1924年に大阪砲兵工廠の元工場長であった山田晃が40歳で官を辞して独立[1]し、従業員15名未満の合資会社大阪金属工業所を大阪の難波新川に設立した[2]のがダイキン工業の源流となった[3]。工廠時代の蓄積を活かして事業を開始した創業期は飛行機用ラジエーターチューブの製造から始まった[4]が、事業は思うように拡大せず苦しい船出が続くこととなった。工廠時代の元上司の推挙によって陸軍指定工場の地位を獲得することで砲弾の量産受注が得られるようになり[5]、戦前期の軍需拡大の波に乗って急成長を遂げていく軍需ベンチャーとしての企業性格を持つに至った。兵器部品の優秀さは工廠にも認められて満州兵工廠との取引[6]へと広がり、当時の同社は満州貿易の開拓者と評されるまでになった。砲弾と飛行機部品の製造という初期の事業基盤は、当時の日本経済における軍需依存の構造をそのまま体現する形で発展した。
1933年には技術顧問として招いていた退役海軍少将の太田十男が、米海軍の潜水艦に新冷媒フレオンガスが採用されたという新聞記事に鋭敏に着目し、ダイキンにフロンの研究を進めることを経営会議で強く進言した[7]ことが、その後の企業の性格を根本から変える決定的な転機となった。冷凍機への足がかりはすでにあり、フロンに先立って今日のダイキン冷凍機の母体となるメチールクロライド冷凍機をミフジレーターの商標で世に出していた[8]。砲弾の金属加工業者が全く未知の化学プラント分野に踏み込むという技術的に困難な跳躍であり、社内の化学技術者はごく少数にとどまり設備も限られていたが、山田晃は太田の進言を採用してフロン研究を本格化させ[9]、1935年に国内初のフロン生産に成功するという歴史的な成果を挙げるに至った[10]。フロン事業は将来の空調事業の化学的基盤となり、軍需依存からの脱却に向けた最初の種がこの時点で蒔かれた。
合資会社として基礎を固めた大阪金属工業所には、その動向に早くから注目していた住友金属から出資して援助したいとの申し入れがあり、将来の発展と信用を期して山田晃氏はこれを受け、以後は住友の系列に入って住友金属との関係を深めた[11]。1934年2月11日には資本金100万円をもって新たに大阪金属工業株式会社が設立され[12]、合資会社からの法人化が実現した。同社はこの日を会社の創業日と定め、これがダイキン工業にとって第二[13]の出発点となった。さらに1938年には大阪金属工業が合資会社を吸収合併して資本金150万円とし[14]、戦後の1953年には本社を現在地へ移して資本金2億7000万円の近代企業として再発足した[15]。財閥資本を呼び込みながらも経営の主体を手放さなかった法人化の歩みが、軍需から空調への転身を支える資本基盤となった。
終戦によって軍需が失われたダイキンは[16]主要製品を失って深刻な経営危機に直面し、戦後復興期の民需転換に苦しむなかで無配転落という厳しい状況を経験した。1950年に勃発した朝鮮戦争をきっかけに米軍から81ミリ迫撃砲弾の受注機会が突如として到来した[17]が、社内では戦争特需に再び依存することへの慎重論が根強く存在していた。山田社長は『万難を排して受注せよ』との強い号令を下して特需受注に積極的に踏み込む経営判断を断行し、無配転落の経営危機から短期間で脱却した。朝鮮戦争特需で得られた貴重な資金を砲弾生産に再投資するのではなく、冷凍機・空調機・フロンという平時の民需分野へと戦略的に集中投下する経営判断が、戦後ダイキンの方向を決定づけた。
1960年代から1970年代にかけてのダイキンは業務用空調機とルームエアコンの両方を手がける総合空調メーカーとしての体制を整え[18]、砲弾メーカーから空調メーカーへの企業性格の根本的な転換を完遂した。金岡工場を中心とする国内生産拠点の整備と国内販売網の段階的な構築を進めつつ[19]、フロン事業から業務用空調・家庭用空調への事業の重心シフトを戦略化し、やがて空調専業メーカーとしての独自の地位を国内市場のなかで築いた。軍需ベンチャーとしての創業から朝鮮特需を経て空調メーカーへと転身していく戦略的な転換の連鎖こそが、後のグローバル空調メーカーへと飛躍していくための歴史的な土台を形成した。
1960年代に入るとクーラーは電機各社が冷蔵庫の次に普及すると見込んだ商品となり[20]、大阪金属工業はその市場で3割近い占有率を握る首位級の地位を占めていた[21]。堺工場の増築に19億円を投じてクーラーの総合工場を建てる計画を進めながら、1962年の夏に向けた設備投資はいったん繰り延べて同年秋の完成を待つ判断を取り[22]、需要の立ち上がりを見極めつつ生産能力を広げた。フロン式冷凍機を国内で最初に製品化した専門メーカーとしての実績は販売面でも働き、工事まで担える代理店を全国350社の規模で組織するに至り[23]、1961年11月期には売上高105億円のうち冷暖房部門が63億円と6割を占めるまでに事業構成が入れ替わった[24]。ビルの冷房が広がるにつれて冷えすぎによる体調不良への注意が新聞で呼びかけられるようになり[25]、空調は一般の生活に入り込む商品へと変わりつつあった。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/6367/manifest.json https://the-shashi.com/api/6367/history.json https://the-shashi.com/api/6367/timeline.json https://the-shashi.com/api/6367/executives.json https://the-shashi.com/api/6367/shareholders.json https://the-shashi.com/api/6367/financials.json https://the-shashi.com/api/6367/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/6367/segments.json https://the-shashi.com/api/6367/regions.json https://the-shashi.com/api/6367/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1924〜1970年軍需企業から空調メーカーへの戦略的転身 | 大阪金属工業所を設立 | ★ | ||
| 山田晃 | 大阪金属工業を設立。住友と資本提携 | ★ | ||
| 山田晃 | フロンの開発に成功 | ★★ | ||
| 山田晃 | 堺製作所を新設 | ★ | ||
| 山田晃 | 淀川製作所を新設 | ★ | ||
| 山田晃 | 敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇 | ★★ | ||
| 山田晃 | 大阪証券取引所に上場 | ★ | ||
| 山田晃 | 迫撃砲弾199万発を米軍から受注 | ★★★ | ||
| 山田晃 | 三フッ化樹脂を開発し発売 | ★ | ||
| 山田晃 | 東京証券取引所に上場 | ★ | ||
| 山田晃 | ルームエアコン事業に参入 | ★ | ||
| 山田晃 | 社名を「ダイキン工業」に変更 | ★ | ||
| 1971〜2005年国内事業の確立とアジア・欧州への段階的海外展開 | 山田稔 | ベルギーに欧州拠点ダイキンヨーロッパを設立 | ★ | |
| 山田稔 | 空調事業の販社を設立 | ★ | ||
| 山田稔 | 経常赤字23億円に転落。700名を人員整理 | ★★ | ||
| 山田稔 | 電子技術センターを新設 | ★ | ||
| 山田稔 | 長期経営計画「ビジョン60」を開始 | ★ | ||
| 山田稔 | ココム違反により家宅捜索へ | ★★ | ||
| 山田稔 | 新冷媒(代替フロン)HFC32プラントを完成 | ★ | ||
| 井上礼之 | 空調抜本的改革計画を立案 | ★★★ | ||
| 井上礼之 | 中国展開を本格化。高価格帯エアコンの販売網を強化 | ★★★ | ||
| 井上礼之 | 製造販売に本格投資・買収で販売網を形成 | ★★ | ||
| 井上礼之 | パナソニックと業務提携契約を締結 | ★ | ||
| 北井啓之 | トレーンと包括的グローバル戦略提携に合意 | ★★ | ||
| 2006〜2023年グローバル空調メーカーへの飛躍とM&A | 岡野幸義 | OYL社を買収 | ★★ | |
| 岡野幸義 | 中国格力とインバータエアコンで業務提携を締結 | ★ | ||
| 岡野幸義 | ロテックスを買収し子会社化 | ★ | ||
| 岡野幸義 | 15年ぶりの減収減益へ | ★ | ||
| 十河政則 | R32冷媒の空調機特許を新興国向けに無償開放 | ★★★ | ||
| 十河政則 | 十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任 | ★ | ||
| 十河政則 | Goodmanを買収 | ★★★ | ||
| 十河政則 | 新冷媒R32を採用したルームエアコンを発売 | ★ | ||
| 十河政則 | 欧州AHTクーリングシステムズを買収 | ★ | ||
| 十河政則 | 戦略売価施策を実行 | ★ | ||
| 竹中直文 | 竹中直文氏が社長に就任(13年ぶり交代、井上礼之氏は名誉会長へ) | ★★★ | ||
| 竹中直文 | 創業100周年を迎える | ★ | ||
| 竹中直文 | エリオットの1兆円自社株買い要求と「FUSION30」の資本政策転換 2026年4月、米アクティビストのエリオット・インベストメント・マネジメントがダイキン工業株の約3%を10億ドル超で取得し、今後数年で1兆円規模の自社株買いと利益率の改善、非中核事業の見直しを要求した。ダイキンは5月に戦略経営計画FUSION30の公表とあわせ、約10年ぶりとなる3,500億円の自社株買いで応じたが、要求額との隔たりは残り、本稿の時点で決着していない。 詳細を読む | ★★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ダイキン)