三洋電機の沿革・歴史的証言

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1947年〜2011

三洋電機の1947年〜2011年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1947
1-12月
会社設立
三洋電機製作所を創業
公職追放が生んだ「松下の分家」の独立創業
設備投資
北條工場を新設
創業翌月に北條工場を新設した。守口本社に続く生産拠点を立ち上げ、戦後再出発期の量産体制構築を進めた。
FY50
1950/11
売上高
2.97億円
組織再編
三洋電機株式会社を設立
個人経営の三洋電機製作所を改組し、資本金2千万円で三洋電機株式会社を設立した。法人化により増資・資金調達余地を広げ、本格的な家電メーカーへ移行した。
FY51
1951/11
売上高
8.97億円
業務提携
ラジオの生産開始(国内初のプラスチックラジオ)
プラスチック素材で差別化した後発ラジオメーカーの戦略
FY52
1952/11
売上高
27.4億円
FY53
1953/11
売上高
41.5億円
噴流式洗濯機の製造を開始
特許リスクを恐れない判断が生んだ噴流式洗濯機の独占
FY54
1954/11
大阪証券取引所に株式上場
業績好調により株式上場を達成。1953年11期における半期売上高は24億円。売上構成比率は発電ランプ43%及びラジオ38%。家電事業はまだ発展途上にあった。
FY55
1955/11
売上高
43.7億円
株式上場
東京証券取引所に上場
大阪上場の半年後に東京証券取引所に上場した。全国規模の資本市場でのプレゼンスを確立し、家電量産期の設備投資資金調達基盤を整えた。
FY56
1956/11
売上高
107億円
FY57
1957/11
売上高
129億円
当期純利益
12.8億円
FY58
1958/11
売上高
174億円
当期純利益
16.8億円
ストライキが発生・労使関係が悪化
急成長の代償としての労使対立と東京三洋の設立
FY59
1959/11
売上高
312億円
当期純利益
32.3億円
東京三洋電機を設立
労働組合との関係を断ち、首都圏での生産販売を強化するため、三洋電機とは別法人として「東京三洋電機」を設立した。群馬県大泉町の旧中島飛行機小泉製作所跡地を取得し、敷地132万平方メートルの大規模生産拠点として東京工場を新設した。三洋電機は労組と全国統一賃金で合意していたが、大阪と群馬では群馬の方が3割安く、人件費削減の観点から法人を分ける道を選択した。
FY60
1960/11
売上高
417億円
当期純利益
40.7億円
海外進出
三洋電機(香港)を設立
三洋電機貿易と並行して三洋電機(香港)有限公司を設立した。アジアでの輸出拠点を整え、後の北米・欧州輸出ネットワークの起点となった。
FY61
1961/11
売上高
491億円
当期純利益
39.3億円
米国にSanyo Electric Incを設立
米国に現地法人を設立し、トランジスタラジオの輸出を本格化。1958年には米チャネルマスター社と販売契約を締結し、三洋電機はOEMによりトランジスタの供給を開始した。この結果、1961年に三洋電機はトランジスタラジオの輸出量でトップを記録した。ただし、三洋電機はOEMによる北米輸出が主体であり、先発企業で独自ブランドで進出したSONYと比べて、収益性は低かったと推定される。
FY62
1962/11
売上高
630億円
当期純利益
51.4億円
FY63
1963/11
売上高
675億円
当期純利益
46.1億円
FY64
1964/11
売上高
741億円
当期純利益
31.7億円
国内の地方に生産拠点
FY65
1965/11
売上高
732億円
当期純利益
22.1億円
カラーテレビへの量産投資
輸出依存の成長モデルが招いた日米貿易摩擦
FY66
1966/11
売上高
928億円
当期純利益
33.7億円
鳥取三洋電機を設立
鳥取三洋電機(現三洋電機コンシューマエレクトロニクス)を設立した。地方分散型生産体制の中核拠点として、後にTFT液晶量産を担う主要拠点へ発展した。
FY67
1967/11
売上高
1,290億円
当期純利益
51.6億円
FY68
1968/11
売上高
1,723億円
当期純利益
78.1億円
FY69
1969/11
売上高
2,151億円
当期純利益
87.9億円
海外進出
三洋丸紅(英国)を設立
三洋丸紅(英国)(現三洋ヨーロッパ)を設立した。欧州市場での販売拠点を整え、北米偏重から欧州含むグローバル展開へ広げた。
創業者の井植歳男氏が逝去・井植家による同族経営を持続
FY70
1970/11
売上高
2,417億円
当期純利益
76億円
FY71
1971/11
売上高
2,477億円
当期純利益
49億円
円高ドル安で業績悪化
1970年12月のニクソンショックにより円高ドル安が進行。カラーテレビの輸出に頼っていた三洋電機の業績が低迷
FY72
1972/11
売上高
2,630億円
当期純利益
54億円
海外進出
三洋電子(シンガポール)を設立
三洋電子(シンガポール)(現三洋アジア)を設立した。東南アジア生産・販売の地域統括拠点として、後の中国・ASEAN展開を支えた。
FY73
1973/11
売上高
3,118億円
当期純利益
63.4億円
FY74
1974/11
売上高
3,588億円
当期純利益
57.4億円
FY75
1975/11
売上高
3,502億円
当期純利益
57.8億円
FY76
1976/11
売上高
4,675億円
当期純利益
92.5億円
企業買収
Sanyo manufacturing Corporationを設立(TVの北米現地生産)
シアーズとの関係維持が迫った北米現地生産への転換
FY77
1977/11
売上高
5,321億円
当期純利益
109億円
FY78
1978/11
売上高
5,275億円
当期純利益
113億円
FY79
1979/11
売上高
5,840億円
当期純利益
151億円
FY80
1980/11
売上高
6,805億円
当期純利益
211億円
FY81
1981/11
売上高
7,524億円
当期純利益
239億円
FY82
1982/11
売上高
7,614億円
当期純利益
246億円
フィリップス社の英国テレビ工場を取得
FY83
1983/11
売上高
8,197億円
当期純利益
228億円
FY84
1984/11
売上高
9,917億円
当期純利益
275億円
FY87
1987/11
組織再編
東京三洋電機を吸収合併
労組分離を目的に分社化していた東京三洋電機を吸収合併し本社に統合した。全国統一賃金体制下で別法人を維持する経済合理性が低下し、組織の一体運営に回帰した。
FY90
1990/11
二次電池に傾斜投資を開始
全社利益の8割を稼いだ二次電池という「一本足」
FY92
1992/11
売上高
15,657億円
当期純利益
-12億円
社内分社制度を導入(新規事業の立案)
家電に変調した事業構成を見直し、新事業開発のために社内分社制を導入(※実際に分社するわけではなく事業部制の延長)。全社研究プロジェクトを事業部横断で組成する体制をとった。また付加価値が高くてシェアを確保できる「トップステージ商品」に投資を集中する方針を示した
FY93
1993/11
売上高
15,568億円
当期純利益
-15億円
FY94
1994/11
売上高
16,936億円
当期純利益
113億円
FY95
1995/11
売上高
17,422億円
当期純利益
155億円
FY96
1996/11
売上高
5,246億円
当期純利益
-37億円
組織再編
決算期を11月から3月に変更
決算期を11月30日から3月31日に変更した。国内主要メーカーの3月決算に揃えることで連結比較性を高めた。
新潟三洋電機で半導体量産
FY97
1997/11
売上高
18,462億円
当期純利益
176億円
鳥取三洋電機で液晶パネル量産
TFT液晶工場を新設。液晶パネルへの集中投資を開始し、2003年までに総額2000億円を投資
FY98
1998/11
売上高
19,246億円
当期純利益
123億円
デジタルカメラに本格参入
普及しつつあったコンパクトデジタルカメラに参入。三洋ブランドとOEMの両輪で展開した結果、2001年に生産シェアで世界1位(40%)を確保
FY99
1999/11
売上高
18,824億円
当期純利益
-258億円
FY00
2000/11
売上高
20,142億円
当期純利益
216億円
FY01
2001/11
売上高
22,409億円
当期純利益
422億円
FY02
2002/11
売上高
20,247億円
当期純利益
13億円
米イーストマンコダック社と有機ELの合弁設立。320億円を投資
中国ハイアール社と提携
事業売却
三洋電機自販機を富士電機に譲渡
三洋電機自販機を富士電機に譲渡した。中核事業以外の非家電領域から段階的に撤収する選択と集中の一環として実施した。
FY03
2003/11
売上高
21,825億円
当期純利益
-616億円
最終赤字に転落
半導体事業について、ITバブル崩壊による業績悪化に加えて、新潟県中越地震の発生で半導体工場が被災。特別損失を計上して全社業績で最終赤字に転落
FY04
2004/11
売上高
25,080億円
当期純利益
134億円
FY05
2005/11
売上高
24,846億円
当期純利益
-1,715億円
野中ともよ氏が代表取締役会長に就任
元NHKキャスターの野中ともよ氏が三洋電機の社長に就任(2002年に三洋電機の社外取締役に就任)。異例の社長人事として注目を浴びたが、不祥事により2007年に野中氏は代表取締役を辞任した。
FY06
2006/11
売上高
23,970億円
当期純利益
-2,056億円
第三者割当増資
ゴールドマンサックス、大和証券SMBC、三井住友銀行が三洋電機の増資(第三者割当増資)を引き受けることを決定。三洋電機は3000億円を調達
財務状況が悪化・疑義注記を記載
全方位投資の帰結としての継続企業の疑義注記
FY07
2007/11
売上高
19,499億円
当期純利益
-453億円
FY08
2008/11
売上高
19,181億円
当期純利益
287億円
構造改革
携帯電話事業を京セラに譲渡
鳥取三洋電機の事業を再編し、生活家電・車載機器事業を分割・承継させた。同時に携帯電話事業を京セラに譲渡し、二次電池などへの選択集中を進めた。
FY09
2009/11
売上高
17,706億円
当期純利益
-932億円
FY10
2010/11
売上高
15,946億円
当期純利益
-487億円
FY11
2011/11
売上高
14,894億円
当期純利益
-351億円
パナソニックが三洋電機を完全子会社化
パナソニックが三洋電機を救済する形で完全子会社化。2011年に三洋電機は上場を廃止した。
  1. 会社設立
    三洋電機製作所を創業
    公職追放が生んだ「松下の分家」の独立創業
  2. 設備投資
    北條工場を新設

    創業翌月に北條工場を新設した。守口本社に続く生産拠点を立ち上げ、戦後再出発期の量産体制構築を進めた。

  3. 組織再編
    三洋電機株式会社を設立

    個人経営の三洋電機製作所を改組し、資本金2千万円で三洋電機株式会社を設立した。法人化により増資・資金調達余地を広げ、本格的な家電メーカーへ移行した。

  4. 業務提携
    ラジオの生産開始(国内初のプラスチックラジオ)
    プラスチック素材で差別化した後発ラジオメーカーの戦略
  5. 噴流式洗濯機の製造を開始
    特許リスクを恐れない判断が生んだ噴流式洗濯機の独占
  6. 大阪証券取引所に株式上場

    業績好調により株式上場を達成。1953年11期における半期売上高は24億円。売上構成比率は発電ランプ43%及びラジオ38%。家電事業はまだ発展途上にあった。

  7. 株式上場
    東京証券取引所に上場

    大阪上場の半年後に東京証券取引所に上場した。全国規模の資本市場でのプレゼンスを確立し、家電量産期の設備投資資金調達基盤を整えた。

  8. ストライキが発生・労使関係が悪化
    急成長の代償としての労使対立と東京三洋の設立
  9. 東京三洋電機を設立

    労働組合との関係を断ち、首都圏での生産販売を強化するため、三洋電機とは別法人として「東京三洋電機」を設立した。群馬県大泉町の旧中島飛行機小泉製作所跡地を取得し、敷地132万平方メートルの大規模生産拠点として東京工場を新設した。三洋電機は労組と全国統一賃金で合意していたが、大阪と群馬では群馬の方が3割安く、人件費削減の観点から法人を分ける道を選択した。

  10. 海外進出
    三洋電機(香港)を設立

    三洋電機貿易と並行して三洋電機(香港)有限公司を設立した。アジアでの輸出拠点を整え、後の北米・欧州輸出ネットワークの起点となった。

  11. 米国にSanyo Electric Incを設立

    米国に現地法人を設立し、トランジスタラジオの輸出を本格化。1958年には米チャネルマスター社と販売契約を締結し、三洋電機はOEMによりトランジスタの供給を開始した。この結果、1961年に三洋電機はトランジスタラジオの輸出量でトップを記録した。ただし、三洋電機はOEMによる北米輸出が主体であり、先発企業で独自ブランドで進出したSONYと比べて、収益性は低かったと推定される。

  12. 国内の地方に生産拠点
  13. カラーテレビへの量産投資
    輸出依存の成長モデルが招いた日米貿易摩擦
  14. 鳥取三洋電機を設立

    鳥取三洋電機(現三洋電機コンシューマエレクトロニクス)を設立した。地方分散型生産体制の中核拠点として、後にTFT液晶量産を担う主要拠点へ発展した。

  15. 海外進出
    三洋丸紅(英国)を設立

    三洋丸紅(英国)(現三洋ヨーロッパ)を設立した。欧州市場での販売拠点を整え、北米偏重から欧州含むグローバル展開へ広げた。

  16. 創業者の井植歳男氏が逝去・井植家による同族経営を持続
  17. 円高ドル安で業績悪化

    1970年12月のニクソンショックにより円高ドル安が進行。カラーテレビの輸出に頼っていた三洋電機の業績が低迷

  18. 海外進出
    三洋電子(シンガポール)を設立

    三洋電子(シンガポール)(現三洋アジア)を設立した。東南アジア生産・販売の地域統括拠点として、後の中国・ASEAN展開を支えた。

  19. 企業買収
    Sanyo manufacturing Corporationを設立(TVの北米現地生産)
    シアーズとの関係維持が迫った北米現地生産への転換
  20. フィリップス社の英国テレビ工場を取得
  21. 組織再編
    東京三洋電機を吸収合併

    労組分離を目的に分社化していた東京三洋電機を吸収合併し本社に統合した。全国統一賃金体制下で別法人を維持する経済合理性が低下し、組織の一体運営に回帰した。

  22. 二次電池に傾斜投資を開始
    全社利益の8割を稼いだ二次電池という「一本足」
  23. 社内分社制度を導入(新規事業の立案)

    家電に変調した事業構成を見直し、新事業開発のために社内分社制を導入(※実際に分社するわけではなく事業部制の延長)。全社研究プロジェクトを事業部横断で組成する体制をとった。また付加価値が高くてシェアを確保できる「トップステージ商品」に投資を集中する方針を示した

  24. 組織再編
    決算期を11月から3月に変更

    決算期を11月30日から3月31日に変更した。国内主要メーカーの3月決算に揃えることで連結比較性を高めた。

  25. 新潟三洋電機で半導体量産
  26. 鳥取三洋電機で液晶パネル量産

    TFT液晶工場を新設。液晶パネルへの集中投資を開始し、2003年までに総額2000億円を投資

  27. デジタルカメラに本格参入

    普及しつつあったコンパクトデジタルカメラに参入。三洋ブランドとOEMの両輪で展開した結果、2001年に生産シェアで世界1位(40%)を確保

  28. 米イーストマンコダック社と有機ELの合弁設立。320億円を投資
  29. 中国ハイアール社と提携
  30. 事業売却
    三洋電機自販機を富士電機に譲渡

    三洋電機自販機を富士電機に譲渡した。中核事業以外の非家電領域から段階的に撤収する選択と集中の一環として実施した。

  31. 最終赤字に転落

    半導体事業について、ITバブル崩壊による業績悪化に加えて、新潟県中越地震の発生で半導体工場が被災。特別損失を計上して全社業績で最終赤字に転落

  32. 野中ともよ氏が代表取締役会長に就任

    元NHKキャスターの野中ともよ氏が三洋電機の社長に就任(2002年に三洋電機の社外取締役に就任)。異例の社長人事として注目を浴びたが、不祥事により2007年に野中氏は代表取締役を辞任した。

  33. 第三者割当増資

    ゴールドマンサックス、大和証券SMBC、三井住友銀行が三洋電機の増資(第三者割当増資)を引き受けることを決定。三洋電機は3000億円を調達

  34. 財務状況が悪化・疑義注記を記載
    全方位投資の帰結としての継続企業の疑義注記
  35. 構造改革
    携帯電話事業を京セラに譲渡

    鳥取三洋電機の事業を再編し、生活家電・車載機器事業を分割・承継させた。同時に携帯電話事業を京セラに譲渡し、二次電池などへの選択集中を進めた。

  36. パナソニックが三洋電機を完全子会社化

    パナソニックが三洋電機を救済する形で完全子会社化。2011年に三洋電機は上場を廃止した。

歴史的証言

井植歳男
終戦後、今の仕事が将来、有望であることはわかっていましたが、さらに大事なことは陸海軍というものがなくなって、日本の国力を回復充実するには、産業を復興する以外にない。だから、何が何でも仕事を大きくするほかはない、と決心しました。進駐軍、主としてアメリカ人ですが、彼らの日常生活を見ると、家庭に電気器具を非常に取り入れて、快適な文化生活を営んでいる。われわれも、ああした生活をしなければならない
井植歳男
わが社がテレビ、ラジオ、扇風機など増産に次ぐ増産をしているのに、全部が品切れという有様です。世間ではチョイチョイ家庭電機品も頭打ちだろう。斜陽産業じゃなかろうかと問題になるが、とんでもない話で、家庭電化はまだ緒についたばかりで開花期はこれからですよ
井植歳男
家庭婦人を家事の重労働から解放するため、電気洗濯機を1台2.5万円程度で売ってあげるような時代の到来を念願している
井植薫
新鋭岐阜工場の完成が用地買収のゴタゴタで約1年遅れてしまった。このため大型カラーブームに乗り切れなかった
記事内評
三洋電機の一般に与えるイメージがもう一つパッとしないのも事実だ。たとえば、株価でも松下電器やソニーには遠く及ばないのはもちろん、シャープなどをもはるかに下回る。これは売り上げは伸びているものの、決め手になるヒット商品がないからだ
井植薫
中国側がノウハウ料や配当、利益の送金の自由を認める予定で、日中合弁のモデル企業になるとして注目される。日中合弁会社の本格的な製造会社としては第1号となる
井植薫
今年度の海外生産予定を前年度比ほぼ20%増の17億ドルとするが、円高が進行するなら海外生産をさらに強化し採算の維持、向上を図る
井植薫
中国というのは、一番人口の多い国で、一番近いところで、我々と同じ顔をした東洋人ですわ。そういうところですから、我々日本人として大きな関心を持つのは当然です。やはり、そこへ行って何かをやろうというなら、広い土地を貸してくれたら借り賃出して、耕して、そして種を植えて、肥料をやって育てて、それから収穫するのはいいんですよ
井植薫
(他社が中国への技術流出を恐れる姿勢について)おまえんとこ、取られる技術もっとったんかい。そういう感覚でいるから伸びないんだ。技術は毎日毎日伸びていくもんや。その技術で先方さんがモノを作り始めるころには、こちらはもっと進んだ技術を使っていかなくてはあかんということや
井植敏
欧米で実績を持つ中国ブランドの本格上陸で、低価格品の分野でも海外メーカーの攻勢が一気に強まろうとしている
記事内評
中国の低価格製品と消耗戦を続けるくらいなら、先んじて中国大手を手を組んで、自ら普及品市場を譲り渡す覚悟を決めた三洋の思い切りと計算はきっと役に立つ

参考文献・出所

有価証券報告書
日経新聞 2013/05/18
歴史をつくる人々 第24
三洋電機三十年の歩み
ダイヤモンド 1956/09/04
経済知識 1958/08
週刊東洋経済 1973/06/23
日経ビジネス 1977/10/24
日経新聞 1980/01/10
日経産業新聞 1981/01/09
日経産業新聞 1984/07/12
日経ビジネス 1985/05/27
パナソニック開示資料
日経新聞 2002/01/09
日経ビジネス 2002/10/14
週刊東洋経済 2007/07/28
日経新聞 2013/06
NHKスペシャル 2015/05/31