日産化学工業の発足
日産化学の創業経緯は複雑である。
明治時代を通じて、日本全国に肥料の製造会社が設立されたが、コモディティー化によって激しい競争が繰り広げられていた。そこで、業界全体が大同団結の方向に動き、戦時中の1937年に日産財閥が、当時の主力肥料メーカーの複数社を譲受したことを受けて、日産化学工業(以下、日産化学)が発足した。
このため、発足時から日産化学は全国各地に工場を保有しており、いずれも小規模かつ生産性の低い肥料工場が多く、工場の再編が宿命づけられたスタートとなった。
資本政策の面では、戦後の財閥解体によって大株主が日産財閥から、日本興業銀行に変わった関係から、興銀との結びつきも強い側面もあった。
なお、各工場が全国に分散しており、日産化学の実態は「中小化学メーカーの寄り合い所帯」であったため、東京本社から各地方工場へのコントロールが難しかったことも推察される。
株式市場再開に伴い株式上場
終戦直後の1949年に証券取引所が再開されたことを受けて、株式を上場した。