宝ホールディングス焼酎が健在なうちに進めた海外酒類ブランドの取得

ブームの絶頂で次を仕込むか——久木田稔社長はなぜ本業が強いうちに多角化を急いだか

時期 1986年2月
意思決定者 久木田稔 社長
論点 本業のピークにおける先行的な多角化
概要
1980年代半ば、焼酎ブームで業界最大手となっていた宝酒造は、本業が健在なうちに海外酒類ブランドの取得を進めた。1986年に英国のスコッチウイスキーメーカー、トマーチン・ディスティラーズを買収し、1991年には米国のバーボンメーカー、エイジ・インターナショナルの持株会社を取得した。久木田稔社長が主導した、本業のピークで次の柱を仕込む多角化であった。
背景
焼酎「純」やCANチューハイで宝酒造は焼酎のトップメーカーへ育ったが、1985年秋には焼酎消費が前年を割り込み、ブームに陰りが見え始めた。CANチューハイの伸びも鈍り、1986年3月期の見通しは下方修正された。本体が不振に陥ってから多角化に動くのでは遅いという危機感が、経営にあった。
内容
英国最大級のモルトメーカーであるトマーチンを80%出資で買収してスコッチウイスキーへ、米国のバーボンメーカーの持株会社を取得してバーボンへと進出した。清酒・焼酎の輸出拡大というより、現地に根を張ったウイスキー・バーボンのブランドを取得する形の海外M&Aであった。
含意
取得したブランドが本業に匹敵する収益源へ育つことはなく、1990年代の売上は伸び悩んだ。ただ、この時期に重ねた海外での買収と経営の経験は、2010年代に欧米の日本食材卸を連続買収して成長の主軸に据える下地になったとみることができる。
筆者の見解

ピークで動くことの割り切れなさ

本業が強いうちに次を仕込むという判断は、言葉にすれば正論に聞こえる。だが実際には、稼ぎ頭が好調なさなかに、成果の読めない海外事業へ資金と人を割く割り切りが要る。宝酒造がそれを実行できたのは、ビール撤退で本業を痛めた記憶が経営に残っていたからだとみられる。焼酎のブームがいつか終わることを、この会社は身をもって知っていた。ゆえに、絶頂で動いたところにこの判断の凄みがあるといえる。

もっとも、仕込んだ種の多くはこの時点では花開かなかった。ウイスキーもバーボンも本業の柱にはならず、1990年代の停滞をこの多角化が救ったわけではない。それでも、海外で買い、経営する経験だけは会社に残った。二十年以上を経て、その経験が日本食材流通という別の形で実を結んだとき、1980年代の多角化は結果として長い伏線であったとみることができる。先行投資の成否は、しばしば当人の想定とは違う場所で決まるのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

焼酎トップメーカーに差した陰り

1980年代半ばの宝酒造は、焼酎で業界の頂点にあった。10年かけて開発した焼酎「純」が高収益商品として当たり、CANチューハイも新しい飲用シーンを開いて、同社は焼酎のトップメーカーと呼ばれるまでになっていた。1985年3月期の売上高は単体で1301億円、経常利益は143億円と、業績は好調そのものであった。ビール撤退の傷を癒やした宝酒造は、焼酎という得意分野で確かな地歩を築いていた[1][2]

だが好調のただ中に、陰りの兆しが見え始めていた。1985年秋には焼酎の消費量が前年同月を割り込み、ブームの成熟が数字に表れた。CANチューハイの伸びも鈍り、1986年3月期の通期見通しは中間決算の段階で下方修正された。本業が強いうちは良いが、いつか焼酎の勢いは止まる——その先を読んだとき、次の収益源をどこに求めるかが経営の課題として浮かび上がっていた[3]

決断

本業が健在なうちにという論理

宝酒造が選んだのは、焼酎が強いうちに次の柱を仕込むという先行策であった。久木田稔社長は、本体が不振に陥ってから多角化に動くのは危険だと考えていた。体力のあるうちに投資し、育つのに時間のかかる新事業へ資源を回しておく——ビール撤退で本業を痛めた経験を持つ会社にとって、この順序は苦い教訓に裏打ちされたものであった。多角化の方向は、国内の飲料だけでなく海外の酒類ブランドへと向かった[4]

1986年2月、宝酒造は英国スコットランドのトマーチン・ディスティラーズを買収した。精算会社となっていた英国最大級のモルトメーカーの資産を、80%出資(大倉商事が20%)の新会社を通じて取得し、資本金250万ポンド(約7億円)でスコッチウイスキー製造に乗り出した。会社側は「5年後に採算が合えばよい」という長い構えで臨んだ。続く1991年には米国のバーボンメーカー、エイジ・インターナショナルの持株会社AADCの株式を取得し、バーボンへも足場を広げた[5][6]

結果

育たなかった柱と、残った経験

この時期の海外進出は、清酒・焼酎を海外市場で伸ばすというより、ウイスキーやバーボンといった現地ブランドを取得し、あわせてバイオの国際的なネットワークを築く性格が強かった。もっとも、取得したブランドが本業に並ぶ収益源へ育つことはなかった。1990年代の宝酒造の連結売上高は2000億円前後で推移し、清酒・焼酎の中堅大手という位置づけのまま、突出した成長は見られない時期が続いた[7]

それでも、この多角化が無為に終わったとは言い切れない。欧米で企業を買い、現地の事業を経営する経験は、当時の日本の食品メーカーには乏しかった。宝酒造が2010年代に入って、欧州や米国の日本食材卸を次々に買収し、海外日本食材流通を成長の主軸へ据えられた背景には、1980年代から積み上げた海外M&Aの蓄積があった。とりわけ欧州では、フランスと英国で現地卸を買収した宝ホールディングスが、日系3社のなかで頭一つ抜けたシェアを得ている[8]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1986年3月31日号「宝酒造のウイスキー・清涼飲料進出」
  • 週刊東洋経済 2018年11月3日号「[産業リポート]海外で日本食を支える黒子3社」
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 宝ホールディングス 有価証券報告書(1985年3月期・単体)

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