ダイキンの沿革(1924〜2024年)

ダイキンの創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1924
1-12月
founding
合資会社大阪金属工業所を設立
1924年に合資会社大阪金属工業所(現在のダイキン)が設立を設立。創業者は山田晃氏(当時40歳)であり、大阪砲兵工廠の工場長を歴任した人物であったが、官僚的な組織に嫌気がさして民間企業の創業を決意したという。 創業地は大阪市内(難波新川3丁目)であり、魔法瓶の工場跡地を取得。従業員数は15名以下であり、中小企業としてスタートした。創業時は飛行機用ラジエーターチューブの製造を開始。翌1925年には満洲向けの瞬発信管30万発の受注に成功し、主に金属製品の下請け加工に従事した。 創業時は航空機部品の製造を志向したが、日本政府が戦時体制を敷くにつれて軍需品の生産を強化。創業者の山田氏が大阪砲兵工廠の出身であり、工廠時代の元上司から軍需品の生産を依頼されたことで、軍需生産を強化した。 1931年には圧搾加工品を海軍に納入し、指定工場となった。創業間もないベンチャー企業が指定工場の認定を受けるのは異例のことで、技術力が認められる形となった。 1933年には陸軍指定工場となり、薬莢・信管を陸軍に納入。このため、戦前を通じてダイキンは「砲弾を中心とした軍需品を陸軍・海軍に納入する」ビジネスを展開し、関西で有力な軍需ベンチャー企業として業容を拡大した。
15名の零細企業が軍の指定工場になれた「元上司人脈」の構造
1934
1-12月
大阪金属工業株式会社を設立。住友と資本提携
「経営権は渡さない」——財閥提携で資金だけ引き出した創業者の条件闘争
1935
1-12月
フロンの開発に成功
1933年にダイキンの技術顧問であった太田十男氏(退役海軍少将)は、米海軍において潜水艦に「フレオンガス(空調設備に必要なフロン)」が採用されたという新聞記事に着眼し、ダイキンに対してフロンの研究を依頼。ダイキンは、海軍からの依頼を受ける形でフロン式冷凍機の研究を開始した。この結果、1935年末にダイキンは国内初となるフロン生産に成功し、空調領域に新規参入した。 1936年には南海電鉄に向けて電車用冷房「ミフジレータ」を納入し、1938年には海軍の潜水艦向けに空調設備を納入。空調メーカーとして日本最先発となるとともに、空調機期と冷媒(フロンガス)の両方を生産する、金属加工業と化学プラントの両方を兼ね備える、世界的に見ても稀有な企業となった。 戦前におけるフロンは、潜水艦向けに納入された。1941年に淀川製作所においてフロンの生産を開始したが、当初は量産に苦戦。その後、1943年に年産30万トンの体制を確立するに至った。
新聞記事一本が「砲弾屋」の事業ドメインを不可逆に変えた
1945
1-12月
敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇
戦時中のダイキンは軍需企業として発展して従業員数1.6万名の大企業となったが、1945年の終戦により軍需を喪失。従業員245名を残し、ほぼ全員にあたる1.6万名を解雇した。 その後、1946年から1948年にかけて、GHQ向けの納入や民需転換を志向して従業員数1100名程度まで規模を拡大するものの、事業を軌道に乗せることができずに苦戦。1948年から1950年までに180〜250名規模の整理解雇を3回実施して企業の存続を図った。 1950年時点におけるダイキンの従業員数438名の体制であり、大規模な軍需メーカーとしての経営は行き詰まった。
FY53
1953/3
売上高
4.6億円
当期純利益
0.1億円
迫撃砲弾199万発を米軍から受注
砲弾68億円の特需が「空調メーカー・ダイキン」への業態転換資金となった
FY54
1954/3
売上高
26.1億円
当期純利益
0.9億円
FY55
1955/3
売上高
41.5億円
当期純利益
2.5億円
FY56
1956/3
売上高
30.5億円
当期純利益
1.5億円
FY57
1957/3
売上高
27.1億円
当期純利益
2.3億円
FY58
1958/3
売上高
39.4億円
当期純利益
3.8億円
ルームエアコン事業に進出
FY70
1970/3
売上高
505億円
当期純利益
20.4億円
FY71
1971/3
売上高
565億円
当期純利益
18億円
FY72
1972/3
売上高
565億円
当期純利益
11.1億円
FY73
1973/3
売上高
747億円
当期純利益
16.2億円
空調事業の販社を設立
冷房の普及(年率+20%の市場成長)に対応して、ダイキンは家庭用エアコンの専門量産工場の新設を決定。1970年に滋賀工場を新設(年産20万台)して家電メーカーとの競合に対抗した。また、ダイキンは従来から得意だった業務用(国内シェア30%)に加えて、家庭用エアコンへの本格投資を開始した。 東京西ダイキン空調と北大阪ダイキン空調の2社を設立。エアコンの営業活動を本格化
業務用シェア30%の「空調屋」が家庭用に参入した転機
FY74
1974/3
売上高
903億円
当期純利益
15.6億円
FY75
1975/3
売上高
734億円
当期純利益
7.1億円
FY76
1976/3
売上高
886億円
当期純利益
10.2億円
経常赤字23億円に転落。700名を人員整理
オイルショックによる業績低迷により、累計約700名を解雇。 余剰となった工場勤務の従業員はエアコンの販売会社に配属転換して対応した。
FY77
1977/3
売上高
957億円
当期純利益
7.5億円
FY78
1978/3
売上高
1,037億円
当期純利益
17.1億円
FY79
1979/3
売上高
1,165億円
当期純利益
34.8億円
FY80
1980/3
売上高
1,271億円
当期純利益
16.5億円
電子技術センターを新設
金岡工場内にエレクトロニクスの研究拠点設置。エレクトロニクスによる制御技術の研究を開始した。 この研究によって、ダイキンはエアコン向けのインバータの内製化で世界最先発の企業に踊り出た。
長期経営計画「ビジョン60」を開始
FY81
1981/3
売上高
1,345億円
当期純利益
16.7億円
FY82
1982/3
売上高
1,425億円
当期純利益
28.9億円
FY83
1983/3
売上高
1,621億円
当期純利益
24.7億円
FY84
1984/3
売上高
1,896億円
当期純利益
37.9億円
FY89
1989/3
ココム違反により家宅捜索へ
ソ連に軍需品としてフロン製品を輸出した疑いで、ダイキンの課長だった社員2名が逮捕。ダイキンの企業イメージが低下。 役員4名を処分へ。
FY90
1990/3
売上高
2,938億円
当期純利益
117億円
FY91
1991/3
売上高
3,440億円
当期純利益
145億円
FY92
1992/3
売上高
3,681億円
当期純利益
129億円
FY93
1993/3
売上高
3,420億円
当期純利益
54.6億円
FY94
1994/3
売上高
2,964億円
当期純利益
39.5億円
新冷媒(代替フロン)HFC32プラントを完成
オゾン層の破壊に配慮した冷媒を開発。量産体制を構築。 化学事業の再建に大きく寄与する冷媒となった。ダイキンの空調機器と冷媒の一貫生産を持続させる原動力に。
FY95
1995/3
売上高
2,974億円
当期純利益
56.9億円
空調抜本的改革計画を立案
業績低迷を打破するために改革計画を立案。3期連続赤字の商品から撤退する方針を決定。 翌1995年1月に組織改革を実施。生産・開発・販売の強化に即した組織に改編し、商品戦略会議を設置。また多角化を中止して、空調に集中投資を行う姿勢を打ち出した。
FY96
1996/3
売上高
3,229億円
当期純利益
53.7億円
FY97
1997/3
売上高
3,225億円
当期純利益
59.2億円
FY98
1998/3
売上高
4,625億円
当期純利益
54.4億円
中国展開を本格化。高価格帯エアコンの販売網を強化
後発参入の制約が「高価格帯×官公庁」という独自ポジションを生んだ
FY99
1999/3
売上高
4,643億円
当期純利益
61.9億円
FY00
2000/3
売上高
4,630億円
当期純利益
104億円
acquisition
欧州での製造販売に本格投資・買収で販売網を形成
ダイキンは1973年に欧州のベルギーに現地法人を設立していたものの、本格的な展開には至らなかった。その後、1998年からダイキンはグローバル化のために、欧州における販売の強化を決定して本格投資を開始した。 なお、ダイキンは欧州における拠点新設について、現地の販売会社(代理店)を買収する方針をとった。この理由は、ゼロベースで販売網を構築するのは難しく、国ごとに気候などの条件が違うため、ニーズをとらえるためには知見が豊富な現地販売会社の買収が適当と判断したためであったという。 1998年にドイツに販売拠点を新設したことを皮切りに、2004年までにスペイン、ポーランド、イタリア、ギリシャ、イギリス、ポーランドに拠点を相次いで新設。2003年からはチェコにおける空調機の現地生産を開始した。 ダイキンが欧州の南部を中心に拠点を新設した理由は、空調のニーズが温暖な南部(地中海周辺)に多かったためであった。加えて、地球温暖化による気温上昇も、ダイキンの空調機器の販売にとって追い風となった。
中国では自前構築、欧州では買収という参入手法の使い分け
パナソニックと包括提携契約を締結
前年に東芝が米国キャリア社と提携しており、キャリア社のグローバル展開に対抗する狙いがあった。 空調事業においてグローバル包括提携契約に調印。
FY01
2001/3
売上高
5,319億円
当期純利益
199億円
FY02
2002/3
売上高
5,387億円
当期純利益
179億円
FY03
2003/3
売上高
5,724億円
当期純利益
219億円
FY04
2004/3
売上高
6,257億円
当期純利益
286億円
FY05
2005/3
売上高
7,288億円
当期純利益
387億円
FY06
2006/3
売上高
7,928億円
当期純利益
407億円
FY07
2007/3
売上高
9,121億円
当期純利益
456億円
OYL社を買収
グローバル大手空調機器メーカーのOYL社を約2460億円で買収。 OYLは傘下のマッケイ社を通じて米国で事業展開をしており、ダイキンとしては北米を含めた海外展開に注力する方向へ。
FY08
2008/3
売上高
12,910億円
当期純利益
748億円
中国格力とインバータエアコンで業務提携を締結
FY09
2009/3
売上高
12,024億円
当期純利益
217億円
15年ぶりの減収減益へ
14期連続増収増益の記録が途絶へ。 15年ぶりの減収減益となった。
FY10
2010/3
売上高
10,239億円
当期純利益
193億円
FY11
2011/3
売上高
11,603億円
当期純利益
198億円
FY12
2012/3
売上高
12,187億円
当期純利益
411億円
FY13
2013/3
売上高
12,909億円
当期純利益
435億円
acquisition
米Goodmanを買収
2960億円で「6万店のディーラー網」を買ったが収益化に苦戦した北米攻略
新冷媒R32を採用したルームエアコンを発売
新冷媒R32の本格展開を開始。 第一弾として「うるさら7Rシリーズ」としてルームエアコン向けに展開。
FY14
2014/3
売上高
17,876億円
当期純利益
927億円
FY15
2015/3
売上高
19,150億円
当期純利益
1,196億円
十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任
十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任。 井上礼之氏は代表取締役会長兼任CEOへ。
FY16
2016/3
売上高
20,436億円
当期純利益
1,369億円
FY17
2017/3
売上高
20,439億円
当期純利益
1,539億円
FY18
2018/3
売上高
22,905億円
当期純利益
1,890億円
FY19
2019/3
売上高
24,811億円
当期純利益
1,890億円
FY20
2020/3
売上高
25,503億円
当期純利益
1,707億円
戦略売価施策を実行
世界的なインフレに対応して平均4〜5%の値上げを実施。 利益を確保した。
FY21
2021/3
売上高
24,933億円
当期純利益
1,562億円
FY22
2022/3
売上高
31,091億円
当期純利益
2,177億円
FY23
2023/3
売上高
39,815億円
当期純利益
2,577億円
FY24
2024/3
売上高
43,953億円
当期純利益
2,603億円
  1. founding
    合資会社大阪金属工業所を設立

    1924年に合資会社大阪金属工業所(現在のダイキン)が設立を設立。創業者は山田晃氏(当時40歳)であり、大阪砲兵工廠の工場長を歴任した人物であったが、官僚的な組織に嫌気がさして民間企業の創業を決意したという。 創業地は大阪市内(難波新川3丁目)であり、魔法瓶の工場跡地を取得。従業員数は15名以下であり、中小企業としてスタートした。創業時は飛行機用ラジエーターチューブの製造を開始。翌1925年には満洲向けの瞬発信管30万発の受注に成功し、主に金属製品の下請け加工に従事した。 創業時は航空機部品の製造を志向したが、日本政府が戦時体制を敷くにつれて軍需品の生産を強化。創業者の山田氏が大阪砲兵工廠の出身であり、工廠時代の元上司から軍需品の生産を依頼されたことで、軍需生産を強化した。 1931年には圧搾加工品を海軍に納入し、指定工場となった。創業間もないベンチャー企業が指定工場の認定を受けるのは異例のことで、技術力が認められる形となった。 1933年には陸軍指定工場となり、薬莢・信管を陸軍に納入。このため、戦前を通じてダイキンは「砲弾を中心とした軍需品を陸軍・海軍に納入する」ビジネスを展開し、関西で有力な軍需ベンチャー企業として業容を拡大した。

    15名の零細企業が軍の指定工場になれた「元上司人脈」の構造
  2. 大阪金属工業株式会社を設立。住友と資本提携
    「経営権は渡さない」——財閥提携で資金だけ引き出した創業者の条件闘争
  3. フロンの開発に成功

    1933年にダイキンの技術顧問であった太田十男氏(退役海軍少将)は、米海軍において潜水艦に「フレオンガス(空調設備に必要なフロン)」が採用されたという新聞記事に着眼し、ダイキンに対してフロンの研究を依頼。ダイキンは、海軍からの依頼を受ける形でフロン式冷凍機の研究を開始した。この結果、1935年末にダイキンは国内初となるフロン生産に成功し、空調領域に新規参入した。 1936年には南海電鉄に向けて電車用冷房「ミフジレータ」を納入し、1938年には海軍の潜水艦向けに空調設備を納入。空調メーカーとして日本最先発となるとともに、空調機期と冷媒(フロンガス)の両方を生産する、金属加工業と化学プラントの両方を兼ね備える、世界的に見ても稀有な企業となった。 戦前におけるフロンは、潜水艦向けに納入された。1941年に淀川製作所においてフロンの生産を開始したが、当初は量産に苦戦。その後、1943年に年産30万トンの体制を確立するに至った。

    新聞記事一本が「砲弾屋」の事業ドメインを不可逆に変えた
  4. 敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇

    戦時中のダイキンは軍需企業として発展して従業員数1.6万名の大企業となったが、1945年の終戦により軍需を喪失。従業員245名を残し、ほぼ全員にあたる1.6万名を解雇した。 その後、1946年から1948年にかけて、GHQ向けの納入や民需転換を志向して従業員数1100名程度まで規模を拡大するものの、事業を軌道に乗せることができずに苦戦。1948年から1950年までに180〜250名規模の整理解雇を3回実施して企業の存続を図った。 1950年時点におけるダイキンの従業員数438名の体制であり、大規模な軍需メーカーとしての経営は行き詰まった。

  5. 迫撃砲弾199万発を米軍から受注
    砲弾68億円の特需が「空調メーカー・ダイキン」への業態転換資金となった
  6. ルームエアコン事業に進出
  7. 空調事業の販社を設立

    冷房の普及(年率+20%の市場成長)に対応して、ダイキンは家庭用エアコンの専門量産工場の新設を決定。1970年に滋賀工場を新設(年産20万台)して家電メーカーとの競合に対抗した。また、ダイキンは従来から得意だった業務用(国内シェア30%)に加えて、家庭用エアコンへの本格投資を開始した。 東京西ダイキン空調と北大阪ダイキン空調の2社を設立。エアコンの営業活動を本格化

    業務用シェア30%の「空調屋」が家庭用に参入した転機
  8. 経常赤字23億円に転落。700名を人員整理

    オイルショックによる業績低迷により、累計約700名を解雇。 余剰となった工場勤務の従業員はエアコンの販売会社に配属転換して対応した。

  9. 電子技術センターを新設

    金岡工場内にエレクトロニクスの研究拠点設置。エレクトロニクスによる制御技術の研究を開始した。 この研究によって、ダイキンはエアコン向けのインバータの内製化で世界最先発の企業に踊り出た。

  10. 長期経営計画「ビジョン60」を開始
  11. ココム違反により家宅捜索へ

    ソ連に軍需品としてフロン製品を輸出した疑いで、ダイキンの課長だった社員2名が逮捕。ダイキンの企業イメージが低下。 役員4名を処分へ。

  12. 新冷媒(代替フロン)HFC32プラントを完成

    オゾン層の破壊に配慮した冷媒を開発。量産体制を構築。 化学事業の再建に大きく寄与する冷媒となった。ダイキンの空調機器と冷媒の一貫生産を持続させる原動力に。

  13. 空調抜本的改革計画を立案

    業績低迷を打破するために改革計画を立案。3期連続赤字の商品から撤退する方針を決定。 翌1995年1月に組織改革を実施。生産・開発・販売の強化に即した組織に改編し、商品戦略会議を設置。また多角化を中止して、空調に集中投資を行う姿勢を打ち出した。

  14. 中国展開を本格化。高価格帯エアコンの販売網を強化
    後発参入の制約が「高価格帯×官公庁」という独自ポジションを生んだ
  15. acquisition
    欧州での製造販売に本格投資・買収で販売網を形成

    ダイキンは1973年に欧州のベルギーに現地法人を設立していたものの、本格的な展開には至らなかった。その後、1998年からダイキンはグローバル化のために、欧州における販売の強化を決定して本格投資を開始した。 なお、ダイキンは欧州における拠点新設について、現地の販売会社(代理店)を買収する方針をとった。この理由は、ゼロベースで販売網を構築するのは難しく、国ごとに気候などの条件が違うため、ニーズをとらえるためには知見が豊富な現地販売会社の買収が適当と判断したためであったという。 1998年にドイツに販売拠点を新設したことを皮切りに、2004年までにスペイン、ポーランド、イタリア、ギリシャ、イギリス、ポーランドに拠点を相次いで新設。2003年からはチェコにおける空調機の現地生産を開始した。 ダイキンが欧州の南部を中心に拠点を新設した理由は、空調のニーズが温暖な南部(地中海周辺)に多かったためであった。加えて、地球温暖化による気温上昇も、ダイキンの空調機器の販売にとって追い風となった。

    中国では自前構築、欧州では買収という参入手法の使い分け
  16. パナソニックと包括提携契約を締結

    前年に東芝が米国キャリア社と提携しており、キャリア社のグローバル展開に対抗する狙いがあった。 空調事業においてグローバル包括提携契約に調印。

  17. OYL社を買収

    グローバル大手空調機器メーカーのOYL社を約2460億円で買収。 OYLは傘下のマッケイ社を通じて米国で事業展開をしており、ダイキンとしては北米を含めた海外展開に注力する方向へ。

  18. 中国格力とインバータエアコンで業務提携を締結
  19. 15年ぶりの減収減益へ

    14期連続増収増益の記録が途絶へ。 15年ぶりの減収減益となった。

  20. acquisition
    米Goodmanを買収
    2960億円で「6万店のディーラー網」を買ったが収益化に苦戦した北米攻略
  21. 新冷媒R32を採用したルームエアコンを発売

    新冷媒R32の本格展開を開始。 第一弾として「うるさら7Rシリーズ」としてルームエアコン向けに展開。

  22. 十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任

    十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任。 井上礼之氏は代表取締役会長兼任CEOへ。

  23. 戦略売価施策を実行

    世界的なインフレに対応して平均4〜5%の値上げを実施。 利益を確保した。

参考文献・出所

有価証券報告書 沿革
ダイキン工業80年史
日本冷凍空調学会誌
日経ビジネス
有価証券報告書
統合報告書
ダイキン IR 決算説明会資料
日経新聞
IR 決算説明QA FY25-1H 2025/11/6
IR 決算説明QA FY25-3Q 2026/2/5
ダイキン工業 統合報告書 2025