象印マホービン電気炊飯ジャーの低価格路線から高級品路線への転換と「サクセス90」の始動

創業以来の営業赤字に陥った象印は、なぜ大手家電との価格競争を避け高級品へ向かったか

時期 1987年10月
意思決定者(推定) 市川博邦 社長
論点 価格競争と商品戦略
概要
1987年10月、象印マホービンは運動「サクセス90」を始め、電気炊飯ジャーの低価格戦略を高級品路線へ切り替えた。大手家電の攻勢と円高で創業以来の営業赤字に陥るなか、市川博邦社長のもとで営業の売り場回帰による高級化と、コスト15%削減運動「クリエイト15」を同時に進め、1988年に経常黒字、1989年に営業黒字へと赤字脱出を果たした。
背景
主力の電気炊飯ジャーは松下電器やシャープなど大手家電に押され、部品を仕入れて組み立てるアセンブリーメーカーの薄い採算では価格競争に耐えられなかった。円高も重なり、1987年11月期の経常損益は16.7億円の赤字に沈んだ。
内容
低価格から一転し、1987年10月の「おいしく炊ける」や1990年1月の少量高級ジャー「ちょっと炊け」(従来の約2倍の2万1800円)を投入した。デザインを外部に委ね、うるし塗りを思わせる意匠やマリオ・ベリーニの起用で差をつけた。並行してクリエイト15で二年25億円を削り、40の課を廃す組織改革も断行した。
含意
1989年に電気炊飯ジャーで23.5%、電気ジャーポットで35.3%と国内出荷首位を占め、赤字を脱した。値段で競わず非価格の軸で差をつける型はその後も骨格となり、2000年代の中国製流入による再度の赤字も、同じ高付加価値化と海外開拓で立て直した。
筆者の見解

値段で戦わないという選び方

この転換を、単なる値上げや高付加価値化という言葉で片づけると芯を外す。象印がしたのは製品を高くしたことではなく、設備と量産で押す大手家電と同じ土俵を降り、コンセプトとデザインという模倣されにくい軸へ競争の場を移したことであった。営業担当者を売り場へ通わせて高齢者の需要を掘り当て、うるし塗りを思わせる意匠で「家電ではない炊飯ジャー」を押し出した点に、市川博邦社長の「正面から勝負しない」という言葉の実質がうかがえる。

もっとも、高級化だけで赤字を抜け出せたわけではない。象印は同じ二年でクリエイト15により25億円の原価を削り、攻めと守りを同時に回してようやく黒字へ戻している。しかも1987年の選択は一度で決着した勝ち方ではなかった。2000年代には安価な中国製に押されて再び二期連続の赤字に沈み、同じ高付加価値化と海外開拓でもう一度立て直した。価格で追う相手と土俵を分ける選び方は、後発が現れるたびに引き直す作業として続くといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

大手家電に挟まれた電気炊飯ジャーの営業赤字

象印マホービンは1986年9月に大阪証券取引所市場第二部へ上場したが、主力の電気炊飯ジャーは松下電器産業やシャープなど大手家電メーカーの攻勢にさらされていた。部品を仕入れて組み立てるアセンブリーメーカーの薄い採算では価格競争に耐えられず、円高も重なって、象印は創業以来といわれる営業赤字に陥る。1987年11月期の経常損益は16.7億円の赤字まで沈み、1985年11月期に26.6億円あった経常黒字は二期で消えていた[1][2][3]

電気炊飯ジャーは国内だけで年間約800億円、世帯普及率も六割に達する成熟市場であった。買い替え需要が中心のこの市場で、松下電器は1990年に100億円を投じた新工場の建設を打ち出し、自動化による高機能と低価格を両立させる量産で攻めてきた。設備で押す巨大メーカーと同じ土俵で値段を競えば、生産の多くを外部に頼る象印の採算はいっそう細る。低価格戦略の先に活路は描きにくくなっていた[4][5]

決断

価格競争を避けた高級品への転換

1987年10月、象印は運動「サクセス90」を始めた。顧客の要求をつかんで製品開発と販売方法へ反映させることを狙い、営業担当者を量販店の売り場へ通わせた。そこで、少量タイプの炊飯ジャーの買い手にこれまで多かった20代の若者に代わり、高齢者が増えているという声を拾う。市川博邦社長は「家電メーカーとは正面から勝負しない。技術よりもコンセプト、デザインで勝負する」と語り、低価格から高級品へと品ぞろえの方向を切り替えた[6][7][8]

高級路線の象徴が、値段の高い少量炊飯ジャーであった。1987年10月に売り出した「おいしく炊ける」シリーズは通常タイプで評価を得て、1990年1月には3合炊きの「ちょっと炊け」を従来品のおよそ二倍にあたる2万1800円で発売した。象印は自社でデザインをせず、うるし塗りのおひつを思わせる意匠を外部のデザイナーに委ねた。電気ジャーポットではイタリアのマリオ・ベリーニを起用し、グッドデザイン賞も受けている[9][10]

コスト削減と組織の作り替え

高級品への転換と並ぶ再建の柱が、コストを15%削る運動「クリエイト15」であった。市川社長みずから委員長となり、設計から製造までの全工程で無駄を洗い出した。炊飯ジャーの水がかかりにくい部分では、さびに強いステンレスのネジを安価なネジに替えるといった小さな積み上げを重ね、1988年と1989年の二年間で25億円を削った。攻めの高級化と守りの原価低減を、象印は同時に進めた[11][12]

1990年2月には、「あの保守的な象印が」と周囲を驚かせた組織の改革にも踏み込んだ。それまで40あった「課」を廃し、「部」と「室」だけの構成に改めて、部長の裁量で機動的なプロジェクトチームを組めるようにした。前年5月には社内公募のZSグループが、退職した女性30人の日常生活を分析し、市場や技術ではなく生活者の目線から商品を考える試みを始めていた。高級化を支える体制づくりであった[13][14]

結果

赤字脱出と国内出荷首位

転換は数字に表れた。1987年11月期に16.7億円の赤字だった経常損益は、1988年11月期にわずかながら黒字へ返り咲き、1989年11月期には12.5億円まで回復した。営業損益も1989年にようやく黒字へ戻り、象印は念願の赤字脱出を果たした。1989年の国内出荷台数では、電気炊飯ジャーで23.5%、電気ジャーポットで35.3%と、いずれも松下電器や東芝を抑えて首位を占めた[15][16]

象印の売り上げは電気製品が六割を超え、そのうち電気炊飯ジャーが50%、電気ジャーポットが27%を占めるまでになった。魔法瓶を社名に掲げながら、実態は電気製品を主力とする会社へと変わっていた。上場からわずか三年での立て直しであった。値段で競うのではなく、使い手を見据えたコンセプトとデザインで差をつける売り方が、大手家電に挟まれた中堅メーカーの生き残る道として形をとった[17]

高付加価値路線の継承

高級品で非価格の勝負に持ち込む型は、その後の象印の骨格となった。2000年代に入ると、安価な中国製の炊飯器が流入して業績は再び悪化し、2002年度から二期連続で最終赤字を計上、全従業員の5%にあたる人員を削った。このとき象印が立て直しの軸に据えたのも、IH炊飯器などの高機能商品による高付加価値化と、海外市場の開拓であった。1987年の選択が、危機のたびに立ち返る場所になっていた[18]

2003年に進出した中国では、白米本来のうまみを引き出す「メード・イン・ジャパン」の高級炊飯器として売り込み、日本の三倍ほどの価格でも買い手を得た。2015年度には海外売上高の比率が初めて三割を超え、売上高897億円・営業利益101億円と、いずれも当時の過去最高を更新した。大手との価格競争を避けた1987年の転換は、四半世紀を経てなお象印を支える型として働いていた[19]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年5月7日号「象印マホービン 大手家電に勝てる体制作り、赤字脱出」
  • 週刊東洋経済 2016年6月11日号「[第1特集]伸びる会社 沈む会社 新外需を取り込め」
  • 象印マホービン 有価証券報告書【沿革】

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