沿革年表 1781〜2026年における重要度別の出来事(合計37件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
薬種商を創業
歴史的意義yutaka sugiura
武田薬品の創業は製品開発ではなく流通と信用を基盤とする薬種仲買から始まった。当主が「武田長兵衛」を代々襲名する慣行は、個人ではなく屋号に信用を帰属させることで事業の継続性を高める仕組みであった。この構造が130年以上維持された事実は、製造機能を持たずとも流通と品質の見極めを軸とする商いが長期にわたり合理的であったことを示している。
1781
1-12月
業態転換
洋薬の輸入買付を開始
1781年創業の薬種商として、明治初頭に洋薬の輸入買付に乗り出した。漢方主体の薬種商から欧米由来の医薬品取扱いへ転換した起点であり、後年の研究・製造への前提となる素地を築いた。
1871
1-12月
武田製薬所を新設
1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツを中心とする欧州からの医薬品輸入が滞った。薬種商・輸入商として海外供給に依存していた武田は事業前提が揺らいだ。同年に設置した武田研究部で試験・分析機能は内製化していたが、製造基盤は持たなかった。そこで1915年10月、大阪に医薬品製造拠点として武田製薬所を新設し、輸入再開を待たず自社製造する体制を構築した。つまり研究と製造を社内で完結させ、流通業から製造業へ事業構造を転換する判断であった。
輸入途絶を契機とした「流通から製造へ」の不可逆転換
1915
1-12月
武田薬品工業に商号変更
旧来の個人経営から株式会社に組織変更。1944年には武田薬品工業と小西薬品が合併。以後、武田薬品の経営トップは武田家が歴任したが、小西家も役員に就任して武田薬品の経営に携わった。このため、武田薬品の創業家には「武田家」と「小西家」という2つの系統が存在する。
1943
1-12月
東京証券取引所に株式上場
1949
1-12月
大衆薬アリナミンを発売
歴史的意義yutaka sugiura
アリナミンの発売は医療用で培ったビタミンB₁誘導体の研究成果を大衆薬市場に転用した判断であった。三船敏郎を起用した広告とタケダ会による全国統一価格販売の組み合わせは、認知形成と流通秩序の維持を同時に実現する設計であった。売上高の37%を占めるまでに成長したこの製品は、武田薬品を製造企業から消費者向け企業へと転換させる起点となった。
1954
1-12月
FY57
1957/3
売上高
163.8億円
FY58
1958/3
売上高
204億円
FY59
1959/3
売上高
219億円
FY60
1960/3
売上高
249億円
事業部制を導入
製薬・医薬販売・食品・化学品・外国の5部署からなる組織体制に変更。医薬以外の多角事業にも注力
FY61
1961/3
売上高
307億円
FY62
1962/3
売上高
431億円
湘南工場を新設
関東地区における生産を強化するため、神奈川県藤沢市に湘南工場を新設。アリナミン錠剤の主力工場上として稼働。1965年からは医療用医薬品(注射薬など)の製造を開始
FY63
1963/3
売上高
556億円
FY64
1964/3
売上高
735億円
当期純利益
53.7億円
FY65
1965/3
売上高
951億円
当期純利益
63億円
FY66
1966/3
売上高
927億円
当期純利益
61.9億円
FY67
1967/3
売上高
1,039億円
当期純利益
62.3億円
FY68
1968/3
売上高
1,169億円
当期純利益
86億円
FY69
1969/3
売上高
1,395億円
当期純利益
120.5億円
FY70
1970/3
売上高
1,599億円
当期純利益
143.4億円
FY71
1971/3
売上高
1,722億円
当期純利益
132.3億円
FY72
1972/3
売上高
1,712億円
当期純利益
82.2億円
大型新薬・リラシリンを開発
ビタミン剤ブームの終焉を受けて、医療用医薬品の開発を強化して抗生物質を自社開発。1970年代の最盛期には年間10億円の売上を記録し、武田薬品工業の大型新薬となった。一方で、リラシリン以外の大型新薬の市場投入には苦戦し、海外からの導入品や、食品・化成品といった多角事業の収益が武田薬品工業を支えた。このため、1970年代を通じて武田薬品は「大型新薬がなかった」(1981/5投資月報)ことが利益率悪化の原因と言われ、経営に苦戦した。
FY73
1973/3
売上高
1,880億円
当期純利益
72.4億円
小西新兵衛氏が社長就任
5代目武田長兵衛氏(1943年社長就任)が70歳にて社長を退任。1944年に経営統合した小西薬品の創業家出身の小西新兵衛氏が社長就した。小西氏は社長就任時から海外展開を意識しており、当時の製薬メーカーでは珍しくグローバルな経営者であった
FY75
1975/3
FY76
1976/3
売上高
2,739億円
当期純利益
73.2億円
米アボット社と提携
1975年の製薬分野の資本自由化により欧米大手が日本市場に本格参入し、国内市場は研究開発力やグローバル展開力が問われる局面に入った。国内主体の武田薬品は国際競争への対応を迫られた。そこで1977年に米アボット社と提携し、海外販売網や開発知見にアクセスして単独では補完しにくい領域を強化した。つまり国際的な製薬ビジネスへ参画する足場を築く判断であった。1985年にはアボットとの合弁で米国現地法人を設立し、リュープリン米国展開の基盤となった。
資本自由化への対応が後の米国事業基盤の起点を形成
FY77
1977/3
売上高
3,168億円
当期純利益
103億円
スモン訴訟対応
歴史的意義yutaka sugiura
スモン訴訟に対する引当金200億円の段階的計上は、薬害問題を不確定リスクとして抱え続けるのではなく経営上の確定損失として処理する判断であった。短期的な収益悪化を受け入れる代わりに将来の補償負担に関する不確実性を縮小し、1980年代以降の研究開発投資強化に向けた経営の前提条件を確保した。危機を整理して先に進む選択であった。
FY78
1978/3
売上高
3,479億円
当期純利益
130億円
FY79
1979/3
売上高
3,886億円
当期純利益
199億円
研究開発投資を強化。研究開発費年間200億円を計上
日本では1976年に「物質特許制度」が実施され、後発企業が製法を変えるという抜け道が塞がれ、実質的に創薬に対する特許の有効範囲が広がった。これを受けて、1970年代後半から武田薬品は医療用医薬品への創薬投資を強化。国内の競合他社が年間100億円の研究開発費を計上する中で、FY1979に武田薬品は2倍となる210億円を研究開発費として捻出して200億円を突破。業界内でも特に創薬重視の方向を鮮明にした
FY80
1980/3
売上高
4,383億円
当期純利益
226億円
FY81
1981/3
売上高
4,505億円
当期純利益
224億円
FY82
1982/3
売上高
4,836億円
当期純利益
246億円
FY83
1983/3
売上高
5,194億円
当期純利益
262億円
FY84
1984/3
売上高
5,309億円
当期純利益
244億円
FY85
1985/3
売上高
5,438億円
当期純利益
222億円
業務提携
米アボット社と合弁TAPファーマシューティカルズを設立
米アボット・ラボラトリーズとの合弁で米国にTAPファーマシューティカルズを設立した。1977年のアボット提携を発展させ、リュープリン米国展開を担う事業基盤となった。2008年に完全子会社化された。
FY86
1986/3
売上高
5,518億円
当期純利益
232億円
FY87
1987/3
売上高
5,714億円
当期純利益
284億円
筑波研究所を新設
FY88
1988/3
売上高
6,329億円
当期純利益
379億円
リュープリンを発売
歴史的意義yutaka sugiura
リュープリンの成功は、抗生物質の開発中止というリスクを伴う集中投資から生まれた。武田國男が米国現地法人で下した判断は、限られた資源を分散させず一品目に賭ける選択であり、後の社長時代に展開される「選択と集中」路線の原体験となった。グローバル売上1000億円超の達成は、日本企業が自社創薬を自社販売で世界展開できることを数値で実証した。
FY89
1989/3
売上高
6,867億円
当期純利益
388億円
FY90
1990/3
売上高
6,943億円
当期純利益
368億円
タケプロンを発売
プロトンポンプ阻害剤として開発し、欧州で販売開始。一般名は「ランソプラゾール」。米国ではリュープリン、欧州ではタケプロンが収益増大に寄与。武田薬品のグローバルの支えとなる基幹製品となった大型新薬のタケプロンが米国を中心に売上を拡大。FY1995時点で国内95億円+米国1690億円+欧州ほか265億円の売上高を計上し、グローバルで1000億円を超える大型医薬品に育った
FY91
1991/3
売上高
6,914億円
当期純利益
444億円
長谷川閑史
研究所の組織改革を実施
FY92
1992/3
売上高
7,096億円
当期純利益
338億円
長谷川閑史
大型新薬・プログラフを発売
FY93
1993/3
売上高
7,201億円
当期純利益
480億円
重要事項事業売却
長谷川閑史
武田國男氏が社長就任し「選択と集中」に着手
非医薬事業を切り医療用医薬へ集中する「選択と集中」の起点
経営判断をよむ →
FY94
1994/3
売上高
7,278億円
当期純利益
476億円
長谷川閑史
FY95
1995/3
売上高
7,716億円
当期純利益
514億円
長谷川閑史
カンパニー制を導入
1990年代、新薬1品目の研究開発費は200〜300億円に膨張、医薬品産業は資本集約型へ移行し日本市場のみで投資回収は困難となった。武田薬品は多角化で付加価値の低い事業も製薬水準の人件費で抱え固定費が重荷となった。武田國男社長は世界で戦う研究開発型企業への転換を選択、1996年にカンパニー制を導入し各事業を独立採算化、新規採用抑制で10年に約3500人削減する方針を出した。これにより事業売却や再編を可能にし医薬品集中投資の前提を整えた。
事業売却の前提条件を整えた「制度としての選択と集中」
FY96
1996/3
売上高
8,013億円
当期純利益
598億円
長谷川閑史
プロプレスを発売
高血圧治療薬として発売。一般名は「カンデサルタン・シレキセチル」
FY97
1997/3
売上高
8,388億円
当期純利益
713億円
アクトスが米国で承認
糖尿病治療薬である「アクトス」が米国で承認され販売開始。1999年には日本でも承認された。化合物の選定が1986年(AD-4833)、臨床試験の開始が1989年であり、約10年の開発期間を経て市場に投入。2000年代を通じて武田薬品の収益に貢献した大型新薬となった
長谷川閑史
武田アメリカ研究開発センターを新設
FY98
1998/3
売上高
8,418億円
当期純利益
816億円
長谷川閑史
FY99
1999/3
売上高
8,446億円
当期純利益
917億円
長谷川閑史
FY00
2000/3
売上高
9,231億円
当期純利益
1,196億円
長谷川閑史
FY01
2001/3
売上高
9,634億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,468億円
長谷川閑史
FY02
2002/3
売上高
10,050億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,356億円
長谷川閑史
FY03
2003/3
売上高
10,460億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,717億円
長谷川閑史
FY04
2004/3
売上高
10,864億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,852億円
長谷川閑史
FY05
2005/3
売上高
11,229億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,774億円
事業売却
長谷川閑史
非注力事業の売却を開始
歴史的意義yutaka sugiura
2001年以降の事業売却は、低付加価値事業が製薬水準のコスト構造に与えていた負荷を解消し、新薬開発への投資余力を確保するための構造改革であった。合弁化を経て段階的に株式譲渡へ移行する設計は、不可逆的な専業化を実現した。この改革がなければ後年の巨額海外買収に必要な経営資源の集中は困難であった。
FY06
2006/3
売上高
12,122億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,132億円
長谷川閑史
FY07
2007/3
売上高
13,051億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,358億円
長谷川閑史
FY08
2008/3
売上高
13,748億円
当期純利益
3,554億円
重要事項企業買収
長谷川閑史
米ミレニアム社を買収
ミレニアム買収は武田薬品にとって初の本格的巨額海外M&Aであり、以後の経営に「買収で時間を買う」という発想を定着させた。多角化事業売却で確保した資源を創薬基盤の外部獲得に投下する判断は合理的であったが、この一件が2011年ナイコメッド、2017年ARIAD、2019年Shireへと連なる買収連鎖の起点となった点に構造的な意味がある。
経営判断をよむ →
FY09
2009/3
売上高
15,383億円
当期純利益
2,343億円
長谷川閑史
FY10
2010/3
売上高
14,659億円
当期純利益
2,977億円
長谷川閑史
湘南研究所を新設
FY11
2011/3
売上高
14,193億円
当期純利益
2,478億円
重要事項企業買収
長谷川閑史
ナイコメッド社を買収
ナイコメッド買収は新興国販売網と欧州事業基盤の一括取得により、特許切れ局面での売上減少を緩和する弱点補強として機能した。しかし1兆円超の投下資本に対して資本市場が期待する水準の成長は実現せず、株価面での評価は限定的にとどまった。事業の弱点補強と企業価値向上が必ずしも一致しない課題を示した事例であり、後のShire買収における投下資本判断にも影響を及ぼした。
経営判断をよむ →
FY12
2012/3
売上高
15,089億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,241億円
クリストフウェバー
FY13
2013/3
売上高
15,572億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,312億円
クリストフウェバー
FY14
2014/3
売上高
16,919億円
親会社株主に帰属する当期純利益
903億円
クリストフウェバー
FY15
2015/3
売上高
17,778億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,457億円
重要事項
クリストフウェバー
CEOにウェバー氏が就任
ウェバー氏のCEO登用は、武田薬品がグローバル経営人材を社内で育成できなかった帰結であった。外部招聘のCEOのもとで巨額買収が加速し財務悪化が進行しても、後任候補の不在が交代の選択肢を制約した。事業も人材も「買う」ことで短期的には解決できるが「育てる」ことの省略が別の形で表れるという構造的問題を約10年の在任期間が示している。
経営判断をよむ →
FY16
2016/3
売上高
18,073億円
親会社株主に帰属する当期純利益
801億円
クリストフウェバー
長期収載品を売却
FY17
2017/3
売上高
17,320億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,149億円
ARIADを買収
米国の製薬メーカーARIAD社を5831億円で買収。希少疾患(白血病・肺がん・希少がん)向けの医療用医薬品の拡充を目論んだ。
和光純薬工業をで売却
富士フイルムHDに売却
クリストフウェバー
FY18
2018/3
売上高
17,705億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,868億円
設備投資
クリストフウェバー
武田グローバル本社を東京に開設
東京都中央区に武田グローバル本社を開設した。Shire買収を控え、外国人CEO体制とグローバル経営の運営拠点として、本店所在の大阪と並ぶグローバル機能を東京に集約した。
FY19
2019/3
売上高
20,972億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,351億円
株式上場
ニューヨーク証券取引所に米国預託証券を上場
Shire買収(2019年1月完了)に伴い、ニューヨーク証券取引所に米国預託証券(ADR)を上場した。日米両市場での株式流動性確保と、Shire株主への対価提供の前提として実施した。
重要事項企業買収
Shireを買収
Shire買収は希少疾患と血漿分画製剤の事業基盤を一括取得した点で事業構成の転換を実現したが、6.2兆円の投下資本に対する回収は想定より長期化した。財務立て直しのためにアリナミンを含む大衆薬事業の売却を余儀なくされた点は、買収規模に対する余力の限界を示していた。事業基盤の拡張と企業価値の向上が一致しない構造はナイコメッド買収から続く武田薬品の課題である。
経営判断をよむ →
クリストフウェバー
FY20
2020/3
売上高
32,911億円
親会社株主に帰属する当期純利益
442億円
重要事項
クリストフウェバー
大衆薬事業を売却
Shire買収によって悪化した財務体質を改善するために、非注力事業の大衆薬事業(アリナミンなど)を投資ファンドに売却。売却額は約2420億円
経営判断をよむ →
FY21
2021/3
売上高
31,978億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,760億円
クリストフウェバー
FY22
2022/3
売上高
35,690億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,300億円
クリストフウェバー
FY23
2023/3
売上高
40,274億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,170億円
クリストフウェバー
FY24
2024/3
売上高
42,637億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,440億円
クリストフウェバー
FY25
2025/3
売上高
45,815億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,079億円
ジュリー・キムがCEO就任予定
FY26
2026/3
売上高
45,057億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-1,524億円
  1. 会社設立
    薬種商を創業
    武田薬品の創業は製品開発ではなく流通と信用を基盤とする薬種仲買から始まった。当主が「武田長兵衛」を代々襲名する慣行は、個人ではなく屋号に信用を帰属させることで事業の継続性を高める仕組みであった。この構造が130年以上維持された事実は、製造機能を持たずとも流通と品質の見極めを軸とする商いが長期にわたり合理的であったことを示している。
  2. 業態転換
    洋薬の輸入買付を開始

    1781年創業の薬種商として、明治初頭に洋薬の輸入買付に乗り出した。漢方主体の薬種商から欧米由来の医薬品取扱いへ転換した起点であり、後年の研究・製造への前提となる素地を築いた。

  3. 武田製薬所を新設

    1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツを中心とする欧州からの医薬品輸入が滞った。薬種商・輸入商として海外供給に依存していた武田は事業前提が揺らいだ。同年に設置した武田研究部で試験・分析機能は内製化していたが、製造基盤は持たなかった。そこで1915年10月、大阪に医薬品製造拠点として武田製薬所を新設し、輸入再開を待たず自社製造する体制を構築した。つまり研究と製造を社内で完結させ、流通業から製造業へ事業構造を転換する判断であった。

    輸入途絶を契機とした「流通から製造へ」の不可逆転換
  4. 武田薬品工業に商号変更

    旧来の個人経営から株式会社に組織変更。1944年には武田薬品工業と小西薬品が合併。以後、武田薬品の経営トップは武田家が歴任したが、小西家も役員に就任して武田薬品の経営に携わった。このため、武田薬品の創業家には「武田家」と「小西家」という2つの系統が存在する。

  5. 東京証券取引所に株式上場
  6. 大衆薬アリナミンを発売
    アリナミンの発売は医療用で培ったビタミンB₁誘導体の研究成果を大衆薬市場に転用した判断であった。三船敏郎を起用した広告とタケダ会による全国統一価格販売の組み合わせは、認知形成と流通秩序の維持を同時に実現する設計であった。売上高の37%を占めるまでに成長したこの製品は、武田薬品を製造企業から消費者向け企業へと転換させる起点となった。
  7. 事業部制を導入

    製薬・医薬販売・食品・化学品・外国の5部署からなる組織体制に変更。医薬以外の多角事業にも注力

  8. 湘南工場を新設

    関東地区における生産を強化するため、神奈川県藤沢市に湘南工場を新設。アリナミン錠剤の主力工場上として稼働。1965年からは医療用医薬品(注射薬など)の製造を開始

  9. 大型新薬・リラシリンを開発

    ビタミン剤ブームの終焉を受けて、医療用医薬品の開発を強化して抗生物質を自社開発。1970年代の最盛期には年間10億円の売上を記録し、武田薬品工業の大型新薬となった。一方で、リラシリン以外の大型新薬の市場投入には苦戦し、海外からの導入品や、食品・化成品といった多角事業の収益が武田薬品工業を支えた。このため、1970年代を通じて武田薬品は「大型新薬がなかった」(1981/5投資月報)ことが利益率悪化の原因と言われ、経営に苦戦した。

  10. 小西新兵衛氏が社長就任

    5代目武田長兵衛氏(1943年社長就任)が70歳にて社長を退任。1944年に経営統合した小西薬品の創業家出身の小西新兵衛氏が社長就した。小西氏は社長就任時から海外展開を意識しており、当時の製薬メーカーでは珍しくグローバルな経営者であった

  11. 米アボット社と提携

    1975年の製薬分野の資本自由化により欧米大手が日本市場に本格参入し、国内市場は研究開発力やグローバル展開力が問われる局面に入った。国内主体の武田薬品は国際競争への対応を迫られた。そこで1977年に米アボット社と提携し、海外販売網や開発知見にアクセスして単独では補完しにくい領域を強化した。つまり国際的な製薬ビジネスへ参画する足場を築く判断であった。1985年にはアボットとの合弁で米国現地法人を設立し、リュープリン米国展開の基盤となった。

    資本自由化への対応が後の米国事業基盤の起点を形成
  12. スモン訴訟対応
    スモン訴訟に対する引当金200億円の段階的計上は、薬害問題を不確定リスクとして抱え続けるのではなく経営上の確定損失として処理する判断であった。短期的な収益悪化を受け入れる代わりに将来の補償負担に関する不確実性を縮小し、1980年代以降の研究開発投資強化に向けた経営の前提条件を確保した。危機を整理して先に進む選択であった。
  13. 研究開発投資を強化。研究開発費年間200億円を計上

    日本では1976年に「物質特許制度」が実施され、後発企業が製法を変えるという抜け道が塞がれ、実質的に創薬に対する特許の有効範囲が広がった。これを受けて、1970年代後半から武田薬品は医療用医薬品への創薬投資を強化。国内の競合他社が年間100億円の研究開発費を計上する中で、FY1979に武田薬品は2倍となる210億円を研究開発費として捻出して200億円を突破。業界内でも特に創薬重視の方向を鮮明にした

  14. 業務提携
    米アボット社と合弁TAPファーマシューティカルズを設立

    米アボット・ラボラトリーズとの合弁で米国にTAPファーマシューティカルズを設立した。1977年のアボット提携を発展させ、リュープリン米国展開を担う事業基盤となった。2008年に完全子会社化された。

  15. 筑波研究所を新設
  16. リュープリンを発売
    リュープリンの成功は、抗生物質の開発中止というリスクを伴う集中投資から生まれた。武田國男が米国現地法人で下した判断は、限られた資源を分散させず一品目に賭ける選択であり、後の社長時代に展開される「選択と集中」路線の原体験となった。グローバル売上1000億円超の達成は、日本企業が自社創薬を自社販売で世界展開できることを数値で実証した。
  17. タケプロンを発売

    プロトンポンプ阻害剤として開発し、欧州で販売開始。一般名は「ランソプラゾール」。米国ではリュープリン、欧州ではタケプロンが収益増大に寄与。武田薬品のグローバルの支えとなる基幹製品となった大型新薬のタケプロンが米国を中心に売上を拡大。FY1995時点で国内95億円+米国1690億円+欧州ほか265億円の売上高を計上し、グローバルで1000億円を超える大型医薬品に育った

  18. 研究所の組織改革を実施
  19. 大型新薬・プログラフを発売
  20. カンパニー制を導入

    1990年代、新薬1品目の研究開発費は200〜300億円に膨張、医薬品産業は資本集約型へ移行し日本市場のみで投資回収は困難となった。武田薬品は多角化で付加価値の低い事業も製薬水準の人件費で抱え固定費が重荷となった。武田國男社長は世界で戦う研究開発型企業への転換を選択、1996年にカンパニー制を導入し各事業を独立採算化、新規採用抑制で10年に約3500人削減する方針を出した。これにより事業売却や再編を可能にし医薬品集中投資の前提を整えた。

    事業売却の前提条件を整えた「制度としての選択と集中」
  21. プロプレスを発売

    高血圧治療薬として発売。一般名は「カンデサルタン・シレキセチル」

  22. アクトスが米国で承認

    糖尿病治療薬である「アクトス」が米国で承認され販売開始。1999年には日本でも承認された。化合物の選定が1986年(AD-4833)、臨床試験の開始が1989年であり、約10年の開発期間を経て市場に投入。2000年代を通じて武田薬品の収益に貢献した大型新薬となった

  23. 武田アメリカ研究開発センターを新設
  24. 事業売却
    非注力事業の売却を開始
    2001年以降の事業売却は、低付加価値事業が製薬水準のコスト構造に与えていた負荷を解消し、新薬開発への投資余力を確保するための構造改革であった。合弁化を経て段階的に株式譲渡へ移行する設計は、不可逆的な専業化を実現した。この改革がなければ後年の巨額海外買収に必要な経営資源の集中は困難であった。
  25. 湘南研究所を新設
  26. 長期収載品を売却
  27. ARIADを買収

    米国の製薬メーカーARIAD社を5831億円で買収。希少疾患(白血病・肺がん・希少がん)向けの医療用医薬品の拡充を目論んだ。

  28. 和光純薬工業をで売却

    富士フイルムHDに売却

  29. 設備投資
    武田グローバル本社を東京に開設

    東京都中央区に武田グローバル本社を開設した。Shire買収を控え、外国人CEO体制とグローバル経営の運営拠点として、本店所在の大阪と並ぶグローバル機能を東京に集約した。

  30. 株式上場
    ニューヨーク証券取引所に米国預託証券を上場

    Shire買収(2019年1月完了)に伴い、ニューヨーク証券取引所に米国預託証券(ADR)を上場した。日米両市場での株式流動性確保と、Shire株主への対価提供の前提として実施した。

  31. ジュリー・キムがCEO就任予定