ホンダの沿革・歴史的証言

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1946年〜2025

ホンダの1946年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言

年度売上高純利益年月区分出来事歴史的意義
1946
1-12月
会社設立
本田技術研究所を個人創業
トヨタ系列からの離脱が生んだ独立系メーカーの原型
1948
1-12月
本田技研工業株式会社を設立
自転車向けエンジンおよび二輪車への本格参入のため、株式会社として「本田技研工業」を設立。本田宗一郎氏が社長に就任
1949
1-12月
藤沢武夫氏が参画
技術者と経営者の分業が創業期の成長制約を解除した構造
二輪車の製造を開始
ドリーム号の生産を開始。自転車据付型のエンジンメーカーから、オートバイの完成品メーカーに転身
FY52
1952/3
売上高
2.059億円
当期純利益
0.059億円
二輪車の増産投資
中小企業が資本金の7.5倍を投じた生産基盤構築の論理
FY53
1953/3
売上高
24.3億円
当期純利益
1億円
組織再編
本社を東京に移転
1952年4月に本社を浜松から東京都へ移転した。資金調達と全国販売網構築を視野に入れた動きであり、地方町工場から全国メーカーへ脱皮する転機となった。
FY54
1954/3
売上高
60.6億円
当期純利益
5.13億円
FY55
1955/3
売上高
59.7億円
当期純利益
0.69億円
FY56
1956/3
売上高
55.2億円
当期純利益
1.91億円
FY57
1957/3
売上高
78.7億円
当期純利益
3.94億円
FY58
1958/3
売上高
97.7億円
当期純利益
5.06億円
東京証券取引所に株式上場
1955年の経済不況期を乗り切ると、ホンダは再び増収増益基調に回帰した。主に農村における好景気が需要の牽引役となり、ホンダの二輪車の販売を押し上げた。この結果、1957年にホンダは東京証券取引所に株式上場を実施。資金調達によって懸案だった自己資本比率を改善した。
FY59
1959/3
売上高
141億円
当期純利益
11.56億円
FY60
1960/3
二輪車の北米輸出を積極化
1959年6月にホンダは北米に販売現地法人を設立し、二輪車の北米輸出を本格化した。量産によるコストダウンを志向するために、1960年に鈴鹿製作所を新設した。鈴鹿製作所の稼働によって二輪車の量産体制を確立。ホンダは二輪車において国内シェアトップを確保した。
FY61
1961/3
売上高
490億円
当期純利益
53.2億円
組織再編
本田技術研究所を分社化
1960年7月に本田技術研究所を当社より分離し株式会社本田技術研究所を設立した。研究開発機能を別会社化することで開発の独立性と長期視点を担保する仕組みを整え、本田宗一郎の研究主導の組織哲学を制度化した。
FY62
1962/3
売上高
579億円
当期純利益
59.9億円
FY63
1963/3
売上高
644億円
当期純利益
70.1億円
FY64
1964/3
売上高
831億円
当期純利益
73.5億円
四輪車に本格参入
FY65
1965/3
売上高
978億円
当期純利益
37.6億円
海外進出
タイにアジアホンダモーターを設立
1964年10月にタイへアジアホンダモーターカンパニーを設立した。東南アジアの二輪車販売・現地生産の橋頭堡となり、その後の域内事業の統轄機能の前身となった。
東南アジアで二輪車の現地生産を開始
FY66
1966/3
売上高
1,236億円
当期純利益
65.1億円
FY67
1967/3
売上高
1,067億円
当期純利益
30億円
FY68
1968/3
売上高
1,411億円
当期純利益
26.1億円
FY69
1969/3
売上高
1,938億円
当期純利益
66.2億円
FY70
1970/3
売上高
2,447億円
当期純利益
123億円
FY71
1971/3
売上高
3,163億円
当期純利益
121億円
FY72
1972/3
売上高
3,328億円
当期純利益
123億円
海外進出
ブラジルにホンダモーターを設立
1971年10月にブラジルへホンダモーター・ド・ブラジル(2000年4月にホンダサウスアメリカへ商号変更)を設立した。よって南米事業の母体を確保し、後年に南米統轄機能を担う中心拠点へ発展した。
FY73
1973/3
売上高
3,276億円
当期純利益
125億円
四輪車シビックを発売
低公害エンジン「CVCC」の開発を発表
燃費性能の良いCVCCを搭載したシビックが、国内および北米市場でヒット。四輪車では最後発だったが、1977年までに国内3位メーカーに浮上(1位トヨタ・2位日産・3位ホンダ)
FY74
1974/3
売上高
3,667億円
当期純利益
113億円
FY75
1975/3
売上高
5,198億円
当期純利益
106億円
FY76
1976/3
売上高
5,638億円
当期純利益
119億円
四輪車アコードを発売
熊本製作所を新設
二輪車の海外輸出拠点として熊本製作所を新設
FY77
1977/3
売上高
6,686億円
当期純利益
155億円
株式上場
ADRをニューヨーク証券取引所に上場
1977年2月にADR(米国預託証券)をニューヨーク証券取引所へ上場した。日本の自動車メーカーとしては早期の本格的米国市場上場であり、北米現地生産投資(1978年HAM設立)の前提となる資本市場での認知を獲得した。
FY78
1978/3
売上高
8,496億円
当期純利益
175億円
海外進出
HAMを設立・米国での現地生産を開始
二輪車工場から段階的に拡張した北米現地生産の進出設計
FY79
1979/3
売上高
9,222億円
当期純利益
160億円
HY戦争(二輪車の国内価格競争)
ホンダの北米進出を見たヤマハ発動機が、競合の手薄になると判断して価格競争を開始。だが、ホンダは競合のヤマハと国内で熾烈な価格競争を展開して対抗。BCGからコンサルティグを受けつつ、ヤマハ発動機を殲滅(同社を赤字転落)した
FY80
1980/3
売上高
10,694億円
当期純利益
236億円
FY81
1981/3
売上高
13,448億円
当期純利益
301億円
FY82
1982/3
売上高
15,441億円
当期純利益
242億円
株式上場
株式をロンドン証券取引所に上場
1981年6月に株式をロンドン証券取引所へ上場した。北米に続く欧州の資本市場での認知度を高め、4年後の英国HUM設立による欧州現地生産への布石となった。
FY83
1983/3
売上高
17,469億円
当期純利益
313億円
本田宗一郎氏・藤沢武夫氏が退任
創業者の本田宗一郎氏(当時78歳)と、財務を支えてきた藤沢武夫氏(当時75歳)が、ともに同じタイミングでホンダの取締役を退任。経営は後任に任せて、ホンダの経営から退いた
FY84
1984/3
売上高
18,460億円
当期純利益
245億円
FY85
1985/3
売上高
19,295億円
当期純利益
326億円
HUMを設立・英国での現地生産を開始
ホンダは貿易摩擦の深刻化を考慮して、欧州での乗用車の現地生産を決定。1985年に英国にHonda of the U.K. Manufacturing(HUM)を設立し、現地生産の準備を開始した。工場用地について、熟練工が多い地域として知られたスウィンドンに決定して敷地を確保した。1989年にスウィンドン工場を竣工し、英国における現地生産を開始した。まずはエンジンの生産を開始し、1992年から完成車として「アコード」の生産を開始した。
FY87
1987/3
組織再編
北米統轄会社ホンダノースアメリカを設立
1987年3月に米国へ北米子会社事業の統轄機能を有するホンダノースアメリカを設立した。HAM・販売・金融・研究の各機能の頂点に統轄会社を置き、地域経営の自立性を高める設計が進んだ。
FY90
1990/3
組織再編
欧州統轄会社ホンダモーターヨーロッパを設立
1989年8月に英国へ欧州子会社事業の統轄機能を有するホンダモーターヨーロッパを設立した。HUMによる現地生産の本格立ち上げに合わせて域内の販売・金融機能を一元化した。
FY92
1992/3
売上高
43,918億円
当期純利益
648億円
東南アジアで二輪車および四輪車の現地生産を本格化
アジアでの現地生産を本格化。日本・北米・欧州・アジアのグローバル生産体制へ
FY93
1993/3
売上高
41,324億円
当期純利益
371億円
FY94
1994/3
売上高
38,627億円
当期純利益
236億円
FY95
1995/3
売上高
39,661億円
当期純利益
615億円
FY96
1996/3
売上高
42,522億円
当期純利益
708億円
FY97
1997/3
売上高
52,933億円
当期純利益
2,211億円
FY98
1998/3
売上高
59,997億円
当期純利益
2,606億円
FY99
1999/3
売上高
62,310億円
当期純利益
3,050億円
中国での現地生産を本格化
FY00
2000/3
売上高
60,988億円
当期純利益
2,624億円
設備投資
米国アラバマに四輪車工場を設立
1999年12月に米国アラバマ州へホンダマニュファクチュアリングオブアラバマを設立した。オハイオ州に続く北米2拠点目の四輪量産拠点であり、SUV・ミニバン需要の拡大に合わせた現地生産能力の増強となった。
FY01
2001/3
売上高
64,383億円
当期純利益
2,322億円
FY02
2002/3
売上高
73,624億円
当期純利益
3,627億円
FY03
2003/3
売上高
79,714億円
当期純利益
4,266億円
埼玉製作所・和光工場を閉鎖
旧大和工場(1953年新設)の閉鎖を決定。周辺地域の宅地化が進行して拡張が困難であった。工場跡地は「Honda和光ビル」として活用
FY04
2004/3
売上高
81,626億円
当期純利益
4,643億円
組織再編
中国事業統轄会社を設立
2004年1月に中国事業の統轄機能を有する本田技研工業(中国)投資有限公司を設立した。複数の合弁・販売拠点を統括し、急拡大する中国市場での意思決定を現地完結型へ近づける狙いとなった。
FY05
2005/3
売上高及びその他の営業収入
86,501億円
当期純利益
4,861億円
FY06
2006/3
売上高及びその他の営業収入
99,079億円
当期純利益
5,970億円
FY07
2007/3
売上高及びその他の営業収入
110,871億円
当期純利益
5,923億円
FY08
2008/3
売上高及びその他の営業収入
120,028億円
当期純利益
6,000億円
FY09
2009/3
売上高及びその他の営業収入
100,112億円
当社株主に帰属する当期純利益
1,370億円
FY10
2010/3
売上高及びその他の営業収入
85,791億円
当社株主に帰属する当期純利益
2,684億円
国内工場の再編
FY11
2011/3
売上高及びその他の営業収入
89,368億円
当社株主に帰属する当期純利益
5,340億円
FY12
2012/3
売上高
79,480億円
親会社株主に帰属する当期純利益
2,114億円
FY13
2013/3
売上高
98,779億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,671億円
FY14
2014/3
売上高
125,060億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,247億円
設備投資
埼玉製作所寄居工場が稼働
2013年7月に埼玉製作所寄居工場が稼働開始した。狭山工場の縮小・閉鎖を見据えた次世代ライン導入の中核拠点であり、国内四輪生産の再編軸となった。
FY15
2015/3
売上高
133,280億円
親会社株主に帰属する当期純利益
5,094億円
FY16
2016/3
売上高
146,011億円
親会社株主に帰属する当期純利益
3,445億円
タカタ製エアバッグでリコール問題
FY17
2017/3
売上高
139,992億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,165億円
FY18
2018/3
売上高
153,611億円
親会社株主に帰属する当期純利益
10,593億円
事業売却
狭山工場の閉鎖発表
創業期の量産拠点を閉鎖した国内生産体制の縮小再編
FY19
2019/3
売上高
158,886億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,103億円
FY20
2020/3
売上高
149,310億円
親会社株主に帰属する当期純利益
4,557億円
FY21
2021/3
売上高
131,705億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,574億円
FY22
2022/3
売上高
145,526億円
親会社株主に帰属する当期純利益
7,070億円
真岡工場の閉鎖発表(2025年閉鎖予定)
事業売却
欧州での現地生産から撤退(英国工場を閉鎖)
シェア1%未満の市場に36年間工場を維持し続けた欧州戦略の帰結
早期退職優遇制度を実施
募集の2倍が応じた早期退職制度が示す組織の転換圧力
組織再編
埼玉製作所狭山工場の四輪完成車生産を終了
2021年12月に埼玉製作所狭山工場の四輪完成車の生産を終了した。すなわち2017年に発表された狭山工場閉鎖計画の最終段階であり、創業期の量産拠点を寄居・鈴鹿へ統合する国内再編が完了した。
FY23
2023/3
売上高
169,077億円
親会社株主に帰属する当期純利益
6,514億円
四輪車事業で営業赤字
北米におけるリコール損失(リアビューモニター用ケーブルに関する品質問題)の計上で、FY2022における四輪車事業について166億円の営業損失を計上した
FY24
2024/3
売上高
204,288億円
親会社株主に帰属する当期純利益
11,071億円
FY25
2025/3
売上高
216,887億円
親会社株主に帰属する当期純利益
8,358億円
企業買収
ホンダ・日産自動車・三菱自動車の3社が経営統合を協議
EV開発コストの分担を軸に浮上した3社統合構想の論理
  1. 会社設立
    本田技術研究所を個人創業
    トヨタ系列からの離脱が生んだ独立系メーカーの原型
  2. 本田技研工業株式会社を設立

    自転車向けエンジンおよび二輪車への本格参入のため、株式会社として「本田技研工業」を設立。本田宗一郎氏が社長に就任

  3. 藤沢武夫氏が参画
    技術者と経営者の分業が創業期の成長制約を解除した構造
  4. 二輪車の製造を開始

    ドリーム号の生産を開始。自転車据付型のエンジンメーカーから、オートバイの完成品メーカーに転身

  5. 二輪車の増産投資
    中小企業が資本金の7.5倍を投じた生産基盤構築の論理
  6. 組織再編
    本社を東京に移転

    1952年4月に本社を浜松から東京都へ移転した。資金調達と全国販売網構築を視野に入れた動きであり、地方町工場から全国メーカーへ脱皮する転機となった。

  7. 東京証券取引所に株式上場

    1955年の経済不況期を乗り切ると、ホンダは再び増収増益基調に回帰した。主に農村における好景気が需要の牽引役となり、ホンダの二輪車の販売を押し上げた。この結果、1957年にホンダは東京証券取引所に株式上場を実施。資金調達によって懸案だった自己資本比率を改善した。

  8. 二輪車の北米輸出を積極化

    1959年6月にホンダは北米に販売現地法人を設立し、二輪車の北米輸出を本格化した。量産によるコストダウンを志向するために、1960年に鈴鹿製作所を新設した。鈴鹿製作所の稼働によって二輪車の量産体制を確立。ホンダは二輪車において国内シェアトップを確保した。

  9. 組織再編
    本田技術研究所を分社化

    1960年7月に本田技術研究所を当社より分離し株式会社本田技術研究所を設立した。研究開発機能を別会社化することで開発の独立性と長期視点を担保する仕組みを整え、本田宗一郎の研究主導の組織哲学を制度化した。

  10. 四輪車に本格参入
  11. 海外進出
    タイにアジアホンダモーターを設立

    1964年10月にタイへアジアホンダモーターカンパニーを設立した。東南アジアの二輪車販売・現地生産の橋頭堡となり、その後の域内事業の統轄機能の前身となった。

  12. 東南アジアで二輪車の現地生産を開始
  13. 海外進出
    ブラジルにホンダモーターを設立

    1971年10月にブラジルへホンダモーター・ド・ブラジル(2000年4月にホンダサウスアメリカへ商号変更)を設立した。よって南米事業の母体を確保し、後年に南米統轄機能を担う中心拠点へ発展した。

  14. 四輪車シビックを発売
  15. 低公害エンジン「CVCC」の開発を発表

    燃費性能の良いCVCCを搭載したシビックが、国内および北米市場でヒット。四輪車では最後発だったが、1977年までに国内3位メーカーに浮上(1位トヨタ・2位日産・3位ホンダ)

  16. 四輪車アコードを発売
  17. 熊本製作所を新設

    二輪車の海外輸出拠点として熊本製作所を新設

  18. 株式上場
    ADRをニューヨーク証券取引所に上場

    1977年2月にADR(米国預託証券)をニューヨーク証券取引所へ上場した。日本の自動車メーカーとしては早期の本格的米国市場上場であり、北米現地生産投資(1978年HAM設立)の前提となる資本市場での認知を獲得した。

  19. 海外進出
    HAMを設立・米国での現地生産を開始
    二輪車工場から段階的に拡張した北米現地生産の進出設計
  20. HY戦争(二輪車の国内価格競争)

    ホンダの北米進出を見たヤマハ発動機が、競合の手薄になると判断して価格競争を開始。だが、ホンダは競合のヤマハと国内で熾烈な価格競争を展開して対抗。BCGからコンサルティグを受けつつ、ヤマハ発動機を殲滅(同社を赤字転落)した

  21. 株式上場
    株式をロンドン証券取引所に上場

    1981年6月に株式をロンドン証券取引所へ上場した。北米に続く欧州の資本市場での認知度を高め、4年後の英国HUM設立による欧州現地生産への布石となった。

  22. 本田宗一郎氏・藤沢武夫氏が退任

    創業者の本田宗一郎氏(当時78歳)と、財務を支えてきた藤沢武夫氏(当時75歳)が、ともに同じタイミングでホンダの取締役を退任。経営は後任に任せて、ホンダの経営から退いた

  23. HUMを設立・英国での現地生産を開始

    ホンダは貿易摩擦の深刻化を考慮して、欧州での乗用車の現地生産を決定。1985年に英国にHonda of the U.K. Manufacturing(HUM)を設立し、現地生産の準備を開始した。工場用地について、熟練工が多い地域として知られたスウィンドンに決定して敷地を確保した。1989年にスウィンドン工場を竣工し、英国における現地生産を開始した。まずはエンジンの生産を開始し、1992年から完成車として「アコード」の生産を開始した。

  24. 組織再編
    北米統轄会社ホンダノースアメリカを設立

    1987年3月に米国へ北米子会社事業の統轄機能を有するホンダノースアメリカを設立した。HAM・販売・金融・研究の各機能の頂点に統轄会社を置き、地域経営の自立性を高める設計が進んだ。

  25. 組織再編
    欧州統轄会社ホンダモーターヨーロッパを設立

    1989年8月に英国へ欧州子会社事業の統轄機能を有するホンダモーターヨーロッパを設立した。HUMによる現地生産の本格立ち上げに合わせて域内の販売・金融機能を一元化した。

  26. 東南アジアで二輪車および四輪車の現地生産を本格化

    アジアでの現地生産を本格化。日本・北米・欧州・アジアのグローバル生産体制へ

  27. 中国での現地生産を本格化
  28. 設備投資
    米国アラバマに四輪車工場を設立

    1999年12月に米国アラバマ州へホンダマニュファクチュアリングオブアラバマを設立した。オハイオ州に続く北米2拠点目の四輪量産拠点であり、SUV・ミニバン需要の拡大に合わせた現地生産能力の増強となった。

  29. 埼玉製作所・和光工場を閉鎖

    旧大和工場(1953年新設)の閉鎖を決定。周辺地域の宅地化が進行して拡張が困難であった。工場跡地は「Honda和光ビル」として活用

  30. 組織再編
    中国事業統轄会社を設立

    2004年1月に中国事業の統轄機能を有する本田技研工業(中国)投資有限公司を設立した。複数の合弁・販売拠点を統括し、急拡大する中国市場での意思決定を現地完結型へ近づける狙いとなった。

  31. 国内工場の再編
  32. 設備投資
    埼玉製作所寄居工場が稼働

    2013年7月に埼玉製作所寄居工場が稼働開始した。狭山工場の縮小・閉鎖を見据えた次世代ライン導入の中核拠点であり、国内四輪生産の再編軸となった。

  33. タカタ製エアバッグでリコール問題
  34. 事業売却
    狭山工場の閉鎖発表
    創業期の量産拠点を閉鎖した国内生産体制の縮小再編
  35. 真岡工場の閉鎖発表(2025年閉鎖予定)
  36. 事業売却
    欧州での現地生産から撤退(英国工場を閉鎖)
    シェア1%未満の市場に36年間工場を維持し続けた欧州戦略の帰結
  37. 早期退職優遇制度を実施
    募集の2倍が応じた早期退職制度が示す組織の転換圧力
  38. 組織再編
    埼玉製作所狭山工場の四輪完成車生産を終了

    2021年12月に埼玉製作所狭山工場の四輪完成車の生産を終了した。すなわち2017年に発表された狭山工場閉鎖計画の最終段階であり、創業期の量産拠点を寄居・鈴鹿へ統合する国内再編が完了した。

  39. 四輪車事業で営業赤字

    北米におけるリコール損失(リアビューモニター用ケーブルに関する品質問題)の計上で、FY2022における四輪車事業について166億円の営業損失を計上した

  40. 企業買収
    ホンダ・日産自動車・三菱自動車の3社が経営統合を協議
    EV開発コストの分担を軸に浮上した3社統合構想の論理

歴史的証言

本田宗一郎
とても、自分には、金融の方途が立たない。投げ出す以外にない
本田宗一郎
私の会社では機械を買うドルは国のドルであります。国のドルを用いて買った機械で逆にドルを稼ごうというのが私の願いであります
本田宗一郎
一定量の国内需要を満たせば、その余力を挙げて輸出貿易に振り向け、世界的視野に立って技術者として国家に貢献し、今日まで私の会社を育ててくださった皆様方にお報いしたいと思うのであります

参考文献・出所

有価証券報告書
決算説明会 FY25-3Q
週刊ダイヤモンド 1955/08/21
本田技研社史(1952/10社内月報14号) 1955
ダイヤモンド 1968/08/12
日経ビジネス 1974/04/29
読売新聞 1977/03/05
日経新聞 1977/09/27
日経新聞 1980/01/11
日経ビジネス 1987/12/21
日経新聞 2004/04/28
東洋経済オンライン 2021/07/30
日経ビジネス電子版 2022/09/02
日本経済新聞 2026/03/12