沿革年表 1890〜2025年における重要度別の出来事(合計50件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 久保田鉄工所を創業 歴史的意義yutaka sugiura 鋳鉄管の国産化は、資本金百万円を投じた企業ですら設立1年で頓挫した難題であった。久保田権四郎氏は資金も技術書も人脈もない状態から、7年をかけて量産技術を独力で確立し、1912年に国内シェア60%を確保している。この先行者利得は単なる技術優位にとどまらない。クボタが開発した鋳造法が業界標準として定着したことで、後発メーカーはクボタから技術供与を受けて参入する構造が生まれ、鋳鉄管市場における少数企業の寡占体制と協調関係の起点となった。 | 1890 1-12月 | ||||
水道用鋳鉄管の製造を開始。 | 1893 1-12月 | |||||
工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管 大正期に水道普及が一巡し、第一次世界大戦の勃発で鋳鉄管の原料である銑鉄価格が高騰、市場低迷で鋳鉄管販売は苦戦した。そこでクボタは新事業として機械分野への参入を決断し、まず工作機械の旋盤生産を開始、海軍の呉工廠などに納入した。1917年には旋盤製造を本格化するため船出町工場での機械と鋳鉄管の併用生産を停止し、新設する尼崎工場と恩加島工場を「鋳鉄管専門」、船出町工場を「機械専門」とする生産体系の転換を実施した。 | 1917 1-12月 | |||||
重要事項企業買収 | 実用自動車製造を設立・自動車に参入 歴史的意義yutaka sugiura 鋳鉄管では外国技術なしに7年かけて量産技術を確立した久保田権四郎が、自動車では約12年を費やしても品質問題を解決できなかった。鋳鉄管は自社内で完結する鋳造技術が競争力の源泉であったのに対し、自動車は多数の部品メーカーとの連携が不可欠であり、部品サプライチェーンが未成熟な当時の日本では個社の技術力だけでは対応できなかった。クボタが手放した事業が日産自動車の源流となった点は、撤退判断と買い手の選択が産業史を規定した事例といえる。 | 1919 1-12月 | ||||
発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始。 | 1922 1-12月 | |||||
企業買収 | 隅田川精鉄所を買収 歴史的意義yutaka sugiura 1926年時点で4社に分散していた鋳鉄管市場は、隅田川精鉄所の買収(1927年)と釜石鉱山の撤退(1930年)を経て、クボタ69%・栗本鐵工所31%の2社寡占に固定された。自治体向け入札という販売形態のもとで2社のみのシェアが長期固定化された構造は、のちに約40年にわたるヤミカルテルの温床となった。一方、小田原大造氏による経営再建の実績は、のちに同氏が社長に就任する道筋をつけた人事面での帰結でもあった。 | 1927 1-12月 | ||||
株式会社久保田鉄工所を設立 | 1930 1-12月 | |||||
組織再編 | 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併。 | 1937 1-12月 | ||||
設備投資 | 堺工場を新設し、農工用発動機の大量生産に着手。 | |||||
武庫川工場を新設 | 1940 1-12月 | |||||
耕うん機の製造開始・農機に参入 戦時中に発動機の生産に従事しており、これらの生産設備を活かすために農機の製造を開始。ただし、農機の本格展開(市場拡大の契機は1961年の農業基本法公布以降)は1960年代であり、終戦直後から1950年代の時点では鋳鉄管が売上の大半を占めた。 | 1947 1-12月 | |||||
東京証券取引所に株式上場 | FY50 1950/3 | |||||
小田原大造氏が社長就任 久保田家ではなく、たたき上げの小田原大造氏が社長に就任。創業者の久保田権四郎氏は相談役となり、新社長に経営を一任した。 | ||||||
製品別事業部制を導入 | FY51 1951/3 | |||||
武庫川機械工場でポンプの製造を開始。 | FY53 1953/3 | |||||
組織再編 | 社名を久保田鉄工株式会社に変更。 | FY54 1954/3 | ||||
設備投資 | ビニルパイプ工場を新設し、合成樹脂管の本格的製造に着手。 | FY55 1955/3 | ||||
久保田建材工業株式会社を設立し、住宅建材事業に進出。 | FY58 1958/3 | |||||
創業者・久保田権四郎氏が逝去 | FY60 1960/3 | |||||
中型トラクターの販売開始 1961年の農業基本法の交付を受けて、国内では農業の機械化が進行。クボタは農機の本格展開を決定し、1957年に刈取機、1960年に中型トラクターの生産を開始。1960年代を通じて農機の売上高を急拡大し、1970年前後に農業機械部門は全社売上高35%を占めるに至った。 | ||||||
国内で生産拠点を拡充 | FY61 1961/3 | |||||
設備投資 | 水道研究所を新設。翌年12月水処理事業部を新設し、環境事業に本格進出。 | FY62 1962/3 | ||||
設備投資 | 枚方機械工場・枚方鋳鋼工場を新設し、産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立。 | FY63 1963/3 | ||||
設備投資 | 小田原工場を新設。同年6月久保田建材工業株式会社の製造部門を吸収し、住宅建材事業に本格進出。 | FY67 1967/3 | 売上高 911億円 | 経常利益 60億円 | ||
FY68 1968/3 | 売上高 1,182億円 | 経常利益 71億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 1,491億円 | 経常利益 88億円 | ||||
設備投資 | 宇都宮工場を新設し、田植機、バインダーの量産体制を確立。 | FY70 1970/3 | 売上高 1,887億円 | 経常利益 102億円 | ||
FY71 1971/3 | 売上高 2,089億円 | 当期純利益 95億円 | ||||
FY72 1972/3 | 売上高 2,055億円 | 当期純利益 77億円 | ||||
欧米進出を本格化・トラクター量産 歴史的意義yutaka sugiura 北米農機市場はジョン・ディアを筆頭とする大型機メーカーが支配しており、ヤンマーはOEM提携で参入したのに対し、クボタは単独進出かつ自社ブランドを選んだ。競合が手薄な家庭向け小型農機という隙間市場から参入し、大手との直接競合を構造的に回避した点がこの戦略の核心にある。国内で培った小型トラクターの技術を活かせるセグメントを選択したことで、製品開発の追加投資を抑えながら海外販路を開拓する設計であった。 | FY73 1973/3 | 売上高 2,381億円 | 当期純利益 115億円 | |||
海外進出 | 米国にクボタトラクター Corp.を設立し、北米におけるトラクタの販売体制を強化。 | |||||
設備投資 | 久宝寺工場を新設。船出町工場より製造設備を移設し、電装機器製造工場とする。 | FY74 1974/3 | 売上高 3,360億円 | 当期純利益 151億円 | ||
海外進出 | フランスにヨーロッパクボタトラクタ販売有限会社(現 クボタヨーロッパ S.A.S.)を設立し、ヨーロッパにおける農業機械販売体制を強化。 | |||||
設備投資 | 農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設。 | FY76 1976/3 | 売上高 4,100億円 | 当期純利益 208億円 | ||
株式上場 | ニューヨーク証券取引所に上場。(2013年7月に同取引所上場廃止。) | FY77 1977/3 | 売上高 4,605億円 | 当期純利益 216億円 | ||
FY78 1978/3 | 売上高 4,635億円 | 当期純利益 186億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 4,829億円 | 当期純利益 197億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 5,231億円 | 当期純利益 220億円 | ||||
設備投資 | 外壁材専門工場として鹿島工場を新設。 | FY81 1981/3 | 売上高 5,217億円 | 当期純利益 147億円 | ||
FY82 1982/3 | 売上高 5,362億円 | 当期純利益 154億円 | ||||
FY83 1983/3 | 売上高 5,586億円 | 当期純利益 150億円 | ||||
FY84 1984/3 | 売上高 5,746億円 | 当期純利益 130億円 | ||||
設備投資 | エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設。 | FY85 1985/3 | ||||
重要事項 | 商号を株式会社クボタに変更 経営判断をよむ → | FY91 1991/3 | ||||
FY92 1992/3 | 売上高 9,091億円 | 当期純利益 42億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 9,403億円 | 当期純利益 55億円 | ||||
スペイン現地法人を解散 スペインの農機生産に従事する現地法人「エブロ クボタ」の解散を決定。これに関連して特別損失約220億円の計上を決定。 | FY94 1994/3 | 売上高 9,795億円 | 当期純利益 82億円 | |||
FY95 1995/3 | 売上高 10,139億円 | 当期純利益 201億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 10,716億円 | 当期純利益 257億円 | ||||
FY97 1997/3 | 売上高 10,415億円 | 当期純利益 289億円 | ||||
| 幡掛大輔 | FY98 1998/3 | 売上高 10,294億円 | 当期純利益 217億円 | |||
重要事項 | 幡掛大輔 | 約30年来の水道管カルテルが発覚 歴史的意義yutaka sugiura 鋳鉄管市場は3社寡占であったが、カルテル維持の原動力は単なる談合の慣行ではなく、クボタの鋳造技術が業界標準となり他の2社が技術供与を受ける依存関係にあった。この技術的主従関係がシェア配分を「自ずと決まる」ものとし、約40年にわたる不正を構造的に安定させた。1890年に久保田権四郎が独力で確立した鋳鉄管の量産技術は、シェア60%の獲得のみならず、一世紀後に発覚するカルテル構造の起点にもなっていた。 | FY99 1999/3 | 売上高 9,766億円 | 当期純利益 151億円 | |
| 幡掛大輔 | 希望退職者を募集 | FY00 2000/3 | 売上高 9,872億円 | 当期純利益 164億円 | ||
| 幡掛大輔 | FY01 2001/3 | 売上高 9,944億円 | 当期純利益 97億円 | |||
| 幡掛大輔 | FY02 2002/3 | 売上高 9,654億円 | 当期純利益 95億円 | |||
設備投資 | 幡掛大輔 | 関西地区における環境エンジニアリング事業の拠点として阪神事務所を新設。 | FY03 2003/3 | 売上高 9,257億円 | 当期純利益 -80億円 | |
| 幡掛大輔 | 非注力事業を分離縮小 | FY04 2004/3 | 売上高 9,392億円 | 当期純利益 117億円 | ||
| 幡掛大輔 | タイの関連会社を子会社化 | FY05 2005/3 | 売上高 9,832億円 | 当期純利益 1,179億円 | ||
企業買収 | 幡掛大輔 | シーアイ化成株式会社との合成樹脂管事業統合により、クボタシーアイ株式会社(現 株式会社クボタケミックス)を設立。 | FY06 2006/3 | 売上高 10,510億円 | 当期純利益 810億円 | |
アスベストが社会問題化 2005年6月、毎日新聞はクボタ神崎工場(兵庫県尼崎市)の建材工場周辺住民にアスベスト疾患が多発している問題を報道した。神崎工場では2001年にアスベスト製品(建材・水道管)の製造を停止していたが、被害を訴える住民団体から提訴された。クボタは2006年3月期に「石綿健康被害救済金等」33億円、2007年3月期に同29億円を特別損失として計上し、被害者への損害賠償を実施、アスベスト関連で累計61億円の特損を計上した。 | ||||||
| 幡掛大輔 | FY07 2007/3 | 売上高 11,274億円 | 当期純利益 764億円 | |||
| 益本康男 | 立ち入り調査が相次ぐ 1999年に発覚した水道管カルテルを起点に、2000年代から2010年代にかけて、公共施設向けの事業に関して談合が相次いで発覚。クボタおよび子会社に対して、公正取引委員会の立ち入りが相次ぐ異常事態となった。 | FY08 2008/3 | 売上高 11,545億円 | 当期純利益 680億円 | ||
海外進出 | タイにおけるトラクタの生産拠点としてサイアムクボタトラクター Co.,Ltd.(現 サイアムクボタコーポレーション Co.,Ltd.)を設立。 | |||||
| 益本康男 | FY09 2009/3 | 売上高 11,074億円 | 当期純利益 480億円 | |||
| 益本康男 | FY10 2010/3 | 売上高 9,304億円 | 当期純利益 423億円 | |||
| 益本康男 | FY11 2011/3 | 売上高 9,336億円 | 当期純利益 567億円 | |||
| 益本康男 | ノルウェーKverneland ASAを買収 2012年3月にノルウェーの「農機向けインプルメント」メーカーであるKverneland ASA(クバランド社)を買収。同社はオスロ証券取引所に上場する老舗企業(1879年創業)であり、クボタは公開買い付けを通じて、クバランド社の株式78.95%を合計181億円(取得対価)で買収した。クボタとしては農機向けインプルメントの販売強化により、欧州におけるトラクタの販売拡大を意図した | FY12 2012/3 | 売上高 10,080億円 | 当期純利益 612億円 | ||
| 木股昌俊 | FY13 2013/3 | 売上高 12,215億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 777億円 | |||
海外進出 | 木股昌俊 | フランスに畑作用大型トラクタの生産拠点としてクボタファームマシナリーヨーロッパ S.A.S.を設立。 | FY14 2014/3 | 売上高 15,105億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,326億円 | |
| 木股昌俊 | FY15 2015/3 | 売上高 12,447億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,101億円 | |||
| 木股昌俊 | FY16 2016/3 | 売上高 15,960億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,324億円 | |||
| 木股昌俊 | 米GPを買収 2016年7月に米国のGreat Plains Manufacturing, Inc.を買収。株式100%を442億円(取得対価)で買収した。GP社は農機向け「インプルメント」を展開して米国における販路を確保するメーカーであった。このため、クボタとしては、製品ラインナップと販路を拡充することにより、北米における畑作市場における農機のシェア拡大を狙った。 | FY17 2017/3 | 売上高 17,510億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,341億円 | ||
| 木股昌俊 | FY18 2018/3 | 売上高 18,503億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,385億円 | |||
| 北尾裕一 | FY19 2019/3 | 売上高 19,200億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,490億円 | |||
| 北尾裕一 | 基幹システムの刷新開始 歴史的意義yutaka sugiura コマツが2000年代から建機稼働率のモニタリングなどIT活用を本格化させた一方、クボタは6事業領域で異なるシステムを個別運用する状態が続いていた。370億円・7ヵ年という投資規模は、月平均400名前後の外部人員が常駐する大型プロジェクトに相当する。コマツとの「20年の遅れ」を認識したうえで、SAPとマイクロソフトを基盤に全社統合を一括で進める判断は、段階的な更新ではなく一挙に世代交代を図る設計であった。 | FY20 2020/3 | 売上高 18,532億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,285億円 | ||
| 北尾裕一 | FY21 2021/3 | 売上高 21,967億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,747億円 | |||
| 北尾裕一 | FY22 2022/3 | 売上高 26,769億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,564億円 | |||
重要事項企業買収 | 北尾裕一 | インドEscortsを買収 歴史的意義yutaka sugiura クボタは2008年のインド進出から14年間、自社製品による市場浸透に苦戦し、シェア2%にとどまった。インドの農家がトラクターに求めた牽引力と低価格は、クボタが得意とする軽量コンパクトな製品設計と根本的に合致せず、タイからの輸入体制ではコスト競争力も確保できなかった。最終的にEscorts社の買収で現地の製品・サプライチェーン・顧客基盤を丸ごと取得したことは、自前主義の限界を認めたうえでの市場参入手法の転換であった。 | FY23 2023/3 | 売上高 30,207億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,384億円 | |
設備投資 | 世界各地域の研究開発拠点の連携及び研究開発体制の強化を目的としてグローバル技術研究所を開設。 | |||||
| 北尾裕一 | FY24 2024/3 | 売上高 30,162億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,304億円 | |||
| 花田晋吾 | FY25 2025/3 | 売上高 30,188億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,866億円 |
- 久保田鉄工所を創業鋳鉄管の国産化は、資本金百万円を投じた企業ですら設立1年で頓挫した難題であった。久保田権四郎氏は資金も技術書も人脈もない状態から、7年をかけて量産技術を独力で確立し、1912年に国内シェア60%を確保している。この先行者利得は単なる技術優位にとどまらない。クボタが開発した鋳造法が業界標準として定着したことで、後発メーカーはクボタから技術供与を受けて参入する構造が生まれ、鋳鉄管市場における少数企業の寡占体制と協調関係の起点となった。
- 水道用鋳鉄管の製造を開始。
- 工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管
大正期に水道普及が一巡し、第一次世界大戦の勃発で鋳鉄管の原料である銑鉄価格が高騰、市場低迷で鋳鉄管販売は苦戦した。そこでクボタは新事業として機械分野への参入を決断し、まず工作機械の旋盤生産を開始、海軍の呉工廠などに納入した。1917年には旋盤製造を本格化するため船出町工場での機械と鋳鉄管の併用生産を停止し、新設する尼崎工場と恩加島工場を「鋳鉄管専門」、船出町工場を「機械専門」とする生産体系の転換を実施した。
- 実用自動車製造を設立・自動車に参入鋳鉄管では外国技術なしに7年かけて量産技術を確立した久保田権四郎が、自動車では約12年を費やしても品質問題を解決できなかった。鋳鉄管は自社内で完結する鋳造技術が競争力の源泉であったのに対し、自動車は多数の部品メーカーとの連携が不可欠であり、部品サプライチェーンが未成熟な当時の日本では個社の技術力だけでは対応できなかった。クボタが手放した事業が日産自動車の源流となった点は、撤退判断と買い手の選択が産業史を規定した事例といえる。
- 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始。
- 隅田川精鉄所を買収1926年時点で4社に分散していた鋳鉄管市場は、隅田川精鉄所の買収(1927年)と釜石鉱山の撤退(1930年)を経て、クボタ69%・栗本鐵工所31%の2社寡占に固定された。自治体向け入札という販売形態のもとで2社のみのシェアが長期固定化された構造は、のちに約40年にわたるヤミカルテルの温床となった。一方、小田原大造氏による経営再建の実績は、のちに同氏が社長に就任する道筋をつけた人事面での帰結でもあった。
- 株式会社久保田鉄工所を設立
- 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併。
- 堺工場を新設し、農工用発動機の大量生産に着手。
- 武庫川工場を新設
- 耕うん機の製造開始・農機に参入
戦時中に発動機の生産に従事しており、これらの生産設備を活かすために農機の製造を開始。ただし、農機の本格展開(市場拡大の契機は1961年の農業基本法公布以降)は1960年代であり、終戦直後から1950年代の時点では鋳鉄管が売上の大半を占めた。
- 東京証券取引所に株式上場
- 小田原大造氏が社長就任
久保田家ではなく、たたき上げの小田原大造氏が社長に就任。創業者の久保田権四郎氏は相談役となり、新社長に経営を一任した。
- 製品別事業部制を導入
- 武庫川機械工場でポンプの製造を開始。
- 社名を久保田鉄工株式会社に変更。
- ビニルパイプ工場を新設し、合成樹脂管の本格的製造に着手。
- 久保田建材工業株式会社を設立し、住宅建材事業に進出。
- 創業者・久保田権四郎氏が逝去
- 中型トラクターの販売開始
1961年の農業基本法の交付を受けて、国内では農業の機械化が進行。クボタは農機の本格展開を決定し、1957年に刈取機、1960年に中型トラクターの生産を開始。1960年代を通じて農機の売上高を急拡大し、1970年前後に農業機械部門は全社売上高35%を占めるに至った。
- 国内で生産拠点を拡充
- 水道研究所を新設。翌年12月水処理事業部を新設し、環境事業に本格進出。
- 枚方機械工場・枚方鋳鋼工場を新設し、産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立。
- 小田原工場を新設。同年6月久保田建材工業株式会社の製造部門を吸収し、住宅建材事業に本格進出。
- 宇都宮工場を新設し、田植機、バインダーの量産体制を確立。
- 欧米進出を本格化・トラクター量産北米農機市場はジョン・ディアを筆頭とする大型機メーカーが支配しており、ヤンマーはOEM提携で参入したのに対し、クボタは単独進出かつ自社ブランドを選んだ。競合が手薄な家庭向け小型農機という隙間市場から参入し、大手との直接競合を構造的に回避した点がこの戦略の核心にある。国内で培った小型トラクターの技術を活かせるセグメントを選択したことで、製品開発の追加投資を抑えながら海外販路を開拓する設計であった。
- 米国にクボタトラクター Corp.を設立し、北米におけるトラクタの販売体制を強化。
- 久宝寺工場を新設。船出町工場より製造設備を移設し、電装機器製造工場とする。
- フランスにヨーロッパクボタトラクタ販売有限会社(現 クボタヨーロッパ S.A.S.)を設立し、ヨーロッパにおける農業機械販売体制を強化。
- 農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設。
- ニューヨーク証券取引所に上場。(2013年7月に同取引所上場廃止。)
- 外壁材専門工場として鹿島工場を新設。
- エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設。
- スペイン現地法人を解散
スペインの農機生産に従事する現地法人「エブロ クボタ」の解散を決定。これに関連して特別損失約220億円の計上を決定。
- 約30年来の水道管カルテルが発覚鋳鉄管市場は3社寡占であったが、カルテル維持の原動力は単なる談合の慣行ではなく、クボタの鋳造技術が業界標準となり他の2社が技術供与を受ける依存関係にあった。この技術的主従関係がシェア配分を「自ずと決まる」ものとし、約40年にわたる不正を構造的に安定させた。1890年に久保田権四郎が独力で確立した鋳鉄管の量産技術は、シェア60%の獲得のみならず、一世紀後に発覚するカルテル構造の起点にもなっていた。
- 希望退職者を募集
- 関西地区における環境エンジニアリング事業の拠点として阪神事務所を新設。
- 非注力事業を分離縮小
- タイの関連会社を子会社化
- シーアイ化成株式会社との合成樹脂管事業統合により、クボタシーアイ株式会社(現 株式会社クボタケミックス)を設立。
- アスベストが社会問題化
2005年6月、毎日新聞はクボタ神崎工場(兵庫県尼崎市)の建材工場周辺住民にアスベスト疾患が多発している問題を報道した。神崎工場では2001年にアスベスト製品(建材・水道管)の製造を停止していたが、被害を訴える住民団体から提訴された。クボタは2006年3月期に「石綿健康被害救済金等」33億円、2007年3月期に同29億円を特別損失として計上し、被害者への損害賠償を実施、アスベスト関連で累計61億円の特損を計上した。
- 立ち入り調査が相次ぐ
1999年に発覚した水道管カルテルを起点に、2000年代から2010年代にかけて、公共施設向けの事業に関して談合が相次いで発覚。クボタおよび子会社に対して、公正取引委員会の立ち入りが相次ぐ異常事態となった。
- タイにおけるトラクタの生産拠点としてサイアムクボタトラクター Co.,Ltd.(現 サイアムクボタコーポレーション Co.,Ltd.)を設立。
- ノルウェーKverneland ASAを買収
2012年3月にノルウェーの「農機向けインプルメント」メーカーであるKverneland ASA(クバランド社)を買収。同社はオスロ証券取引所に上場する老舗企業(1879年創業)であり、クボタは公開買い付けを通じて、クバランド社の株式78.95%を合計181億円(取得対価)で買収した。クボタとしては農機向けインプルメントの販売強化により、欧州におけるトラクタの販売拡大を意図した
- フランスに畑作用大型トラクタの生産拠点としてクボタファームマシナリーヨーロッパ S.A.S.を設立。
- 米GPを買収
2016年7月に米国のGreat Plains Manufacturing, Inc.を買収。株式100%を442億円(取得対価)で買収した。GP社は農機向け「インプルメント」を展開して米国における販路を確保するメーカーであった。このため、クボタとしては、製品ラインナップと販路を拡充することにより、北米における畑作市場における農機のシェア拡大を狙った。
- 基幹システムの刷新開始コマツが2000年代から建機稼働率のモニタリングなどIT活用を本格化させた一方、クボタは6事業領域で異なるシステムを個別運用する状態が続いていた。370億円・7ヵ年という投資規模は、月平均400名前後の外部人員が常駐する大型プロジェクトに相当する。コマツとの「20年の遅れ」を認識したうえで、SAPとマイクロソフトを基盤に全社統合を一括で進める判断は、段階的な更新ではなく一挙に世代交代を図る設計であった。
- インドEscortsを買収クボタは2008年のインド進出から14年間、自社製品による市場浸透に苦戦し、シェア2%にとどまった。インドの農家がトラクターに求めた牽引力と低価格は、クボタが得意とする軽量コンパクトな製品設計と根本的に合致せず、タイからの輸入体制ではコスト競争力も確保できなかった。最終的にEscorts社の買収で現地の製品・サプライチェーン・顧客基盤を丸ごと取得したことは、自前主義の限界を認めたうえでの市場参入手法の転換であった。
- 世界各地域の研究開発拠点の連携及び研究開発体制の強化を目的としてグローバル技術研究所を開設。