決断
不採算の事業は10年で切り離し、その最中に次の研究へ金を置いた。1957年4月に木崎麦酒工場を建設して参入したビールは、問屋が特定銘柄だけを扱う慣行のなかで販路を作れず、1962年度から5期連続の無配に陥る。1966年3月期の経常利益が0.63億円まで低下すると、同年就任した大宮隆社長は養父・大宮庫吉氏の悲願だった事業を対象にビールからの全面撤退を決め、1967年3月期には経常利益を5.05億円へ戻した。縮小の最中の1970年9月には滋賀・大津へ中央研究所を開設し、その年間運営費約1億円は1965年度の経常利益6,300万円を上回る負担だった。利益を上回る固定費を研究へ置いたことが、32年後にタカラバイオという別の上場会社を生んだ。
2026年10月 タカラ物流システムの中央倉庫への株式譲渡
2026年2月 タカラバイオをTOB子会社化
タカラバイオグループの売上高と利益率2025 2026 売上高(百万円) 45,038 40,317 セグメント利益率(%) 5.0 -11.6 2017年7月 宝酒造インターナショナル設立
業績の推移2016 2017 2022 売上高(億円) 2,254 2,342 3,009 営業利益率(%) 5.2 5.8 14.4 2002年4月 タカラバイオ分社
業績の推移2001 2007 売上高(億円) 1,849 1,985 経常利益率(%) 6.1 3.9 1970年9月 中央研究所設置で遺伝子工学着手
中央研究所設置で遺伝子工学着手酒精製造の発酵技術を土台に、遺伝子工学という未知の領域へ研究資源を集中する新規事業の布石。再建期の逆風下で反対を押し切って設けた中央研究所が、後のバイオ事業の源流となった同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1969 1970 1975 売上高(億円) 206 220 400 経常利益率(%) 4.9 4.7 3.6 1967年7月 キリン・サッポロへ工場売却
キリン・サッポロへ工場売却販売ルートを築けず5期連続無配に陥ったビール事業を、就任直後の社長が撤退・工場売却・人員整理で切り離し、在来の酒類事業へ資源を集中し直した経営再建同じ経営論点に直面した企業 | 事業売却・撤退業績の推移1966 1967 1972 売上高(億円) 221 231 272 経常利益率(%) 0.3 2.2 3.5