。
もっとも、撤退が会社を救ったと言い切れるのは、その後の歩みを知っているからにすぎない。ビールを手放して縮小へ向かうなかで、同社は人員を整理する一方、目先の利益にならない研究所へ資金を割いた。守りと攻めを同時に進めたこの再建期の判断が、焼酎の復活とバイオの芽を用意しただろう。失敗そのものより、失敗をどう畳み、次に何を仕込むかに経営の質が表れる——宝酒造のビール撤退は、その一例として読むことができる。