1937年〜 4社合併から戦後分離独立、油脂主力期の構造危機
- 1937年 日本油脂の発足(合同油脂・ベルベット石鹸・国産工業不二塗料製造所等の合併)
- 1949年 企業再建整備法に基づく第二会社としての分離独立と、日本油脂の再設立 肥料と分かれた戦後再編で、技術も顧客も異なる四つの事業がなぜ一社に残ったか
- 1961年 連続赤字下での川崎・千鳥工場の新設と、石油化学への進出 石鹸原料に寄りかかった収益を、設備投資で組み替えられたか
- 1961年 石油化学事業に参入
油脂・石鹸・塗料・火薬を束ねた総合化学会社の出発と1949年の再設立
1937年、日本食糧工業、国産工業不二塗料製造所、ベルベット石鹸、合同油脂の4社が日産財閥のもとで合併し、(旧)日本油脂株式会社が発足した。前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で、国内の硬化油工業を立ち上げた存在であった。スタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称しており、後に王子工場となるこの拠点が母体となった。合併によって油脂・石鹸・塗料を一体運営する総合化学会社の形が整い、1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した。三国工場(塗料)、神明工場(溶接棒)も設けられ、油脂を起点に化学事業全般を手がける基盤が固まった。 [1][2][3][4][5]
- 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1937年に4社合併で(旧)日本油脂株式会社が発足した
- [2]前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で国内硬化油工業の始祖である
- [4]1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した
- [5]三国工場(塗料)と神明工場(溶接棒)を設けた
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [3]母体のスタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称し、その拠点が後の王子工場となった(明治百年は「我が国硬化油工業の始祖ともいうべきスタンダード油脂(株)(昭和六年合同油脂と改称、現在の王子工場)を母体として発足」と記載)
1945年、日本鉱業株式会社から化学部門の営業譲渡を受け、社名を日産化学工業株式会社へ改めた。終戦後の財閥解体と企業再建整備法の流れを受けて、1949年7月、油脂・塗料・火薬・溶接棒の4事業を継承する第二会社として分離独立し、旧名称を踏襲した日本油脂株式会社が再設立された。同年9月に東京証券取引所へ上場している。再設立時点で従業員約3,000名、国内シェアは油脂32%(1位)、塗料10%(2位)、火薬31%(2位)と主力製品を抱えており、多角的な化学事業ポートフォリオを背負った状態で戦後の市場経済へ船出した。 [6][7][8]
- 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [6]1945年に日本鉱業から化学部門の営業譲渡を受け社名を日産化学工業へ改めた
- [7]1949年7月に企業再建整備法に基づき第二会社として分離独立し日本油脂株式会社が再設立された
- [8]1949年9月に東京証券取引所へ上場した
- 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1937年に4社合併で(旧)日本油脂株式会社が発足した
- [2]前身は1921年設立のスタンダード油脂株式会社で国内硬化油工業の始祖である
- [4]1943年までに帝国火薬工業株式会社など複数社を吸収合併した
- [5]三国工場(塗料)と神明工場(溶接棒)を設けた
- [6]1945年に日本鉱業から化学部門の営業譲渡を受け社名を日産化学工業へ改めた
- [7]1949年7月に企業再建整備法に基づき第二会社として分離独立し日本油脂株式会社が再設立された
- [8]1949年9月に東京証券取引所へ上場した
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [3]母体のスタンダード油脂は1931年に合同油脂と改称し、その拠点が後の王子工場となった(明治百年は「我が国硬化油工業の始祖ともいうべきスタンダード油脂(株)(昭和六年合同油脂と改称、現在の王子工場)を母体として発足」と記載)
売上の6割を占めた油脂事業の構造危機と石油化学進出
戦後復興期の油脂事業は石鹸向けの原料として伸びたが、競合が広告宣伝を武器に最終製品で攻めるなかで、原料供給に徹した日本油脂は価格競争に巻き込まれた。石鹸向けの原料供給に多くを負う収益構造の弱さが表に出て、1956年11月期に1億6,500万円、1957年5月期に7,800万円、1957年11月期に6,500万円と、三期続けて当期損失が並んだ。売上高も51億円から56億円のあいだで足踏みし、大橋退治社長のもとで再建が課題となる。再設立から10年足らずで、合併で抱えた多源流事業の構造的弱さが浮き彫りとなった節目である。 [9][10]
- 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
- [9]1956年11月期から1957年11月期まで三期続けて当期損失を計上した
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「その他化学・日本油脂」
- [10]1955年時点の会長は苫米地義三、社長は大橋退治で、社長の交代は1967年11月期に村田勉へ移るまで確認できない(『日本鉱業出身の阿部謙二氏が1957年に社長就任』とする従前の記述は第三者出所で裏付けられず削除した)
1961年、日本油脂は石油化学への進出を決め、川崎市に千鳥工場を新設した。川崎に拠点を持つ日石化学から石油原料を仕入れ、油脂由来の天然グリセリンから合成グリセリンへ原料転換する設計で、副原料市場の構造変化に対応する一手であった。業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期には売上85億円・当期純利益3億5,100万円まで回復したが、利益はそこが頂点で1965年11月期には3,100万円まで細った。1970年6月の帝国火工品製造株式会社の吸収合併で火薬・化薬事業の基盤を強化する一方、油脂を主力とする収益構造の脆さは1970年代まで続く構造課題として残った。 [11][12][13]
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [11]1961年に川崎市へ千鳥工場を新設し、石油化学の分野へ進出した
- 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
- [12]業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期に売上85億円・当期純利益3.51億円まで回復したが、1965年11月期には0.31億円まで細った
- 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [13]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した
構造課題を抱えながらも、この時期には設備近代化と多角化が並行して進んだ。1954年には北海道に美唄工場を新設して設備の近代化と品質改善・生産向上を図り、1961年の石油化学進出と並んで金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へも展開した。1964年には米国ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立して潤滑油添加剤に進み、同年8月には横浜市に当時東洋一の設備とされた戸塚工場を新設して塗料の需要増に応えた。各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立する体制となった。1967年11月期には売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し、年1割配当を継続したが、油脂主力ゆえの収益の薄さは続いていた。 [14][15][16][17][18]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]1954年に北海道へ美唄工場を新設し設備の近代化・品質改善・生産向上を図った
- [15]1961年に金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へ進出した
- [16]1964年に米ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立し、同年8月に横浜市へ戸塚工場を新設した
- [17]各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立した
- [18]1967年11月期に売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し年1割配当を継続した
- 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
- [9]1956年11月期から1957年11月期まで三期続けて当期損失を計上した
- [12]業績は1958年5月期に黒字へ戻り、1961年11月期に売上85億円・当期純利益3.51億円まで回復したが、1965年11月期には0.31億円まで細った
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「その他化学・日本油脂」
- [10]1955年時点の会長は苫米地義三、社長は大橋退治で、社長の交代は1967年11月期に村田勉へ移るまで確認できない(『日本鉱業出身の阿部謙二氏が1957年に社長就任』とする従前の記述は第三者出所で裏付けられず削除した)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [11]1961年に川崎市へ千鳥工場を新設し、石油化学の分野へ進出した
- 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
- [13]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [14]1954年に北海道へ美唄工場を新設し設備の近代化・品質改善・生産向上を図った
- [15]1961年に金属板の爆発成型事業を企業化し冶金機械方面へ進出した
- [16]1964年に米ザ・ルーブリゾール・コーポレイションと合弁会社「日本ルーブリゾール工業」を設立し、同年8月に横浜市へ戸塚工場を新設した
- [17]各事業部は独立採算制をとり、油化・食用油脂・家庭用品・塗料・化薬・溶接の各事業部が並立した
- [18]1967年11月期に売上高139億円強・純益2億円(税引)を計上し年1割配当を継続した