沿革年表 1882〜2025年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
大阪紡績会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
明治政府の官営紡績は1工場2,000錘を前提に設計されており、紡績業が本来持つ規模の経済を活かせない構造であった。渋沢栄一はこの前提自体を覆し、1万5,000錘という7倍超の規模で民間紡績会社を構想した。注目すべきは資金調達に華族資本を活用した点であり、前田家や毛利家など旧大名家の出資は、新設会社の信用力を制度的に担保する装置として機能した。事業構想力と資金調達設計の両面で、近代日本の民間企業設立における一つの型を提示した事例といえる。
1882
1-12月
三重紡績会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
三重紡績会社の設立は、経営難に陥った地方紡績所の再建という実務的な課題から始まった。だが渋沢栄一は単なる資金援助ではなく、大阪紡績と同水準の大規模工場新設を条件とした。ここには紡績業における規模の経済を個別企業の再建にも適用するという一貫した思想がある。さらに渋沢氏は三重紡績の相談役として経営に関与し続け、結果的に大阪紡績との合併を可能にする関係基盤を30年にわたって維持した。再建支援が事業統合の布石として機能した構造は興味深い。
1886
1-12月
重要事項会社設立
東洋紡績株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
大阪紡績と三重紡績の合併は、規模拡大を目的とした業界再編の一環であるが、その成立過程には渋沢栄一の関与が不可欠であった。渋沢氏は両社の相談役を兼務しており、利害調整を第三者としてではなく両社の内部から行える立場にあった。紡績業界の再編は多くの企業間で進んだが、合併後に国内1位となる規模の統合を実現するには、経営者間の信頼関係と利害調整の仕組みが必要であり、渋沢氏の存在がその条件を満たした。
1914
1-12月
レーヨンの生産開始
1927
1-12月
大阪合同紡績を合併
1931
1-12月
レーヨンの増産投資
1934
1-12月
設備投資
岩国工場でレーヨン生産開始
1937年7月、岩国工場の操業を開始しレーヨンの生産に着手した。よって1927年の堅田人絹工場・1934年の敦賀工場に続くレーヨン生産拠点の追加となり、戦前期における人造繊維事業の生産基盤が拡充された。
1937
1-12月
犬山工場でバイオ事業の萌芽
1948年10月、犬山工場でパルプ廃液から酵母を生産する試験を開始した。すなわち戦後の資源活用研究が後年(1971年)のバイオ事業本格進出につながる起点となり、繊維メーカーが生命科学領域に踏み出す端緒として位置づけられる。
1948
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
FY51
1951/3
売上高
372億円
当期純利益
84.6億円
FY52
1952/3
売上高
490億円
当期純利益
71.9億円
FY53
1953/3
売上高
410億円
当期純利益
18.2億円
FY54
1954/3
売上高
430億円
当期純利益
31.5億円
FY55
1955/3
売上高
413億円
当期純利益
16.5億円
FY56
1956/3
売上高
458億円
当期純利益
25.5億円
アクリル繊維に参入
歴史的意義yutaka sugiura
東洋紡がポリエステル繊維の技術導入を見送りアクリル繊維に注力した判断は、結果的に合成繊維市場での競争劣位を招いた。ただし当時の時点では、ポリエステルの繊維製品としての将来性は不確実であり、テレフタル酸製造への大規模投資も必要であった。限られた経営資源をどこに集中するかという判断において、確度の高い選択肢を優先すること自体は合理的であった。問題はICI提携という不可逆な機会を見送ったことで、後から参入するコストが著しく高くなった点にある。
FY57
1957/3
売上高
513億円
当期純利益
55.3億円
FY58
1958/3
売上高
467億円
当期純利益
28.9億円
谷口豊三郎氏が社長就任
FY59
1959/3
売上高
406億円
当期純利益
7億円
FY60
1960/3
売上高
525億円
当期純利益
22.7億円
FY61
1961/3
売上高
538億円
当期純利益
21.9億円
FY62
1962/3
売上高
621億円
当期純利益
13億円
プロピレンフィルムの生産開始
東洋紡が注力していた合成繊維(アセテート)は、当初は羊毛の代替品として期待されたが、実際には染色性に難があり、ナイロンやポリエステルといった合成繊維のように普及には至らなかった。そこで、東洋紡はアセテートの繊維開発で培った技術を転用し、プロピレンフィルム(PPフィルム・二軸延伸PPフィルム)を開発。繊維製品ではなく、樹脂製品として展開することで、収益化を目指した。
FY63
1963/3
売上高
622億円
当期純利益
14.2億円
FY64
1964/3
売上高
745億円
当期純利益
17.6億円
ポリエステルの生産開始
FY65
1965/3
売上高
852億円
当期純利益
14.2億円
FY66
1966/3
売上高
848億円
当期純利益
2.5億円
重要事項組織再編
呉羽紡績と合併
呉羽紡績との合併は、表面上は繊維業界の過当競争への対処であるが、東洋紡にとっての実質的な意味はナイロン生産設備の取得にあった。東洋紡はポリエステルでICI提携を見送り、ナイロンでも自社設備を持たない状態であり、合成繊維での出遅れが蓄積していた。設備を新設するのではなく合併によって既存設備を取得するという手法は、参入障壁を迂回する選択であった。合成繊維への技術選択で後手に回った帰結が企業統合の形で処理された構造である。
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FY67
1967/3
売上高
1,422億円
当期純利益
1.8億円
重要事項
化成品事業部を発足
化成品事業部の発足は、化学繊維事業の衰退に対する守りの判断であると同時に、東洋紡のフィルム事業の起点ともなった。犬山工場をパルプ生産からフィルム生産に転換するという判断は、衰退事業の設備を新規事業に再活用するものであり、設備の廃棄ではなく用途転換によって固定資産の減損を回避する狙いがあった。日産300トンの採算ラインに対し45〜80トンまで落ち込んだ工場が、後に東洋紡の収益を支えるフィルム生産拠点に変わった経緯は、事業撤退と事業転換が表裏一体であることを示している。
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FY68
1968/3
売上高
1,557億円
当期純利益
27.7億円
FY69
1969/3
売上高
1,714億円
当期純利益
32.2億円
FY70
1970/3
売上高
1,926億円
当期純利益
37.3億円
経営の多角化
1971年のニクソンショックを契機とする円高ドル安と人件費高騰により、1970年代を通じて国内生産依存の繊維各社の業績が悪化した。よって繊維メーカーは脱・繊維依存を志向。東洋紡も1970年代に非繊維事業注力を決定し、既存の化成品(フィルム・樹脂)に加えライフサイエンス、不動産(工場跡地賃貸)、エンジニアリング、炭素繊維へ多角化した。
FY71
1971/3
売上高
2,027億円
当期純利益
38億円
FY72
1972/3
売上高
2,057億円
当期純利益
21億円
FY73
1973/3
売上高
2,271億円
当期純利益
32億円
FY74
1974/3
売上高
3,115億円
当期純利益
78億円
FY75
1975/3
売上高
2,534億円
当期純利益
-7億円
FY76
1976/3
売上高
2,803億円
当期純利益
-10億円
FY77
1977/3
売上高
2,380億円
当期純利益
18億円
宇野収氏が社長就任
FY78
1978/3
売上高
2,117億円
当期純利益
-34億円
敦賀バイオ工場を新設
FY79
1979/3
売上高
2,149億円
当期純利益
22億円
FY80
1980/3
売上高
2,475億円
当期純利益
32億円
研究開発
中空糸型逆浸透膜「ホロセップ」生産開始
1980年5月、岩国工場で中空糸型逆浸透膜モジュール「ホロセップ」の生産を開始した。よって1984年の人工腎臓用中空糸膜量産につながる膜技術の事業化第一歩となり、海水淡水化や水処理用途における機能膜事業の基盤が形成された。
FY81
1981/3
売上高
2,639億円
当期純利益
21億円
FY82
1982/3
売上高
3,168億円
当期純利益
44億円
重要事項
創業100年を機に非繊維事業への多角化「90年ビジョン」を提示
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FY83
1983/3
売上高
3,539億円
当期純利益
25億円
FY84
1984/3
売上高
3,489億円
当期純利益
40億円
人工腎臓用中空糸膜を量産開始
FY85
1985/3
国内3工場の閉鎖
1985年のプラザ合意で円高が一層進行し、労働集約的な国内繊維の採算が悪化。中国・韓国・東南アジアの繊維企業が台頭し日本勢は競争劣位に陥った。よって東洋紡は1984年に浜松工場と鈴鹿工場、1986年に今治工場を閉鎖し、国内3工場を畳んで繊維生産を縮小した。ただし、その後も他工場で国内繊維生産は継続している。
医薬品事業へ進出
1985年10月、医薬品事業へ進出した。すなわち1971年のバイオ事業進出、1984年の人工腎臓用中空糸膜量産に続くライフサイエンス領域の拡張であり、後年(1990年)の大津医薬工場発足へと連なる医薬事業基盤の起点となった。
FY86
1986/3
超高強力ポリエチレン繊維「ダイニーマ」量産開始
1991年4月、超高強力ポリエチレン繊維「ダイニーマ」の本格生産を開始した。よって防弾ベスト等の高機能用途で使われる素材の事業化に踏み込み、2018年3月の防弾ベスト向け繊維訴訟和解の対象品種にもつながる主力高機能繊維の生産が始まった。
FY92
1992/3
売上高
5,689億円
当期純利益
74億円
FY93
1993/3
売上高
5,489億円
当期純利益
43億円
赤穂工場・忠岡工場を閉鎖
採算が悪化した綿紡績の生産能力を縮小するため、1994年3月に赤穂工場(兵庫県)および忠岡工場(大阪府)を閉鎖
FY94
1994/3
売上高
4,971億円
当期純利益
4億円
FY95
1995/3
売上高
5,055億円
当期純利益
41億円
FY96
1996/3
売上高
4,611億円
当期純利益
35億円
FY97
1997/3
売上高
4,751億円
当期純利益
39億円
坂元龍三
FY98
1998/3
売上高
4,802億円
当期純利益
2億円
坂元龍三
高強度・高耐熱繊維「ザイロン」量産開始
1998年10月、つるが工場で高強度・高耐熱スーパー繊維「ザイロン」の本格生産を開始した。すなわちダイニーマ(1991年)に続く高機能繊維製品であり、防護衣料・産業資材向けの素材ラインアップを拡充する形で機能繊維事業の高度化を進めた。
FY99
1999/3
売上高
4,229億円
当期純利益
-33億円
坂元龍三
伊勢工場・大町工場を閉鎖
採算が悪化した綿紡績の生産能力を縮小するため、1999年12月に伊勢工場(三重県)および大町工場(長野県)を閉鎖
FY00
2000/3
売上高
4,149億円
当期純利益
-118億円
坂元龍三
FY01
2001/3
売上高
4,029億円
当期純利益
57億円
坂元龍三
羊毛事業で減産
採算が悪化した羊毛事業(毛紡績)について、国内における生産能力を40%縮小することを決定。羊毛事業については、子会社として分離した。
FY02
2002/3
売上高
3,830億円
当期純利益
-133億円
坂元龍三
FY03
2003/3
売上高
3,763億円
当期純利益
-69億円
坂元龍三
小松島工場・渕崎工場・宮城工場を閉鎖
採算が悪化した繊維製品の生産能力を縮小するため、2003年6月に小松島工場(徳島県)および渕崎工場、宮城工場を閉鎖
FY04
2004/3
売上高
3,730億円
当期純利益
87億円
坂元龍三
FY05
2005/3
売上高
3,936億円
当期純利益
122億円
坂元龍三
FY06
2006/3
売上高
4,019億円
当期純利益
125億円
坂元龍三
FY07
2007/3
売上高
4,266億円
当期純利益
134億円
坂元龍三
FY08
2008/3
売上高
4,314億円
当期純利益
46億円
坂元龍三
FY09
2009/3
売上高
3,672億円
当期純利益
-125億円
重要事項企業買収
坂元龍三
御幸HDを買収(御幸毛織)
歴史的意義yutaka sugiura
御幸毛織はかつて売上高経常利益率38%を達成した高収益企業であったが、安価な輸入紳士服チェーンの台頭により国内生産の価格競争力を失った。東洋紡による買収は、約41%を出資する筆頭株主としての責任に起因する面が大きく、事業シナジーよりも関連会社の処理という性格が強い。負ののれん41億円の発生は、繊維事業としての将来価値がほぼ評価されていないことを市場が示した結果であり、残った不動産資産が実質的な取得対象であった。
FY10
2010/3
売上高
3,187億円
当期純利益
20億円
坂元龍三
FY11
2011/3
売上高
3,405億円
当期純利益
41億円
坂元龍三
FY12
2012/3
売上高
3,495億円
親会社株主に帰属する当期純利益
45億円
楢原誠慈
商号を東洋紡株式会社に変更
繊維事業の縮小とフィルム製品を中心とする非繊維事業の拡大を受けて、商号の変更を決定。従来の「東洋紡績」から「東洋紡」に商号を変更し、紡績にとらわれない事業展開を商号と一致させた。
FY13
2013/3
売上高
3,390億円
親会社株主に帰属する当期純利益
76億円
保護フィルム「コスモシャインSRF」を開発
歴史的意義yutaka sugiura
コスモシャインSRFは、東洋紡が1960年代に化学繊維の衰退を受けてフィルム事業に転換した延長線上にある製品である。犬山工場でのパルプ生産からフィルム生産への転換、二軸延伸技術の蓄積、そして液晶向け高機能フィルムの開発という流れは、約50年をかけた事業転換の帰結ともいえる。TAC系フィルムの反り問題という具体的な品質課題を解決することでシェアを獲得した点は、素材メーカーの競争優位が汎用性ではなく特定用途での技術的差別化に依存することを示している。
楢原誠慈
FY14
2014/3
売上高
3,515億円
親会社株主に帰属する当期純利益
81億円
楢原誠慈
FY15
2015/3
売上高
3,512億円
親会社株主に帰属する当期純利益
81億円
楢原誠慈
海外繊維事業を縮小
FY16
2016/3
売上高
3,477億円
親会社株主に帰属する当期純利益
101億円
楢原誠慈
FY17
2017/3
売上高
3,294億円
親会社株主に帰属する当期純利益
94億円
楢原誠慈
防弾ベスト向け繊維の訴訟和解
歴史的意義yutaka sugiura
ザイロンは低収益な衣料用繊維から脱却するための高付加価値製品であったが、防弾ベストという人命に関わる用途に採用されたことで、品質問題が訴訟リスクに直結した。繊維メーカーが高付加価値領域に進出する際、製品用途が高度化するほど品質保証と情報開示の基準も厳格になるという構造的なトレードオフがある。和解金70億円は、高付加価値化による利益率の向上と用途の高度化に伴うリスクの増大が不可分であることを示している。
FY18
2018/3
売上高
3,311億円
親会社株主に帰属する当期純利益
130億円
楢原誠慈
FY19
2019/3
売上高
3,366億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-6億円
竹内郁夫
FY20
2020/3
売上高
3,396億円
親会社株主に帰属する当期純利益
137億円
重要事項
竹内郁夫
エンプラ「プラナック」でUL規格認証不正が発覚
経営判断をよむ →
FY21
2021/3
売上高
3,374億円
親会社株主に帰属する当期純利益
42億円
竹内郁夫
FY22
2022/3
売上高
3,757億円
親会社株主に帰属する当期純利益
128億円
竹内郁夫
繊維事業を分割
FY23
2023/3
売上高
3,999億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-6億円
竹内郁夫
フィルム製品で大幅減益
歴史的意義yutaka sugiura
フィルムセグメントの営業利益が198億円から16億円へ急落した要因は原料価格の高騰であるが、本質的な問題は製品ごとの価格転嫁力の差にある。世界シェア60%を持つコスモシャインSRFのような工業用フィルムは代替が困難なため価格転嫁力が強いが、包装用フィルムは汎用品ゆえに顧客の価格感応度が高い。同じフィルムセグメントに属しながら市場構造の違いが原料高騰時の収益耐性を分けた事例である。
FY24
2024/3
売上高
4,142億円
親会社株主に帰属する当期純利益
24億円
竹内郁夫
つるがフィルム工場で増産決定
液晶偏光子保護用屈折フィルム「コスモシャインSRF」(主に液晶テレビ向け)について30%の増産を決定。2026年度をめどに「つるがフィルム工場」において、量産設備の新設を決定した。
FY25
2025/3
売上高
4,220億円
親会社株主に帰属する当期純利益
20億円
  1. 大阪紡績会社を設立
    明治政府の官営紡績は1工場2,000錘を前提に設計されており、紡績業が本来持つ規模の経済を活かせない構造であった。渋沢栄一はこの前提自体を覆し、1万5,000錘という7倍超の規模で民間紡績会社を構想した。注目すべきは資金調達に華族資本を活用した点であり、前田家や毛利家など旧大名家の出資は、新設会社の信用力を制度的に担保する装置として機能した。事業構想力と資金調達設計の両面で、近代日本の民間企業設立における一つの型を提示した事例といえる。
  2. 三重紡績会社を設立
    三重紡績会社の設立は、経営難に陥った地方紡績所の再建という実務的な課題から始まった。だが渋沢栄一は単なる資金援助ではなく、大阪紡績と同水準の大規模工場新設を条件とした。ここには紡績業における規模の経済を個別企業の再建にも適用するという一貫した思想がある。さらに渋沢氏は三重紡績の相談役として経営に関与し続け、結果的に大阪紡績との合併を可能にする関係基盤を30年にわたって維持した。再建支援が事業統合の布石として機能した構造は興味深い。
  3. 会社設立
    東洋紡績株式会社を設立
    大阪紡績と三重紡績の合併は、規模拡大を目的とした業界再編の一環であるが、その成立過程には渋沢栄一の関与が不可欠であった。渋沢氏は両社の相談役を兼務しており、利害調整を第三者としてではなく両社の内部から行える立場にあった。紡績業界の再編は多くの企業間で進んだが、合併後に国内1位となる規模の統合を実現するには、経営者間の信頼関係と利害調整の仕組みが必要であり、渋沢氏の存在がその条件を満たした。
  4. レーヨンの生産開始
  5. 大阪合同紡績を合併
  6. レーヨンの増産投資
  7. 設備投資
    岩国工場でレーヨン生産開始

    1937年7月、岩国工場の操業を開始しレーヨンの生産に着手した。よって1927年の堅田人絹工場・1934年の敦賀工場に続くレーヨン生産拠点の追加となり、戦前期における人造繊維事業の生産基盤が拡充された。

  8. 犬山工場でバイオ事業の萌芽

    1948年10月、犬山工場でパルプ廃液から酵母を生産する試験を開始した。すなわち戦後の資源活用研究が後年(1971年)のバイオ事業本格進出につながる起点となり、繊維メーカーが生命科学領域に踏み出す端緒として位置づけられる。

  9. 東京証券取引所に株式上場
  10. アクリル繊維に参入
    東洋紡がポリエステル繊維の技術導入を見送りアクリル繊維に注力した判断は、結果的に合成繊維市場での競争劣位を招いた。ただし当時の時点では、ポリエステルの繊維製品としての将来性は不確実であり、テレフタル酸製造への大規模投資も必要であった。限られた経営資源をどこに集中するかという判断において、確度の高い選択肢を優先すること自体は合理的であった。問題はICI提携という不可逆な機会を見送ったことで、後から参入するコストが著しく高くなった点にある。
  11. 谷口豊三郎氏が社長就任
  12. プロピレンフィルムの生産開始

    東洋紡が注力していた合成繊維(アセテート)は、当初は羊毛の代替品として期待されたが、実際には染色性に難があり、ナイロンやポリエステルといった合成繊維のように普及には至らなかった。そこで、東洋紡はアセテートの繊維開発で培った技術を転用し、プロピレンフィルム(PPフィルム・二軸延伸PPフィルム)を開発。繊維製品ではなく、樹脂製品として展開することで、収益化を目指した。

  13. ポリエステルの生産開始
  14. 経営の多角化

    1971年のニクソンショックを契機とする円高ドル安と人件費高騰により、1970年代を通じて国内生産依存の繊維各社の業績が悪化した。よって繊維メーカーは脱・繊維依存を志向。東洋紡も1970年代に非繊維事業注力を決定し、既存の化成品(フィルム・樹脂)に加えライフサイエンス、不動産(工場跡地賃貸)、エンジニアリング、炭素繊維へ多角化した。

  15. 宇野収氏が社長就任
  16. 敦賀バイオ工場を新設
  17. 研究開発
    中空糸型逆浸透膜「ホロセップ」生産開始

    1980年5月、岩国工場で中空糸型逆浸透膜モジュール「ホロセップ」の生産を開始した。よって1984年の人工腎臓用中空糸膜量産につながる膜技術の事業化第一歩となり、海水淡水化や水処理用途における機能膜事業の基盤が形成された。

  18. 人工腎臓用中空糸膜を量産開始
  19. 国内3工場の閉鎖

    1985年のプラザ合意で円高が一層進行し、労働集約的な国内繊維の採算が悪化。中国・韓国・東南アジアの繊維企業が台頭し日本勢は競争劣位に陥った。よって東洋紡は1984年に浜松工場と鈴鹿工場、1986年に今治工場を閉鎖し、国内3工場を畳んで繊維生産を縮小した。ただし、その後も他工場で国内繊維生産は継続している。

  20. 医薬品事業へ進出

    1985年10月、医薬品事業へ進出した。すなわち1971年のバイオ事業進出、1984年の人工腎臓用中空糸膜量産に続くライフサイエンス領域の拡張であり、後年(1990年)の大津医薬工場発足へと連なる医薬事業基盤の起点となった。

  21. 超高強力ポリエチレン繊維「ダイニーマ」量産開始

    1991年4月、超高強力ポリエチレン繊維「ダイニーマ」の本格生産を開始した。よって防弾ベスト等の高機能用途で使われる素材の事業化に踏み込み、2018年3月の防弾ベスト向け繊維訴訟和解の対象品種にもつながる主力高機能繊維の生産が始まった。

  22. 赤穂工場・忠岡工場を閉鎖

    採算が悪化した綿紡績の生産能力を縮小するため、1994年3月に赤穂工場(兵庫県)および忠岡工場(大阪府)を閉鎖

  23. 高強度・高耐熱繊維「ザイロン」量産開始

    1998年10月、つるが工場で高強度・高耐熱スーパー繊維「ザイロン」の本格生産を開始した。すなわちダイニーマ(1991年)に続く高機能繊維製品であり、防護衣料・産業資材向けの素材ラインアップを拡充する形で機能繊維事業の高度化を進めた。

  24. 伊勢工場・大町工場を閉鎖

    採算が悪化した綿紡績の生産能力を縮小するため、1999年12月に伊勢工場(三重県)および大町工場(長野県)を閉鎖

  25. 羊毛事業で減産

    採算が悪化した羊毛事業(毛紡績)について、国内における生産能力を40%縮小することを決定。羊毛事業については、子会社として分離した。

  26. 小松島工場・渕崎工場・宮城工場を閉鎖

    採算が悪化した繊維製品の生産能力を縮小するため、2003年6月に小松島工場(徳島県)および渕崎工場、宮城工場を閉鎖

  27. 企業買収
    御幸HDを買収(御幸毛織)
    御幸毛織はかつて売上高経常利益率38%を達成した高収益企業であったが、安価な輸入紳士服チェーンの台頭により国内生産の価格競争力を失った。東洋紡による買収は、約41%を出資する筆頭株主としての責任に起因する面が大きく、事業シナジーよりも関連会社の処理という性格が強い。負ののれん41億円の発生は、繊維事業としての将来価値がほぼ評価されていないことを市場が示した結果であり、残った不動産資産が実質的な取得対象であった。
  28. 商号を東洋紡株式会社に変更

    繊維事業の縮小とフィルム製品を中心とする非繊維事業の拡大を受けて、商号の変更を決定。従来の「東洋紡績」から「東洋紡」に商号を変更し、紡績にとらわれない事業展開を商号と一致させた。

  29. 保護フィルム「コスモシャインSRF」を開発
    コスモシャインSRFは、東洋紡が1960年代に化学繊維の衰退を受けてフィルム事業に転換した延長線上にある製品である。犬山工場でのパルプ生産からフィルム生産への転換、二軸延伸技術の蓄積、そして液晶向け高機能フィルムの開発という流れは、約50年をかけた事業転換の帰結ともいえる。TAC系フィルムの反り問題という具体的な品質課題を解決することでシェアを獲得した点は、素材メーカーの競争優位が汎用性ではなく特定用途での技術的差別化に依存することを示している。
  30. 海外繊維事業を縮小
  31. 防弾ベスト向け繊維の訴訟和解
    ザイロンは低収益な衣料用繊維から脱却するための高付加価値製品であったが、防弾ベストという人命に関わる用途に採用されたことで、品質問題が訴訟リスクに直結した。繊維メーカーが高付加価値領域に進出する際、製品用途が高度化するほど品質保証と情報開示の基準も厳格になるという構造的なトレードオフがある。和解金70億円は、高付加価値化による利益率の向上と用途の高度化に伴うリスクの増大が不可分であることを示している。
  32. 繊維事業を分割
  33. フィルム製品で大幅減益
    フィルムセグメントの営業利益が198億円から16億円へ急落した要因は原料価格の高騰であるが、本質的な問題は製品ごとの価格転嫁力の差にある。世界シェア60%を持つコスモシャインSRFのような工業用フィルムは代替が困難なため価格転嫁力が強いが、包装用フィルムは汎用品ゆえに顧客の価格感応度が高い。同じフィルムセグメントに属しながら市場構造の違いが原料高騰時の収益耐性を分けた事例である。
  34. つるがフィルム工場で増産決定

    液晶偏光子保護用屈折フィルム「コスモシャインSRF」(主に液晶テレビ向け)について30%の増産を決定。2026年度をめどに「つるがフィルム工場」において、量産設備の新設を決定した。