1927年〜 精米機から小型貫流ボイラへ──松山の町工場の事業転換
三浦工業の業績推移:単体
- 1927年 精麦・精米機の製造販売のため三浦製作所を創業
- 1959年 三浦製作所を法人化
- 1960年 小型貫流ボイラの製造を開始
- 1963年 東京営業所を開設
- 1965年 本社を宮西工場(宮西町)に移転
- 1972年 メンテナンスの有料化と継続収益モデルへの転換 なぜ三浦工業は「アフターサービスはタダ」の常識を破り、保守を収益事業に育てたのか
- 1978年 メディカル機器の製造を開始
三浦保の創業──精麦・精米機の町工場と、戦後復興期の事業再構想
1927年12月、三浦保が愛媛県松山市で「三浦製作所」を創業した。当時の事業は精麦・精米機の製造販売で、戦前期の地方零細製造業として典型的な町工場規模の出発である。三浦保は1928年12月13日生まれ(厳密には創業当時の名義人と現法人登記の代表者の関係は史料により異なる)の創業者として、戦後の食糧難から食糧潤沢化へ移る時代の精米機需要を起点に経営の足場を組んだ。創業から30年余り、個人事業として精米機の修理と販売を続けた後の1959年5月、愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で「株式会社三浦製作所」を法人化した。代表取締役社長に就任した三浦保が、現行の三浦工業の起点となる法人組織を立ち上げた。 [1][2][3][4]
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [1]1927年12月 三浦保が愛媛県松山市で三浦製作所を創業(精麦・精米機の製造販売)
- [2]創業者は三浦保
- [3]1959年5月 愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で株式会社三浦製作所を法人化(代表取締役社長 三浦保)
- [4]1959年法人設立時の資本金は200万円
法人化の翌年、1960年10月に小型貫流ボイラの製造を開始した。精麦・精米機からボイラ事業への転換であり、現在に至る同社の主力事業の出発点である。「世界一安くて良いボイラを創ろう」のスローガン(後に同社の社是として継承)が示す通り、貫流ボイラに事業を絞り込む選択は、戦後復興期から高度経済成長期に向かう日本の産業熱源需要を見据えた読みに基づく。同時期、日本の産業用ボイラ市場は丸ボイラ(炉筒煙管ボイラ)が主流であり、小型貫流ボイラは「特殊な代物」というニッチ製品の位置付けにあった。三浦保はこのニッチに会社の生存を賭けた。 [5]
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [5]1960年10月 小型貫流ボイラの製造を開始(精麦・精米機からボイラ事業へ転換)
三浦保は1983年2月の証券アナリストジャーナルに掲載された講演録で「当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた」と述べ、「この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した」と続けた。1960年の事業化開始から数えて20数年、同業他社が撤退・転向するなかで小型貫流ボイラ一本に絞り込む経営判断を貫いた結果、当初60〜70%だった熱効率は90%を保証する水準まで達したという。 [6][7]
- [6]三浦保(三浦工業社長)が1983年1月11日の講演で「当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた」「この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した」と述べた
- [7]三浦保は同講演で、1960年の事業化当初20数年前の60〜70%だった小型貫流ボイラの熱効率が、その後90%を保証する水準まで達したと述べた
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [1]1927年12月 三浦保が愛媛県松山市で三浦製作所を創業(精麦・精米機の製造販売)
- [2]創業者は三浦保
- [3]1959年5月 愛媛県松山市宮田町に資本金200万円で株式会社三浦製作所を法人化(代表取締役社長 三浦保)
- [4]1959年法人設立時の資本金は200万円
- [5]1960年10月 小型貫流ボイラの製造を開始(精麦・精米機からボイラ事業へ転換)
- [6]三浦保(三浦工業社長)が1983年1月11日の講演で「当社は発足以来一貫して、小型貫流ボイラーを手掛けてきた」「この小型貫流ボイラーに20数年間、一途に取り組んできたのは当社だけだ。当社より先に手がけた企業はあったが、途中で挫折したり、別の種類のボイラーへ転向した」と述べた
- [7]三浦保は同講演で、1960年の事業化当初20数年前の60〜70%だった小型貫流ボイラの熱効率が、その後90%を保証する水準まで達したと述べた
営業網の全国展開と、舶用ボイラ・メディカル機器への染み出し
1963年11月に東京営業所(東京都港区)を、1965年1月には本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転、1966年1月に名古屋営業所(名古屋市中村区)、同年4月に大阪営業所(大阪市東淀川区)と、創業地・松山を起点に首都圏・中部・関西の三大都市圏へ営業網を順次拡張した。1967年5月には舶用補助ボイラの製造を開始し、陸用ボイラ専業から舶用へ製品ラインを拡張した。当時の貫流ボイラは「丸ボイラに比べて圧倒的な省スペース・省燃料・短時間立上げ」という特性を持っていたが、業界の標準は依然として丸ボイラだった。同社はこの特性を「燃料費削減・顧客の蒸気立上げ時間短縮」という具体的な顧客便益として営業現場で訴求し、創業から10年で「松山の地方ボイラメーカー」から「全国営業網を持つボイラ専業」へ事業規模を引き上げた。 [8][9][10][11][12]
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [8]1963年11月 東京営業所(東京都港区)を開設
- [9]1965年1月 本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転
- [10]1966年1月 名古屋営業所(名古屋市中村区)を開設
- [11]1966年4月 大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設
- [12]1967年5月 舶用補助ボイラの製造を開始(陸用から舶用へ製品ライン拡張)
1970年2月、愛媛県松山市堀江町に資本金30百万円の「三浦工業」を設立し、営業部門を分離した。同年4月には堀江町に新工場を建設、本社・本社工場体制を堀江町へ集約させた(宮西工場は閉鎖)。1970年4月時点の三浦工業は、現在の本体組織の前身として位置付けられる。1972年12月には三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立してグループ会社網を広げ、1978年5月、三浦製作所が三浦工業を吸収合併し、商号を「三浦工業株式会社」に変更、本体と営業会社の合併・統合を完遂した。本体一体化により、製造と営業を一気通貫で運営する単一法人の構造が固まった。 [13][14][15][16][17]
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [13]1970年2月 愛媛県松山市堀江町に資本金30百万円の三浦工業を設立し営業部門を分離
- [14]1970年設立の三浦工業(営業会社)の資本金は30百万円
- [15]1970年4月 堀江町に新工場を建設し本社も移転(宮西工場は閉鎖)
- [16]1972年12月 三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立
- [17]1978年5月 三浦製作所が三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業株式会社に変更
同じ1978年7月、メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始し、ボイラ周辺の事業多角化に着手した。後年「アクア事業」「環境事業」「ランドリー事業」「食品機器」「メディカル機器」と整理される多軸事業の起点が、1970年代後半に既に播かれていた。1981年5月には額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を再び「三浦工業」に変更、額面変更目的の組織変更を経て、上場準備の体裁を整えた。創業から54年、法人化から22年で同社は「ボイラ専業+周辺多角化」の事業ポートフォリオを形成し終えた。 [18][19]
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [18]1978年7月 メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始
- [19]1981年5月 額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を三浦工業に変更
- 三浦工業 有価証券報告書【沿革】
- [8]1963年11月 東京営業所(東京都港区)を開設
- [9]1965年1月 本社を松山市宮田町から宮西町の宮西工場へ移転
- [10]1966年1月 名古屋営業所(名古屋市中村区)を開設
- [11]1966年4月 大阪営業所(大阪市東淀川区)を開設
- [12]1967年5月 舶用補助ボイラの製造を開始(陸用から舶用へ製品ライン拡張)
- [13]1970年2月 愛媛県松山市堀江町に資本金30百万円の三浦工業を設立し営業部門を分離
- [14]1970年設立の三浦工業(営業会社)の資本金は30百万円
- [15]1970年4月 堀江町に新工場を建設し本社も移転(宮西工場は閉鎖)
- [16]1972年12月 三浦工機株式会社(愛媛県西予市)を設立
- [17]1978年5月 三浦製作所が三浦工業を吸収合併し商号を三浦工業株式会社に変更
- [18]1978年7月 メディカル機器(医療用滅菌器など)の製造を開始
- [19]1981年5月 額面金額変更のためミウラ産業に吸収合併され商号を三浦工業に変更