沿革年表 1872〜2025年における重要度別の出来事(合計38件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項会社設立
資生堂薬局を東京銀座で創業
歴史的意義yutaka sugiura
資生堂の創業は、西洋医学導入期の銀座で民間調剤薬局として始まった。福原有信は調剤を主業としながら、石鹸製造、さらに化粧品「オイデルミン」の発売へと事業領域を段階的に拡張した。調剤で蓄積した医薬知識と品質管理の経験が、自社製品の企画・供給という次の事業展開の基盤となった。処方依存の収益構造から自社製品中心への転換は、同社が後にメーカーとして成長する起点であった。
1872
1-12月
日本初の練り歯磨を発売
「福原衛生歯磨石鹸」としてわが国最初の練り歯磨を発売した。薬局時代から続く衛生関連製品の開発で、化粧品事業に先立つ消費財ノウハウを蓄積した。
1888
1-12月
重要事項
化粧品に新規参入
歴史的意義yutaka sugiura
オイデルミンの発売は、調剤薬局が医薬知識を転用して化粧品メーカーへ転換した起点であった。輸入品が主流だった市場において、成分管理と品質保証の能力は差別化要因となり、資生堂は自社企画製品による売上基盤を構築した。この判断は単なる品目の拡張ではなく、事業の重心を調剤サービスから製品供給へと移す構造的な転換であり、以後の化粧品事業を中核とする成長の方向性を決定づけた。
1897
1-12月
商標「花椿」を考案
歴史的意義yutaka sugiura
花椿の導入は、製品ごとに分散していた表示を企業単位で統一し、文字に依存しない視覚的な識別手段を確立した。商品点数が増加しても供給主体を一目で示す仕組みにより、資生堂は個別製品の認知ではなく企業名の継続的な想起を獲得する基盤を得た。この判断は、化粧品という反復購入を前提とする商材において、ブランド認知が競争優位に直結するという構造を先取りしたものであった。
1915
1-12月
重要事項
チェインストアを導入
チェインストア導入は、価格乱売と震災被害による流通崩壊への対応であると同時に、メーカー主導で販売網を再編する構造転換でもあった。価格統一を通じて販売量の予測精度を高める一方、月報発刊・販売教育・会員組織を通じて協力店との関係を多層化した。この仕組みは戦後の再販価格維持制度と結びつくことで長期にわたり機能したが、同時にメーカー依存型の流通秩序を固定化する側面も内包していた。
経営判断をよむ →
1923
1-12月
株式会社資生堂に商号変更
1927
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
躍進5ヵ年計画を策定
歴史的意義yutaka sugiura
1952年の躍進五ヵ年計画は、販売・広告・製造の三領域を同時に拡張し、事業基盤を五年間で底上げする設計であった。単年度の売上回復ではなく、中長期の累積投資によって全国供給と認知形成を同時に進めた点が構造的特徴である。1964年の国内シェア首位は、計画策定時に設定された投資配分の帰結であり、特定のヒット商品ではなく事業構造そのものの優位性によって達成された。
FY52
1952/3
海外進出
台湾資生堂を設立
海外初の現地法人として台湾資生堂を設立した。翌1958年4月から現地製造を開始し、日本企業としては早期にアジア展開へ踏み出した先駆けとなった。
FY58
1958/3
重要事項
大船工場を新設
歴史的意義yutaka sugiura
大船工場の新設は、高度成長期の化粧品需要拡大に対応するための供給能力の抜本的な引き上げであった。スキンケア製品の量産を一拠点に集約し、品質の均一化と生産効率の両立を図った点に特徴がある。半世紀以上にわたり国内主力工場として機能したが、周辺の宅地化と老朽化により制約が増大し、2015年に閉鎖された。工場立地の選択が数十年にわたる事業運営の制約条件となる構造を示した事例である。
FY60
1960/3
国内シェア1位
FY64
1964/3
海外進出
資生堂コスメティックス(アメリカ)を設立
米国市場参入の現地法人として設立した。後に資生堂インターナショナルCorp.へ統合され、現在の資生堂アメリカズCorp.へとつながる北米事業の起点に位置付けられる。
FY66
1966/3
FY70
1970/3
売上高
1,027.36億円
当期純利益
49.53億円
FY71
1971/3
売上高
1,127.48億円
当期純利益
53.41億円
FY72
1972/3
売上高
1,240.39億円
当期純利益
57.42億円
FY73
1973/3
売上高
1,554.9億円
当期純利益
70.65億円
FY74
1974/3
売上高
1,717.3億円
当期純利益
63.24億円
FY75
1975/3
売上高
2,032億円
当期純利益
73億円
掛川工場を新設
FY76
1976/3
売上高
2,285億円
当期純利益
85億円
FY77
1977/3
売上高
2,505億円
当期純利益
93億円
FY78
1978/3
売上高
2,657億円
当期純利益
97億円
FY79
1979/3
売上高
2,796億円
当期純利益
102億円
FY80
1980/3
売上高
2,945億円
当期純利益
106億円
FY81
1981/3
売上高
3,023億円
当期純利益
102億円
FY82
1982/3
売上高
3,061億円
当期純利益
109億円
久喜工場を新設(トイレタリー)
FY83
1983/3
売上高
3,180億円
当期純利益
123億円
FY84
1984/3
売上高
3,233億円
当期純利益
124億円
仏カリタ社を買収
FY86
1986/3
重要事項
販社改革・在庫回収
歴史的意義yutaka sugiura
1987年の販社在庫回収は、出荷実績と最終消費の乖離を経営自ら可視化し、高度成長期型の数量拡大モデルを断ち切った転換点であった。短期的な業績悪化を受け入れてでも流通の実態と向き合う判断は、創業家の福原義春によるトップダウンで遂行された。在庫責任の所在を明確化し、販社を72社から15社へ集約する過程で、消費動向を基点とする需給連動型の経営管理基盤が構築された。
FY88
1988/3
米ゾートス社を買収
FY89
1989/3
海外進出
ボーテプレステージインターナショナルをフランスに設立
欧州統括会社(現・資生堂EMEA)をフランスに設立した。プレステージ化粧品ブランドの欧州展開拠点として、米国に次ぐグローバル販売網の柱を整えた。
FY91
1991/3
海外進出
中国・北京麗源公司と資生堂麗源化粧品有限公司を設立
北京麗源公司との合弁で中国に製造・販売拠点を設立した。日本の化粧品メーカーとしては早期の中国市場参入であり、後の中国事業拡大の起点となった。
FY92
1992/3
売上高
5,532億円
当期純利益
160億円
FY93
1993/3
売上高
5,615億円
当期純利益
132億円
FY94
1994/3
売上高
5,491億円
当期純利益
146億円
FY95
1995/3
売上高
5,403億円
当期純利益
113億円
FY96
1996/3
売上高
5,608億円
当期純利益
175億円
企業買収
米ヘレンカーチス社の北米プロフェッショナル事業を買収
北米のプロ向け美容市場へ本格参入するための買収であった。1988年のゾートス社買収に続くプロフェッショナル事業の北米拡張で、ライセンス営業を強化する狙いであった。
FY97
1997/3
売上高
5,885億円
当期純利益
191億円
重要事項
再販価格維持を撤廃
再販価格維持の撤廃は、法規制への対応が直接の契機であったが、戦前から約70年にわたり維持されてきたメーカー主導の価格統制を放棄する構造的転換であった。価格が動かない環境下で蓄積されなかった競争経験の不足は、撤廃後のドラッグストア台頭や低価格帯ブランドの伸長に対する対応の遅れとして表れた。制度に守られた期間の長さが、競争環境への適応力に影響を及ぼした事例である。
経営判断をよむ →
FY98
1998/3
売上高
6,209億円
当期純利益
168億円
FY99
1999/3
売上高
6,042億円
当期純利益
103億円
FY00
2000/3
売上高
5,966億円
当期純利益
152億円
FY01
2001/3
売上高
5,951億円
当期純利益
-450億円
重要事項組織再編
ブランド集約とチェーン店再生の方針を打ち出す
経営判断をよむ →
FY02
2002/3
売上高
5,899億円
当期純利益
-227億円
FY03
2003/3
売上高
6,212億円
当期純利益
244億円
上海に現地法人持株会社を新設
FY04
2004/3
売上高
6,242億円
当期純利益
275億円
重要事項
前田新造
メガブランドに集中投資
メガブランド戦略は、約100ブランドへの分散投資がもたらしたROI低下に対する反転の判断であった。ブランド数を圧縮して広告宣伝費を少数の基軸ブランドに集中させることで、1ブランドあたりの投下資本を引き上げた。TSUBAKIに推定50億円を投じてヘアケアシェア首位を獲得した結果は、分散から集中への転換が売上成長とマーケティング効率の両方を改善し得ることを示した。
経営判断をよむ →
FY05
2005/3
売上高
6,398億円
当期純利益
-88億円
前田新造
国内4拠点の閉鎖
生産効率が悪い国内工場の閉鎖を実施。対象は京都府舞鶴工場(従業員数72名)、東京都板橋工場(従業員数158名)、資生堂ビューティーテック(大阪府東成区・従業員数134名)、原町製紙所(静岡県沼津市・従業員数36名)であった。資生堂ビューティーテックは「スポンジ・ヘアブラシ」、原町製紙所では「化粧用ティッシュペーパー」の生産に従事したが、競争力に乏しいことから生産停止を決定した。
FY06
2006/3
売上高
6,709億円
当期純利益
144億円
前田新造
FY07
2007/3
売上高
6,945億円
親会社株主に帰属する当期純利益
252億円
前田新造
FY08
2008/3
売上高
7,234億円
親会社株主に帰属する当期純利益
354億円
前田新造
FY09
2009/3
売上高
6,902億円
当期純利益
193億円
末川久幸
米ベアエッセンシャルを買収
FY10
2010/3
売上高
6,442億円
当期純利益
336億円
組織再編
末川久幸
資生堂大昌行化粧品有限公司を完全子会社化
香港の合弁会社(現・資生堂香港有限公司)を完全子会社化した。中華圏販売の指揮命令系統を一本化し、グレーターチャイナ戦略を加速させる動きであった。
FY11
2011/3
売上高
6,707億円
当期純利益
127億円
前田新造
FY12
2012/3
売上高
6,823億円
当期純利益
145億円
魚谷雅彦
海外買収を積極化
FY13
2013/3
売上高
6,777億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-146億円
魚谷雅彦
海外買収を積極化
-
FY14
2014/3
売上高
7,620億円
親会社株主に帰属する当期純利益
261億円
重要事項
魚谷雅彦
魚谷雅彦氏が社長に就任
経営判断をよむ →
FY15
2015/3
売上高
7,630億円
親会社株主に帰属する当期純利益
232億円
魚谷雅彦
FY16
2016/3
売上高
8,503億円
親会社株主に帰属する当期純利益
321億円
魚谷雅彦
FY17
2017/3
売上高
10,050億円
親会社株主に帰属する当期純利益
227億円
事業売却
魚谷雅彦
米国ゾートス社をヘンケル社に譲渡
1988年に買収した米ゾートス社をヘンケルへ売却した。プロフェッショナル事業の北米プレゼンスを縮小し、メガブランド集中戦略へ経営資源を振り向ける判断であった。
FY18
2018/3
売上高
10,948億円
親会社株主に帰属する当期純利益
614億円
魚谷雅彦
FY19
2019/3
売上高
11,315億円
親会社株主に帰属する当期純利益
735億円
魚谷雅彦
米Drunk Elephant HDを買収
FY20
2020/3
売上高
9,208億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-116億円
国内生産体制を増強
2019年に資生堂は国内に「那須工場」を新設し、36年ぶりに国内工場を新設した。資生堂としては高級化粧品の品質を担保する上で、国内生産が有効と判断。以後、2020年に大阪茨木、2022年に福岡久留米の各工場を新設し、国内工場の新設により推定累計1200億円の投資を実施した。
設備投資
魚谷雅彦
大阪茨木工場が竣工
2019年那須工場に続く国内新工場として大阪茨木工場が竣工した。高級化粧品の品質担保のため国内生産回帰を進める投資の一環であり、2022年福岡久留米工場へとつながった。
FY21
2021/3
売上高
10,351億円
親会社株主に帰属する当期純利益
311億円
重要事項事業売却
魚谷雅彦
パーソナルケア事業を売却
パーソナルケア事業の売却は、高価格帯への集中投資を進めるための投下資本の再配分として設計された。しかし売却先のファイントゥデイが営業利益率10%超を確保した一方、資生堂の日本事業は固定費を吸収する収益源を失い赤字に転落した。事業ポートフォリオの整理が意図せず利益構造の脆弱性を顕在化させた事例であり、その後の大規模人員削減へとつながる因果の起点となった。
経営判断をよむ →
FY22
2022/3
売上高
10,673億円
親会社株主に帰属する当期純利益
210億円
米国3ブランドを売却
bareMineralsおよびBUXOM(2010年買収)、Laura Mercier(2016年買収)について売却を決定。当該3事業は売上高523億円。・営業損失73億円(FY2021)の赤字体質であり、譲渡を通じて不採算事業を整理した。
魚谷雅彦
FY23
2023/3
売上高
9,730億円
親会社株主に帰属する当期純利益
217億円
藤原憲太郎
DDG Skincare HDを買収
スキンケア領域を強化するために、米国におけるスキンケアの販売に従事するDDGを買収
FY24
2024/3
売上高
9,905億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-108億円
重要事項
藤原憲太郎
資生堂ジャパンで早期退職者を募集
歴史的意義yutaka sugiura
2024年の早期退職実施は、インバウンド特需の消失と事業売却後の固定費構造という二つの要因が重なった帰結であった。高価格帯への集中投資を優先してパーソナルケア事業を手放した判断は、収益の緩衝材喪失という副作用を伴い、固定費削減を不可避にした。事業ポートフォリオの再編が人員構成の再定義にまで波及した事例として、選択と集中が持つ構造的リスクを示している。
FY25
2025/3
売上高
9,699億円
親会社株主に帰属する当期純利益
-406億円
  1. 会社設立
    資生堂薬局を東京銀座で創業
    資生堂の創業は、西洋医学導入期の銀座で民間調剤薬局として始まった。福原有信は調剤を主業としながら、石鹸製造、さらに化粧品「オイデルミン」の発売へと事業領域を段階的に拡張した。調剤で蓄積した医薬知識と品質管理の経験が、自社製品の企画・供給という次の事業展開の基盤となった。処方依存の収益構造から自社製品中心への転換は、同社が後にメーカーとして成長する起点であった。
  2. 日本初の練り歯磨を発売

    「福原衛生歯磨石鹸」としてわが国最初の練り歯磨を発売した。薬局時代から続く衛生関連製品の開発で、化粧品事業に先立つ消費財ノウハウを蓄積した。

  3. 化粧品に新規参入
    オイデルミンの発売は、調剤薬局が医薬知識を転用して化粧品メーカーへ転換した起点であった。輸入品が主流だった市場において、成分管理と品質保証の能力は差別化要因となり、資生堂は自社企画製品による売上基盤を構築した。この判断は単なる品目の拡張ではなく、事業の重心を調剤サービスから製品供給へと移す構造的な転換であり、以後の化粧品事業を中核とする成長の方向性を決定づけた。
  4. 商標「花椿」を考案
    花椿の導入は、製品ごとに分散していた表示を企業単位で統一し、文字に依存しない視覚的な識別手段を確立した。商品点数が増加しても供給主体を一目で示す仕組みにより、資生堂は個別製品の認知ではなく企業名の継続的な想起を獲得する基盤を得た。この判断は、化粧品という反復購入を前提とする商材において、ブランド認知が競争優位に直結するという構造を先取りしたものであった。
  5. 株式会社資生堂に商号変更
  6. 東京証券取引所に株式上場
  7. 躍進5ヵ年計画を策定
    1952年の躍進五ヵ年計画は、販売・広告・製造の三領域を同時に拡張し、事業基盤を五年間で底上げする設計であった。単年度の売上回復ではなく、中長期の累積投資によって全国供給と認知形成を同時に進めた点が構造的特徴である。1964年の国内シェア首位は、計画策定時に設定された投資配分の帰結であり、特定のヒット商品ではなく事業構造そのものの優位性によって達成された。
  8. 海外進出
    台湾資生堂を設立

    海外初の現地法人として台湾資生堂を設立した。翌1958年4月から現地製造を開始し、日本企業としては早期にアジア展開へ踏み出した先駆けとなった。

  9. 大船工場を新設
    大船工場の新設は、高度成長期の化粧品需要拡大に対応するための供給能力の抜本的な引き上げであった。スキンケア製品の量産を一拠点に集約し、品質の均一化と生産効率の両立を図った点に特徴がある。半世紀以上にわたり国内主力工場として機能したが、周辺の宅地化と老朽化により制約が増大し、2015年に閉鎖された。工場立地の選択が数十年にわたる事業運営の制約条件となる構造を示した事例である。
  10. 国内シェア1位
  11. 海外進出
    資生堂コスメティックス(アメリカ)を設立

    米国市場参入の現地法人として設立した。後に資生堂インターナショナルCorp.へ統合され、現在の資生堂アメリカズCorp.へとつながる北米事業の起点に位置付けられる。

  12. 掛川工場を新設
  13. 久喜工場を新設(トイレタリー)
  14. 仏カリタ社を買収
  15. 販社改革・在庫回収
    1987年の販社在庫回収は、出荷実績と最終消費の乖離を経営自ら可視化し、高度成長期型の数量拡大モデルを断ち切った転換点であった。短期的な業績悪化を受け入れてでも流通の実態と向き合う判断は、創業家の福原義春によるトップダウンで遂行された。在庫責任の所在を明確化し、販社を72社から15社へ集約する過程で、消費動向を基点とする需給連動型の経営管理基盤が構築された。
  16. 米ゾートス社を買収
  17. 海外進出
    ボーテプレステージインターナショナルをフランスに設立

    欧州統括会社(現・資生堂EMEA)をフランスに設立した。プレステージ化粧品ブランドの欧州展開拠点として、米国に次ぐグローバル販売網の柱を整えた。

  18. 海外進出
    中国・北京麗源公司と資生堂麗源化粧品有限公司を設立

    北京麗源公司との合弁で中国に製造・販売拠点を設立した。日本の化粧品メーカーとしては早期の中国市場参入であり、後の中国事業拡大の起点となった。

  19. 企業買収
    米ヘレンカーチス社の北米プロフェッショナル事業を買収

    北米のプロ向け美容市場へ本格参入するための買収であった。1988年のゾートス社買収に続くプロフェッショナル事業の北米拡張で、ライセンス営業を強化する狙いであった。

  20. 上海に現地法人持株会社を新設
  21. 国内4拠点の閉鎖

    生産効率が悪い国内工場の閉鎖を実施。対象は京都府舞鶴工場(従業員数72名)、東京都板橋工場(従業員数158名)、資生堂ビューティーテック(大阪府東成区・従業員数134名)、原町製紙所(静岡県沼津市・従業員数36名)であった。資生堂ビューティーテックは「スポンジ・ヘアブラシ」、原町製紙所では「化粧用ティッシュペーパー」の生産に従事したが、競争力に乏しいことから生産停止を決定した。

  22. 米ベアエッセンシャルを買収
  23. 組織再編
    資生堂大昌行化粧品有限公司を完全子会社化

    香港の合弁会社(現・資生堂香港有限公司)を完全子会社化した。中華圏販売の指揮命令系統を一本化し、グレーターチャイナ戦略を加速させる動きであった。

  24. 海外買収を積極化
  25. 海外買収を積極化

    -

  26. 事業売却
    米国ゾートス社をヘンケル社に譲渡

    1988年に買収した米ゾートス社をヘンケルへ売却した。プロフェッショナル事業の北米プレゼンスを縮小し、メガブランド集中戦略へ経営資源を振り向ける判断であった。

  27. 米Drunk Elephant HDを買収
  28. 国内生産体制を増強

    2019年に資生堂は国内に「那須工場」を新設し、36年ぶりに国内工場を新設した。資生堂としては高級化粧品の品質を担保する上で、国内生産が有効と判断。以後、2020年に大阪茨木、2022年に福岡久留米の各工場を新設し、国内工場の新設により推定累計1200億円の投資を実施した。

  29. 設備投資
    大阪茨木工場が竣工

    2019年那須工場に続く国内新工場として大阪茨木工場が竣工した。高級化粧品の品質担保のため国内生産回帰を進める投資の一環であり、2022年福岡久留米工場へとつながった。

  30. 米国3ブランドを売却

    bareMineralsおよびBUXOM(2010年買収)、Laura Mercier(2016年買収)について売却を決定。当該3事業は売上高523億円。・営業損失73億円(FY2021)の赤字体質であり、譲渡を通じて不採算事業を整理した。

  31. DDG Skincare HDを買収

    スキンケア領域を強化するために、米国におけるスキンケアの販売に従事するDDGを買収

  32. 資生堂ジャパンで早期退職者を募集
    2024年の早期退職実施は、インバウンド特需の消失と事業売却後の固定費構造という二つの要因が重なった帰結であった。高価格帯への集中投資を優先してパーソナルケア事業を手放した判断は、収益の緩衝材喪失という副作用を伴い、固定費削減を不可避にした。事業ポートフォリオの再編が人員構成の再定義にまで波及した事例として、選択と集中が持つ構造的リスクを示している。