日産自動車の沿革(1933〜2024年)

日産自動車の創業から現在までの主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に一覧できる沿革(社史年表)ページです。 各年の売上高・純利益などの業績推移と、歴史的意義の解説をあわせて掲載しています。 社史・報道資料などの公開情報をもとに重要事項を判断の上、作成しています。

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1933
1-12月
自動車製造株式会社を設立
財閥の資本力で挑んだ自動車量産——鮎川義介の決断
1934
1-12月
横浜工場を新設
乗用車「ダットサン」を量産するために新工場の建設を決定。横浜の子安地区で臨海工業地帯が造成されたこともあり、1933年に横浜市から土地を取得。1934年5月に日産自動車は横浜工場を新設した。 戦時中の1943年には疎開工場として、静岡県に吉原工場を新設。航空機用エンジンの生産に従事した。
1936
1-12月
自動車製造事業法で指定会社
戦時体制において、日本政府は自動車事業について認可会社による許可制への移行を決定。1936年に「自動車製造事業法」を制定し、自動車生産に従事する企業の選別が実施された。 すでにダットサンの量産実績がある日産自動車は「自動車製造事業法」における指定会社となり、戦時中を通じて自動車(軍用トラック等)の生産に従事した。なお、許可会社は「日産自動車、トヨタ自動車、いすゞ自動車」の3社であり、戦時中も自動車メーカーとして業容を拡大するに至った。
FY51
1951/3
東京証券取引所に株式上場
FY53
1953/3
英オースチン社と提携
技術的空白を埋めた英国からの技術導入——ノックダウン生産の戦略
FY54
1954/3
日産自動車労働組合が発足
FY60
1960/3
乗用車「ブルーバード」を発売
FY61
1961/3
米国日産自動車を設立
FY62
1962/3
追浜工場を新設・乗用車専門工場
乗用車専門工場の新設——トヨタへの対抗と量産体制の確立
FY66
1966/3
座間工場を新設
横浜工場で実施していたトラック生産を効率化するために、1965年に座間工場(神奈川県)を新設。1968年ごろには追浜工場で生産していた「サニー」について座間工場への移管を実施し、乗用車生産に従事
大衆乗用車「サニー」を発表
FY67
1967/3
acquisition
プリンス自動車工業と合併(村山工場の発足)
シェア1位を賭けた合併——プリンス自動車と村山工場の取り込み
FY68
1968/3
本社を東京銀座に移転
FY70
1970/3
alliance
日本自動変速機を設立(ジャトコ)
特許リスクの回避が生んだAT専業メーカー——ジャトコの設立
FY71
1971/3
栃木工場を新設
FY78
1978/3
九州工場を新設
FY81
1981/3
北米現地生産を開始
FY82
1982/3
欧州現地生産を開始
FY92
1992/3
売上高
64,179億円
当期純利益
1,012億円
FY93
1993/3
売上高
61,975億円
当期純利益
-559億円
販売不振で赤字転落
1993年3月期に日産自動車は経常赤字に転落。国内における販売不振に加え、円高ドル安の進行によって海外輸出の採算が悪化したことが下人員であった。
FY94
1994/3
売上高
58,008億円
当期純利益
-869億円
いわき工場を新設
FY95
1995/3
売上高
58,341億円
当期純利益
-1,660億円
座間工場で車両生産中止
1990年代に入り、日産自動車の国内における乗用車販売は低迷を続けていた。1993年3月期には経常赤字に転落し、円高ドル安の進行が海外輸出の採算をさらに悪化させた。国内工場の稼働率は80%以下にまで低下しており、過剰な生産能力が収益性を圧迫する構造的な問題となっていた。 辻義文社長は「トヨタと比較してモデル末期の販売落ち込みが大きい」「商品を売った後のサービスやフォロー体制が不十分」と自社の販売力の弱さを認識しており、生産能力の適正化によるコスト構造の改善が急務であった。 1993年2月に日産自動車は座間工場(神奈川県)における車両生産の中止を発表した。国内の年間生産能力を270万台から230万台に削減し、約40万台分の生産能力を削減する方針とした。座間工場で生産していた「サニー」は九州工場へ、「プレセア」は村山工場への生産移管を決定した。 1995年3月22日に座間工場における「サニー」「プレセア」の生産を終了。1965年の工場稼働以来、30年にわたって続いた車両生産に終止符を打った。辻社長は「座間の問題は改革の一部に過ぎない」「今すぐ着手しても3年後でないと成果が現れない」と述べ、座間工場の閉鎖が日産再建の第一歩であることを示唆した。
座間工場の閉鎖——日産再建の始まりとなった生産能力削減
FY96
1996/3
売上高
60,391億円
当期純利益
-884億円
FY97
1997/3
売上高
66,588億円
当期純利益
777億円
FY98
1998/3
売上高
65,646億円
当期純利益
-140億円
FY99
1999/3
売上高
65,800億円
当期純利益
-277億円
ルノーと提携・カルロスゴーンが社長就任
FY00
2000/3
売上高
59,770億円
当期純利益
-6,843億円
日産リバイバルプランを策定
1999年10月18日に日産自動車は「日産リバイバルプラン」を策定。2003年3月期までに1兆円のコスト削減、販売金融を除く有利子負債の削減(1.4兆円→0.7兆円)によって財務体質を改善し、2001年3月期の黒字化、2003年3月期に売上高営業利益率4.5%を目標とした。 日産リバイバルプランの策定を受けて、人員削減の実施を決定。5工場の閉鎖とともに、合計21,000名のリストラを決定したが、希望退職社の募集ではなく、配置転換および採用抑制によって人員削減に対応した。
過去最大の赤字に転落
2000年3月期に日産自動車は当期純損失6843億円を計上し、過去最大の赤字を計上した。日産リバイバルプランによる事業構造改革特別損失2326億円に加え、年金過去勤務費用償却額2758億円、製品保証引当金繰入額484億円、その他特別損失1925億円を計上した結果、同年度の合計の特別損失は7496億円に及んだ。
FY01
2001/3
売上高
60,896億円
当期純利益
3,310億円
村山工場で車両生産を中止
FY02
2002/3
売上高
61,962億円
当期純利益
3,722億円
ルノーが追加出資
FY03
2003/3
売上高
68,285億円
当期純利益
4,951億円
グローバル展開を本格化・北米と中国に積極投資
1999年のルノーによる出資とカルロスゴーン社長の就任を経て、日産自動車は2002年までに日産リバイバルプランに基づく国内の事業再編を完了した。5工場の閉鎖と2.1万名の人員削減を含む構造改革により財務体質を改善し、次の成長戦略の策定が課題となっていた。 グローバル展開の対象地域として、日産自動車は北米と中国を重点市場に選定した。欧州については提携先のルノーが事業基盤を持つため、日産としては北米での販売拡大と、急速にモータリゼーションが進行する中国市場への参入を優先した。 北米では2003年3月に米国2箇所目の現地生産拠点として「キャントン工場(ミシシッピ州)」を新設し、年間40万台の生産能力を確保。大型車を中心とした米国向けモデルの現地生産を開始した。 中国では2003年7月に現地企業との合弁により「東風汽車有限公司」を発足。2004年に花都工場を新設し、年間15万台計画で中国における四輪車の現地生産を開始した。2000年代から2010年代にかけて、日産自動車は日本国内の販売低迷を北米・中国の海外販売の拡大で補う収益構造へと移行していった。
国内再建後の成長戦略——北米と中国への同時投資
FY04
2004/3
売上高
74,292億円
当期純利益
5,036億円
FY05
2005/3
売上高
85,762億円
当期純利益
5,122億円
FY06
2006/3
売上高
94,282億円
当期純利益
5,180億円
FY07
2007/3
売上高
104,685億円
当期純利益
4,607億円
FY08
2008/3
売上高
108,242億円
当期純利益
4,822億円
FY09
2009/3
売上高
84,369億円
当期純利益
-2,337億円
FY10
2010/3
売上高
75,172億円
当期純利益
423億円
本社を横浜市に移転
41年ぶりに本社を東京都中央区銀座から、発祥の地である神奈川県横浜市内(みなとみらいグローバルセンター)に移転
FY11
2011/3
売上高
87,730億円
当期純利益
3,192億円
FY12
2012/3
売上高
94,902億円
当期純利益
3,414億円
FY13
2013/3
売上高
87,373億円
当期純利益
3,411億円
FY14
2014/3
売上高
104,825億円
当期純利益
3,890億円
FY15
2015/3
売上高
113,752億円
当期純利益
4,575億円
FY16
2016/3
売上高
121,895億円
当期純利益
5,238億円
FY17
2017/3
売上高
117,200億円
当期純利益
6,634億円
三菱自動車と戦略的協力で提携
カルソニックカンセイを売却
2005年に日産自動車は、系列部品メーカーであるカルソニックカンセイ(東証一部上場)について連結子会社化(株式保有比率41.59%)したが、2017年3月に売却を決定。売却先は投資ファンドのKKR。売却前年度(2016年3月期)におけるカルソニックカンセイの概況は、売上高1053億円・営業利益343億円・従業員数21,987名であった。 カルソニックカンセイの売却に伴い、日産自動車は関係会社株式売却益として1150億円を計上。
FY18
2018/3
売上高
119,511億円
当期純利益
7,468億円
FY19
2019/3
売上高
115,742億円
当期純利益
3,191億円
カルロスゴーン会長が逮捕(逃亡)
FY20
2020/3
売上高
98,788億円
当期純利益
-6,712億円
最終赤字に転落
新車投入サイクルが一巡したことや、北米における販売不振により、中国における経済不況による販売不振により、2020年3月期に▲6712億円の最終赤字に転落した。日産自動車としては、ルノーによる経営再建直前の最終赤字に匹敵する金額であった。 販売不振による業績悪化を踏まえ、日産自動車は大規模な人員削減を決定。2019年7月に従業員1.2万名のリストラを発表した。
FY21
2021/3
売上高
78,625億円
当期純利益
-4,486億円
FY22
2022/3
売上高
84,245億円
当期純利益
2,155億円
FY23
2023/3
売上高
105,966億円
当期純利益
2,219億円
FY24
2024/3
売上高
126,857億円
当期純利益
4,266億円
ルノーと新アライアンス契約を締結
業績が低迷する日産について、提携先かつ筆頭株主であるルノー(日産の株式43.4%を保有)は株式の段階的な売却を決定。2023年7月に新アライアンス契約を締結し、ルノーによる日産に対する出資比率を15%台まで下げることを決定した。 この異動により、ルノーは保有する日産自動車の株式28.4%を信託会社に移管。2024年3月時点で日産の筆頭株主はル信託会社(24.8%)、第2位の大株主としてルノー(15.9%)の序列となり、日産はルノーとの関係性を整理した。
全世界で人員削減
販売台数の低迷(販売実績320万台/年)に対して、グローバルで500万台/年の生産能力を確保しており工場の稼働率が低下。2024年頃の稼働率はグローバルで64%の水準に低迷し、過剰な生産能力が収益性の悪化要因となっていた。 そこで、日産自動車は生産能力の削減を決定。能力削減によって発生する余剰人員について、グローバルで約9000名の削減を決定した。削減対象には日本国内の人員も含まれた。
ホンダ・日産自動車・三菱自動車の3社が経営統合を協議
  1. 自動車製造株式会社を設立
    財閥の資本力で挑んだ自動車量産——鮎川義介の決断
  2. 横浜工場を新設

    乗用車「ダットサン」を量産するために新工場の建設を決定。横浜の子安地区で臨海工業地帯が造成されたこともあり、1933年に横浜市から土地を取得。1934年5月に日産自動車は横浜工場を新設した。 戦時中の1943年には疎開工場として、静岡県に吉原工場を新設。航空機用エンジンの生産に従事した。

  3. 自動車製造事業法で指定会社

    戦時体制において、日本政府は自動車事業について認可会社による許可制への移行を決定。1936年に「自動車製造事業法」を制定し、自動車生産に従事する企業の選別が実施された。 すでにダットサンの量産実績がある日産自動車は「自動車製造事業法」における指定会社となり、戦時中を通じて自動車(軍用トラック等)の生産に従事した。なお、許可会社は「日産自動車、トヨタ自動車、いすゞ自動車」の3社であり、戦時中も自動車メーカーとして業容を拡大するに至った。

  4. 東京証券取引所に株式上場
  5. 英オースチン社と提携
    技術的空白を埋めた英国からの技術導入——ノックダウン生産の戦略
  6. 日産自動車労働組合が発足
  7. 乗用車「ブルーバード」を発売
  8. 米国日産自動車を設立
  9. 追浜工場を新設・乗用車専門工場
    乗用車専門工場の新設——トヨタへの対抗と量産体制の確立
  10. 座間工場を新設

    横浜工場で実施していたトラック生産を効率化するために、1965年に座間工場(神奈川県)を新設。1968年ごろには追浜工場で生産していた「サニー」について座間工場への移管を実施し、乗用車生産に従事

  11. 大衆乗用車「サニー」を発表
  12. acquisition
    プリンス自動車工業と合併(村山工場の発足)
    シェア1位を賭けた合併——プリンス自動車と村山工場の取り込み
  13. 本社を東京銀座に移転
  14. alliance
    日本自動変速機を設立(ジャトコ)
    特許リスクの回避が生んだAT専業メーカー——ジャトコの設立
  15. 栃木工場を新設
  16. 九州工場を新設
  17. 北米現地生産を開始
  18. 欧州現地生産を開始
  19. 販売不振で赤字転落

    1993年3月期に日産自動車は経常赤字に転落。国内における販売不振に加え、円高ドル安の進行によって海外輸出の採算が悪化したことが下人員であった。

  20. いわき工場を新設
  21. 座間工場で車両生産中止

    1990年代に入り、日産自動車の国内における乗用車販売は低迷を続けていた。1993年3月期には経常赤字に転落し、円高ドル安の進行が海外輸出の採算をさらに悪化させた。国内工場の稼働率は80%以下にまで低下しており、過剰な生産能力が収益性を圧迫する構造的な問題となっていた。 辻義文社長は「トヨタと比較してモデル末期の販売落ち込みが大きい」「商品を売った後のサービスやフォロー体制が不十分」と自社の販売力の弱さを認識しており、生産能力の適正化によるコスト構造の改善が急務であった。 1993年2月に日産自動車は座間工場(神奈川県)における車両生産の中止を発表した。国内の年間生産能力を270万台から230万台に削減し、約40万台分の生産能力を削減する方針とした。座間工場で生産していた「サニー」は九州工場へ、「プレセア」は村山工場への生産移管を決定した。 1995年3月22日に座間工場における「サニー」「プレセア」の生産を終了。1965年の工場稼働以来、30年にわたって続いた車両生産に終止符を打った。辻社長は「座間の問題は改革の一部に過ぎない」「今すぐ着手しても3年後でないと成果が現れない」と述べ、座間工場の閉鎖が日産再建の第一歩であることを示唆した。

    座間工場の閉鎖——日産再建の始まりとなった生産能力削減
  22. ルノーと提携・カルロスゴーンが社長就任
  23. 日産リバイバルプランを策定

    1999年10月18日に日産自動車は「日産リバイバルプラン」を策定。2003年3月期までに1兆円のコスト削減、販売金融を除く有利子負債の削減(1.4兆円→0.7兆円)によって財務体質を改善し、2001年3月期の黒字化、2003年3月期に売上高営業利益率4.5%を目標とした。 日産リバイバルプランの策定を受けて、人員削減の実施を決定。5工場の閉鎖とともに、合計21,000名のリストラを決定したが、希望退職社の募集ではなく、配置転換および採用抑制によって人員削減に対応した。

  24. 過去最大の赤字に転落

    2000年3月期に日産自動車は当期純損失6843億円を計上し、過去最大の赤字を計上した。日産リバイバルプランによる事業構造改革特別損失2326億円に加え、年金過去勤務費用償却額2758億円、製品保証引当金繰入額484億円、その他特別損失1925億円を計上した結果、同年度の合計の特別損失は7496億円に及んだ。

  25. 村山工場で車両生産を中止
  26. ルノーが追加出資
  27. グローバル展開を本格化・北米と中国に積極投資

    1999年のルノーによる出資とカルロスゴーン社長の就任を経て、日産自動車は2002年までに日産リバイバルプランに基づく国内の事業再編を完了した。5工場の閉鎖と2.1万名の人員削減を含む構造改革により財務体質を改善し、次の成長戦略の策定が課題となっていた。 グローバル展開の対象地域として、日産自動車は北米と中国を重点市場に選定した。欧州については提携先のルノーが事業基盤を持つため、日産としては北米での販売拡大と、急速にモータリゼーションが進行する中国市場への参入を優先した。 北米では2003年3月に米国2箇所目の現地生産拠点として「キャントン工場(ミシシッピ州)」を新設し、年間40万台の生産能力を確保。大型車を中心とした米国向けモデルの現地生産を開始した。 中国では2003年7月に現地企業との合弁により「東風汽車有限公司」を発足。2004年に花都工場を新設し、年間15万台計画で中国における四輪車の現地生産を開始した。2000年代から2010年代にかけて、日産自動車は日本国内の販売低迷を北米・中国の海外販売の拡大で補う収益構造へと移行していった。

    国内再建後の成長戦略——北米と中国への同時投資
  28. 本社を横浜市に移転

    41年ぶりに本社を東京都中央区銀座から、発祥の地である神奈川県横浜市内(みなとみらいグローバルセンター)に移転

  29. 三菱自動車と戦略的協力で提携
  30. カルソニックカンセイを売却

    2005年に日産自動車は、系列部品メーカーであるカルソニックカンセイ(東証一部上場)について連結子会社化(株式保有比率41.59%)したが、2017年3月に売却を決定。売却先は投資ファンドのKKR。売却前年度(2016年3月期)におけるカルソニックカンセイの概況は、売上高1053億円・営業利益343億円・従業員数21,987名であった。 カルソニックカンセイの売却に伴い、日産自動車は関係会社株式売却益として1150億円を計上。

  31. カルロスゴーン会長が逮捕(逃亡)
  32. 最終赤字に転落

    新車投入サイクルが一巡したことや、北米における販売不振により、中国における経済不況による販売不振により、2020年3月期に▲6712億円の最終赤字に転落した。日産自動車としては、ルノーによる経営再建直前の最終赤字に匹敵する金額であった。 販売不振による業績悪化を踏まえ、日産自動車は大規模な人員削減を決定。2019年7月に従業員1.2万名のリストラを発表した。

  33. ルノーと新アライアンス契約を締結

    業績が低迷する日産について、提携先かつ筆頭株主であるルノー(日産の株式43.4%を保有)は株式の段階的な売却を決定。2023年7月に新アライアンス契約を締結し、ルノーによる日産に対する出資比率を15%台まで下げることを決定した。 この異動により、ルノーは保有する日産自動車の株式28.4%を信託会社に移管。2024年3月時点で日産の筆頭株主はル信託会社(24.8%)、第2位の大株主としてルノー(15.9%)の序列となり、日産はルノーとの関係性を整理した。

  34. 全世界で人員削減

    販売台数の低迷(販売実績320万台/年)に対して、グローバルで500万台/年の生産能力を確保しており工場の稼働率が低下。2024年頃の稼働率はグローバルで64%の水準に低迷し、過剰な生産能力が収益性の悪化要因となっていた。 そこで、日産自動車は生産能力の削減を決定。能力削減によって発生する余剰人員について、グローバルで約9000名の削減を決定した。削減対象には日本国内の人員も含まれた。

  35. ホンダ・日産自動車・三菱自動車の3社が経営統合を協議

参考文献・出所

有価証券報告書 沿革
日産自動車社史
日本自動車産業史
日産自動車 有報
日経ビジネス
有価証券報告書
決算説明資料
日産自動車 プレスリリース
IR 決算説明QA FY25-3Q 2026/2
日産自動車 Re:Nissan構造改革
プレスリリース 3社統合協議 2024/12