沿革年表 1887〜2025年における重要度別の出来事(合計36件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
東京人造肥料会社を設立
1887年に国内の財界人(高峰譲吉・渋沢栄一・益田孝)が化学肥料の国産化を計画し、東京人造肥料会社を設立した。しかし、明治時代を通じて肥料会社が全国各地に出現して競争が激化。大正時代の第一次世界大戦後の経済不況により業界再編が進行し、1923年に東京人造肥料会社・関東酸曹・日本化学肥料の3社が合併した。
1887
1-12月
会社設立
日本舎密製造会社を設立
後の日本化学肥料株式会社の前身。化学肥料製造を目的として設立された。
1889
1-12月
設備投資
小野田工場を完成
日本舎密製造会社が山口県小野田に工場を建設し、化学肥料の生産を開始した。現在の小野田工場の起源にあたる。
1891
1-12月
会社設立
合資会社王子製造所を設立
後の関東酸曹株式会社の前身。東京王子に拠点を置き、ソーダ工業を展開した。1923年の3社合併で大日本人造肥料に統合された。
1895
1-12月
設備投資
東京人造肥料が小松川工場を完成
東京府南葛飾郡小松川に化学肥料の量産拠点を新設した。明治後期の肥料需要拡大期における供給能力増強策となった。
1907
1-12月
大日本人造肥料株式会社に改称
東京人造肥料株式会社が事業拡大に伴い大日本人造肥料へ改称した。後年の関東酸曹・日本化学肥料との3社合併の主体となった会社である。
1910
1-12月
設備投資
名古屋工場を完成
日本人造肥料会社が名古屋に新工場を建設した。現在の名古屋工場の起源であり、中部圏の化学肥料供給拠点として機能した。
1919
1-12月
設備投資
富山工場を完成
大日本人造肥料が富山に工場を新設した。現在の富山工場にあたり、北陸地域の生産拠点として位置づけられた。
1928
1-12月
日産化学工業の発足(日産財閥傘下へ)
1937
1-12月
組織再編
日本鉱業と合併、化学部門となる
戦時統制下の企業合同により日本鉱業に統合され、その化学部門として再編された。1945年に日本油脂が同部門を譲り受けて日産化学工業として再独立する経緯につながった。
1943
1-12月
企業再建整備法により油脂部門を「日油」として分離
1949
1-12月
東京証券取引所に株式上場
FY50
1950/3
FY63
1963/3
売上高
220億円
当期純利益
0.2億円
FY64
1964/3
売上高
183億円
当期純利益
-1.3億円
日産化学石油を設立・石油化学に進出
1965年に子会社「日産化学石油」を設立し石油化学へ進出した。すでに財閥化学(三井・住友・三菱)が参入していたが、日産化学は日産財閥の完全解体で財務的後ろ盾を持たず巨額投資に踏み切れず、結果として1960年代の後発参入となった。先発との差別化のため、技術難易度が高いとされる「塩化ビニール・ポリエチレン・C8(高級アルコール)」の製造を主軸に据えた。
FY65
1965/3
売上高
212億円
当期純利益
2.6億円
FY66
1966/3
売上高
233億円
当期純利益
2.6億円
FY67
1967/3
売上高
275億円
当期純利益
2.6億円
FY68
1968/3
売上高
317億円
当期純利益
2.7億円
埼玉工場を新設
FY69
1969/3
売上高
377億円
当期純利益
2.8億円
王子工場の閉鎖・袖ヶ浦工場の新設
東京王子の隅田川沿いにあった主力生産拠点「王子工場」について、周辺の宅地化により拡張が困難なことや、設備が老朽化しつつあったことを受けて閉鎖を決定。日産化学の旧王子工場は土地を日本住宅公団に売却し、工場跡地は大規模な集合住宅「豊島5丁目団地」として再開発された。
FY70
1970/3
売上高
397億円
当期純利益
6億円
FY71
1971/3
売上高
401億円
当期純利益
3億円
FY72
1972/3
売上高
413億円
当期純利益
-16億円
FY73
1973/3
売上高
482億円
当期純利益
0億円
FY74
1974/3
売上高
708億円
当期純利益
17億円
FY76
1976/3
売上高
888億円
当期純利益
8億円
FY77
1977/3
売上高
937億円
当期純利益
5億円
FY78
1978/3
売上高
976億円
当期純利益
3億円
FY79
1979/3
売上高
1,012億円
当期純利益
6億円
FY80
1980/3
売上高
1,342億円
当期純利益
8億円
FY81
1981/3
売上高
1,276億円
当期純利益
4億円
FY82
1982/3
売上高
1,162億円
当期純利益
-37億円
FY83
1983/3
売上高
1,121億円
当期純利益
-24億円
2期連続の最終赤字に転落
1973年のオイルショックを機に石油化学における過剰生産の問題が業界全体で発生。日産化学も販売不振や売価下落に直面し、1970年代から1980年代にかけて業績が悪化。1982年3月期および1983年3月期の2期連続で最終赤字に転落し、同年度末には累計損失が57億円に達した。
FY84
1984/3
売上高
1,028億円
当期純利益
17億円
重要事項事業売却
石油化学から完全撤退(塩ビ・ポリエチレン・高級アルコール)
日産化学の石油化学撤退が円滑に進んだ要因の一つは、1987年から1988年の市況好転期に売却を完了した点にある。不況期に撤退の布石を打ち好況期に売却を実行するという時間差は、1980年から合弁方式で段階的に事業を移管していた8年間の準備期間があって初めて可能となった。後発参入ゆえに規模の経済で対抗できないという構造的劣位の認識が撤退判断の根底にあり、この認識が農薬・機能性材料を核とする高収益体質への転換起点となった。
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FY88
1988/3
重要事項
中期5カ年計画の策定・高機能材に積極投資
石油化学撤退後の日産化学では、社員が「目の色を変えて」新規事業に取り組んだと中井社長が述懐している。主力事業を失うという存亡の危機が、逆説的に組織の活性化と個人能力の発揮を促した構造がある。農薬・医薬品・機能性材料の3分野で約10年間に主力製品を揃えた開発速度は、石油化学時代の日産化学では実現し得なかったものであり、事業撤退が研究開発型組織への変質を不可逆的に促した因果関係を示唆する。
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FY89
1989/3
海外進出
Nissan Chemical America Corporation を米国に設立
アメリカに販売拠点会社を設立した。電子材料・農薬を中心とした北米市場展開の起点となり、機能化学品の海外売上拡大を支えた。
FY90
1990/3
FY92
1992/3
売上高
1,338億円
当期純利益
23億円
FY93
1993/3
売上高
1,313億円
当期純利益
23億円
FY94
1994/3
売上高
1,243億円
当期純利益
21億円
FY95
1995/3
売上高
1,334億円
当期純利益
17億円
FY96
1996/3
売上高
1,294億円
当期純利益
28億円
海外進出
Nissan Chemical Houston Corporation を米国に設立
アメリカ・テキサス州ヒューストンに拠点を新設した。化学品の現地販売・物流機能を強化する一環として位置づけられた。
FY97
1997/3
売上高
1,375億円
当期純利益
32億円
FY98
1998/3
売上高
1,350億円
当期純利益
25億円
藤本修一郎
FY99
1999/3
売上高
1,299億円
当期純利益
26億円
藤本修一郎
FY00
2000/3
売上高
1,297億円
当期純利益
15億円
藤本修一郎
研究開発組織を再編
液晶パネルおよび半導体材料向けの研究開発体制を強化するために、2001年に研究開発組織の再編を実施した。2000年代を通じて液晶パネルの普及や、半導体の需要増加という追い風を受けて、機能材料が日産化学の成長を牽引した。
FY01
2001/3
売上高
1,360億円
当期純利益
43億円
韓国に現地法人を新設
組織再編
藤本修一郎
日産アグリ株式会社を設立、肥料事業を分社化
創業以来の中核事業である化学肥料事業を分社化し、日産アグリ株式会社として独立させた。機能材料・農薬事業へ経営資源を集中する組織再編であった。
FY02
2002/3
売上高
1,381億円
当期純利益
32億円
藤本修一郎
日本モンサントから農薬除草剤事業を買収
FY03
2003/3
売上高
1,518億円
当期純利益
40億円
海外進出
Nissan Chemical Europe S.A.S. をフランスに設立
フランスを拠点に欧州での電子材料・農薬販売体制を整備した。欧州市場の本格開拓に向けた足掛かりとなった。
藤本修一郎
FY04
2004/3
売上高
1,559億円
当期純利益
87億円
藤本修一郎
FY05
2005/3
売上高
1,613億円
当期純利益
112億円
藤本修一郎
FY06
2006/3
売上高
1,691億円
当期純利益
137億円
木下小次郎
FY07
2007/3
売上高
1,743億円
当期純利益
139億円
木下小次郎
FY08
2008/3
売上高
1,691億円
当期純利益
155億円
木下小次郎
木下小次郎氏が代表取締役社長に就任
FY09
2009/3
売上高
1,601億円
当期純利益
100億円
木下小次郎
米DowAgroScienceより農薬殺菌剤事業を買収
FY10
2010/3
売上高
1,490億円
当期純利益
127億円
木下小次郎
台湾に現地法人を新設
FY11
2011/3
売上高
1,542億円
当期純利益
129億円
木下小次郎
FY12
2012/3
売上高
1,485億円
親会社株主に帰属する当期純利益
109億円
木下小次郎
FY13
2013/3
売上高
1,538億円
親会社株主に帰属する当期純利益
138億円
企業買収
木下小次郎
Thin Materials GmbH(ドイツ)を買収
ドイツの薄膜材料メーカー Thin Materials GmbH を買収した。半導体製造プロセス向け材料の技術獲得を目的としたM&Aであり、電子材料事業の競争力強化につながった。
FY14
2014/3
売上高
1,636億円
親会社株主に帰属する当期純利益
167億円
中国(上海)に現地法人を新設
木下小次郎
FY15
2015/3
売上高
1,712億円
親会社株主に帰属する当期純利益
181億円
木下小次郎
FY16
2016/3
売上高
1,768億円
親会社株主に帰属する当期純利益
223億円
木下小次郎
FY17
2017/3
売上高
1,802億円
親会社株主に帰属する当期純利益
240億円
木下小次郎
中国(蘇州)に現地法人を新設
FY18
2018/3
売上高
1,933億円
親会社株主に帰属する当期純利益
271億円
「日産化学工業」から「日産化学」へ商号変更
木下小次郎
FY19
2019/3
売上高
2,048億円
親会社株主に帰属する当期純利益
293億円
八木晋介
米Corteva社より殺菌剤「キノキシフェイン」事業を買収
FY20
2020/3
売上高
2,068億円
親会社株主に帰属する当期純利益
307億円
八木晋介
FY21
2021/3
売上高
2,091億円
親会社株主に帰属する当期純利益
334億円
八木晋介
FY22
2022/3
売上高
2,079億円
親会社株主に帰属する当期純利益
387億円
八木晋介
基礎化学品メラミンの生産停止
FY23
2023/3
売上高
2,280億円
親会社株主に帰属する当期純利益
410億円
八木晋介
日本燐酸株式会社を買収
FY24
2024/3
売上高
2,267億円
親会社株主に帰属する当期純利益
380億円
企業買収
八木晋介
日本ポリテック株式会社を子会社化
化学品メーカーの日本ポリテックを子会社化した。機能材料・電子材料領域の事業ポートフォリオ拡大を狙ったM&Aである。
FY25
2025/3
売上高
2,513億円
親会社株主に帰属する当期純利益
430億円
  1. 東京人造肥料会社を設立

    1887年に国内の財界人(高峰譲吉・渋沢栄一・益田孝)が化学肥料の国産化を計画し、東京人造肥料会社を設立した。しかし、明治時代を通じて肥料会社が全国各地に出現して競争が激化。大正時代の第一次世界大戦後の経済不況により業界再編が進行し、1923年に東京人造肥料会社・関東酸曹・日本化学肥料の3社が合併した。

  2. 会社設立
    日本舎密製造会社を設立

    後の日本化学肥料株式会社の前身。化学肥料製造を目的として設立された。

  3. 設備投資
    小野田工場を完成

    日本舎密製造会社が山口県小野田に工場を建設し、化学肥料の生産を開始した。現在の小野田工場の起源にあたる。

  4. 会社設立
    合資会社王子製造所を設立

    後の関東酸曹株式会社の前身。東京王子に拠点を置き、ソーダ工業を展開した。1923年の3社合併で大日本人造肥料に統合された。

  5. 設備投資
    東京人造肥料が小松川工場を完成

    東京府南葛飾郡小松川に化学肥料の量産拠点を新設した。明治後期の肥料需要拡大期における供給能力増強策となった。

  6. 大日本人造肥料株式会社に改称

    東京人造肥料株式会社が事業拡大に伴い大日本人造肥料へ改称した。後年の関東酸曹・日本化学肥料との3社合併の主体となった会社である。

  7. 設備投資
    名古屋工場を完成

    日本人造肥料会社が名古屋に新工場を建設した。現在の名古屋工場の起源であり、中部圏の化学肥料供給拠点として機能した。

  8. 設備投資
    富山工場を完成

    大日本人造肥料が富山に工場を新設した。現在の富山工場にあたり、北陸地域の生産拠点として位置づけられた。

  9. 日産化学工業の発足(日産財閥傘下へ)
  10. 組織再編
    日本鉱業と合併、化学部門となる

    戦時統制下の企業合同により日本鉱業に統合され、その化学部門として再編された。1945年に日本油脂が同部門を譲り受けて日産化学工業として再独立する経緯につながった。

  11. 企業再建整備法により油脂部門を「日油」として分離
  12. 東京証券取引所に株式上場
  13. 日産化学石油を設立・石油化学に進出

    1965年に子会社「日産化学石油」を設立し石油化学へ進出した。すでに財閥化学(三井・住友・三菱)が参入していたが、日産化学は日産財閥の完全解体で財務的後ろ盾を持たず巨額投資に踏み切れず、結果として1960年代の後発参入となった。先発との差別化のため、技術難易度が高いとされる「塩化ビニール・ポリエチレン・C8(高級アルコール)」の製造を主軸に据えた。

  14. 埼玉工場を新設
  15. 王子工場の閉鎖・袖ヶ浦工場の新設

    東京王子の隅田川沿いにあった主力生産拠点「王子工場」について、周辺の宅地化により拡張が困難なことや、設備が老朽化しつつあったことを受けて閉鎖を決定。日産化学の旧王子工場は土地を日本住宅公団に売却し、工場跡地は大規模な集合住宅「豊島5丁目団地」として再開発された。

  16. 2期連続の最終赤字に転落

    1973年のオイルショックを機に石油化学における過剰生産の問題が業界全体で発生。日産化学も販売不振や売価下落に直面し、1970年代から1980年代にかけて業績が悪化。1982年3月期および1983年3月期の2期連続で最終赤字に転落し、同年度末には累計損失が57億円に達した。

  17. 海外進出
    Nissan Chemical America Corporation を米国に設立

    アメリカに販売拠点会社を設立した。電子材料・農薬を中心とした北米市場展開の起点となり、機能化学品の海外売上拡大を支えた。

  18. 海外進出
    Nissan Chemical Houston Corporation を米国に設立

    アメリカ・テキサス州ヒューストンに拠点を新設した。化学品の現地販売・物流機能を強化する一環として位置づけられた。

  19. 研究開発組織を再編

    液晶パネルおよび半導体材料向けの研究開発体制を強化するために、2001年に研究開発組織の再編を実施した。2000年代を通じて液晶パネルの普及や、半導体の需要増加という追い風を受けて、機能材料が日産化学の成長を牽引した。

  20. 韓国に現地法人を新設
  21. 組織再編
    日産アグリ株式会社を設立、肥料事業を分社化

    創業以来の中核事業である化学肥料事業を分社化し、日産アグリ株式会社として独立させた。機能材料・農薬事業へ経営資源を集中する組織再編であった。

  22. 日本モンサントから農薬除草剤事業を買収
  23. 海外進出
    Nissan Chemical Europe S.A.S. をフランスに設立

    フランスを拠点に欧州での電子材料・農薬販売体制を整備した。欧州市場の本格開拓に向けた足掛かりとなった。

  24. 木下小次郎氏が代表取締役社長に就任
  25. 米DowAgroScienceより農薬殺菌剤事業を買収
  26. 台湾に現地法人を新設
  27. 企業買収
    Thin Materials GmbH(ドイツ)を買収

    ドイツの薄膜材料メーカー Thin Materials GmbH を買収した。半導体製造プロセス向け材料の技術獲得を目的としたM&Aであり、電子材料事業の競争力強化につながった。

  28. 中国(上海)に現地法人を新設
  29. 中国(蘇州)に現地法人を新設
  30. 「日産化学工業」から「日産化学」へ商号変更
  31. 米Corteva社より殺菌剤「キノキシフェイン」事業を買収
  32. 基礎化学品メラミンの生産停止
  33. 日本燐酸株式会社を買収
  34. 企業買収
    日本ポリテック株式会社を子会社化

    化学品メーカーの日本ポリテックを子会社化した。機能材料・電子材料領域の事業ポートフォリオ拡大を狙ったM&Aである。