宝HDの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

不採算の事業は10年で切り離し、その最中に次の研究へ金を置いた。1957年4月に木崎麦酒工場を建設して参入したビールは、問屋が特定銘柄だけを扱う慣行のなかで販路を作れず、1962年度から5期連続の無配に陥る。1966年3月期の経常利益が0.63億円まで低下すると、同年就任した大宮隆社長は養父・大宮庫吉氏の悲願だった事業を対象にビールからの全面撤退を決め、1967年3月期には経常利益を5.05億円へ戻した。縮小の最中の1970年9月には滋賀・大津へ中央研究所を開設し、その年間運営費約1億円は1965年度の経常利益6,300万円を上回る負担だった。利益を上回る固定費を研究へ置いたことが、32年後にタカラバイオという別の上場会社を生んだ。

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