沿革年表 1937〜2026年における重要度別の出来事(合計22件)

年月区分社長/CEO出来事年度売上高純利益
重要事項
株式会社丸井を設立
歴史的意義yutaka sugiura
月賦業界は愛媛県出身者が支配的な業界であり、富山出身の青井忠治は外様の立場にあった。丸二商会からの商号変更要請は競合警戒と地域閥の排除が重なった結果と推察される。大卒初任給60円の時代に1.1万円の貯金を蓄えていた事実は月賦業の高収益性を示しており、青井氏はこの業界の利益構造を熟知した上で独立に踏み切った。中央線沿線への集中出店は集金効率の最大化を意図した合理的判断であり、のちの丸井の駅前立地戦略の原型となった。
1937
1-12月
中国人が中野店を不法占拠
第二次大戦中、丸井の中野本店は休業していた。しかし終戦直後に中国人の王氏に不法占拠され、中華料理屋兼結婚式場へ様変わりした。創業者・青井忠治は返還交渉を開始した。終戦直後は中国人に対する日本人の立場が弱く、交渉は命がけであったが、青井は粘り強く継続した。その結果、1947年までに立ち退き要求に成功した。ただし王氏側は現在換算1億円の支払いを要求したため、青井は自宅(杉並区和田本町)を売却して資金を捻出し、中野店を取り戻した。
1945
1-12月
店舗専用のクレジットカードを発行
1952年に丸井の創業者・青井忠治は渡米し、現地でコンピューターを活用したクレジットカードが普及している事実に驚愕。以後、青井忠治は丸井におけるクレジットカードの導入を模索する。そして、1960年に店舗専用のクレジットカードを導入した。発行初年度に5万枚のカードを発行し、うち30%が丸井の店舗に来店してカードを作成した。なお、日本初のクレジットカードの発行とされることもあるが、クレジットカードの定義が曖昧なため、断言しづらい面もある。
FY60
1960/1
売上高
35.6億円
当期純利益
2.61億円
FY61
1961/1
売上高
45.1億円
当期純利益
1.92億円
重要事項事業売却
小規模店舗を閉鎖し、都心部に大型店を出店
歴史的意義yutaka sugiura
資本金3.6億円の企業が4億円を新宿の一店舗に集中投資した判断は、月賦専門店としての枠組みを超える規模であった。都心部への大型店出店は百貨店との直接競合を意味したが、月賦払いという決済手段の差別化が若年層の集客を支えた。1970年に緑屋を抜いて業界首位に立った構図は、沿線型小規模店から都心型百貨店への業態転換が首位奪取の条件であったことを示している。
FY62
1962/1
売上高
57.7億円
当期純利益
3.09億円
FY63
1963/1
売上高
71.9億円
当期純利益
3.58億円
東京証券取引所第2部に株式上場
店舗大型化のための積極投資を受けて、株式上場による資金調達を決定。1963年に東京証券取引所第2部に株式上場を果たした。
FY64
1964/1
売上高
97億円
当期純利益
4.5億円
FY65
1965/1
売上高
118億円
当期純利益
3.81億円
FY66
1966/1
売上高
141億円
当期純利益
5.45億円
FY67
1967/1
売上高
173億円
当期純利益
6.88億円
FY68
1968/1
売上高
221億円
当期純利益
7.96億円
FY69
1969/1
売上高
295億円
当期純利益
9.55億円
FY70
1970/1
売上高
377億円
当期純利益
12.3億円
FY71
1971/1
売上高
493億円
当期純利益
15.9億円
青井忠雄が社長就任
1972年に青井忠雄氏(当時39歳)が丸井の代表取締役社長に就任。2005年に社長を退任するまで約33年にわたって丸井の経営トップを担った。なお、青井忠雄氏の社長就任をもって、創業者の青井忠治は社長を退任し、1975年に71歳で逝去している。
FY72
1972/1
売上高
583億円
当期純利益
19億円
新宿三丁目・日活帝都座跡地を買収
丸井は新宿での店舗をさらに充実するために、1973年に伊勢丹新宿本店の真向かいに存在した日活帝都座跡地を47億円で買収する。土地の買収交渉にあたっては、青井忠治が戸田建設(キーマン)に対して毎日電話をかけるなど、土地取得に対して尋常ではないほどの熱意をかけていた。
FY73
1973/1
売上高
712億円
当期純利益
25.5億円
クレジットカードの店舗即時発行を開始
歴史的意義yutaka sugiura
丸井の事業モデルの核心は、店舗でのカード即時発行と高単価商品の分割払いを一体で運用した点にある。1974年のオンライン信用照会システムの稼働がこの仕組みの技術的基盤であり、来店した若者をその場でカード会員に変換する導線を確立した。DCブランドの高額商品はカード分割払いの需要を喚起し、カード会員の拡大がDCブランドの売上を押し上げる循環構造が26期連続増収増益を支えた。
FY74
1974/1
売上高
951億円
当期純利益
31.4億円
FY75
1975/1
売上高
1,254億円
当期純利益
36.1億円
FY76
1976/1
売上高
1,489億円
当期純利益
40.7億円
FY77
1977/1
売上高
1,690億円
当期純利益
53億円
FY78
1978/1
売上高
1,837億円
当期純利益
64億円
FY79
1979/1
売上高
1,978億円
当期純利益
72億円
重要事項
取扱商品をヤング向けファッション中心に転換
紳士服・家具中心の品揃えからヤング向けファッションへの転換は、クレジットカードと高単価商品の組み合わせを極大化する戦略であった。DCブランドの売上高が1984年の310億円から1987年の1066億円へ急拡大した事実は、ブームとクレジットの相乗効果を示している。しかしこの構造はDCブランドと若者消費に対する二重の依存を意味しており、バブル崩壊後の消費構造変化に対する耐性を欠いていた。
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FY80
1980/1
売上高
2,160億円
当期純利益
79.6億円
キャッシングに新規参入
歴史的意義yutaka sugiura
丸井がキャッシングに参入した1981年時点ではグレーゾーン金利は業界慣行であり、個社の判断として不合理とは断言できない。問題は残高2500億円・年間粗利653億円の規模にまで収益構造がこの事業に依存した点にある。金利10%の低下で年間250億円の利益が消失する構造は規制変更に対して脆弱であり、小売業の低迷がキャッシング依存を深め規制変更で逆回転する構図が丸井の経営危機の核心であった。
FY81
1981/1
売上高
2,413億円
当期純利益
82.5億円
FY82
1982/1
売上高
2,607億円
当期純利益
85.6億円
FY83
1983/1
売上高
2,699億円
当期純利益
96.1億円
FY84
1984/1
売上高
2,844億円
当期純利益
100億円
FY85
1985/1
売上高
3,024億円
当期純利益
104億円
FY86
1986/1
売上高
3,573億円
当期純利益
127億円
FY87
1987/1
売上高
4,007億円
当期純利益
154億円
FY88
1988/1
売上高
4,440億円
当期純利益
183億円
FY92
1992/1
売上高
6,013億円
当期純利益
305億円
減収決算により連続増収増益がストップ。業績低迷へ
1993年1月期、丸井は前年の売上高6014億円に対し売上高5760億円の減収決算を計上した。バブル崩壊で若者の高級品消費が低迷し、小売業界では無印良品やユニクロなど「安くて品質の良いもの」を扱う業態が支持される時代が到来し、丸井の急成長は幕を閉じた。経営陣は事態を深刻視し、1991年から「営業会議」での議論を開始した。毎週15:00〜22:00にわたり対策を検討したが、有効な施策を打ち出せず業績低迷が続いた。
FY93
1993/1
売上高
5,759億円
当期純利益
207億円
FY94
1994/1
売上高
5,451億円
当期純利益
185億円
FY95
1995/1
売上高
5,307億円
当期純利益
166億円
FY96
1996/1
売上高
5,247億円
当期純利益
184億円
FY97
1997/1
売上高
5,406億円
当期純利益
189億円
FY98
1998/1
売上高
5,481億円
当期純利益
192億円
FY99
1999/1
売上高
5,503億円
当期純利益
160億円
FY00
2000/1
売上高
5,218億円
当期純利益
173億円
FY01
2001/1
売上高
5,304億円
当期純利益
83.3億円
FY02
2002/1
売上高
5,515億円
当期純利益
149億円
FY03
2003/1
売上高
3,534億円
当期純利益
61億円
重要事項
青井浩
組織制度改革を実施(失敗)
10年間の営業会議で打開策を見出せなかった丸井が選択したのは、希望退職700名・子会社転籍5500名・成果主義導入・ERP刷新100億円という全方位的な組織改革であった。しかし業績低迷の原因を組織・人事制度に求めた前提に誤りがあった可能性が高く、制度の頻繁な変更が信頼関係を破壊した。2007年の改革中止が青井浩社長に対話型経営への転換を促した点で、丸井の経営史における重要な転機であった。
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FY04
2004/1
売上高
2,909億円
当期純利益
103億円
eコマースに本格参入
大型店舗への投資を継続
大型店舗への投資を継続。2003年には神戸(三宮)に進出して関西進出を実施。翌2004年には大型店舗として北千住マルイを新設した。北千住マルイは、丸井のなかで最大規模の店舗であり、2020年3月期の北千住店の売上高は389億円(丸井の店舗No.1)であった。
青井浩
青井浩氏が代表取締役社長に就任
FY05
2005/1
売上高
4,341億円
当期純利益
191億円
青井浩
FY06
2006/1
売上高
4,367億円
当期純利益
239億円
重要事項
青井浩
VISAと提携。エポスカードの発行を開始
エポスカードの本質はクレジットカードの刷新ではなく、丸井の金融事業の業態転換にある。ハウスカードの30歳離脱問題を解消しつつ、キャッシングからショッピング手数料ビジネスへと収益構造を移行させた。2006年の発行開始が改正貸金業法とほぼ同時であった点は丸井にとって決定的に重要であり、キャッシング収益の消滅をカード手数料で7年かけて補填した構造は金融モデルの再設計として注目に値する。
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FY07
2007/1
営業収益
5,521億円
当期純利益
42億円
改正貸金業法により財務体質が悪化
歴史的意義yutaka sugiura
グレーゾーン金利による15年累計1247億円の損失は、2011年時点の純資産約2800億円の4割超に相当する。損失の集中計上によっては財務危機に陥るシナリオも想定しうる規模であり、エポスカードの手数料収入への転換がなければ丸井の存続自体が問われた可能性がある。キャッシング依存という過去の経営判断の代償を15年かけて清算した構図は、規制変更リスクの帰結として示唆的である。
青井浩
FY08
2008/1
営業収益
4,935億円
当期純利益
76億円
青井浩
FY09
2009/1
営業収益
4,473億円
当期純利益
-87億円
青井浩
FY10
2010/1
営業収益
4,192億円
当期純利益
51億円
青井浩
FY11
2011/1
営業収益
4,064億円
当期純利益
-236億円
青井浩
不採算店舗の整理・最終赤字に転落
2011年3月期に丸井は最終赤字に転落。小売においては不採算店舗の閉鎖による減損計上に加え、2005年度以降の利息返還訴訟に対応するための引当金計上によりPLが悪化した。
FY12
2012/1
売上高
4,124億円
親会社株主に帰属する当期純利益
52億円
青井浩
大規模異動を実施・カード事業を強化
縮小する小売事業の効率向上のため、人員を「小売事業」から「カード事業・他」に移動
FY13
2013/1
売上高
4,073億円
親会社株主に帰属する当期純利益
132億円
青井浩
FY14
2014/1
売上高
4,164億円
親会社株主に帰属する当期純利益
154億円
青井浩
FY15
2015/1
売上高
4,049億円
親会社株主に帰属する当期純利益
160億円
重要事項業態転換
青井浩
消化仕入れから定期借家契約中心のショッピングセンター型へ小売事業を転換
取引先との契約を消化仕入れから定期借家へ切り替え、家賃収入を軸とするSC型へ。2019年3月期に定借8割・消化仕入れ2割へ逆転。
商品を売って粗利を取る百貨店型から、家賃とカード利用を生む「売らない店」への小売転換
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FY16
2016/1
売上高
2,458億円
親会社株主に帰属する当期純利益
177億円
青井浩
FY17
2017/1
売上高
2,370億円
親会社株主に帰属する当期純利益
187億円
青井浩
FY18
2018/1
売上高
2,404億円
親会社株主に帰属する当期純利益
209億円
青井浩
ベンチャー企業への出資・協業を本格化
FY19
2019/1
売上高
2,514億円
親会社株主に帰属する当期純利益
253億円
青井浩
11年連続増益を達成
2010年代を通じて丸井は青井浩社長のトップダウンによって経営再建に着手。小売業では仕入れ販売から賃貸型への転換、金融業では家賃保証などの手広いサービスを展開することによって収益を確保
FY20
2020/1
売上高
2,475億円
親会社株主に帰属する当期純利益
253億円
青井浩
FY21
2021/1
売上高
2,061億円
親会社株主に帰属する当期純利益
22億円
青井浩
FY22
2022/1
売上高
2,093億円
親会社株主に帰属する当期純利益
177億円
青井浩
FY23
2023/1
売上高
2,178億円
親会社株主に帰属する当期純利益
214億円
青井浩
FY24
2024/1
売上高
2,352億円
親会社株主に帰属する当期純利益
246億円
青井浩
FY25
2025/1
売上高
2,543億円
親会社株主に帰属する当期純利益
265億円
FY26
2026/1
売上高
2,769億円
親会社株主に帰属する当期純利益
285億円
  1. 株式会社丸井を設立
    月賦業界は愛媛県出身者が支配的な業界であり、富山出身の青井忠治は外様の立場にあった。丸二商会からの商号変更要請は競合警戒と地域閥の排除が重なった結果と推察される。大卒初任給60円の時代に1.1万円の貯金を蓄えていた事実は月賦業の高収益性を示しており、青井氏はこの業界の利益構造を熟知した上で独立に踏み切った。中央線沿線への集中出店は集金効率の最大化を意図した合理的判断であり、のちの丸井の駅前立地戦略の原型となった。
  2. 中国人が中野店を不法占拠

    第二次大戦中、丸井の中野本店は休業していた。しかし終戦直後に中国人の王氏に不法占拠され、中華料理屋兼結婚式場へ様変わりした。創業者・青井忠治は返還交渉を開始した。終戦直後は中国人に対する日本人の立場が弱く、交渉は命がけであったが、青井は粘り強く継続した。その結果、1947年までに立ち退き要求に成功した。ただし王氏側は現在換算1億円の支払いを要求したため、青井は自宅(杉並区和田本町)を売却して資金を捻出し、中野店を取り戻した。

  3. 店舗専用のクレジットカードを発行

    1952年に丸井の創業者・青井忠治は渡米し、現地でコンピューターを活用したクレジットカードが普及している事実に驚愕。以後、青井忠治は丸井におけるクレジットカードの導入を模索する。そして、1960年に店舗専用のクレジットカードを導入した。発行初年度に5万枚のカードを発行し、うち30%が丸井の店舗に来店してカードを作成した。なお、日本初のクレジットカードの発行とされることもあるが、クレジットカードの定義が曖昧なため、断言しづらい面もある。

  4. 事業売却
    小規模店舗を閉鎖し、都心部に大型店を出店
    資本金3.6億円の企業が4億円を新宿の一店舗に集中投資した判断は、月賦専門店としての枠組みを超える規模であった。都心部への大型店出店は百貨店との直接競合を意味したが、月賦払いという決済手段の差別化が若年層の集客を支えた。1970年に緑屋を抜いて業界首位に立った構図は、沿線型小規模店から都心型百貨店への業態転換が首位奪取の条件であったことを示している。
  5. 東京証券取引所第2部に株式上場

    店舗大型化のための積極投資を受けて、株式上場による資金調達を決定。1963年に東京証券取引所第2部に株式上場を果たした。

  6. 青井忠雄が社長就任

    1972年に青井忠雄氏(当時39歳)が丸井の代表取締役社長に就任。2005年に社長を退任するまで約33年にわたって丸井の経営トップを担った。なお、青井忠雄氏の社長就任をもって、創業者の青井忠治は社長を退任し、1975年に71歳で逝去している。

  7. 新宿三丁目・日活帝都座跡地を買収

    丸井は新宿での店舗をさらに充実するために、1973年に伊勢丹新宿本店の真向かいに存在した日活帝都座跡地を47億円で買収する。土地の買収交渉にあたっては、青井忠治が戸田建設(キーマン)に対して毎日電話をかけるなど、土地取得に対して尋常ではないほどの熱意をかけていた。

  8. クレジットカードの店舗即時発行を開始
    丸井の事業モデルの核心は、店舗でのカード即時発行と高単価商品の分割払いを一体で運用した点にある。1974年のオンライン信用照会システムの稼働がこの仕組みの技術的基盤であり、来店した若者をその場でカード会員に変換する導線を確立した。DCブランドの高額商品はカード分割払いの需要を喚起し、カード会員の拡大がDCブランドの売上を押し上げる循環構造が26期連続増収増益を支えた。
  9. キャッシングに新規参入
    丸井がキャッシングに参入した1981年時点ではグレーゾーン金利は業界慣行であり、個社の判断として不合理とは断言できない。問題は残高2500億円・年間粗利653億円の規模にまで収益構造がこの事業に依存した点にある。金利10%の低下で年間250億円の利益が消失する構造は規制変更に対して脆弱であり、小売業の低迷がキャッシング依存を深め規制変更で逆回転する構図が丸井の経営危機の核心であった。
  10. 減収決算により連続増収増益がストップ。業績低迷へ

    1993年1月期、丸井は前年の売上高6014億円に対し売上高5760億円の減収決算を計上した。バブル崩壊で若者の高級品消費が低迷し、小売業界では無印良品やユニクロなど「安くて品質の良いもの」を扱う業態が支持される時代が到来し、丸井の急成長は幕を閉じた。経営陣は事態を深刻視し、1991年から「営業会議」での議論を開始した。毎週15:00〜22:00にわたり対策を検討したが、有効な施策を打ち出せず業績低迷が続いた。

  11. eコマースに本格参入
  12. 大型店舗への投資を継続

    大型店舗への投資を継続。2003年には神戸(三宮)に進出して関西進出を実施。翌2004年には大型店舗として北千住マルイを新設した。北千住マルイは、丸井のなかで最大規模の店舗であり、2020年3月期の北千住店の売上高は389億円(丸井の店舗No.1)であった。

  13. 青井浩氏が代表取締役社長に就任
  14. 改正貸金業法により財務体質が悪化
    グレーゾーン金利による15年累計1247億円の損失は、2011年時点の純資産約2800億円の4割超に相当する。損失の集中計上によっては財務危機に陥るシナリオも想定しうる規模であり、エポスカードの手数料収入への転換がなければ丸井の存続自体が問われた可能性がある。キャッシング依存という過去の経営判断の代償を15年かけて清算した構図は、規制変更リスクの帰結として示唆的である。
  15. 不採算店舗の整理・最終赤字に転落

    2011年3月期に丸井は最終赤字に転落。小売においては不採算店舗の閉鎖による減損計上に加え、2005年度以降の利息返還訴訟に対応するための引当金計上によりPLが悪化した。

  16. 大規模異動を実施・カード事業を強化

    縮小する小売事業の効率向上のため、人員を「小売事業」から「カード事業・他」に移動

  17. ベンチャー企業への出資・協業を本格化
  18. 11年連続増益を達成

    2010年代を通じて丸井は青井浩社長のトップダウンによって経営再建に着手。小売業では仕入れ販売から賃貸型への転換、金融業では家賃保証などの手広いサービスを展開することによって収益を確保