概観
業界構造の変遷
系譜図
1970年の新日本製鐵発足から、2002年JFE発足、2012年新日鐵住金統合、2019年日本製鉄への改称・2020年日新製鋼吸収まで。
1960年代 高炉増設で競争 成長期
1980年代 高炉停止による生産縮小 成熟化
1934 1950 1950 1970 2012 2019 商号変更 2019 2002 2003 1905 官営八幡製鉄 1901〜1934
輪西製鉄ほか7社
日本製鐵 1934〜1950
八幡製鉄 1950〜1970
富士製鐵 1950〜1970
新日本製鐵 1970〜2012
住友金属工業 1949〜2012
日新製鋼 1959〜2020
日亜製鋼・日本鐵板の2社合併で発足
新日鐵住金 2012〜2019
日本製鉄
大株主(2025年3月時点)
1 マスタートラスト信託㈱(信託口) 14.8%
2 カストディ銀行(信託口) 5.3%
3 STATE STREET 1.9%
川崎製鉄 1950〜2003
日本鋼管 1912〜2003
JFE HD
JFE HD
大株主(2025年3月時点)
1 マスタートラスト信託株式会社(信託口) 14.83%
2 カストディ銀行(信託口) 5.4%
3 日本生命保険相互会社 2.49%
神戸製鋼
神戸製鋼
大株主(2025年3月時点)
1 マスタートラスト信託(株)(信託口) 16.94%
2 (株)日本カストディ銀行(信託口) 4.26%
3 野村信託(株)(投信口) 2.22%
各企業の詳細
主な拠点
日本製鉄・JFEスチール・神戸製鋼所の主要製鉄所を地図上にプロット。グローバルな原料調達や国内出荷・輸出拠点としての活用から、太平洋沿い沿岸部に集積する製鉄所(高炉を含む)の立地特性を可視化した。
歴史的証言
業界再編や経営方針を、当時の当事者の発言・公文書から振り返る。
斉藤裕 新日本製鐵社長(1987年当時)
いや、韓国にとられるというのはね。今は結局、為替にねじまげられたからですよ。われわれが進めようとしている合理化は、このねじまげられて弱くなった国際競争力を取り戻そうとやっている。これができれば、そりや、十分韓国ともわたりあえるわけで,そうしなけりゃならんわけですよ。(略)
鉄鋼の需要が大きく回復するということをやはり夢に描いて、それで余剰設備を抱えていたわけですよ。斎藤さんは7割操業武田さんは6操業とね。これはある程度戻るという期待感があった話だったんだけれど、もうそんな時代じゃない。分母を切らねばいかん、ということを決心したわけですな。もう6割操業,7割操業というのを目標にしてはいかんということになった。これはね。本当に大きい経営方針の転換ですよ。
八木靖治 川崎製鉄会長(1991年当時)
自分の会社を誉めるのもなんだが、川崎製鉄にはチャレンジ精神の伝統がある。戦後、高炉に進出しようとして政財界から猛反発を受けたが、それを押し返し、ここまでになったのは、その伝統に支えられたからと言える。
製鋼が専門の私は、若いときには世界一生産性の高い平炉造りに取り組まされ、転炉の時代には世界一大きな転炉の建設を担当させてもらった。これ以上腕の振るいどころがないというような仕事であった。水島製鉄所建設には部長として製鋼部門を任され、役員になってからはブラジルのツバロンプロジェクトを手がけた。いずれも、失敗したら会社がつぶれるかもしれないという状況の中で、技術者として世界最先端に挑戦させてもらった。
数土文夫 日本鋼管副社長(2002年当時)
原料及び主要顧客の自動車メーカーが世界的な再編をする中で、鉄鋼メーカーの収益基盤を強化していくには、取引先と対等の交渉力が必要になる。規模の追求は不可欠だ。
数土文夫 JFEスチール社長(2003年当時)
一方で規模の拡大は考えていない。新日鉄と張り合う気もない。目指すのはトヨタやソニー、信越化学工業などのエクセレントカンパニーだ。「今のJFEは山に例えれば2000m級にすぎないが、日本一の3000m級になって満足するのではなく、8000mを目標にする」と社内でよく話している。
海外展開についてもしばしば聞かれるが、具体的な収益に貢献しないような資本提携には関心がない。中国についても、「他社が出たから負けてはいられない」という焦りはない。長期的なビジネスで収益向上に貢献してくれる相手を、ゆっくり慌てずに探したい。
三村明夫 新日本製鐵社長(2003年当時)
まだ生々しい話ですから、赤裸々に申し上げるのは控えますが、我々は日産の要請を受け入れた。結果的には、いろいろな混乱が発生しました。価格がとんでもない水準まで下がり、鉄鋼業界が混乱に陥った。でも、これは自然な流れでもありました。
97年のアジア通貨危機の影響で、翌98年の国内粗鋼生産量は9000万トン強と、過去30年間で最低レベルに落ち込みました。うちはそれ以前に高炉を13基から9基に減らしていましたから、年間2320万トンと前年より300万トン以上生産量を落としても持ちこたえられた。しかし、中には高炉の稼働を止めるわけにもいかず、生産し続けて大量に在庫を抱えてしまったところもあったようです。
一方で、皆さんが「ゴーンショック」と言いますが、ゴーンさんの前から、ユーザーが調達先のメーカーを選択するという動きはいろいろな形で進んでいたんです。たまたま、あそこでゴーンさんが(再建計画である)「日産リバイバルプラン」を発表しましたが、今のような状態に置かれた産業、企業が生き残りを図るためには、調達先を集約するのは当たり前のことでしょう。
我々だって同じことをやりますよ。
熊本昌弘 神戸製鋼相談役(2003年当時)
製鉄業というと、今や衰退産業だと思っている人が少なくないようです。しかし、それは全く違います。
私は少なくとも今後10年は成長し続けると見ています。エレクトロニクスでも自動車でも、新しい技術革新を支えているのは素材ですし、中国という巨大な急成長市場もあるのです。
確かに過去には苦しい時代がありました。しかし、どんな産業にだってあるものでしょう。人生だって、苦もあれば楽もあります。苦しい時に何をしてきたかが大切なのです。
日本の製鉄業が強さを確保し続けていられるのも、私たちが苦しい時に頑張ったおかげだと思っています。
業界年表
主要な再編イベントを時系列で一覧表示。
| 年 | イベント | 詳細 |
|---|---|---|
| 1934 | 官営八幡製鉄+輪西製鉄ほか7社 → 日本製鐵 | 日本製鉄株式会社法により官営八幡製鉄所と民間7社が合同し日本製鐵設立 |
| 1950 | 日本製鐵 → 八幡製鉄 | 過度経済力集中排除法により戦前日本製鐵が八幡製鉄へ分割 |
| 1950 | 日本製鐵 → 富士製鐵 | 過度経済力集中排除法により戦前日本製鐵が富士製鐵へ分割 |
| 1970 | 八幡製鉄+富士製鐵 → 新日本製鐵 | 八幡製鉄と富士製鐵が合併し新日本製鐵発足 |
| 2002 | 川崎製鉄+日本鋼管 → JFE HD | 日本鋼管と川崎製鉄が経営統合しJFEホールディングス発足 |
| 2012 | 新日本製鐵+住友金属工業 → 新日鐵住金 | 新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金発足 |
| 2019 | 新日鐵住金 → 日本製鉄 | 新日鐵住金が日本製鉄へ商号変更 |
| 2019 | 日新製鋼 → 日本製鉄 | 日本製鉄発足とともに日新製鋼を吸収合併 |
出所
- 各社有価証券報告書(日本製鉄〈5401〉/JFEホールディングス〈5411〉/神戸製鋼所〈5406〉、最新期は2025年3月期)
- 日経ビジネス 1987年8月31日号(齋藤裕 新日鐵社長インタビュー)
- 日経ビジネス 1991年9月16日号(八木靖治 川崎製鉄会長インタビュー)
- 日経ビジネス 2002年1月14日号(数土文夫 NKK副社長インタビュー)
- 日経ビジネス 2003年4月21日号(数土文夫 JFEスチール社長インタビュー)
- 日経ビジネス 2003年7月14日号(三村明夫 新日本製鐵社長インタビュー)
- 日経ビジネス 2003年12月22日号(熊本昌弘 神戸製鋼相談役インタビュー)
- 日本製鉄プレスリリース(2019年10月3日 日鉄日新製鋼の吸収合併に関する決議)
- 鉄鋼業界上位10社の経営比較 : 200項目経営比較資料(資料産業界シリーズ. 会社全資料), 1980年12月(粗鋼生産シェア推移)
業界の物語
「鉄は国家なり」と呼ばれた通り、鉄鋼は重工業の素材として国家の競争力基盤に位置づけられてきた。1934年、日本製鉄株式会社法に基づき官営八幡製鉄所と輪西製鐵などの民間会社が合同して日本製鐵が設立された のは、鉄鋼の国産化を国家戦略として推し進めるためである。
戦後の財閥解体の流れで 1947年制定の過度経済力集中排除法の適用を受け、1950年に日本製鐵は八幡製鉄・富士製鐵など第二会社4社へ分割 された。並行して日本鋼管・川崎製鉄・住友金属工業・神戸製鋼所などの民間勢が並立。高度経済成長期に入ると、自動車・建設・造船からの旺盛な鋼材需要を前提に 1960年代後半から70年代前半にかけて高炉増設競争 が起きる。規模の経済が強く効く設備産業ゆえ、各社が将来需要を見込んで能力増強を競い合う構図だった。
しかし 1970年、構造不況を予見した八幡と富士が合併し、新日本製鐵が誕生 する。戦前の日本製鐵が一度再統合された格好だが、各社とも高炉新設の計画中止にとどまり、再編は20年近く起きなかった。
潮目を変えたのは 1985年のプラザ合意後の円高 である。輸出競争力が削がれ、韓国メーカーの台頭で過剰設備の問題が顕在化し、業界は高炉停止による生産縮小へ追い込まれていく。各社は半導体など多角化事業に活路を求めたが、ほぼ全社が撤退に追い込まれている。
業界の判断軸を本当に変えたのは需要側だった。1999年の日産リバイバルプラン(ゴーンショック)で調達価格が大幅に引き下げられる と、大口需要家の選別圧力が一気に顕在化し、個別企業では対抗できない構造が露わになる。2002年、日本鋼管と川崎製鉄の経営統合でJFEホールディングスが発足、2012年に新日本製鐵と住友金属工業の合併で新日鐵住金が誕生して2019年に日本製鉄へ商号変更した。1970年代の新日鐵の発足から逆算すると、およそ半世紀かけて再編に追われた業界とも言える。
筆者所感
鉄鋼業界では、規模の経済を追求して伸びた成功体験が長く続き、業界全体の再編判断が遅れた。「鉄は国家なり」と呼ばれるほどの鉄鋼メーカーの優位は、1970年代以降に揺らぎ、トヨタなどの大口顧客が価格決定権を握るようになった。
にもかかわらず、業界の本格再編は1999年のゴーンショック(日産からの値下げ圧力)を待つことになる。1970年の新日鐵発足から30年近く、構造改革は手付かずだった。
ではなぜ、業界はここまで成功体験に縛られたのか。本質的な理由は、高炉メーカーが地域経済における雇用の守り手という意識を持っていたからだろう。
製鉄所は数千人規模の従業員を抱え、関連協力会社まで含めれば地域経済の中核を担う。高炉閉鎖は単なる設備の停止ではなく、莫大な雇用機会の喪失と社会問題化を意味した。利益追求の論理では早期再編を促されるべき場面で、雇用維持の重みが業界を動かさなかった——というのが、本質的な理由なのだろう。