日産化学の歴史

半導体向け材料
Last Updated: | Author: @yusugiura
歴史概要 1937年〜2022年

1937
日産化学工業の発足

日産化学の創業経緯は複雑である。

明治時代を通じて、日本全国に肥料の製造会社が設立されたが、コモディティー化によって激しい競争が繰り広げられていた。そこで、業界全体が大同団結の方向に動き、戦時中の1937年に日産財閥が、当時の主力肥料メーカーの複数社を譲受したことを受けて、日産化学工業(以下、日産化学)が発足した。

このため、発足時から日産化学は全国各地に工場を保有しており、いずれも小規模かつ生産性の低い肥料工場が多く、工場の再編が宿命づけられたスタートとなった。

資本政策の面では、戦後の財閥解体によって大株主が日産財閥から、日本興業銀行に変わった関係から、興銀との結びつきも強い側面もあった。

なお、各工場が全国に分散しており、日産化学の実態は「中小化学メーカーの寄り合い所帯」であったため、東京本社から各地方工場へのコントロールが難しかったことも推察される。

1949
株式市場再開に伴い株式上場

終戦直後の1949年に証券取引所が再開されたことを受けて、株式を上場した。

1965
石油化学事業に進出

日産化学は、石灰石を原料として肥料を製造していたが、1960年代を通じて石油化学に原料転換されつつあった。

これを受けて、日産化学は石油化学分野への進出を決断した。

しかし、石油化学を取り巻く競争環境は厳しく、すでに先発企業として、三井石油化学・三菱化学・住友化学といった財閥系の各社が参入しており、加えて宇部興産などの石炭・石灰系の企業も石油化学に参入した。

このため、日産化学は石油化学事業の売上高は伸ばすことに成功したが、収益の悪化に悩まされるようになった。

1969
王子工場の閉鎖

東京王子の隅田川沿いにあった主力生産拠点「王子工場」について、周辺の宅地化により拡張が困難なことや、設備が老朽化しつつあったことを受けて閉鎖を決断した。

同時に、埼玉県に工場を新設し、人員を配置転換することで首都圏における生産を継続した。

なお、日産化学の旧王子工場は土地を日本住宅公団に売却し、工場跡地は大規模な集合住宅「豊島5丁目団地」として再開発された。

1983
2期連続の最終赤字に転落

日産化学の新規分野であった石油化学と、祖業の肥料が、それぞれ競争の激化によって収益性が悪化した。

特に、1980年4月期時点で全社売上高の40%を占めていた石油化学事業の不振が影響した。

日産化学は、1982年4月期に37億円の最終赤字、1983年4月期に23億円の最終赤字に転落し、2期連続の赤字を計上した。

1988
石油化学事業から撤退

1988年に日産化学の社長であった中井武夫氏(興銀出身)は、競争が激化した石油化学からの撤退を決断し、各事業の開発・販売人員と、その設備を丸ごと同業他社に売却した。当時は同業他社も石油化学の慢性的な低収益に苦しんでいたが、完全な事業撤退を決めた日産化学の決断は異色であった。

塩ビ事業は東ソー、高級アルコール事業は協和発酵(KHネオケム)、ポリエチレン事業は丸善石油化学に、それぞれ譲渡することで日産化学は石油化学部門から撤退を完了した。

なお、事業撤退ではあったが、各部門の従業員は雇用が保証されており、社内OBに対する説明を丁寧に行うことで利害関係者が理解を示したため、悲劇的な撤退にはならなかったという。

日産化学の歴史において、石油化学の撤退は、主力事業を切り捨てるという大胆な決断であった。

1989
中期五カ年計画の策定

日産化学の社長であった中井武夫氏は、1989年に中期五カ年計画を策定し、農薬・医薬品・液晶材料などの高機能化学品を中心に投資を行う方針を明確にし、収益性を重視する経営に舵を切った。

方針が明確になったことで、日産化学に残った社員は目の色を変えて新規事業の研究開発にコミットしたという。この結果、各分野で重要な成果を残すに至った。

農薬部門では、1989年に「シリウス(水稲向け除草剤)」、1991年に「サンマイト(果樹・野菜向け殺虫剤)」、1994年に「パーミット(トウモロコシ向け除草剤)」を相次いで発売して業容を拡大した。

医薬品分野では1994年に初の医薬品となる「ランデル(血圧降下剤)」を発売したのを皮切りに、2003年に「リバロ(高コレステロール血症治療薬)」を発売して安定的な利益を稼ぐ事業となった。

機能性材料分野では、1989年に液晶パネル向けの配向膜材料、1998年には半導体向けのコーディング材料にそれぞれ参入した。2000年代を通じた半導体と液晶パネルの需要増加という追い風を受けて、日産化学の高成長・高収益事業に育っている。

したがって、2021年現在の日産化学が高収益を享受している要因の1つは、1988年〜1989年に行った事業ポートフォリオの入れ替えという決断にあると言える。

2001
研究開発組織を再編

液晶パネルおよび半導体材料向けの研究開発体制を強化するために、2001年に研究開発組織の再編を実施した。

2000年代を通じて液晶パネルの普及や、半導体の需要増加という追い風を受けて、機能材料が日産化学の成長を牽引した。

2018
商号を日産化学に変更

社名を「日産化学工業」から「日産化学」に変更

2022
時価総額約9,300億円

液晶および半導体向けの機能材料が好調なことを受けて、2021年3月期の日産化学は売上高2091億円に対して営業利益425億円という高収益を達成した。

業績の好調を受けて、日産化学の時価総額は2012年から2021年を通じて約10倍に高騰し、2022年1月時点で、時価総額約9300億円を記録している。

売上高の推移

売上高の推移