象印マホービン電子ジャーの開発・発売と、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出

ガラスの保温に行き詰まった魔法瓶メーカーは、なぜ畑違いの電気製品へ踏み込んだか

時期 1970年5月
意思決定者(推定) 市川重幸 社長
論点 保温技術の転換と新規事業
概要
1970年5月、象印マホービンは内釜の保温に電気を用いる「象印電子ジャー」(RH型・1万円)を発売し、家庭用電気製品部門へ進出した。ガラス製の「魔法のおひつ」が割れやすさと保温力の低さで伸び悩むなか、村田製作所のサーミスタ「ポジスター」を組み込んだ電気式へ発想を切り替えた。市川重幸社長は電気分野への参入に思い悩みつつ踏み切り、これが象印の電気製品事業の入り口となった。
背景
象印は真空二重びんによる保温を核とする魔法瓶専業メーカーであった。炊いたご飯を保温する用途にガラス製の「魔法のおひつ」を売り出したが、割れやすく、保温力も低く、ご飯ににおいがつくなどの難点を抱えて伸びなかった。この限界を克服する研究の過程で、保温の熱源を電気へ替える発想へ至った。
内容
発熱と温度制御ができる村田製作所のサーミスタ「ポジスター」に着目し、真空式から電気式へ切り替えた電子ジャーを設計した。1970年5月にRH型「象印電子ジャー」を各紙記者団へ発表し、価格は1万円とした。広告にはコマーシャル初出演の女優・栗原小巻さんを起用して話題を呼んだ。
含意
電子ジャーは想定を超えて売れ、1970年に約143億円だった売上高は1971年に約259億円、1972年に約310億円へ伸びた。これを入り口に炊飯電子ジャー・電子ポット・家電調理器具へ広がり、電気製品は売上の約4割を占める柱となった。同時に象印は大手家電と競合する土俵にも立った。
筆者の見解

保温の原理を替えるということ

この一歩を、魔法瓶メーカーによる新商品の追加という言葉で片づけると芯を外す。象印がしたのは製品を一つ増やしたことではなく、保温という一貫した目的を、真空断熱という祖業の原理から電気という別の原理へ載せ替えたことであった。ガラスの魔法のおひつが割れやすさと保温力の低さで行き詰まったとき、同じ目的を別の手段で追い直した点に、この判断の重さがうかがえる。市川重幸社長が「思い悩んだが思い切って」と振り返る逡巡は、専業の会社が畑違いの技術へ踏み込む距離の遠さを物語っている。

もっとも、電気への窓口を開いたことは、象印を別の競争へも連れ出した。炊飯ジャーや電気ポットで会社の柱を得た一方、その土俵には設備と量産で押す大手家電メーカーが待っていた。保温の延長で入ったはずの家電は、やがて巨大メーカーと同じ市場を分け合う場所になった。1970年に開いた窓口は、象印に成長と、価格競争という重荷の双方をもたらしたとみられる。技術の原理を替える判断は、新しい市場を開くと同時に、新しい競争相手を呼び込む面もあったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

保温の会社が抱えたガラスの限界

象印マホービンの前身である協和魔法瓶工業は、1961年11月に象印マホービン株式会社へ商号を変えた。真空二重びんによる保温を核とする魔法瓶の専業メーカーであり、事業の幅は魔法瓶とその周辺にとどまっていた。炊いたご飯を温かいまま保つという用途にも、同社は早くから保温の技術を向けていた。ガラス製の口の広い魔法瓶にご飯を入れる「魔法のおひつ」を数年にわたって売り出したのが、その最初の試みであった[1][2]

だが魔法のおひつは伸びなかった。ガラス製である以上、落とせば割れ、保温力も高くないうえ、時間が経つとご飯に変なにおいがつくという難点を抱えていた。市川重幸氏はのちに、性能の問題とガラスゆえの破損を挙げ、これらを克服しようと研究を重ねるうちに電気製品へ行き着いたと振り返っている。保温という目的は変えないまま、それを支える原理を問い直す段階に入っていた[3][4]

決断

真空式から電気式への切り替え

研究の末に象印がたどり着いたのは、保温の熱源を真空断熱から電気へ替えるという発想であった。同社は発熱と温度制御ができる村田製作所のサーミスタ「ポジスター」に着目し、これを組み込んだ電気式の保温容器を設計した。真空式から電気式へという切り替えは、魔法瓶専業の会社にとって一つの大きな発想の転換であった。1970年5月、RH型「象印電子ジャー」として各紙の記者団に発表し、価格は1万円とした[5][6]

電気製品への参入には、市川重幸社長にとって迷いがあった。ガラス製魔法瓶を父の代から作ってきた会社が電気の分野へ踏み込むことにはいろいろ問題があると、社長は思い悩んだという。それでも思い切って電子ジャーを売り出し、家庭用電気製品部門への進出を決めた。保温を担う中身をガラスから電気へ替えたこの一歩が、のちに炊飯ジャーや電気ポットへ広がる電気製品事業の入り口となった[7][8]

結果

需要の急増と電気製品の柱化

電子ジャーの売れ行きは、象印の想定を超えた。発売の年である1970年に約143億円だった売上高は、翌1971年に一挙に約259億円、1972年には約310億円へ伸びた。秋口には販売店がトラックで工場へ乗りつけ、すぐに商品を回すよう求める場面もあったという。広告では、それまでどのコマーシャルにも出ていなかった女優の栗原小巻さんを起用し、話題を呼んだ[9][10]

電子ジャーの成功は、象印の事業構成を変えた。ここを入り口として炊飯電子ジャー・電子ポット・家電調理器具へと電気製品の幅が広がり、市川重幸社長は1986年の講演で、電気製品が売上の約4割を占めるまでになったと述べている。炊飯ジャーや電気ポットは大手家電メーカーと競合しながらも、調理家電の専門メーカーとして地歩を占めた。魔法瓶の会社は、電気製品を主力の一つに数える会社へ変わっていた[11][12]

出典・参考

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