1950年〜 林内製作所の創業──戦後復興期のガス燃焼器メーカーの起点
- 1950年 各種燃焼器具の製造販売を目的として林内製作所を設立
- 1954年 東京営業所を開設
- 1957年 独シュバンク社との技術提携による赤外線ガスバーナー事業への参入 年商の2割にあたる特許料を払って外国の燃焼方式を買うか、自前で追いつくのを待つか
- 1957年 赤外線ガスバーナーの製造販売を開始
- 1957年 ガスストーブなど各種焼物器を開発
- 1960年 旭工場を新設
- 1964年 大口工場を新設
商号「林内」に二つの創業家を込めた共同創業
1950年9月、名古屋市中川区福住町において、内藤秀次郎氏と林兼吉氏が各種燃焼器具の製造販売を目的として 株式会社林内製作所 を資本金100万円で設立した。商号「林内」は両創業者の姓「内藤」「林」を組み合わせたもので、創業時点から二つの創業家が共同で経営を担う枠組みが商号自体に埋め込まれている。設立地の名古屋市中川区福住町は、現在に至るまで本社所在地として変わらない。資本金100万円の小規模製造業として、戦後復興期の家庭・業務用ガス機器の需要を取り込むことを狙った地方零細製造業の出発にあたる。 [1][2][3]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1950年9月 名古屋市中川区福住町で株式会社林内製作所を資本金100万円で設立
- [3]商号「林内」は内藤・林の両姓を組み合わせたもの
- リンナイ 会社沿革(公式)
- [2]創業者は内藤秀次郎と林兼吉の2名(共同創業)
戦後の日本のガス機器市場は、都市ガスインフラの整備と並行してガスコンロ・ガス湯沸器・各種燃焼器具の需要が立ち上がる過程にあり、林内製作所はこの黎明期に各種燃焼器具の専業として参入した。創業者の内藤秀次郎氏が燃焼技術開発を、林兼吉氏が生産・経営を担う役割分担が初期から定着し、この 内藤家=技術 / 林家=経営 の構造は、現任の内藤弘康社長(共同創業者・内藤秀次郎氏の孫)と林謙治会長(共同創業者・林家系譜)の組み合わせまで続く。1954年8月には東京営業所(現・関東支社)を開設し、創業から 4 年で首都圏へ営業網を広げた。 [4][5][6]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1954年8月 東京営業所(現・関東支社)を開設
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【役員の状況】
- [5]現任は内藤弘康社長と林謙治会長(社長=内藤家/会長=林家の組み合わせ)
- リンナイ 会社沿革(公式)
- [6]内藤家=技術/林家=経営という創業時の役割分担
1957年12月、ドイツの シュバンク社(Schwank GmbH)と技術提携 し、赤外線ガスバーナーの製造販売を開始した。シュバンク社は赤外線ガスバーナー分野の世界的先駆メーカーで、この提携によって林内製作所はガス燃焼器具メーカーから燃焼制御技術を持つ専業メーカーへ移行した。赤外線ガスバーナーの応用により、ガスストーブや焼肉用焼物器を開発し、製品ラインを家庭暖房・調理機器へ広げた。創業 7 年目にしてドイツ企業の先端技術を導入したこの判断は、リンナイの技術系譜に燃焼制御を中核ノウハウとして据え、後年の水素100%燃焼技術へつながる蓄積の最初の補強となった。 [7][8][9]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [7]1957年12月 シュバンク社(独)と技術提携し赤外線ガスバーナーを製造販売
- [9]赤外線ガスバーナーの応用でガスストーブ・焼肉用焼物器を開発
- リンナイ 会社沿革(公式)
- [8]提携先はドイツのシュバンク社(Schwank)。ただし正式法人格「GmbH」の表記までは公式沿革・技術年表では確認できず
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1950年9月 名古屋市中川区福住町で株式会社林内製作所を資本金100万円で設立
- [3]商号「林内」は内藤・林の両姓を組み合わせたもの
- [4]1954年8月 東京営業所(現・関東支社)を開設
- [7]1957年12月 シュバンク社(独)と技術提携し赤外線ガスバーナーを製造販売
- [9]赤外線ガスバーナーの応用でガスストーブ・焼肉用焼物器を開発
- リンナイ 会社沿革(公式)
- [2]創業者は内藤秀次郎と林兼吉の2名(共同創業)
- [6]内藤家=技術/林家=経営という創業時の役割分担
- [8]提携先はドイツのシュバンク社(Schwank)。ただし正式法人格「GmbH」の表記までは公式沿革・技術年表では確認できず
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【役員の状況】
- [5]現任は内藤弘康社長と林謙治会長(社長=内藤家/会長=林家の組み合わせ)
中京 4 拠点と電子制御内製がもたらした垂直統合
1960年12月、愛知県尾張旭市に 旭工場(現・旭事業所) を新設し、本社近接地域に主力生産拠点を据えた。1964年10月には愛知県丹羽郡大口町に大口工場、1967年9月に同じく大口町に技術センターを新設し、創業から 17 年で名古屋市内の本社・尾張旭市の旭工場・大口町の大口工場と技術センターの中京 4 拠点が揃った。生産拠点を本社周辺の愛知県内に集め、研究開発の技術センターを生産拠点と隣接配置する技術と現場の近接性は、当時の中堅機械メーカーとしては前に出た配置にあたり、リンナイがその後も国内生産・開発を中京圏に固める原型となった。 [10][11][12]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1960年12月 愛知県尾張旭市に旭工場(現・旭事業所)を新設
- [11]1964年10月 愛知県丹羽郡大口町に大口工場を新設
- [12]1967年9月 愛知県丹羽郡大口町に技術センターを新設
1971年1月、 アール・ビー・コントロールズ㈱(現・連結子会社)を設立 し、ガス機器の電子制御部品の内製化を始めた。当時のガス機器はメカ部品中心の設計だったが、内藤家=技術の系譜を引くリンナイは電子制御化が進む業界変化を見越し、制御部品をグループ内に取り込む垂直統合に動いた。後年のガス機器がマイコン制御と安全装置を中核とする構造へ変化していく流れに対し、20 年早く部品基盤を整えた判断にあたる。シュバンク社から得た燃焼制御技術と、自前で持つ電子制御部品とを組み合わせる体制を、創業から 20 年余りで築いた点に、技術を内に抱える経営の特徴が表れている。 [13]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [13]1971年1月 アール・ビー・コントロールズ㈱(現・連結子会社)を設立、電子制御部品の内製化を開始
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1960年12月 愛知県尾張旭市に旭工場(現・旭事業所)を新設
- [11]1964年10月 愛知県丹羽郡大口町に大口工場を新設
- [12]1967年9月 愛知県丹羽郡大口町に技術センターを新設
- [13]1971年1月 アール・ビー・コントロールズ㈱(現・連結子会社)を設立、電子制御部品の内製化を開始
カタカナ商号と最初の現地法人を豪州に置いた狙い
1971年8月、商号を 林内製作所からリンナイ株式会社へ変更 した。「林内」は両創業家の姓に由来する漢字表記だったが、カタカナのリンナイへ移すことで、海外で通用するブランド表記へ切り替えた。その意図は同年11月の オーストラリア進出(リンナイオーストラリア㈱設立) に表れる。創業から 21 年目にして初の海外現地法人を、しかも英語圏のオーストラリアに置く判断は、当時の中堅ガス機器メーカーとしては野心的な一歩だった。漢字商号からカタカナ商号への変更と海外初進出が同じ1971年に重なった点に、海外を視野に入れた経営への切り替えが見て取れる。 [14][15]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1971年8月 商号を林内製作所からリンナイ株式会社へ変更
- [15]1971年11月 オーストラリアにリンナイオーストラリア㈱を設立(海外初の現地法人)
オーストラリアは家庭用湯沸器がタンク式から瞬間式へ転換する途中にあり、市場特性が日本に近い一方、英語圏で欧米市場の試験場として使いやすい立地を持つ。リンナイはこの特性に着目し、最初の現地法人を韓国や米国でなく英語圏オーストラリアに据える順序を選んだ。タンク式から瞬間式への転換という日本と似た需要構造を持つ市場で製品を磨きながら、英語圏での事業運営の経験を積む狙いがあった。商号の国際化と豪州進出は同じ年に重なり、1974年の北米・韓国進出へつながる海外展開の最初の足場となった。 [16]
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [16]1974年の北米・韓国進出(オーストラリア進出に続く海外展開)
- リンナイ 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
- [14]1971年8月 商号を林内製作所からリンナイ株式会社へ変更
- [15]1971年11月 オーストラリアにリンナイオーストラリア㈱を設立(海外初の現地法人)
- [16]1974年の北米・韓国進出(オーストラリア進出に続く海外展開)