日油 の歴史

創業

1937年

創業者

※日産化学工業+鈴木商店油脂部

創業地

東京都渋谷区

直近売上高(2025/3)

2,383億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1949年に油脂・塗料・火薬を一社で継ぐ第二会社として再出発したのか
A 日油の前身(旧)日本油脂は、1937年に日産財閥のもとで油脂・石鹸・塗料・火薬を別々の源流から束ねて生まれた多角化学会社であった。一社で複数事業を抱える形が戦後にそのまま引き継がれたのは、財閥解体と企業再建整備法による再編の結果である。1945年に日産化学工業へ改称した母体から、1949年7月に油脂・塗料・火薬・溶接棒の4事業を継承する第二会社として分離独立し、旧名称を踏襲した日本油脂が再設立された。同年9月に東京証券取引所へ上場した
Q なぜ2000年代に塗料・溶接を手放し機能化学品メーカーへ転換したのか
A 総合化学の幅を捨てて高採算素材へ絞ったのは、売上の約6割を占めた油脂が原料供給に徹し、広告と最終製品で攻める競合に押されて1957年と1965年に無配へ転落した反省による。専業性の高い素材で稼ぐ構造へ寄せるため、2000年に株式会社タセトへ溶接事業を、日本油脂ビーエーエスエフコーティングスへ塗料事業を譲渡し、2001年に薬物送達システム素材へ参入した。2007年10月に社名を日油へ改め、機能化学品メーカーとなった
Q なぜ2023〜2024年にDDS・ライフサイエンス統合と化薬集約の再編を進めたのか
A 個別運営してきた事業を一体運営へまとめたのは、研究開発から事業化までを一つの部門で動かして成長分野へ資源を集めるためである。2023年4月にライフサイエンスとDDSの両事業部を新ライフサイエンス事業部へ統合し、コロナワクチンの脂質ナノ粒子(LNP)原料で広がった医薬需要に応える体制を敷いた。2024年4月には北海道日油を日本工機へ吸収合併し、防衛・宇宙向けの固体ロケット推進薬を扱う化薬の組織を集約した沢村孝司社長は中期経営計画NOF Vision 2030でROE目標を掲げる

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1937年〜 4社合併から戦後分離独立、油脂主力期の構造危機

油脂・石鹸・塗料・火薬を束ねた総合化学会社の出発と1949年の再設立

1937年、日本食糧工業、国産工業不二塗料製造所、ベルベット石鹸、合同油脂の4社が日産財閥のもとで合併し、(旧)日本油脂株式会社が発足した。前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で、国内の硬化油工業を立ち上げた存在であった。スタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称しており、後に王子工場となるこの拠点が母体となった。合併によって油脂・石鹸・塗料を一体運営する総合化学会社の形が整い、1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した。三国工場(塗料)、神明工場(溶接棒)も設けられ、油脂を起点に化学事業全般を手がける基盤が固まった。 [1][2][3][4][5]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1937年に4社合併で(旧)日本油脂株式会社が発足した
    • [2]前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で国内硬化油工業の始祖である
    • [4]1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した
    • [5]三国工場(塗料)と神明工場(溶接棒)を設けた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]母体のスタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称し、その拠点が後の王子工場となった(明治百年は「我が国硬化油工業の始祖ともいうべきスタンダード油脂(株)(昭和六年合同油脂と改称、現在の王子工場)を母体として発足」と記載)

1945年、日本鉱業株式会社から化学部門の営業譲渡を受け、社名を日産化学工業株式会社へ改めた。終戦後の財閥解体と企業再建整備法の流れを受けて、1949年7月、油脂・塗料・火薬・溶接棒の4事業を継承する第二会社として分離独立し、旧名称を踏襲した日本油脂株式会社が再設立された。同年9月に東京証券取引所へ上場している。再設立時点で従業員約3,000名、国内シェアは油脂32%(1位)、塗料10%(2位)、火薬31%(2位)と主力製品を抱えており、多角的な化学事業ポートフォリオを背負った状態で戦後の市場経済へ船出した。 [6][7][8]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1945年に日本鉱業から化学部門の営業譲渡を受け社名を日産化学工業へ改めた
    • [7]1949年7月に企業再建整備法に基づき第二会社として分離独立し日本油脂株式会社が再設立された
    • [8]1949年9月に東京証券取引所へ上場した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1937年に4社合併で(旧)日本油脂株式会社が発足した
    • [2]前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で国内硬化油工業の始祖である
    • [4]1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した
    • [5]三国工場(塗料)と神明工場(溶接棒)を設けた
    • [6]1945年に日本鉱業から化学部門の営業譲渡を受け社名を日産化学工業へ改めた
    • [7]1949年7月に企業再建整備法に基づき第二会社として分離独立し日本油脂株式会社が再設立された
    • [8]1949年9月に東京証券取引所へ上場した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]母体のスタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称し、その拠点が後の王子工場となった(明治百年は「我が国硬化油工業の始祖ともいうべきスタンダード油脂(株)(昭和六年合同油脂と改称、現在の王子工場)を母体として発足」と記載)

売上の6割を占めた油脂事業の構造危機と石油化学進出

戦後復興期の油脂事業は石鹸向けの原料として伸びたが、競合が広告宣伝を武器に最終製品で攻めるなかで、原料供給に徹した日本油脂は価格競争に巻き込まれた。石鹸向けの原料供給に多くを負う収益構造の弱さが表に出て、1956年11月期に1億6,500万円、1957年5月期に7,800万円、1957年11月期に6,500万円と、三期続けて当期損失が並んだ。売上高も51億円から56億円のあいだで足踏みし、大橋退治社長のもとで再建が課題となる。再設立から10年足らずで、合併で抱えた多源流事業の構造的弱さが浮き彫りとなった節目である。 [9][10]

  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [9]1956年11月期から1957年11月期まで三期続けて当期損失を計上した
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「その他化学・日本油脂」
    • [10]1955年時点の会長は苫米地義三、社長は大橋退治で、社長の交代は1967年11月期に村田勉へ移るまで確認できない(『日本鉱業出身の阿部謙二氏が1957年に社長就任』とする従前の記述は第三者出所で裏付けられず削除した)

1961年、日本油脂は石油化学への進出を決め、川崎市に千鳥工場を新設した。川崎に拠点を持つ日石化学から石油原料を仕入れ、油脂由来の天然グリセリンから合成グリセリンへ原料転換する設計で、副原料市場の構造変化に対応する一手であった。業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期には売上85億円・当期純利益3億5,100万円まで回復したが、利益はそこが頂点で1965年11月期には3,100万円まで細った。1970年6月の帝国火工品製造株式会社の吸収合併で火薬・化薬事業の基盤を強化する一方、油脂を主力とする収益構造の脆さは1970年代まで続く構造課題として残った。 [11][12][13]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]1961年に川崎市へ千鳥工場を新設し、石油化学の分野へ進出した
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [12]業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期に売上85億円・当期純利益3.51億円まで回復したが、1965年11月期には0.31億円まで細った
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した

構造課題を抱えながらも、この時期には設備近代化と多角化が並行して進んだ。1954年には北海道に美唄工場を新設して設備の近代化と品質改善・生産向上を図り、1961年の石油化学進出と並んで金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へも展開した。1964年には米国ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立して潤滑油添加剤に進み、同年8月には横浜市に当時東洋一の設備とされた戸塚工場を新設して塗料の需要増に応えた。各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立する体制となった。1967年11月期には売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し、年1割配当を継続したが、油脂主力ゆえの収益の薄さは続いていた。 [14][15][16][17][18]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [14]1954年に北海道へ美唄工場を新設し設備の近代化・品質改善・生産向上を図った
    • [15]1961年に金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へ進出した
    • [16]1964年に米ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立し、同年8月に横浜市へ戸塚工場を新設した
    • [17]各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立した
    • [18]1967年11月期に売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し年1割配当を継続した
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [9]1956年11月期から1957年11月期まで三期続けて当期損失を計上した
    • [12]業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期に売上85億円・当期純利益3.51億円まで回復したが、1965年11月期には0.31億円まで細った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「その他化学・日本油脂」
    • [10]1955年時点の会長は苫米地義三、社長は大橋退治で、社長の交代は1967年11月期に村田勉へ移るまで確認できない(『日本鉱業出身の阿部謙二氏が1957年に社長就任』とする従前の記述は第三者出所で裏付けられず削除した)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]1961年に川崎市へ千鳥工場を新設し、石油化学の分野へ進出した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [14]1954年に北海道へ美唄工場を新設し設備の近代化・品質改善・生産向上を図った
    • [15]1961年に金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へ進出した
    • [16]1964年に米ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立し、同年8月に横浜市へ戸塚工場を新設した
    • [17]各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立した
    • [18]1967年11月期に売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し年1割配当を継続した

1970年〜 防錆・電子材料・機能フィルムへの事業基盤拡張

日油の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1970年 帝国火工品製造を吸収合併
  2. 1973年 DIAMOND SHAMROCK社と合弁で日本ダクロシャムロックを設立
  3. 1977年 大分工場を新設
  4. 1999年 日本工機の発行済株式95%を取得
  5. 2000年 タセトへ溶接事業を譲渡し溶接事業部廃止・神明工場閉鎖
  6. 2000年 塗料事業をBASF系合弁へ営業譲渡
  7. 2001年 「DDS事業開発部」を新設

米Diamond Shamrockとの合弁による防錆事業と大分コンビナート参画

1973年6月、米国DIAMOND SHAMROCK CORPORATIONとの合弁で日本ダクロシャムロック株式会社を設立した。亜鉛フレーク型防錆技術を取得して大手自動車メーカー向けに防錆剤の販売を開始し、後年のNOFメタルコーティングス株式会社へつながる防錆コーティング事業の中核を形づくった。この合弁は2010年までに世界シェア66%へ到達する事業へ育った。1977年6月、昭和電工が新設した大分コンビナートに参画する形で大分工場を開設し、ポリブテン(電線皮膜材料)の製造を開始した。総合化学会社としての事業の幅をさらに広げる動きで、油脂・火薬・防錆・化成品の四方面で稼ぐ体制が整った。 [19][20][21]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1973年6月に米国DIAMOND SHAMROCK CORPORATIONとの合弁で日本ダクロシャムロックを設立した
    • [20]日本ダクロシャムロックは後年のNOFメタルコーティングス株式会社につながった
    • [21]1977年6月に大分工場を開設した

1980年12月に川越工場を分離して日油技研工業株式会社を設立、1983年2月に筑波研究所(現・先端技術研究所)を開設した。1984年9月には米国でDIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁METAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立して北米防錆コーティング事業の橋頭堡を確保、1988年12月に米国NOF AMERICA CORPORATIONを設立、1994年7月にベルギーNOF EUROPE N.V.を設立し、欧州防錆事業の拠点を構えた。設立から30年余りで国内外の事業基盤が出揃ったが、油脂・塗料・火薬・溶接棒・防錆と事業の幅が広く、収益性の濃淡が次の経営課題として残った。 [22][23][24][25][26]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1980年12月に川越工場を分離して日油技研工業株式会社を設立した
    • [23]1983年2月に筑波研究所(現・先端技術研究所)を開設した
    • [24]1984年9月に米国でDIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁METAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立した
    • [25]1988年12月に米国NOF AMERICA CORPORATIONを設立した
    • [26]1994年7月にベルギーNOF EUROPE N.V.を設立した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1973年6月に米国DIAMOND SHAMROCK CORPORATIONとの合弁で日本ダクロシャムロックを設立した
    • [20]日本ダクロシャムロックは後年のNOFメタルコーティングス株式会社につながった
    • [21]1977年6月に大分工場を開設した
    • [22]1980年12月に川越工場を分離して日油技研工業株式会社を設立した
    • [23]1983年2月に筑波研究所(現・先端技術研究所)を開設した
    • [24]1984年9月に米国でDIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁METAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立した
    • [25]1988年12月に米国NOF AMERICA CORPORATIONを設立した
    • [26]1994年7月にベルギーNOF EUROPE N.V.を設立した

反射防止フィルムの研究から量産化へ、機能化学品メーカーへの転換準備

1992年、機能フィルム領域として反射防止フィルムの研究を開始した。1998年、愛知県武豊工場で量産化に着手し、2007年までに4ラインを設置した。2003年3月期にはPDP(プラズマディスプレイ)向けの反射防止フィルムが好調期を迎え、機能化学品分野での新規事業が収益化した。1999年10月、日本工機株式会社の発行済株式95%を取得し、火薬・化薬事業の中核を子会社化した。1999年12月には新規事業開発部を「ライフサイエンス事業部」へ名称変更し、医薬・医療領域への注力姿勢を組織名で示した。総合化学会社として抱えた事業の幅が各市場での投資規模に達しないという構造課題を解くため、撤退と新規参入を並走させる準備が整った。 [27][28]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [27]1999年10月に日本工機株式会社の発行済株式95%を取得した
    • [28]1999年12月に新規事業開発部を「ライフサイエンス事業部」へ名称変更した

2000年3月、株式会社タセトへ溶接事業を譲渡し、溶接事業部を廃止して神明工場を閉鎖した。同年9月には塗料事業を日本油脂ビーエーエスエフコーティングス株式会社へ営業譲渡した。2001年10月、「DDS事業開発部」を新設して薬物送達システム向け素材事業への正式参入を打ち出し、2004年4月にタセト株式の全保有分を神鋼タセトへ譲渡、2005年3月に日本油脂BASFコーティングスの全保有株式をBASFへ譲渡した。塗料・溶接からの撤退と、機能化学品・DDS・ライフサイエンスへの集中が、2000年代前半に明確な経営方針として進められた転換期である。 [29][30][31][32][33]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]2000年3月に株式会社タセトへ溶接事業を譲渡し溶接事業部を廃止して神明工場を閉鎖した
    • [30]2000年9月に塗料事業を日本油脂ビーエーエスエフコーティングス株式会社へ営業譲渡した
    • [31]2001年10月に「DDS事業開発部」を新設した
    • [32]2004年4月にタセト株式の全保有分を神鋼タセトへ譲渡した
    • [33]2005年3月に日本油脂BASFコーティングスの全保有株式をBASFへ譲渡した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [27]1999年10月に日本工機株式会社の発行済株式95%を取得した
    • [28]1999年12月に新規事業開発部を「ライフサイエンス事業部」へ名称変更した
    • [29]2000年3月に株式会社タセトへ溶接事業を譲渡し溶接事業部を廃止して神明工場を閉鎖した
    • [30]2000年9月に塗料事業を日本油脂ビーエーエスエフコーティングス株式会社へ営業譲渡した
    • [31]2001年10月に「DDS事業開発部」を新設した
    • [32]2004年4月にタセト株式の全保有分を神鋼タセトへ譲渡した
    • [33]2005年3月に日本油脂BASFコーティングスの全保有株式をBASFへ譲渡した

「日油」への社名変更とDDS事業の拡大

2005年、川崎工場内でDDS工場が稼働した。DDS事業開発部の新設から4年を経て、研究開発段階から商業生産へ移行する物理的拠点が整った。2007年10月、社名を「日本油脂株式会社」から「日油株式会社」へ変更した。合併と再編の歴史を抱えた旧社名から、機能化学品メーカーとしての新しいブランドへ衣替えする意味を込めた変更だった。同月、「機能フィルム事業部」を新設し、「DDS事業開発部」を「DDS事業部」へ昇格させ、研究開発段階だったDDS事業の事業化を組織名で明示した。 [34][35]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2007年10月に社名を「日本油脂株式会社」から「日油株式会社」へ変更した
    • [35]2007年10月に「機能フィルム事業部」を新設し「DDS事業開発部」を「DDS事業部」へ昇格させた

2010年9月に日油技研工業株式会社を株式交換により完全子会社化し、化薬・防衛関連子会社のグループ統合をした。2011年2月の日油(上海)商貿有限公司、2014年11月のNOF EUROPE GmbH(ドイツ)など、中国・欧州の販社網と生産拠点を拡張した。同時にDDS事業(薬物送達システム)はリポソーム・ペプチド合成原料などで競争力を蓄え、2010年代後半から医薬・医療領域の収益寄与が顕在化した。総合化学会社から機能化学品メーカーへの転換は、社名変更と事業統廃合の連続を通じて形になった。 [36][37][38]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [36]2010年9月に日油技研工業株式会社を株式交換により完全子会社化した
    • [37]2011年2月に日油(上海)商貿有限公司を設立した
    • [38]2014年11月にドイツでNOF EUROPE GmbHを設立した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2007年10月に社名を「日本油脂株式会社」から「日油株式会社」へ変更した
    • [35]2007年10月に「機能フィルム事業部」を新設し「DDS事業開発部」を「DDS事業部」へ昇格させた
    • [36]2010年9月に日油技研工業株式会社を株式交換により完全子会社化した
    • [37]2011年2月に日油(上海)商貿有限公司を設立した
    • [38]2014年11月にドイツでNOF EUROPE GmbHを設立した

2015年〜 機能化学品・防衛・宇宙の3本柱

日油の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2020年 「ディスプレイ材料事業部」を「化成事業部」に統合
  2. 2023年 「機能材料事業部」を新設
  3. 2023年 「ライフサイエンス事業部」と「DDS事業部」を統合
  4. 2024年 北海道日油を日本工機に吸収合併

DDS・ライフサイエンス統合と過去最高益達成

2020年4月、「ディスプレイ材料事業部」を「化成事業部」に統合し、組織のスリム化を行った。2023年4月には「油化事業部」と「化成事業部」を統合して「機能材料事業部」を新設、「ライフサイエンス事業部」と「DDS事業部」を統合して新「ライフサイエンス事業部」を発足させた。DDS・ライフサイエンス事業を一体運営することで、医薬・医療領域における研究開発から事業化までの一気通貫の体制が整った。コロナワクチンの脂質ナノ粒子(LNP)原料供給で世界的に脚光を浴びたのも2021年前後であり、組織統合と外部需要のタイミングが重なった。 [39][40]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2020年4月に「ディスプレイ材料事業部」を「化成事業部」に統合した
    • [40]2023年4月に「機能材料事業部」を新設し「ライフサイエンス事業部」と「DDS事業部」を統合した

2022年4月の東証プライム市場移行を経て、2025年3月期に売上高2,383億円・営業利益453億円・経常利益466億円・親会社株主に帰属する当期純利益365億円と、各段階で過去最高を更新した。ROEは13.4%と中期計画目標を上回り、機能化学品・医薬医療・化薬の3事業バランスが収益面で結実している。沢村孝司社長は「中期経営計画 NOF Vision 2030」のもとでROE 13%超の持続を経営目標に掲げる。 [41][42][43][44]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]2022年4月に東証プライム市場へ移行した
  • 日油 2025年3月期 決算短信
    • [42]2025年3月期に売上高2,383億円・営業利益453億円・経常利益466億円・当期純利益365億円で各段階過去最高を更新した
    • [43]2025年3月期のROEは13.4%だった
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)(表紙)/日油 中期経営計画「NOF Vision 2030」
    • [44]沢村孝司社長は「中期経営計画 NOF Vision 2030」のもとでROE13%超の持続を経営目標に掲げる
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2020年4月に「ディスプレイ材料事業部」を「化成事業部」に統合した
    • [40]2023年4月に「機能材料事業部」を新設し「ライフサイエンス事業部」と「DDS事業部」を統合した
    • [41]2022年4月に東証プライム市場へ移行した
  • 日油 2025年3月期 決算短信
    • [42]2025年3月期に売上高2,383億円・営業利益453億円・経常利益466億円・当期純利益365億円で各段階過去最高を更新した
    • [43]2025年3月期のROEは13.4%だった
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)(表紙)/日油 中期経営計画「NOF Vision 2030」
    • [44]沢村孝司社長は「中期経営計画 NOF Vision 2030」のもとでROE13%超の持続を経営目標に掲げる

化薬・防衛・宇宙領域の戦略的位置取り

化薬事業(火薬・防衛・宇宙)は固体ロケット推進薬で国内随一の技術を持ち、2024年4月の北海道日油株式会社の日本工機株式会社への吸収合併等で組織を集約している。防衛装備品・宇宙開発の国産化議論が高まるなかで、日油の化薬事業は事業規模こそ機能化学品より小さいものの、収益性と戦略的意義の両面で重みを増す位置取りに変わった。1937年の4社合併で抱えた火薬事業の系譜が、現代の防衛・宇宙という新しい文脈で生き続ける構図である。 [45]

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [45]2024年4月に北海道日油株式会社を日本工機株式会社へ吸収合併した

総合化学会社として戦前に出発し、戦後に多角化、2000年代に塗料・溶接から撤退、2010年代以降に機能化学品・DDS・化薬の3本柱へ集約と、80年余りの歩みは事業ポートフォリオの絶え間ない再編で説明できる。創業期の合併によって与えられた多源流の事業をどう束ね直すかは、社名変更を含む段階的な選択と集中の連続として現れた。次の10年は、機能化学品の付加価値拡張と、DDSを軸とした医薬・医療収益化、そして化薬の戦略的拡張という3つの軸でROE目標の持続が焦点となる。

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [45]2024年4月に北海道日油株式会社を日本工機株式会社へ吸収合併した

日油の沿革1937〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本油脂の発足(合同油脂・ベルベット石鹸・国産工業不二塗料製造所等の合併)★★
企業再建整備法に基づく第二会社としての分離独立と、日本油脂の再設立肥料と分かれた戦後再編で、技術も顧客も異なる四つの事業がなぜ一社に残ったか 詳細を読む★★★
連続赤字下での川崎・千鳥工場の新設と、石油化学への進出石鹸原料に寄りかかった収益を、設備投資で組み替えられたか 詳細を読む★★★
石油化学事業に参入★★
帝国火工品製造を吸収合併★★
DIAMOND SHAMROCK社と合弁で日本ダクロシャムロックを設立
大分工場を新設
川越工場を分離し日油技研工業を設立
筑波研究所を新設
DIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁METAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立
決算期日を11月30日から3月31日に変更
NOF AMERICA CORPORATIONを設立
美唄工場を閉鎖し子会社へ業務移管
ベルギーにNOF EUROPE N.V.を設立
ジャペックスを合弁設立
日本工機の発行済株式95%を取得★★
新規事業開発部を「ライフサイエンス事業部」へ名称変更
タセトへ溶接事業を譲渡し溶接事業部廃止・神明工場閉鎖★★
塗料事業をBASF系合弁へ営業譲渡★★
中嶋洋平「DDS事業開発部」を新設★★
大池弘一社名を「日本油脂」から「日油」に変更
大池弘一「機能フィルム事業部」を新設、「DDS事業部」へ名称変更
大池弘一日油技研工業を株式交換により完全子会社化
小林明治日油(上海)商貿有限公司を設立
小林明治「機能フィルム事業部」と「電材事業開発部」を統合
小林明治「ディスプレイ材料事業部」を新設
小林明治NOF EUROPE GmbHを設立
宮道建臣「ディスプレイ材料事業部」を「化成事業部」に統合
沢村孝司「機能材料事業部」を新設
沢村孝司「ライフサイエンス事業部」と「DDS事業部」を統合
沢村孝司北海道日油を日本工機に吸収合併
出典・参考
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「その他化学・日本油脂」
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 日油 2025年3月期 決算短信
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)(表紙)/日油 中期経営計画「NOF Vision 2030」

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