三浦工業 の歴史

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創業 1927年
創業者 三浦保
創業地 愛媛県松山市
創業
1927年12月、三浦保が愛媛県松山市で精麦・精米機を作る三浦製作所を興した。個人事業のまま30年余り精米機の修理と販売を続け、1959年5月に資本金200万円で株式会社三浦製作所として法人化する。翌1960年10月、丸ボイラが主流で『特殊な代物』と見られていた小型貫流ボイラの製造を始め、主力を入れ替えた。1970年2月に営業部門を三浦工業として分離したのち、1978年5月に三浦製作所が三浦工業を吸収合併して商号を三浦工業へ改め、製造と営業を一つの法人へ戻している。1982年12月に大阪証券取引所第二部、1984年12月に東京証券取引所第二部へ上場した。
決断
機械を売った後の年月のほうを、収益源に選んだ。1960年10月に精麦・精米機から小型貫流ボイラへ主力を移したのち、1972年に保守を有料の事業へ切り替えた。無料が当たり前だった点検と部品交換に値段を付け、1989年2月にはオンラインメンテナンスを始めて、運転状態を遠隔で見ながら水処理薬品と部品を継続して納める形へ広げた。現在は国内約100拠点に1,200名以上のフィールドエンジニアを置く。2025年3月期の事業別区分では、売上842億円の機器販売が営業利益75億円だったのに対し、売上446億円のメンテナンスは124億円を出している。売った台数ではなく、動いている台数が利益を決める構造になった。
現況
売上の半分は、松山ではなく海外から来ている。2026年3月期の売上高2,687億円のうち日本は1,331億円で、米州が902億円、アジアが386億円を占める。2024年5月に北米大手のCleaver-Brooksを約1,161億円で全株式を取得し、同年4月には独CERTUSSも子会社化した結果、売上高は2年で1,597億円から1.7倍に伸びた。買収に合わせて開示区分も機器販売とメンテナンスの事業別から、日本国内・米州・アジアその他の地域別へ組み替えている。ただし営業利益率は日本国内の15.5%に対し米州は11.3%にとどまり、国内で組み上げた保守の稼ぎ方を北米へ移し切れていない。
競合
日本で置き換えてきた側の方式を、北米では会社ごと取得して抱えた。国内では丸ボイラを小型貫流ボイラの多缶設置で置き換えて需要を取ってきたが、2024年5月に取得した米Cleaver-Brooksはその丸ボイラで北米最大手にあたる。北米では貫流方式がまだ主流ではなく、置き換えを説く前に既存方式の販売と保守の網を手に入れる順序を選んだ。同年10月には北米の住宅用空調へ買収で参入したダイキン工業のグループ会社ダイキンアプライドシステムズの株式49%も取得している。国内で競うのは同じ小型貫流ボイラを作る数社だが、争点は熱効率ではなく約100拠点から何時間で現場へ着けるかにある。置き換えで伸びた会社が、置き換えられる側の設備を売る会社を持ったことで、北米では方式ではなく保守で選ばれる立場に変わった。
三浦工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 精米機から小型貫流ボイラへ──松山の町工場の事業転換 (1927年〜)

三浦保の創業──精麦・精米機の町工場と、戦後復興期の事業再構想

1927年12月、三浦保が愛媛県松山市で『三浦製作所』を創業した[1][2]。当時の事業は精麦・精米機の製造販売で、戦前期の地方零細製造業として典型的な町工場規模の出発である。三浦保は1928年12月13日生まれ(厳密には創業当時の名義人と現法人登記の代表者の関係は史料により異なる)の創業者として、戦後の食糧難から食糧潤沢化へ移る時代の精米機需要を起点に経営の足場を組んだ。創業から30年余り、個人事業として精米機の修理と販売を続けた後の1959年5月、愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で『株式会社三浦製作所』を法人化した[3][4]代表取締役社長に就任した三浦保が、現行の三浦工業の起点となる法人組織を立ち上げた。

  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1927年12月 三浦保が愛媛県松山市で三浦製作所を創業(精麦・精米機の製造販売)
    • [2]創業者は三浦保
    • [3]1959年法人設立時の資本金は200万円
    • [4]1959年5月 愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で株式会社三浦製作所を法人化(代表取締役社長 三浦保)

法人化の翌年、1960年10月に小型貫流ボイラの製造を開始した。[5]精麦・精米機からボイラ事業への転換であり、現在に至る同社の主力事業の出発点である。同時期、日本の産業用ボイラ市場は丸ボイラ(炉筒煙管ボイラ)が主流であり、小型貫流ボイラは『特殊な代物』というニッチ製品の位置付けにあった。三浦保はこのニッチに会社の生存を賭けた。

  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1960年10月 小型貫流ボイラの製造を開始(精麦・精米機からボイラ事業へ転換)

三浦保は1983年2月の証券アナリストジャーナルに掲載された講演録で『当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた』[引用元]と述べ、『この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した』[引用元]と続けた。[6]1960年の事業化開始から数えて20数年、同業他社が撤退・転向するなかで小型貫流ボイラ一本に絞り込む経営判断を貫いた結果、当初60〜70%だった熱効率は90%を保証する水準[7]まで達したという。

    • [6]三浦保(三浦工業社長)が1983年1月11日の講演で「当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた」「この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した」と述べた
    • [7]三浦保は同講演で、1960年の事業化当初20数年前の60〜70%だった小型貫流ボイラの熱効率が、その後90%を保証する水準まで達したと述べた
  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1927年12月 三浦保が愛媛県松山市で三浦製作所を創業(精麦・精米機の製造販売)
    • [2]創業者は三浦保
    • [3]1959年法人設立時の資本金は200万円
    • [4]1959年5月 愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で株式会社三浦製作所を法人化(代表取締役社長 三浦保)
    • [5]1960年10月 小型貫流ボイラの製造を開始(精麦・精米機からボイラ事業へ転換)
    • [6]三浦保(三浦工業社長)が1983年1月11日の講演で「当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた」「この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した」と述べた
    • [7]三浦保は同講演で、1960年の事業化当初20数年前の60〜70%だった小型貫流ボイラの熱効率が、その後90%を保証する水準まで達したと述べた

営業網の全国展開と、舶用ボイラ・メディカル機器への染み出し

1963年11月に東京営業所(東京都港区)を[8]、1965年1月には本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転[9]、1966年1月に名古屋営業所(名古屋市中村区)[10]、同年4月に大阪営業所(大阪市東淀川区)[11]と、創業地・松山を起点に首都圏・中部・関西の三大都市圏へ営業網を順次拡張した。1967年5月には舶用補助ボイラの製造を開始し、陸用[12]ボイラ専業から舶用へ製品ラインを拡張した。

  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1963年11月 東京営業所(東京都港区)を開設
    • [9]1965年1月 本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転
    • [10]1966年1月 名古屋営業所(名古屋市中村区)を開設
    • [11]1966年4月 大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設
    • [12]1967年5月 舶用補助ボイラの製造を開始(陸用から舶用へ製品ライン拡張)

1970年2月、愛媛県松山市堀江町に[13]資本金30百万円の『三浦工業』を設立し[14]、営業部門を分離した。同年4月には堀江町に新工場を建設、本社・[15]本社工場体制を堀江町へ集約させた(宮西工場は閉鎖)。1970年4月時点の三浦工業は、現在の本体組織の前身として位置付けられる。1972年12月には三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立してグループ会社網を広げ[16]、1978年5月、三浦製作所が三浦工業を吸収合併し、商号を『三浦工業株式会社』に変更[17]、本体と営業会社の合併・統合を完遂した。本体一体化により、製造と営業を一気通貫で運営する単一法人の構造が固まった。

  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1970年2月 愛媛県松山市堀江町に資本金30百万円の三浦工業を設立し営業部門を分離
    • [14]1970年設立の三浦工業(営業会社)の資本金は30百万円
    • [15]1970年4月 堀江町に新工場を建設し本社も移転(宮西工場は閉鎖)
    • [16]1972年12月 三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立
    • [17]1978年5月 三浦製作所が三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業株式会社に変更

同じ1978年7月、メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始し[18]、ボイラ周辺の事業多角化に着手した。後年『アクア事業』『環境事業』『ランドリー事業』『食品機器』『メディカル機器』と整理される多軸事業の起点が、1970年代後半に既に播かれていた。1981年5月には額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を再び『三浦工業』に変更[19]、額面変更目的の組織変更を経て、上場準備の体裁を整えた。創業から54年、法人化から22年で同社は『ボイラ専業+周辺多角化』の事業ポートフォリオを形成し終えた。

  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1978年7月 メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始
    • [19]1981年5月 額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を三浦工業に変更
  • 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1963年11月 東京営業所(東京都港区)を開設
    • [9]1965年1月 本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転
    • [10]1966年1月 名古屋営業所(名古屋市中村区)を開設
    • [11]1966年4月 大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設
    • [12]1967年5月 舶用補助ボイラの製造を開始(陸用から舶用へ製品ライン拡張)
    • [13]1970年2月 愛媛県松山市堀江町に資本金30百万円の三浦工業を設立し営業部門を分離
    • [14]1970年設立の三浦工業(営業会社)の資本金は30百万円
    • [15]1970年4月 堀江町に新工場を建設し本社も移転(宮西工場は閉鎖)
    • [16]1972年12月 三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立
    • [17]1978年5月 三浦製作所が三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業株式会社に変更
    • [18]1978年7月 メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始
    • [19]1981年5月 額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を三浦工業に変更

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三浦工業の沿革1927〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1927〜1981年精米機から小型貫流ボイラへ──松山の町工場の事業転換精麦・精米機の製造販売のため三浦製作所を創業★★
三浦製作所を法人化
小型貫流ボイラの製造を開始★★
東京営業所を開設
本社を宮西工場(宮西町)に移転
大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設
舶用補助ボイラの製造を開始
三浦工業を設立し営業部門を分離
堀江町に新工場を新設し本社も移転
メンテナンスの有料化と継続収益モデルへの転換

1972年、三浦工業の創業者・三浦保社長が、主力の小型貫流ボイラーEH型の投入に合わせ、それまで無料が常識だったメンテナンス(保守)を有料化し、保守を独立採算の収益事業に育てる方針に踏み切った経営判断。営業や代理店の猛反対を押し切り、製品とメンテナンスで継続的に稼ぐモデルを築いた。

詳細を読む
★★★
三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業に変更
メディカル機器の製造を開始★★
1982〜2013年上場・海外展開・オンラインメンテナンスの三段ロケットミウラ工業(韓国ソウル)に出資
大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 / サンケミを設立
食品加工機器の販売を開始★★
MIURA BOILER CO., LTD.(カナダ オンタリオ州)を設立
オンラインメンテナンス業務を開始★★
カナダ法人の販社としてMIURA BOILER USA INC.とMIURA BOILER WEST, INC.を米国に設立
北条工場を新設
北条工場内に三浦環境科学研究所を新設
上海三浦鍋爐有限公司(上海市)に出資
三浦マニファクチャリング・三浦マシンを設立
技術開発センターが竣工
髙橋祐二三浦工業設備(蘇州)有限公司を設立
髙橋祐二北条工場内に水処理装置・食品機器・メディカル機器の組立工場を新設
髙橋祐二MIURA MANUFACTURING AMERICAを設立
髙橋祐二MIURA SOUTH EAST ASIAを設立
髙橋祐二MIURA MANUFACTURING KOREA CO., LTD.を設立
髙橋祐二丹波工業所を子会社化
2014〜2026年業務用ランドリー・欧州・米州買収による『脱ボイラ』髙橋祐二MIURA NETHERLANDS B.V.を設立
髙橋祐二MIURA INTERNATIONAL AMERICAS INC.(ジョージア)を設立
宮内大介MLEがアイナックス稲本HD・アイナックス稲本を子会社化
宮内大介コベルコ・コンプレッサの株式49%を取得(持分法適用)★★
宮内大介JENSEN-GROUPの株式20%を取得
米田剛CERTUSS GmbH(独)を子会社化★★
米田剛CBE ENTERPRISES, INC.とThe Cleaver-Brooks Companyを子会社化★★
出典・参考

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