1918年〜 絶縁ワニス国産化と日立傘下での再建から独立まで
- 1918年 日東電気工業を東京・大崎で設立
- 1937年 日立製作所と資本業務提携
- 1941年 水谷ワニスペイントを買収、茨木工場を取得
- 1945年 空襲で東京・大崎工場(本社)を焼失
- 1946年 本社を移転
- 1948年 日立製作所による全額出資の受け入れと、1948年の資本提携解消 顧客の傘下で生き延びるか、独立して自前の製品を探すか——11年の子会社期の終わり
大戦景気と電気絶縁材料の国産化への挑戦
1918年10月、東京・大崎にあった絶縁材料の会社(日東商会製作所)を譲り受ける形で、資本金20万円の日東電気工業株式会社が設立された。場所は東京・品川区大崎、従業員14名、初代社長は稲村藤太郎である。生産品目は電気絶縁用のワニスクロスとワニスペーパー、すなわち絶縁布管紙類で、第一次世界大戦で欧州からの絶縁材料輸入が途絶えたことが設立の直接の動機だった。主要顧客は当時の重電機メーカーである日立製作所などであり、設立当初から日立との取引関係が会社の生命線である。大戦景気の最終期に、電気材料の国産化を狙う独立系企業が相次ぎ現れた。そのなかの一社が日東電気工業であり、欧州の輸入に頼れないという危機感が、国内に電気絶縁材料の製造基盤を築こうとする気運を生んだ時代だった。 [1][2][3][4][5][6]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1918年10月 日東電気工業㈱を設立(東京・大崎)。電気絶縁材料の会社(日東商会製作所)を譲り受け。電気絶縁材料の国産化が目的
- [3]設立時の従業員14名
- [4]初代社長は稲村藤太郎
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社編、1968年)所収「日東電気工業」の項
- [2]設立時の資本金20万円(大正7年10月 東京都品川区大崎にあった絶縁材料の会社を譲り受け資本金20万円で設立)
- [5]設立地は東京・品川区大崎(大正7年10月 東京都品川区大崎にあった絶縁材料の会社を譲り受け設立)
- [6]生産品目は電気絶縁用のワニスクロス・ワニスペーパー(絶縁布管紙類)。第一次大戦で欧州からの絶縁材料輸入が途絶えたことが設立動機
1920年代から1930年代にかけて、日東電工の経営は苦しい時期が続く。絶縁用ワニスには競合品が多く、1930年頃からは主要顧客だった日立製作所自身がワニスの内製化に動き出した。顧客が供給者に転じる構造変化は受注の急減を意味し、同じ1930年に創業者の稲村藤太郎社長が逝去したことも経営体制を揺さぶる。戦前の日東電工にとって、電気絶縁材料という狭い市場に依存する脆弱性が露わになった時期であり、単独での事業継続が困難な状況へ追い込まれる。特定顧客への過度な依存と単品製品の構造的な危うさは、当時の経営陣が身をもって学んだ教訓であり、後の多角化戦略の出発点となる経験として会社の記憶に残った。 [7]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [7]1930年に創業者・稲村藤太郎社長が逝去
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1918年10月 日東電気工業㈱を設立(東京・大崎)。電気絶縁材料の会社(日東商会製作所)を譲り受け。電気絶縁材料の国産化が目的
- [3]設立時の従業員14名
- [4]初代社長は稲村藤太郎
- [7]1930年に創業者・稲村藤太郎社長が逝去
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社編、1968年)所収「日東電気工業」の項
- [2]設立時の資本金20万円(大正7年10月 東京都品川区大崎にあった絶縁材料の会社を譲り受け資本金20万円で設立)
- [5]設立地は東京・品川区大崎(大正7年10月 東京都品川区大崎にあった絶縁材料の会社を譲り受け設立)
- [6]生産品目は電気絶縁用のワニスクロス・ワニスペーパー(絶縁布管紙類)。第一次大戦で欧州からの絶縁材料輸入が途絶えたことが設立動機
日立製作所の100%子会社化と戦時統合体制
主要顧客を失った日東電工に対し、1937年5月、日立製作所は業務資本提携による救済を決定する。日立が日東電工株式の100%を取得して完全子会社化し、経営再建に乗り出した。顧客だった日立が資本を入れることで、ワニスの内製化方針と日東電工の存続が両立となる。設立から20年足らずで独立系メーカーから顧客の子会社へ転身した事例であり、電気絶縁材料という単品依存事業の宿命的な脆さを端的に示している。1941年12月にはワニスペイント会社(水谷ワニスペイント)の茨木工場を買収して西日本に進出し、同社の茨木工場を日東電工の茨木工場として取得した。東京・大崎に限られていた生産拠点を関西へ広げる布石であり、戦時経済下で原材料や労働力が統制されるなか、日立グループの一員として生産体制を維持する構造が固まった時期である。 [8][9][10]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1937年5月 日立製作所が日東電工株式の100%を取得し完全子会社化(業務資本提携による救済・再建)
- [9]日立が日東電工株式の100%を取得して完全子会社化
- [10]1941年12月 ワニスペイント会社(水谷ワニスペイント)の茨木工場を買収して西日本に進出(茨木工場を取得)
戦時中、日立傘下の日東電工は電気絶縁材料の重要供給元として生産を続けた。1945年5月の空襲で本社のあった東京・大崎工場を焼失し(焼失した工場は後に売却された)、生産は大阪・茨木工場のみで続行する1拠点体制に集約される。戦後、1946年7月に本社を茨木市に移転し、関西を本拠とする会社となった。1948年7月には財閥解体に伴う日立の株式売却で資本提携が解消され、日東電工は日立グループから離れて独立系企業として再出発する。戦前に陥った顧客依存の脆弱性を克服するという課題は、この独立とともに経営の背骨として意識される形で残された。戦争と空襲と財閥解体という三重の激動を経て、関西を拠点とする独立系の電気絶縁材料メーカーとして歩み直す構えが整う時期である。 [11][12][13]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [11]1945年5月 空襲で東京・大崎の本社工場を焼失(焼失工場は後に売却)し、生産は大阪・茨木工場のみで続行する1拠点体制に集約
- [12]1946年7月 本社を茨木市に移転
- [13]1948年7月 財閥解体に伴う日立の株式売却で資本提携を解消し独立系企業として再出発
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1937年5月 日立製作所が日東電工株式の100%を取得し完全子会社化(業務資本提携による救済・再建)
- [9]日立が日東電工株式の100%を取得して完全子会社化
- [10]1941年12月 ワニスペイント会社(水谷ワニスペイント)の茨木工場を買収して西日本に進出(茨木工場を取得)
- [11]1945年5月 空襲で東京・大崎の本社工場を焼失(焼失工場は後に売却)し、生産は大阪・茨木工場のみで続行する1拠点体制に集約
- [12]1946年7月 本社を茨木市に移転
- [13]1948年7月 財閥解体に伴う日立の株式売却で資本提携を解消し独立系企業として再出発
復興期のビニルテープ開拓と粘着技術の立ち上がり
戦後の復興期、独立を回復した日東電工は従来の絶縁布管紙・絶縁塗料に加えて絶縁テープ類にも進出し、絶縁材料の総合メーカーとしての体制を整えた。1950年8月にはマクセル乾電池を手初めに乾電池の製造を開始し、続いて録音機・録音テープへと展開して、戦後の消費者向け事業へ参入した。1951年4月には国内初のビニルテープ開発に成功し、絶縁テープからビニル粘着テープへと製品領域が広がる。後年の収益基盤となる粘着技術がこの時期に芽吹き、電気絶縁材料の専業メーカーから多様な粘着製品を扱う会社へと転換する流れを生んだ。終戦直後の物資不足と技術基盤の脆弱さのなかで、既存技術を応用した新しい製品ラインを自前で育てようとする姿勢が色濃く現れた時期である。 [14][15][16]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1950年8月 マクセル乾電池を手初めに乾電池の製造を開始し、録音機・録音テープへ展開(BtoC参入)
- [16]1951年4月 国内初のビニルテープ開発に成功
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社編、1968年)所収「日東電気工業」の項
- [15]戦後復興期に従来の絶縁布管紙・絶縁塗料に加えて絶縁テープ類に進出し、絶縁材料の総合メーカーとしての体制を整えた
1957年6月にはブラックテープの製造を開始し、テープ事業への本格進出を果たす。戦前期の絶縁ワニスクロスという単品依存構造から抜け出すための多角化が進み、電気絶縁材料と粘着テープの二本柱を持つ会社へと転換した。戦後の民需拡大期に乾電池・磁気テープ・ビニルテープといった新製品の販路開拓は決して容易ではなかったが、粘着技術を軸に産業向け・消費者向けの両面で事業の幅を広げようとする姿勢は、後の三新活動につながる開発文化の出発点となる。絶縁材料という電気関連の狭い領域から、粘着という汎用性の高い基盤技術を使った多用途展開へと、会社の自己認識そのものが少しずつ変わった時期でもある。 [17]
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1957年6月 ブラックテープの製造を開始しテープ事業へ本格進出
- 日東電工 有価証券報告書 第147期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1950年8月 マクセル乾電池を手初めに乾電池の製造を開始し、録音機・録音テープへ展開(BtoC参入)
- [16]1951年4月 国内初のビニルテープ開発に成功
- [17]1957年6月 ブラックテープの製造を開始しテープ事業へ本格進出
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社編、1968年)所収「日東電気工業」の項
- [15]戦後復興期に従来の絶縁布管紙・絶縁塗料に加えて絶縁テープ類に進出し、絶縁材料の総合メーカーとしての体制を整えた