沿革年表 1881〜2025年における重要度別の出来事(合計37件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
協同組合「光明社」を創業
歴史的意義yutaka sugiura
日本ペイントは国内初の洋式塗料メーカーとして技術的先発優位を確立したが、明治期の塗料需要が海軍の艦船向けに限定されていたため、民需市場の本格的な拡大は大正期まで約40年を要した。先発者であるがゆえに市場の未成熟という制約を引き受けざるを得ない構造は、技術革新が市場創造に直結しない場合の先発優位の限界を示す。競合の参入が5年遅れた事実もまた、市場の小ささ自体が参入障壁として機能していたことを裏付ける。
1881
1-12月
重要事項
日本ペイント製造株式会社を設立
歴史的意義yutaka sugiura
日本ペイントが明治期に海軍拠点の地理的配置に合わせて選定した品川と大淀の工場は、海軍という顧客が消滅した戦後を経てもなお120年以上にわたり中核拠点として機能し続けている。創業期における不動産取得の判断が、その後の事業環境の変化にかかわらず企業の空間構造を固定化する力学がある。経営と所有の分離という株式会社化の副次的効果が、後の小畑家やウットラムといった外部者の経営参画を可能にした構造的素地ともなった。
1898
1-12月
経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任
歴史的意義yutaka sugiura
小畑源三郎氏は経営危機の再建者として日本ペイントに参画し、株式取得により筆頭株主の地位を得たが保有比率は4%と極めて限定的であった。所有に基づかない経営支配が60年以上にわたり維持された背景には、他に有力な大株主が不在という株主構成の分散がある。この分散構造が、2000年代以降にウットラム社が株式取得を通じて経営支配を獲得する際の構造的な素地となり、日本ペイントのガバナンス変革の起点を準備した。
1917
1-12月
建築向け塗料で特約店を形成
大正時代を通じて建築向け塗料の需要が増大し、海軍以外の塗料用途が出現した。ただし、海軍向けが大口顧客なのに対して、建築向けは顧客が分散するため、販売網の形成が焦点となった。そこで、日本ペイントは、建築向けの汎用塗料の販売強化のため、全国で特約店組織「大黒会・恵比寿会」を通じた販路を形成した。販売店が日本ペイントの株式を少数保有することにより、製造・販売の利害一致を図った。
1922
1-12月
商号を「日本ペイント」に改称
1898年設立の「日本ペイント製造株式会社」から、「日本ペイント株式会社」へ商号を改めた。すなわち呼称面での簡素化が図られ、以後87年にわたり同社名が使われた。
1927
1-12月
組織再編
本社を大阪に移転
東京から大阪への本社移転を実施した。創業期の南品川(東京)から、海軍工廠と接続する大阪事業所所在地へ拠点の比重が移った。
1931
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
自動車向け塗料への進出
歴史的意義yutaka sugiura
自動車向け塗料は日本ペイントと関西ペイントの2社寡占が成立したが、自動車メーカーが意図的に2社購買体制を維持したことで、売り手側の価格交渉力は寡占の割に制約された。顧客工場に隣接して専門工場を新設する投資構造は取引関係を固定化する一方で、他顧客への転用が困難な資産特殊性を生んだ。国内自動車塗料の収益性の天井が、日本ペイントをアジア合弁事業という異なる成長経路に向かわせた構造的要因の一つである。
FY60
1960/3
重要事項業務提携
アジア合弁事業(NIPSEA事業)を開始
日本ペイントのアジア合弁事業は出資比率30%で開始され、半世紀以上にわたりマイノリティ出資の構造が維持された。NIPSEA事業がアジア各国で急成長しても利益の大部分は連結に反映されず、技術を提供しながら成長の果実を取り込めない制約が生じた。しかしこの制約と表裏一体であった呉清亮氏への裁量委譲こそが、欧米系が先行するアジア市場での急速な販路形成を可能にした要因であり、出資構造の制約が成長の条件でもあった。
経営判断をよむ →
FY62
1962/3
中央研究所を新設(大阪府寝屋川市)
FY69
1969/3
業務提携
ビー・ケミカル社と合弁
米ビー・ケミカル社との合弁会社「日本ビー・ケミカル株式会社」を大阪府に設立した。自動車補修・周辺塗料領域で米国技術を取り込む足掛かりとなった。
FY71
1971/3
売上高
280億円
当期純利益
6.01億円
FY72
1972/3
売上高
298.86億円
当期純利益
7.05億円
FY73
1973/3
売上高
357.76億円
当期純利益
8.17億円
FY74
1974/3
売上高
498.01億円
当期純利益
10.83億円
アメリカに現地法人を設立
海外進出を意図して、アメリカに現地法人を設立した。だが、東南アジア事業とは違い、すでに競合メーカーが現地に存在したアメリカへの進出の成果は芳しくなかった。このため、日本ペイントによる単独のグローバル化路線は行き詰まった。
FY75
1975/3
FY76
1976/3
売上高
608億円
当期純利益
8.4億円
FY77
1977/3
売上高
661億円
当期純利益
8.8億円
FY78
1978/3
売上高
663億円
当期純利益
6.4億円
FY79
1979/3
売上高
713億円
当期純利益
8.6億円
FY80
1980/3
売上高
906億円
当期純利益
9.3億円
FY81
1981/3
売上高
1,041億円
当期純利益
12億円
栃木工場を新設
FY82
1982/3
売上高
1,091億円
当期純利益
14億円
海外進出
NIPSEAグループで中国市場に注力を表明
歴史的意義yutaka sugiura
ゴー・チェンリャン氏が1982年に中国を次の主力市場と位置づけた判断は、東南アジアの成熟と欧米の参入困難という二つの制約から消去法的に導かれた選択であった。競合が未確立の市場に先行参入する方針は、1962年のシンガポール進出時にシンガポール政府の関税政策を契機として欧米系に先んじた経緯と通底する。市場経済導入前に成長可能性を見極めた先見は、10年後のNIPSEA中国事業の急成長として結実した。
FY83
1983/3
売上高
1,095億円
当期純利益
16.3億円
FY84
1984/3
売上高
1,121億円
当期純利益
18億円
岡山工場を新設
FY85
1985/3
海外進出
ロンドンにNippon Paint (Europe) Ltd.を設立
欧州事業の拠点として「Nippon Paint (Europe) Ltd.」をロンドンに設立した。1975年の対米進出に続く欧州への布石となった。
FY90
1990/3
半導体・液晶材料の開発(事業化は頓挫)
1980年代を通じて新規事業の立ち上げを行い、1991年ごろには半導体向けフォトレジスト・液晶向けカラーフィルター・ICパッケージ絶縁素材などの商用化を試みた。しかし、これらの新事業は、日本ペイントの主軸にはならず、軒並み失敗に終わった。1999年には液晶カラーフィルターの事業売却を模索していた。
FY91
1991/3
FY92
1992/3
売上高
2,278億円
当期純利益
46億円
海外進出
上海にNippon Paint (China)を設立
上海に「Nippon Paint (China) Company Limited」を設立した。1982年に表明したNIPSEAグループの中国注力路線を、合弁を通じて自社現地法人として具現化した拠点となった。
FY93
1993/3
売上高
2,229億円
当期純利益
42億円
福岡工場を新設
FY94
1994/3
売上高
2,065億円
当期純利益
26億円
FY95
1995/3
売上高
2,025億円
当期純利益
21億円
FY96
1996/3
売上高
2,046億円
当期純利益
3億円
FY97
1997/3
売上高
2,171億円
当期純利益
8億円
FY98
1998/3
売上高
2,150億円
当期純利益
5億円
赤字転落・グループ人員を10%削減
新規事業の不振と、既存事業における成長鈍化により、1999年3月期に最終赤字28億円(売上高1978億円)に転落した。また、海外事業は軌道に乗らず、グローバル化の潮流にも乗り遅れる形となった。このため、日本ペイントの人員に余剰が生じたため、日本ペイントはグループの人員を10%削減する方針を発表した。
FY99
1999/3
売上高
1,979億円
当期純利益
-28億円
FY00
2000/3
売上高
1,981億円
当期純利益
35.7億円
FY01
2001/3
売上高
1,996億円
親会社株主に帰属する当期純利益
56.7億円
FY02
2002/3
売上高
1,924億円
親会社株主に帰属する当期純利益
8億円
FY03
2003/3
売上高
1,978億円
親会社株主に帰属する当期純利益
52億円
松浦誠
FY04
2004/3
売上高
1,986億円
親会社株主に帰属する当期純利益
68億円
松浦誠
販売会社5社を合併・日本ペイント販売を設立
バブル崩壊と国内の人口減少による新築物件数の減少により、汎用塗料の業績が低迷した。このため、販社の業績が悪化したため、2004年に日本ペイントの地域販社の再編を実施した。
FY05
2005/3
売上高
2,028億円
親会社株主に帰属する当期純利益
71億円
松浦誠
FY06
2006/3
売上高
2,079億円
当期純利益
65億円
松浦誠
FIRST INDUSTRIES CORPが筆頭株主に
ゴー・チェンリャンの息子であるゴー・ハップジン氏が経営するFIRST INDUSTRIES CORP(ゴー・チェンリャンが創業したWuthelamの子会社)が、日本ペイントの株式を取得して筆頭株主となった。当時の日本ペイントは国内市場の停滞を受けて、株価と業績が低迷していた。この株式取得が、ウットラムによる日本ペイント買収の布石となる。
FY07
2007/3
売上高
2,258億円
当期純利益
74億円
合弁設立
Nippon Paint (Thailand)を連結子会社化
従来合弁であったタイの「Nippon Paint (Thailand) Company Limited」を連結子会社化した。NIPSEA合弁の出資関係見直しが進む中での先行案件となった。
酒井健二
FY08
2008/3
売上高
2,592億円
当期純利益
67億円
酒井健二
FY09
2009/3
売上高
2,396億円
当期純利益
18億円
酒井健二
FY10
2010/3
売上高
2,165億円
当期純利益
87億円
酒井健二
FY11
2011/3
売上高
2,273億円
当期純利益
143億円
酒井健二
FY12
2012/3
売上高
2,222億円
親会社株主に帰属する当期純利益
123億円
酒井健二
FY13
2013/3
売上高
2,333億円
親会社株主に帰属する当期純利益
200億円
田堂哲志
FY14
2014/3
売上高
2,605億円
親会社株主に帰属する当期純利益
321億円
田堂哲志
WUTHELAM HDに対して第三者割当増資を実施
歴史的意義yutaka sugiura
ウットラム社による日本ペイントへの資本参入は、50年以上にわたる合弁パートナー関係を基盤としており、完全な外部者による買収とは性質を異にする。友好的な資本提携として始まった関与は、取締役派遣・ガバナンス改革・過半数取得へと段階的に経営支配の深度を増していった。当初の経営陣続投という配慮が、結果として段階的な支配権移行を可能にする時間的猶予として機能した因果構造がある。
FY15
2015/3
売上高
2,605億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,814億円
日本ペイントホールディングスに商号変更
重要事項業務提携
WUTHELAM HDとのアジア合弁事業8社を連結化
歴史的意義yutaka sugiura
日本ペイントが合弁8社の連結化で計上した段階取得差益1488億円は、1962年のマイノリティ出資以来、半世紀にわたり連結決算に反映されてこなかった事業成長の含み益が一時に顕在化したものである。マイノリティ出資の期間が長期に及ぶほど含み益が蓄積され連結化時の差益が拡大する構造は、出資構造の変更が会計上の非連続的な利益をもたらす力学を示す。事業の実質的価値は以前から存在していたが、資本操作を契機に財務諸表に反映された。
企業買収
田堂哲志
独Bollig & Kemperを完全子会社化
ドイツの自動車用塗料メーカー「Bollig & Kemper GmbH & Co.KG」を完全子会社化した。すなわち欧州自動車塗料での足場を形成した。
FY16
2016/3
売上高
4,701億円
親会社株主に帰属する当期純利益
347億円
組織再編
田堂哲志
決算期を3月から12月に変更
決算期を3月31日から12月31日に変更した。アジア合弁子会社の連結化に伴い、海外連結子会社の決算サイクルに合わせる形となった。
FY17
2017/3
売上高
6,052億円
親会社株主に帰属する当期純利益
371億円
重要事項企業買収
米DE社を約687億円で買収
歴史的意義yutaka sugiura
日本ペイントのアジア事業は競合が未確立な市場に先行参入するモデルで成長してきたが、米国は既にSherwin-WilliamsやPPGなど大手が確固たるシェアを持つ成熟市場であった。1975年の現地法人設立に続く2度目の米国進出でも業績は伸び悩み、NIPSEA事業の成長モデルには地理的・競争環境的な適用限界があることが示された。アジアでの成長を米国に移植できないという制約は、日本ペイントのグローバル戦略の構造的課題として残った。
企業買収
米Axaltaの買収中止
歴史的意義yutaka sugiura
日本ペイントの経営陣による1兆円規模のAxalta買収提案は、グローバル展開の加速と同時に、有利子負債の積み上げによるウットラムの完全買収の困難化という防衛的意図を含んでいたと推察される。ウットラム側取締役がこの提案を否決した事実は、2014年の取締役派遣以降、大型投資案件に対する実質的な拒否権がウットラムに帰属する構造が形成されていたことを示す。買収提案に潜む二重の意図が読み取られた経緯は、両者の利害対立が水面下で進行していたことを浮き彫りにする。
重要事項
田堂哲志
ウットラムが取締役会の過半数を掌握
筆頭株主ウットラムの株主提案により、取締役会10人中6人(独立社外取締役5人を含む)がウットラム提案枠となり過半数を占めた。
筆頭株主が経営権を実質的に掌握する体制が確立し、後の完全子会社化への布石となった。
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FY18
2018/3
売上高
6,229億円
親会社株主に帰属する当期純利益
341億円
田中正明
ガバナンス体制の改革
ウットラムと日本ペイントにおける親子上場など、企業経営上の複雑性を伴うことから、投資家(少数株主の保護)に向けたガバナンスを強化
FY19
2019/3
売上高
6,920億円
親会社株主に帰属する当期純利益
367億円
田中正明
豪Dulux社を約3000億円で買収
日本ペイントは、アジア事業に続いて、オセアニア事業を強化するために、豪州に本社を置くDuluxGroupを約3000億円で買収した。
FY20
2020/3
売上高
7,725億円
親会社株主に帰属する当期純利益
439億円
重要事項
若月雄一郎
増資をウットラム社が引き受け・アジア合弁事業を完全子会社化
日本ペイントHDは筆頭株主であるウットラム社に対する第三者割当増資により、1.3兆円の資金調達を決定。これにより、ウットラム社は日本ペイントHDの株式を合計58.7%保有し、日本ペイントHDはウットラム社の子会社となった。日本ペイントHDの狙いは、NIPSEA事業(ウットラム社)との合弁事業の取り込み(通称:アジア合弁事業100%化)にあり、NIPSEA事業の各合弁会社に対する出資比率を従来の51%から100%に引き上げた。
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FY21
2021/3
売上高
9,982億円
親会社株主に帰属する当期純利益
675億円
若月雄一郎
Cromology HDを1506億円で買収
Cromologyは欧州における建築用塗料でシェア4位企業。欧州事業の強化を目論んだ買収
FY22
2022/3
売上高
13,090億円
親会社株主に帰属する当期純利益
794億円
株式上場
若月雄一郎
東証プライム市場へ移行
東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。
FY23
2023/3
売上高
14,425億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,184億円
若月雄一郎
FY24
2024/3
売上高
16,387億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,258億円
企業買収
若月雄一郎
米AOC LLC等を傘下に収める
米国・欧州を中心に展開するスペシャリティ・フォーミュレーター「AOC, LLC」を含む企業群を傘下とする「LSF11 A5 TopCo LLC」を連結子会社化した。CASE(コーティング・接着・密封・エラストマー)周辺製品への領域拡大を狙った大型買収となった。
FY25
2025/3
売上高
17,742億円
親会社株主に帰属する当期純利益
1,798億円
  1. 会社設立
    協同組合「光明社」を創業
    日本ペイントは国内初の洋式塗料メーカーとして技術的先発優位を確立したが、明治期の塗料需要が海軍の艦船向けに限定されていたため、民需市場の本格的な拡大は大正期まで約40年を要した。先発者であるがゆえに市場の未成熟という制約を引き受けざるを得ない構造は、技術革新が市場創造に直結しない場合の先発優位の限界を示す。競合の参入が5年遅れた事実もまた、市場の小ささ自体が参入障壁として機能していたことを裏付ける。
  2. 日本ペイント製造株式会社を設立
    日本ペイントが明治期に海軍拠点の地理的配置に合わせて選定した品川と大淀の工場は、海軍という顧客が消滅した戦後を経てもなお120年以上にわたり中核拠点として機能し続けている。創業期における不動産取得の判断が、その後の事業環境の変化にかかわらず企業の空間構造を固定化する力学がある。経営と所有の分離という株式会社化の副次的効果が、後の小畑家やウットラムといった外部者の経営参画を可能にした構造的素地ともなった。
  3. 経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任
    小畑源三郎氏は経営危機の再建者として日本ペイントに参画し、株式取得により筆頭株主の地位を得たが保有比率は4%と極めて限定的であった。所有に基づかない経営支配が60年以上にわたり維持された背景には、他に有力な大株主が不在という株主構成の分散がある。この分散構造が、2000年代以降にウットラム社が株式取得を通じて経営支配を獲得する際の構造的な素地となり、日本ペイントのガバナンス変革の起点を準備した。
  4. 建築向け塗料で特約店を形成

    大正時代を通じて建築向け塗料の需要が増大し、海軍以外の塗料用途が出現した。ただし、海軍向けが大口顧客なのに対して、建築向けは顧客が分散するため、販売網の形成が焦点となった。そこで、日本ペイントは、建築向けの汎用塗料の販売強化のため、全国で特約店組織「大黒会・恵比寿会」を通じた販路を形成した。販売店が日本ペイントの株式を少数保有することにより、製造・販売の利害一致を図った。

  5. 商号を「日本ペイント」に改称

    1898年設立の「日本ペイント製造株式会社」から、「日本ペイント株式会社」へ商号を改めた。すなわち呼称面での簡素化が図られ、以後87年にわたり同社名が使われた。

  6. 組織再編
    本社を大阪に移転

    東京から大阪への本社移転を実施した。創業期の南品川(東京)から、海軍工廠と接続する大阪事業所所在地へ拠点の比重が移った。

  7. 東京証券取引所に株式上場
  8. 自動車向け塗料への進出
    自動車向け塗料は日本ペイントと関西ペイントの2社寡占が成立したが、自動車メーカーが意図的に2社購買体制を維持したことで、売り手側の価格交渉力は寡占の割に制約された。顧客工場に隣接して専門工場を新設する投資構造は取引関係を固定化する一方で、他顧客への転用が困難な資産特殊性を生んだ。国内自動車塗料の収益性の天井が、日本ペイントをアジア合弁事業という異なる成長経路に向かわせた構造的要因の一つである。
  9. 中央研究所を新設(大阪府寝屋川市)
  10. 業務提携
    ビー・ケミカル社と合弁

    米ビー・ケミカル社との合弁会社「日本ビー・ケミカル株式会社」を大阪府に設立した。自動車補修・周辺塗料領域で米国技術を取り込む足掛かりとなった。

  11. アメリカに現地法人を設立

    海外進出を意図して、アメリカに現地法人を設立した。だが、東南アジア事業とは違い、すでに競合メーカーが現地に存在したアメリカへの進出の成果は芳しくなかった。このため、日本ペイントによる単独のグローバル化路線は行き詰まった。

  12. 栃木工場を新設
  13. 海外進出
    NIPSEAグループで中国市場に注力を表明
    ゴー・チェンリャン氏が1982年に中国を次の主力市場と位置づけた判断は、東南アジアの成熟と欧米の参入困難という二つの制約から消去法的に導かれた選択であった。競合が未確立の市場に先行参入する方針は、1962年のシンガポール進出時にシンガポール政府の関税政策を契機として欧米系に先んじた経緯と通底する。市場経済導入前に成長可能性を見極めた先見は、10年後のNIPSEA中国事業の急成長として結実した。
  14. 岡山工場を新設
  15. 海外進出
    ロンドンにNippon Paint (Europe) Ltd.を設立

    欧州事業の拠点として「Nippon Paint (Europe) Ltd.」をロンドンに設立した。1975年の対米進出に続く欧州への布石となった。

  16. 半導体・液晶材料の開発(事業化は頓挫)

    1980年代を通じて新規事業の立ち上げを行い、1991年ごろには半導体向けフォトレジスト・液晶向けカラーフィルター・ICパッケージ絶縁素材などの商用化を試みた。しかし、これらの新事業は、日本ペイントの主軸にはならず、軒並み失敗に終わった。1999年には液晶カラーフィルターの事業売却を模索していた。

  17. 海外進出
    上海にNippon Paint (China)を設立

    上海に「Nippon Paint (China) Company Limited」を設立した。1982年に表明したNIPSEAグループの中国注力路線を、合弁を通じて自社現地法人として具現化した拠点となった。

  18. 福岡工場を新設
  19. 赤字転落・グループ人員を10%削減

    新規事業の不振と、既存事業における成長鈍化により、1999年3月期に最終赤字28億円(売上高1978億円)に転落した。また、海外事業は軌道に乗らず、グローバル化の潮流にも乗り遅れる形となった。このため、日本ペイントの人員に余剰が生じたため、日本ペイントはグループの人員を10%削減する方針を発表した。

  20. 販売会社5社を合併・日本ペイント販売を設立

    バブル崩壊と国内の人口減少による新築物件数の減少により、汎用塗料の業績が低迷した。このため、販社の業績が悪化したため、2004年に日本ペイントの地域販社の再編を実施した。

  21. FIRST INDUSTRIES CORPが筆頭株主に

    ゴー・チェンリャンの息子であるゴー・ハップジン氏が経営するFIRST INDUSTRIES CORP(ゴー・チェンリャンが創業したWuthelamの子会社)が、日本ペイントの株式を取得して筆頭株主となった。当時の日本ペイントは国内市場の停滞を受けて、株価と業績が低迷していた。この株式取得が、ウットラムによる日本ペイント買収の布石となる。

  22. 合弁設立
    Nippon Paint (Thailand)を連結子会社化

    従来合弁であったタイの「Nippon Paint (Thailand) Company Limited」を連結子会社化した。NIPSEA合弁の出資関係見直しが進む中での先行案件となった。

  23. WUTHELAM HDに対して第三者割当増資を実施
    ウットラム社による日本ペイントへの資本参入は、50年以上にわたる合弁パートナー関係を基盤としており、完全な外部者による買収とは性質を異にする。友好的な資本提携として始まった関与は、取締役派遣・ガバナンス改革・過半数取得へと段階的に経営支配の深度を増していった。当初の経営陣続投という配慮が、結果として段階的な支配権移行を可能にする時間的猶予として機能した因果構造がある。
  24. 日本ペイントホールディングスに商号変更
  25. 業務提携
    WUTHELAM HDとのアジア合弁事業8社を連結化
    日本ペイントが合弁8社の連結化で計上した段階取得差益1488億円は、1962年のマイノリティ出資以来、半世紀にわたり連結決算に反映されてこなかった事業成長の含み益が一時に顕在化したものである。マイノリティ出資の期間が長期に及ぶほど含み益が蓄積され連結化時の差益が拡大する構造は、出資構造の変更が会計上の非連続的な利益をもたらす力学を示す。事業の実質的価値は以前から存在していたが、資本操作を契機に財務諸表に反映された。
  26. 企業買収
    独Bollig & Kemperを完全子会社化

    ドイツの自動車用塗料メーカー「Bollig & Kemper GmbH & Co.KG」を完全子会社化した。すなわち欧州自動車塗料での足場を形成した。

  27. 組織再編
    決算期を3月から12月に変更

    決算期を3月31日から12月31日に変更した。アジア合弁子会社の連結化に伴い、海外連結子会社の決算サイクルに合わせる形となった。

  28. 企業買収
    米DE社を約687億円で買収
    日本ペイントのアジア事業は競合が未確立な市場に先行参入するモデルで成長してきたが、米国は既にSherwin-WilliamsやPPGなど大手が確固たるシェアを持つ成熟市場であった。1975年の現地法人設立に続く2度目の米国進出でも業績は伸び悩み、NIPSEA事業の成長モデルには地理的・競争環境的な適用限界があることが示された。アジアでの成長を米国に移植できないという制約は、日本ペイントのグローバル戦略の構造的課題として残った。
  29. 企業買収
    米Axaltaの買収中止
    日本ペイントの経営陣による1兆円規模のAxalta買収提案は、グローバル展開の加速と同時に、有利子負債の積み上げによるウットラムの完全買収の困難化という防衛的意図を含んでいたと推察される。ウットラム側取締役がこの提案を否決した事実は、2014年の取締役派遣以降、大型投資案件に対する実質的な拒否権がウットラムに帰属する構造が形成されていたことを示す。買収提案に潜む二重の意図が読み取られた経緯は、両者の利害対立が水面下で進行していたことを浮き彫りにする。
  30. ガバナンス体制の改革

    ウットラムと日本ペイントにおける親子上場など、企業経営上の複雑性を伴うことから、投資家(少数株主の保護)に向けたガバナンスを強化

  31. 豪Dulux社を約3000億円で買収

    日本ペイントは、アジア事業に続いて、オセアニア事業を強化するために、豪州に本社を置くDuluxGroupを約3000億円で買収した。

  32. Cromology HDを1506億円で買収

    Cromologyは欧州における建築用塗料でシェア4位企業。欧州事業の強化を目論んだ買収

  33. 株式上場
    東証プライム市場へ移行

    東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場へ移行した。

  34. 企業買収
    米AOC LLC等を傘下に収める

    米国・欧州を中心に展開するスペシャリティ・フォーミュレーター「AOC, LLC」を含む企業群を傘下とする「LSF11 A5 TopCo LLC」を連結子会社化した。CASE(コーティング・接着・密封・エラストマー)周辺製品への領域拡大を狙った大型買収となった。