ファーストリテイリング(ユニクロ/GU)の沿革(1949〜2023年)
ファーストリテイリング(ユニクロ/GU)の創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1949 1-12月 | 宇部中央銀天街商店街にて「小郡商事」を開店 | 宇部興産の企業城下町が「ありふれた零細店」を成立させた前提条件 | ||||
1960 1-12月 | 小郡商事株式会社を設立 | 年商8,000万円・銀行1行——「商店街の中規模店」という天井 | ||||
1972 1-12月 | 柳井正氏が小郡商事に入社 | 商店街の「緩慢な衰退」が危機感の発動を10年遅らせた | ||||
1980 1-12月 | 商店街(銀天街)の衰退 | 石炭→モータリゼーションの二重衰退が「脱・商店街」を不可避にした | ||||
FY84 1984/8 | leadership | 柳井正氏が小郡商事の代表取締役社長に就任 | ||||
広島市内にユニクロ1号店を開業 | ||||||
FY85 1985/8 | ユニクロの店舗展開をロードサイドに変更 | 都心の失敗が「ロードサイド×ファミリー」というPMFを発見させた | ||||
FY88 1988/8 | 香港経由で中国メーカーの製品を買い付け | GAPの模倣が「店舗数が足りない」という逆説的制約を生んだ | ||||
FY90 1990/8 | 売上高 51.5億円 | 当期純利益 0.4億円 | ||||
FY91 1991/8 | 売上高 71.7億円 | 当期純利益 1.4億円 | 社名をファーストリテイリングに変更 | 誰も知らない「SPA」を社名にした先発者の孤独 | ||
日本長期信用銀行から借入調達を実施 | 長銀が「ベンチャー」と評価した一言が地銀の横並び融資を解いた | |||||
年間30店舗超の出店計画 | 1店舗6,000万円×年30店——「持たざる経営」が生んだ出店速度 | |||||
FY92 1992/8 | 売上高 143億円 | 当期純利益 4.1億円 | コンピュータの導入で在庫をコントロール | 「全量買取」のリスクを月曜朝〜火曜夕の売価変更会議で制御した | ||
| founding | 不採算事業から撤退。祖業のオーエス販売を解散 | |||||
FY93 1993/8 | 売上高 250億円 | 当期純利益 9.4億円 | 実力主義による人事評価制度を導入 | 「20代ブロックマネージャー」が年間30店舗出店を可能にした | ||
FY94 1994/8 | 売上高 333億円 | 当期純利益 13.3億円 | ユニクロ100店舗を突破。売上成長を実現 ファーストリテイリングはユニクロの急速な多店舗展開によって、1994年に100店舗体制を確立した。わずか3年の間に80店舗を新設するスピード展開によって、カジュアルウェアの大量販売の仕組みを作り上げた。
ファーストリテイリングの売上高も、ユニクロの店舗数拡大に合わせて増大。1994年には売上高333億円(YoY+33%)の急成長を実現した。 | |||
広島証券取引所に株式上場。130億円を調達 | ||||||
大量出店によりSPAによる大量仕入れに目処 1994年にファーストリテイリングは株式上場によって、130億円の資金調達を実施した。この資金により、1995年度〜1997年度の3ヵ年において、年間50店舗のペースで出店する方針を固めた。
出店対象の地域は、ロードサイドの郊外であり、関東地方にも進出することで売上高の増大を目指した。なお、店舗を一定数確保できたことから、SPAにおける中国メーカーからの大量仕入れを実現するための販売量の確保に目処を立てた。 | ||||||
本部制組織に移行 1994年にファーストリテイリングは、組織面において「開発・管理」と「店舗運営・商品本部」の2つの本部から構成される「本部制」を導入した。
業績の拡大によって従業員数が500名に迫ったことによる組織変更であり、各部署の責務を明確にする狙いがあったと推察される。 | ||||||
FY95 1995/8 | 売上高 486億円 | 当期純利益 21億円 | 中国沿海部のメーカー4社と契約 | 東レを飛び出した仲介者が「中国SPA」の実現を引き寄せた | ||
SPAの構築で総合商社と取引拡大。国内メーカーとの取引を縮小 中国メーカーへの委託生産の本格化によって、ファーストリテイリングは仕入れに際して総合商社を通じて取引を実施。ニチメンを筆頭に、三菱商事、兼松、丸紅の各社と取引を行うことで、商品の仕入れ体制を整えた。
一方で、ファーストリテイリングは国内のアパレルメーカーとの取引を縮小した。支払手形の期末残高の推移を見ると、美濃屋や水甚など、それまで取引していた国内メーカーの問屋との取引額が減少しており、SPAの構築に合わせて国産商品の比率を大幅に低下させたものと推察される。 | ||||||
FY96 1996/8 | 売上高 599億円 | 当期純利益 23.2億円 | ||||
FY97 1997/8 | 売上高 750億円 | 当期純利益 27億円 | ||||
FY98 1998/8 | 売上高 831億円 | 当期純利益 29.2億円 | ロードサイド店の飽和により売上成長率が鈍化 | ロードサイドの「天井」と古参経営陣の「慣性」が非連続な転換を迫った | ||
FY99 1999/8 | 売上高 1,110億円 | 当期純利益 68.1億円 | ユニクロ原宿店を出店・首都圏初の都心型店舗 ファーストリテイリングは1990年代を通じて西日本を中心とした郊外のロードサイド店を拡大してきたが、都心部における店舗展開の検討を開始。1998年11月に首都圏初の都心型店舗として「ユニクロ原宿店」を開業した。 | |||
FY00 2000/8 | 売上高 2,289億円 | 当期純利益 345億円 | フリース旋風により業績好調へ ユニクロの都心型店舗の展開に合わせて、集客のための目玉商品としてフリースを準備。1着あたり1900円で売り出したところ、安くて品質が良いフリースとしてヒット。2001年度におけるファーストリテイリングの業績は「フリース旋風」によって高収益(売上高・当期純利益率15%)を叩き出した。 | |||
FY01 2001/8 | 売上高 4,185億円 | 当期純利益 591億円 | ||||
FY02 2002/8 | 売上高 3,441億円 | 当期純利益 511億円 | ロンドンに4店舗を出店(英国進出) 海外進出を本格化。郊外を中心に3年間で50店舗の出店を計画するが、ブランド認知の獲得に苦戦。最大21店舗の出店に至ったが、これを6店舗まで縮小するなど、海外展開で苦戦した。 | |||
FY03 2003/8 | 売上高 3,097億円 | 当期純利益 415億円 | 中国に2店舗を出店(中国進出) | |||
FY04 2004/8 | 売上高 3,399億円 | 当期純利益 313億円 | ||||
FY05 2005/8 | 売上高 3,839億円 | 当期純利益 338億円 | 事業構造改革・売場面積の拡大へ | フリース後の迷走が「200坪ルール撤廃」という本業回帰を導いた | ||
FY06 2006/8 | 売上高 4,488億円 | 当期純利益 404億円 | 持株会社体制に移行 | |||
株式会社ジーユーを設立。GUの展開を開始 | ユニクロの「高品質化」が空けた国内低価格市場をGUで埋めた | |||||
FY07 2007/8 | 売上高 5,252億円 | 当期純利益 317億円 | グローバル化を宣言・グローバル旗艦店の出店を開始 | 英国郊外の失敗が「一等地×大型店」という逆張り出店戦略を生んだ | ||
FY08 2008/8 | 売上高 5,864億円 | 当期純利益 435億円 | ユニクロの海外展開国を拡大 ユニクロのグローバル展開のために、欧州・東南アジアを中心に主要国における出店を本格化 | |||
FY09 2009/8 | 売上高 6,850億円 | 当期純利益 497億円 | ||||
FY10 2010/8 | 売上高 8,148億円 | 当期純利益 616億円 | ||||
FY11 2011/8 | 売上高 8,203億円 | 当期純利益 543億円 | ||||
FY12 2012/8 | 売上高 9,286億円 | 当期純利益 716億円 | ||||
FY13 2013/8 | 売上高 11,430億円 | 当期純利益 903億円 | ||||
FY14 2014/8 | 売上収益 13,829億円 | 当期利益 745億円 | ||||
FY15 2015/8 | 売上収益 16,817億円 | 当期利益 1,100億円 | ||||
FY16 2016/8 | 売上収益 17,864億円 | 当期利益 480億円 | 無担保普通社債を発行・2500億円を調達 | |||
FY17 2017/8 | 売上収益 18,619億円 | 当期利益 1,192億円 | 有明本部を稼働・物流投資を積極化 | |||
主要取引先(工場)を公開 | ||||||
FY18 2018/8 | 売上収益 21,300億円 | 当期利益 1,548億円 | ||||
FY19 2019/8 | 売上収益 22,905億円 | 当期利益 1,625億円 | ||||
FY20 2020/8 | 売上収益 20,088億円 | 当期利益 903億円 | 東京にグローバル旗艦店「UNIQLO TOKYO」を出店(国内最大規模) | |||
FY21 2021/8 | 売上収益 21,329億円 | 当期利益 1,698億円 | ||||
FY22 2022/8 | 売上収益 23,011億円 | 当期利益 2,733億円 | アクションプランを策定(〜2030年度) | |||
FY23 2023/8 | 売上収益 27,665億円 | 当期利益 2,962億円 |
- 宇部中央銀天街商店街にて「小郡商事」を開店宇部興産の企業城下町が「ありふれた零細店」を成立させた前提条件
- 小郡商事株式会社を設立年商8,000万円・銀行1行——「商店街の中規模店」という天井
- 柳井正氏が小郡商事に入社商店街の「緩慢な衰退」が危機感の発動を10年遅らせた
- 商店街(銀天街)の衰退石炭→モータリゼーションの二重衰退が「脱・商店街」を不可避にした
- 柳井正氏が小郡商事の代表取締役社長に就任
- 広島市内にユニクロ1号店を開業
- ユニクロの店舗展開をロードサイドに変更都心の失敗が「ロードサイド×ファミリー」というPMFを発見させた
- 香港経由で中国メーカーの製品を買い付けGAPの模倣が「店舗数が足りない」という逆説的制約を生んだ
- 社名をファーストリテイリングに変更誰も知らない「SPA」を社名にした先発者の孤独
- 日本長期信用銀行から借入調達を実施長銀が「ベンチャー」と評価した一言が地銀の横並び融資を解いた
- 年間30店舗超の出店計画1店舗6,000万円×年30店——「持たざる経営」が生んだ出店速度
- コンピュータの導入で在庫をコントロール「全量買取」のリスクを月曜朝〜火曜夕の売価変更会議で制御した
- 不採算事業から撤退。祖業のオーエス販売を解散
- 実力主義による人事評価制度を導入「20代ブロックマネージャー」が年間30店舗出店を可能にした
- ユニクロ100店舗を突破。売上成長を実現
ファーストリテイリングはユニクロの急速な多店舗展開によって、1994年に100店舗体制を確立した。わずか3年の間に80店舗を新設するスピード展開によって、カジュアルウェアの大量販売の仕組みを作り上げた。 ファーストリテイリングの売上高も、ユニクロの店舗数拡大に合わせて増大。1994年には売上高333億円(YoY+33%)の急成長を実現した。
- 広島証券取引所に株式上場。130億円を調達
- 大量出店によりSPAによる大量仕入れに目処
1994年にファーストリテイリングは株式上場によって、130億円の資金調達を実施した。この資金により、1995年度〜1997年度の3ヵ年において、年間50店舗のペースで出店する方針を固めた。 出店対象の地域は、ロードサイドの郊外であり、関東地方にも進出することで売上高の増大を目指した。なお、店舗を一定数確保できたことから、SPAにおける中国メーカーからの大量仕入れを実現するための販売量の確保に目処を立てた。
- 本部制組織に移行
1994年にファーストリテイリングは、組織面において「開発・管理」と「店舗運営・商品本部」の2つの本部から構成される「本部制」を導入した。 業績の拡大によって従業員数が500名に迫ったことによる組織変更であり、各部署の責務を明確にする狙いがあったと推察される。
- 中国沿海部のメーカー4社と契約東レを飛び出した仲介者が「中国SPA」の実現を引き寄せた
- SPAの構築で総合商社と取引拡大。国内メーカーとの取引を縮小
中国メーカーへの委託生産の本格化によって、ファーストリテイリングは仕入れに際して総合商社を通じて取引を実施。ニチメンを筆頭に、三菱商事、兼松、丸紅の各社と取引を行うことで、商品の仕入れ体制を整えた。 一方で、ファーストリテイリングは国内のアパレルメーカーとの取引を縮小した。支払手形の期末残高の推移を見ると、美濃屋や水甚など、それまで取引していた国内メーカーの問屋との取引額が減少しており、SPAの構築に合わせて国産商品の比率を大幅に低下させたものと推察される。
- ロードサイド店の飽和により売上成長率が鈍化ロードサイドの「天井」と古参経営陣の「慣性」が非連続な転換を迫った
- ユニクロ原宿店を出店・首都圏初の都心型店舗
ファーストリテイリングは1990年代を通じて西日本を中心とした郊外のロードサイド店を拡大してきたが、都心部における店舗展開の検討を開始。1998年11月に首都圏初の都心型店舗として「ユニクロ原宿店」を開業した。
- フリース旋風により業績好調へ
ユニクロの都心型店舗の展開に合わせて、集客のための目玉商品としてフリースを準備。1着あたり1900円で売り出したところ、安くて品質が良いフリースとしてヒット。2001年度におけるファーストリテイリングの業績は「フリース旋風」によって高収益(売上高・当期純利益率15%)を叩き出した。
- ロンドンに4店舗を出店(英国進出)
海外進出を本格化。郊外を中心に3年間で50店舗の出店を計画するが、ブランド認知の獲得に苦戦。最大21店舗の出店に至ったが、これを6店舗まで縮小するなど、海外展開で苦戦した。
- 中国に2店舗を出店(中国進出)
- 事業構造改革・売場面積の拡大へフリース後の迷走が「200坪ルール撤廃」という本業回帰を導いた
- 持株会社体制に移行
- 株式会社ジーユーを設立。GUの展開を開始ユニクロの「高品質化」が空けた国内低価格市場をGUで埋めた
- グローバル化を宣言・グローバル旗艦店の出店を開始英国郊外の失敗が「一等地×大型店」という逆張り出店戦略を生んだ
- ユニクロの海外展開国を拡大
ユニクロのグローバル展開のために、欧州・東南アジアを中心に主要国における出店を本格化
- 無担保普通社債を発行・2500億円を調達
- 有明本部を稼働・物流投資を積極化
- 主要取引先(工場)を公開
- 東京にグローバル旗艦店「UNIQLO TOKYO」を出店(国内最大規模)
- アクションプランを策定(〜2030年度)