沿革年表 1924〜2025年における重要度別の出来事(合計42件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
合資会社大阪金属工業所を設立
1924年に山田晃氏(当時40歳、大阪砲兵工廠の元工場長)が大阪市難波新川で合資会社大阪金属工業所(現ダイキン)を創業。従業員15名以下、魔法瓶工場跡地で飛行機用ラジエーターチューブの製造を開始した。1925年に満洲向け瞬発信管30万発を受注。山田氏の砲兵工廠人脈から軍需依頼が増え、1931年に海軍指定工場、1933年に陸軍指定工場となり薬莢・信管を納入。戦前は陸海軍向け砲弾を主力とする関西の軍需ベンチャーとして業容を拡大した。
歴史的意義yutaka sugiura
ダイキンの創業で注目すべきは、従業員15名の零細企業が海軍・陸軍の双方から指定工場認定を受けた事実の不自然さにある。通常、指定工場の認定には相応の企業規模と実績が求められるが、山田晃が大阪砲兵工廠の元工場長であったことがこの障壁を迂回させた。技術力の評価以前に、官の内部者としての信用が納入資格の取得を可能にした構図である。この人脈は戦後の住友提携や朝鮮戦争の砲弾特需でも交渉力の基盤として機能しており、創業期の人的資本が数十年にわたって企業の方向性を規定した事例といえる。
1924
1-12月
大阪金属工業株式会社を設立。住友と資本提携
歴史的意義yutaka sugiura
従業員300名の中小企業が住友財閥と資本提携するという異例の座組みの裏には、創業者・山田晃の周到な条件交渉があった。住友の持分が山田家を超過しないこと、取締役の過半数を派遣しないこと、経営方針に関与しないことを条件として突きつけ、住友はこれを承諾した。資金と信用は財閥から借り、経営の自由度は手放さないという設計が、7年間で従業員30倍という急拡大を可能にした。戦後の財閥解体で提携は途絶えるが、朝鮮戦争時に住友金属工業との再提携で復活する。
1934
1-12月
重要事項
フロンの開発に成功
1933年に技術顧問の太田十男氏(退役海軍少将)が米海軍潜水艦のフレオンガス採用を新聞で知り、ダイキンに研究を依頼。海軍受託の形でフロン式冷凍機の研究を開始した。その結果、1935年末に国内初のフロン生産に成功し空調に参入。1936年に南海電鉄へ電車用冷房「ミフジレータ」、1938年に海軍潜水艦向け空調を納入。空調機と冷媒の両方を生産する稀有な企業となり、1941年に淀川製作所でフロン量産、1943年に年産30万トン体制を確立した。
歴史的意義yutaka sugiura
フロン開発の起点は、退役海軍少将である技術顧問が米海軍の潜水艦冷媒採用を伝える新聞記事に着目したという偶然にある。砲弾の金属加工業者が化学プラントに参入する飛躍は計画的な多角化ではなく、海軍人脈を通じた情報優位から生じた。注目すべきは、この偶発的参入が空調機器と冷媒の一貫生産という世界的にも稀有な垂直統合構造を生み、戦後にダイキンの本業を空調へと転換させた点にある。意図せざる参入が企業の事業ドメインを不可逆に書き換えた事例である。
1935
1-12月
設備投資
堺製作所を新設
1937年に堺製作所を新設し、冷凍機・注油器等の生産拠点とした。フロン量産化の前段で空調・冷凍機分野の生産能力を確保した動きであり、その後の量産投資を支える基盤となった。
1937
1-12月
設備投資
淀川製作所を新設
1941年に淀川製作所を新設し、当初は航空機用部品等の生産拠点として稼動した。その後フロン量産の主力工場へ転換し、戦後にダイキンの空調・化学事業を支える中核拠点となった。
1941
1-12月
敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇
戦時中に従業員1.6万名まで拡大したダイキンは、1945年の終戦で軍需を喪失。245名を残し約1.6万名を解雇した。1946〜1948年にGHQ納入と民需転換を狙い1100名規模まで戻したが事業は軌道に乗らず、1948〜1950年に180〜250名の整理解雇を3回実施。1950年時点の従業員は438名となり、大規模な軍需メーカーとしての経営は行き詰まった。
1945
1-12月
株式上場
大阪証券取引所に上場
1949年5月に大阪証券取引所へ上場した。終戦直後の人員整理を経て民需転換を進める局面での資本市場参入であり、戦時から平時への財務体制の組み換えを象徴する動きとなった。
FY50
1950/3
重要事項
迫撃砲弾199万発を米軍から受注
無配転落の経営危機にあったダイキンが朝鮮戦争の砲弾受注に賭けた判断は、社内の慎重論を押し切る形で実行された。資金調達のために住友金属工業との再提携を選び、3倍増資で創業家の持分を希薄化させたことは、同族経営と決別する転換点でもあった。累計199万発・68億円の砲弾特需で得た収益を冷凍機・フロンに振り向けて業態転換を図った構図は、軍需で稼いだ資金を民需に再投資するという戦後日本企業の典型パターンそのものである。
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FY53
1953/3
売上高
4.6億円
当期純利益
0.1億円
三フッ化樹脂を開発し発売
1953年に三フッ化樹脂を開発・発売し、四フッ化樹脂製品シリーズの開発に本格的に取り組み始めた。その後ダイキンは空調機の冷媒だけでなくフッ素化学製品にも事業領域を広げ、化学事業の柱となった。
FY54
1954/3
売上高
26.1億円
当期純利益
0.9億円
FY55
1955/3
売上高
41.5億円
当期純利益
2.5億円
FY56
1956/3
売上高
30.5億円
当期純利益
1.5億円
FY57
1957/3
売上高
27.1億円
当期純利益
2.3億円
株式上場
東京証券取引所に上場
1957年6月に東京証券取引所へ上場した。1949年の大証上場に続き全国規模の資金調達基盤を整え、ルームエアコン参入翌年に起きた事業拡張のための資本基盤強化が進んだ。
FY58
1958/3
売上高
39.4億円
当期純利益
3.8億円
ルームエアコン事業に進出
社名を「ダイキン工業株式会社」に変更
1963年10月に社名を大阪金属工業からダイキン工業株式会社へ変更した。すなわち戦前からの「金属」由来の商号から、空調・冷媒の現業を反映した名称への転換であり、多角化進行と新規参入領域の整理を象徴した。
FY64
1964/3
FY67
1967/3
売上高
261億円
経常利益
12億円
FY68
1968/3
売上高
317億円
経常利益
17億円
FY69
1969/3
売上高
404億円
経常利益
20億円
FY70
1970/3
売上高
505億円
当期純利益
20.4億円
FY71
1971/3
売上高
565億円
当期純利益
18億円
海外進出
ベルギーに欧州拠点ダイキンヨーロッパを設立
1972年3月にベルギー王国へ欧州の製造・販売拠点としてダイキンヨーロッパエヌブイを設立した。本格展開には至らなかったが、後年の欧州買収戦略の前線基地となった。
FY72
1972/3
売上高
565億円
当期純利益
11.1億円
空調事業の販社を設立
冷房の普及(年率+20%の市場成長)に対応して、ダイキンは家庭用エアコンの専門量産工場の新設を決定。1970年に滋賀工場を新設(年産20万台)して家電メーカーとの競合に対抗した。また、ダイキンは従来から得意だった業務用(国内シェア30%)に加えて、家庭用エアコンへの本格投資を開始した。東京西ダイキン空調と北大阪ダイキン空調の2社を設立。エアコンの営業活動を本格化
業務用シェア30%の「空調屋」が家庭用に参入した転機
FY73
1973/3
売上高
747億円
当期純利益
16.2億円
FY74
1974/3
売上高
903億円
当期純利益
15.6億円
FY75
1975/3
売上高
734億円
当期純利益
7.1億円
経常赤字23億円に転落。700名を人員整理
オイルショックによる業績低迷により、累計約700名を解雇。余剰となった工場勤務の従業員はエアコンの販売会社に配属転換して対応した。
FY76
1976/3
売上高
886億円
当期純利益
10.2億円
FY77
1977/3
売上高
957億円
当期純利益
7.5億円
FY78
1978/3
売上高
1,037億円
当期純利益
17.1億円
FY79
1979/3
売上高
1,165億円
当期純利益
34.8億円
電子技術センターを新設
金岡工場内にエレクトロニクスの研究拠点設置。エレクトロニクスによる制御技術の研究を開始した。この研究によって、ダイキンはエアコン向けのインバータの内製化で世界最先発の企業に踊り出た。
FY80
1980/3
売上高
1,271億円
当期純利益
16.5億円
長期経営計画「ビジョン60」を開始
FY81
1981/3
売上高
1,345億円
当期純利益
16.7億円
FY82
1982/3
売上高
1,425億円
当期純利益
28.9億円
FY83
1983/3
売上高
1,621億円
当期純利益
22.5億円
FY84
1984/3
売上高
1,896億円
当期純利益
37.9億円
ココム違反により家宅捜索へ
ソ連に軍需品としてフロン製品を輸出した疑いで、ダイキンの課長だった社員2名が逮捕。ダイキンの企業イメージが低下。役員4名を処分へ。
FY89
1989/3
売上高
2,759億円
当期純利益
102億円
海外進出
タイに空調機器の生産子会社を設立
1990年2月にタイ王国へ空調機器の生産子会社ダイキンインダストリーズ(タイランド)を設立した。よって東南アジアにおける生産拠点を確保し、域内供給とコスト競争力を兼ねた量産体制を整えた。
FY90
1990/3
売上高
2,938億円
当期純利益
117億円
海外進出
米国にフッ素化学製品の製造販売子会社を設立
1991年1月に米国へフッ素化学製品の製造販売子会社ダイキンアメリカインクを設立した。化学事業のグローバル供給網を北米へ拡張する動きであり、空調と並ぶもう一方の柱の海外展開を進めた。
FY91
1991/3
売上高
3,440億円
当期純利益
145億円
FY92
1992/3
売上高
3,681億円
当期純利益
129億円
岡野幸義
FY93
1993/3
売上高
3,420億円
当期純利益
54.6億円
岡野幸義
新冷媒(代替フロン)HFC32プラントを完成
オゾン層の破壊に配慮した冷媒を開発。量産体制を構築。化学事業の再建に大きく寄与する冷媒となった。ダイキンの空調機器と冷媒の一貫生産を持続させる原動力に。
FY94
1994/3
売上高
2,964億円
当期純利益
39.5億円
重要事項
岡野幸義
空調抜本的改革計画を立案
業績低迷を打破するために改革計画を立案。3期連続赤字の商品から撤退する方針を決定。翌1995年1月に組織改革を実施。生産・開発・販売の強化に即した組織に改編し、商品戦略会議を設置。また多角化を中止して、空調に集中投資を行う姿勢を打ち出した。
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FY95
1995/3
売上高
2,974億円
当期純利益
56.9億円
海外進出
岡野幸義
上海に空調合弁会社を設立
1995年11月に中国へ空調機器の製造販売子会社「上海大金協昌空調有限公司」を上海協昌ミシン総公司との合弁で設立した。後の中国市場における高価格帯エアコン展開の量産母体となった。
FY96
1996/3
売上高
3,229億円
当期純利益
53.7億円
岡野幸義
FY97
1997/3
売上高
3,225億円
当期純利益
59.2億円
重要事項
岡野幸義
中国展開を本格化。高価格帯エアコンの販売網を強化
ダイキンの中国参入は、現地空調メーカーとの合弁を米キャリア社に先行されたために、ミシンメーカーとの異業種合弁という変則的な形で始まった。400社が競合する家庭用を避けて官公庁・銀行向けの業務用高価格帯に集中したのも、後発ゆえに残された市場がそこしかなかったという制約の産物だった。だがこの制約が売上高利益率20%超・業務用シェア60〜70%という高収益構造を生んだ。選択肢がなかったことが最適な戦略を導いた逆説的事例である。
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FY98
1998/3
売上高
4,625億円
当期純利益
54.4億円
岡野幸義
FY99
1999/3
売上高
4,643億円
当期純利益
61.9億円
企業買収
岡野幸義
欧州での製造販売に本格投資・買収で販売網を形成
1973年にベルギー現法を設けたが本格展開には至らず。1998年から欧州販売を本格化し、ゼロからの販売網構築は困難で気候等のニーズ把握には現地知見が必要との判断から、現地代理店買収方式を採用した。1998年にドイツへ販売拠点を新設、2004年までにスペイン・ポーランド・イタリア・ギリシャ・イギリスへ展開。2003年にチェコで現地生産を開始した。南欧中心に展開した理由は地中海周辺の空調需要が大きかったためで、温暖化も追い風となった。
歴史的意義yutaka sugiura
ダイキンの欧州展開で注目すべきは、中国市場とは真逆の参入手法を採った点にある。中国では家庭用を避けて官公庁向け直売代理店を自前で構築したのに対し、欧州では既存の現地販売会社を買収する方式を選んだ。国ごとに気候・商習慣が異なる欧州で、各国の販売ノウハウをゼロから蓄積する時間的コストを回避する判断である。南欧を優先したのは気温依存の需要構造に即した順序だが、地球温暖化が冷房需要を構造的に押し上げる外部環境の恩恵も見逃せない。
FY00
2000/3
売上高
4,630億円
当期純利益
104億円
パナソニックと包括提携契約を締結
前年に東芝が米国キャリア社と提携しており、キャリア社のグローバル展開に対抗する狙いがあった。空調事業においてグローバル包括提携契約に調印。
岡野幸義
FY01
2001/3
売上高
5,319億円
親会社株主に帰属する当期純利益
199億円
業務提携
岡野幸義
米トレーンと包括的グローバル戦略提携に合意
2001年11月にアメリカンスタンダードカンパニーズの空調事業会社トレーンカンパニーと、空調製品の相互供給を含む包括的グローバル戦略提携に合意した。北米大手との連携で世界供給網の隙間を補完する設計となった。
FY02
2002/3
売上高
5,387億円
親会社株主に帰属する当期純利益
179億円
岡野幸義
FY03
2003/3
売上高
5,724億円
親会社株主に帰属する当期純利益
215億円
岡野幸義
FY04
2004/3
売上高
6,257億円
親会社株主に帰属する当期純利益
286億円
岡野幸義
FY05
2005/3
売上高
7,288億円
親会社株主に帰属する当期純利益
387億円
岡野幸義
FY06
2006/3
売上高
7,928億円
親会社株主に帰属する当期純利益
407億円
岡野幸義
OYL社を買収
グローバル大手空調機器メーカーのOYL社を約2460億円で買収。OYLは傘下のマッケイ社を通じて米国で事業展開をしており、ダイキンとしては北米を含めた海外展開に注力する方向へ。
FY07
2007/3
売上高
9,117億円
親会社株主に帰属する当期純利益
454億円
岡野幸義
中国格力とインバータエアコンで業務提携を締結
FY08
2008/3
売上高
12,908億円
当期純利益
752億円
企業買収
岡野幸義
独ロテックスを買収し子会社化
2008年10月にダイキンヨーロッパが独ロテックスヒーティングシステムズ(現ダイキンマニュファクチャリングジャーマニー)の全株式を取得し子会社化した。欧州での暖房分野へ事業領域を広げ、ヒートポンプ普及への布石となった。
FY09
2009/3
売上高
12,024億円
当期純利益
217億円
15年ぶりの減収減益へ
14期連続増収増益の記録が途絶へ。15年ぶりの減収減益となった。
十河政則
FY10
2010/3
売上高
10,239億円
当期純利益
193億円
重要事項
十河政則
R32冷媒の空調機特許を新興国向けに無償開放
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FY11
2011/3
売上高
11,603億円
当期純利益
198億円
企業買収
十河政則
トルコの空調機メーカー、エアフェルを買収
2011年7月にダイキンヨーロッパがトルコの空調機メーカー、エアフェルウストゥマヴェソートゥマシステムレリ(現ダイキンウストゥマ)の全株式を取得し子会社化した。よって地中海・中東の販売網を取り込み、欧州買収戦略の南東方向への拡張となった。
FY12
2012/3
売上高
12,187億円
親会社株主に帰属する当期純利益
411億円
重要事項企業買収
十河政則
米Goodmanを買収
ダイキンの北米市場攻略は、1990年代の自力進出失敗→2006年OYL社買収(シェア限定的)→2012年グッドマン買収という三段階で進んだ。北米特有のダクト方式と住宅設備販路の壁を、全米6万店のディーラー網を持つグッドマンの買収で一挙に突破する狙いだった。しかし買収後は4期連続経常赤字に陥り、投資回収期限の8年を経過してもFY2020時点で赤字が継続した。中国・欧州では成功した参入手法が北米では通用しなかった事実は、市場構造の違いが買収後統合の成否を分けることを示した。
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FY13
2013/3
売上高
12,909億円
親会社株主に帰属する当期純利益
435億円
新冷媒R32を採用したルームエアコンを発売
新冷媒R32の本格展開を開始。第一弾として「うるさら7Rシリーズ」としてルームエアコン向けに展開。
十河政則
FY14
2014/3
売上高
17,876億円
親会社株主に帰属する当期純利益
927億円
十河政則
十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任
十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任。井上礼之氏は代表取締役会長兼任CEOへ。
FY15
2015/3
売上高
19,150億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,196億円
組織再編
十河政則
テクノロジー・イノベーションセンターを開設
2015年11月に淀川製作所内へ技術開発拠点「テクノロジー・イノベーションセンター」を開設した。社内の研究機能を一拠点に集約し、空調・化学・電子分野の横断的な開発を行う体制となった。
FY16
2016/3
売上高
20,436億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,369億円
企業買収
十河政則
米フランダースを買収
2016年4月にアメリカンエアフィルターカンパニーが米国トップシェアのエアフィルタメーカー、フランダースホールディングスを買収し子会社化した。空気清浄分野での北米事業の厚みが増し、空調と空気質を併走させる戦略が進んだ。
FY17
2017/3
売上高
20,439億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,539億円
十河政則
FY18
2018/3
売上高
22,905億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,890億円
企業買収
十河政則
欧州AHTクーリングシステムズを買収
2019年2月にダイキンヨーロッパが商業用冷凍・冷蔵ショーケースの製造販売会社AHTクーリングシステムズを保有するクールインターナショナルホールディングを買収し子会社化した。スーパー・コンビニ向け冷凍機事業へ参入し、欧州の業務用領域を強化した。
FY19
2019/3
売上高
24,811億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,890億円
十河政則
戦略売価施策を実行
世界的なインフレに対応して平均4〜5%の値上げを実施。利益を確保した。
FY20
2020/3
売上高
25,503億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,707億円
十河政則
FY21
2021/3
売上高
24,933億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,562億円
十河政則
FY22
2022/3
売上高
31,091億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,177億円
竹中直文
FY23
2023/3
売上高
39,815億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,577億円
竹中直文
FY24
2024/3
売上高
43,953億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,603億円
重要事項
竹中直文
竹中直文氏が社長に就任(13年ぶり交代、井上礼之氏は名誉会長へ)
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FY25
2025/3
売上高
47,523億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,647億円
創業100周年を迎える
2024年10月に創業100周年を迎えた。1924年に大阪金属工業所として発足し、軍需から空調・化学へ事業を組み換えながら世紀を跨ぎ、グローバル空調首位グループの一角として節目を迎えた。
  1. 会社設立
    合資会社大阪金属工業所を設立

    1924年に山田晃氏(当時40歳、大阪砲兵工廠の元工場長)が大阪市難波新川で合資会社大阪金属工業所(現ダイキン)を創業。従業員15名以下、魔法瓶工場跡地で飛行機用ラジエーターチューブの製造を開始した。1925年に満洲向け瞬発信管30万発を受注。山田氏の砲兵工廠人脈から軍需依頼が増え、1931年に海軍指定工場、1933年に陸軍指定工場となり薬莢・信管を納入。戦前は陸海軍向け砲弾を主力とする関西の軍需ベンチャーとして業容を拡大した。

    ダイキンの創業で注目すべきは、従業員15名の零細企業が海軍・陸軍の双方から指定工場認定を受けた事実の不自然さにある。通常、指定工場の認定には相応の企業規模と実績が求められるが、山田晃が大阪砲兵工廠の元工場長であったことがこの障壁を迂回させた。技術力の評価以前に、官の内部者としての信用が納入資格の取得を可能にした構図である。この人脈は戦後の住友提携や朝鮮戦争の砲弾特需でも交渉力の基盤として機能しており、創業期の人的資本が数十年にわたって企業の方向性を規定した事例といえる。
  2. 大阪金属工業株式会社を設立。住友と資本提携
    従業員300名の中小企業が住友財閥と資本提携するという異例の座組みの裏には、創業者・山田晃の周到な条件交渉があった。住友の持分が山田家を超過しないこと、取締役の過半数を派遣しないこと、経営方針に関与しないことを条件として突きつけ、住友はこれを承諾した。資金と信用は財閥から借り、経営の自由度は手放さないという設計が、7年間で従業員30倍という急拡大を可能にした。戦後の財閥解体で提携は途絶えるが、朝鮮戦争時に住友金属工業との再提携で復活する。
  3. フロンの開発に成功

    1933年に技術顧問の太田十男氏(退役海軍少将)が米海軍潜水艦のフレオンガス採用を新聞で知り、ダイキンに研究を依頼。海軍受託の形でフロン式冷凍機の研究を開始した。その結果、1935年末に国内初のフロン生産に成功し空調に参入。1936年に南海電鉄へ電車用冷房「ミフジレータ」、1938年に海軍潜水艦向け空調を納入。空調機と冷媒の両方を生産する稀有な企業となり、1941年に淀川製作所でフロン量産、1943年に年産30万トン体制を確立した。

    フロン開発の起点は、退役海軍少将である技術顧問が米海軍の潜水艦冷媒採用を伝える新聞記事に着目したという偶然にある。砲弾の金属加工業者が化学プラントに参入する飛躍は計画的な多角化ではなく、海軍人脈を通じた情報優位から生じた。注目すべきは、この偶発的参入が空調機器と冷媒の一貫生産という世界的にも稀有な垂直統合構造を生み、戦後にダイキンの本業を空調へと転換させた点にある。意図せざる参入が企業の事業ドメインを不可逆に書き換えた事例である。
  4. 設備投資
    堺製作所を新設

    1937年に堺製作所を新設し、冷凍機・注油器等の生産拠点とした。フロン量産化の前段で空調・冷凍機分野の生産能力を確保した動きであり、その後の量産投資を支える基盤となった。

  5. 設備投資
    淀川製作所を新設

    1941年に淀川製作所を新設し、当初は航空機用部品等の生産拠点として稼動した。その後フロン量産の主力工場へ転換し、戦後にダイキンの空調・化学事業を支える中核拠点となった。

  6. 敗戦により生産縮小・1.6万名を解雇

    戦時中に従業員1.6万名まで拡大したダイキンは、1945年の終戦で軍需を喪失。245名を残し約1.6万名を解雇した。1946〜1948年にGHQ納入と民需転換を狙い1100名規模まで戻したが事業は軌道に乗らず、1948〜1950年に180〜250名の整理解雇を3回実施。1950年時点の従業員は438名となり、大規模な軍需メーカーとしての経営は行き詰まった。

  7. 株式上場
    大阪証券取引所に上場

    1949年5月に大阪証券取引所へ上場した。終戦直後の人員整理を経て民需転換を進める局面での資本市場参入であり、戦時から平時への財務体制の組み換えを象徴する動きとなった。

  8. 三フッ化樹脂を開発し発売

    1953年に三フッ化樹脂を開発・発売し、四フッ化樹脂製品シリーズの開発に本格的に取り組み始めた。その後ダイキンは空調機の冷媒だけでなくフッ素化学製品にも事業領域を広げ、化学事業の柱となった。

  9. 株式上場
    東京証券取引所に上場

    1957年6月に東京証券取引所へ上場した。1949年の大証上場に続き全国規模の資金調達基盤を整え、ルームエアコン参入翌年に起きた事業拡張のための資本基盤強化が進んだ。

  10. ルームエアコン事業に進出
  11. 社名を「ダイキン工業株式会社」に変更

    1963年10月に社名を大阪金属工業からダイキン工業株式会社へ変更した。すなわち戦前からの「金属」由来の商号から、空調・冷媒の現業を反映した名称への転換であり、多角化進行と新規参入領域の整理を象徴した。

  12. 海外進出
    ベルギーに欧州拠点ダイキンヨーロッパを設立

    1972年3月にベルギー王国へ欧州の製造・販売拠点としてダイキンヨーロッパエヌブイを設立した。本格展開には至らなかったが、後年の欧州買収戦略の前線基地となった。

  13. 空調事業の販社を設立

    冷房の普及(年率+20%の市場成長)に対応して、ダイキンは家庭用エアコンの専門量産工場の新設を決定。1970年に滋賀工場を新設(年産20万台)して家電メーカーとの競合に対抗した。また、ダイキンは従来から得意だった業務用(国内シェア30%)に加えて、家庭用エアコンへの本格投資を開始した。東京西ダイキン空調と北大阪ダイキン空調の2社を設立。エアコンの営業活動を本格化

    業務用シェア30%の「空調屋」が家庭用に参入した転機
  14. 経常赤字23億円に転落。700名を人員整理

    オイルショックによる業績低迷により、累計約700名を解雇。余剰となった工場勤務の従業員はエアコンの販売会社に配属転換して対応した。

  15. 電子技術センターを新設

    金岡工場内にエレクトロニクスの研究拠点設置。エレクトロニクスによる制御技術の研究を開始した。この研究によって、ダイキンはエアコン向けのインバータの内製化で世界最先発の企業に踊り出た。

  16. 長期経営計画「ビジョン60」を開始
  17. ココム違反により家宅捜索へ

    ソ連に軍需品としてフロン製品を輸出した疑いで、ダイキンの課長だった社員2名が逮捕。ダイキンの企業イメージが低下。役員4名を処分へ。

  18. 海外進出
    タイに空調機器の生産子会社を設立

    1990年2月にタイ王国へ空調機器の生産子会社ダイキンインダストリーズ(タイランド)を設立した。よって東南アジアにおける生産拠点を確保し、域内供給とコスト競争力を兼ねた量産体制を整えた。

  19. 海外進出
    米国にフッ素化学製品の製造販売子会社を設立

    1991年1月に米国へフッ素化学製品の製造販売子会社ダイキンアメリカインクを設立した。化学事業のグローバル供給網を北米へ拡張する動きであり、空調と並ぶもう一方の柱の海外展開を進めた。

  20. 新冷媒(代替フロン)HFC32プラントを完成

    オゾン層の破壊に配慮した冷媒を開発。量産体制を構築。化学事業の再建に大きく寄与する冷媒となった。ダイキンの空調機器と冷媒の一貫生産を持続させる原動力に。

  21. 海外進出
    上海に空調合弁会社を設立

    1995年11月に中国へ空調機器の製造販売子会社「上海大金協昌空調有限公司」を上海協昌ミシン総公司との合弁で設立した。後の中国市場における高価格帯エアコン展開の量産母体となった。

  22. 企業買収
    欧州での製造販売に本格投資・買収で販売網を形成

    1973年にベルギー現法を設けたが本格展開には至らず。1998年から欧州販売を本格化し、ゼロからの販売網構築は困難で気候等のニーズ把握には現地知見が必要との判断から、現地代理店買収方式を採用した。1998年にドイツへ販売拠点を新設、2004年までにスペイン・ポーランド・イタリア・ギリシャ・イギリスへ展開。2003年にチェコで現地生産を開始した。南欧中心に展開した理由は地中海周辺の空調需要が大きかったためで、温暖化も追い風となった。

    ダイキンの欧州展開で注目すべきは、中国市場とは真逆の参入手法を採った点にある。中国では家庭用を避けて官公庁向け直売代理店を自前で構築したのに対し、欧州では既存の現地販売会社を買収する方式を選んだ。国ごとに気候・商習慣が異なる欧州で、各国の販売ノウハウをゼロから蓄積する時間的コストを回避する判断である。南欧を優先したのは気温依存の需要構造に即した順序だが、地球温暖化が冷房需要を構造的に押し上げる外部環境の恩恵も見逃せない。
  23. パナソニックと包括提携契約を締結

    前年に東芝が米国キャリア社と提携しており、キャリア社のグローバル展開に対抗する狙いがあった。空調事業においてグローバル包括提携契約に調印。

  24. 業務提携
    米トレーンと包括的グローバル戦略提携に合意

    2001年11月にアメリカンスタンダードカンパニーズの空調事業会社トレーンカンパニーと、空調製品の相互供給を含む包括的グローバル戦略提携に合意した。北米大手との連携で世界供給網の隙間を補完する設計となった。

  25. OYL社を買収

    グローバル大手空調機器メーカーのOYL社を約2460億円で買収。OYLは傘下のマッケイ社を通じて米国で事業展開をしており、ダイキンとしては北米を含めた海外展開に注力する方向へ。

  26. 中国格力とインバータエアコンで業務提携を締結
  27. 企業買収
    独ロテックスを買収し子会社化

    2008年10月にダイキンヨーロッパが独ロテックスヒーティングシステムズ(現ダイキンマニュファクチャリングジャーマニー)の全株式を取得し子会社化した。欧州での暖房分野へ事業領域を広げ、ヒートポンプ普及への布石となった。

  28. 15年ぶりの減収減益へ

    14期連続増収増益の記録が途絶へ。15年ぶりの減収減益となった。

  29. 企業買収
    トルコの空調機メーカー、エアフェルを買収

    2011年7月にダイキンヨーロッパがトルコの空調機メーカー、エアフェルウストゥマヴェソートゥマシステムレリ(現ダイキンウストゥマ)の全株式を取得し子会社化した。よって地中海・中東の販売網を取り込み、欧州買収戦略の南東方向への拡張となった。

  30. 新冷媒R32を採用したルームエアコンを発売

    新冷媒R32の本格展開を開始。第一弾として「うるさら7Rシリーズ」としてルームエアコン向けに展開。

  31. 十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任

    十河政則氏が代表取締役社長兼COOに就任。井上礼之氏は代表取締役会長兼任CEOへ。

  32. 組織再編
    テクノロジー・イノベーションセンターを開設

    2015年11月に淀川製作所内へ技術開発拠点「テクノロジー・イノベーションセンター」を開設した。社内の研究機能を一拠点に集約し、空調・化学・電子分野の横断的な開発を行う体制となった。

  33. 企業買収
    米フランダースを買収

    2016年4月にアメリカンエアフィルターカンパニーが米国トップシェアのエアフィルタメーカー、フランダースホールディングスを買収し子会社化した。空気清浄分野での北米事業の厚みが増し、空調と空気質を併走させる戦略が進んだ。

  34. 企業買収
    欧州AHTクーリングシステムズを買収

    2019年2月にダイキンヨーロッパが商業用冷凍・冷蔵ショーケースの製造販売会社AHTクーリングシステムズを保有するクールインターナショナルホールディングを買収し子会社化した。スーパー・コンビニ向け冷凍機事業へ参入し、欧州の業務用領域を強化した。

  35. 戦略売価施策を実行

    世界的なインフレに対応して平均4〜5%の値上げを実施。利益を確保した。

  36. 創業100周年を迎える

    2024年10月に創業100周年を迎えた。1924年に大阪金属工業所として発足し、軍需から空調・化学へ事業を組み換えながら世紀を跨ぎ、グローバル空調首位グループの一角として節目を迎えた。