この決断の核心は、最も苦しい時期に、最も回収の遠い投資を選んだことにある。経常利益を上回る運営費を研究所に投じるという判断は、当時の財務からみれば合理性を説明しにくい。それでも大宮隆社長が反対を押し切れたのは、酒造で得た発酵技術への確信と、縮小一辺倒では会社が痩せるという危機感が重なっていたからだとみられる。撤退と投資を同じ時期に決めた経営の呼吸に、この判断の性格がうかがえる。
ただ、この投資が半世紀後のPCR需要ピークまで届いたことをもって、先見の明とだけ評するのは物語を単純にしすぎる。研究所が成果を出すまでには20年近い歳月がかかり、その間の地道な基礎研究と、後を継いだ経営者たちの判断の積み重ねがあった。ひとつの投資が長い時間を経て事業に結実するとき、そこには最初の決断と同じだけの、続ける決断が要る。中央研究所の来歴は、そのことを静かに示しているといえる。