ニチアス の歴史

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創業 1896年
母体 久保商会継承
創業地 大阪府西成郡下福島村
創業 1896年4月、大阪市福島区に日本アスベスト株式会社が設立され、輸入石綿の取扱い
1896年4月、大阪市福島区に日本アスベスト株式会社が設立され、輸入石綿の取扱いが始まった。同年8月には大阪工場を建設して自社製造にも着手している。当時の日本には、繊維工場・造船所・鉄道の蒸気機関に欠かせない断熱材とパッキン材を国産で供給する事業者がほとんどなかった。1909年3月に本社を東京へ移し、1916年9月に東京工場を新設して関東での自社製造を本格化させる。1930年12月には国産初のジョイントシートパッキングを完成させ、輸入素材の販売業者から素材メーカーへ性格を変えた。1937年に王寺工場、1939年に鶴見工場を新設したのち、1959年10月には祖岳製作所を合併して岐阜に竹鼻工場(現羽島工場)を得ている。
決断 社名も主原料も返上して、断熱とシールという機能だけを残した。1970年代後半に欧
社名も主原料も返上して、断熱とシールという機能だけを残した。1970年代後半に欧米で石綿規制が現実化すると、1981年10月、創業以来85年使った日本アスベストの商号を返上し、主原料を代替素材へ切り替える転換に入った。素材の差し替えはガラス繊維・セラミック繊維・ロックウールへ順に進んだ。2005年6月のクボタによる周辺住民の被害公表を経て、2006年5月には羽島工場の石綿含有製品で社内基準値を超える飛散を公表し、出荷を停止する。同年12月に国内、翌2007年3月に海外でアスベスト含有製品の製造・販売を全面的に終えた。1987年4月の事業部制で分けた工業製品・建材・工事という区分は、素材を入れ替えたあとも残った。
現況 石綿を全廃したあとも、利益の中心はプラントの断熱と工事に残っている。2026年3
石綿を全廃したあとも、利益の中心はプラントの断熱と工事に残っている。2026年3月期の連結売上高は2,519億円、営業利益370億円。5事業のうちセグメント利益が最も大きいのはプラント向け工事・販売の120億円で、工業製品事業の101億円が続き、この2つで5事業の合計利益の6割を超える。いずれも創業以来の断熱材・シール材を源流に持つ。2016年12月に日本ラインツ(現APJ)を取得して自前化を進めた自動車部品は売上515億円に対し利益53億円、半導体製造装置向けを含む高機能製品は売上391億円に対し利益69億円で、規模と採算の順が入れ替わる。営業利益率は2017年3月期の10.9%から14.7%へ上がった。
競合 同じ石綿を扱った各社と、撤退の速さではなく製品の作り替えで分かれた。2005年6
同じ石綿を扱った各社と、撤退の速さではなく製品の作り替えで分かれた。2005年6月、クボタが旧神崎工場周辺の中皮腫死亡を公表し、石綿の健康影響が工場周辺住民にも及ぶ事実が社会へ突きつけられた。ニチアスは石綿原料の輸入・加工・販売・施工をすべて手掛けてきたため、製品そのものを作り替えなければ事業が残らない位置にいた。2006年12月に国内の含有製品を全廃したのは、政令が限定使用の例外を残したあとである。現在の競争は、耐熱とシールの性能を代替繊維とフッ素樹脂でどこまで出せるかに移り、プラント・自動車・半導体製造装置という納入先ごとに相手が分かれている。
長期業績の推移 1949〜2026年
ニチアス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
2006年3月期〜2026年3月期

第1章 1896-1935 (気が向いたら執筆します!) 日本アスベストの設立と石綿製品の製造、ジョイントシートパッキングの国産化

第2章 1936-1970 (気が向いたら執筆します!) 王寺・鶴見工場の新設と戦後の株式公開

第3章 1971-1998 (気が向いたら執筆します!) ニチアスへの商号変更と事業部制による工業製品・建材・工事の三本柱

第4章 1999-2010 (気が向いたら執筆します!) 執行役員制の導入とアスベスト含有製品の製造販売終了

第5章 2011-2026 (気が向いたら執筆します!) 企業理念の刷新と自動車部品・断熱事業への展開

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歴史年表 1896〜2025年

ニチアスの沿革1896〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1896〜1935年日本アスベストの設立と石綿製品の製造、ジョイントシートパッキングの国産化日本アスベストを設立し石綿製品の取扱いを開始★★
本社を移転★
東京工場を新設、石綿製品の製造を開始★★
東京工場において最初の国産「ジョイントシートパッキング」を完成★★
1936〜1970年王寺・鶴見工場の新設と戦後の株式公開王寺工場を新設、大阪工場を移転★
鶴見工場を新設、東京工場を移転★
東京証券取引所店頭売買承認銘柄として公開★
研究所を新設★
し竹鼻工場(現羽島工場)を岐阜の生産拠点として受け入れ

1959年10月、日本アスベスト(現ニチアス)が株式会社祖岳製作所を合併し、同社の竹鼻工場(現羽島工場、岐阜県羽島市)を新たな工場として受け入れた経営判断である。東西2工場だけで全国の需要に応じていた生産体制に、中部の拠点が加わった。

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★★★
東京証券取引所市場第二部上場銘柄に★
東京証券取引所市場第一部上場銘柄に★
袋井工場を新設★
郡山工場を新設★
大阪証券取引所市場第一部上場銘柄に★
1971〜1998年ニチアスへの商号変更と事業部制による工業製品・建材・工事の三本柱本社を移転★
結城工場を新設★
主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言

1981年10月、日本アスベスト株式会社が商号をニチアス株式会社へ変更した。欧米で石綿規制が強まるなか、85年使った社名から素材の名を外し、以後10年あまりをかけて製品の主原料を石綿から代替素材へ置き換えていった判断である。

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★★★
事業部制組織に改編し工業製品事業本部、建材事業本部、工事事業本部を設置★
浜松研究所を新設★
1999〜2010年執行役員制の導入とアスベスト含有製品の製造販売終了執行役員制を導入★
川島吉一大阪証券取引所における有価証券を上場廃止★
川島吉一国内外での含有製品の製造・販売の全面終了

ニチアスは、国内では2006年12月末日、海外では2007年3月末日をもってアスベスト含有製品の販売を中止した。1896年の創業から110年、石綿を扱ってきた同社が、その取扱いを終えた判断である。

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★★★
矢野邦彦自動車部品テクニカルセンターが竣工★
矢野邦彦新企業理念「新生ニチアス・スピリット」を制定★
2011〜2026年企業理念の刷新と自動車部品・断熱事業への展開矢野邦彦新企業理念「ニチアス理念」を制定★
イノクリートが井上冷熱からコールドエンジニアリング事業を譲受★
イノクリートが井上冷熱から海洋事業を譲受★
武井俊之NKK(ニチアス改善活動)を開始★
武井俊之自動車部品製造会社である日本ラインツの株式を取得★★
武井俊之「ニチアスグループ人権方針」を制定★
武井俊之「ニチアスグループカーボンニュートラル宣言」を制定★
武井俊之「ニチアスグループ健康経営宣言」を制定★
亀津克己「ニチアスグループサステナビリティ方針」を制定★
出典・参考

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