沿革年表 1950〜2000年における重要度別の出来事(合計23件)

年月区分出来事年度売上高純利益
重要事項
丸富靴店を開業
歴史的意義yutaka sugiura
当時、注文靴が主流であった靴市場において、冨永光行は既製靴という発想を持ち込み、価格構造そのものを組み替えた。流れ作業による製造を前提に1足600円で仕入れ、1000円で販売するモデルは、靴を高級耐久財から日常消耗品へと位置づけ直す試みであった。この価格破壊によって潜在需要が一気に顕在化し、小規模経営でありながら高い収益を確保する起点となった。
1950
1-12月
合資会社靴のマルトミを設立
1957
1-12月
名駅地下街サンロード店を開店
靴のマルトミは名古屋市内を中心に靴のチェーン展開を開始。名古屋駅の地下街を始め、栄などの主要繁華街に4店舗を新設した。
掛け売りを禁止
1965
1-12月
従業員の不正が発覚
靴のマルトミでは4店舗で従業員の不正が発覚。創業者の冨永光行は不正を働いた従業員を全員解雇し、穴埋めのために新規採用を実施。新規採用した社員については、創業者の冨永光行が社員と寝食を共にすることで「冨永イズム」という商売の精神を叩き込んだという。
名駅西エスカ店を開店
1971
1-12月
株式会社靴のマルトミを設立
業容を拡大するために法人組織に改組。名古屋市内を中心に店舗網を拡大
1973
1-12月
郊外店にシフト
靴のマルトミは名古屋市内の商店街や地下街を中心に100店舗を展開していたが、都心部における路面電車の廃止による繁華街の衰退や、ロードサイドの発展による郊外商圏の拡大を受けて、全100店のうち60店を閉店し、郊外店を主軸に置く方針を決めた。
1975
1-12月
重要事項
靴流通センターを全国展開
1980
1-12月
FY83
1983/2
売上高
121億円
全店舗にオンラインシステムを導入
FY84
1984/2
売上高
160億円
重要事項
郊外おもちゃ専門店「BANBAN」の展開開始
歴史的意義yutaka sugiura
靴のマルトミは、靴事業で蓄積してきたロードサイド立地の選定、駐車場を前提とした店舗設計、家族客を想定した導線設計といった出店ノウハウを、そのままおもちゃ事業に移転した。都心型ではなく郊外型を前提としたことで、広い売場面積と商品量を確保でき、週末需要やまとめ買いに対応する運営が可能となった。既存事業で確立した出店判断の基準を流用した点が、新業態立ち上げ時の不確実性を抑える役割を果たしていた。
FY85
1985/2
売上高
270億円
国内シェアNo.1
靴販売金額で国内シェア1位(4.47%)を確保。2位のチヨダ(シェア4.25%)と接戦
FY86
1986/2
売上高
440億円
株式上場を目標設定
FY87
1987/2
売上高
650億円
オーナーシステムを採用
靴のマルトミは1980年代に名古屋中心にロードサイド店を拡大したが、仕入れ・価格・人員配置を本社が統一管理し、立地や顧客層の違いが反映されにくい構造だった。そこで1987年、運営単位を本社から店舗へ移し、店舗責任者が仕入れ・販売方針・収益管理を担うオーナーシステムを導入。本社は売上総利益の一定割合を受け取り、残余利益は店舗裁量とする独立採算に近い設計とし、1990年時点で全964店中615店が同制度で運営された。
全店舗にPOS導入を決定
FY88
1988/2
売上高
820億円
FY89
1989/2
売上高
767億円
当期純利益
8.9億円
名古屋証券取引所に株式上場
FY90
1990/2
売上高
889億円
当期純利益
11.7億円
FY91
1991/2
売上高
1,064億円
当期純利益
12.6億円
FY92
1992/2
売上高
1,300億円
当期純利益
20.5億円
1700店舗突破
1993年に靴のマルトミは1700店舗を突破し、過去最高となる経常利益57億円を達成した。
FY93
1993/2
売上高
1,547億円
当期純利益
28.5億円
中国に現地法人を合弁設立
中国において靴のチェーン展開を決定。現地企業との合弁で現地法人を設立して、1994年に一号店を北京に出店。
FY94
1994/2
売上高
1,703億円
当期純利益
9.4億円
事業売却
180店舗を閉鎖
歴史的意義yutaka sugiura
大店法運用の緩和を背景に郊外型ショッピングセンターが急増し、複数の靴専門店が同一施設内で競合する市場構造が形成された。この変化により、単独立地の小型店は集客力、価格訴求力、商品回転のいずれにおいても劣後する立場に置かれた。マルトミの成長を支えてきた郊外小型店モデルは、制度と立地条件に依存しており、規制環境の変化によって競争優位を失った。その結果として、不採算店舗を抱え続けることが全社収益を圧迫し、1994年の大量閉店という急激な構造調整を余儀なくされた。
17期ぶりの減益
BANBANを268店展開
FY95
1995/2
売上高
1,680億円
当期純利益
3.1億円
FY96
1996/2
売上高
1,717億円
当期純利益
4.6億円
FY97
1997/2
売上高
1,702億円
当期純利益
1.2億円
最終赤字転落
FY98
1998/2
売上高
1,561億円
当期純利益
-5億円
FY99
1999/2
売上高
1,380億円
当期純利益
-29.7億円
重要事項
民事再生法の適用申請
歴史的意義yutaka sugiura
郊外型ショッピングセンターを主戦場とするABCマートなどの新興靴チェーンは、集客力の高い立地と効率的な商品供給によって競争力を高めていった。一方、マルトミはロードサイド小型店を前提とした出店モデルから転換できず、価格・品揃え・立地のいずれにおいても対応が遅れた。競争環境の変化に適応できなかったことが、業績悪化と法的整理に直結した。
FY00
2000/2
売上高
1,211億円
当期純利益
-87.3億円
  1. 丸富靴店を開業
    当時、注文靴が主流であった靴市場において、冨永光行は既製靴という発想を持ち込み、価格構造そのものを組み替えた。流れ作業による製造を前提に1足600円で仕入れ、1000円で販売するモデルは、靴を高級耐久財から日常消耗品へと位置づけ直す試みであった。この価格破壊によって潜在需要が一気に顕在化し、小規模経営でありながら高い収益を確保する起点となった。
  2. 合資会社靴のマルトミを設立
  3. 名駅地下街サンロード店を開店

    靴のマルトミは名古屋市内を中心に靴のチェーン展開を開始。名古屋駅の地下街を始め、栄などの主要繁華街に4店舗を新設した。

  4. 掛け売りを禁止
  5. 従業員の不正が発覚

    靴のマルトミでは4店舗で従業員の不正が発覚。創業者の冨永光行は不正を働いた従業員を全員解雇し、穴埋めのために新規採用を実施。新規採用した社員については、創業者の冨永光行が社員と寝食を共にすることで「冨永イズム」という商売の精神を叩き込んだという。

  6. 名駅西エスカ店を開店
  7. 株式会社靴のマルトミを設立

    業容を拡大するために法人組織に改組。名古屋市内を中心に店舗網を拡大

  8. 郊外店にシフト

    靴のマルトミは名古屋市内の商店街や地下街を中心に100店舗を展開していたが、都心部における路面電車の廃止による繁華街の衰退や、ロードサイドの発展による郊外商圏の拡大を受けて、全100店のうち60店を閉店し、郊外店を主軸に置く方針を決めた。

  9. 靴流通センターを全国展開
  10. 全店舗にオンラインシステムを導入
  11. 郊外おもちゃ専門店「BANBAN」の展開開始
    靴のマルトミは、靴事業で蓄積してきたロードサイド立地の選定、駐車場を前提とした店舗設計、家族客を想定した導線設計といった出店ノウハウを、そのままおもちゃ事業に移転した。都心型ではなく郊外型を前提としたことで、広い売場面積と商品量を確保でき、週末需要やまとめ買いに対応する運営が可能となった。既存事業で確立した出店判断の基準を流用した点が、新業態立ち上げ時の不確実性を抑える役割を果たしていた。
  12. 国内シェアNo.1

    靴販売金額で国内シェア1位(4.47%)を確保。2位のチヨダ(シェア4.25%)と接戦

  13. 株式上場を目標設定
  14. オーナーシステムを採用

    靴のマルトミは1980年代に名古屋中心にロードサイド店を拡大したが、仕入れ・価格・人員配置を本社が統一管理し、立地や顧客層の違いが反映されにくい構造だった。そこで1987年、運営単位を本社から店舗へ移し、店舗責任者が仕入れ・販売方針・収益管理を担うオーナーシステムを導入。本社は売上総利益の一定割合を受け取り、残余利益は店舗裁量とする独立採算に近い設計とし、1990年時点で全964店中615店が同制度で運営された。

  15. 全店舗にPOS導入を決定
  16. 名古屋証券取引所に株式上場
  17. 1700店舗突破

    1993年に靴のマルトミは1700店舗を突破し、過去最高となる経常利益57億円を達成した。

  18. 中国に現地法人を合弁設立

    中国において靴のチェーン展開を決定。現地企業との合弁で現地法人を設立して、1994年に一号店を北京に出店。

  19. 事業売却
    180店舗を閉鎖
    大店法運用の緩和を背景に郊外型ショッピングセンターが急増し、複数の靴専門店が同一施設内で競合する市場構造が形成された。この変化により、単独立地の小型店は集客力、価格訴求力、商品回転のいずれにおいても劣後する立場に置かれた。マルトミの成長を支えてきた郊外小型店モデルは、制度と立地条件に依存しており、規制環境の変化によって競争優位を失った。その結果として、不採算店舗を抱え続けることが全社収益を圧迫し、1994年の大量閉店という急激な構造調整を余儀なくされた。
  20. 17期ぶりの減益
  21. BANBANを268店展開
  22. 最終赤字転落
  23. 民事再生法の適用申請
    郊外型ショッピングセンターを主戦場とするABCマートなどの新興靴チェーンは、集客力の高い立地と効率的な商品供給によって競争力を高めていった。一方、マルトミはロードサイド小型店を前提とした出店モデルから転換できず、価格・品揃え・立地のいずれにおいても対応が遅れた。競争環境の変化に適応できなかったことが、業績悪化と法的整理に直結した。