三浦工業の歴史
沿革
1927年に三浦保氏の父が愛媛県松山市で興した精麦・精米機の三浦製作所が起源。
1960年に小型貫流ボイラへ主力を移行し、1989年にはオンラインメンテナンスを始めて保守を収益源に育てた。2024年に北米のCleaver-Brooksを取得し、売上の半分を海外が占めるボイラメーカーである。
1927年〜松山での三浦製作所の創業と精麦・精米機の製造
- 精麦・精米機の製造販売のため三浦製作所を創業[3]
- 売上高
筆者所見
三浦製作所の出発点は、技術の構想ではなく、家業を失った一家が生き残るための転業だった。不況で家業の米屋がつぶれ、父は1927年12月に松山市で精麦・精米機の製造販売を始めた[1][2]。終戦とともに事業を継いだ三浦保氏は、大手機械メーカーでの勤務を経て、妻を含む5人で再出発した[2]。精米機の需要は地域の農家に限られ、松山の町工場が全国へ出る道筋はまだ見えていなかった。大手の工場を知る後継者の目が、精米機の先にある製品を求める素地になった。
- [1]三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [2]日経ビジネス 1994年2月14日号「有訓無訓 先見性と早耳は違う」(三浦保)
1959年〜小型貫流ボイラの製造開始と三浦工業設立による営業部門の分離
- 三浦製作所を法人化[3]
- 小型貫流ボイラの製造を開始[3]
- 東京営業所を開設[3]
- 本社を宮西工場(宮西町)に移転[3]
- 名古屋営業所を開設[3]
- 大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設[4]
- 舶用補助ボイラの製造を開始[3]
- 三浦工業を設立し営業部門を分離[3]
- 堀江町に新工場を建設し本社も移転[4]
筆者所見
小型貫流ボイラへの転換で問われたのは、製品の出来より、松山の工場から全国の顧客へどう届けるかだった。1960年10月に小型貫流ボイラの製造を始めた後、1963年に東京、1966年に名古屋と大阪へ営業所を開設した[3][4]。1970年2月には三浦工業を設立し、営業部門を製造から切り離した[3]。販売を別会社に分けた体制は、工場の都合より顧客の現場を起点に動く営業の組織を生んだ。顧客の設備を回る営業の網が、保守を商品として売る前提を整えた。
- [3]有価証券報告書(2026年6月19日)
- [4]有価証券報告書
1972年〜メンテナンス有料化と大証二部上場
- EH型発売とメンテ有料化[5]
- 愛媛県西予市に三浦工機を設立[3]
- 三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業に変更[3]
- メディカル機器の製造を開始[5]
- 額面変更のためミウラ産業と合併し三浦工業に商号変更[3]
- 川内工場(愛媛県東温市)を新設[3]
- ミウラ工業(韓国ソウル)に出資[4]
- 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 / サンケミを設立[5]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[3]
- 食品加工機器の販売を開始[3]
- MIURA BOILER CO., LTD.(カナダ オンタリオ州)を設立[3]
- 台北市に三浦鍋爐股份有限公司を設立[3]
筆者所見
保守の有料化の意味は、売上を足したことより、技術の差がつきにくい小型ボイラで大手の参入を退ける壁を築いた点にある。1972年、主力のEH型の発売に合わせてメンテナンスを有料化した[5]。保守の契約は顧客との接点を常に保ち、ボイラの更新の時期にも他社が入り込む余地を狭めた。1978年7月にはメディカル機器の製造を始め、ボイラ以外へ製品を広げた[5]。保守が生む安定した収入が、隣接する製品へ投資する原資を支えた。
- [5]日経ビジネス「小型ボイラーで20%成長の三浦工業」(日経マグロウヒル社)(1981年11月16日)
1989年〜オンラインメンテナンスとCleaver-Brooks買収による海外拡大
- オンラインメンテナンス業務を開始[3]
- カナダ法人の販社としてMIURA BOILER USA INC.とMIURA BOILER WEST, INC.を米国に設立[4]
- 北条工場を新設[4]
- 北条工場内に三浦環境科学研究所を新設[3]
- 上海三浦鍋爐有限公司(上海市)に出資[3]
- 三浦マニファクチャリング・三浦マシンを設立[3]
- 三浦高輪ビルが完成、東京支店を移転[3]
- 技術開発センターが竣工[3]
- 三浦工業設備(蘇州)有限公司を設立[4]
- 北条工場内に水処理装置・食品機器・メディカル機器の組立工場を新設[3]
- MIURA MANUFACTURING AMERICAを設立[4]
- MIURA SOUTH EAST ASIAを設立[4]
- 北条工場内に水処理製品生産工場を新設[3]
- MIURA MANUFACTURING KOREA CO., LTD.を設立[4]
- メキシコにMIURA BOILER MEXICOを設立[3]
- 丹波工業所を子会社化[3]
- PT. MIURA INDONESIAが西ジャワ州に工場を新設[3]
- タイにMIURA INDUSTRIES (THAILAND)を設立[3]
- MIURA NETHERLANDS B.V.を設立[4]
- MIURA INTERNATIONAL AMERICAS INC.(ジョージア)を設立[3]
- MLEがアイナックス稲本HD・アイナックス稲本を子会社化[4]
- 北日本ボイラの全株式を取得し子会社化[3]
- コベルコ・コンプレッサの株式49%を取得(持分法適用)[3]
- バングラデシュにMIURA BANGLADESHを設立[3]
- JENSEN-GROUPの株式20%を取得[3]
- CERTUSS GmbH(独)を子会社化[3]
- CBE ENTERPRISES, INC.とThe Cleaver-Brooks Companyを子会社化[4]
- 菱冷環境エンジニアリングの全株式を取得し子会社化[3]
- フィリピンにMIURA PHILIPPINESを設立[3]
筆者所見
1989年以降の三浦工業は、国内で築いた保守の型を、通信と買収で外へ広げた。1989年2月にオンラインメンテナンス業務を始めた[3]。遠隔で稼働を把握するしくみは、巡回に依存していた有料保守を、拠点の数に縛られない事業へ変えた。2024年5月にはCBE ENTERPRISES, INC.とThe Cleaver-Brooks Companyを子会社化した[4]。販社の新設から顧客基盤の買収へ転換し、海外で保守の母数を一挙に増やす局面を迎えた。
- [3]有価証券報告書(2026年6月19日)
- [4]有価証券報告書