SAP市場への後発参入(1970年・日本触媒の決断) 更新:2026/07/15 論点 後発でもSAPへ原料一貫で参入するか 日本触媒:業績の推移 売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所 アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立 何をなぜ決めたか:アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立 概要 1959年の石油化学参入に始まり、1970年のアクリル酸国産化、1983年の高吸水性樹脂(SAP)市場への後発参入を経て、日本触媒がアクリル酸からSAPまでの原料一貫生産体制を構築し上げた一連の経営判断。三洋化成に7年遅れた参入でありながら、参入から1年で国内生産量首位に立った。 背景 無水フタル酸という単一製品への依存から抜け出すため、日本触媒は1959年に資本金の2倍を超える投資で石油化学へ参入した。気相酸化とバナジウム触媒という自前技術への一貫したこだわりが、その後のアクリル酸事業の土台になった。 内容 1970年、無水フタル酸で磨いた気相酸化技術をアクリル酸の合成へ応用して国産化に成功した。1983年には三洋化成に7年遅れてSAP市場へ参入し、1985年に量産へ移した。 含意 アクリル酸からSAPまでの原料一貫生産体制と、世界最大の紙おむつメーカーP&Gという顧客の獲得が、後発の遅れを覆す決め手となった。1988年には米国法人を設立し、海外展開が始まった。 いつ何が起きたか 9件 考察:一つの技術を次の製品へつなぐという型 考察 考察:一つの技術を次の製品へつなぐという型 1959年の石油化学参入から1970年のアクリル酸国産化、そして1983年のSAP参入に至る一連の判断を貫くのは、原料に近い技術を自前で押さえ続けるという一つの型であったと思われる。無水フタル酸で磨いた触媒と気相酸化の技術をアクリル酸へ転用し、そのアクリル酸をさらにSAPへとつなげる——既存の技術を次の製品へ展開する経路の連鎖が、後発というハンディキャップを覆す下地になったといえる。 もっとも、この勝利の方程式はP&Gという一社への依存という裏面も抱えていた。海外への生産拠点の広がりも、最大顧客の事業展開に沿う形で進んだ側面が強い。原料一貫という強みと、特定顧客への依存という脆さが表裏一体で育っていった構図は、日本触媒がこの後の時代にどう向き合うかという問いを残しているのだろう。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日経産業新聞(1995年10月31日)日経新聞(1985年1月12日)週刊東洋経済(1972年6月10日号)証券アナリストジャーナル(1968年7月号)企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)日本触媒 有価証券報告書【沿革】日本触媒化学工業 会社年鑑(1987年3月期・単体) 次に読む決断 日本触媒の意思決定1944年日本触媒日本触媒戦時下のフタル酸生産継続死亡事故後も生産を続け拡大するか1944年2012年日本触媒日本触媒姫路製造所の爆発事故対応事故後の復旧と再発防止をどう両立するか2012年同じ問い:自社技術による隣接領域への展開1980年フジクラフジクラ光ファイバ技術に投資他社技術に頼らず独自方式を貫くか1980年1981年キユーピーキユーピーキユーピータマゴの設立卵の副産物を機能性素材に事業化するか1981年1987年タカタタカタ愛知川製造所でエアバッグ量産エアバッグはインフレータまで内製するか1987年1994年ユニ・チャームユニ・チャーム「ムーニーマン」の開発価格競争か開発の速さで勝負するか1994年1970年象印マホービン象印マホービン電子ジャーの発売魔法瓶専業から電気製品へ参入するか1970年 × 出所