沿革年表 1918〜2026年における重要度別の出来事(合計37件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項 | 帝国人絹を設立 歴史的意義yutaka sugiura 帝国人造絹糸の設立は、鈴木商店の金子直吉が資金と事業設計を担い、秦逸三・久村清太が技術開発を担うという、商社主導で研究を事業化する分業構造から生まれた。蚕に依存しない国産パルプ由来の原料調達という条件が、輸入原料に制約される他事業との差異として認識されていた。設立当初の米沢工場は試験的拠点にすぎず、量産化は広島工場の新設まで持ち越されており、設立と量産は一体ではなく段階的に設計されていた。 | 1918 1-12月 | ||||
広島工場を新設 歴史的意義yutaka sugiura 岩国工場は単なる増産拠点ではなく、将来の設備増設を前提に一気に生産規模を引き上げる設計で建設された。分散した既存工場の延長線上ではなく、工程集約による量産効率を追求した点が特徴であった。用地・水資源・輸送条件の適合性を踏まえた立地選定は、設備投資比率が高いレーヨン事業において稼働率と生産性を左右する判断であった。後発参入の帝人が先行企業と伍するには、工場単位の規模設計そのものが競争力の源泉となる必要があった。 | 1926 1-12月 | |||||
鈴木商店から独立 歴史的意義yutaka sugiura 鈴木商店の倒産は帝人にとって信用基盤の喪失を意味したが、同時にグループ依存型の経営から脱却する契機にもなった。レーヨン事業自体は需要増大が見込まれており、事業の継続性が市場に評価されていた点が、大株主異動後の独立経営を可能にした条件である。親会社の破綻という外的ショックが、結果として帝人の経営自由度を高め、資本構成の再編を通じて以後の独自路線を歩む出発点を形成した構図であった。 | 1927 1-12月 | |||||
三原工場の新設 | 1934 1-12月 | |||||
大屋晋三氏が社長就任 終戦直後の1945年に大屋晋三が帝人の社長に就任した。以後、1980年に逝去するまで社長を歴任 | 1945 1-12月 | |||||
組織再編 | 帝人化成を設立 高分子化学・樹脂事業の母体となる帝人化成株式会社を設立した。1960年にはポリカーボネート樹脂の生産を開始し、後年の素材事業拡大の起点となった。 | 1947 1-12月 | ||||
株式上場 | 東京・大阪・名古屋証券取引所に上場 戦後の取引所再開に合わせて東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式を上場した。鈴木商店からの独立後の資本市場アクセスを実現した。 | 1949 1-12月 | ||||
FY52 1952/3 | 売上高 153億円 | 当期純利益 31.6億円 | ||||
FY53 1953/3 | 売上高 128億円 | 当期純利益 12.4億円 | ||||
FY54 1954/3 | 売上高 147億円 | 当期純利益 23.9億円 | ||||
FY55 1955/3 | 売上高 152億円 | 当期純利益 18.2億円 | ||||
アセテートに参入 歴史的意義yutaka sugiura 帝人がアセテートを選択した背景には、ナイロンでの東レとの正面衝突を避けるという合理性があった。しかし、競合が少ない素材は市場そのものが小さく、用途の拡大にもつながらなかった。レーヨンとの技術的連続性を重視した素材選択は、結果として合成繊維の本流から外れる帰結を招き、1950年代を通じた帝人の売上低迷の一因となった。競合回避と市場規模の両立が困難であった事例として位置づけられる。 | FY56 1956/3 | 売上高 161億円 | 当期純利益 19.8億円 | |||
業務提携 | ポリエステルに参入 歴史的意義yutaka sugiura 帝人がICIと技術提携し東レと共同でポリエステルに参入した背景には、ナイロンで後発となった経験がある。単独交渉ではなく2社共同とすることで特許技術の利用条件を安定させ、初期段階から市場形成に関与する設計であった。アセテートへの集中投資が売上に結びつかなかった反省も重なり、次の合成繊維では技術導入段階から主導権を確保する判断が、帝人の合成繊維事業の立て直しの起点となった。 | FY57 1957/3 | 売上高 203億円 | 当期純利益 29.8億円 | ||
FY58 1958/3 | 売上高 198億円 | 当期純利益 11.6億円 | ||||
FY59 1959/3 | 売上高 201億円 | 当期純利益 1.6億円 | ||||
FY60 1960/3 | 売上高 332億円 | 当期純利益 13.4億円 | ||||
FY61 1961/3 | 売上高 574億円 | 当期純利益 28.1億円 | ||||
FY62 1962/3 | 売上高 814億円 | 当期純利益 35.1億円 | ||||
業務提携 | ナイロンに参入 歴史的意義yutaka sugiura 帝人のナイロン参入は東レの量産開始から約10年遅れであり、同時期に鐘紡・呉羽紡・旭化成も参入したことで、市場は短期間に複数企業が並立する状態となった。参入初期の売上は92億円に達したが、各社の設備増設による供給能力の増加が価格競争を常態化させ、利益率の確保は困難になった。技術導入によって量産は可能でも、参入タイミングの集中が収益性を構造的に損なう事例であった。 | FY63 1963/3 | 売上高 1,000億円 | 当期純利益 47.3億円 | ||
帝人に商号変更 | ||||||
FY64 1964/3 | 売上高 1,189億円 | 当期純利益 43.4億円 | ||||
FY65 1965/3 | 売上高 1,337億円 | 当期純利益 36.1億円 | ||||
FY66 1966/3 | 売上高 1,421億円 | 当期純利益 31.8億円 | ||||
FY67 1967/3 | 売上高 1,514億円 | 当期純利益 40.8億円 | ||||
タイに現地法人を新設 | FY68 1968/3 | 売上高 1,513億円 | 当期純利益 55.9億円 | |||
重要事項組織再編 | 未来事業本部を発足 歴史的意義yutaka sugiura 大屋晋三のトップダウンで設置された未来事業本部は、社外から約100名を中途採用し、食品・農薬・資源開発・輸入車販売など50を超える新規事業を展開した。しかし撤退基準や事業間の関連性が定められないまま経営資源が分散し、全社の売上成長やROI改善には結びつかなかった。1980年の大屋逝去後に同本部は解体され、最終的に残ったのは医薬品と一部化成品のみであった。選択と集中を欠いた多角化の構造的帰結を示す事例である。 | |||||
徳山工場を新設 | FY69 1969/3 | 売上高 1,669億円 | 当期純利益 68.1億円 | |||
FY70 1970/3 | 売上高 1,975億円 | 当期純利益 85.5億円 | ||||
愛媛工場を新設 | FY71 1971/3 | 売上高 2,147億円 | 当期純利益 92.3億円 | |||
岐阜工場を新設 | FY72 1972/3 | 売上高 2,136億円 | 当期純利益 30.7億円 | |||
メタ系アラミド繊維「コーネックス」生産開始 岩国工場でメタ系アラミド繊維「コーネックス」の生産を開始した。1994年にはパラ系アラミド「テクノーラ」も松山工場で生産開始し、後の2000年アコーディス社買収によるアラミド繊維事業のグローバル化の足場となった。 | ||||||
レーヨン生産から撤退 | ||||||
FY73 1973/3 | 売上高 2,170億円 | 当期純利益 54.2億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 2,912億円 | 当期純利益 163億円 | ||||
FY75 1975/3 | 売上高 3,252億円 | 当期純利益 80.1億円 | ||||
FY76 1976/3 | 売上高 3,510億円 | 当期純利益 31億円 | ||||
FY77 1977/3 | 売上高 3,495億円 | 当期純利益 26億円 | ||||
重要事項事業売却 | 約2600名の人員削減 歴史的意義yutaka sugiura 半年間で約2650名、社員数の約4分の1に相当する人員削減は、帝人にとって戦後最大規模の構造調整であった。名古屋工場の閉鎖と併せて実施されたこの判断は、オイルショック後の需要低迷と円高による競争力低下が同時に進行した帰結である。経営批判の匿名文書が出回るほどの社内緊張を伴いながらも、繊維事業の縮小を不可逆的に進めた転機であった。大屋ワンマン体制下の新規事業投資が収益化できなかった状況が、削減規模の大きさに反映されている。 | FY78 1978/3 | 売上高 3,461億円 | 当期純利益 4億円 | ||
FY79 1979/3 | 売上高 3,371億円 | 当期純利益 22億円 | ||||
新薬「ベニロン」を発売 歴史的意義yutaka sugiura 1980年のベニロン発売を契機に、帝人は医薬品を重点分野として位置付け、他の新規事業を整理する判断を進めた。未来事業本部で広がった多角化から、研究開発と投下資本を医薬品に集中させる方向へ転換した点は、同社にとって初めて明確に示された選択と集中の局面であった。 | FY80 1980/3 | 売上高 4,033億円 | 当期純利益 72億円 | |||
FY81 1981/3 | 売上高 4,491億円 | 当期純利益 60億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 4,609億円 | 当期純利益 54億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 4,128億円 | 当期純利益 71億円 | ||||
帝人システムテクノロジーを設立 | FY84 1984/3 | 売上高 4,253億円 | 当期純利益 122億円 | |||
FY85 1985/3 | 売上高 4,320億円 | 当期純利益 140億円 | ||||
宇都宮工場を新設 | FY86 1986/3 | |||||
岩国工場で医薬品の生産開始 | FY90 1990/3 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 6,319億円 | 当期純利益 204億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 6,184億円 | 当期純利益 120億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 5,627億円 | 当期純利益 38億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 5,667億円 | 当期純利益 20億円 | ||||
ナイロンをデュポン合弁に移管 | FY96 1996/3 | 売上高 6,186億円 | 当期純利益 85億円 | |||
| 長島徹 | FY97 1997/3 | 売上高 6,392億円 | 当期純利益 114億円 | |||
| 長島徹 | FY98 1998/3 | 売上高 6,081億円 | 当期純利益 98億円 | |||
| 長島徹 | FY99 1999/3 | 売上高 5,742億円 | 当期純利益 81億円 | |||
ガバナンス改革 | 長島徹 | アドバイザリーボードを導入 歴史的意義yutaka sugiura 帝人がアドバイザリーボードを導入した直接の契機は、PBR0.3倍という市場評価であった。社員には業績評価制度があるにもかかわらず社長の評価が制度上存在しないという非対称が、経営監督の空白として認識された。社長解任勧告権を含むボードの設置は、日本企業としては異例の踏み込みであり、大屋晋三時代のワンマン体制への反省も背景にあったと推察される。外部の視点を制度化した点で、帝人のガバナンス改革における起点と位置付けられる。 | FY00 2000/3 | 売上高 6,042億円 | 当期純利益 71億円 | |
企業買収 | 東邦レーヨンに資本参加 歴史的意義yutaka sugiura 帝人は東邦レーヨンへの資本参加を1999年に開始し、2007年の完全子会社化まで8年をかけて段階的に経営関与を強めた。自社開発ではなくM&Aで技術と設備を取得する手法は、東レとの差を短期間で縮める合理的な選択であった。しかし設備増強と完全子会社化に伴う投下資本は累計で600億円超に達し、2013年には294億円の減損を計上した。段階投資の設計が結果として投下資本の膨張を招いた事例であった。 | |||||
企業買収 | 長島徹 | アコーディス社のアラミド繊維事業を買収 歴史的意義yutaka sugiura 自社のテクノーラでは生産規模が限定的であった帝人が、トワロン事業の買収によってデュポンに次ぐ世界シェアを一挙に獲得した。自社増設ではなくM&Aを選択したことで、工場・技術・販売網を同時に取得し、参入に要する時間を大幅に短縮した。税務訴訟など統合リスクは顕在化したものの、帝人が高機能素材メーカーとしての事業構造を転換する上で、本件は最も直接的な成果をもたらした買収であった。 | FY01 2001/3 | 売上高 7,614億円 | 当期純利益 160億円 | |
| 長島徹 | フィルムをデュポン合弁に移管 | FY02 2002/3 | 売上高 9,234億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 9億円 | ||
重要事項経営体制 | 5人の候補から長島徹氏を次期社長に選定(11月社長交代) 経営判断をよむ → | |||||
| 長島徹 | FY03 2003/3 | 売上高 8,904億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -209億円 | |||
| 長島徹 | 杏林製薬の買収を撤回 株式統合比率で折り合いがつかず、買収を撤回へ | FY04 2004/3 | 売上高 8,745億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 84億円 | ||
帝人製機をナブテスコに移管 | ||||||
| 長島徹 | FY05 2005/3 | 売上高 9,083億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 91億円 | |||
| 長島徹 | FY06 2006/3 | 売上高 9,380億円 | 当期純利益 248億円 | |||
| 大八木成男 | FY07 2007/3 | 売上高 10,095億円 | 当期純利益 341億円 | |||
| 大八木成男 | FY08 2008/3 | 売上高 10,366億円 | 当期純利益 126億円 | |||
| 大八木成男 | FY09 2009/3 | 売上高 9,434億円 | 当期純利益 -429億円 | |||
| 大八木成男 | FY10 2010/3 | 売上高 7,658億円 | 当期純利益 -356億円 | |||
| 大八木成男 | FY11 2011/3 | 売上高 8,156億円 | 当期純利益 251億円 | |||
重要事項 | 大八木成男 | 痛風・高尿酸血症治療剤「フェブリク」を発売 歴史的意義yutaka sugiura 帝人ファーマのフェブリク開発は、社内で優先度の低い研究テーマが、少人数体制のまま約8年をかけて承認取得に至った事例である。高尿酸血症は既存薬が長年使われ新薬開発の動機が薄い領域だったが、競合不在がかえって参入障壁を下げた。1名に近い研究体制で続けられた創薬が帝人の医薬品事業における最大製品となり、繊維に代わる収益柱へ転化した点に、資源配分と事業構造転換の関係が集約されている。 | FY12 2012/3 | 売上高 8,543億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 119億円 | |
| 鈴木純 | FY13 2013/3 | 売上高 7,457億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -291億円 | |||
重要事項組織再編 | 鈴木純 | 持株会社体制へ移行 帝人本体を純粋持株会社へ移行し、新しいグループ体制を構築した。素材・ヘルスケア・繊維製品の3軸事業ポートフォリオを束ねるガバナンス枠組みとなり、2017年のCSP HD買収など以降の構造転換の前提となった。 | FY14 2014/3 | 売上高 7,844億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 83億円 | |
| 鈴木純 | 最終赤字に転落 電子材料・化成品(シンガポールおよび岐阜)を中心とした減損損失と、不採算事業撤退による構造改革費用により、巨額特損を計上 | FY15 2015/3 | 売上高 7,861億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -80億円 | ||
| 鈴木純 | FY16 2016/3 | 売上高 7,907億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 310億円 | |||
重要事項企業買収 | 鈴木純 | 米CSP HDを買収 歴史的意義yutaka sugiura 帝人はCSP社を約850億円で買収し、素材供給から完成部品までを一体展開する構想を掲げた。しかし買収後に顕在化したのは、米国工場の設備老朽化や労働力確保の難航といった現場運営の課題であった。PEファンド下で投資を抑制されていた拠点の再建には想定以上の追加投資が必要となり、2023年3月期に153億円の減損を計上した。素材の技術力と部品事業の運営能力は別の経営資源であることを示す事例となった。 | FY17 2017/3 | 売上高 7,412億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 501億円 | |
| 鈴木純 | ポリエステルフィルムを事業譲渡 | FY18 2018/3 | 売上高 8,349億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 455億円 | ||
| 鈴木純 | FY19 2019/3 | 売上高 8,885億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 450億円 | |||
| 鈴木純 | FY20 2020/3 | 売上高 8,537億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 252億円 | |||
| 内川哲茂 | FY21 2021/3 | 売上高 8,365億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -66億円 | |||
企業買収 | 内川哲茂 | 武田薬品から4製品の販売権を買収 歴史的意義yutaka sugiura フェブリクの特許切れによる年間約380億円の減収を前に、帝人は武田薬品から成熟期の糖尿病治療薬4製品を1330億円で取得した。創薬ではなく他社製品の販売権取得によって売上規模を維持する判断であり、投資の性格は営業基盤の延命に近い。買収額に対して取得製品群の将来成長性は限定的であり、資本効率の観点からは回収リスクを伴う。守りの投資にこれだけの資本を投下せざるを得なかった点に、パイプライン不足の構造的課題が表れている。 | FY22 2022/3 | 売上高 9,260億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 231億円 | |
| 内川哲茂 | FY23 2023/3 | 売上高 10,187億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -176億円 | |||
| 内川哲茂 | FY24 2024/3 | 売上高 10,327億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 105億円 | |||
| 内川哲茂 | FY25 2025/3 | 売上高 10,496億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 78億円 | |||
FY26 2026/3 | 売上高 8,732億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -880億円 |
- 帝国人絹を設立帝国人造絹糸の設立は、鈴木商店の金子直吉が資金と事業設計を担い、秦逸三・久村清太が技術開発を担うという、商社主導で研究を事業化する分業構造から生まれた。蚕に依存しない国産パルプ由来の原料調達という条件が、輸入原料に制約される他事業との差異として認識されていた。設立当初の米沢工場は試験的拠点にすぎず、量産化は広島工場の新設まで持ち越されており、設立と量産は一体ではなく段階的に設計されていた。
- 広島工場を新設岩国工場は単なる増産拠点ではなく、将来の設備増設を前提に一気に生産規模を引き上げる設計で建設された。分散した既存工場の延長線上ではなく、工程集約による量産効率を追求した点が特徴であった。用地・水資源・輸送条件の適合性を踏まえた立地選定は、設備投資比率が高いレーヨン事業において稼働率と生産性を左右する判断であった。後発参入の帝人が先行企業と伍するには、工場単位の規模設計そのものが競争力の源泉となる必要があった。
- 鈴木商店から独立鈴木商店の倒産は帝人にとって信用基盤の喪失を意味したが、同時にグループ依存型の経営から脱却する契機にもなった。レーヨン事業自体は需要増大が見込まれており、事業の継続性が市場に評価されていた点が、大株主異動後の独立経営を可能にした条件である。親会社の破綻という外的ショックが、結果として帝人の経営自由度を高め、資本構成の再編を通じて以後の独自路線を歩む出発点を形成した構図であった。
- 三原工場の新設
- 大屋晋三氏が社長就任
終戦直後の1945年に大屋晋三が帝人の社長に就任した。以後、1980年に逝去するまで社長を歴任
- 帝人化成を設立
高分子化学・樹脂事業の母体となる帝人化成株式会社を設立した。1960年にはポリカーボネート樹脂の生産を開始し、後年の素材事業拡大の起点となった。
- 東京・大阪・名古屋証券取引所に上場
戦後の取引所再開に合わせて東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式を上場した。鈴木商店からの独立後の資本市場アクセスを実現した。
- アセテートに参入帝人がアセテートを選択した背景には、ナイロンでの東レとの正面衝突を避けるという合理性があった。しかし、競合が少ない素材は市場そのものが小さく、用途の拡大にもつながらなかった。レーヨンとの技術的連続性を重視した素材選択は、結果として合成繊維の本流から外れる帰結を招き、1950年代を通じた帝人の売上低迷の一因となった。競合回避と市場規模の両立が困難であった事例として位置づけられる。
- ポリエステルに参入帝人がICIと技術提携し東レと共同でポリエステルに参入した背景には、ナイロンで後発となった経験がある。単独交渉ではなく2社共同とすることで特許技術の利用条件を安定させ、初期段階から市場形成に関与する設計であった。アセテートへの集中投資が売上に結びつかなかった反省も重なり、次の合成繊維では技術導入段階から主導権を確保する判断が、帝人の合成繊維事業の立て直しの起点となった。
- ナイロンに参入帝人のナイロン参入は東レの量産開始から約10年遅れであり、同時期に鐘紡・呉羽紡・旭化成も参入したことで、市場は短期間に複数企業が並立する状態となった。参入初期の売上は92億円に達したが、各社の設備増設による供給能力の増加が価格競争を常態化させ、利益率の確保は困難になった。技術導入によって量産は可能でも、参入タイミングの集中が収益性を構造的に損なう事例であった。
- 帝人に商号変更
- タイに現地法人を新設
- 徳山工場を新設
- 愛媛工場を新設
- 岐阜工場を新設
- メタ系アラミド繊維「コーネックス」生産開始
岩国工場でメタ系アラミド繊維「コーネックス」の生産を開始した。1994年にはパラ系アラミド「テクノーラ」も松山工場で生産開始し、後の2000年アコーディス社買収によるアラミド繊維事業のグローバル化の足場となった。
- レーヨン生産から撤退
- 新薬「ベニロン」を発売1980年のベニロン発売を契機に、帝人は医薬品を重点分野として位置付け、他の新規事業を整理する判断を進めた。未来事業本部で広がった多角化から、研究開発と投下資本を医薬品に集中させる方向へ転換した点は、同社にとって初めて明確に示された選択と集中の局面であった。
- 帝人システムテクノロジーを設立
- 宇都宮工場を新設
- 岩国工場で医薬品の生産開始
- ナイロンをデュポン合弁に移管
- アドバイザリーボードを導入帝人がアドバイザリーボードを導入した直接の契機は、PBR0.3倍という市場評価であった。社員には業績評価制度があるにもかかわらず社長の評価が制度上存在しないという非対称が、経営監督の空白として認識された。社長解任勧告権を含むボードの設置は、日本企業としては異例の踏み込みであり、大屋晋三時代のワンマン体制への反省も背景にあったと推察される。外部の視点を制度化した点で、帝人のガバナンス改革における起点と位置付けられる。
- 東邦レーヨンに資本参加帝人は東邦レーヨンへの資本参加を1999年に開始し、2007年の完全子会社化まで8年をかけて段階的に経営関与を強めた。自社開発ではなくM&Aで技術と設備を取得する手法は、東レとの差を短期間で縮める合理的な選択であった。しかし設備増強と完全子会社化に伴う投下資本は累計で600億円超に達し、2013年には294億円の減損を計上した。段階投資の設計が結果として投下資本の膨張を招いた事例であった。
- アコーディス社のアラミド繊維事業を買収自社のテクノーラでは生産規模が限定的であった帝人が、トワロン事業の買収によってデュポンに次ぐ世界シェアを一挙に獲得した。自社増設ではなくM&Aを選択したことで、工場・技術・販売網を同時に取得し、参入に要する時間を大幅に短縮した。税務訴訟など統合リスクは顕在化したものの、帝人が高機能素材メーカーとしての事業構造を転換する上で、本件は最も直接的な成果をもたらした買収であった。
- フィルムをデュポン合弁に移管
- 杏林製薬の買収を撤回
株式統合比率で折り合いがつかず、買収を撤回へ
- 帝人製機をナブテスコに移管
- 持株会社体制へ移行
帝人本体を純粋持株会社へ移行し、新しいグループ体制を構築した。素材・ヘルスケア・繊維製品の3軸事業ポートフォリオを束ねるガバナンス枠組みとなり、2017年のCSP HD買収など以降の構造転換の前提となった。
- 最終赤字に転落
電子材料・化成品(シンガポールおよび岐阜)を中心とした減損損失と、不採算事業撤退による構造改革費用により、巨額特損を計上
- 米CSP HDを買収帝人はCSP社を約850億円で買収し、素材供給から完成部品までを一体展開する構想を掲げた。しかし買収後に顕在化したのは、米国工場の設備老朽化や労働力確保の難航といった現場運営の課題であった。PEファンド下で投資を抑制されていた拠点の再建には想定以上の追加投資が必要となり、2023年3月期に153億円の減損を計上した。素材の技術力と部品事業の運営能力は別の経営資源であることを示す事例となった。
- ポリエステルフィルムを事業譲渡
- 武田薬品から4製品の販売権を買収フェブリクの特許切れによる年間約380億円の減収を前に、帝人は武田薬品から成熟期の糖尿病治療薬4製品を1330億円で取得した。創薬ではなく他社製品の販売権取得によって売上規模を維持する判断であり、投資の性格は営業基盤の延命に近い。買収額に対して取得製品群の将来成長性は限定的であり、資本効率の観点からは回収リスクを伴う。守りの投資にこれだけの資本を投下せざるを得なかった点に、パイプライン不足の構造的課題が表れている。